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本当にありがとうございます。
一目見て、スズカは心から安堵した。
立ち上がっている彼を見たのは初めてで、スラッと伸びた背。簡単に自身を覆い尽くすような大きな体に、自然と胸が高鳴った。
サイレンススズカにとって、この公園は特別だった。
誰も居ないこの時間、たった一人でこの世界を憂う彼の存在が異質で、人を寄せつけない雰囲気すら纏っていて。
あんな約束をしてしまったせいで、彼と会う機会が減ってしまった。それを彼女は、つい数分前まで後悔するハメになったのだ。
スズカが足を運んでも、彼の背中は無かった。いつも居る場所に、彼は居なかった。
晴れの日も、雨の日も、星が綺麗なあの日も、月が綺麗なあの日も。
毎日は来るな、なんて言われたから彼女なりに気を遣って来る日を選んだ。でも、それは最初だけ。後半の二週間は、毎日ここに来た。それでも、彼は居なかった。
スズカは何度も連絡をしようと試みた。でも、出来なかった。メッセージを打ち込んでは消して、打ち込んでは消しての繰り返しで。
たった一瞬。送信を押すだけ。慣れている行動のはずなのに、それが出来なかった。体がその行為を嫌がった。
このままだと、彼が死んでしまう。彼女の直感がそう言っていたのに。それを抑えつけるだけの威力が二人の約束にはあった、のかもしれない。
そして、今。星が見えないこの夜に、彼は居た。生きていた。生きていてくれた。ただそれだけが嬉しくて、キュッと握った拳が笑っていた。
「……もうっ。すごく疲れた顔を」
ただ一つ言えるのは、彼女から見てもそれ明らかで。最後に会った時よりもやつれていて、顔色も良くなかった。笑って言うが、スズカの内心はそんな余裕はない。
この人のことを放っておけない。このままだと、彼女が思う最悪の結果になってしまう。その使命感みたいな感情に突き動かされ、スズカは今この場に居るのだから。
ハルマが居ない時。
彼女は一人でベンチに座って、夜空を見上げてみた。それはすごく綺麗で、すごく寂しい。星が涙となって降りかかってきそうな錯覚すら覚えて。
こんな景色を、彼は見ていたのだろうかと思ったら、スズカの心臓はキツく締め付けられた。それはあまりにも、虚しくて何も無い。
彼と会ったのは、片手で数える程度なのに。スズカ自身、ここまでハルマに執着するのが不思議だった。それはきっと、使命感のせいだと言い聞かせて自己完結するが。
誰も居ない先頭の景色が好きだったのに、今は違う。彼と一緒に見る夜空の方が好きな事実に、彼女は背を向けたままだ。
「……ぐ、偶然ですね」
よそよそしい彼に、スズカはムッとした顔をする。頬は赤くなくて、テンションの低い。酒を飲んでいたわけではないと察する。ただすごく、煙草の苦味が鼻を刺激して、あまり良い心地はしなかった。
ベンチから立ち上がっていた、ということは彼はもう帰るつもりなのだろう。となれば、スズカはそれをさせない為に行動するだけ。
「……私、これでもすごく心配したんですよ」
「う……」
「その顔で辛くない、なんて言わせません」
抑揚が無いせいで、彼にも十分伝わる彼女の怒り。友達としての怒りだ。もっと頼ってくれと言わんばかりの想いが、この夜を走る。
ただそれは、スズカの勝手な理由であることには変わりない。
ハルマにとって、サイレンススズカとの関係は異質でしかないのだ。この寂れた視界に突如として浮かび上がった光の渦。その中心に彼女が居た。
あまりにも眩しすぎるのだ。見栄を張りたくてアルコールに身を委ねて会話しても、残るのは虚しさと後悔。
綺麗な星は、綺麗なままで居てほしい。こんな自分の影響を受けず、知らないまま燃え続けて欲しいのだ。
「……どうして」
「……」
「どうして君は、そんなにも綺麗なの?」
彼の言葉は、精一杯の皮肉でもあった。
自分のせいじゃない。君が美しすぎるのがいけないんだ、なんて言う言い訳。こんなモノ、誰も得しないというのに。ハルマの口から零れた本心は、この夜によく似合う。
唐突な発言であることに変わりない。スズカは戸惑いながらも、考えた。
褒められたとは思っていない。茶化していると理解していた。だから、真面目に返す必要なんてないのに、それが出来ないのが彼女なのである。
「綺麗だとは、思ってません」
「嘘だ。君は綺麗。眩しすぎるほどに」
大人しくしていた風が、動き出した。
煙草の煙もない、この世界。香るのは、彼のスーツに染み込んだ煙草の匂いと、スズカの甘い桃の香りだけ。混ざり合うはずがないのに、決して悪くはない。
真っ直ぐな想いが夜を駆ける。
面と向かってそんなことを言われたのは、初めてかもしれない。酒に酔っていないというのに、どうして彼はそんな甘い言葉を投げかけるのか。
「太陽は、こんな夜に顔を出すべきじゃない」
「ハルマ……君」
「不思議だな。酔っていないのに、ペラペラ話せるや」
それがきっと、一ヶ月分の想いなのだろう。それだけ考えに考え抜いて、彼女との在り方を彼なりに導き出したから。
でもそれは、彼女も同じなのだ。一ヶ月会えなかったのは、彼だけではないのだから。
「私が太陽……ですか」
「うん。君はそうだよ。この灰色を照らしてくれた、太陽」
初めて言われたそんなこと。でも不思議と悪い気がしなくて、スズカは微笑む。
面白い表現をする彼は、普通の人にはない感性があるのだろうと。それだけ辛い思いをして、周りを見てきたからこその感性が。それが寂しくもあり、感嘆する。
「でしたら私は」
「……」
「あなたを、照らしたいです」
風は眠っていて、よく聞こえるその声は。まさに太陽のように光り輝いて彼の目を眩ませる。
心臓がこれでもかと言わんばかりに跳ねる。体を巡る血液が沸騰する。酒を飲んでいないのに顔が紅潮していく。この曇った夜空が晴れていくように、心の靄が開けていく。
決して冗談なんかじゃない。彼女は本気でそう言っている。真っ直ぐな瞳。ハルマの心を優しく覗こうとする想い。そのどれもが優しくて、暖かくて。
「き、急に変なこと……言わないでよ」
「あれ、ドキドキ、してます?」
「う、うるさいなぁ」
ハルマはテレビやネットの中でしか彼女のことを見たことがない。お淑やかで上品な印象は変わらないが、こうやって無意識に男心をくすぐることを言う。
小悪魔と呼ぶには優しすぎる。変な意味はなく、本心で言っているからこそ、こんなにも胸が痛いのだ。
「放っておけないんです」
彼としても、構ってほしいわけではない。ずっと一人で生きてきたから、今更感の強い感情に身を委ねるつもりは無かった。
だけど、そんなことを言われたら。人間の欲求というのは、不思議なほどに素直だ。彼女の隣に居たいと強く思うようになった。
スズカが遠回しにそう言っているような気がした。隣に居ていい、弱音を吐いていい、だって友達だもの。言葉にせずとも、そう想いが溢れているような気がして。
「…………なら」
「はい」
「会いたい時に、連絡してもいい?」
「はい」
「何気ない時に、メッセージしてもいい?」
「もちろんです」
あぁ、不思議だ。この感覚は。
ハルマは空を飛んでいるかのように、体がふわふわと軽くなった。雲の上を歩いているように、体の力が抜けていく。
誰かに連絡する行為自体が面倒で、一人になりたいなんて思っていたのに。彼自身の本心を、スズカが引っ張り上げたのだ。
「ふふっ」
彼女もまた、不思議な感覚に浸っていた。
そう、先頭を走り抜けている時と似ている。風を切っている時のようなあの感覚。全く走っていないのに、不思議だ。
一ヶ月経って、ようやく連絡を取り合えること自体おかしくて、思わず零れた笑みもこの夜にはもったいないほど輝いていた。
彼女が微笑んだのには、もう一つ理由があった。
「タメ口」
「えっ?」
「さっきから敬語じゃなくなってます。それが少し可笑しくて」
可笑しいんじゃない。嬉しいのだ。どうしてそんな嘘をついたのか、彼女自身も理解していない。ただ素直に言うのが恥ずかしくなったのだろうと言い聞かせる。
咄嗟にハルマも「あっ」と手で口を塞いだ。ただ完全に無意識だったせいか、あまり罪悪感は無く。むしろ良い機会だろうと言い聞かせる自分が現れる始末だ。
「俺たちは、友達……だよね」
「はい。そうです」
「だったらさ……その……」
この際だ。このむず痒い感情に従うのも悪くはないだろうと。
「スズカ」
呼ばれ慣れている名だ。ウマ娘たちからも、男のトレーナーからもそう呼ばれていた。そう呼ばない人の方が珍しいぐらいで、それが彼女にとっての普通なのだ。
にも関わらず、彼からそう呼ばれたら心臓が痛む。レース前の独特の緊張感を再現するような鼓動の速さ。不快じゃない。むしろ心地が良い。
「ありがとう」
引退したウマ娘にとって、自身の存在意義を見出すことは困難なのだ。走ることしか知らない彼女たちからそれを奪い取ってしまったら。
そんな時、スズカは彼に出会った。きっとそれは運命だったのだろう。人々を熱狂させた彼女に向けられた神様からの新たな試練。彼女にしか出来ないことがあるということだ。
自身が居ることで、彼が生きたいと思ってくれるのなら。その支えになるのなら、それでも良い。それが今の自分に出来ることだと信じて。
でも、依存の関係になるのだけは嫌だった。
彼とは、もっと信頼できる関係でありたいなんて、深層心理に気づくのはほんの少し先の話。
「ずっと立ちっぱなしでしたね」
照れ隠しで咄嗟に紡いだ言葉にしては、上出来だった。鼻を鳴らしたくなる気持ちを抑えて、エメラルドグリーンの瞳がハルマの瞳に吸い込まれる。
「あぁそうだった。……どうする?」
「もう少しだけ、お話しませんか」
さっきまで煙草を吸いたくて仕方のなかったハルマだったが、その感情はすっかり消え去っていた。
サイレンススズカが隣に居るのだ。今はそれだけで十分じゃないか。彼女と話しているだけで、世界から切り離された感覚になれるから。
「お酒飲んでも良い?」
「もう。せっかく酔ってないハルマ君と話せたのに」
「一生のお願いだよ」
「ふふっ。良いですよ」
彼は勢いよく喉に流し込む。温くなった缶ビールがこんなにも美味しく思えたのは、生まれて初めてだった。
雲の切れ間から、星が二人を照らす。それはまさしく、遅れてきた青春のよう。
新たに評価してくださった皆様(敬称略)
・松ノ葉・FROSTY=BLAKK・てとらさいくりん・※あくまで個人の感想です・梅矢・流星の如く
ありがとうございました!