晴れのち曇り、ところどころにわか雨   作:にぼし一番

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10話:崩壊の序曲

 

中山レース場は沈黙に包まれていた。

皐月賞11R。

クラシック三冠の内の1つを決めるその戦いは既に最終局面を迎えている。

中山の最終直線は短く、それ故にコーナリングからの再加速をしてバ群から抜け出そうと全てのウマ娘が加速している。

本来ならば、そのデッドヒートに多くの観客が歓声を上げる場面だろう。

だが、その多くは、一人のウマ娘によって視線を奪われていた。

 

「ヒュゥ――――……ふっ!!」

 

一息。

短く、音を立てて行われたその呼吸がそのバ群の中で妙に広く響き渡っていた。

その他のウマ娘たちの最高速を児戯と言わんばかりに、跳ねるように抜け出す白い勝負服。

騎士の礼服のようなその意匠は、シンボリルドルフの勝負服を仕立てた者と同じ人物が仕立てただけに、シンボリルドルフのそれと似通っている。

だが、そうではない。

彼女、トウカイテイオーを見て誰もが幻視していた。

これから1冠を得るトウカイテイオーというウマ娘が、7冠を擁く皇帝と呼ばれたシンボリルドルフと重なって見えるのだと。

 

中山の最終直線を一人抜け出たのは、まさしく帝王だった。

 

《ゴォォォールッ!!一着は、トウカイテイオー!強い、強すぎる!これが”帝王”の走りなのか!?》

 

プロフェッショナルとしての誇りか、衝動のままか。

実況のみが状況を伝える中、ゆっくりと減速していくトウカイテイオー。

未だ沈黙を守る民衆に、トウカイテイオーはただ一つだけ、指を立てて天を指した。

 

「「「「「――――――――――――!!!!!」」」」」

 

 

中山に、歓声が爆発する。

そこに立つウマ娘を称えるように。

トウカイテイオーは、この一走で、多くの観客に三冠の夢を魅せるウマ娘に成っていた。

 

「来ていたのか」

「ああ、こう言っては何だが心配ではあったんだ」

 

そのトウカイテイオーをスタンドから見守る一人のウマ娘に声がかかる。

困ったように振り返りながら声を掛けられたウマ娘、シンボリルドルフと声がけたナリタブライアンは自然と肩を並べていた。

なんともなしに、シンボリルドルフが口を開いた。

 

「特訓に付き合ってくれたと聞いたよブライアン、ありがとう」

「礼を言われるような事じゃないさ……それに、個人的にも良い事があった」

「ふふ、君の普段手入れが雑な髪と尻尾が艶々になるまで綺麗にブラッシングされていることと関係あるのかな?」

「なっ…それはどうでも、は良くないが、関係ないだろう…!」

「すまないすまない……君風に言えば、”食い応えがある獲物”にテイオーが成っているという事かな」

「正解だ―――先週の模擬レースの最終戦。アンタと走ってるのかと思ったほどに、な」

 

「もう少し寝かせたら堪らなく美味そうだ」と。

そう舌なめずりをし、トウカイテイオーを肉食獣のような瞳で見るナリタブライアン。

その気配を感じ取ったのか、トウカイテイオーはびくりと肩を跳ねさせると周囲をキョロキョロと見まわしていた。

 

「……イジめすぎたかな」

「ぷっ…あっはっは…!」

「笑うなよ皇帝……それで、良いのか?」

「はー……いやすまない……何がかな?」

 

笑うシンボリルドルフにナリタブライアンはその笑いが収まるのを待ち、口を開く。

最初と違い、何処か非難するような視線がそこにはあった。

 

「アンタの旦那を独占するためにトウカイテイオーを押し付けたトレーナーのこの後さ」

「……人聞きの悪いことを言うな、ブライアン」

「事実だろうに」

 

シンボリルドルフは笑みを崩していない。

だが、薄く開かれた瞼の奥に隠れた瞳は、薄暗く澱んだ色でナリタブライアンを睨みつけていた。

レースで感じる殺気ではない殺気に、レースで浮かべる好戦的な笑みではなく警戒の色を浮かべてナリタブライアンは両手を浅く開き、腰を落とす。

身構えたことでまた、シンボリルドルフは笑っていた。

 

「ブライアン、身構える必要はない……”この子”が居るから暴れるつもりはないんだ」

「……夫婦仲睦まじいことで」

 

愛おし気に胎を二度ほど撫でるシンボリルドルフにナリタブライアンは小さく溜息を漏らす。

ナリタブライアンは腕を組み直すと、若干乱暴気味に背中を壁に預けていた。

 

「それで、手段を択ばぬ非情の皇帝サマは、無責任に放置なのか?」

「まさか、私も気にしてるんだぞ?テイオーには可哀想な対応をしてしまったからね……テイオーにタイオー……」

「アンタの下らんシャレを言ってる場面じゃないんだぞ」

「くだらっ……下らないのか……」

「アンタ、エアグルーヴの様子に気づいてなかったのか……」

 

呆れたように、ナリタブライアンは言葉を促すため口元に咥えた長楊枝を上下させる。

小さく咳を一つ、シンボリルドルフは口を開く。 

 

「テイオーの事だ、すでにトレーナーにかなり惹かれている事だろう……夫がトレーナーのノウハウを彼に指導していた時から、彼はウマ娘にとって甘い毒のような男だったからね」

「甘い毒、ね…」

「言うならば彼は種類を問わないウマ誑しなのだよ、ブライアン。その証拠に、彼の周りのウマ娘たちはどれも一癖も二癖もあるような者ばかりだ」

 

セイウンスカイの歪みを。

アグネスタキオンの異常性を。

マンハッタンカフェの狂気を。

ナリタタイシンの反骨心を。

受け入れ、支え、甘やかしてくれる存在。

一度その甘露を味わってしまえば、もう手放せなくなるだろう、そんな毒だ。

 

「知っての通り、ウマ娘という生き方を理解し、その本能を満たすために助力してくれる頼れる異性なんて存在は思春期の少女には毒だろう?」

「ああ、毒された結果の果てが目の前に居るからな」

「君もだぞ」

「アンタよりはマシさ」

「………」

「………」

 

互いに無言で目線を合わせ、同時にため息を漏らす。

喧嘩してもしょうがないと言わんばかりに、妙な沈黙が二人の間を支配していた。

 

「で、実際はどうするんだ?」

「それはまだお楽しみ、だな」

 

 

 

    ◆

 

 

 

皐月賞の興奮醒め止まぬトレセン学園の栗東寮。

トウカイテイオーは多くのウマ娘から祝福と、畏怖と共に出迎えられていた。

ウィニングライブを行ってから寮に戻ると随分と遅い時間になるが、こうして歓迎されるのは悪い気分ではなかった。

だが、気を緩めたりはしない。

自室の帰り、ゆっくりと足を伸ばして湯に浸かり、風呂の後には普段の倍以上の時間をかけて柔軟を行う。

前屈を始めた時だった。

首から革紐で通して首に掛け、寝間着の中に仕舞っていた、鍵が飛び出てきていた。

トウカイテイオーは、その鍵を指で摘まむと、口元を緩めていた。

 

「えへへ……」

「あれぇ?テイオーちゃんそのカギなーにぃ?」

「んぇぇ!?マヤノ?!起きてたの!?」

 

後ろから覗き込むように、トウカイテイオーのルームメイトであるマヤノトップガンが問いかける。

さっきまで寝ていたはずなのに、その目はギンギラと輝いていた。

マヤノトップガンがこうした目をしている時は、とてもじゃないが逃げれないとトウカイテイオーは知っていたので、それをすぐに寝間着の内側に入れつつ答える。

 

「何って…その、トレーナーの部屋の予備鍵…」

「へー、予備の鍵かぁ……え!?テイオーちゃんのトレーナーの!!?向うから渡してきたの、それ!」

「ち、違うよぉ!ボクが皐月賞に勝てたら欲しいって言って……」

「ふわぁ……テイオーちゃん、おっとなー……!」

「なんで!?」

 

普段はトウカイテイオーの事を子供子供と言うマヤノトップガン(年下)がトウカイテイオーを尊敬した目で見ている。

その理由を問えば、マヤノトップガンは一冊のウマ娘向けティーン雑誌を取り出していた。

 

「今週発売の雑誌にあるウマ娘的彼氏との付き合いレベルだと予備のカギを預かるは第2位!”何時でも俺の部屋に来い”っていう男の人の誘いだよ!」

「えぇぇ!?で、でもこれボクが欲しいって言って貰ったんだよ?」

「普通部屋のカギは欲しいって言ってくれないでしょ!!?」

「……そうかな……そうかも……因みにそれの1位は?」

「1位?尻尾の手入れを異性にやらせるのがもはや実質うまぴょいだって」

「尻尾……」

 

二人して己の尻尾を無意識に掴む。

それぞれが己のトレーナーの姿を想像し、自身の尻尾を優しく握ってブラシで梳かしている光景を思えば、むず痒さが尻尾の付け根に奔るのを感じる。

というか、尻尾を梳かして貰うという事は体勢的にはお尻を向けていることになるのでは?と考え、その無防備さを思えば確かに関係性としては最上位にも感じた。

ウマ娘は何故か後ろに立たれるのが嫌な、言うならばゴ○ゴ的な思考になる者が一定数居るのでそれも一入だった。

 

「テイオーちゃん、顔顔」

「マヤノだって」

 

それぞれの妄想が顔に出ていたのか、互いに指摘して顔を元に戻す。

むにむにと顔を揉み、ニヤケ顔をどうにかして治すとマヤノトップガンが「よーし!」と立ち上がっていた。

 

「まだ20時だし、トレーナーちゃんのとこ行こー♪」

「え゛!?」

「尻尾、はまだダメだけど髪の毛ブラッシングして貰ってくるねー!」

「ちょ、マヤノ!?」

 

まさしくノンストップガール、カタパルトから発進という勢いで部屋から飛び出ていくマヤノトップガン。

取り残されたトウカイテイオーはもう一度、首から下げた鍵を取り出し見つめると、導かれるようにふらふらと部屋から出ていた。

 

「尻尾…尻尾……」

 

トレーナー寮はウマ娘たちの寮と違って学園校舎が存在する敷地内あり、トウカイテイオーは薄暗いトレセン学園を自分の尻尾を掴みながら進む。

門限内とはいえ若干こっそりと抜け出したようなものなので懐中電灯を持ってこなかった己に後悔しつつ、見えたトレーナー寮の明かりに思わず安堵していた。

 

「……あれ?あそこに居るの、スカイ……?」

 

寮の明かりで視界が開けた時に気づいたトウカイテイオーは呟く。

薄い水色を溶かしたような葦毛の少女、セイウンスカイがトレーナー寮に入っていくのが見えたからだ。

トウカイテイオーは、何故か分からなかったが気配を押し殺し、こっそりとその姿を追っていた。

 

「トレーナーの部屋だ……」

 

セイウンスカイが鍵を取り出し、ドアを開けて入っていくのを見送り、その扉の前に立って名札を確認する。

己の、セイウンスカイのトレーナーの自室であることを確認したトウカイテイオーは探るようにドアへと耳を密着させる。

だが、トレーナー寮の個室の防音性は高いのだろう。

何も聞こえないことを数分かけて確認し、トウカイテイオーは己の首から下げていた鍵を生唾飲み込んで見つめていた。

 

鍵を差し込み、ゆっくりと捻る。

小さくロックが外れた音。

ゆっくりとドアを開けば、セイウンスカイの声が聞こえた。

 

「トレーナー…トレーナーぁ……!!」

「――――――!!!!?」

 

トウカイテイオーは思わず逃げ出しそうになる己の足を縫い止める。

ゆっくりと鍵を閉め直し、脱力したのかズルズルと通路に座り込んだ。

聞こえたのは声だけだ、何をしていたのかまでは分からない。

だが、あのセイウンスカイの艶ある声が意味するものは―――と、そこまで考え、トウカイテイオーは己の顔から涙が流れていることに気づいた。

 

悲しくて、何故か悔しくて――――気づかない憎しみが流させた涙だった。

 

 

 

 




梅雨だからしっとりするのは当たり前
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