「―――半年ぶりですね、トレーナー」
「――グラス?」
なぜここに居る。
その言葉がライスシャワーとグラスワンダーのトレーナー”だった”男に出てこなかった。
男の元には、すでにトゥインクルシリーズに所属するトレーナーの証であるバッチは無い。
男は、グラスワンダーの有マ優勝を前に、理事長に辞表と共にそれを押し付けるかのように手放していた。
そしてグラスワンダーも、G1の勝負服でも、これから行われるはずの有マ記念のウィニングステージ衣装でも、トレセン学園の生徒である事を示す制服でも無く、お淑やかな私服を纏っている。
ただの男とウマ娘として、遠く会場を望むこの場所に揃っていた。
「ライスさんは?」
「今は病院だ…あの子はまだ療養中だから……それよりグラス、君、ウィニングライブは……」
「まぁ、それはなんて都合の良い……ああ、ライブですか?”そんなの”はどうでもいいんです」
「グラ、ス……?」
グラスワンダーが足を一歩前に進める。
浮かべる表情は優しい笑顔で、男にはその意味が分からなかった。
彼女が男に対して向けるべき感情は怒りであるはずだ。
男は、ライスシャワーを優先する事を選び、グラスワンダーを導く責任を放棄したのだ。
仮に、辞表と共にトレーナー資格を返上しなくとも、いずれは剥奪されていただろう無責任さ。
グラスワンダーは自然と、トレーナーの目の前に立っている。
彼女の口元は、裂けたような弧を描いていた。
「グラス、何を―――!?」
「 い た だ き ま す 」
◆
「クソが、あのアマふざけんなよ!?」
「落ち着けステイ!!」
「これが落ち着いてられるかよ!!」
有マ記念特設ウィニングライブ会場の控室。
そこは今、騒然といった騒ぎの渦中であった。
優勝ウマ娘であるグラスワンダーの突然のライブ辞退と失踪という、前代未聞の騒ぎとなっていたのだ。
ライブ衣装のスカートが捲れるのも構わず、ロッカーを蹴り飛ばすステイゴールドを止めようと彼女のトレーナーがステイゴールドの前に立ちはだかる。
ステイゴールドは、振り上げた手をぐっと留め、俯いて睨むように叫んでいた。
「……だからって代理でセイウンスカイの奴を入れて3人ライブだって!?あんな負け方して俺たち掲示板を射止めた組ですら悔しくて腹が立つってのに、それをだな!!」
「だが着順的にはそうするしかないんだ!……それに、彼女は今年の2冠馬だ。それだけで華にもなる」
「俺たちは蝶よ花よでちやほやされるために1着になるんじゃねぇぞ!!!……俺たちはな、”レースの勝った奴を称えるために”こうしてライブに立つんだよ!!」
吐き捨てるようにステイゴールドがどかっと椅子に乱暴に座る。
彼女の言い分は、ウマ娘個人差があるだろう。だが、言いたいことは強く伝わってきていた。
今、ライブを待つファンはグラスワンダーを、そしてライブ出場権を得たステイゴールドたちを待ちわびている。
そこに急遽、主役の代役としてセイウンスカイという敗者を充てるというのだ。
客の反応を予想できる分、心無い批判がセイウンスカイへと飛ぶ可能性とて十分にあるだろう。
ステイゴールドはレースに負けた傷口に塩を塗り込むような、そんな結果を危惧しているのだ。
そしてそれは、セイウンスカイのトレーナーも考えていることだった。
彼女を守るためなら無理を通してでも断るのを視野に、考えを纏める一同と同じく思考を続けていた。
その時、相談を続ける中から携帯の着信音が響き渡る。
それを見た携帯の持ち主―――”現”生徒会会長エアグルーヴが席を外す。
しかし、その場の全員はその電話の内容を想像できるが故に、視線を彼女に向けていた。
「……ええ、了解しました…では……グラスをリギルでも探したが、やはり発見できないと今連絡があった」
「じゃあ、やはり……ウチのスカイを?しかし、それはあまりにも……!」
「トレーナー……だが、それが選択肢になる……しかしセイウンスカイ、当事者は君だ……君の意見を聞こう」
「私は……」
セイウンスカイは言いよどむように少し黙していた。
それが答えだと言わんばかりに。
それを見て取ったエアグルーヴは「すまなかった」と、頭を下げていた。
「無理を言ったな……先ず、私が挨拶として出て行こう。そこで急な体調不良という体でグラスワンダーが欠けるという旨を伝える」
「おうかいちょー、俺も着いてってやるよ。文句言った奴はぶっ飛ばしてやっから」
「君はビッグマウスで炎上慣れしてるとはいえこれは質が違うぞ、ステイゴールド……だが、その心遣いには礼を言う」
「なんならゴルシらでも呼んでハイジャックしてやってもいいぜ?」
「そのレベルは洒落にならんな」
「……あの、会長!私―――!」
気軽なやり取りをする二人を見ていたセイウンスカイが立ち上がり、声を張る。
何か思うところがあったのだろう、それを見守ろうとトレーナーがセイウンスカイに視線を向けたその時だった。
控室の扉のノック音と共に一人のウマ娘が入ってくる。
そのウマ娘を見た全員が驚愕に目を見開いていた。
「―――実に精励恪勤、トレセン学園生徒会長として十分に勤めているようで何よりだ」
「か、いちょー…!?」
「それは今は君だろう、エアグルーヴ」
『シンボリルドルフッ(さん)!?』
そこに立つ者を見間違う者など存在しない。
無敗の三冠ウマ娘にして後に七冠を達成、出場するレースをつまらなくするとまで言われる絶対的な彼女の走りは【皇帝】と称されるもの。
皇帝・シンボリルドルフ。
今年の3月にトレセン学園を卒業したばかりのその人が今、G1勝負服を身に纏いその場に居た。
「会長、なぜそのような恰好を…!?」
「グラスワンダーの詳細はオハナさんから聞いている。それを聞いて理事長から許可を戴いてきた」
「許可、ですか…?その、シンボリルドルフさん、どういうことで…?」
「今回のような事は迅速果断が肝要だろう?ウィニングライブの主役が不在という大事だが、それを補って余りある要素で誤魔化すというわけだ」
誤魔化す。
シンボリルドルフから出てきたその単語に思わず皆が顔を見合わせる。
それの答え合わせをするように、シンボリルドルフが手配したであろう策が動き始めていた。
「シンボリルドルフさん!レース参加者の招集完了しました!!」
「全員のG1衣装のクリーニング完了です!メイクさんも可能なだけかき集めました!!」
騒がしくなる控室。
集められたウマ娘たちにクリーニングが終わった勝負服を渡し、一人一人にメイク担当のスタイリストが着く。
それを見てやって、シンボリルドルフが口を開いた。
「有マはお祭りという事もあって、この場に居る全員が人気者という布陣。それぞれにファンも多いだろう」
「会長…?」
「だが、そんな人気者でも”アレ”をウィニングライブでやれる機会はそうは無いはずだし、それを見れるファンも少ない」
「会長!?」
「ここに居る全員が出来るパフォーマンスであり、滅多に許可が出ないライブ曲」
「まさかやるというのですか…今、ここで!?」
「ああ……”うまぴょい”をやる…!!」
キリッと。
効果音としてはそんな言葉が当てはまるような顔でシンボリルドルフは全員を見まわし宣言していた。
【うまぴょい伝説】
伝統あるURAにおけるウィニングライブでも異色とも言える曲であり、課題曲とまで言われ、しかし一生歌わず現役を終えるウマ娘が殆どという伝説の歌。
その衝撃かくやというもので、集められた有マ出走バたちは騒然として、しかし一抹の高揚を感じてシンボリルドルフへと視線をやる。
G1の勝負服を纏っているシンボリルドルフと、配られたウマ娘たちのG1勝負服。
それが意味するものを察せない者は、今ここに居なかった。
エアグルーヴは代役としてセンターを務めるであろうシンボリルドルフに向けて口を開いた。
「しかし、余計な心配かも知れませんが……会長は大丈夫なのですか?卒業されて半年以上がすでに過ぎていますが…」
「大丈夫だ、うまぴょいなら毎晩やって―――んんっ!!…コホン、心配せずとも鎧袖一触、皇帝に敗走は無い…!」
「会長…!」
左手を胸に添え、誇らしげに宣言するシンボリルドルフと感嘆したかのような声を漏らすエアグルーヴ。
シンボリルドルフの左薬指には、勝利した結果でもあるシルバーのリングがキラキラと輝いていた。