十五夜にプロポーズでも   作:ちゃん丸

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 ルーキー日間1位いただきました。

 ありがとうございます!




わがまま

 

 

 

 夏の大三角が姿を見せる季節に、二人は肩を並べている。星明かりに街が照らされて、いつもより明るい夜。沈黙がその夜に溶け出す。でもそれは、この世界にとって決してマイナスなモノではない。

 二人の想いが詰まった沈黙は、彼らが思っている以上に美しいのだから。

 

 少しずつではあるが、連絡を取り合うようになった二人。この日は、出会ってから初めて約束をしてこの公園にやってきた。

 

 相変わらず仕事終わりの彼は、ヨレヨレのワイシャツを着ている。ただこの季節。ネクタイとジャケットを羽織っていないのがスズカの目には新鮮に映る。

 

 梅雨が終わり、夏になる。それでも世界の空気は湿気を帯びていて、素肌に纏わりつく感覚は決して気持ちの良いモノではない。

 それを掻き消すために、彼女は走っていた。この湿った空気を破裂させるが如く、風を切り裂いていた。その感覚が好きだった。

 でも、もうそれは出来ない。レースに出て、誰よりも前を行く景色を見ることが出来ない。

 切なくて、あの頃に戻りたい。たった数年前、希望に満ち溢れたあの頃に。チームスピカで協力し合い、励まし合い、高めあったあの頃に。

 

「悩み事?」

 

 記憶の旅から呼び戻したのは、彼の声だった。スズカは肩を揺らして、右隣にいるハルマの顔を見る。心配そうに、でも優しい表情で自身のことを見つめていた。

 ウマ娘としての意義を見出せずにいる彼女の前に、常に彼は居た。居場所を求めるように。そして、同じように居場所を求めるサイレンススズカに出会ったのだ。

 

「ごめんなさい。ボーッとして……」

 

 咄嗟に出てきた謝罪も、建前に過ぎない。

 本音を言えば、彼は何と答えてくれるだろうか。どんな優しい言葉を掛けてくれるだろうか。それが素直に出来たのなら、信頼というのはいとも簡単に構築されるはずなのに。

 

「また存在意義について考えてたんだ」

「……またって言わないでください」

 

 「ごめんごめん」笑いながら謝る彼に、スズカはムッとした表情。こっちは真剣に悩んでいるというのに。

 あんなに疲れて、落ち込んでいた彼とは思えないほど余裕を感じていた。良いことでもあったのだろうか、なんて考えているうちに、ハルマの言葉が空気に触れる。

 

「良いじゃん。走れなくたって」

「そんな簡単に……」

 

 確かに簡単だ。この苦しみは本人にしか分からない。それはハルマにしても同じで、所詮は他人なのだ。当事者の辛さを共感することにも限界というものが存在するわけで。

 友達であろうが、恋人であろうが、それは同じ。心に土足で踏み入れられて良い気持ちの人間は居ない。ウマ娘も同じだ。

 

「一人で考えても、答えは出ないよ。きっと」

 

 でも、そうなのだ。

 一人で考えれば考えるほど、答えからは遠ざかっていく。共感に限界があるというのなら、個人の思考にも限界は存在する。そしてそれは、個人差が激しい。

 考えられないから、誰かの力を借りようとする。助けてほしいと願う。そうしないと、心が壊れてしまうから。

 

 彼だってそうだ。そう言っておきながら、自身に言い聞かせているようなモノ。助けてほしいと声を上げられない自分にとって、スズカの存在は異質で、希望なのだ。

 

「なら、私はどうしたらいいの」

 

 やり場のないストレス。走ることを捨てた彼女にしか分からない痛み、苦しみ。息が出来なくなるような重さ。

 心臓は動いているのに、その鼓動を感じたくない。こんなに綺麗な夜空には不釣り合いの感情の波が押し寄せてくる。誰にも向けていない投げやりな言葉となって。

 

 ハルマから見て、こんな彼女を見たのは初めてだった。いつも励まされる立場だったからか、すごく新鮮で、不思議な感情が湧き出てくる。

 初めて会ったあの日。涙を流したスズカとは違う彼女だった。心が押し潰されそうな。

 だから、手を差し伸べないといけない。彼女のために、何か言葉を掛けてあげたい。考える。これまでスズカが助けてくれたように、なんとかしたいと。

 

「まだ、走りたいの?」

 

 混沌とするスズカの心は、まさに感情がごちゃ混ぜになっていた。自分が何をしたいのか、どうするべきなのか、どうあるべきなのか。色々と考えてしまって、収拾のつかない胸の中。

 でも、ジンジンとした痛みが、少しずつ引いていく。彼の言葉がそうさせた。冷静さを取り戻させた。

 走りたい、そのはずなのに。頷けなかった。「走らないといけない」と思っているのに「走りたい」とはならなかったのだ。

 

 なら、この感情は何なのだ。

 ウマ娘である存在意義を求めているのに、走りたいとは思わないなんて。自身は、何のために存在し、今ここに居るのだろう。

 

「……分からないです」

「なら、それで良いじゃん」

「モヤモヤしたままです」

「良いんだ。それで」

 

 「どうして?」思わず問いかけた彼女に、ハルマは笑って見せた。

 

「いつか、靄は晴れるよ」

「……根拠はありますか」

「ない」

 

 即答する彼に、スズカは呆れたように笑った。でもそれは、適当なことを言って励ましているわけではないと。彼女なりに受け止めていた。

 現役中も、骨折して絶望感に襲われたこともある。その時に近いようで遠い感覚。出来ればもう味わいたくない感情。そんな上手くいかないのが現実というやつだ。

 

「少なくとも今は、一人じゃないから」

 

 彼の言葉に、スズカは何も言わなかった。

 そんな改まって言われると、彼女としても返答に困ったのが本音。少し照れ臭くて顔を背けてみたりした。でも、この高鳴りは収まりそうになかった。

 酒に頼り切っていたハルマも、彼女が隣に居る間は全てを忘れられた。何も考えず、二人だけの世界に溺れられる。アルコールに酔うより気持ち良くて、次の日まで残る清涼感が好きだった。

 

「聞いても、いい?」

「……はい」

「どうして、引退したの?」

 

 蒸し暑い空気が肌に纏わりつく。

 不快だ。思い切りこの空気を切り裂いてしまいたい。そう思うのに、脚は動こうとしない。まるで抜け殻だ。

 こんなにも夜空は美しいのに、遠い手の届かない場所は綺麗なのに、自分たちが住む世界はどうしてこうも、不快になるのだろう。

 

「…………それ、は」

 

 もう、逃げきれない。

 迫り来る彼女たちから、逃げ切ることが難しくなった。先頭の景色を譲ることになってしまった。ウマ娘にとって、常にピークを保つのは難しい。本番に向けて調整するが、ちょっとしたことで調子を崩す。スズカはここ数年、その繰り返しであった。

 彼女の細い脚には、常人では考えられないほどの負担がかけられていた。骨折した時だって、スペシャルウィークのファインプレーが無ければ命を落としていたかもしれない。

 

「……負けたくないと思ったから」

 

 それを強がりと笑う人間も居るだろう。自身の限界を認めたくないが故の。

 でもそれが、ウマ娘の本質なのだ。負けたくない。誰よりも速く、一歩でも、一秒でも前を走りたい。そのために、日々の鍛錬を怠らない。たったそれだけのために。それが、彼女たちの本能である。

 

「もう、走らなくていいさ」

「え………?」

「歩いて見る景色も、悪くないよ」

 

 自身の言葉を否定もせず、肯定もしない。

 走らないでいい。それはウマ娘の存在を否定するような言葉。それなのに、それなのに。スズカの心にスーッと吹く風。優しくて暖かいさっぱりとした風。

 走らなくても、この人は認識してくれる。私のことを、一人のウマ娘として見てくれる。それが分かった気がして、スズカは咄嗟に空を見上げた。

 

「星がよく似合うね。スズカって」

「急になんです……?」

「いや。思っただけ。嫌だった?」

「そうじゃ……ないですけど」

 

 彼女から見て、ハルマは大人だった。

 落ち着きと、辛さを隠そうとする様子。決して子どもではないのに、子どもに見られているような気もしないでもなかった。

 

「こうしてゆっくり、考えていこうよ」

「ゆっくり……」

「どうせ、最後は死んでしまうんだから」

「ハルマ君」

「生き急いでも、良いことなんてない」

 

 その通りなのに。

 スズカは、素直に頷けなかった。彼の発言に違和感を覚えてしまったから。その違和感というのは、出会った時からずっと感じていること。

 あの後ろ姿が訴えていた。もう死んでしまいたいと。今の彼を見ているとそうは見えないが、きっとまた、あの日のようなハルマに出会うような気がして。

 

「死なないで」

「えっ?」

 

 そう言われたハルマは、キョトンとした表情で彼女を見つめた。急に何を言い出すのだろうと思いながら、心のどこかではドキリとしていて。誤魔化すように笑った。

 本当に辛くなった時は、きっと。彼女が言った選択肢を選んでいたであろう。でも今は違う。サイレンススズカの存在が、彼を少しずつ変えつつある。

 

「生きるだけでも疲れるよね」

「……そう、ですね」

「でも、今は楽しい」

「……はい」

 

 生ぬるい風は吹こうとしない。木々が揺れることもないから、互いの声がよく聞こえた。

 酒も飲まず、煙草も吸わない。そうやってこの夜を過ごしたのは初めてだ。こんなにイライラしない夜も、いつぶりだろうと彼は考えた。

 

 約束をして集まったところで、出てくるのは不安と愚痴。それは互いに分かっていた。それをぶつけるために集まっていることも。

 だがそれらは、香ばしくて喉が渇くような感覚に陥らせる。アルコールでは、満たされない渇きだと。

 

 本当に、雲一つない綺麗な夜空が二人を眺めている。天体観測にはもってこいの環境で、二人は空を見上げることなく、ただ互いの呼吸を感じていて。

 ペースの違う呼吸音が切なく鳴る。空気を揺らす。これまで聞こえなかった心の音まで響き渡るようで、それだけ互いが互いを想っている。

 

「あの日」

「はい」

「スズカが話しかけてくれたから、今があるんだよ」

「……はい」

 

 話しかけなかったら? 

 とは聞けなかった。聞いてしまったら、彼女が一番聞きたくない言葉を浴びてしまうと思ったから。

 でも、今がある。もしものことを考えたところで、得られるモノはない。今、スズカの隣にはハルマが居て、ハルマの隣にはスズカが居る。それだけで、十分じゃないか。

 

「もう少し、生きてみようかな」

 

 本当に彼は、疲れているのだ。

 その原因が仕事にあるのなら、生きていくために働くのはどれだけ大変で、心を締め付けるモノなのだろう。ウマ娘には分からない苦しみを、彼もまた抱えて生きている。

 だから彼女の口から「もっと生きて」とは言えなかった。それはきっと、ハルマの胸を締め付けることには変わりない。

 

 だから「死なないで」と咄嗟に出た言葉は間違いじゃなかった。生きていて欲しいだけ。苦しむ必要なんてない。ただ、毎日訪れるこの夜に、隣に居てくれたらそれで。

 

「私は、声を掛けて良かったと思ってます」

「うん。ありがとう」

「ただ何もせず、こうして話したり、夜空を見るだけで、世界の全てを理解した気になれて」

 

 地球に合わせて人々の生活も廻る。季節は巡り、歳を取り、そして死んでいく。

 人間もウマ娘も、儚くて尊い生き物だ。死にたいなんて思っていても、心のどこかでは「生きていたい」と本能が叫ぶ。助けを求めることが出来ないから、人は一人で死んでいくのだ。

 同じ場所に居たハルマを、引っ張り上げようとしたのは彼女自身。差し出した手を、彼は素直に掴んでくれた。

 

「二人だけの世界も、悪くはないね」

 

 急にそんなことを言うから、スズカは恥ずかしくなって。

 色々な意味が込められているその言葉は、彼女にとって重くて軽い。炭酸のように思考が溶けていく。

 そうですね、と肯定したら彼はどんな顔をするだろう。照れて笑ってくれるだろうか。可愛らしくクシャッとした笑顔を見せてくれるだろうか。

 

 分からないから、星を見つめた。

 

 





 新たに評価してくださった皆様(敬称略)
・酒狐仁・ヨブ・名無しさんです・サバ缶12号・粉みかん ・七哥・裏人・UnkTyan・イガラ・Altori・こまいぬ80°・デュラ

 ありがとうございました!

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