トレセン学園の三月。
それは関係者ならば最大の警戒を以て過ごす一か月となる季節である。
胸に秘めた想いを告げられず、トレセン学園を卒業する事でレース業界から身を引かざるを得ないウマ娘たちがウマっ気を一気に放出しだすのだ。
イメージ的には、母性を暴走させたスーパークリークがたくさん居るイメージで間違いはない。
タマモクロスなら精神的ショックで本当に幼児となるレベルの地獄であった。
そして、普通のウマ娘らにとっても卒業というイベントは大きな意味を持つ。
昨年のシンボリルドルフの卒業もそうだったが、偉大なるスターの卒業というのは衝撃を伴うものだ。
今年の卒業生で際立ったものを上げれば、エアグルーヴ、ファインモーション、メジロライアン、サクラバクシンオー、そしてミホノブルボンである。
それらの、多くの後輩らに慕われる生徒たちの卒業や暴走は、新生徒会にも教員にもトレーナーにも悩ましい出来事となっていた。
「―――で、どうするんだ?」
「それはお前が考えることだぞ、ブライアン…」
生徒会室。
そこでは新生徒会会長を務めることになったナリタブライアンと卒業を控えるエアグルーヴらと他の生徒会メンバーが顔をつき合わせている。
皆が皆一様に頭に片手をやる中、ナリタブライアンは腕を組んで遠くを見ているように視線を投げている。
明らかに考えることを放棄したその姿に、エアグルーヴはまた片頭痛を覚えていた。
「我々が卒業することでの混乱はまだ直ぐに収まるから良いが、トレーナー関連の混乱は長期化するんだぞ」
「そんなこと言われても、言って聞くなら例年こうも悩まないだろう?その都度対応が一番じゃないか?」
「貴様はどうして”結果的にはそれが正しかった”ような感じで話を先に終わらせるのだ……自分に当てはめて考えてみろ、お前のトレーナーがもし襲われたりしたら―――」
「そんなことしてみろ、食い殺してやる」
小さく、一言。
だがその一言で生徒会室に居たウマ娘たち全員が総毛だつ。
闘争心と勝利への渇望を隠さないウマ娘であるナリタブラインの戦意を殺意に変えるだけで、周囲の者は生存のための警戒を最大限に引き上げている。
彼女の姉のビワハヤヒデを呼ぶか、と生徒会のウマ娘がエアグルーヴにアイコンタクトをやるが、エアグルーヴはそれを目線で制していた。
「落ち着け馬鹿者……お前は会長と同じだ、お前からトレーナーを奪おうなんていう命知らずはおらんよ」
「そうか?……なら契らんでも良かったのか?」
『ちょっと待て』
全員から突っ込みが入った。
キョトンとした顔で目を丸くするナリタブライアンに「いやいやいや」と全員が首を振る。
仮にも生徒会長になる、とかなり前から言われてたウマ娘がそんな、と一抹の希望を込めて全員がエアグルーヴに視線をやる。
もうすぐ卒業なのに胃薬の量が増えそうになる予感を感じながら、エアグルーヴは静かに問いかけていた。
「おい、ブライアン……冗談はやめておけよ」
「ん?……ああ、学園では”うまぴょい”って言わなきゃダメだったか?」
『違う、そうじゃない』
ダメだった。確定でうまぴょいであった。
もうエアグルーヴはやる気が下がるとかそういう段階じゃない。
「み、水…」と、世紀末救世主よろしく手を伸ばしたその手に生徒会のウマ娘がぬるま湯と胃薬を渡していた。
最早慣れた手つきで胃薬を飲み込むエアグルーヴ。
その姿は女帝と言われるものではなく、中間管理職めいた悲惨さがあった。
「はぁー…はぁー……お前…お前……」
「女帝殿、男と女が居たらヤることは一つだろう」
「その前に教師と生徒という言葉を頭に浮かべる理性は無かったのか!?」
「無い」
『男前すぎる…!』
腕を組み、堂々と言い切るナリタブライアンにエアグルーヴを除いた全員の考えが一致する。
ウマ娘たちの脳裏には、ナリタブライアンが彼女のトレーナーをベッドに荒々しく押し倒している風景しか思い浮かばなかった。
だが確かに、ナリタブライアンの気持ちも分からんでもないと新旧生徒会のウマ娘たちは思うところはあった。
ナリタブライアンの三冠達成を支え、その後のシニア級での激闘の数々を導いていった彼女のトレーナーはナリタブライアンに対して物怖じ一つすらしない男だ。
更に言えば彼女のこれからを優先して考え、彼女の煩わしいことは自分が受け止め、彼女の願いを叶えるのを躊躇せず行動に移せる、そんな男。
独占欲にしろ、なんにしろ、確かに手放したくないというのは分かってしまった。
「頼む…頼むから、在学中におめでただけは避けてくれ……」
「心配するな、苛烈なレースで高ぶった時しかうまぴょいはしない」
「お前の参加するレースは全部苛烈だろうが!ふざけるな!!」
悲痛に叫ぶエアグルーヴに、他のウマ娘たちも頷く。
レースのあった翌日とかどういう顔してナリタブライアンとそのトレーナーを見ればいいのか分からなかった。
彼女たちも何だかんだで女子高生なので、そういった方面の話には興味津々ではあった。
「というか女帝殿。アンタもファインモーションの兄貴に言い寄られてなかったか?」
「奴の名を出すなよ、ぶちのめすぞ」
「お、おう」
◆
「おはようございまーす」
『おーっす(おはよう)』
生徒会が早朝会議をしている一方その頃、トレーナー棟の職員室にはポツポツとトレーナーたちが集まりつつあった。
スポーツ新聞を読む者や、コーヒーを飲む者、スケジュール管理表を見直す者など、朝の時間を過ごすトレーナーは千差万別である。
だが、そんなトレーナーたちでもこの時期のテンションの違いは基本的に二色だ。
絶望しているか、してないか。
普段より遅い時間に職員室へと来たセイウンスカイたちのトレーナーは後者であった。
「お、未来の三冠バトレーナー様は重役出勤か?」
「悪い、スカイとテイオーが喧嘩しててその仲裁に時間が…」
「あっ……その、なんだ、大変だな…問題児たちの相手は……」
「問題児って、子供の喧嘩ならあんなもんだろ?それに、あの子たちは良い子だ。ちゃんと仲直りもしたしな」
「あのミモザの現状でどういう神経してんだお前」
「何か言ったか?」
「なんでもない」
セイウンスカイたちのトレーナーは同期の弄りにそう返すと凄い目で見られる。
傍から見れば導火線の前でファイヤーリンボーダンスしているようなものなのだが、トレーナーは気づいていなかった。
同期のトレーナーは揶揄う前にセイウンスカイとトウカイテイオーの喧嘩を見ていたが、あれは断じて子供の喧嘩ではなかった。
いや、トウカイテイオーはまだ生意気な子供と十分に言えるものがあったが、セイウンスカイは別だ。
雷雲のような、薄暗く濁った瞳は、追い込まれた肉食獣を連想とさせるものがあった。
―――あれは何時か派手に爆発する。
その確信が同期のトレーナーにはあった。
「……お前、気をつけろよ」
「?」
「オハヨウ…ゴザイマス…」
「じゃなきゃああなる」
指さす先を見る。
1月の会議で実家に押しかけられたというトレーナーの男がボロボロで職員室に入ってきていた。
そのトレーナーと近しいトレーナーたちが慌ててその男の肩を支えていた。
「お、おい、大丈夫か!?何があった!」
「へ、へへ……パスポートと航空機のチケットが奪われちゃった……でもな、でもな…貞操は、守ったよ……」
「お前……!まだ3月は2日だぞ…!?」
「ほら、あっちで休もう?今は寝ていい、ウマ娘たちも職員室は襲撃して来ない、な!」
「ああ!なんか職員室の外でこっち見てるけど入ってはきてないぞ!!」
「あ、あの、手伝いましょうか?」
「「「桐生院さんは(女の子だから)ダメ!!!」」」
「えええ!?」
騒がしく奥へと連れていかれるボロボロのトレーナー。
ああなると言われても、という顔をするセイウンスカイたちのトレーナーに同期のトレーナーは色々と諦める。
「せめて惨事にはなりませんように」と、そんな願いを込めて。
春を迎えるトレセン学園に、春の嵐が吹き荒れていた。
なお瞬間最大風速は測定不能とする。