「Umar Eats」の配達員から、トレセン学園にスカウトされたウマ娘の話   作:ayks

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感想でご指摘いただき、今までの前書きを一部修正いたしました。
規約への理解が十分に及ばず申し訳ありませんでした。
お教えくださった方、ありがとうございました。


試行錯誤 後編

そうして迎えたレース当日――

 

阪神レース場は厚い雲に覆われ、暗澹とした帳をダートに降ろしていた。

さっきまで降っていた雨と、5月末のすっかり暑くなった気温が相俟って、高温多湿の非常に不愉快な気候。

 

このじっとりと纏わりつく嫌な空気が天気のせいだけであってほしいと、大原は思う。

 

濡れた地面と、手を伸ばせば届きそうなほど近い曇天。

縁起の悪い想像を頭から追い出し、隣の三脚に取り付けてあるカメラの確認をする。

こんな時、見届けることしかできないトレーナーという立場が実にもどかしい。

 

発表されたバ場状態は「重」。

昨日までの天気予報とは異なった空模様に、大原は渋面を作らざるを得なかった。

 

「芝」と「砂」は、ほぼ真逆の性質を持つ。

 

水を吸った砂は固くなり、踏み込みに割かれる力が軽減される。

即ち、良バ場状態の芝のレース場と性質は近いものになる。

 

前回のレースと似たような条件。更に今回は距離が200mも短い。

それらが何を意味するのか。

 

――純粋なスピード勝負に持ち込まれやすい。

 

不利を避けたはずが、前よりも分が悪いレースになるかもしれない。

だがこればかりは仕方ない。人智の及ばない要素は、運がなかったと割り切るしかない。

仮に確率を自由に操れる術があるのなら、魂ですら喜んで差し出すだろう。

 

出来ることを、出来る限りやる。

毎回、人事は尽くしている。

あとはこれまで二人でやってきたことを信じて、天からの沙汰を待つだけだ。

 

掌に滲んだ汗を、ハンカチで拭う。

奇しくも、彼女に貸したものと同じだった。

香りのすっかり抜けたそれをポケットに戻し、遠くに見える自分の担当に目を向ける。

 

誘導員の指示に従い、ゲートに収まる小さな芦毛。

砂をぽすぽすと蹴ってしきりにバ場状態を確かめていたりと、落ち着かない様子が見て取れる。

だが、前回のような心ここに在らず、といったことはなさそうだ。

 

今回、タマモクロスは2番人気に推されている。

前のレースで、ラストスパートまでの好走が評価されてのことだ。

あの勝負根性が最後まで続けば……と期待されていることの表れだろう。

7枠8番での出走。この距離での外枠はコーナーにほぼ直線で切り込むことができ、一般的には有利だとされている。

 

 

レースに絶対はない。気まぐれな勝利の女神は、今回誰に微笑むのか。

 

 

最後の一人がゲートに収まり、空気が一気に張り詰める。

息を呑む観客。気を高める出走者。

深呼吸さえも躊躇する静寂。

 

 

出走者10名

阪神レース場 右回りダート1800m

重バ場で行われる未勝利戦――

 

 

 

派手な音と共にゲートが開き、10人が一斉に飛び出した。

 

 

 

タマモクロスはゲートの解放音に驚いて身体を少し持ち上げてしまうが、致命的な出遅れはせず、まずまずと言ったスタート。

そのままじわじわと加速し、集団の前方に陣取った。

 

「――よしっ」

 

好位に取り付いた自分の担当ウマ娘に、トレーナーもグッと拳を握る。

前回の暴走を大いに反省し、今回プロキオンが立てた作戦は「先行策で前方に位置取り、脚を溜めてスパートで千切る」というもの。

 

将棋で言うところの振り飛車。所謂()()()()

 

スタミナ管理さえ誤らなければ、自力勝負に持ち込めると踏んでの指示である。

 

良いスタートダッシュを切った4番が先頭に立ち、そのすぐ後ろ、3/4バ身差で外側を追走する7番が2番手。

その更に3/4バ身差の外、3番手にタマモクロスは居た。

 

(よし、ココまではトレーナーの指示通り。後は前に出過ぎんように抑えながら――)

 

思い切り走らせろと叫ぶ本能(こころ)を宥め、行き過ぎないように抑えながら駆けている。

レースは他者との戦いであるが、自分との葛藤とも向き合わなければならない。

無意識に段々と逸りそうになる脚を、意思の力で抑え込まなければならないからだ。

心の内に眠る、獰猛な野性。それを御して初めて、勝利へと一歩近づく。

 

彼女のすぐ隣――内側には対抗意識バリバリで1番が走っている。クビほどの誤差でタマモクロスが先行しているが、ほぼ並走と言っても差支えない。

先頭から、後方から2番目を走る2番までで4バ身差の、一団が固まっているレース展開となった。

 

全員がバ場の手ごたえを確かめているような慎重なペースのまま、第1コーナーを駆け抜けていく。

ここでもタマモクロスは3番手と4番手を行ったり来たりしており、前回のように行き過ぎずに脚を溜めている。

 

(ここまでは良い。だが気がかりなのは、他がどこまで余力を残しているかどうか――)

 

担当の好走をかじりつくように眺めながら、大原はスタンドの手摺りを力いっぱい握り締める。

どれだけ策を弄しても、最終的にレースの趨勢を決するのは単純なスピード・パワー勝負であることが多い。

フィジカルに優れないウマ娘の場合は、そう言った叩き合いに持ち込まれるのを避けるために、ペースをわざと乱す、プレッシャーをかけて焦らせる、といったレースメイキングで有利な状況を作る。

ともすれば自分が沈みかねない危険な駆け引きすら、リスクを厭わずに行ったりする者もいる。

 

そうでもしなければ、基礎スペックで後れを取っている相手とは勝負にすらならないからだ。

 

タマモクロスの場合、レースの展開に合わせた作戦――アドリブの効いたレースメイクをすることは難しい。

つい先日までレースに出たことのないウマ娘にとって、状況に合わせた正しい選択肢を選ぶことはまだまだハードルが高いようだ。

だから、出来ることを出来る限りやる。

 

 

「トレーナーは神に祈るべからず」という格言がある。

 

自分の担当を、今までの研鑽を信じ、己が自信へと昇華させよ。

祈るべきは偶像ではなく、培った成果と其処に至る過程である。

そんな意味が込められている。

 

故に、大原は祈らない。

ダートを疾駆する小さな芦毛と、自らが課しているトレーニングを信じるのみ。

 

 

向正面の直線では、先頭は変わらず4番。2番手の7番は、やや苦しそうな顔を浮かべて追いすがっている。1番とのポジション争いを制し、3番手に上がってきたタマモクロスがその後に続いている。

それぞれ3/4バ身の間隔で、それ以下の娘達も大きな差はなく固まっており、ほぼ平均ペースでレースは流れている。

このままの位置をキープし、最終直線で溜めたエネルギーを解放すれば、二人が思い描いた勝ちパターンそのもの。

2回目の出走にして、ウイニングライブのセンターを頂くことになる――

 

 

――はずだった。

 

 

(っ、アカン!このままやと最後で後続に囲まれて捲れんくなってまう!ここは――)

 

「タマ……っ!」

 

 

()()()ジリジリと、ペースが上がっていく。

 

メイクデビュー戦でも掛かるところを見せたタマモクロス。今回は()()()()()()()()、自らの意思でペースを上げた。

無論、大原は指示していない。すぐ後ろに控えている7人のプレッシャーを背に受けて、我慢ができなくなったのだ。

 

「ダメだ!タマぁ!!

抑えろ!抑えるんだ!」

 

仕掛けるのが早過ぎる。このままでは持たない。

雨を吸った重い砂を蹴り込み、力強く進出を開始した自分の担当を遠目に、大原はそう直感した。

聞こえるはずもないのに、思わず叫んだ。近くにいた観客が、何事かと驚いてこっちを向く。

そして彼は、そのことをタマモクロスに伝えることができない。

 

お願いだから気付け。気付いてくれ――

 

他のトレーナーはみんな、こうも身が引き裂かれるような気持ちを抱えてちゃんと仕事が出来ているのだろうか。

首を掻きむしりたくなるもどかしさを抱えた彼を無視するように、レースは後半へと差し掛かっていた。

 

 

第3コーナー手前から先頭グループは順位を変えることなく膠着していたが、ここで少し動きを見せた。

 

(――来よったな――っ!)

 

大外から5番が、ペースを上げたタマモクロスの外に並んで来た。そのまま彼女の前に出ようと、斜めに切り込もうとする。

ここで進路を塞がれては、再加速に余計なパワーを割くことになる。そうなっては、最後の直線で競り合う余力が残らない。

 

(させへんっ!)

 

今のポジションを死守するために使うスタミナと、ブロックから抜け出すために使うスタミナ。

どちらが省エネかを瞬時に考え、彼女は前者を選択した。

 

瞬間的にブーストを吹かし、進路をインターセプト。

鋭くカットインしてこようとしていた5番を弾き出し、3番手の維持に成功する。

 

「ぐっ……」

 

急激な加速の代償に、脚に鈍に鈍い痛みが走る。

一瞬冷汗が出るものの、壊したわけではなさそうだ。

ギリギリだが、まだ脚も残っている。

 

(さぁ、行くで!)

 

ここからタマモクロスは更に脚の回転を速め、先頭との差を詰めにかかった。

 

レースの分水嶺となる3分3厘でも、先頭の4番は後続をあまり意に介さず自分のペースで逃げていた。

しかし、突如として大きな気配がすぐ後ろまで迫ってきたのを感じ、ちらりと背後を振り返る。

 

3/4バ身差で7番とタマモクロスが2番手争いを繰り広げ、ふたりの1バ身半後ろを2番が4番手で追従。

全員、()()()()()()()()

見据えているのは自分の遥か先――直線の最後に佇むゴール板のみ。

嘗められたものだとキッと視線を前へ戻し、ギアを1段階上げた。

 

「無理ィ~!」

 

第4コーナーでは、スタートからずっと2番手をキープしていた7番が、タマモクロスとの競り合いに負けて後退。

彼女が単独2番手となり、いよいよ先頭を射程距離に捉えた。しかしハナを進む4番の手応えはかなり良さそうで、十分に力を温存したまま走っているように見える。

 

タマモクロスと先頭の差は1バ身。

その外半バ身後ろに、今までずっと控えていた2番が3番手に上がってきていた。

 

「――逃がしませんよ?」

 

ぼそりと、2番の呟きが聞こえ、ぞわっと産毛が逆立つ。

背後から迫り来る怖気を振り払うように、回る脚に鞭を打つ。

 

 

コーナーを曲がり、迎えた最終直線。

 

ここからは、小手先の策も小賢しい細工も一切関係ない。

 

より速い方が勝つ。

より余力がある方が勝つ。

より筋力に優れた方が勝つ。

 

文字通り、死力を決した350m。

 

「あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」

 

小さな身体から、獣のような濁った咆哮が響く。

ハナを進む4番に、外からじわじわ上がってきたタマモクロスが、クビ差まで詰め寄ってきた。3番手の2番も3/4バ身差ですぐそこまで迫る。

スタンド前で繰り広げられる激走に、観客は怒号にも似た声援を送る。

 

「走れぇぇぇぇぇぇ!」

 

鬼気迫る表情で駆けるタマモクロスに、大原も大声で声援を送る。

勝て――勝て!

後はもう、気力の勝負。叩き合いなら、彼女にも十分勝機はある。

 

 

しかし――

 

 

残り250mで、タマモクロス身体がガクリと沈む。

 

悪いことに、彼の予想は正しかった。

その類稀な観察眼は、教官業務から離れてもなお健在だった。

 

ここに来て再びのガス欠――初戦と同様に、最後までスタミナが持たなかった。

 

ギリっと奥歯を噛んだ口の中で、血の味がする。

また、届かないのか。

 

「タマ――」

 

か細く呟いた名前は、スタンドを揺らす声援に掻き消された。

 

 

明らかに速度が落ちた芦毛(8番)に、観客からどよめきが起こる。

その隙を見逃さず、先頭の4番がダメ押しの加速で再び突き放しにかかる。残り1ハロンでは、2番手との差は1と3/4バ身に開いていた。

 

(嫌や!もう負けたくあらへん!)

 

タマモクロスも何とか粘ろうとするが、その外半バ身差の位置から2番が詰め寄ってくる。

暗殺者のように、音もなく近寄り、その首を一気に獲ろうと機を狙っている。

 

そしてラスト150m地点――

ついにその剃刀のような末脚が、タマモクロスを切り裂いた。

 

「――ふふっ」

 

「ぐっ――!」

 

並ぶことなく一気にかわされる。2番は並々ならぬ殺気を携えて、そのまま先頭にも一歩一歩詰め寄っていく。

この瞬間、彼女は悟った。

 

 

あぁ、今回もアカンか――

 

前の2人が並んだところで4番も粘りを見せたものの、結局最後は2番が、彼女に止めを刺した切れ味そのままに差し切った。

タマモクロス(8番)しか見ていなかった4番を半バ身差で下し、先頭でゴール板の前を駆け抜ける。

 

失速した上に戦意まで喪失したタマモクロスは、最後の最後ラスト60mで伏兵の3番にもかわされてしまい、最終的に4着でゴールした。

 

メイクデビュー戦より粘りは増したものの、どうにも詰めが甘いレースが続いている。

好走したところで所詮は敗者。

 

1着か、それ以外か。

レースの結果はそれしかない。

 

肩で息をしながら、タマモクロスはスタンドへと目を向ける。

 

「あ――」

 

最前列――三脚付きのカメラの隣に、トレーナーの姿を認めた。

目が合う。彼は何かを言って、薄く笑って頷いた。

 

『おつかれさま』

 

口の動き方で、何を言われたか理解した。

 

 

今回の敗因は、タマモクロス自身が中盤で折り合いを欠いたこと。

彼の言う通り、焦らず控えていればもっとスタミナが温存できたし、最後でも粘ることができたかもしれなかった。

 

レースに「たられば」はご法度だが、こんなレースを2回もしてしまっては悔いも残るというもの。

こんな体たらくな結果でもなお、優し気なトレーナーの雰囲気にバツが悪くなり、思わず顔を逸らした。

 

 

 

「――済まない」

 

そっぽを向いてしまった担当に小さく謝りながら、大原は早くも次のレースまでに必要なトレーニングを考えていた。

贔屓目無しに、今日のレースは勝てる内容だった。

重バ場の影響で最後はスピード勝負になったとはいえ、指示通りにしていれば最後も十分伸びたはずだ。

 

 

やはり彼女の一番の課題はメンタル――競争バとしてのマインドがまだ未熟であるところだ。

 

「カウンセラーや心理学の教授も当たってみるか……」

 

精神面のハードルを乗り越えるために、出来そうな事を独りごちた時――

 

 

()()はかかってきた。

 

 

ポケットの中で震えるスマートフォン。

手に取り、画面を確認する。

 

 

『駿川たづな』

 

 

――嫌な予感がする。

跳ねた心臓を落ち着かせるように一度大きく深呼吸をし、緑色のボタンをタップした。

 

 

「――お疲れ様です。大原です」

 

『駿川です。今宜しかったですか?』

 

「えぇ、丁度今レースが終わった所でして」

 

『こちらでもテレビで観ていました。次こそは良い結果になるよう、陰ながら応援していますよ』

 

「……はい。彼女のために、日夜全力でトレーニングを練っております」

 

 

これも全て言い訳に聞こえるに違いない。

まさか、『特編』の特別査定がもう――

 

 

「……それで、どうされましたか?」

 

額にうっすらと脂汗を浮かべ、本題に切り込む。

 

『はい。

 

大原さん、落ち着いて聞いてください』

 

 

 

結論から言えば、トレーナーとして体たらくな自分への、(URA)からの沙汰ではなかった。

 

 

それ以上に、悪いものだった。

 

 

 

『タマモクロスさんのお母さんの容体が急変しました。

 

再度集中治療室(ICU)に移送された後、現在はオペ室で緊急手術中とのことです』

 

 

 

大原は、神には祈らない。

 

何故なら、神は祈るものではなく、恨むものだから。

 

 

 

参考サイト様:http://ovi.la.coocan.jp/index.htm




前回の更新で告知しておりました、ウマ娘の二次創作企画
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ご参加お待ちしております。


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