「Umar Eats」の配達員から、トレセン学園にスカウトされたウマ娘の話 作:ayks
今回は少し本編から逸れます。半分本編の半分番外です。
独自考察マシマシです。
次回より、本格的に第3部スタートです。
「全てのウマ娘が輝ける社会を」
先代の理事長が、事あるごとに口にしていた言葉。
物心ついた時から、その娘である秋川やよいは常に、その思想を語られて育ってきた。
"毒された"と言うと聞こえが悪いが、今日に至るまでのレースの歴史やウマ娘の活躍、そして悲喜こもごもを寝物語の代わりに聞かされていた彼女にとって、自分も斯くあるべしという意識が芽生えるのは必然と言えた。
職業や将来のキャリアの多様化が叫ばれる時代になっても、ウマ娘が最も輝けるのは
その原石を育み、導くのがトレセン学園の使命。ウマ娘の更なる発展のためになくてはならない場所。
そしてその運営母体であるURAは、その宿願を成すための組織。
自分と志を同じくした者達が集い、その大きな御旗を共に掲げている。
今の椅子に座るまでは、
海外へと越していった母の代わりにトレセン学園を受け継ぎ、当代の理事長として己が野望のために日夜奔走を初めて早1年と少し――
まだ幼さが残る容姿の「少女」は、理想と現実の差をこれでもかと思い知ることとなった。
ウマ娘によるレースの歴史は、現在の元締めであるURAの発足よりはるか昔に興った。
それこそ、例の壁画が描かれていたような時代から、その記録は残っている。
最古の史料によれば、複数名のウマ娘が走り、その結果を基に
そしてレースの後には出走した皆で歌い踊り、勝負の遺恨を全て流す。
現在のウィニングライブはこれの名残りだと、一部の学者達の間では言われている。
それが近代へと時が進むにつれ、より「競技」としての色を強く帯びていった。
他者と競い、その脚を揮うことを本能的に刷り込まれている彼女達にとって、競走というものは当時現代よりも遥かに少なかった娯楽の中でも、特に人気のあるひとつであった。
今日のように整備された立派なレース場もなく、特殊素材で作られたシューズやウェアもなく、その走りを洗練するための施設やトレーナーもなく、明確に引かれたルールもない
だだっ広い草原に線を引き、よーいドンで駆けだし、その結果に一喜一憂する。
ただそれだけだったレースに大きな変化が訪れたのは、20世紀も半ばの事。
全国各地で行われていた草レースを、より組織的に運営・管理していこうという者達が現われた。
流麗に尾を靡かせ、その体躯を風とする瞬間こそ、ウマ娘としての本懐――
その様をもっと周知させ、ウマ娘の更なる社会的地位の向上、ヒトとのより良い関係の構築を目指す。
その発起人と、掲げられた理想に賛同した数名によって立ち上げられたもの。
それこそが、URAの前身となる組織である。
彼女たちはまず、全国に協力者を募る所から始めていった。
各地で行われていた、ご当地ルールで成り立っていた野良のレース達。
それらに手を入れ、レギュレーションを明文化した。
スケジュールを組み、出走者を事前に周知する仕組みを作った。
パドックを設け、その日のコンディションで誰が良さそうかを予想する新たな楽しみを提案した。
そうして地道に積み重ねた努力が実を結び、いつしか人々はその火花を散らすレースに熱狂した。
自分と変わらない姿――ともすれば幾回りも小柄な彼女達が、想像を絶する速度で芝を焦がす。
その迫力は想像を遥かに超え、手に汗を握りながら声を枯らして応援する観客が後を絶たなかった。
それは人間だけでなく、ウマ娘にとっても例外ではなかった。
そうして有志によって行われていた娯楽は、より洗練されたエンターテインメントとして、その姿を変えていった。
そんな全国各地で人気を博すイベントに、
最初は、地方の小さな新聞社だった。
それがあれよあれよという間に、多数の企業が我先にと手を挙げた。
その中には、金の匂いに敏感な先見の明がある大企業も含まれていた。
高度経済成長の煽りで急激に成長していたテレビ局。
アスリートとしての側面から、彼女達とのタイアップを目論む製薬会社やスポーツ用品メーカー。
その他証券や総合商社等、巨額の資本がレースを取り巻く環境へと注ぎ込まれた。
全国各地のレース場は大人数が収容できる観客席が設けられ、蒼く綺麗な芝を植えられ、砂浜から良質な砂が敷き詰められた。
より機能的なウェアやシューズの製作がメーカーの間で活発化し、彼女達が最も力を発揮することが出来る姿――「勝負服」が開発された。
ウマ娘の素質をより引き出すための理論が確立され、それを指導する「トレーナー」という新たな職業が生まれた。
行われるレースの格に応じた"グレード制"を導入し、高いものには多額の賞金が出るようになった。
その栄誉を授かることはウマ娘にとって至上の誉れとし、より鎬を削り合う土壌を育んだ。
レースのための知識・トレーニングを体系化し、それを「教育」として施す場所が作られた。
それが、日本ウマ娘トレーニングセンター学園――
昔からあった、ウマ娘を鍛え、より仕事に従事しやすい身体作りを行う場所に教育棟や寮を併設した「学校」である。
先導していた彼女達組織の周りは、目まぐるしく変化していった。
年々充実していく、ウマ娘の競争バとしての人生。
傍から見れば、理想に一歩一歩近づいているように見える。
まさに順風満帆といった様子。
しかし、彼女達の顔色は優れなかった。
「トゥインクルシリーズ」と銘打たれたそのレースは、それは大いに盛り上がった。
最初の想定を遥かに超えて。
一緒に立ち上げた十数人の同志。
自分達では到底制御できないほど、その規模は大きくなり過ぎた。
当時既に「URA」と名を改めていた組織の会合は、さながら株主総会のようであった。
既にスポンサーの息のかかった人物が中枢へと入り込み、草創期の志は徐々に力を失っていった。
自社の利益になる取り組みには賛同し、それ以外のものは次第に排斥するようになっていった。
レースは、
御旗に描かれていた理想は色褪せてしまい、もはや染みとなってそれが嘗てそこにあった事が分かるだけとなった。
ウマ娘に夢を与えるためにあるはずだった組織は、今や「諮問委員会」をはじめとするトゥインクルシリーズのブランドを保つためのものに様変わりした。
より多くの利潤のために。
「より多くのウマ娘が輝ける機会を」という本音はいつしか建前へと変わる。
それはあくまでレースの後に得られる結果であり、彼女達が意図していた目的とそっくり入れ替わっていった。
「果たしてそれは、
「リスクが大き過ぎる。仮に失敗した場合、誰が責任を取るのか?」
何か案を出す度に、その答えが返ってくるのが当たり前になった頃――
初志が風化した、今の組織の雛形が完成した。
そして月日は流れ――
現在もURA役員の大多数は、トゥインクルシリーズの商業的価値を担保し続けるためにその椅子に座っている。
そんな組織がなぜ、秋川やよいら"創設者の意志を継いだ者"をトレセン学園の理事長として擁立し続けているのか――
それは、大っぴらにできない金や利権の都合――所謂「大人の事情」の匂いを出来る限り薄めるため。
我々は崇高な使命の下に集まっているという体裁を保つプロモーション活動の一環である。
全てのウマ娘達が平等に輝ける機会を、レースによって作り出す。
大層心地良く聞こえる言葉だ。
だが、実現できる目標は
へぇ、すごい。
頑張って、応援してる。
そう言った類の言葉は山ほど貰ってきた。
しかし、
良くも悪くも、現実を見ていると言えよう。
肩を叩いてくれる人は大勢いたが、その手を握ってくれる人はほんのごくわずかだった。
今のURAがさも悪の権化か何かのように語ってきたが、実のところそればかりではない。
レースというものに新たな価値を見出したことで、地方の経済を大いに活発化させた。
スポーツ用品のメーカーや、飲料やサプリメントを作る製薬会社の発展。
ウェアを製造するスポーツブランドや、勝負服のデザインに関わるアパレルブランド。
全国各地のレース場で行うことにより、公共の交通機関や宿泊施設も大いに利用される。
レース場のスタッフやトレセン学園で働く人員の公募も、何人いても困らないといった具合だ。
今のURAが、日本を豊かにしたことは紛れもない事実。
だからこそ、秋川やよいはそのギャップに苦しんでいた。
やらない善より、やる偽善。
利益のためとはいえ、今の組織が多くの人々に潤いを齎している。
自分の掲げている理想は、本当は間違っているのではないだろうか――?
母親が更なる発展の糸口を求めて、その拠点を海外へと移した時のことを思い出す。
空になった「理事長の椅子」に誰が座るのか。
URAの内部はその話題で持ち切りだった。
やよいは誰よりも早くに自薦し、自らの理想を滔々と語り、その座を
しかし、本当は彼女も理解していた。
目を輝かせて未来を口にする、見た目麗しい幼い少女。
URAの顔であるトレセン学園のトップに据える
彼女は、ただ悔しかった。
彼女の夢を本気で応援してくれる人は、少なくとも近くにはいなかった。
理想は語れ。ただし、何もするな。
暗にそう言われていた。
内定した日の夜、枕に顔を埋めて一晩中悔涙に咽ぶ彼女の姿があった。
このままでは終われない。
何としてでも、自分の思い描く社会を目指す。
その日から、彼女は口調を変えた。
大人に嘗められないよう、より理知的に。
忙しい中、端的に自分の意志を伝えるために。
そのためには、まず学園の仕組みから整えていこう。
門戸を広く開き、もっと多くのウマ娘を受け入れられるように。
家庭の事情で、トレセンへの入学を諦めている娘達がいる。
地方に埋もれている、まだ見ぬ特大の原石がある。
それらを等しく救うために、自分ができること。
ひとりでは無理だ。
協力者が必要だ。
自分の理念に心から共感して、手を取り合って同じ目標へと進んでくれる無二の理解者が――
何の因果か、それはすぐに現れた。
それは母の古くからの友人であり、自分も良く知っている人物であった。
「……久しぶりね、やよいちゃん」
「……ご無沙汰しております。駿川さん」
理事長とその秘書が出会った時こそが、今も推し進めている改革がまさに始まった瞬間だった。
リアルのJRAは国営で発券している馬券の売り上げで運営しており、スポンサーもテレビ局や新聞社等、一部の企業のみだったのですが、賭けが行われていないウマ娘世界のレースでは、今回のように企業からの出資がないと成り立たないのではと考察しています。
本作にスピンオフ(番外編 箸休め回)の需要は…
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