「Umar Eats」の配達員から、トレセン学園にスカウトされたウマ娘の話 作:ayks
日本ウマ娘トレーニングセンター学園――通称「トレセン学園」。
国民的エンターテインメントレース「トゥインクルシリーズ」に出走するウマ娘達を、"学園"の文字通り育成する施設。
「ウマ娘に必要な全てが揃っている」とまで言われ、「トゥインクルシリーズ」を運営している機関である「URA」――簡訳すると「ウマ娘レース協会」――によって管理されている。
全国各地に似たような施設あれど、「中央」と呼ばれるものはここだけであり、設備や機器、所属トレーナーの質、在籍するウマ娘のレベルに至るまで全てにおいて「
日本にいる全てのウマ娘にとっての憧れであり目標。
同時に、時代と次代を担う鬼達が犇めき合い、鎬を削る伏魔殿と化している魔境。
輝かしい成績を収め、レジェンドとして名を連ねるウマ娘がいるその裏で、箸にも棒にもかからず、ひっそりと夢を終えるウマ娘も星の数ほど存在する。
栄光と挫折
名声と虚無
それら全てが、ここに凝縮されている。
そんな場所に、彼の姿はあった。
「バテてきてんぞーもっと脚を上げろー!
疲れてるから上手く走れないんじゃない。上手く走らないから疲れるんだー!」
トレセン学園 第4芝練習場
ターフには些か不釣り合いなスーツを着て、疾駆するウマ娘に檄を飛ばす。
手にはタブレットとストップウォッチ。その瞳は真剣に、駆ける少女の姿を捉えている。
「残り600M!フォームを乱すな!歩幅を狭めるな!脚の回転を無駄に速めるとそれだけ体力を消耗する!」
「はっ、はい!」
走行中のウマ娘はその声を聞いて体勢を立て直すと、ゴールを目指して最後の力を振り絞り、目印へと飛び込んだ。
「よし!さっきよりもいいタイムだ。今の走り方を忘れるな!レース中は常に自分のフォームを意識しろ」
「はい教官!ありがとうございます!」
「とりあえずクールダウンで流した後、落ち着き次第坂路ダッシュな。水分補給を忘れるなよ」
「はい!」
そう指示を出し、ストップウォッチに表示されたタイムをタブレットに入力する。
さっきの娘は彼に師事して半年ほどになるが、目に見えてタイムが良くなってきている。
そろそろデビュー戦に向けて本格的にトレーナーを探してもいい時期かもしれない。「トレーナー候補のリストアップが必要」とタイムの隣に所感と合わせて打ち込んだ。
「よーし次!位置につけー!」
「はーい教官!」
スタート位置で屈伸をするウマ娘に手を振って合図をする。
ホイッスルを吹くと同時に、スイッチをかちりと押す。
「おつかれ大原クン。今日も気合入ってるねぇ」
ふと、スーツの背から彼を呼ぶ声がかかる。
振り返ると、同じくスーツに身を包んだ男が笑って手を挙げていた。
「お疲れ様です、先輩。いつも通りですよ。
今日も視察ですか?どれもみんな手塩にかけてる娘たちなんで、勝手な引き抜きはやめてくださいね」
「またまた、そんなことしないっての!今日はね」
「今日は?」
いやいや冗談だよと、先輩と呼ばれたトレーナーは苦笑いを浮かべる。
「いや、今から第二で新入生の選抜レースがあるんだ。
良かったら一緒に行かないかと思って」
「あぁ……もうそんな時期なんですね」
「ひょっとしたら、大原クンの眼鏡に適うウマ娘もいるかもしれないよ?」
「いえ……将来有望な娘がいたら、先輩達で導いてあげてください。
自分は今まで通り、『教官』としてこの娘たちの指導をします」
「まぁまぁそう言わず。今年は豊作だぞー。特にあの――」
「え、ちょっと――」
やんわりと断りを入れたにもかかわらず、腕を掴んで引っ張っていく先輩。
半ば連行されるように引きずられていく彼は慌てて、トレーニングをするウマ娘達に残りは各自で行うように伝えた。
彼は
トレセン学園に所属するウマ娘には、ほぼ例外なく「指導者」が付く。
特定のウマ娘に専属――または少人数のウマ娘で組織される「チーム」を率いる、トレーナーライセンスを有した人物。
それを、一般的には「トレーナー」と呼称する。
彼は「教官」――まだチームにも属さず、担当トレーナーも付いていないウマ娘の指導を、十数人の規模で行っている立ち位置の人間である。
その性質上、個々の能力や傾向に合わせたトレーニングを行うというより、筋トレや体力作りなどの基礎的な能力訓練がほとんどだ。
その中で、実力が付いてきたウマ娘が出てきた場合は、脚質やバ場適性に合わせたより適切な指導を行えるトレーナーを斡旋し、引継ぎを行う。
選抜レースで声がかからなかったウマ娘達が、チームに入るまでの繋ぎ役――
平たく言えば、教官の仕事はその一言に尽きる。
故に、教官が選抜レースを見に行ってもメリットは非常に薄い。
「でも大原クン、好きで教官やってるわけじゃないんでしょ?
もしかしたら『この娘だッ!』っていうウマ娘が居ないとも限らないじゃん」
「そんなことありませんよ。教官も楽しいですし、やりがいも感じてます。
取りこぼしてしまった原石を少しだけ磨いて、先輩方のように優秀なトレーナー達に責任を持ってお渡しするのが自分の仕事です」
「大原クンに紹介してもらう娘達、どれも分析がしっかりしてて指導しやすいのなんのって。とっても助かってるよ」
いえいえと謙遜する彼。
そんな彼を見る先輩の目が、少しだけ真剣な光を帯びる。
「でもさ――それって裏を返せば『まだ自分が直接指導に値するウマ娘に出会えてない』っていう捉え方もできるよね?」
「――いえ、そんなつもりは――」
あ、怒ってるとかじゃないんだと、先輩は慌てて謝罪する。
「教官という立場を悪し様に言うつもりはないんだ。
ただ、大原クンほどの選別眼を持っているトレーナーが教官というのは、同僚としてはどうにも歯痒くてね」
「そんな……先輩に高く買っていただけているだけで満足です。
それに、そんな選別眼を本当に持っているとするなら尚更、教官としてその腕を揮うべきだと思いませんか?」
そんな彼の言葉に、先輩はぐぬぬと考え込んでしまう。
一応筋は通っており、褒めた手前なかなか反論が思いつかない。
「ま、まぁ、もし今後ピンと来るウマ娘が現れたら、ぜひ相談してくれ。
俺は教官としての大原クンとではなく、同じ専属のウマ娘を抱えるトレーナー――ライバルとして、いつか君と肩を並べたい」
「……ありがとうございます」
もし今後、そんなウマ娘が――自分が「教官」としてでなく、その娘の全てを支える「トレーナー」として隣に立ちたいと思えるウマ娘が現れたら――
教官としてのやりがい。
トレーナーとしての欲。
自分の天秤は、果たしてどちらへと傾くのだろうか。
□ ■ □ ■
その日の夜
本日の業務を終えた彼はひとり、家路についていた。
トレセン学園の大きな校門をくぐり、歩を進めながら先輩に言われたことを頭の中で反芻する。
あの後、結局先輩に手を引かれるがまま、第二練習場で選抜レースを見ることになった。
年4回行われる風物詩――言葉を選ばずに言うと年度最初のイベント――ということもあり、会場は大いに盛り上がった。
有望株にいち早く唾をつけようと意気込むトレーナー、将来のライバルを見定めに来た在校ウマ娘達。
その熱く鋭い視線が一斉にターフへと注がれていた。
何組かに分けられた新入生達が走る度に、湧き上がるどよめきと歓声。
「おい!見てみろよ!あの4番のパワフルな走り!えっと、名前は――」
確かに、今年の新人は粒揃いだった。既に有力チームから声をかけられているウマ娘が何人もいた。
例年に比べて多いのは間違いないだろう。
こうしちゃいられんと、隣の先輩トレーナーも観客席からターフへと一目散に走っていった。
しかし、誰もが興奮を隠しきれない中、彼はどこか冷めた目で会場を眺めていた。
「『ピンと来るウマ娘』かぁ……」
確かに、今年は全体的にレベルが高いように感じた。まだ本格的なトレーニングを始める前にも関わらず、フォームも綺麗で力強く脚を回す娘達が多い。これは来年再来年のクラシック戦線も大いに盛り上がるだろう。
だが、
これまで選抜レースは幾度となく見てきた。教官として配属され、2年も経った頃には理事長から直々に「トレーナーとして担当の面倒を見ても問題ない」と言われていた。
にもかかわらずここまで心が動かないのは、ただ単純に「強い」「速い」というものを自分が欲していないからだ。ということは何となくわかる。
おそらく、今回は「来なかった」のだと思う。
否――よくよく考えてみれば、これまでのトレーナー人生、今まで一度たりともそんな感覚にはなったことがないのかもしれない。
最寄りの駅へと向かいながら、昔読んだ雑誌の見出しを思いだした。
『重賞を勝つウマ娘――特にGIレースを複数制覇するような実力を持ったウマ娘のトレーナーには、ある共通する特徴がある。
「その走りを一目見たときから、この娘となら勝てると思った」という直感である』
一見オカルトのような荒唐無稽な話だが、三冠や七冠クラスの成績を収めたウマ娘達のトレーナーは、ニュアンスは違えどほぼ同義なコメントを残している。
自分にもそんな運命的な出会いが――言葉にすると気恥ずかしいが――走りに魅入らされるようなウマ娘と……
「……あれ?」
いつもの乗車率100%を優に超えている電車の中。おしくらまんじゅうを勝ち抜きどうにか窓際に自身の居場所を確保し、一息ついた彼の視界の端。
不夜を体現するかのような、煌々と輝く建物の灯り。
その中に、鈍く光る
その瞬間――頭をノイズが走ったかのように感じた、強烈な既視感。
(あれは……?)
妙な胸騒ぎを覚えながら、顔を扉の窓へとぐっと近付けて目を凝らす。
「――あ」
思わず声が出た。周りの乗客が、何事かとこちらに目を向ける。
内側に保温加工がされた、「Umar Eats」のロゴが書かれた大きなバックパック。
それを背負う、小柄な少女。
頭頂には、一対の耳。
腰から伸びる、長い尻尾。
その毛色は――芦毛。
瞬きすれば見失いそうな距離と小ささ。でも間違いない。
先日のオフの日に昼飯を届けてくれた関西訛りのウマ娘が、夜の府中を電車と並走するように疾駆していた。
朝から晩まで本当に身を粉にして働いているようだ。午後の姿を直接見たわけでもないのに、彼はそれを信じて疑わなかった。
(頑張れ――)
心の中でそう応援しつつ、段々小さくなる姿を見送り――
小さくなる姿を――
小さく、
「――え?」
思わず声が出た。周りの乗客が、何事かとこちらに目を向ける。
電車の速度は各駅停車や快速等で異なるが、今乗っている京王線は平均すると時速37km程度だと言われている。
その速度を維持したまま走る電車は、既に2キロは走っているだろう。
にもかかわらず、豆粒のような彼女の影は男の乗っている車両を今にも追い抜いて行きそうだ。
(本当に、アプリのバグじゃ、なかったのか……?)
この速度でこの距離を息も入れず走り続けることは、レースに出るために本格的なトレーニングを積んだ学園のウマ娘でも数か月はかかる。
あの、迅速に家まで現われた驚異的なアベレージ。
あれがもし、
「――っ!」
次の瞬間、身体は勝手に動いていた。
『ご乗車ありがとうございました――』
自宅の最寄りよりも遥かに手前の駅。ゆっくりと開く扉がもどかしい。
弾かれるように飛び出し、駆ける。
「お客さん!走って降車は危ないですよ!」
「すみません!」
駅員の怒声を背中に聞きながら改札を通り、駅構外へと転がり出る。
近くにいたタクシーを捕まえて、叫んだ。
「はいこんばんは。お客さん、どちらまで――」
「今すぐあっちにいってください!」
「どっち!?」
戸惑う運転手を意に介さず、生まれて初めて感じる感情の昂ぶりに震えていた。
早く。早く。
早く追いかけなければ見失ってしまう。
先輩、ありがとうございます。
あの娘の走りをみてわかりました。
これが、「ピンと来る」ってことなんですね。
タイヤがキュキュッと音を立てて方向転換。強めに踏んだアクセルの音が、彼の耳朶を強く打った。
夜の街を、彼を乗せた黄色い車が進んでいく。
次第に遠くなる、白い残像を追って。