トレーナーになれない新人トレーナー 作:おぶなむ
新人トレーナーが、ウマではなくウマ娘と呼ぶようになってしばらくが経った。
現在の彼は、例の一人部屋を卒業して、先輩トレーナーたちのサポートとして日々を送っている。
相変わらずペアは見つかっていないが、夏のメイクデビュー組は既にチームに所属しているし、秋以降のグループはまだまだ様子見……と、今がちょっとした空白時期なことが一番の理由だ。
ベテランでも、この時期に専任のウマ娘がいないトレーナーは珍しくはない。
とはいえ、そこに新人が、という条件を入れれば途端にレアケースになるのは仕方ないことだろう。
まぁ、彼の場合は、
『えっ、あのゴールドシップさんに蹴られて喜んだ人……? あの、ごめんなさい』
という事例も何件かあったわけだが。
「ひでぇ話だ」
思い出し毒づきをするトレーナー。
「何が酷いって?」
「先輩。いや、ゴルシのせいで酷い噂が流れたなと」
「代金としちゃ良心的だろ?」
「そりゃそうですが」
先輩トレーナーはからりと笑うと、彼の背中をバシバシと叩く。
フィジカル勝負のウマ娘に付き合うだけあって、大体のトレーナーは身体能力も高い。
下手をするとむせそうなのを抑えて、新人は先輩に資料を渡した。
「さっきの模擬レースのラップタイムです。やっぱり3コーナーの息の入れ方が課題では……」
「……そうだな。もう少し脚を貯められれば、最後の直線で伸びる。思い切って追込を試すか?」
「うーん……どうでしょう。そこまで瞬発力とパワーがあるようには見えませんが」
「やっぱそうかぁ……。お前の分析は当たるからなぁ」
先輩はどうしたものかと考えつつも、わかった、と頷いて担当ウマ娘の元へと向かう。
少しずつではあるが、新人トレーナーとしての彼の眼力は定評を得つつあった。
彼はウマ娘をある程度観察すれば、その能力を見抜くことができる。
大まかに、スピードやスタミナといったステータスの現在値と上限値が見える、と思えばいい。
幸いにして、トレセン学園にはトレーニングのノウハウが豊富だ。
どの能力に対してどんな練習メニューを組むべきか、については確固たる指針がある。
基本的にはそのメニューに従い、武器となるべき技術を並行して磨いていく……というのが通常の練習カリキュラムになる。
優秀なトレーナーは、ウマ娘のどこを伸ばすべきか、あるいはどこを補うべきかを見抜く能力に優れている、と言われる。
その意味では、新人トレーナーはとびきり優秀な部類だと言えるだろう。
だが、これが一部の選ばれたトレーナーになると、何気ない日常の一幕から『トレーニングのコツ』なるものを見出して、ダイレクトに能力を上げたり技術を身に着けさせたりするというが……流石にその域には達していない。
ところで。
トレセン学園の生徒はウマ娘しかいない。いわば女子校である。
それに対して、トレーナーは男女の別がない。
一部の不埒な男性トレーナーが、うら若きウマ娘を毒牙にかける……といった心配はしなくていいのだろうか?
結論から言うと、その心配はない。
これは単純に、ウマ娘とトレーナーとでは、基礎能力が違いすぎるからだ。
か弱い少女に見えても、その実巨大なタイヤを引っ張ってkm単位で走るなど、どこぞの地上最強の息子もびっくりなスペック。
ウマ娘のちょっとした照れ隠しで突き飛ばされてむち打ちに……みたいなことも、珍しい話ではない。
『男のトレーナーはまず首を鍛えろ』とは、冗談交じりに語り継がれる真理でもあった。
新人トレーナーもそれは承知をしていたところだが、冗談以上のものとは捉えていなかった。
何故かというと、彼はウマ娘を通して競走馬を見ていたからだ。
今は、ウマ娘を見ている。
顔が良すぎて気が散る――などという、限界オタクのような悩みが生じ始めていた。
「私に相談ですか?」
珍しいですね、と桐生院葵が笑っている。
彼女の担当であるところのハッピーミークは、夏のメイクデビューを控えて最終調整の段階にある。
といっても、課題の洗い出しは既に終えており、後は大過なくレースを迎えるのみであり、今日は休息日だそうだ。
「最近気づいたんだが……」
「はい」
「ウマ娘って美人しかいなくない?」
ウマ娘というのはアスリートであると同時にアイドルでもあり(一応彼はうまぴょい伝説を踊ることができる)、容姿に恵まれているのはある種前提条件とも言える。
改めてフィルターを通さずにウマ娘を直視した結果、彼はこの事実にようやく気づいたわけだ。
そんな新人トレーナーの問に、彼女は何言ってんだコイツという目をする。
「もしかして、誰か気になる子でも?」
これを恋バナの気配と捉えたのは、彼女の善性故だろうか。
彼女としてもお年頃であり、その手の話題は嫌いではない。
トレーナーとしてはあまり推奨されることではないが、パートナーと結ばれる事例というのは時々あるのだ。
「……何と言うか、そうだな、改めて認識するとギャップがスゴいと言うか……あー、桐生院さんはペットとか飼ってる?」
「はぁ、ペットですか? 実家に犬はいましたが……」
「その犬が、ある日突然美少女になったような……いや、違うな……」
「……ええと」
何言ってんだコイツ。彼女はそんな目をしている。
最近は忙しいと聞くし、もしや疲れているのだろうか。
これを、病気だろうか、と思わない辺りに彼女の人柄の良さがあるのだろう。
「コホン。つまり、ウマ娘の皆さんが可愛すぎて、どう接したらいいかわからない、ということですね?」
「そうかな……そうかも……」
あの発言をどう好意的に解釈したのかはともかく、この指摘は間違いとも言えなかった。
「わかります! うちのミークも本っ当に可愛くて! でもだからこそ、私がこの子を輝かせるんだって気持ちにもなれるんです!」
トレーナーの鑑だ。内心で男は拍手を送る。
そして、なるほど、と納得もした。
彼女にしてみれば、ウマ娘が美人だの可愛いだのとは当然のことであって、今更それでどうこうというのはないわけだ、と。
(まだ駿川さんに相談した方が良かったか……?)
目の前で、ミークがいかに可愛く素晴らしいウマ娘であるかをプレゼンし始めた同期に、彼は若干後悔する。
とはいえ、仮に駿川たづなに相談していたとしても似たような後悔はしていたに違いない。知らぬが仏というやつだ。
(ゴルシやタキオンくらい個性が強けりゃ、そっちに目が行くんだがな)
プレゼンに対して適度に相槌を入れながら、少しだけ二人を担当する自分、を想像してみる。
「無理だわ」
「そうです! 私も最初は無理だと思いました! でも――」
目の前では熱いハッピーミーク推しが続いている。
それを視界の隅で捉えながら、ゴールドシップの気まぐれに振り回される自分、アグネスタキオンの実験に巻き込まれる自分、そんな光景が彼の脳裏に交互に浮かんでは消えた。
あるいは、選ばれたトレーナーであれば、そうした気まぐれや実験からも、トレーニングのコツなるものを見出だせるのかもしれないが……。
益体もない想像を打ち切り、彼はふと気づく。
「……名前の次は外見が気になった、か」
そう言葉にしてみると、非常に薄っぺらな悩みだ。
それと比べて、目の前でミークの魅力を語り続ける桐生院葵の、トレーナーとしての素地の厚さよ……と言ったところか。
「『新人』を返上できる日は遠そうだ」
「――はっ!? す、すいません、私、ミークのことになるとつい熱くなってしまって……!」
「ああ、いや。参考になった。本当に」
「そ、そうですか……?」
なら良かったです。
そう微笑んだ彼女に礼を言うと、彼は部屋を辞した。
帰り際、何故か水族館行きを打診されたが、予定はどうだったろうか。
トレセン学園の外に出るのも、今の自分には良い刺激になるかもしれない。
一人で頷きながら、新人トレーナーは夜の帳が下りた空を見上げた。
夏がやってくる。
書き上げてから「何でこんな内容を女性に相談してんだ」と気づいてももう遅い!