「Umar Eats」の配達員から、トレセン学園にスカウトされたウマ娘の話   作:ayks

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先日頂いたタイトルロゴです。
ファンアートを頂くのは初めてで、光栄の至りです。


【挿絵表示】


お贈りくださった「ウルト兎」様、本当にありがとうございます。
これからも更新頑張ります。



世界への反逆

「うわぁすげー!」

 

「ヒトもウマ娘もぎょうさんおる!」

 

「ねぇ、私何か食べたーい!」

 

「ねぇおじちゃん、何か買ってー!」

 

「「「「買って買ってー!」」」」

 

「おい、チビ達。あんまトレーナーを困らせたらアカン!」

 

 

6月中旬 阪神レース場

もはや彼女の主戦場と呼んでも差支えない場所。

そこに大原とタマモクロスは、彼女の弟妹を連れて来ていた。

 

彼女の実家と阪神レース場は、実はさほど離れていない。

どうせなら家族も呼んではどうかと、トレーナーから彼女に提案したのだ。

 

「そりゃ、来てくれたら嬉しいけど……ええんか?」

 

誘った時、言葉は遠慮がちだったが、耳と尻尾の動きまでは抑えきれていなかった。

それを是と受け取った大原は彼女と一緒に宝塚市に前日入りし、今朝ワンボックスをレンタカーで借りて実家へと向かい、全員回収してレース場へと戻ってきたところだった。

 

「いや、別に構わない。元々そのつもりだったしな。

みんな何がいいかな?後で好きなものを買って来よう」

 

「ホント!?おっちゃんありがとう!」

 

「「「「ありがとー!」」」」

 

「お前らはまったく……ええんかトレーナー?」

 

「勿論。折角のお姉さんの晴れ舞台だ。目一杯楽しんでもらいたい」

 

「……ほんまおおきにな」

 

嬉しそうにトレーナーと自分の手を引く弟妹達の姿に、彼女は目を細めた。

 

「本当はお母さんも呼んであげたかったんだが――済まない」

 

「その話はええって。あんな状態じゃ、移動するのも大事(おおごと)やさかい」

 

体調を最優先にし、母親は病院でお留守番だった。

しかし特別にICUにテレビを持ち込ませてもらい、中継をリアルタイムで見届ける準備は万全だ。

 

 

「……調子はどうだ?」

 

またひとつ、雰囲気が変わった自分の担当に尋ねる。

地元に帰り、親子で面会をした翌日。グラウンドに現れたタマモクロスは何かが違っていた。

 

憑き物が落ちたような、心に芯が通ったような、そんな落ち着いた雰囲気。

地に足が着き、明らかに精神が安定していた。

ついこの間まで緊張に震えていた彼女が、今はこんなにも頼もしい。

 

 

「――すこぶるええ。今日は負ける気がせぇへん」

 

強がりではない、確かな手ごたえと自信。

課題であった、メンタル面での不安。一時的かもしれないが、それがほぼ解消されつつある。

今までであれば、明日もわからない母親の体調で頭が一杯になり、心ここに在らずと言った状態になっていたはずだ。

 

親子の対話。弟妹との対話。それらを通じて、またひとつ壁を乗り越えたようだ。

 

 

「いつもなら、また緊張とプレッシャーでいっぱいいっぱいになってたはずだからな」

 

「言うとけ!……まぁ今日はチビ達もおるさかい、ええ気晴らしになっとるんはホンマやな」

 

柔らかい笑みを浮かべる彼女からは、いつものレース前のピリピリとした雰囲気は微塵も感じなかった。

心身共に充実している彼女に、これ以上の言葉は蛇足だろう。

 

「……みんなと観客席で待ってる。落ち着いていけば必ず勝てる」

 

「あぁ。あの血反吐吐きそうなトレーニングも今日のためのモンや。感謝するで、トレーナー」

 

「礼なら勝ってから、弟妹とお母さんに伝えてあげるんだな」

 

「勿論や。アンタも、ウチの華麗なダンス見て腰抜かさへんようにな!」

 

そんな言葉を交わしながら、レース場の奥へと歩いて行く。

 

 

運命のレースまで、あと3時間を切っていた。

 

 

 

 

□ ■ □ ■

 

 

 

 

そうして弟妹と過ごし、トレーナーと最終確認をしている間に、出走する第3レース直前となった。

パドックでのお披露目も終わり、全員が地下バ道を通ってゲートへと移動している。

 

発表されたバ場状態は「(やや)重」。

前回よりは有利な条件。ダート特有の、パワー勝負や叩き合いに持ち込みやすい状況だ。

アップも兼ねて、足元の感触を確かめるようにしながら走って向かう。

 

今回タマモクロスは6枠7番での出走。2番人気となった。

芝のデビュー戦でも前回のダートでも、結構しっかり走るといった評価はなされているようだ。

ただし、最後の詰めの甘さから本命にはできない。そういった予想が人気順に表れている。

 

まぁ、妥当だなと彼女自身も納得している。

不甲斐ないレースをした自分には相応しい内容。

だが今日からは、その評価を改めてもらわなければならない。

 

 

レースに出る全員がゲートに収まった。

どの番号の枠内からも、並々ならぬ気迫を感じる。

 

デビューから2ヶ月も経っていないタマモクロスにとっては、これで2度目となる未勝利戦。

だが他の出走者の中には、もう幾度目かわからないほど、この地で二の足を踏んでいる娘もいる。

 

負けに負け続け。未だに頂いたことのない先頭の景色――

赤く血走った眼には、そのイメージが焼き付いていて離れない。

 

トゥインクルシリーズを走る3年間、一勝もできずにその現役を終えるウマ娘もいる。

むしろ、そちらの方が遥かに多い。

重賞に目が行きがちだが、トレセン学園は2000人以上の強豪が一堂に会して覇を競う群雄割拠。

一度勝つだけでも、実は大変に栄誉なことなのだ。

 

更にその上澄み中の上澄み。極めて肌理(きめ)の細かい濾紙(レース)で何度も何度も濾した先に現れる、一切の混じり気のない純なる素質。

G1(スター)ウマ娘とは、得てしてそういうもの。

華々しい舞台の裏では数えきれない程の、夢の屍が積み上げられている。

 

 

勝利を渇望し、(こいねが)う者。

「今度こそは」という狂気にも似た執念が、全身からオーラのように立ち上る。

 

 

だがそれはタマモクロスとて同じ。

気圧されないよう、闘志を剥き出しにして周りに圧をかけていく。

 

 

目を閉じて、一度深く息を吸った。

数秒止めて、ゆっくりと吐き出す。

 

瞼を開くと、さっきよりもずっと視界がクリアになっていた。

 

掲示板の文字。遠くに聞こえる選挙カー演説。

応援席に詰め掛けている観客ひとりひとりの顔までハッキリと見える。

 

身体の内側は燃えるように熱いのに、頭は驚くほど冴えている。

 

「"ココロは熱く、アタマはクールに"か――」

 

デビュー戦のプレッシャーに圧し潰されそうになった時、トレーナーが自分に向けて放った言葉。

それを思い出し、小さく笑った。

 

情熱と冷静を色に織り交ぜた鉢巻が、芦毛の傍で風にそよぐ。

そっとそれに触れて、正面を向いた。

脚を前後に開き、気を集中させる。

 

 

 

出走者11名

阪神レース場 第3レース

ダート右回り1700m

 

 

絶対に負けられない戦い。

 

その幕が、「ガシャン」と無骨な音を立てて上げられた。

 

 

研ぎ澄ませていた神経が最速でその音を拾い、電気信号を脚の筋肉へと伝播させる。

臨界寸前まで溜めていた力を黒色火薬よろしく爆発させ、前方へ弾丸のように飛び出した。

 

今までで最高のスタートを切ったタマモクロスは、そのままするすると上がり先頭争いに食い込んだ。

その内から負けじと2番が積極的に出てきて、タマモクロスとハナを奪い合う。

今日のコンディションは抜群だ。始まった直後だが、ぐんぐんと前に進む自分の身体に今までとは違う手応えを感じていた。

 

トレーナーの言葉を借りるなら、()()調()だ。

 

(――っと、アカンアカン。上手く行っとる時こそ落ち着かんと。

また熱くなってもうて、全部おじゃんにしたらかなわんさかいな)

 

逸る脚を宥め、余力を残せるようにペース配分に気を配る。

先頭の二人が並び、挨拶替わりの火花を散らす。冷静さを維持しているタマモクロスは、抜け出すことなく少し抑えて走る形となった。彼女と2番、先頭2人が競り合ったままの態勢は変わることなく、第1コーナーへと差し掛かる。

 

この時の後続は、2人の外側を半バ身差でぴったりと付けている9番が3番手。その1バ身後ろに3人が並走して、残りは後ろを付かず離れずといった距離を維持したまま、思い思いのペースでゆるりと追いかけている。

 

第1コーナーを曲がり、第2コーナーに差し掛かるまでの緩やかな曲線。

どちらが先に動くか、後出しジャンケンのように互いのを(ハラ)を探り合っている先頭2人。

ジリジリとした展開。焦れた方が負け。そんなチキンレースが続くのかと思った矢先――

 

(――っ!?)

 

タマモクロスの内ラチ側で並走していた2番が、自動車の幅寄せの要領で外側に膨らんできたのだ。

体操着の袖が触れ合うほどの至近距離。人間の徒競走なら兎も角、60kmを超える速度で駆けるウマ娘にとって、その距離は事故と紙一重。

 

慌てて減速して、距離を確保する。背中に嫌な汗が出る。

 

(コイツ、一体何考えとるんや!?)

 

乱された走調(歩調と対比して使われるトレーナー用語)に、衝突を省みず危険走行を繰り出してきた相手を内心で怒鳴りつける。

その背中を後ろから睨みつけていると、こちらを振り返り、はっと浅く笑った。

 

間違いない。この2番は、ラフプレーすれすれの走行を意図的に行っている。

 

(……上等やないか)

 

ナイーブな性質故か、彼女は少々()()()()()

ここまで挑発されて黙っていられるほど、彼女はお淑やかではなかった。

逆にお前の方を潰してやるとばかりに、犬歯を剥き出しにしながらペースを少し上げた。

 

内側にいる2番が3/4バ身差でリードしており、その外で青筋を浮かべながら追いかける2番手タマモクロスはやや掛かり気味。

その後ろ2バ身半差に1番と、更に半バ身差で9番。その3/4バ身内にそれ以外の7人が団子となって控えている、かなりの混戦の様相を呈していた。

 

 

 

 

□ ■ □ ■

 

 

 

 

「うわぁタマねぇすげー!ずっと前の方におるで!」

 

「いけータマねぇ!そのままゴールや!」

 

「アカンよ!そのままだと2番じゃん!」

 

「あ、そっか……いけー!抜いてゴールや!」

 

そんなレースを応援する、今日も大勢の人で賑わっている観客席。

大原の隣で、チビ達も大声ではしゃいでいる。

初めて来たレース場。それも自分の自慢の姉が好走しているのを目の当たりにして、テンションも最高潮といった具合だ。

傍に立ってカメラを回している彼もまた、その様子を見て微笑ましく思っていた。

 

ふと、その内の一人が不安そうに大原に話しかけてきた。

 

「……なぁおっちゃん。タマねぇ勝てるよね?」

 

「……どうしてそう思うんだ?ほら、あんなに良い位置につけてるじゃないか」

 

「でも! 前のレースも、その前のやつもタマねぇはずっと前の方におった!テレビで観てた!

前の方におったのに、最後に抜かされて負けてしもた……今日だって今までと同じ――」

 

流石、弟妹の中で一番タマモクロスと歳が近い子だ。しっかりしているというか、良く観ているというか。

デビュー戦と前回のレースと展開が同じことに、あの光景を想起してしまったのだろう。

 

目に涙を浮かべて心配そうに俯いている頭に、大原はそっと手を乗せる。

 

「心配ない。今日のお姉ちゃんは本当に調子が良くてな。キミたちが応援に来てくれたおかげだ」

 

「ホント……?」

 

「あぁ、トレーナーの俺が言うんだから間違いない」

 

くしゃくしゃとその頭を撫でながら、努めて明るい声色で太鼓判を押す。

 

「それにな。今日のお姉ちゃんにはひとつ、秘策を持たせてあるんだ」

 

「ひさく……?」

 

「必殺技があるってことだよ」

 

「ひっさつわざ!?」

 

子供が喜びそうな言葉を選んでやると案の定、目を輝かせる。

 

「そう、だから今日は大丈夫だ。みんなの所に戻って、一緒にお姉ちゃんを応援してあげてくれ」

 

「わかった!」

 

笑顔で頷くと、他の兄弟のいる所へと戻っていった。

 

 

「"必殺技"、か――」

 

誰にも聞こえないように、小さく呟く。

これは、チビ達を安心させるためについた出任せの嘘ではない。

 

事実、今回は本当に策をひとつ、彼女に授けてある。

 

 

だが大原は、タマモクロスにそれを()()使()()()()()()()と指示してある。

理由は単純――ともすれば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だからだ。

 

 

「あんなことしか言ってやれなくて、本当に済まない――」

 

ウマ娘の引き出しを増やし、ポテンシャルを十全に発揮できるサポートをするのがトレーナーの使命。

もっと具体的な良い作戦を与えることができない、トレーナーとして余りにも未熟な己を恥じた。

 

歯痒さに歪んだ顔でダートを見つめるトレーナー。

その視線の先で、彼の担当は鮮やかな"赤と青"を翻して疾駆していた。

 

 

 

 

□ ■ □ ■

 

 

 

 

ほぼ一塊となった集団は、第2コーナーを抜けて向正面に入った。

先頭は変わらず、7番(タマモクロス)にラフプレーを仕掛けてきた2番で、1と1/4バ身と差を少し広げて悠々と走っている。

直線に入り「……あれ、今ココでコイツに付きあう必要あらへんな」と冷静さを取り戻したタマモクロスは、無理に追わずに控えて2番手をキープ。

その他後続は1と1/4バ身差で固まって追走。

誰が我慢できずに飛び出すか。堪え性のないウマ娘の後の先を狙い、全員が虎視眈々と機を窺っている。

 

(――絶対逃がさへんからな)

 

第3コーナー手前では、自分に吹っ掛けてきた2番をいつでも捉えられるように、タマモクロスが先頭まで3/4バ身差のところまでじわりと接近した。落ち着けと自分自身に繰り返し言い聞かせながら、溜めた脚を解放させるタイミングを今か今かと図っている。

 

そこで大きな気配が、彼女の()()で膨れ上がる。

 

(――っと、前のアイツのコトばっか見とってもアカンな)

 

内側から3番。そして外側からは4番が。タマモクロスの影を踏む位置まで上がってきた。

 

 

「デビュー1ヶ月のポッと出なんかに――っ!」

 

「今日こそ――今日こそは……っ!」

 

 

鬼気迫る表情。髪を振り乱し、腕を大きく振り、我武者羅に脚を繰る。

 

「勝ちたい」

 

今の出走者達を動かしているのは、その気持ちただ一つ。

ずっと黒く塗り潰されてきた過去に、まず最初の白を付けるため。

すぐ傍にある永遠の果てを目指し、ウマ娘達は駆り続ける。

 

(どえらい殺気やな。負けを拗らせ過ぎると、ウチもいつかこんなんなってまうんか……)

 

その必死さに充てられ、ますます彼女の頭は冴える。

 

(確かにウチは、アンタらの言う通りポッと出の新参者や。

けど、()()()()()()()? )

 

確かに、レースの経験が豊富なのはそれだけで大きなアドバンテージになる。

本番でしか感じられない雰囲気、駆け引き、他者の動き。

"知っている"というのはそれだけで有利になる。

タマモクロス自身、経験の少なさから何度も苦渋を飲まされた。

 

しかしそれは、レースの趨勢を定める()()()()()()にはならない。

 

経験は、これからいくらでも埋められる。

技術だって身に付けられる。

速度も、体力も、根性も、全てトレーニングで補える。

 

心身共に強い方が勝つ。

勝負とは得てしてそういうものだ。

 

 

レースの3分3厘――残り600m弱の位置で、彼女をマークしていた後方二人が仕掛けてきた。

内から3番、外から4番がそれぞれ上がり、タマモクロスに並んでくる。

3人での2番手争い。左右を挟まれた彼女は、横に躱すという選択肢が取れない状況になった。

 

加速して突き放すか。

減速して立て直すか。

 

(――さて、どないしよか……?)

 

思い浮かぶのは、今までのレースのこと。

無駄に吹かしたブーストによって燃料切れを咎められ、背後から差されるレースだった。

既に"同じ轍"を踏んでしまっているのだ。三度目は絶対に避けたい。

 

しかしここで速度を落とし、二人を大外から躱してあの憎たらしい先頭(2番)を捉えるとなると、相応のリスクを負わなければならない。最悪、捉えきれずに千切られて終わってしまう。

稍重のダートは、再加速するのに相応のパワーとスタミナを消費する。

 

一瞬の逡巡の後――

 

 

(――よし、ほな行こかぁ!)

 

 

ドンと大きな音を立て、彼女は砂を力強く踏み込んだ。

今日は調子がすこぶる良い。脚も最後まで持つはずだ。

 

 

「「なっ!?」」

 

迫っていたウマ娘達が驚きの声を上げる。

この芦毛は、走った過去2回のレースとも全く同じ負け方をしている。

だから、無茶なスパートのかけ方はしないだろうと踏んでいた。

 

左右からのプレッシャーも、「引っ込んでろ」という言外の意味を込めていたはずだったのだが――

 

無謀とも言える、最終コーナー前からの加速。

学習しないのか? それとも何か奥の手が?

しばし面食らうが、それならまた潰れたところを差してやると追走する。

 

第4コーナーでは、先頭2番は変わらず。ずっとハナを進んでいるがかなり余裕を残しているように見える。3/4バ身差で外に付けている2番手タマモクロスは、軽々とハナを切っているウマ娘を見て苦い顔をする。

 

(なるほど……やはり最後はコイツとの勝負になるんやな)

 

1()()()()の2番は、今回の出走者の中では頭ひとつ抜けている印象があった。

彼女もパドックで、2番の鍛え抜かれた脚を確認している。余力もまだまだありそうだ。

 

タマモクロスには「最高速度が他と比べて劣っている」という、克服にまだ時間がかかる明確な欠点がある。

仮に両者のスタミナ全く同じだけ残っていたとしたら――

 

 

()()()()()()()()()()()()

 

 

(――っちゃう!「勝てるかどうか」やない! 「勝つ」んや!

もうここしかないんや! 今までで一番気張れやタマモクロス!)

 

雑念を追い出し、ギアを更に1段階上げる。こちらも無茶な競り合いは避け、ずっと脚を温存していたのだ。

全てはこの、自分の前をチョロチョロしているコイツを討ち取るため。

スタミナがどれだけ残っているかは知らないが、ずっとハナを進んでいた分の消耗はしているだろう。

 

半バ身差で後ろにいる3番手と4番手は、乾き始めているバ場に少しバテてきていた。その後ろ1バ身半差にいる残りの集団も、先頭2人を咎められる脚は残っていない。

 

 

彼女の冷静なレース運びが、遂に背後からの憂いを完全に排除した。

後は7番(タマモクロス)と2番の一騎打ちとなった。

 

第4コーナーを抜けて、迎えた最終直線。

一滴の余力も残さないとばかりに、彼女は最大出力で脚を回す。

 

砂を穿ち、蹴り出し、また穿つ。

小さな身体が、地を平らに均す重機のように進んで行く。

 

(もう……ちょい……やぁ――っ!!)

 

自身が出せるトップスピードで、猛然と追いすがる。

 

2番がスパートをかけた時点で、1バ身半ほど差があった。

 

残り300mで1バ身差。

残り250mで半バ身差。

 

そして――

 

(やっと、追いついたでぇっ!)

 

「――!?」

 

ラスト残り1ハロン(約200m)で、遂にタマモクロスが2番にクビ差まで迫っていた。

ホームストレッチで繰り広げられる熾烈なデッドヒート。観客は口角泡を飛ばすような剣幕で熱狂的な声援を送る。

 

「いけぇー!」

 

「タマねぇがんばれー!」

 

「あとちょっとー!」

 

「タマねぇファイトー!」

 

姉の気迫籠った疾走に、弟妹達も大声を張り上げて応援していた。

 

「タマぁぁぁぁぁぁ!そのまま走れぇぇぇぇぇぇ!」

 

身を大きく乗り出して、裏返るほどの勢いで大原も声を張り上げた。

見立てでも、このスピードを維持し続けるだけの脚はまだ残っている。

 

 

しかし――

 

 

「「なっ――!?」」

 

プロキオンが驚愕の声を上げる。

 

ついに捉えたと思っていた先頭の2番が、抜かせまいと速度を上げたのだ。

 

タマモクロスが、大原が、ゾッとするほどの切れ味。

彼女が歯を食いしばって付いて行くのを嘲笑うかのように、じわじわと再び差を開いている。

 

 

(――っ、速っ――)

 

 

想像よりも遥かに力を溜めていたようだ。

力強いスパートによって、一瞬にして差が大きく広がる。

 

「タマ……」

 

やり場のない気持ちが、担当の名前を無意識に呼ばせた。

どうか、これまでの研鑽が、彼女の努力が、家族の絆が。

あの娘に、力を与えますように――

 

 

再び小さくなり始めた背中に、逃すまいと死ぬ気で追い縋る。

 

やはり強い。伊達に1番人気を背負っていない。

終始逃げの姿勢でここまでのスパートをかけられるのは、途中隙を見て息を入れていたのだろう。

タマモクロスよりも長い勝負経験があるからこその戦術。だがそれは、このウマ娘がデビューしてから今までで一度も勝てていないということ。

"今度こそは"という思いがあるに違いない。序盤のラフプレーも、そういった強い気持ちの表れだったはずだ。

 

 

このままでは追いつけない。ウマ娘としての本能がそう告げていた。

 

(……嫌や)

 

また、勝てないのか。

 

(嫌や)

 

また、あの屈辱を味わうのか。

 

(嫌や!)

 

家族の、失意に沈んだ顔を見るのか。

 

(嫌や嫌や!!)

 

母に、自分の泣き顔を見せて別れるのか。

 

(もう負けたない!本当に、コレが最後かもしれへんのや!)

 

 

 

例え()()()()()()()()()()、今回だけは絶対に負ける訳にはいかないのだ。

 

 

 

()()()、トレーナー! 母ちゃん、チビ達、見とってくれ――

これがトレーナーと二人で鍛えた、お前らの姉ちゃんの――アンタの娘の走りやぁぁぁぁぁぁ!)

 

 

 

今の速度から、更にその一段階上へ。

 

「タマ――っ!」

 

切羽詰まったトレーナーの声が、どこかから聞こえた気がした。

それを無理矢理頭から追いやり、フォームを変える。

 

 

顎が地面を擦りそうになるほど、身体を低く。

体重を前に預け、身体が地面に着く前に砂を掻き分けて進む。

 

観客席から、一際大きなどよめきが上がる

 

 

 

 

これが、大原から授けられた必殺技――もとい、()()()

 

 

 

 

()()()姿()()()()である。

 

 

 

 

□ ■ □ ■

 

 

 

 

「『レースで絶対に勝てる秘策が欲しい』、だと……?」

 

「せやねん!ウチ、次のレースは絶対に勝たなアカンねん!

もうあんまり時間がないねん! 何かええ方法があればあだだだだだだ!何さらすねん!」

 

「む、スマン。お前が余りにもあんまりな事を言うからつい」

 

「言葉にするのも憚られるってか!? そのカワイソウなモノを見る目やめーや!」

 

レースの数日前――

 

柔軟をしながらそんなバカなお願いをしてくる担当に、背中を押していた腕に必要以上に力が籠る。

 

「……そんなものがあるなら、俺が試してないはずがないだろう?

俺だけじゃない。トレーナー全員が実践してる。

 

トレーニングに正解はないと、前にも言ったこと忘れたのか?」

 

「せやけども!」

 

そーゆーリクツやないねん!と、タマモクロスは珍しく食い下がった。

 

「オカルトでもええねん!付け焼刃でええねん!ウチにはまだ出来んモノでもええ!

何か、ウチがココロが折れそうになった時に、支えてくれる何かが欲しいんや!」

 

「……弟妹と、お母さんの事を思えば――」

 

「母ちゃんとチビ達からは既にもろうとる!あとはアンタからや、トレーナー!」

 

 

こうして取り組んでいるトレーニングがそうじゃないのか。

そう言いかけた口が、彼女の表情を見て動かなくなる。

 

「……」

 

藁にも縋ろうという必死さ。言葉とは裏腹に、その顔は真剣そのものだった。

 

「トレーナー……後生やから……」

 

ここまでされては無下にもできない。

柔軟の補助を辞め、ふむと顎に手を当てて考える。

 

「……と言っても、思いつく限りのことは全てやってるし、引き出しは出し惜しみなく全て解放しているんだがな」

 

「それはわかっとる。でも、そこを何とか……」

 

普段は小言を言いつつも諾々と従う彼女が、トレーニングの最中にも関わらずしてきた頼み事。

 

「……よっぽど勝ちたいんだな」

 

「あ、当たり前や!そりゃあいつでも1着取るためにトレーニングはしとるけど、今回は――」

 

「わかっている。大丈夫だ」

 

悲しそうに萎れている耳と尻尾。小さな頭にポンと手を置き、大原は何かないかと考えを巡らせる。

 

正攻法から外れていても効果的。且つ、万が一実践した時にちゃんとメリットとして作用し得るアドバイスとなると――

 

 

「――あ」

 

「何か思いついたんか!?」

 

 

トレーナーの反応に、目を輝かせるタマモクロス。

 

「いや、でもこれは……」

 

「何でもええ!教えてぇな!お願いやから――」

 

スーツの上着を掴み、こちらを見上げる濃紺(コバルトブルー)の瞳。

 

しばらく言い淀んでいたが、本当に必死なタマモクロスのその表情に、彼も遂に折れた。

 

 

「……まず最初に言っておくが、これはアドバイスどころかトレーナーの采配としては下の下――指導者として()()な発言だと言うことを断っておく」

 

他言無用だからなと、しつこいくらいに釘を指す。

 

「……いいか、もし体力の限界を超えて最高速度を維持したまま走りたいなら――

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()。以上だ」

 

 

「……え?」

 

それだけ?と言った表情の担当に、彼はジャケットの胸ポケットからペンを取り出した。

 

「理屈としては、本当に単純なんだ。

例えばこのペンをこうやって掌の上に立てようとする。すると――」

 

ペンは一瞬立ったものの、すぐに支えを失いターフの上へと落ちた。

 

「まぁ、普通はこうなるよな。じゃあ、ペンを立たせたままにするためにはどうしたらいい?」

 

彼女は少し考えて、頭に浮かんだことをそのまま口にした。

 

「倒れそうになった方向に手を動かす」

 

「正解。流石だな」

 

大原はペンを再度掌に立て、今度はバランスをとるように手を前後左右様々な方向に動かした。

 

「こんな感じに、倒れそうになった方向に向けて動かすと、ペンは倒れない。

 

それを、()()()()()()()()んだ」

 

講義を聞いている芦毛の生徒がゴクリと唾を呑む。

 

「身体を限界まで倒すとどうなるか――当然どこかで支えきれなくなって、地面に着く」

 

そう言いながら、段々と自分の身体を倒していく。そうして重心がずれていき――

両手で受け身を取りながら、うつ伏せで芝に倒れる。

 

「じっとしていたら、こうなる。

 

だが、これが走っていたらどうなるか――」

 

ここまで来れば、彼女も察した。

このアドバイスが()()()()()()()()()()()()()()であるかということに。

 

 

「身体が倒れる前に、進む――いや、()()()()()()()()()()()()()()()という方が正しいな」

 

 

自分の上半身を使い、無理矢理にでも走らなければならない状況を作る。

嘗て遥か昔に考案され、数多のウマ娘を壊し、不適切な指導の代名詞となった理論である。

 

 

「唾棄すべき根性論が全盛期の時に考案されたフォームだ。気合いで脚を前に出す。

出さなきゃ倒れるからな。そうやって自分を追い込み、無理矢理速度を維持したまま走る。

極めて前時代的な、過去の忌物だよ」

 

これを考えた奴は悪魔か何かだなと、唖然とする担当を見ながら彼は肩をすくめる。

 

「このフォームの一番駄目な部分は、『理論上は正しい』ってところだ。

ウマ娘に強いる負担を度外視し、筋力や速度等を入力してシミュレーションした際、最も速く走れるフォームが()()にほぼ近似した姿勢になる」

 

「だが当然、比喩でも何でもなく"死ぬほど危険"だ。体力が尽きて脚が繰り出せなくなった場合、トップスピードのまま地面に叩き付けられることになる。事故の写真、見るか?」

 

青い顔で首をブンブンと横に振った。

 

「……他にも、足腰にかかる負担が尋常じゃない。特に足首――いや、膝だな。膝に相当な柔軟性を備えていないと、脚の回転が出ている速度に間に合わない。無理にやっても壊れるからな」

 

「……で、でもそれが出来れば、スパートでヘバらんと速度を維持できるんよな?」

 

「まぁ、理論上は可能だ。ただ、これは"禁じ手"だ。タマが怪我した挙句、俺が指示したとバレようものなら一瞬でクビが飛んじまうような代物だ。

だからそんなものに頼らず、自分が今までやってきたことを信じてトレーニングに励んでくれればいい」

 

「……うん」

 

耳をぺたんと寝かせ、神妙な面持ちで頷く。それを見たトレーナーが取り繕うようにフォローを入れた。

 

「まぁ……ただ、タマくらい根性があれば、耐えられる可能性はあるがな。済まないな。こんなことしか言えなくて。当日までにもっと良さそうなアドバイスが思いついたら言うから、これは忘れてくれ

――さ、お喋りはこの辺にして、柔軟の続きをしよう。もう時間がないんだ。いつもより厳しく行くぞ」

 

「……わかった。無理いってごめんな? ――って待ちや、ちょ、まだそないに身体は曲がらなあだだだだだだだだ!」

 

この日から、トレーニング前後の柔軟体操は特に入念に行うようになった。

 

まるで、()()()()()()()()()()()()()――

 

 

 

 

□ ■ □ ■

 

 

 

 

「あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」

 

脚が重い。太腿が重い。足首が痛い。身体が今にも倒れそうだ。

濁った咆哮が喉の奥から漏れる。本当に、自分の声帯が発した音なのかも疑わしい。

 

地面とほぼ平行になっている身体を、ウマ娘の膂力と速度で無理矢理に維持している。

身体の色々な所に脚が当たり、ジッパーの金具でピッと切り傷ができる。

限界を超えた筋肉の酷使に、脚のありとあらゆる箇所から悲鳴が上がっていた。

 

 

だが効果は劇的だった。一歩踏み込む度に、信じられないほど前に進む。

脚を繰りだす度に少しずつ、自分の身体が驚くほど動く。

 

空気抵抗も最小限に、もはや白く光る流星のような速度で先頭へと肉薄する。

 

 

音も、光も、何もかも置き去りにして、その生命を燃やして駆ける。

 

 

でもこれでいい。今日だけは、いい。

だって、今日は、母にとっての最期のレースになるかもしれないから。

 

神様は残酷だ。

 

他のウマ娘と同じように、自分に走る機会を与えてくれなかった。

チビ達に自由を与えてくれなかった。

母に、丈夫な身体を与えてくれなかった。

 

 

だから今この瞬間は、世界に対する反逆なのだ。

 

 

切り傷が増えた脚が、じくじくと鈍い痛みを訴える。でもこの歩幅は決して緩めない。

 

先頭が巻き上げた砂埃が顔を撫でる。でもこの両の瞳は前を見据えたまま決して瞑らない。

 

 

(ウチは、神に――祈らへん)

 

 

自分から大事なものを奪っていく相手と、自分は戦う。

アンタらの思惑通りになんて、決してさせない。

もう何もアンタらから奪わせない。

 

 

これが、神様に対する、私の闘争(my against fight)

 

 

 

前を行く2番(アイツ)の背中がどんどん近くなる。

ウチが追いつくのが先か、奴がゴール板を抜くのが先か。

 

 

あと100m

 

あと50m

 

 

完全に並んだ。

 

 

「あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!」

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 

勝ちたい。

負けたくない。

 

お互いの気持ちを叫び声に乗せ、際の際まで力を燃やし尽くす。

 

どっちが先かなんてもうわからなかった。

ただ、一寸でも、一毛でも、先に前へ進む。

それだけを考えて脚を動かした。

 

 

「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!

タマモクロスぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!」

 

自分を応援する、一際大きな男の声。

 

 

 

それが、最後に彼女の背中を押した――

 

 

 

歓声が、地面を揺らす。

ゴールしたのかも分からず、タマモクロスはしばらく同じ姿勢のまま走り続けていた。

ガタが来ている身体を無理矢理起こして、掲示板を見た。

 

 

 

一番上には、自分のゼッケンと同じ番号が書いてあった。

 

 

 

『二人が縺れるように、今ゴールイン!

 

勝ったのは7番!クビ差で7番、タマモクロスです!』

 

 

レース場に、実況の叫び声が響く。

それを聞いた観客が、再度大きな拍手と歓声を上げた。

 

勝った。

正真正銘、彼女が勝ったのだ。

 

「……へへ、ウチも結構やるもんやろ?」

 

 

誰に聞かせるでもなく、そう呟いた。

 

 

「観とったか?母ちゃん――

ウチ、やったで。一着や。

 

母ちゃんの娘が、中央で一着を取ったんや」

 

駆け寄ってくるトレーナーの姿を遠くに見ながら、頭の中はふわふわとどこかを漂っていた。

笑っていた脚が身体を支えきれず、その場にへたり込む。

 

「タマ!良かった!おめでとう!お前の勝ちだ!」

 

歓声が、いつまでたっても止まなかった。

 

彼女は観客に向けて、大きく手を挙げた。

 

 

 

 

□ ■ □ ■

 

 

 

 

それからのことを、少しだけ話す。

 

レースの後、ボロボロの身体でウィニングライブをきっちりとやり切ったタマモクロスは、糸が切れた人形のように眠りについた。

 

弟妹達は泣いて喜び、姉の事を讃えていた。

 

母親は、レースをテレビでしっかりと観ていた。

ゴール前を駆け抜けた瞬間、満足そうに笑って泣いていたと言う。

 

前傾姿勢での無茶な走行が祟り、タマモクロスは怪我や打撲、捻挫等複数の症状有と診断され、1ヶ月半の休養を言い渡された。

 

その間彼女は実家へと帰り、家族と一緒に療養していた。

特に、母親の所へは足繁く見舞いに通い、具合がいい日は面会で積もる話をしていた。

 

 

 

そして、月が替わって7月――

 

 

 

タマモクロスの優勝を見届けるかのように、彼女の母親は息を引き取った。

彼女が獲ったトロフィーは、本人の希望で母親の墓に供えられた。

 

 

 

彼女が獲った、初めての1着。

それを最も喜んで欲しかった人は、それと引き換えになるような形で彼女の前からいなくなってしまった———




補足:史実のレースでは、2番ではなく4番が1番人気でしたが、話の展開を考慮した結果変更しております。
また、タマモクロスの母親の死期は(所説ありますが)7月下旬とされていましたが、こちらも話の展開を考慮して少し変えてあります

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
本作は、大きく分けて5部構成を想定しています。

1部が、タマモクロスとトレーナーが出会い、トレセン学園に入るまで
2部が、メイクデビューから、初めて1着を取り、母親と別れるまで

次回から、第3部となります。
是非ご期待ください。


~3部予告~





『っ、タマ! タマぁぁぁ! 大丈夫か!? だっ誰か、誰か担架を!早く!』






『ご乗車ありがとうございました 笠松 笠松です お足元に――』






『大原さん。次のレースで1着を取れなかった場合、そのバッジを預からせて頂きます』





『なんて読むんやコレ――"とくへん"?』






次回から、お話は更に加速します。

参考サイト様:http://ovi.la.coocan.jp/index.htm
※ネタバレを多分に含むため、閲覧は自己責任でお願いします

本作にスピンオフ(番外編 箸休め回)の需要は…

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