十五夜にプロポーズでも   作:ちゃん丸

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わすれた

 

 

 映画を観たのは二人とも久々だったせいか、終わってからは話が止まらなかった。

 恋人同士で観るような恋愛映画でも、不思議と違和感なく、意識せず。近くの喫茶店でまったりと感想を言い合い、夕焼けが差し込む店内に溶け込む。

 

 「これからどうする?」なんて聞く彼の顔は、少しだけ夕焼け色をしていた。体温が上がっているのか、羽織っていた薄いジャケットを脱いでいる。

 

「晩ごはん……には少し早いですね」

「映画観た後のことは正直何も考えてなくて……」

「ふふっ。いいんです」

 

 彼は申し訳なさそうに頭を掻く。その仕草がすごく子どもっぽくて、スズカは微笑んだ。

 

「デートなんて久々だったから」

「久々……ですか」

 

 何気ない彼の一言。悪気も何もない。返答すら期待していない言葉。それが、彼女には引っかかった。

 気になったのだ。途端に。彼の過去に。どんな景色を見てここまで生きてきたのか。どうしてこんなに、疲れ切った毎日を過ごさなければいけなくなったのか。

 ここが喫茶店で良かった。スズカは安堵する。どんなに時間が経っても、彼の話を聞けるから。

 

「デート、いつぶりなんですか?」

「え? まぁ……」

 

 言うのは簡単だと分かっていた。

 だが、過去のことをスズカに向けて言うのは気が引けた。そう聞いてしまうような会話になったのは、自身のせいだと理解していたが。

 

 そう思ってしまうこと自体、躊躇ってしまうこと自体が、彼の答えだった。

 ウマ娘である前に、一人の女性。彼女に過去の恋愛を言いたくないということは、今。目の前にいるサイレンススズカを異性として認識してしまっている。

 出会った時からずっとそうだった。デートなんて言ってしまう時点で、彼自身も分かっていた。彼女に嫌われたくないと。

 

「……ハルマ君?」

「あ、えっと、な、なんか言いづらくてさ」

「どうしてですか?」

「君には言いたくないなぁ……なんて」

 

 スズカは首を傾げた。

 彼が狼狽える理由が理解できなかったから自身から目を背けて、窓の外を見つめる彼。隠し事をされているようで、あまり良い気はしない。

 

 そもそも、彼女には恋愛経験が無い。走ることが生き甲斐だったスズカにとって、生きていく上で必要のないモノだったのだ。

 走れる環境があって、指導してくれるトレーナーが居て。仲間にだって恵まれた。その充実した日常に、恋とか、愛とか。つけ入る隙は無いのは目に見えていた。

 

 ただ、ウマ娘だって恋愛はする。人間と結婚して子どもだって授かる。そうやって、現代社会に馴染んでいき、その命を全うする。だからこそ、今この瞬間まで、ウマ娘の連鎖は途切れなかったのだ。

 

「言いたくない理由があるんですか?」

「……まぁ」

「そうですか」

 

 だから、彼女には分からない。彼が今、気を遣っているということを。それを、ハルマは察することが出来た。

 そもそもの話、ウマ娘が現役中に誰かと恋に落ちたとか、結婚するなんてニュースが流れたことがない。それだけ必要の無いモノなのだ。彼女たちの本能は、根本的に人間とは違う。レースに出る役目を終えて、ようやく違う欲求が出てくるモノ。

 

「そういうモノなんだよ」

「でも、気になるんです」

「どうしてさ」

「……わ、わかりませんっ」

 

 スズカが抱いているこの苛つきは、彼に対する感情では無かった。

 自分自身に向けられた、気持ちの悪い思い。胸の中をふわふわと舞っている花びらのような。これが感情のカケラだとしたら、一つずつ集めてひとまとめにしないといけない。考えるだけで気が遠くなる。

 

 ハルマとしても、考えた。別に付き合った人数だったり、過去のことを言うのは普通でもある。彼の気にしすぎと言えばそれまでだが。

 何より、スズカに隠すのもどうかと考えたのだ。嘘を吐くつもりはないが、本当のことを言って引かれたくない。別に引かれるような恋愛はしてないが、ウマ娘がどう捉えるかがよく分からなかったから。

 

「二年ぐらい前だよ。職場の同僚だったかな」

「同僚だった……?」

「うん。その子、それからすぐ辞めちゃってさ」

 

 そう言う彼の瞳は寂しそうで。

 奥が揺れているようにも見えた。

 無理矢理、聞いたのは不味かったのかな。なんて彼女は考えた。でも、それを振り払ってくれたのはハルマ本人だった。

 

「別に隠すつもりも無かったし。そんな顔しないでよ」

「ご、ごめんなさい。自分から聞いておいて」

「良いって良いって。そんなもんだからさ」

 

 スズカは、いかにウマ娘という存在が異質で、特別なモノか。今この瞬間、痛感した。

 知らなさすぎた。こういう時に、何と声を掛けてあげるべきか。きっと、スズカ以外の女性であれば、気の利いたことを言えるのだろう。

 

 胸が痛い。他のウマ娘と比較しても決して大きくない胸の中で、不快すぎる感情が大きくなっていく。チクリと心臓を刺しているみたいで、顔を背けても、咳払いしても、消えることはない。

 

「……その人とは、どういうご関係に」

「まぁ……彼女に。その子が会社辞めたタイミングで別れたけどね」

「そう、ですか」

 

 聞かなければ良かったと後悔しても遅い。話の流れからしても、スズカの問いかけはあまりにも自然で、答える気が無くてもつい答えてしまうぐらい。

 知りたかったけど、知りたくなかった。こんな複雑な感情になるなんて、思いもしなかった。

 

 骨折をした時、入院中抱いていた感情に似ていた。

 早く走りたい。風を切りたい。地球の果てまで続いているような、あの緑の芝生を踏み込むあの感覚。空気に溶け込んでしまうようなあの、サイレンススズカ本人にしか分からない感触。

 でも、それが怖かった。本気で走ってしまえば、また骨折してしまうのではないか。そして、次の怪我が、ウマ娘人生において最後になると。自身で分かっていたから。

 

 その時は、チームスピカのメンバーたちが居てくれた。だから乗り越えることができた。でも、今は居ない。居るのは、目の前にいる彼だけ。

 

「……スズカ?」

「その人が居なくなって、何か変わりましたか?」

 

 胸に刺さったままの針は、まだ抜けそうにない。でもそれがあるから、思っていることをスラスラと問いかけることが出来ていた。

 ハルマは考える。思い出す。あの時の記憶と、感情を。でも、あまり良い気はしなかった。

 

「まぁ……つまらなくなったよ。日常が」

 

 その子と別れるまでは、それなりに楽しい毎日を過ごせていたのだと、今さらながら気づくことになった。

 それだけ、彼の日常に彩りが無かった。華もなければ、優しさの桜色も無い。ただただグレー色の毎日が、ハルマの視界を覆い尽くしていた。

 でも、目の前の彼女はどうだろう。グレー色に染まっているだろうか。いや、染まるどころか、輝いている。だって、彼にとってのスズカは、太陽なのだから。

 

 あぁ、懐かしい。この気持ち。

 暖かくて、優しい。

 

 夜。星空の下だから輝いていたわけじゃない。彼にとってのサイレンススズカは、まさに太陽そのものなのだ。ずっと、朝も、夜も、雨の日も、霧の日も。ずっと自身を照らしてくれる太陽だ。

 

「コーヒー、冷めちゃいますよ?」

「え、あ、あぁ……」

 

 見惚れていたとは言いたくなくて、促されるままにブラックコーヒーに口づけを。

 もう冷めてるとは言えなかった。せっかく気を遣ってくれたのに、なんて。それを一気に流し込むと、スズカは少し驚いた顔を見せる。

 

「でももう、過去のことだから」

「ありがとうございます。教えてくれて」

「今は、今で楽しいから」

 

 笑っている。あの彼が、優しく。

 酒で誤魔化した笑みではない。心の奥に眠っていた感情が、表に出てきたかのよう。夕陽に体を預けているような暖かさ。スズカは少し視線を逸らしてストローに口づけた。

 流れ込んでくるオレンジジュースのように甘くて、不思議な想い。この胸の高鳴りは、彼のせいではないか、なんて毒を吐く。

 

「スズカにはある? そういう経験」

「私は……走ることしか考えて無かったので……」

「そっか。ならこれからだね」

 

 恋愛を知らない彼女にとって、恋という感情を理解するハードルはあまりにも高かった。

 人を好きになる、というのは誰も同じではないか。スペシャルウィークをはじめとするチームスピカのことが大好きなのは事実。でも人にそれを言えば、それは恋ではないと言うだろう。

 なら、なんなのだ。恋とは。愛とは。

 人は、学校生活などを通じて学んでいくもの。ただスズカにとっては、不必要なものであった。だから知りたいという欲求すら生まれなかった。

 

「あの……ハルマ君」

「なに?」

「恋とは、何なのでしょう」

「随分と哲学的なことを聞くね……」

「分からないんです。私はこれから、どうするべきなのか」

 

 それがどうして「恋」に結びつくのか、ハルマは理解できなかった。

 しかし、レースを奪われたウマ娘にとって、この現代社会に溶け込まなければならない現実もある。適当に答えるのは気が引けた。

 

「恋は……心臓が痛くなるよ」

「ドキドキするという意味ですか?」

「それもあるけど……それだけじゃないな」

 

 かつての経験を思い出しながら、改めて考えてみる。恋とは何なのか。どんな気持ちを抱くモノなのか。

 そして、紡がれた結論は、一言では纏まりきれなかった。

 

「嫉妬したり、独占したくなったり、色んなことでドキドキするんだ。もちろん、好きすぎてすることもあるよ」

 

 拙い説明だったせいか、スズカは首を傾げている。だがこれ以上、上手く説明出来るほど彼は噛み砕くことが出来なかった。

 

「と、とにかく。ずっとこの人と一緒に居たいって思ったら……?」

 

 目の前の彼女を見て、言葉が詰まる。

 今、紡ごうとしているモノは。一緒に居たい、と思ったらそれは。

 心臓が跳ねる。痛くなる。綺麗なスズカの顔を見るだけで、胸が苦しくなる。

 

「ハルマ君?」

「な、なんでもないよ。い、行こうか」

 

 これを恋だなんて、呼べるわけがない。

 サイレンススズカには、もっと良い人がいる。自身よりも、逞しくて、優しくて、全てを受け入れてくれる人が。

 

 席を立つ彼の背中は、寂しそうだった。見つめるスズカの胸は、高鳴ったまま治らない。

 ハルマが生きているだけで、嬉しくて。必死になって彼を繋ぎ止めているのは、自分のような気がしていて。それが、独占欲というのなら。この想いは、叶うことはない。だって彼は、独占されることを嫌がっているから。

 

 だから、これを恋だなんて、呼べるわけがない。

 

 

 





 新たに評価してくださった皆様(敬称略)

・K2W/TAKUTO・御共 子雀・ませう・閑人02・小説大介・Komash・kuratomo

 ありがとうございました!

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