「Umar Eats」の配達員から、トレセン学園にスカウトされたウマ娘の話 作:ayks
余談ですが、理事長のセリフの熟語を考えるのが一番難しいです……(泣
突然だが――
トレセン学園に務めるトレーナーは、総じて"中央"の名に恥じぬ優秀な人材ばかりである。
就労に必要な最低限の学歴は当然として、医学やスポーツ科学、マネジメントに関する知識等、
その上で、司法試験に匹敵する狭き門――トレーナーライセンス選考をくぐり抜け、ようやくターフの傍らに立つことを許される。
彼らの襟元で輝く「トレーナーバッジ」には、国民的エンターテインメントを陰で支える者としての重責と栄誉、誇りが乗っているのだ。
当然、求められる成果が大きいのに対し、支払われる対価――報酬も相応に大きくなる。
ほぼ余談だが、先代理事長の方針で中央のトレーナーの給与体系は、一般的なプロのスポーツ選手同様に"年俸制"が取られている。
トレーナー個人に与えられた裁量も破格で、サブトレーナー――上長を仰ぐような立場でない限り、担当ウマ娘の育成方針は原則全て自由に決めることができる。
更に国内最高水準の施設の利用権限に加え、今日に至るまでに蓄積され続けてきた、過去行われた全レースの詳細なデータ閲覧権限。
そして何よりも、担当するウマ娘が基本的に
レースで活躍を目指すウマ娘にとって最高の環境であると同時に、
トレーナーにとってもその手腕を
故に、皆必死で担当を勝たせようと努力する。
重賞勝利バのトレーナーという肩書きを手に入れるため。
大きな
その言葉が事実として肩にのしかかるのは、何も映画の世界だけではない。
この「トレセン学園」という"至上の職場"を手放さないようにするために、誰もが死ぬ気で結果を出そうと足掻いてる。
――それらを踏まえた上で、
通称『特編』――正式名称を「ウマ娘特別指名編入学制度」と言う。
適用条件は「URAが発行する『中央トレーナーライセンス』を取得しており、
且つ現在もトレセン学園に所属している」こと。
内容はシンプル――
中央のトレーナーとしてのキャリアの中で
この制度によって入学した場合、そのウマ娘はジュニア
指名したトレーナーは専属となり、今後はそのウマ娘
そして――そのウマ娘が一定期間内で結果を残せなかった場合、
『トレーナーたる者、健やかなる時も病める時も、何時如何なる時もウマ娘と苦楽を共にせよ』というURA制定時にあった格言と、「全てのウマ娘にチャンスを」という先代理事長の意向。
それらを関係者が歪な形で受け止め、就業規則の余った場所に書き添えた、究極の
その存在は、中央に居るトレーナーの誰もが知るところ。
だが駿川たづなが言った通り、
なぜ、トレーナーが"チーム"という単位で複数のウマ娘を担当するのか。
答えは単純――
トレセン学園の生徒は全校で2000人を超える。
その中で、レースの勝利を頂くことができるのはほんの一握り。
いくら強いウマ娘でも、勝負は時の運。伏兵に足元を掬われた例など掃いて捨てるほど存在する。
統計学的にも、何人かを育てて、その中から芽が出ればいいというのが定石だ。
勝者と敗者のバランスは、太陽とその日陰ではない。
劇場とスポットライト――ごく一部のウマ娘にしか、光は当たらないのだ。
試行回数を増やす昨今のトレーナーの在り方とは完全に逆行する――運命共同体としての悪魔の契約。
もはや一種の都市伝説――トレーナー同士の酒の席で冗談として出てくるような代物だ。
「やはり何度読み返しても承服できかねます!私、今からでも大原さんに考え直してもらいに――」
「制止ッ!たづな、お前はあの男の目を見なかったのか?
思いつきやその場のノリであんなことを言う男だと思うのか?」
「……いえ、そんなことは――申し訳ありません」
彼が理事長室から出て行った後。
たづなと秋川理事長は、お互い異なる意味を持った厳しい顔で話していた。
「ですがこれは、トレーナーの都合で誘致する場合のお話ですよね?
理事長の名前で出す学園からの正式なオファーであれば、トレーナー個人がここまでの責任を負う必要なんてありませんのに……」
「うむ、その通りだ。
大原ほどのトレーナーが見初めたウマ娘だ。"ルドルフ"や"マルゼンスキー"が粉をかけるのも時間の問題だったろう。
だが――学園も無限に受け入れられる訳ではないのだ」
就業規則の該当箇所を指でなぞり、それでも納得できないといった様子のたづな。それを横目に理事長は深い溜息をついた。
「……悔恨。これも私の力不足だ。
『全てのウマ娘に等しく、輝ける機会を与えたい』などとのたまっておいてこの様だ。すまない……」
全国に居るまだ見ぬ"原石"を探すことも、トレセン学園の重要な仕事のひとつ。
人物のリストアップや現地での勧誘に関しては、生徒会長である"シンボリルドルフ"に一任している。
しかし、彼女達を受け入れる枠にも
URAとてひとつの組織。いくら秋川やよいが"理事長"と言えど、理事会での決議無しに予算は動かせない。
人数や時期に関しては厳密に決められているのだ。
彼女は学園のトップに立つ人物。だがその理想を実現するには、余りにも若過ぎる。
たかだか一職員のためにルールを曲げたり、私財を投じたりすることはできない。
彼を応援したい気持ちとどうすることもできない歯痒さに、扇子を握る手にギリっと力が籠る。
「推測ッ!ウチからの勧誘を待てない程、何か逼迫した事情があるのだろう。
本人は彼女の脚を理由にしていたが、どうにもそれだけではないように見える」
「えぇ、何か急がなければならない理由があるのでしょうか……?」
「我々もそれを見極めなければならないようだな。たづな、頼めるか?」
「はい、お任せください!」
足早に理事長室を出ていくたづなの背を見ながら、自分には大きすぎる椅子に深く座り直し、理事長は再び大きなため息をついた。
『生きとし生ける全てのウマ娘達が、レースで輝ける機会を与える』
その宿願が叶うのは、まだまだ先の話になりそうだ。
■ □ ■ □
「――今、何て……?」
予想外の返答に、彼は箸を取り落とした。
「なんや聞いとらんかったんか?
色々考えたんやけど、答えは『ノー』や。気持ちは有難いけどな」
街灯で仄かに照らされた、誰もいない小さな夜の公園。
彼と芦毛の少女――タマモクロスは並んでベンチに座り、スーパーで手に入れた
「どう……なんで……」
多めにもらっといて正解やったなーと、隣で茫然とする男に予備の割り箸を渡しながら、彼女は困ったように笑う。
快諾されるとは思っていなかったが、勧誘に対する答えはまさかの「否」。
今度は彼の方がフリーズする番だった。
「身内の恥を晒すようで癪やけど――ウチんち貧乏やねん。
父ちゃんはおらんし、母ちゃんは身体悪くして入院しとるし、
ウチが働かんと、みんな露頭に迷ってまう」
弁当をつつく手を止めてぽつりぽつりと、タマモクロスは自らの身の上を語りだした。
自分のために、母や家族が頑張ってくれたこと。
そのせいで、母が倒れてしまったこと。
予後もあまり良いとは言い難いこと。
彼は何も言わず、彼女の独白を静かに聞いていた。
「もっと稼いで、今よりも良い病院に入れてあげたいねん。
チビたちにも楽させてやりたいし――」
「だから、トレセンには行けないと……?」
「せや。わざわざ付いて来てもろた手前申し訳ないんやけど……」
頭上で二つの耳が力なく垂れる。
「なるほど。
――それだけか?」
「なっ――
さも些事であるかのような男の口ぶりに、彼女は激昂して立ち上がる。
「アンタ、ウチがどんな――今までどんな気持ちで働いてきたか知っとるんか!?
同い年のウマ娘達がトレーニングして、ダンスの練習して、はちみーやらタピオカやら片手に遊んどる中、ウチは必死に働いとる!
結果を出すために一生懸命やのに、同僚にイヤミ言われながら働く気持ちがわかるんか!?
いつまで持つかわからん母ちゃんの身体を、地元に置いてきたまま一人で過ごす気持ちがわかるんか!?
色んなモンを諦めて、母ちゃんやチビ達を養わなあかん気持ちがわかるんか!?」
大きな青い瞳に涙を浮かべ、男の胸倉を掴み上げる。
食べかけの弁当が、彼の手を離れて地面に落ちた。
「――っ、すまない……」
「――っ、スマン!」
苦しそうに謝罪を口にするトレーナー。
怒りで一瞬彼我の力の差を忘れた彼女が、慌てて彼を降ろす。
「っげほ……キミの気持ちや家族のことを省みず、軽率だった。本当に申し訳ない」
「まぁ……ウチもカッとなってしもたわ。堪忍な」
せき込みながら謝る彼。それに対し、自分の非も詫びるタマモクロス。
「でも、ウチの気は変わらんで。トレセンには行かん。
誘ってくれてホンマ嬉しかった。弁当もありがとうな。ごっそさん。
明日も早いし、もう帰るわ」
「――待った!」
これ以上何か起きる前に帰ろう。
踵を返した彼女の背にトレーナーが言葉をかける。
この期に及んでなんやと、少し苛立ちを覚えて振り返る。
「――まだキミの気持ちを聞いてない」
「……あのなぁ、さっき言うたやろ?
アンタの誘いには乗らん。三度目はないで」
「それはキミの本心じゃないだろう?
"こうしなきゃいけない"じゃない。
"どうしたいか"を教えてくれ」
それを聞き、少女は耳を後ろに向けて嘲るように笑う。
「はっ!それを言って何になるんや?
アンタが代わりに払ってくれるんか?できもせん癖に――」
「いいから答えろッ!
レースに出たいのか、出たくないのか!?」
男の大声に、びくりと肩を震わせる。
「金のことは一旦忘れろ!
「――いやろ」
「――出たくないワケ、ないやろ――っ!」
小さな身体を震わせて、大粒の涙を零して――
「出たいに決まっとるやろッ!!
ガキの頃から夢見てたんや!中央のレースに出て、大勢の観客を前に、誰よりも速くゴールするウチの姿を!
誰よりも多く1着を取って!ぎょうさん賞金もろて!母ちゃんやチビたちに好きなもの何でも買うてやって!
そんで、そんで――」
今まで誰にも言えなかった
勝気な
「――ありがとう。打ち明けてくれて」
しゃくり上げる少女にハンカチを手渡しながら、トレーナーはある覚悟を決める。
既に終わった今年度の入学式。
公式戦未出場――まるまる白紙の過去の戦績。
容体が芳しくなく、ともすれば明日もわからぬ母親。
養わなければならない家族。
そんなドン詰まりな状況から、
「心配ない。全部俺にまかせろ。
一週間後、返事を聞きに行く。
その時に改めて、キミの返事を聞かせてくれ」
不思議と迷いはなかった。
――この娘のために、自分の『特編』を行使しよう。
「説明しすぎ、話のテンポが悪い」と感じる方がいたら申し訳ありません。