十五夜にプロポーズでも   作:ちゃん丸

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スズカよ

 

 

 

 あの日のことを、男は思い返していた。

 今日のような十五夜のこと。

 桜はもう、散っている。それを嘲笑うように、まん丸な月が彼を見つめていた。

 

 サイレンススズカと話したあの日。

 ちょうど彼女が引退したばかりの頃だ。この公園の、このベンチで、二人夜空を見上げながら。

 アルコールに酔っていて、変な勢いでプロポーズをしたことすら覚えていた。独特の頭痛に襲われながらも、あの日のことを噛み締めるように彼は生きていた。

 

 煙草の煙は悲しげに消えていく。

 夜の公園。彼女と会話したあの日以降も、ここに足を運んでいた彼。でも、彼女は姿を見せなかった。

 たった一人で、酒を飲みながら煙草をふかす。哀れで、虚しい。煙を吐き出す音を星が掻き消してくれるはずもなく。

 

 ここで飲む缶ビールにも、飽きてきた。男は缶を握りしめながら、手のひらに伝う冷気を浴びる。まだ中身は残っている。花見をするには、少し寂しい季節だ。

 夜も更ける。だから誰も居ないこの空間が、彼にとって心地が良かった。

 

 もう一度、サイレンススズカに会えたなら。自身は何を言うだろう。何を伝えたいのだろう。何を聞きたいのだろう。

 自問しても、それをぶつける相手は居ない。あれから一ヶ月が過ぎて、あれだけ騒がれていたサイレンススズカ関連の報道も、今やすっかり聞かなくなった。

 

 所詮、そんなモノなのだ。

 鉄は熱いうちに打て、とはよく言ったもので、打たずに放置していれば冷えて固まる。彼女の引退までが関心のピークで、その後のことはそうでもない。

 ただこれは。スズカ本人、何をするか明言していないからだろう。これでタレント事務所に所属することになれば、こういうことはない。一般社会に溶け込むのであれば、そんな報道は野暮である。

 

「―――綺麗だったなぁ」

 

 独り言。星に向けて、月に向けて。

 いや、それはサイレンススズカに向けられたモノだ。

 彼女は彼が思っていた以上に、美しくて儚いウマ娘であった。

 スピードを追い求めて、極限まで磨き上げたその脚。裏腹に、お淑やかで上品な顔立ちと言葉遣い。レース中と日常では、まさに別人かと思うほどのギャップであった。

 

 根元まで吸いすぎた煙草は、美味しくない。携帯灰皿に押し潰して、残った缶ビールに口づける。独特の苦味が広がって、煙草の煩さを掻き消してくれるような気がした。

 

 この星が降ってきたら、全てから解放してくれるのだろうか。生きる為の仕事に追われ、特に趣味もない自分のことを、解き放ってはくれないだろうか。叶わぬ願いを、男は夜空に飛ばすのである。

 

「―――また会いましたね」

 

 彼の心臓が跳ねた。

 静寂の中で声がしたから。そして、その声は、今自分が一番会いたいと思っていた彼女の声だったから。男は、振り返る。

 

「綺麗です。今日も」

 

 見栄っ張りな言葉で出迎えた。

 本当は、彼女の顔を見ることすら恥ずかしくてたまらない。

 スズカは、照れ臭そうに顔を背ける彼がおかしくて、微笑んだ。暗がりでも分かるぐらい顔を紅潮させている。お酒のせいだと彼は考えることにして。

 

「本当に、いつも居るんですね」

「お気に入りなんで」

「私もここ、気に入りました」

 

 私服姿のスズカ。今日に限って、いつも以上によれたスーツを着てきたことを彼は後悔していた。

 中途半端に緩めたネクタイ。みっともない格好だと気付いて、思い切って外すことにした。キュッキュッと、衣擦れの音が夜に響く。

 少し汗臭いソレに、彼は苦笑いするしかなかった。スズカに届かないよう、隠すようにカバンに押し込んだ。

 

「確か一ヶ月前、でしたよね」

「覚えててくれたんですか」

「もちろん。私から話しかけたんですから」

 

 「それもそうですね」彼は笑う。この不思議な出会いの不思議なトコロである。

 寂しそうな背中。それを見て、スズカは声をかけてしまった。実際、彼女から見て彼は、寂しくて独りぼっちの存在に見えた。

 一ヶ月経った今でも、それは変わらない。あの頃よりも、背中が醸し出す空気は疲れていて、この世界の全てを拒絶しているような匂い。

 

「この一ヶ月、何してたんですか?」

 

 報道でも音沙汰の無かった疑問。彼は素直にそれをぶつけた。

 

「日本を周ってみました。風を感じたくて」

「どうでした?」

 

 問いかけても、すぐに返答はなかった。考えをまとめようとしているようで、上手くまとまらないようで。

 

「どう……だったんだろう。知らない場所の空気は美味しくて、風も気持ちよかったです」

「なら良かったじゃないですか」

「はい。よかった、ですけど」

 

 何か腑に落ちない様子の彼女。何を思っているのか彼に分かるはずもない。

 が、そのままにするつもりは毛頭なかった。男は意を決して問いかけてみる。

 

「何か気になることでも?」

「……何か足りなくて」

「足りない?」

「すごく満足したんです。それは間違いないんです。でも、何かよく分からない虚しさがあって」

 

 ウマ娘というのは、人間とは違う。

 生まれ持った能力もそうだが、人には感じることのない気持ちを汲み取り、傷つき、傷つけることだってある。

 そもそも、ウマ娘のレースは競技であり、人々の娯楽なのだ。彼女たちの努力に一喜一憂するのは、当人だけではない。

 中には、心ない言葉をぶつける人間だって居るのだ。このネット社会。粗探しをしようと思えばいくらでも出来る世界が構築されてしまっている。

 

 だからどうすることもできない、では無いのだ。ウマ娘だって人間と同じように意志がある。感情がある。好き嫌いだってある。人より秀でたところがあるだけで、大部分は人間と変わらない生き物なのだ。

 

「スズカさんも、そんな悩みがあるんですね」

 

 だから彼は、少し嬉しくなった。

 手の届かない存在であるウマ娘。その中でも稀有な存在であるサイレンススズカにも、しっかりとした心があるのだと。

 人と同じように悩み、努力し、生きている。無論、観客に最高のパフォーマンスをするために血の滲むような努力を重ねてきた彼女と、彼自身を同等に語るのは気が引けていたが。

 

「変……でしょうか」

「全然。すごくわかりますよ」

「あなたにも、そのようなことが?」

「まぁ」

 

 言葉にするのは難しいが、彼は肯定する。でもここで話を止めると、彼女が少し可哀想でもある。思い切り言葉を噛み砕いて、分かりやすく伝えようと頭を回転させた。

 

「楽しいことをしているのに、何か満たされないことはよくあります」

「その何か、というのは?」

「それが分かんないんです。スズカさんと同じですよ」

「私と、同じ……」

「一緒です」

 

 人間とは、脆い生き物である。

 一人では生きていけない存在。でも、その胸に抱える負の感情を吐き出す場面も、場所も、この世界には存在していない。

 ウマ娘に熱狂し、感動する裏で自らの命を絶つ人間だっている。そして、彼のようにウマ娘に生きる希望を見出す人間だって居るのだ。

 

 何かに縋っていないと生きていけない。だから彼は、今こうしてサイレンススズカに話をしているのだ。自分の存在を認めるように、彼女の存在を利用している。聞こえは悪いが。

 

「俺は、スズカさんに救われましたよ」

「私は……何もしてません」

「してくれました。あなたがレースで勝つたびに、自分でもびっくりするぐらい嬉しくて」

 

 この世界において、ウマ娘は国民的な存在である。誰もが関心を抱いて、テレビやラジオに耳を傾ける。そして好きなウマ娘の勝利には、自分のことのように喜ぶのだ。

 それは、彼女たちの努力を知っているから。怪我を乗り越えたことを知っているから。自然と、感情移入してしまう。ウマ娘には、人をそうさせる魅力があった。

 

 彼は缶ビールを飲み干したことに後悔する。もっとアルコールを入れれば、きっとたくさん彼女の話を聞けると思ったから。

 でも、そうやって話の内容を忘れるのも寂しい話だ。そういう意味では、酒を飲まずスズカと話してみたい欲が出てくる。

 

「これからですよ。きっと」

「これから……」

「楽しいことも辛いことも、これからです」

 

 スズカから見て、彼はまだ若い。

 チームスピカのトレーナーよりも若く見える。実際若いのだろう。だけど、彼の口から出てくる言葉はすごく大人びていて、儚い。

 彼女は思い返す。こうして、男の人と話をすること自体、珍しくて経験がないこと。トレーナーとはこんな話をすることなんて無い。

 

 この人は、どんな人生を送ってきたのだろう。どんなことを思って、感じて、考えて。これまで生きてきたのだろう。そして、これからどうやって生きていくのだろう。

 矢継ぎ早に紡がれる彼に対する疑問。そこで彼女は、彼が自分のことを見つめていることに気づいた。

 

「あ、あの……」

「え、あ、す、すみません」

「顔に何か……?」

「あ、いや、そ、そうじゃなくて」

 

 あからさまに狼狽える彼に、スズカは首を傾げた。そうなる意味が分からなかったのだ。

 

 追求の言葉は喉まで出かかったが、彼の顔を見ていると何だか可哀想になったようで。寸前のところでソレを飲み込んだ。

 

「あの」

 

 その代わりに、彼女はもう一つ気になったことを問いかけることにした。

 

「お名前を、教えていただけませんか」

「……言ってなかったですっけ」

「はい」

「そうですか」

 

 自分の名前に何の意味があるのだろうか。彼はそう思ったものの、ここでスズカの提案を断る理由もない。あの彼女が、名前を知りたがっているのだ。純粋に喜んでいいだろうと、言い聞かせて。

 

「ハルマです」

「……良いお名前ですね」

「あはは。ありがとうございます」

 

 彼、もといハルマは、照れ臭そうに笑う。

 もちろん、苗字はある。だが、ここでフルネームを言うことに妙な恥ずかしさを抱いてしまったのだ。

 だから、名前だけ。それでも、彼女は微笑んでくれた。こんなに胸は高鳴るモノなのかと、彼はただ寂しくなった口元を噛み締めた。

 

「何とお呼びすれば」

「お好きに。呼び捨てでも、なんでも」

「では、ハルちゃん」

「ちゃん!?」

「ふふっ。冗談です」

 

 「びっくりしましたよー」苦笑いする彼に、スズカは釣られて笑ってしまう。そこまで慌てなくてもいいのに、と。

 大切な親友でもあるスペシャルウィークと同じような呼び方にしてみたが、どうもしっくりこない。彼の疲れた顔にちゃん付けは、少し酷だったようで。

 

「桜はもう、散ってしまいましたね」

「そうですね」

「スズカさんは、桜好きですか?」

「えぇ。好きですよ」

 

 桜に限らず、綺麗な花というのは心を満たす不思議な力がある。スズカも、ハルマも、その力を持った桜が居ないことに寂しさを覚えた。

 

「こんなこと言うのも、変ですけど」

「はい」

「来年は、一緒にお花見しませんか?」

 

 ハルマは照れ臭さを隠すように、月にその想いを馳せる。今、自分はウマ娘を口説いている。そのように見えているだけで、実際には違う。これもまた、アルコールのせいなのだ。

 

「ここの夜桜は、すごく綺麗ですからね」

「お酒はいりません。二人でこうやって」

「楽しそうです」

 

 スズカは自然とそんな言葉を漏らした。

 自分でも不思議だった。ただ彼と夜桜を眺めるだけ。しかも、一年後の話だ。そんな先のことを考えたのは、現役中のレースだけ。プライベートのことで、未来のことを考えたことなんて無かった。

 だから、不思議だった。そう思うだけの根拠は少ないはずなのに、楽しそうだなんて言い切る自分が。

 

 緑の木々が風に揺れる。

 昼間は鳴いている鳥たちも、眠りについていて静寂の夜。聞こえるのは、風の音と、自身の心臓の鼓動と、彼の生きる音。心地良くて、目を閉じれば眠ってしまいそう。

 

「スズカさん」

「はい」

「そのためには、やっぱり互いのことを知る必要があると思うんです」

「……えっと」

 

 突然何を言い出すのだろう。彼女は戸惑いながら、ハルマの顔を覗く。紅潮している。またアルコールのせいだと、彼女は自己完結する。

 

「僕とお友達になってくれませんか」

 

 二度目まして、の見知らぬ男。

 ハルマとの出会いが、引退後の人生に何を与えるのか。今のサイレンススズカには分かるはずもない。

 

「プロポーズの次はソレですか?」

「何かすみません……」

「ふふっ。良いんです」

 

 一年後の約束を果たす為の願い。

 ハルマにとって、スズカは手の届かない場所にいる存在。それは引退した今でも変わらない。今日、この日が最後になってしまうかもしれないのだ。

 また来てくれる保証はない。ないからこそ、彼女のことを手放したくない。自分のモノではないのに、目の前に居る彼女は自分しか知らないサイレンススズカのような気がして。

 

「良いですよ。ハルマ君」

 

 彼は、一年後の夜桜を想う。

 

 





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