護衛艦のはるな・ひえい、戦利潜水艦の伊507、実験高速輸送艦のおがさわら。
時代も、世界も異なる艦艇の記憶を引き継いだ艦娘たちが集うのは……。
「あ、海が見えてきた」
少しうとうととするひえいの意識がその一声で引き戻された。視線を窓の外へ持っていくと、見慣れた紺碧の海がキラキラと広がっていた。その海の上を幾隻もの船舶が右へ左へとゆっくりと進んでいく姿が見えた。
艦娘にとってなじみ深いはずの海がどこか新鮮に見えるのは、乗り慣れない電車の窓越しに眺めているからだろうか。未だぼんやりとしている頭の片隅に、ふとそんな考えが浮かんだ。
ひえいにはるな、そしておがさわらの三人を乗せた黄色い呉線の電車は海岸線にそってくねくねと蛇行しながら走り続けている。左右を流れる景色は、相変わらず燦々と照らす夏の太陽によって鮮やかに輝いていた。
「――あとどのくらいで呉に着く?」
背をグッと伸ばしたひえいが向かい側の席に腰掛けるはるなへ尋ねた。
「もうあと10分くらいかな」
「そっか、長かったね」
「自分たちの『脚』で来るのに比べたら短いものじゃない」
そう言ってはるなは笑っていた。
夏も終わりのこの日、ひえい・はるな・おがさわらの三名は司令の命を受けて横須賀から呉へ、電車を乗り継ぎ乗り継いで向かうことになっていた。呉鎮守府の司令からの『どうかうちの艦娘たちに新世代の力というものを教えてやってほしい』という要請を受け、この呉行きが決まったのだった。
「電車の旅って、テレビで見ている分には楽しそうですけど、大きな駅での乗り換えって大変ですよね……」
私ひとりで行けって言われていたらたどり着く自信ないです、と漏らしたおがさわらが苦笑する。彼女にとって初めての電車での遠出だった。
「ちゃんと出かけられるようになるのも任務のうちだし、回数重ねれば大丈夫じゃないかな」
実際何度も数をこなしてようやく慣れてきたひえいだからこそ言えることではあったが、おがさわらにはまだその言葉が信じられないようだった。
艦娘の便利なところ、それは『人間の身体を持っているところ』だとひえいは思っている。艦艇の身ならばひたすら海を走り続ける以外の選択肢はないが、艦娘の身ならば陸路も、はたまた空路も選択できる。航海自体が訓練のメインでない場合は、時間短縮のために公共の交通機関を使っていたりする。
「それに、電車にひとりで乗ることもできなかったら日常生活で困るよ? 今のうちに慣れておかないとね」
ひえいは司令がよく口にする言葉をそのままおがさわらに向けて投げかけた。
日常生活。それは今の艦娘としての日常という意味ではない。今はまだ遠い、戦争が終わり、艦娘としての役割が終わった後に訪れる『日常』についてだった。今は鎮守府で目覚め、鎮守府で過ごし、そして海へ出ていく暮らしの繰り返しだが、いつの日か、それも終わりが訪れる。『その時』がいつ訪れてもいいようにと、司令は定期的に鎮守府の外での『社会実習』をさせていたのだった。今回の呉行きの際も、司令に渡された旅費を自分たちで管理するだけではなく、乗る列車の選択や切符の手配にいたるまですべて私たちに任されている。手元に握られた切符は、その努力の結晶だった。
『次は呉、呉です。降り口は左側です――』
車掌さんの声が天井から降ってきた。三人はいそいそと手荷物をまとめ始めたのだった。
◇
「三人とも、迎えに来ましたよ!」
呉駅の駅舎を出た三人を待っていたのは、ロータリーの一角に止めた紺色のワゴン車の窓を開け声を張り上げる大淀の姿だった。
招かれるがままにワゴン車の後部座席に収まったところで、大淀がくるりと後ろに顔を向けた。
「呉鎮守府の大淀です。ようこそ呉へ。長旅お疲れさまでした。電車の乗り継ぎで疲れたでしょう?」
「まぁ、海をずーっと航海してくるよりは……」
「――それもそうですね」
そんなやりとりを交わしたところで大淀は車をゆっくりと出した。ロータリーをぐるりと回ると、車は駅前の大通りの流れの中へと入っていく。
「ここが、呉の街……」
流れ行く景色を思わずきょろきょろと見回してしまう。知らない道、知らない建物、知らない街並み。それでも……、
「どうかしら? 初めて見る呉の景色は」
その様子をバックミラー越しに眺めていた大淀がクスリと笑いながらそんな言葉を口にした。
「なんだか、懐かしい気がします」
はるながそう言葉をこぼした。
知らないはずなのに、なぜか懐かしい。見たことないはずなのに、なぜか見たことがあるような気がする。何とも形容のし難い、不思議な感覚だった。
「出張で来た艦娘たちって、だいたい同じようなことをいうんですよ」
不思議ですよね、と笑う大淀も、その言っている意味はなんとなく理解しているようだった。
車が交差点に入り、曲がっていく。線路の下をくぐった車は、一路呉鎮守府へと進んでいった。
◇
「ようこそ呉鎮守府へ。私が呉鎮守府の司令官の絹見だ。君たちのことは江口くんからよく聞いている。今回はうちの艦娘たちに是非とも新しい戦闘とはどういうものか教えてやってほしい。明日からの演習、よろしく頼むよ」
執務机の向こう側から貫禄に満ちた視線で見上げられる中、三人は簡単な到着のあいさつを済ませた。司令からは以前、巡洋艦の艦長などを経験した生粋の海の男という話を聞いていたが、その言葉通りの『海の香り』のする人だった。
早々に挨拶を済ませると、大淀に連れられて三人は鎮守府の中を散策しはじめた。比較的短期間の滞在ではあるが、横須賀と比較しても十分に広大な敷地内である、事前に一通り見ておかなければ、間違いなく迷ってしまう。食堂・演習施設・工廠・宿舎などなど。設置されているものは横須賀と変わらないが、所変われば雰囲気も違う。その光景が普段横須賀で過ごす身、特に初めて他の鎮守府の中へ足を踏み入れたおがさわらにとっては新鮮なようだった。
「これで滞在中に立ち寄りそうな場所はすべて回れたかしら……」
案内の漏れがないか念入りに思い出している大淀の後姿を眺めていると、
「――ん?」
突如その耳を、優しい音がくすぐった。
「――歌?」
「きれい……」
ほどなくして残りのふたりもその音に気付き、耳を澄ませ始めた。
「あぁ、あそこで歌っているわ」
同じく歌声を耳にして歩を止めた大淀がある一点を指さす。そこには、
身をとりて 胸にあつれば
新なり 流離の憂
漆黒の潜水服を身にまとった金髪の少女が海に向かい、静かに歌い続けていた。
「あの方は……」
海の日の 沈むを見れば
激り落つ 異郷の涙
「伊507。私たちはいおなって呼んでいるわ。少し変わった娘だけれど、とってもいい娘よ」
思いやる 八重の汐々
いずれの日か 国に帰らん
静かに、されど力強く心を揺さぶる歌声が岸壁に響き渡った。歌の余韻を味わうかのようなその姿は、三人の息を呑み込ませるには十分すぎるものだった。
「――大淀さん?」
気配を感じたのか、金髪の少女がこちらへ振り向いた。どことなく幼さが残っているようなその顔立ちは、西洋人形を連想させた。
「ちょうどよかったわ、紹介するわね。横須賀から演習に来た護衛艦のはるなさんとひえいさん、そして実験高速輸送艦のおがさわらさんよ」
どこか遠慮がちに頭を下げたところで、岸壁に腰掛けていた彼女はスッと立ち上がるとこちらに向き直り、敬礼してみせた。
「はじめまして、戦利潜水艦、伊507です。皆さんからは『いおな』って呼ばれています。よろしく」
「歌、すごくきれいでした」
ひえいのその言葉にはるなとおがさわらが頷く。
「ありがとう、でも単にちょっと軽く歌ってみただけだったから、ちょっと恥ずかしいかな」
そう言っていおなははにかんで見せた。
軽く歌ってこの美しさなら、本気で歌って見せたらどれほど心を揺さぶられるのだろうか。その本気を聞いてみたい、そんなことを考えていた。
「あら? 誰かしら」
そんな一種神妙な場の空気をかき乱したのは、大淀の制服のポケットの中に納まっていた携帯電話の着信音だった。すかさず取り出した大淀が携帯を耳に当てる。
「えっ? 事故? ケガは? そう……。はい、はい……。えぇ、そう伝えておくわ。道中気をつけて」
そう簡潔に伝えた大淀が電話を切り、そしてため息を小さくひとつついた。
「何かあったんですか?」
「えぇ、横須賀から艤装を積んでこっちに向かっていたトラックが中国道の事故渋滞に巻き込まれたみたいで、当分動けそうにないって」
「え?」
彼女の口から飛び出した『事故』の単語に思わず不安感が募る。
艦娘自体は人間の身体ゆえ移動手段は自由に選択できるが、その艦娘を艦娘たらしめる艤装に関しては移動には大きな制約がかかっていた。駆逐艦の装備程度の大きさならまだ辛うじて車内へと持ち込めそうではあるが、そこは一般人が多数利用している交通機関である、いくら人類の『海の守り神』の大切なものとはいえ、すべての人が武器の持ち込みを許してくれるとは限らない。さらに巡洋艦クラスの艤装になれば、そもそもどこにでも持ち運びができる大きさですらない。そのため身体は公共交通手段、艤装は軍のトラックに積み込まれ運ばれる、というのが常なのである。
「事故自体には巻き込まれていないから艤装自体は無事だそうだけれど、これから艤装の試運転も兼ねて周辺の海域を見て回ろうかと思っていたのに、どうしたものかしら……」
そんな頭を悩ませる大淀を眺めていたいおながふと何かを思い立ち、明後日の方向へ振り向いた。
「大淀さん! あれは?」
いおなの指さす先にあったもの。それは係留されていた一隻の救難艇の姿だった。
◇
「あそこが中央桟橋。江田島行きのフェリーが出るときは進路に注意。鎮守府の奥の岸壁は海軍の潜水艦艦隊が使ってる。その奥は造船所で……」
約30分後、ひえいたちの姿は鎮守府の岸壁を離れ海を走る救難艇の上にあった。舵を握る大淀の代わりにいおなが周辺の詳細を教えてくれていた。
その説明を耳で聞きながら、ひえいの目は別の方角の景色を見つめていた。『あの時』ずっと佇み続けていた、あの場所を。
「――ひえいさん?」
その視界の中に不意にいおなの白い顔が入り込み、浮遊しかけていた意識が戻ってきた。
「――どうかしましたか?」
心配そうに覗き込むその表情に、必死にやっていたであろう説明を完全に上の空で聞き流していたことにようやくちょっとした罪悪感を感じ始めていた。
「いや、その……。懐かしいな、って」
そう呟くるひえいの視線はある一定方向、江田島のほうを向き続けていた。
「呉に縁があるの?」
「うん。艦艇としての役目を終えて、最後にたどり着いたのが、ここだから……」
そう、最後の場所は、ここだった。護衛艦としての任を解かれ、使えるものを後進に譲り、少しばかり身軽になったその身を置いたのが、この江田島の海だった。遠くを小さく走っていく船や、後輩の護衛艦の姿を眺めながら過ごしたあの日々が、脳裏を走馬灯のように駆け巡っていく。隣で同じ方向を見つめている、おがさわらと共に過ごしたあの日々が……。
「私も、あるんだ、縁が」
そう口にしたいおなの視線が別の方向を向く。記憶とこの世界の地理が一致していれば、早瀬ノ瀬戸のある方角だった。
「私はあそこから最後の航海に出た。片道切符の、最後の航海に。あの時、ここでは私、何もできなかった。それがちょっとだけ後悔で……。だから、ここに戻ってこられたとき、嬉しかったの」
心の中に浮かび上がる様々な感情がいおなの表情に浮かんでいるように見えた。それがどんなものなのかまではわからないが、想像もつかないほどの体験をしたという想像だけは、ひえいにもすることはできていた。
「それじゃあ、私たち呉繋がりですね!」
唐突におがさわらがそんなことを言い始めた。
「私も、ひえいさんもはるなさんも、呉には縁があるんです。そんな私たちがいおなさんに出会えたなんて、ちっょとした奇跡だと思いませんか?」
いつものオドオドとした人見知りキャラなどどこ吹く風で息巻くおがさわらの言葉を聞きながら、ひえいは確かにそうかもしれないと思っていた。
生きた時代も、世界も違うけど、同じ『呉』という地に縁のある者が、その『呉』で一堂に会している。確かにこれはちょっとした奇跡かもしれないと、ひえいも同じ感慨を抱いていた。
「そうね、確かにその通りかも」
同じ感慨ははるなも抱いていたようだった。その感慨の共有が、そこにいる者全員の心を一つに連帯させていくような感覚を感じていた。
「私たち、なんだかとても仲よくなれそうな気がします」
いおなはそう言って再びひえいの顔へ視線を送る。今度は少し安しげな視線を。
「そうね、私もそう思う」
「異議なし、かな」
「私も!」
後に続いたその言葉が妙におかしくて、気が付けば四人共に笑いだしてしまっていた。
軽快な笑い声が凪いだ海を渡っていく。その笑い声を呉の海はただ静かに受け止めていたのだった。
◇
「短い間でしたけど、お世話になりました」
数日後、ひえいたちの姿は呉鎮守府庁舎前にあった。演習の全日程を終えた三人は、再び呉駅から横須賀への帰路につくところだった。
「今回は横須賀から本当にありがとうございました。本当は私が案内をするはずだったのですが、急に任務が入ってしまって……」
そう謝るのはこの呉鎮守府の秘書艦・榛名。秘書艦としての役目を大淀に預けて出撃した任務を終え帰還したばかりだった。
「また、来てね」
その横にポツンと並んでいたいおながポツリとそう呟いた。
「うん、わかった」
ひえいが静かに頷いた。
「いおなさんもいつか横須賀に来てくださいね、私たちも待っていますから」
はるなのその言葉に、いおながコクリと頷く。またいつかの再開を誓ったところで、背後でクルマのエンジン音が響いた。
「それでは道中お気をつけて」
榛名のその言葉に見送られ、ひえいたちは来た時と同じ紺色のワゴン車の後部座席に納まった。ドアを閉めたところで、ゆっくりと車が走り出す。ふと後ろを振り返る。そこにはちぎれそうなほどに手を振り見送るいおなの姿があった。狭い車内で振れるだけ振り返すうちに車が正門をくぐり、やがて彼女の姿は見えなくなった。
「また……、会えますよね?」
ぽつりと、おがさわらがそう漏らした。
「うん、会えるよ、きっと」
妙に自信の籠った言葉でひえいは答えた。
夏色の景色が車窓を流れていく。その景色を眺めながら、この数日間のことを思い出していたのだった。
◇
「彼女たちとは仲良くなれましたか?」
すでに車が見えなくなった庁舎玄関前に、まだ榛名といおなは立っていた。
「はい」
そう答えるいおなの顔には、どこか清々しい雰囲気が漂っていた。
「いつか、また会えますよね?」
「もちろん、きっと会えますよ」
いおなの問いに、榛名は戸惑うことなく返答した。
「そう、ですよね。きっと会えますよね」
いおなが自身に言い聞かせるようにコクコクと頷くと、くるりと門に背を向けて、庁舎へ向かって歩き出した。榛名もその後を追って庁舎の玄関をくぐり、目の前を歩くいおなの背中を眺める。その背中に今までとは違う何かを、榛名は感じ取っていた。
◇
海を奔る幾筋もの運命の糸がひとつの糸に紡がれ、物語は始まる。
その始まった物語の先にどのような結末が待っているのかは、まだ、誰にもわからない。