ホロライブラバーズ『幸福論者』獲得RTA なんでもありチャート 作:かとしょう
「ヴァンパイアはね、この世で最も生き汚い種族と言えるかもしれないわ。奴らは他の生物から血と生命を吸い上げ糧とする。人間に限らずこの世の動物は別の命を食べることで生を謳歌する。だから生きている限り責めることはできないでしょう。
でもね。奴らはすべての生物のヒエラルキーのトップに立っていると思い込んでいる。だから残酷でいられる。
『我々は寿命で死なない。もし死ぬとしたら明確な殺意の元でだ。ならば道連れにしてやろう。頂点に座す我々に牙を向けるなんて許されないことだから』
本気でそう考えているのよ。もちろん全員が全員そうじゃないわ。魔界学校で保険医をしていた時も血を吸うことに忌避感を持っている子がいたわ。でもそれはごく少数。そのイカれた考えについていけず袂を分けた一族の子だった。
あなたが倒したのはカースドヴァンパイアとロブヴァンパイア。二匹とも3000年生きていた化け物よ。
カースドは呪いを振りまき苦しむのを眺めるのが好きな異常者だった。たびたび人間を誘拐しては呪いの実験にしていた。ギリギリ死なない苦しみの与え方を研究していた。
ロブは奪うことに罪悪感を抱かない変態だった。人間を家畜と呼び人間界を屠殺場と呼んでいた。人から奪いそれを咀嚼することに躊躇をしなかった。
もちろんそんなことは現代では許されない。あの戦争で魔界は敗れてから人間界との和平を重視する穏健派がトップに立った。まぁ、おそらく人間界が都合の良い者をトップに置いたのでしょう。それはいいわ。
和平に進む以上人間を食い物にするのはタブーの中のタブー。世論が動いても頑固だった彼らは領地を没収され流刑にあった。旧魔王軍の幹部と主要人物が投獄される絶海の孤島に。
……そのはずだったのだけれども。3週間前になぜか脱獄して人間界のエルフの森に潜伏。そして何かとんでもない計画を企てていたみたいなの。結局君が代わりにゴミ掃除してくれたおかげで目的は聞けずじまいだったけどね。
……ごめんなさい。私があともうすこし早く動いていればこんなことにはならなかった。あと一日早ければ……君は呪いを受けなかった。
カースドが君に与えたのは単純な死の呪い。
でもロブが奪っていったのは――――君の感情と記憶」
先生が話し終えたのは俺がバケツに胃の中のものを全部吐き出した後だった。
息を整えて一秒でも早く楽になりたかったが心臓と横隔膜の動きが許さない。喉は胃液が張り付いており痛みという異常信号を伝えてくる。部屋にはツンとした匂いが広がっている。
俺が吐き散らすことを予想していたのか。そのためにバケツを渡し、窓を開けて……。
「持っていかれた感情と記憶は治してあげることができないの。特に記憶はその人の人生の積み重ねだから千差万別。悪辣なトラップだわ」
先生はハイヒールをコツ、と鳴らすと近づいて横に座る。そして俺の背中をさすって優しい顔で語りだした。
「でも、最悪ではないわ。本来なら記憶と感情をすべて持っていかれるところを虫食い程度で済んだ。感情はまだ詳細にはわからないけど、記憶はわかる。主に大切な人物に関すること。廃人になる可能性が濃厚だったのにこの程度で済んでいるのはよかったわ」
「……なんで俺は無事なのですか?」
当然の疑問だ。本来なら記憶と感情が消えているはずなのにこうして生きてしまっている理由は見当もつかない。上位のヴァンパイアの呪いを弱められるほど魔に対する耐性を持っていない。弱める装備があるわけもない。
「何か奴らに対して特攻となる武器でとどめを刺さなかったかしら?聖なる力を持った武器とか」
ッ!?確かロブヴァンパイアを殺した方法は――ちゃんからもらった思い出の武器だった。あれには魔を退ける力があったのか?つまりあの思い出の武器で殺さなければ俺は死んでいたということ……なのか……?
そんなのどうすればいいんだよ。
「……なんでですか?」
かすれながら底冷えするような声を絞り出す。
「なんで!!俺を助けて!!生かしたんですか!!!」
到来するのは燃え滾るほどの激情。ぐちゃぐちゃの頭の中をそのまま言葉に変える。
「なんで助けたんですか!ヴァンパイアと戦って!勝って!そしたら記憶も感情も無くなった!?何かとてつもなく大切なものも!ささやかで小さな出会いも!すべてが消え去った!きっと俺なんかを助けてくれた恩人がいた!俺なんかを見捨てないでくれた人がいた!そんな人たちを忘れて一から紡ぎあげろと!?できるわけないだろそんなこと!両親の名前も顔もしてもらったことも忘れてしまった!温かい手で撫でてもらったのかそれとも冷たく育てられたのかも今となっちゃ知るすべがない!死んでいるのだから!これ以上の……これ以上の冒涜があるか!?忘れるということは死ぬことと同義だ!名前もわからずどのような人生を送ってきたのかボロボロで!親しい人を傷つけることになる!何を見て、何を思い、何を感じて、何を考えて、何を成して俺は形成されたのわからない!わからないのに一個の俺がここにいる!その未知の自分がとてつもなく怖くて仕方がない!震えて汗が止まらない!そうだよ!記憶だけじゃない感情も消えたんだ!これからは熱く燃えるような情熱も、ペットと一緒に布団で横になる安心感も、お腹いっぱい食べる満足も、目指し続けた憧憬も何も感じられないかもしれない!今俺の中にあるのは恐怖と後悔と無念と嫌悪と苦しみと怒りだけなんだ。もしかしたら俺にはもう悪感情しか残ってないのかもしれない!これから何十年も人を恨みながら生活をしなくちゃならないかもしれない!そんなの耐えられない!未来がないと分かっている人生に意味を見出せない。こんな……これほど……絶望的な状況で……どうしたらいいっていうんですか……?どうしようもないじゃないですか……。だから死にたいんです。こんな絶望と暗闇を歩きたくない。殺してください。お願いですから……」
ただ次から次へと浮かぶ言葉を叩きつけた。激情はその熱で蒸発し、今あるのはただ虚無と憐憫だ。
いつの間にか地面に這いつくばり嗚咽を漏らしていた。頭を床にこすりつけ手で体を抱く。呼吸がうまくできない。歯を痛いくらいかみしめるが耐えられない。
ただ取り憑かれたように殺してくれと何度も呟く。
俺に残ったのは悲壮だけだった。両親が帰ってこないと知った日、『目』が発現して世界の不確定さを知った日、世界に強制されないといけないと知った日。
そして俺が失ったのは歓喜だった。どれだけ苦しくても折れない心の柱が一晩で消え去った。
今にも押しつぶされそうだ。世界からの圧力に。
今すぐにも閉ざしたい。未来の無いこの道を。
手を腰にやる。今すぐにでも喉を掻き切りたい。心臓に突き付けたい。せめて名前も形も思い出せないが、アレで終幕を迎えたい。
しかし掌は空気をつかむのみだ。
(なんで!?なんで!?なんで無いんだ!?)
あるはずの心の拠り所がない。それがより一層思考を汚泥に沈ませる。パニックを助長させる。
息が苦しい。酸素を取り込めない。もう嫌だ。お願いだから―――
「――
目の前の悪魔に助けを乞う。命を救ったのならば最後まで責任をもって助けて欲しい。
「お断りよ」
けれども、降ってきたのは拒絶だった。
「甘えるのもいいかげんにしなさい」
説教だった。
「自分が世界で一番不幸だと勘違いしているの?一番かわいそうだと?そんなわけないでしょ」
諭すように。
「地獄と呼びたくなる場なんてこの人間界にいくらでもあるわ。でもあなたはそこから遥か遠くにいる」
指導するように。
「死が救いだと?違うわ。死こそが一番の不幸よ」
言葉を投げる。
「あなたは温もりを感じられる。世界の優しさを見れる。人のあり方を聴ける。自然の生き様を嗅げる。達成を味わえる。それができない人が大勢いるのよ」
俺を。
「あなたなんてまだマシよ。ヒロイズムに酔うのも大概になさい」
助けるために。
「死んでもいいじゃないですか、だって――」
「死んだら終わりなのに?何も残らないのに?」
……なぜだろうか?今の一言がどうしようもなく俺を突き動かす。崩れたかけた魂魄を強くこの世界に繋ぎ止め、縛り上げる。到来するのは前へ進めという強い意志が乗った風だった。
不確かで見間違えかと、そう思うくらい頼りなく、吹けば消えそうなほど小さく乏しかったが――確かに今、心の中に灯火が宿った。
誰かが俺に告げる。今まで聞いてこともない声だ。
「ここで終わらせて本当にいいのか?それはお前が一番嫌いなことだっただろう?それすら忘れたのか?」
「でも……もう終わらせて楽になりたいんです……。なぜ逃げてはだめなのですか?俺より過酷な状況の人が大勢いるとして、だからどうしたというのですか?逃げないからなんだというんですか?」
逃げないからなんだというんだ。逃げないから素晴らしいのか?そんなのただの根性論だろう。
だが先生はそれが常識だと言わんばかりに堂々と告げる。
「簡単よ。それは何よりも美しいわ」
――――それは、とても美しいと思わないかい?
――ッ!?
今度こそ心が揺れた。
今のは誰だ?知らない光景と言葉が認識できな速度でコマ送りの様に、場面場面がリフレインする。
記憶に欠片もないということは何よりも大事な思い出だったのだろう。だから持っていかれた。覚えているはずはないのに……。それなのになぜ?
緑の中、駆ける人が見える。いたずらっ子のような笑顔が見える。暗い白色の地面が見える。空に漂う銀の粒が見える。人の日常が見える。
知らない人。知らない記憶。垣間見ても何があったのかも何を話しているのかもわからない。
それなのにどうしてこうも温かい涙があふれるのだろうか?こうも勇気が湧いてくるのだろうか?こうも生きる気力が湧いてくるのだろうか?
間欠泉のように天へ向かって真っすぐ一気にではない。湧き水が地面にあふれ出るみたいに少しづつしかし着実と、俺の心を潤し包み込む。枯れ果てた大地にしみこみ、世界がまたその機能を取り戻し、歯車が回りだす。
「――そうだったのか」
――そうだ。確かに俺は記憶を失い感情を持っていかれたのかもしれない。自分の心の柱を盗まれたのかもしれない。ある意味で俺は一回死んでしまったのと代わりにない。そしてこれから死ぬまで無為な人生しか感じられないかもしれない。でもそれがどうしたというのだ?
受けた言葉を忘れようとも確かにこの熱は刻み込まれているのだから。魂はその小さな灯火が大火へ変化するのを待っている。
何をやっているんだ俺は。こんなことしている場合じゃないだろう。
涙を拭う。事故の衝撃で飛んで行った眼球がある。
片膝をつく。胴体から離れた足がある。
手を膝に乗せる。ひしゃげた腕がある。
立ち上がる。潰れた心臓がある。
前を見据える。魂がある。
体は動く。考える力はある。勇気は残っている。なら十分だろう?
もう一生分泣いて、絶望した。ならあとは笑顔と勇気で俺と大事な人たちを照らそう。やらなければならない。死んだ俺に関わってくれた人のために。生まれ変わった俺に関わってくれる人のために。
ここから始めよう。
「まだ終わってなんかいない」
いつの間にか『目』は俺の中から消えていた。