「ぐ、ぐぐぐぐぅ……っ!」
ある日の夜。篠ノ之束は自分のラボではなく両親がいる自宅の、そして自分の部屋の机に向かって唸っていた。手にはシャープペンシル、そして机には手紙サイズの紙が敷かれており、何も書かれていない。
辺りには敷かれている紙と同じであろう物がぐしゃぐしゃに丸められて散らかっている。枚数は……数えるのが面倒になる程度にはあった。
「───あーもう! 何で書けないのー!?!」
叫ぶと同時にシャーペンをぶん投げる。
篠ノ之束にしては極めて珍しい光景だ。普段の束ならばこんな風に自棄になったりなどはせず、大体それに至ることなく解決する。なってしまうとしても、以前のように本当に調子が悪いときのみである。だが今はそこまで調子が悪いわけではないようだ。
目線を天井から隠しているポスターのほうへ向ける。入り口から死角になっていて束の座っているそこからでしかみることの出来ない場所には、束の大好きな安部菜々のポスターがあった。
「……菜々ちゃんごめんね。菜々ちゃんにファンレターってのを書いてみたいんだけど、どうにも上手く書けないみたい……」
束の国語の成績は決して悪くはない。一部心情を考える形式の問題では期待される解答の斜め上の解答しかできないためその部分の点数こそ落ちているものの、全体的に見たらそれなりに出来ている。
つまり年相応に語彙力はあるのだ。だが──
「菜々ちゃんに送るに相応しい文章が思いつかない……」
……この有り様だ。
自分のファンレターを見て、喜んでほしい。励みにしてほしい。あわよくば、自分の存在を認知してもらいたい。だが、それが出来るほどの文章力を束は持っていなかった。
紙は依然として真っ白。しかし、これまでに全く案が無かったのかと言われれば実はそうではない。
当初思い付いたのはとにかく自分の愛を全面的に押し出していくこと。本能のままに文を書いてそれを送ること。だがこれは書き終わったあと読み返して非常に気持ちの悪い文章になっていたことから却下となった。
束のこれまでの人生の中で文章を書く機会は多くはなかった。加えてこれまでで読んできた本というのは論文絡み。小説やライトノベルなどには特に興味を示せなかったために、ロマンチックな婉曲的表現は出来ない。所謂キザでかっこよさげな文章というのは束には書けそうになかった。
束の中の予定では既にファンレターは書き終えて、明日登校するときにでも出してしまうつもりだった。だが全く書き出せない。束は初めて文章を書くことを仕事にしている人は実は凄いのかもしれないと思い始めた。
──コンコンコンッ。
すると、部屋のドアがノックされる。ちょっと遠慮気味な感じだ。誰かは分からないけどあのうるさい母親ではなさそうだなとは思いつつ、適当に返事をして入室を許可する。
「し、失礼します。あの……姉さん。大丈夫、ですか?」
「箒ちゃん!」
姿勢をすぐ変えて箒のほうへ向き合う束。一瞬の素早い動作に驚く箒だが、当初の心配そうな表情に戻ってしまった。
「珍しいねー、箒ちゃんから来てくれるなんて」
「それなら、姉さんがこっちにいることも珍しいとは思いますが……」
「あはは、確かにそうかも。まぁあの母親から週に一回は絶対帰ってこいって言われてるからね。帰らないと面倒だし。たまたま今日がその日だったってことだよ」
束はこうして箒のことを大切に感じてはいるが、姉妹の会話は実は姉妹にしてはそんなにない。先ほど週に一回帰ってはいると束は言っていたが、それは大体夜中0時を過ぎたころ、つまり両親しか起きていないころに戻ってきてるため、夜にあんまり会うことはない。
さらに基本的に姉妹の交流も束から箒へダル絡みするところから始まるため、こうして箒のほうからやってきてくれることに束はかなり嬉しく感じていた。
「それで、どうしたの? いやただ遊びに来てくれたってだけでもかなり嬉しいんだけど、何か用事があるんじゃないかな? なんか深刻そうな表情だし」
「あ、いえその……何か、悩んでるんじゃないかなと思いまして。さっきも何か叫んでましたし。それで……何か力になれないかな、と」
「っ~! 箒ちゃぁん!!」
一瞬で詰め寄ってぎゅぅっと箒を抱き締める。今日もわたしの妹がカワイイ! と脳内で世界に向かって叫び続けていた。
いきなり抱きつかれて硬直する箒だったが、満更ではなかったのか優しく抱き締め返す。どこか表情も微笑みを浮かべているようだ。
「(うーん、確かにこれに関しては私一人で組み立てていくのは厳しいかも……)」
自分の専門分野のことならばともかく、普段はやらないファンレターを書くことは今のままじゃ難しい。だから箒の申し出を受け入れてようと考えたようだ。
「ありがとう箒ちゃん! それじゃ、ちょっと聞いてもらってもいいかな?」
「! はい」
箒も箒で、何でも一人で出来てしまうあの姉に本当に頼られている事実に嬉しく感じつつも、意識して耳を傾けた。
「えっとね、実は……」
──束に電流走る。
「(あれこれ経緯説明するなら私が菜々ちゃんの大ファンだってことから説明しないとだよね? なんとなく箒ちゃんはオタクには厳しい目を向けてきそうだし……もしそうなったら……)」
道端のゴミを見るかのような目でこちらを見る箒……を想像する束。一瞬悪くないかもとも思ったがやはり仲良くはしていたいと思ったようで即座に首を横に振って考えを消す。
「……姉さん?」
「(……よし、なんとか無理矢理似たような話に繋げよう)ううん、ごめんね。んでその中身なんだけど──」
この短い時間。束の脳ミソはこれまでにないほど回転をしていた。箒に失望されず、且つ今の自分の悩みをいい感じに伝えるその方法……。
「──大切な人に手紙を書きたいんだけど、どうやって書けばいいか分からなくてさ。何かいい方法ないかなぁって」
まぁ、間違ってはいない。何度も脳内シミュレーションをして一番それっぽく、さらに大体あってるものがこれだったようだ。
だが束は考慮していなかった。自分より遥かに年下とはいえ敏感な女の子であった箒には姉の言葉がこのように伝わってしまったことを。
『──大切な人(好きな人)に手紙(ラブレター)を書きたいんだけど──』
「(──まさか、あの姉さんに好きな人が……!?)」
ある意味合ってるが、ある意味合ってない。なんとも丁寧な勘違い。加えて偶然にも箒にも好きな人が出来ていた。それも関係してこの考えが正しいと定めてしまった。
──他のことに殆ど興味を持っていなかったはずの姉さんが恋愛に興味を抱くなんて、とても喜ばしい。
──加えてここで敢えて好きな人とは言わず大切な人と言ったのは、姉がきっと直接言うことを恥ずかしがったからのはず。可愛らしいところもあるんだな、姉さんも。
小学生らしからぬ思考回路で姉の意図を理解し、助けになろうと箒は決意した。ついでに、自分の恋路も手伝ってもらおうとも考え始める。
さて、姉のこの悩み。言ってしまえばこの手の話題に興味こそあれど、あまり詳しくはない部類。だけど折角頼ってくれているのだし、なんとかしたい。
でもラブレターとは、自分の想いを相手に伝えるもの。だとするならば……。
「──やはり、正直に書くのが一番じゃないでしょうか」
「正直に?」
「はい。回りくどいことなんか書かないで、伝えたいことを書くことが一番だと思います」
「……一回それやったんだけど、文章が気持ち悪くなっちゃってね……それでもやっぱり正直に書くことのほうがいいのかなぁ」
その言葉に箒は目を見開く。珍しく弱音を吐き、悲しそうに天井を見つめる姉の姿。初めて見るその姿が、なんだか愛おしく見えたのだ。
「(……もしかして姉さんっていつもこんな風なら可愛いのでは?)」
だけどすぐに、いつもこんな風な姉はむしろ姉ではないかと思い至りとりあえず今思ったことは心の底にしまう。そして、束の反応に答えを重ねた。
「ですが、下手に拘って格好よく書いたとしても相手がそれを分かってくれるとは限りません。それよりもはっきりと書いてくれているほうが相手も理解しやすいと思います」
「(ふむふむ……。なんだか箒ちゃんよく語るね。もしかしてファンレターを誰かに書いてみたりしたことあるのかな?)」
そしてさらに「もしもですが」と続けた。
「自分にとっては気持ち悪く見えても他人から見たら案外そうではないかもしれませんよ? 人とは、案外他人のことはすごく気にするということはないですし。どうしても気になるなら第三者の人に読んでもらってみては?」
「……なるほど。他人から見ると案外大丈夫かも、かぁ……」
思考を始める束。菜々のことが好きになってから僅かに視野が広がって他人を……というか菜々のことを意識し始めた影響か、凡人の視野を少し考えるようになった。これは束が菜々のことを本当は自分とは違う凡人であると分かっているからである。
菜々からこのファンレターを見られて引かれたくないという想いがここまで束を悩ませていたのだ。
だがここで大切な妹の箒からの助言。どうしても気になるなら事情を知っている千冬にでも読ませてみればいい。だけどあんまり人は思っているよりも他人を意識していないんだと。まぁ束よりは関心はあるだろうが。
ようは、気にしすぎじゃね? ということなのだ。それでいいんだと束はまた学んだ。
「──ありがとう箒ちゃん。すごく参考になったよ」
「! 役に立てて、よかったです! 頑張って下さいね、応援してますから!」
「え? あ、うん。ありがと……」
自分より熱意を持ってるんじゃないかと思われるほど力強い強い返事。ちょっと温度差にびっくりした束であった。ここまで応援してくれるとは思ってなかったようだ。
そのまま、箒は出ていった。稀に見る姉妹の濃い交流。さらに二人の仲が縮まったとお互いに感じていた。……多少の勘違いは、あるみたいだが。
「……よし、書いてみよう。私の想いを、この紙に詰め込む!」
そこから再び試行錯誤をしてぶっ続けで四時間……は流石になく、途中母親から夜ご飯だと呼び出されてしまい正確には三時間と少しなのだが、長い時間を経てついに完成した。
その次の日。少し恥ずかしそうに、だけどいつものように振る舞っていた束を見て千冬は首を傾げたが、事情を聞いて納得する。そしてそれはつまり、自分が文章チェックをさせられることなのだということが分かりテンションが下がった。
いざ渡されて読んでみると、意外と読みやすいことに気がつく。多少アレな表現があれども、我が親友にしてはまともな部類ではないかという感想を抱いた。
その事を書いた本人に伝えると、嬉しさと安心が混じったような朗らかな表情を浮かべた。ウサミンが絡めばこいつはまともに近づいていくかもしれない、というのは千冬の談である。……一瞬で前言撤回したみたいだが。
────
「──菜々さん。こちら、今月届いたファンレターです」
「わぁ……! すごくいっぱい! とてもありがたいですね!」
「えぇ。ファンからの応援の声が直接届いてますからね。一応中身は全て確認しましたので、安心して読んでいただけますよ」
「ありがとうございますプロデューサーさん! じゃあ早速読んでみますね!えっと……これからにしましょう!」
「……菜々、さん? どうしましたか? 顔がとても赤いですが……」
「あ、あはは……ここまで熱く書かれたファンレターは初めてだったので、なんだか恥ずかしくなっちゃいました……」
「ふむ……あぁ、これでしたか。今までで一番菜々さん愛が強いなと感じた方からのものですね。特に悪めな表現がなかったため入れさせていただきましたが……」
「あぁいえ! 嫌とかじゃないんですよ?! ただ、ここまで書いてくれてるのが嬉しくて……えへへ、まだ一通目なのに、嬉し涙が出ちゃいます」
「涙腺脆くなってきたりしてませんか?」
「そうなんです。実はこの頃脆くなってきて……って私はまだまだ若いですからね?! ……でも、本当に嬉しい」
「……この方を含めたファンの皆様のためにも、頑張らないといけないですね」
「──えぇ。ウサミンはまだ階段を駆け上がっている途中。まだまだ先は長いですから、これからも頑張っちゃいますよ!」
早く……早く出会え……!