最終回です。後書きにお知らせがあります。
星が映える。そんな夜に溶け込んだ。
誰も居ない公園で、一人煙草を吸う。いつもより美味しいと感じなかった。
月が笑っている気がした。自身のことを見つめて、心の隅を突くような笑い方。彼は何も思わない。消えていく煙を眺めながら、体の力を抜いた。
この世界は、あまりにも儚くて脆い。それが夢であることを願う。紛れもない現実となって、生きる物すべてを飲み込もうとする。
人は一人で生きていけない。だから人同士寄り添おうとする。そうしたところで本質は変わらないと分かっていても。寂しさを埋められればそれで。
煙草を根元まで吸う癖は消えなかった。灰皿に押し潰して、人差し指と中指に残る香りが顔の前に居座る。不思議と良い匂いに感じなかった。
とにかく月が綺麗な夜だった。笑いかけているソレに見惚れてしまうほど、大きくて丸くて。冷たくなった秋の風が心地よく、火照った胸に吹き付ける。
ひどく昔のことのように思えた。頭の中で紡がれる物語は今、終わりを迎えようとしている。男はただ、しばらく咲きそうにない桜の木の下で彼女を想う。
「――随分と、久しぶりな気がします」
広すぎたベンチを埋めるように、彼女は彼の隣に腰掛けた。それは二人の心を埋めることと同義だと知っていて。男は笑いながら、太陽のように輝く彼女を見つめた。
その顔に疲労は無かった。色も良くて、安堵する彼女はクスクスと笑ってみせる。
「今日はどうして?」
問いかけに、彼女は少し考える。風に靡く太陽色の髪がこの夜を照らしてくれている気がした。
「あなたに会える気がしたんです」
恥ずかし気もなく、簡単に言ってみせるものだから、男は照れ臭そうに笑うしかなかった。だがそれは、かつて自身が彼女に言った言葉でもある。その事実を彼は失念していた。
分かりやすく顔を背ける彼が可愛くて、彼女はまたクスクスと声を鳴らす。僅かに残る煙草の匂いが妙に心地良くて、彼の存在を心の中に訴えてくれる。
「良い夜だね。月も真ん丸で、大きくて」
「今日は十五夜ですから。秋の風が気持ち良いですね」
「あぁそれで」なんて彼は言うけれど、本当のところはよく分かっていなかった。ただ彼女の言う言葉は凄く美しくて、疑問に思うことをやめさせる。不思議な魅力があった。
夜の街並みもこの夜空と月には敵わない。二人は先ほどから上を見上げるだけだ。静かな夜にあるのは、二人の息の音だけ。あの時のような孤独感はそこに無かった。
「――仕事辞めたよ」
おもむろにそう言う彼は、空を見上げたままだった。声はスッキリしていて、悲観的な想いは存在していない。その横顔を見ながら、スズカは安堵した。
「そうなんですね」
「本当、肩の荷が降りた気がする。あれだけ悩んでたのが嘘みたいに」
空を見上げていた彼は、笑いながら彼女の方を見る。この日初めて目が合った二人は、恥ずかしそうに唇を震わせる。ただ互いに目線を逸らそうとはしなかった。
「君に出会わなかったら、今の俺はないよ」
胸が鳴った。互いに。夢を見ているように体がふわりと浮いた気がした。すると今度は、サイレンススズカの方が空を見上げた。この熱から逃れようとしているように見える。
現にそうだった。思い出すのは少し前のこと。自身のラストラン。幼子になったこんな自分を受け入れてくれた彼の胸。いま隣に居る彼の広い胸に溺れたこと。
「これからどうするんです?」
彼の想いに、のぼせてしまいそうだから、慌てて問いかける。
「地元に帰るよ。まだ何も決めてないけどね」
「それなら、ここでも良いのではありませんか?」
その疑問に、彼は苦そうに笑う。
「都会はもういいかな。人混みに疲れちゃった」
「そう、ですか。……そうですよね」
こんな夜に、こんな場所に居るのだ。彼の思考は至って普通で、彼女もソレを理解している。だからこそ、少し寂しいのだ。――もうここで彼に会うことが無くなるから。
今日が最後になるかもしれない、なんて思うと途端に、胸が痛んだ。苦しくて、静寂になるのが勿体なく感じられて。握り拳を作って誤魔化そうとしても、その気持ちは消えてくれない。
そんな日に限って、月は美しい。そんな日に限って、彼は言わない。「綺麗だね」と。言われたら、素直に頷ける気がしたのに。「君が居なかったら――」なんて言うだけ言って、目の前から姿を消す。そんな酷い男だなんて毒づいても、隣に居る彼はジッと月を眺めたまま。
「きっと良いお仕事見つかりますよ」
彼女も良く分かっていない。一般社会とは一線を画した場所で生きてきたから、知らなくて当然である。だとしても、当たり障りのない言葉しか掛けられない自分が嫌だった。
彼はそう言われて、少し口角を上げた。まるで少年のようなキラキラとした瞳が、サイレンススズカの瞳を見つめる。心の中を覗き込まれているような、違和感。でも決して、不快ではなくて。
「―― 一緒に来てくれないかな」
唐突にそんなことを言われたから、彼女の口から驚きが漏れた。言葉にならない声。
今日、二回目。目が合った。その顔は、真剣なのにどこか怯えている。
「田舎だし、緑も多いから。スズカにとっても、良い環境だと思う」
彼の言葉をそのまま受け取るのなら、つまりはそういうことだ。
彼女は考える。一人の友人に、こんなことを言うだろうか。普通に考えて、そこまでしないだろう。離れていようが近くにいようが、友人は友人なのだから。となれば、彼の言葉は――。
「……どういう、意味ですか」
分かっているのに、意地悪な聞き方をする。彼が酷い男であるなら、自身は捻くれた女だ。サイレンススズカは可笑しくて、心の中でこっそり笑う。
でも、紅潮する体は誤魔化せなかった。それが強がりだということは、彼の目にも明らかで。凄く綺麗な嘘を見た気がして、思わず笑みが溢れてしまった。
「わかってるクセに」
星空が今にも降ってきそうだ。初めて出会った日もこれぐらい綺麗な夜であった。
あの時も、彼は彼女に告白した。アルコールに任せて、告白なんていうのはおこがましい。だけど記憶の片隅に居座るソレは、二人共通の思い出として名乗りを上げている。
煙草の味、ビールの味。口に広がる懐かしさ。だけど今は、さわやかな後味となって彼の思考を甘く撫でる。
言ったところで、彼女はどんな顔をするのだろう。あの日みたいに呆れてみせるだろうか。それとも――。
考えたところで、どうでも良かった。この感情に嘘をつくぐらいなら、最初から言わなければ良い話。もう止められないのだ。笑うなら笑って、この夜に泣くのも悪くない。
「君の為に生きたい」
彼女は微笑んだ。でも、言葉を紡ごうとしない。震える手を、そっと握った彼に想いを乗せて。
「それは、告白ですか」
そうだよ、とハルマは笑う。春を駆けるような懐かしさを抱きながら。孤独に打ち震えていたあの頃はもう居ない。
自身の手に重なっていた彼の手を、小さく握り返した。それは言葉への返答となって、彼の胸に飛んでいく。
春の風が吹いた気がした。桜が舞ったような気がした。二人を包み込む桃色の空気は、二人の口角を優しく上げた。
何か恥ずかしいね、なんて言って笑う彼と、そうですね、としか言い返せない彼女。ぎこちなくて、脆いのに、二人を固く繋げるのは何者でもない。それは絆である。
今日まで、生きていて良かった。だから人は生きる。この幸せの味を噛み締めるために。この日を迎えられたのだから、辛かった日々がもうどうでも良くなって。今はただ、目の前にいる互いのことを、最後の最期まで想い続けたいと。
この夜を想いながら、二人の影は重なる。
風に乗ってくる互いの匂いも、この唇の感触も、未来への想いとなって道となる。
「――僕は君が好きなんだ」
いつかの十五夜で。
今度はきっと、プロポーズを。
〜新たに評価してくださった皆様(敬称略)〜
・wanTan・ヤマシロ=サン・Moi0805・浴衣Ⅱ・チビ熊さん・ビスチャ・十七試艦上戦闘機・チョコゴーレム
本当にありがとうございました。
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ハーメルンで「「Umar EATS」の配達員から、トレセン学園にスカウトされたウマ娘の話」を投稿されているayks様主催の『ウマ娘短編企画』に参加させていただくことになりました。
今日から毎日21時に投稿されております。
私の作品は「8月9日(月)」に投稿されますので、是非ご覧ください。