私は猫でございます。名前はたんとございますが、
それ故にどれを名乗っても己自身を表す言葉としてはいささか不都合がございますので、
ただ猫とだけ覚えて頂ければ結構でございます。
私といくらかの同胞は、ウマ娘と呼ばれる者たちが集う学び舎に住まいを構え、
彼女らの食事を分けて頂く事で、日々の糧を得ております。
ああ、気楽で良いな、などとどうか仰らないでくださいませ。
確かに野生に生きる同胞と異なり、この身は弱肉強食の掟に背くことを許され、
日々を安泰に過ごしております。
ですが、この学び舎に住まう猫は私だけではございませんので、
放っておけば病や老いで死ぬ猫よりも、毎春せっせと数を増やす猫の方が多いのは当然のこと。
それ故に、この学び舎に住まう事を許された猫らは、処置を受けて子を成す力を失っているのです。
致し方ない事でありますが、時折同胞に加わる小猫を見ると、ふと寂しさを抱かずにはいられません。
そして何より、私どもほど、ウマ娘たちの嘆きと涙を知るものはいないのですから。
学び舎の敷地に植えられた数多の桜が、その花びらで学び舎を彩る季節になると、
真新しい制服に身を包んだウマ娘たちが集います。
私が歓迎の挨拶をすると、彼女らはたちまち顔を綻ばせ、
いくらかの者は懐から取り出した平たいものを私に向けて満足気に頷きます。
未だに彼女らが何をしているのか良く分かりませぬが、
追いかけ回されるのに比べれば痛くも痒くもありませんので、気にせぬようにしています。
彼女らは皆がよく走ります。猫が獲物を狩ることを喜びとする様に、走る事こそが彼女らの喜びなのでしょう。
ただ走るのではなく、より速く。他のウマ娘と競い合い、勝利して、皆の称賛を受けたい。
少なくとも、この学び舎に集ったウマ娘たちは、誰もがそう望んでいる様です。
ですがそれは、競い合うたびに、ほんの一握りの勝利者と、敗北し、
打ちのめされるウマ娘が生まれるということでもあります。
優れた聴覚を持つ彼女らは、例え敗れても大声で泣いたりは致しません。
人目に付かぬ場所を探し、声を押し殺して泣くのです。
長らく学び舎に住まう私は、この世に生きる誰よりも、そんな彼女らの姿を見てきました。
今日も同じく、人気のない競技場の物陰に、膝を抱えて座り込むウマ娘を見つけました。今こそ私の日々の毛繕いの成果が試される時です。
彼女は膝の間に顔をうずめても、頭上の耳だけは常に周囲の音を拾い上げています。
私はあまり使う事のない忍び足でそっと彼女に近づき、その膝下を通り抜けて尻尾で肌をくすぐりました。
突然のことに驚いて小さく悲鳴を上げた彼女は、私の存在に気が付くと、鼻をすすって曖昧に笑います。
何事か言葉を呟きますが、当然猫である私には理解できません。
私は上品に、あくまで自然体に彼女の手が届く位置に寝そべり、触って良いとの意思表示をします。
彼女は少しだけ思案すると私に手を伸ばして、ゆっくりと毛並みに指を滑らせ始めます。
私は喉元をくすぐられても、お腹を撫でられても逆らわず、されるがまま。
彼女が満足するまで根気強く付き合います。
この学び舎に集う人々は、大なり小なり皆が勝利者を祝福し、もてはやします。
それゆえに、敗者であるウマ娘は、時に彼らの気配すら苦痛となるのでしょう。
ですから、そんな彼女らに寄り添うことが出来る、ただ居るだけ存在が、
きっとこの学び舎には必要なのです。
彼女はひとしきり私の毛並みを堪能すると、最後に私の頭を撫でで立ち上がりました。
これから顔と手を洗って食事を取り、腹を空かせた同胞を見かけたらおすそ分けをくれて、
また明日になると良く走ることでしょう。
この学び舎に住み着いた猫である私は、子供を成せず、厳しい野生で生きる事も出来ません。
そんな私にとって、この学び舎に集い、競い合い、何度も打ちのめされながらも、
走ることを止めない彼女たちウマ娘たちは、勝者も敗者も同じ位眩しい存在です。
微笑みかけられ、平たい何かを向けられ、時には追いかけられたりする私ですが、
なにより彼女らの涙を見届ける事が、私の務めだと思っています。
後日の事ですが、彼女は私の事をルナと呼ぶことにしたようです。
また名前が増えてしまいましたが、果たして由来は何なのでしょうか。
猫である私には知る由も有りませんが、彼女から貰った煮干しを齧りながら、
揺れる彼女の白い前髪を思い出す内に、また一日が過ぎてゆくのでした。
長らく読み専だったのですが、ウマ娘にハマって色々な動画を見ている内に、創作意欲がわいてきました。
リアルのお馬さんも胸を打つエピソードが沢山有ります。ご興味を持たれた方は是非調べてみてください。