中央トレセン学園所属のトレーナー。
それは、限られたエリートしか名乗ることの許されない肩書である。だがしかし、その実態はウマ娘たちのプライベート並みに世間には知られていない。
だが、オグリキャップと彼女のトレーナーであるキタハラの一件以来、ウマ娘とトレーナーの関係性というものが親密になりやすいというのが表に出て、トレーナー試験の受験者が急増した事があった。
トレーナーになれば可愛いウマ娘と親密になれるかもしれないという、若干浅はかな考えが透けて見える増加の仕方である。
だが、中央に所属するトレーナーたちはそういった受験者の増加に特段厳しい目は向けていない。
試験を突破する事で十分に才能は示しているのだから、後は現実を思い知って立ち回れるよう育ってくれれば助かる。そんな風にしか考えていなかった。
そもそも、ウマ娘というものは才能がある者ほど癖が強い傾向がある。
となれば、そんなウマ娘に対応するトレーナーにも一癖や二癖、有ったとしてもなんら問題は無いというのがトレセン学園の常識だった。
「去年(食われたの)は8人か……意外と少なかったし、ウマ娘の故郷に連れてかれた奴は居なかったな」
「ああ、依願退職はマトさんくらいか……あの人、何処か悪かったっけか?入院したって聞いて以来だったな」
しみじみと、トレーナー用の職員室で茶を啜りながら会話を続けるトレーナーたち。
一人、また一人と集まってきている中、顔色が悪い者も居れば普通の者も居る。
あとたまにゲッソリとしている者も居り、会話する一団に挨拶するために片手を上げた男もその一人だった。
「おはよう……」
「おはよう、死にそうな顔してんぞ」
「国外逃亡未遂は許してくれたか?」
「なぁ…この仕事が原因で発生してる腹上死って労災降りるかな?」
「「あっ…」」
男は3月に国外逃亡未遂のトレーナーであった。
なお、この春から近郊に一軒家を何故か買って自分の担当したウマ娘たちと暮らすようになっている。
人間は、全ての規格においてウマ娘に敵う部分は少ない。
フィジカル面では仮に世界最強のスペックを持つ人間を連れてきても、身長150㎝に満たぬウマ娘に完敗する程度でしかない。
それは勿論、体力面でもだった。
「でも、最近は慣れてきたんだよ……弱いとこが分かってきたから……」
「いやいい聞きたくない聞きたくない」
「安心して孫に看取られるまで仲良くしろよ」
「何の話してるんですか……」
力なく笑う逃亡トレーナーに同僚2名は手を横に振る。
他人の夜の事情なんて聞きたくもなかった。しかも相手が昨年まで生徒だったとか最悪にも程があるといった感じである。
そんな彼らに声をかけたのが、席が隣であったタケであった。
テーブルの上にスーパークリークの作った弁当を置きながら、若干呆れたように3人を見ていた。
だが、3人はそんな目を向けられる謂れは無いと言わんばかりにタケに噛みついている。
「うるせーぞタケくんよぉ!!?おめぇだって逆ぴょいカウントダウンだろうーが!!」
「スーパークリークは今年3年生じゃねーか!!どうするか考えてんだろうな、あぁ!?」
「サイレンススズカが居ぬ間にバブってオギャってジャンケンポンってかテメー!!」
「人聞き悪い事言わんで下さいよ!?」
20代半ばほどとはいえ、大の大人が醜く言い争う姿に数少ない女性トレーナーたちの冷たい視線が向けられる。
とはいえ、最早慣れたものでもあるので、その視線は短時間で無くなっていた。
彼女たちも彼女たちで、ちょっとそっちの”ケ”があるウマ娘を担当に持つと大変な目に合うので、ある意味お互いさまであった。
「おはよーございまーす……何してるんだ?」
とうとう取っ組み合いにまで発展した4人を何とも言えない目で見ているミモザのトレーナーは弁当箱を二つ、自身のデスクに置いて席に着く。
スポーツ新聞を広げた彼は目線を下げ、そこに書かれた内容を目で追い始め、視線を感じて顔を上げる。
そこには、先ほどまで取っ組み合いをしていた4人がなんとも言えない顔をしてトレーナーを見下ろしていた。
「……なんだ?どうした?」
「いやお前……あのメジロマックイーンと見合いしたって聞いたんだが……」
「その、チームは大丈夫なのか?ほら、アレだろ、アレ」
「ダービーもトウカイテイオーが勝ったし、色々と言われてるだろお前」
「ああ、そのことか……確かにマックイーンとは見合いをしたが、今すぐどうこうという事は無いぞ?今はチームに招いてトレーニングのサポーターをやって貰ってるからな」
それに、と…トレーナーは己の持つ新聞にもう一度、目を落とす。
そこには、”トウカイテイオー三冠なるか!?”という見出しで言葉が綴られている。
思い起こせばほんの10日ほど前の事なのだが、それを回想するかのようにトレーナーは瞼を閉じていた。
◆
日本ダービーをトウカイテイオーが制した。
そのニュースは日本中を更なる熱狂の渦に巻き込んでいた。
ウマ娘レースのファンは熱いレースが、大番狂わせが、強いウマ娘が好きだ。
皇帝シンボリルドルフを彷彿とさせるトウカイテイオーのレースぶりは、既に彼女を【皇帝二世】や名を文字って【帝王】などと称賛されるに至っている。
そして、トレセン学園には最重要の季節がやってくる。夏休み期間中、希望者参加型の強化合宿の時期だ。
これは一部ではバケーションのためとも言われるが、自然豊かな土地でしか出来ないトレーニングはウマ娘の心身の強化に良い効果を齎していた。
当然ながらチーム・ミモザもそのための準備を進めており、忙しさで言えばG1レースが立て続けに予定立っている状態に近い。
トレーナーは、セイウンスカイと二人三脚でやってきていた時はまだ忙しくはなかったのだと反省する毎日だった。
「~♪」
「ご機嫌だな、スカイ」
「そりゃー楽しい楽しい夏合宿だからねー♪」
そんなセイウンスカイは、私服を纏った状態で上機嫌に鼻歌を歌っている。
トレーナーも普段、トレセン学園で纏っている服装ではなく、私服でセイウンスカイと並んで街を歩いていた。
セイウンスカイの趣味になるのだが、彼女は釣りが趣味である。そして、合宿は海沿いの旅館を貸し切って行われる。
それが意味するのは、自由時間には彼女の趣味である釣りが出来るポイントが多く存在するという事だった。
今、こうして揃って出かけているのも、セイウンスカイの買い物に付き合っているからであった。
「釣りはほどほどにな」
「だいじょーぶだいじょーぶ、自由時間で釣るからさ」
そう言って笑うセイウンスカイ。
彼女のサボリ癖というのは、実のところ自身のパフォーマンスを高めるための時間という面が強い。
人もウマ娘も、メンタルという面で見れば違いはなく、気分が悪い中で何かしらを行っても集中できなかったり、質が悪かったりする。
そういった意味では、セイウンスカイは自己管理が出来ているといえるウマ娘だった。
「しかし、悪いな……あんまり付き合いに時間取れなくて」
「皆も時間取ってほしいからしょうがないでしょ?……でもさー、ホントにこれから大変だよ?どっかの誰かさんが苦労するって分かって抱え込むからね」
チクリと一言。
刺されたトレーナーは苦笑するしかなかった。
抱え込む、というのが何を示しているかすぐに分かったからだ。
「……マックイーンを、どうしても放っておけなくてな」
「……ありゃだいぶ参ってるからねぇ」
メジロマックイーンをチーム・ミモザの補佐に招いたのは、トレーナーの独断だった。
繋靭帯炎という、ウマ娘のガンとも言われる病気を発症し、走ることが叶わなくなったメジロマックイーン。
ウマ娘が走れなくなる絶望感と、メジロの使命を果たせぬという現実、ライスシャワーによって春の天皇賞・三連覇を阻止されたダメージはメジロマックイーンを歪めるに十分だった。
もし、メジロマックイーンが”己を強く見せなければならないライバル”と競い合う関係であれば、彼女はライバルを支えに立ち上がる気力はあっただろう。
だが、そうはならなかった。
彼女が絶望から抜け出すには、何もかもが遅すぎたのが、今の現状だった。
「……トレーナー、ホントにマックイーンをお嫁にするの?」
「……今のあの子を否定したら、それこそ取り返しがつかなくなるのは、分かるか?」
「まぁね……でも、メジロの貴顕かぁ……天皇賞の春を2つも取ってて足りないってのもなんともまぁ……」
「一つ取るのでもこっちはスペちゃんの末脚にビクビクだったのに」とセイウンスカイがぼやく。
トレーナーは「今まで勝ち取れていたからこそ、辛いんだろう」と言葉を返していた。
「彼女には時間が必要だ……少しでも気分転換しつつ整理する時間が取れればいいんだが」
「いや、トレーナーさぁ……マックイーン、正直言って本気でトレーナーの嫁になる気だよアレ」
嫁になる、とメジロマックイーンを語るセイウンスカイは、これまでと違い声色こそにこやかだが瞳には一切の感情が浮かんでいなかった。
想定外の敵とも言えるメジロマックイーンを歓迎する気など一切なく、だがしかし、トレーナーがウマ娘に対して発揮する優しさを否定も出来ない。
それ故に生まれるギスギスとした、そんな空気に浸ったが故の”無”の感情。
それに気づいているのか、トレーナーはセイウンスカイの頭に手をそっと乗せ、ゆっくりと撫でる。
セイウンスカイは、目を細めてその手を掴み、頬に添える。
猫が甘えるかのように、すりすりと顔をこすり合わせるセイウンスカイを、トレーナーは優し気な顔で見ていた。
「あのー、お二人さん……ここ、商店街なんですけどそーいうのは部屋でやって貰えませんかねーってネイチャさん思うんですけどー…?」
「うぇっ!?ネイチャ!?」
そんな、ちょっと周囲が見えてない二人に偶然居合わせたナイスネイチャが若干赤面しつつツッコミを入れる。
トレーナーは実に普通にしていたが、流石にセイウンスカイは恥ずかしさが勝ったのか、気恥ずかしそうにしていた。
そんなセイウンスカイを、またゆっくりと優しく撫で回すトレーナー。
実に大人の余裕だ―――と、ナイスネイチャと共に居た同年代の少年は、若干の羨望を見せてトレーナーを見ていた。
ナイスネイチャもナイスネイチャで、幼馴染とデート中であった。
◆
「いやぁ、まさかナイスネイチャに彼氏くんが居たとは……」
「「「いや待て何の話をしている」」」
しみじみと呟くトレーナー。
こりゃダメだ―――そう思わず、タケはため息を吐いていた。
間もなく夏合宿―――欲望渦巻く夏になるか分からぬ、熱い日々がやってくる季節が来る。