普段から比べれば長い休暇。久々に実家に顔を出してはみたが、それは幼少期に過ごした自宅とそう変わりはなかった。
やけに広いだけで人のいないリビング。使用人しか使うことのないキッチン。全てが綺麗に整えられ、埃一つない家の中は誰かが生活していた痕跡すら残っていない。
モデルハウスの方がまだ人の気配がありそうな家。
代わり映えの無さが逆に清々しい程の我が家。
だが、そんな家にも例外の時間はある。
久々に家族が同じ屋根の下に顔を合わせることができたのだ。
世界を飛び回っている母親がほんの12時間だけ帰ってきた。
一緒にディナーを食べて、ホットミルク片手に夜更かしして、少しばかり母娘らしいことをした。
とはいえ、ディナーは使用人が作ったものだし、話の内容はお互いのデザイン論やレース論をぶつけ合っただけだし、私が朝目覚めた時にはもう既に母は家を出た後だった。
それでも『頑張りなさい』のメモ書きと共に添えられた卵焼きを見て、私は『帰ってきてよかった』と心から思えたのだった。
そんな短かったようで長かった休暇も終わり、私は空港に降り立った。
お土産の詰まったキャリーケースを受け取り、到着ロビーの自動ドアをくぐる
そんな時だった。
「やっほ~キング~」
「キングちゃん!こっちこっち!」
ふと、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
声を辿って視線を向けると、到着ロビーの隣にある全国チェーンの喫茶店から見知った友人が手を振っていた。
「あら?スカイさんとスペシャルウィークさん?」
なんでこんなところに?
キングはふと自分のスマホを確認する。
機内モードをオフにすると、スペシャルウィークからメッセージが届いていた。
『今日、空港にいきます。3人でお茶しましょう』
ニンジンハンバーグのスタンプと共に届いていたメッセージを見て私は胸を撫でおろした。
もう少しで気づかずにスルーするところだった。
私はカプチーノを注文し、2人のいるテーブルについた。
「あら、2人とも、ご機嫌よう。このキングの出迎えとは殊勝な心掛けね」
「第一声がそれとは、さすが、キング。だけど残念。今回はたまたまなんだよ」
「たまたま?どういう意味?」
私がそう尋ねると、スペシャルウィークが返事をくれた。
「そうなの。実はエルちゃんが今日海外遠征に出発だったから、その見送りに来てて。それで、キングちゃんも今日帰ってくるってことだったからここで待ってたの」
「えっ!?エルコンドルパサーさん、今日からだったの。そ、そう……会えなかったのは残念ね……」
キングはキャリーケースに入れてきた彼女へのお土産のことに思いを馳せる。
激辛好きの彼女が好きそうな土産物があったのだ。
だが、彼女が海外遠征から帰ってくる頃には間違いなく賞味期限が切れてしまう。
これはトレーナーと一緒に食べてしまうしかないだろう。
しかし、口に合うだろうか?
説明には『激辛に慣れている方のみご賞味ください』と書かれているというのに。
「でも、それならグラスさんは来ていらっしゃらないの?」
「キング~忘れたの?グラスは今日レースだよ。同期のライバルのことなのに、把握してないとは、余裕だね~」
「えっ!?そっ、そうだったかしら……そっ!そうだわ!今日はグラスさんは確か函館で……」
「にゃはは、嘘だよ。グラスは昨日風邪ひいちゃって、大事をとって休んでるだけ~」
「っ~……!!スカイさん!!」
「わわわっ、キングちゃん。カップがこぼれちゃうよ」
セイウンスカイにからかわれ、スペシャルウィークが取りなし、そうやって私たちは喫茶店でお茶を楽しみながらワイワイガヤガヤとした時間を過ごした。
自宅で母親と過ごした時間も大事なもののではあったが、こうして大切な同期のライバル達と取り留めのない雑談をするのもまた大切な日常の時間だった。
こういう時間を過ごしていると。やはりクラシック路線を走って良かったと思う。
辛いことも、苦しいことも多かったけれど、ライバルでもあり、友人でもある今の彼女達との関係性はあの激闘を走り切ったからこそ手に入れることができたものだからだ。
「そういえば、スぺちゃん。今までのトレーナーとの契約終わっちゃったんだっけ?」
「えっ!?そうなの!?」
それは完全に初耳だった。
なにせ、スペシャルウィークはURA中距離優勝者だ。
そんな実績をあげたウマ娘との担当契約を解除するトレーナーがいるのだろうか。
「どうしてそんなことに!?もしかして、何かあったの!?スペシャルウィークさん、もし不当な契約解除だったのなら、私のトレーナーを通じて抗議を……」
「ち、違う違う!違うよキングちゃん!!」
先走った私に向け、スペシャルウィークは慌てて両手を横に振った。
「今までのトレーナーさんは本当はチームのサブトレーナーの立場で、それを『私の3年間に賭けたい』って一時的に専属トレーナーになってもらってたから、その契約が終わっただけなの」
「あら、そうだったの……」
私は思わず乗り出し気味になっていた身体を椅子に落ち着けた。
「それじゃあ、これからどうするの?」
「うーん……それはまだ悩んでて……今のトレーナーさんに付いて行ってチームに合流してもいいんだけど。トレーナーさんからは自由に自分の好きなチームに行ってもいいって言われてて……ちょうどスズカさんのチームからお誘いがあって……それで、どうしよっかな~……って」
スペシャルウィークは口を真一文字に結んで首を左右に揺らす。
「今のトレーナーさんと一緒にまだまだ走っていたい気もするし……でも、スズカさんのチームでトレーニングすればもっと別の景色を見れるかもしれないって思うし……ううう、どうしよう……」
「へぇ、スペちゃんって意外と浮気性なんだねぇ」
「う〜……やっぱりこれって浮気なのかなぁ」
耳をしおらせて悩むスペシャルウィーク。どうやら、結構本気で悩んでいるらしかった。
「まぁ、担当トレーナーが変わるのなんてそう珍しい話でもないでしょ。それで今までのトレーナーと過ごした時間が無くなるわけじゃないんだから。それよりも、自分に合った環境を選ぶことの方が大事よ。チームに所属するとなれば今までとは練習環境が大きく変わるのだし、あなたの担当トレーナーさん、確か
「おぉ~キングが真面目なこと言ってる」
「スカイさん、茶化さないで」
「は~い」
相変わらずヘラヘラとした笑みを浮かべているセイウンスカイに対して、スペシャルウィークは真剣な顔で頷いた。
「うん、そうだね。キングちゃん。私、もう一度トレーナーさんと真剣に話し合ってみる。私の走りを一番良くわかってくれてるのはトレーナーさんだもんね」
「そうね。それがいいと思うわ」
私はそう言って再びコーヒーに口を付けた。
ウマ娘にとってデビューから3年目というのはこういう節目の年であった。
ウマ娘が生涯においての全盛期である『本格化』を迎えて、ピークを過ぎればウマ娘の身体能力は衰退の一途をたどる。
もちろん、トレーニングによりその衰退速度を遅らせることは可能であり、歴史上10年以上現役で走り続けて上位争いに首をを突っ込み続けた猛者もいるが、それはあくまでも例外だ。
デビューから3年を過ぎると練習の質は少しずつ筋肉の維持に重点が置かれるようになることもあり、トレーナーやチームを変えるウマ娘は決して少なくはなかった。
「それで?キングの方はどうなの?」
「どうって?」
「だから、今のトレーナーさんとの契約更新だよ。どうするの?」
私は一瞬、セイウンスカイの質問の意図がわからなかった。
何せ、そんなことなど今更確認する必要すらなかったことからだ。
「そんなの決まってるでしょ。“一流のウマ娘”であるキングは“一流のトレーナー”としか組まないの。今、トレセン学園で“一流のトレーナー”は私のトレーナーを置いて他にいないんだから、今更他のトレーナーと組むなんてナンセンスもいいとこだわ」
私はそう言って自分のトレードマークでもある高笑いを披露した。
気高く、優雅な仕草で他者に否が応でも私の存在を意識付けるこの高笑いはどんな場所でも注目を集める。
ただ、セイウンスカイもスペシャルウィークも3年間も友人として付き合ってきたので今更この程度で顔色を変えたりはしなかった。
そんな時、セイウンスカイが小首を傾げて尋ねた。
「ってことは、キングは専属契約を継続したの?」
「もちろんよ!……まぁ、まだ契約更新の話はしてないけど……」
「へぇ…………ふぅん……」
セイウンスカイはなんだか煮え切らないような相槌を打ちつつ、体をゆっくりと左右に揺らしていた。
「なによスカイさん。含みのある声ね」
「いやぁ、ちょっと気になったことがあってね」
「気になること?」
「うん」
セイウンスカイはそう言って自分の抹茶フラペチーノをズズズッと啜った。
「この前四谷トレーナーのトレーナー室で昼寝してたんだけどさ……」
「スカイさん!あなたまたサボったの!?」
「キング~話の腰を折らないでよ。今話したいのはそこじゃないんだから」
「まぁ、いいわ。それで、トレーナーがどうかしたの?」
「あぁ、うん……」
続きを口にしようとしたセイウンスカイ。
その時、スカイは一瞬だけ続きを口にするのを逡巡する様子を見せた。
いつもなら暖簾を風が押すかのような掴みどころのない言葉をスラスラと並べるスカイの舌がわずかに鈍ったのだ。その時の私はそんな彼女の様子に気づいていつつも、気に留めることをしなかった。
私は後になってこの時にセイウンスカイの言動をスルーしてしまったことを激しく後悔することになる。
だが、その時はその後に続いた言葉が衝撃過ぎて、全てが消し飛んでしまっていたのだ。
セイウンスカイはどこか気怠げな様子のまま続けた。
「その時のトレーナーが『選抜レース』の資料を真剣に見てんだよね。だからさ、てっきり四谷トレーナーはキングとの契約を終わらせて、次のウマ娘を担当するのかなぁ、なんて思ってたんだよ」
「…………へ?」
その時の私はあまりに間抜けな声を出していたと思う。
それは奇しくも、3年前に私の前で“一流トレーナー”の名乗りを上げてくれた時と同じような声であった。