―――ギリシャの彫刻のような肉体であった。
浅く焼けた肌に、濃い目の鹿毛染みた茶髪。
切れ長の瞳と、流し目を送れば異性から悲鳴が上がるであろう甘いマスク。
身長は180㎝ほどだろう。長い脚とバランスの取れた、一言で言えば【完璧】な男であった。
そう――――全裸でなければ。
「どうした我が愛妹ファインよ、ノックもせず部屋に入るとは……君は誰だ?」ブランブラン
「い、いやあぁぁああぁぁああああ!!!(声にならない悲鳴)」
これが当時高等部1年であったエアグルーヴと、ファインモーションの兄であるピルサドスキーの出会いであり、因縁の始まりである。
一言、彼の名誉のために付け加えると、全裸なのはシャワー上がりだったためであり、趣味ではなかった。
◆
「はぁ……」
「どうしたの、エアグルーヴさん?……もしかして、嫌だったのかな…?」
「そうではないさ、ファイン……君の兄が居ると聞いてため息が出るんだ」
卒業を来週に控えたエアグルーヴは、ルームメイトであり、友人であるファインモーションと共にカジュアルなドレスで送迎のリムジンに揺られていた。
「これまでのお礼に」と誘われた食事会である。
礼を求めて留学してきた彼女を手助けし、友人であったつもりは無いと一度は断った身であるが、「なら贈り物を」という言葉で諦めていた。
ファインモーションの、というよりは彼女の一族の「贈り物」の量たるや、トレセン学園の栗東寮を来週には退去するというのに荷物が倍になっては洒落にならなかった。
だが、今となっては贈り物の方が良かったかも知れない。
エアグルーヴは憂鬱気に、夜の東京の街並みを窓から覗く。
唇から漏れ出るため息は、東京の夜景と合わさってなんとも未成年らしからぬ色気があった。
エアグルーヴも可能性を考えないではなかったのだ。
だがこうして憂鬱気なのは卒業式に合わせて彼女の両親が来るとは聞いていたのに対し、彼女の兄は聞いてなかったからだった。
「エアグルーヴさん、兄さんが嫌い?」
「……気にはしているが、あれは事故だ」
高等部2年に上がった時に招待されたホテルでの食事会。
その時に食事会の時間まで休憩できるようにと、ファインモーションに案内された部屋に入ったら全裸の男が居たのだ。
それがファインモーションの兄、ピルサドスキーとの出会いなのだが、少なくともそこまでは事故だ。事故で終わるのだ。
「……あれからお前の兄が私へ何度ラブレターを送ってきたか知りたいか?」
「えーと、毎週1通だから2年で100通くらいになるかな?」
「もはや精神的ストーカーだぞこれは」
何をどう思ったのか、あの出会い以来、エアグルーヴへと熱烈なアタックを仕掛けてくるようになったピルサドスキーという男にまたため息が出る。
何処か芝居がかった、若干ナルシストが入ってるんじゃないかとも思えるような、言うならマイルドなテイエムオペラオーのような男からのポエムのようなラブレターはよくここまで文才が尽きないと感心するレベルである。
言われる方はたまったものではないが。
「でも、兄さんとエアグルーヴさんが結婚したら義姉妹になれるんだけどなぁ……」
「すまんが絶対無理だ」
「えー……」
不満気なファインモーションに、そんな顔されても困るとしか言えない表情をするエアグルーヴ。
すると、リムジンは目的地ではない店の前で止まっていた。
エアグルーヴにも見覚えのある店だ。
「ファイン、ここは君の行きつけの……」
「うん、ラーメン屋さんだけど……あっ!こっちこっち!」
「あ、ども……」
運転手がドアを開き、それにペコペコと頭を下げながらスーツ姿の一人の青年が乗ってくる。
カチコチと、緊張した様子の青年はエアグルーヴも知る男だ。
「確か、ラーメン屋の店主の息子さん、でしたか……何故ここに?」
「あっ、はいご贔屓に!……えっと、ファインさん?」
「えっとね、エアグルーヴさん……実はこの人と……」
「は!!?」
この3人しか居ないので耳打ちする必要が無いが耳打ちされた言葉にエアグルーヴの目が見開かれる。
まるで悪戯が成功した子供のように笑顔を見せるファインモーションの手は青年の手にそっと添えられていた。
その衝撃が抜け去らぬまま、レストランへと到着するリムジン。
車から降りたエアグルーヴを迎えたのは、赤いバラの花束であった。
「おお!東洋の黒真珠の君、我がクレオパトラよ!」
「貴様はカエサルかこの阿呆が!!!」
割と情報量の許容量は普通なエアグルーヴであった。
◆◆◆
「おかしい……」
「オグリん、何がおかしいねん」
「オグリんはやめろ」
トレセン学園カフェテリア。
ウマ娘たちの食欲中枢を満たす事を至上とする、ある意味G1レース級に激しい戦いが毎日繰り広げられる戦場。
その戦場の王とまで言われた葦毛の少女、オグリキャップは友人でありライバルであるタマモクロスらと同じくテーブルを共にしながら昼食を摂っている中でそう零した。
彼女のウマ耳はへにゃり、と垂れており、一見して体調がよろしくないのが見て取れる。
事実、彼女は普段なら4杯目に到達しているだろう時間にまだウマ盛かつ丼の2杯目をもそもそと食べている最中であった。
タマモクロスは自分の丼ぶり(人間サイズ)とオグリキャップの丼ぶりをジト目で見比べつつ、オグリキャップの言葉を促すように茶を音を立てて啜る。
「……お腹が一杯なんだ」
「ッ!?ぶっほげっほ!!?」
カフェテリアで聞き耳を立てていたウマ娘たちに衝撃が奔った。
さながら一陣の風、ハヤテ一文字、全身全霊の如き衝撃を伴ったオグリキャップの発言にタマモクロスは咽ている。
どうやら入ってはいけない場所に入ったらしい。
『あのオグリキャップが高々2杯目途中で満腹!?』
体調が本当に悪いのでは、と思わず皆が心配そうにオグリキャップを見る中、特にタマモクロスの動揺は顕著だった。
ウマインフルエンザで高熱に魘されてた時も鍋焼きうどん10人前を食らい尽くすオグリキャップがこれっぽっちでお腹が一杯というのはタマモクロスをして異常という事だった。
「おま、お前オグリ!なんかアカンもんでも食ったんか!?道草か!?……それは冗談として、午前の授業間で間食しとらんかったやろ自分?」
「私でもそこらの草はたぶん食べない……それと、うん、朝は何時も通り食べたんだ……それに、体調だって普段通りだ」
「それが残っとるわけないわな、その後朝練やったろ…?」
ならば、朝食後から今に至るまでに何かがあったのだろうと、タマモクロスは当たりをつける。
「よっしゃ」と、手で膝を叩いて甲高い音を鳴らすタマモクロスはオグリキャップに向き直る。
どっしりと椅子に腰を下ろし、オグリキャップの話を促すように小さく頷いた。
「体調でもないんやったら、なんや気になることあるんやろ自分。ウチに話せるんなら話してみ」
「……今朝の、食後の朝練の後だったんだ」
躊躇うような素振りを一瞬見せたオグリキャップは観念したように口を開く。
タマモクロスも、珍しく悩んでいるように見える友人の力になってやりたいからこそ真剣である。
そんな友人の好意に甘えるように、オグリキャップは今朝の出来事をポツポツと語りだしていった。
◆
「ジョー、お前来年度から独立しな」
「は?」
早朝トレーニングを終えたアフターケアの最中、北原は彼の叔父である六平が告げた内容に呆けたような返事しか返せなかった。
独立。
指導担当のトレーナーが新人トレーナーに告げるそれは、一人前と認めた証を意味する。
それに思わず詰め寄るように北原は声を上げていた。
「ちょ、ちょちょちょっと待ってくれロッペイさん!俺ぁまだこっちに来て2年目だぞ!?」
「六平だ……年数は関係ねぇ、お前は十分にやれる」
話は終わり。
そう言うかのように背を向ける六平を北原は追う。
その背中に、同じく朝練をしていたオグリキャップらも追従していっていた。
「せめて俺が大丈夫だって理由は!?理由くらい教えてくれねぇと納得できないっすよ!」
「そこから説明が必要か……理由はな、お前が中央に所属しているっていう結果が全てだ」
「は?」
面倒そうに、しかし説明は必要と思い直したのか、六平は杖で北原を指す。
その一言にまた呆けた表情をする北原に、中央の内情を六平は説明し出していた。
「万年人手不足のこの中央に、なんで地方からトレーナーどもが来ないと思う?そして、何故最初から中央のトレーナーの門を叩かなかったのか」
「それは―――」
「中央はな、諸事情で去る以外は実力主義だ……使えないトレーナーは切り捨てるんだよ」
「安定してトレーナーでメシを食うなら地方が一番楽だ」と六平は言う。
だからこそ、地方所属のトレーナーが中央に来るとなると、その審査は厳しいものになる。
―――地方で燻っていた奴に、中央のスターの卵を導けるのか。
そんな尊大とも、傲慢とも言えるものだった。
「だから、地方からこっちに来てる時点で”直ぐに担当つけてもいい一人前のトレーナーとして合格ライン”になる」
「俺が……」
「んでだ、俺個人が合格を出した理由はお前の目だ」
ちらりと、オグリキャップに視線をやる。
そしてオグリキャップとしてもチームの後輩になるウマ娘たちに視線を六平は移していく。
「お前はスターを見分ける目がある。オグリキャップを見出したように。そして去年、お前さん主導でスカウトしたこの子もな……どうしてこの子をスカウトした?」
「いやそれは……」
「貶すわけじゃねぇが、お前がこの子をスカウトした時は俺には華奢で頼りねぇという印象しかなかった―――1年で化けやがったがな」
「その、俺にも理由の説明はできねぇんですけど……オグリの時ほどじゃないけど、びびっと来たと言いますか」
「そのびびっと来るってのが大事なのさ、ジョー……来季のティアラはこのアーモンドアイが獲るぜ、間違いなく」
だから独立だと、そう太鼓判を押された北原は自分の手を見て、ぐっと握り締める。
その姿に笑みを浮かべてオグリキャップが声をかけようとすると、その北原に飛びつく鹿毛の少女に言葉を遮られていた。
「おめでとうございます、トレーナー!」
「おわっ!?っとっと、飛びつかんでくれアイ」
「あの、あの、私を連れて行ってくれますよね?」
「いや、ロッペイさんのとこに居た方がきっと成長できるぞ…?」
「六平だってんだろ、あと独立認めたって言っただろうがアホ。実績になるんだ、そいつは連れていけ」
「やったぁ!――――あ、オグリ先輩」
「え、あ、ああ……どうした?」
「負けませんから」
「……?」
◆
「―――ということがあって、何故かずっとモヤモヤしてるんだ」
「ツッコミ待ちか自分」
タマモクロスは呆れたようにため息を漏らす。
そしてオグリキャップの疑問を解くように、ゆっくりと話を進めた。
「北原のおっちゃんが独立してサブトレーナーからトレーナーになるんやろ?」
「うん」
「んで、今年の1年のガキんちょをおっちゃん主導でスカウトして、そいつもおっちゃんの指導を受けとるんやろ?」
「そうだ、アーモンドアイと言って可愛い目をした子だ」
「つまりや、自分と二人三脚みたいにやってきた仲にそんアーモンドっちゅうんが増えたわけや」
「……うん」
「――――おっちゃんが取られると思ったんやないか、自分」
「キタハラが、取られる……」
きゅっと、小さく胸の前で拳を握るオグリキャップ。
小さく、零れ出るように呟いていた。
「それは……いやだ。何故か…嫌だ」
「その嫌な気持ちの正体、教えたろか?」
タマモクロスはははぁとため息を吐き、オグリキャップと視線を合わせる。
その瞳にあるのは友の成長を喜ぶような、困ったような、そんな色。
「自分、おっちゃんに恋しとるんや」
そう、オグリキャップのモヤモヤの正体を告げるタマモクロス。
オグリキャップは、驚きに目を見開くだけだった。
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