メイクデビュー。
中等部2年生から高等部1年生にかけての期間でレースへとデビューすることをトレセン学園では求められている。
この3年間の歳の差は、ウマ娘個人個人の才覚の差(早熟型か晩成型か)によるものがあるためだ。
それ故に、メイクデビューから狙うことになるクラシック3冠は最も粒ぞろいの過酷なレースとも言われ、そこで引退するウマ娘も出るほどだ。
例えば、卒業生であるがアイネスフウジンというウマ娘がいる。
彼女は中等部3年の年にデビューをし、クラシック級を戦ったウマ娘だ。
彼女が壮絶なる消耗戦の末に手にしたダービーウマ娘という称号だが、そこで全てを使い尽くしたとも言われており、その後は精彩を欠き高等部1年の終わりでレースから引退していた。
セイウンスカイのトレーナーが学園に来た時は彼女は高等部2年生であったが、これまでのレースで得た賞金を貯金しつつバイトと受験勉強をしていた姿を目にしている。
それはそれで、新しい人生を探す期間というものだったのだろう。
彼女は後輩に姉のようによく慕われていたウマ娘であった。
在学生ならば中等部3年間をトレーニングに費やし、無理やり己の適正距離をマイルから中~長距離にまで鍛え上げてからデビューしたミホノブルボンというウマ娘も存在する。
そのトレーニング量は常軌を逸する量であったが顔色一つ変えず、正確なラップタイムを刻み続けた事からサイボーグと渾名されている。
彼女は高等部3年生であり、既にレースから引退しているが今も稀にトレーニングルームで汗を流している姿が見られている。
なお、彼女のトレーナーが彼女と一緒に実家に挨拶しに行ったというので既にチェックメイトとトレーナー間では思われていた。
トレセン学園はマンモス校であるが、その枠に余裕があるというわけではない。
かと言って、レースから引退したウマ娘を放り出すような冷たい組織でもない。
籍だけでも置いていられるように特別な配慮がされる場合や、そうでなくてもサポート学科へと転入というのも選択肢として取れた。
先の高校1年終わりからレースを引退したアイネスフウジンもサポート学科へと転入し、他生徒のサポートをして残りの単位を取得していた。
そうして、トレセン学園は代々想いを継承していったという風土があるのだった。
「最も、それがどう影響を及ぼすかは分からんのだけれど、な……」
トレーナーが集まる教職員棟からチーム・ミモザの部室を見下ろすセイウンスカイのトレーナーは小さく呟く。
今、あそこにはミモザの面々と、サポート学科のあるウマ娘が居り、話をしているであろう最中だった。
レースから引退をしたウマ娘…それも予後不良となってしまったウマ娘から。
「すまんな、俺たちの我儘に付き合わせて」
「マトさん」
トレーナーの目の前に缶コーヒーが置かれた。
その手を辿り、顔を見れば見知った顔と目が合う。
この数か月で何処か老け込んだようにも見える、誠実さが滲む切れ長の目元が特徴的な男。
セイウンスカイのトレーナーから”マトさん”と呼ばれた、30歳ほどであろう男がゆっくりと隣へと腰かけていた。
「いえ、タキオン経由ですが無関係というわけでもないですから……」
「アグネスタキオンには本当に世話になったよ……あの子は走れなくなってしまったが、彼女のお蔭でまた歩くことは出来るらしい」
言葉少なく、缶コーヒーのプルタブを空ける音が二つ、響く。
トレーナーはマトと呼んだ男に何も告げなかった。同情の言葉を掛けることもない。
彼はその育成方針から【ヒットマン】と渾名されるような男であり、ウマ娘という生き様の過酷さを知っている男だ。
だが、彼が担当したウマ娘で、あれほどの惨事となったのは、今まで無かったと言えた。
いや、それどころかトレセン学園でも有数とも言える悲劇が、彼のウマ娘を襲ったのだ。その衝撃は計り知れなかった。
「まだ歩ける、だが走れない……ウマ娘にとって、それがどれだけ残酷なことか知らないわけでもないのに、まだ歩けることに安心してしまった俺が居る」
彼の握る、コーヒーのスチール缶が握り潰されていた。
怒りを己に向けるように、事実、自らを殺さんばかりの憤怒を己に突き立てて。
まるで懺悔のような声色で、彼は己の罪を絞り出すように呟く。
「俺がライスを、ライスシャワーという一人のウマ娘を壊したんだ……俺の、俺のせいなんだよ……!!」
◆
「ライスね、足がダメなのを分かってたし、壊れちゃうのも知ってたんだ」
”花の咲くような笑顔”。
そんな言葉がピッタリくるような笑顔で少女、ライスシャワーはチーム・ミモザの面々に告げていた。
サポート学科の単位取得課題である、チームへの訪問と交流という名目で訪れたライスシャワーは当初は実に当たり障りの無い会話をしていた。
『私のようになっちゃダメ』
『怪我をする前によくトレーナーと話し合って』
そう、車椅子に乗って語る彼女は儚げであり、その言葉から伝わる思いにニシノフラワーは涙ぐみ、セイウンスカイも目を伏せ聞き入っていたほどだ。
しかし、高等部の3人は、そんなライスシャワーを何処か狂人を見るような目で見ているのに暫くしてセイウンスカイは気づいた。
それを待っていたかのように、アグネスタキオンは口を開いていた。
「―――それで、本当のところは?」
「タキオンさん、足を治してくれてありがとう……でも、治さなくても良かったんだよ?」
「「え…?」」
「だって」とライスシャワーは続ける。
笑顔で、幸せそうに、狂気に染まった瞳でミモザの面々を見まわしながら。
「だって、こうして壊れちゃったからお兄様がずっと一緒に居てくれるようになったんだから」
「ひっ…!?」
「フラワー…こっちに…」
その目を直視してしまったニシノフラワーが小さく悲鳴を上げ、ふらりと崩れ落ちそうになるのを備えていたマンハッタンカフェが支える。
セイウンスカイはその余裕が無い。震える体を押さえてその場で足を止め続けていた。
ライスシャワーは、そんな彼女たちに己の幸せを語り聞かせるのを楽しんでいるように快活だった。
「ライスがね、”痛いよお兄様”って泣きつけば、お兄様が優しく抱きしめてずっと頭を撫でてくれるの」
「歪んでるねぇ」
「でも、幸せなんだ」
「アンタのトレーナーの幸せはどこ行ったんだか…」
楽しそうなアグネスタキオンとは逆に、冷めたような態度のナリタタイシンはため息と共にライスシャワーを見る。
ふわりと笑うライスシャワーはその一言で一瞬で真顔に戻っていた。
薄暗いオーラを纏ってるように見えるのは気のせいではない。彼女の感情の高ぶりが空間を歪めるレベルであるというだけだ。
「ライスもね、こんなことしたくなかったんだ……お兄様がグラスワンダーなんて子を担当しなければ」
「グラ、ス…?」
「そっか、スカイちゃんはあの女と同じクラスだったよね」
「ごめんね?」と謝りながらライスシャワーは笑う。
セイウンスカイは日常の友人の姿を思い返しながら、思い至る点が何か所かあることに気づいた。
グラスワンダーはチーム・リギルの所属ウマ娘だ。
そのチーム・リギルはその所属するウマ娘全てが超一線級、G1なぞ取って当たり前という面々である。
それ故に、チームを纏めるチーム・トレーナーとは別に外部から専門のサブ・トレーナーとして他のトレーナーを招くことも多いチームだった。
トレーナーには得意不得意がある。
逃げ、先行、差し、追い込みという風にレースのスタイルがある以上、その戦法が得意なトレーナーに力を借りるのは普通のことだ。
それ故に、ライスシャワーの専属トレーナーであったマトがリギルに招かれたのだろう。
彼のヒットマンスタイルと呼ばれる育成方針は、差しを得意とするグラスワンダーにこれ以上なく適合していた。
「お兄様ね、すっごくお世話焼きなの。”レースが終わった後、無事に寮に戻ってこそレースが終わるんだ”って言って最後まで見送りしてくれるしライスがブルボンさんの三冠を防いじゃった時も”ウマ娘とトレーナーがレースを勝ちに行ったんだ。そこに悪役も何もない”って優しく撫でてくれて……そんな事ばっかりだからあのグラスワンダーも勘違いして惹かれていっちゃうんだよ?ほんと、困っちゃうよね」
ぺらぺらと、口の周りが早くなるライスシャワーにセイウンスカイは恐怖する。
思わず、携帯でグラスワンダーの無事を確認したい衝動に駆られるほどに、ライスシャワーの姿は狂気的に映る。
確かに、ライスシャワーの言う通り、グラスワンダーは彼女のトレーナーに惹かれている節があった。
ウマ娘は己を速くしてくれる存在に惹かれるというのは仕方がないこと。
そうライスシャワーに告げようとも、おそらく理解を示さないだろう。
彼女は、己の脚を自ら壊し、ウマ娘としての本能を殺してトレーナーを縛り付けた狂人なのだから。
「それで?こうしてわざわざここに来たのはそんな惚気のためかな?」
ライスシャワーが一呼吸を置いたタイミングを見計らったようにアグネスタキオンは言葉を差し込んだ。
ライスシャワーは、キョトンとした表情を見せると、また優しい顔に戻って笑う。
「うん!それもあるんだけどね、足が治ってもお兄様をライスのものに出来たから”許す”ついでにアドバイスできたらなぁって…!」
「ヤるならタキオンさんだけにしてくださいね……アドバイス、ですか…?」
「酷いなカフェ」というアグネスタキオンの非難を無視し、ニシノフラワーをソファーに寝かしつけたマンハッタンカフェが戻り、聞き返す。
「そう!」と、また嬉し気にライスシャワーは言葉を続ける。
「貴方たちも、自分のトレーナーさんが大好きなんだよね…?なら―――縛り付けなきゃ隣の子に盗られちゃうよ?”」
そう締めくくり、ライスシャワーはウマ耳を揺らす。
嬉しそうに、「お兄様だ!」と、迎えにくる彼女のトレーナーを感知したのだろう。
手を振り、車椅子を回して部屋を出ていくライスシャワー。
誰もその背中に声を掛けれず見送り、彼女とトレーナーを見やる。
優し気に頭を撫で、車椅子の背を押して離れていく二人を見送り、部室の扉を閉め、「ふーっ」とアグネスタキオンが息を吐いた。
「……物は相談なんだがね、せめて協定は結ばないかい?」
「「「異議なし」」」
この時ばかりは、トレーナーを慕う4人の仲にルールというものが芽生えた瞬間だった。
ライスのお兄様お姉様ユルシテ