『王』は『覇王』に届きうるか   作:からんBit

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X Dayまであと

たった4日。

普段であれば決して長い時間ではないはずなのに、時計の針の遅々として進まなかった。

トレーナーが示してくれたメニューも調整が中心であり、クラシック期の時のような心身共に尽き果てる程の練習もない。

 

適度に疲れた程度の体では自室に帰ってきても余計なことを考えるばかりで、気持ちのみが疲弊していった。

 

幸か不幸か同室のハルウララは高知へと遠征に行っていて部屋の中は静かなもの。

今の自分に他人を気遣う余裕などまるでなかったので、ウララに対してあれこれと世話を焼く必要がないのは少々気が楽ではあった。だが、それ以上にあの底抜けの明るい声こそが今の自分に本当に必要なものであるような気もした。

 

力なくベッドに横たわり、日課にしている尻尾の手入れをする気力もなく、机の上には手付かずの宿題が重なり続けている。

 

「私……こんなに弱かったかしら……」

 

昔、それこそ今のトレーナーに出会う前のことを思い出そうとする。

 

あの頃は挫折の連続であった。

トレセン学園で自分以上の才能の持ち主を目の当たりにして、打ちのめされるばかりの日々だった。

 

だが、そんな中にあっても自分は“一流”を名乗り続ける気概があった。

 

“キングは後退しない”

“決して首を下げない”

 

そういう覚悟を自分に課して走っていた。それを苦痛に感じることも時にはあったし、心が折れそうになることもあった。それでもあの頃は容易に前を向けたのだ。

 

なのに今はあの頃自分がどうやって耐えていたのかすら思いだすことができない。

 

私は首だけを横に向けてカレンダーを見やる。

 

「あと……3日……」

 

何度目を向けてもその日付は変わらない。

 

早くその日が来てほしいと思うのと同じぐらい永遠にその日に辿り付かなければいいのにとも思ってしまう。

 

そんな時、表のドアがコンコンと2回鳴った。

 

「キング~いる~?」

 

こちらが返事をする前に既に扉が開け放たれ、セイウンスカイの間延びした声が入り込んできた。

 

「ちょっと……スカイさん……ノックするのなら、中からの返事を待ちなさいよ」

「まぁまぁ、いいじゃない。キングとセイちゃんの仲じゃありませんか~」

 

私は酷く重たい身体をなんとか起こす。

 

「それで、どうしたの?」

「いやー実は今回の宿題が全然終わらなくてさ。“一流”のキングのお力をお借りできないかな~と思った次第でございまして。もちろん、お礼はたんまりと用意してますよ」

 

そう言って、スカイは指でニンジンを摘まむ仕草をした。

彼女には時折祖父から大量のニンジンが差し入れで送られてくることもあり、よくそのニンジンを賄賂替わりにして他の生徒に『お願い』をして立ち回っている。

 

「…………どうせ私のを写すつもりでしょ?」

「そんな、そんな、というか、今回はスぺちゃんもかなり難渋しててさ、グラスも風邪で休んでたから全然進んでなくて……って、あれ!?キングも宿題全然やってないじゃん!!」

「……ああ……そうね」

「『そうね』って……まずい……当てが外れた……これって割とピンチなのでは……」

 

耳をへたらせ、顔を青ざめさせるセイウンスカイ。

その仕草がどこまで本気かわからないが、確かに自分も含めてピンチなのは疑いようもなかった。

 

「しょうがないわね。スカイさん、談話室を借りてきて。グラスさんは美浦寮だから今からじゃ無理だけど、スペシャルウィークさんと一緒に宿題を進めましょう。難しいところを優先して終わらせればなんとか間に合わせられるでしょ」

「さっすがキング。話が早い。それじゃあ先に行ってるね」

 

そう言うが早いか、セイウンスカイは脱兎のごとく駆け出していった。

 

「……まったく、しょうがないわね……」

 

私は宿題を鞄の中に放り込み、手櫛で尻尾を軽く整えて談話室へと向かう。

このままでは私も宿題に手をつけることができなかっただろうから、ちょうどいいといえばちょうどよかった。

 

私はどこか重い足取りで寮の談話室の扉を開いた。

中には既に頭を抱えているスペシャルウィークと机に向かって眉間に皺を寄せるセイウンスカイが机に向かっていた。

 

「おっ、キング様、来てくれたんだ」

「キングちゃ~ん、助けて~」

「もう、しょうがないわね」

 

私は心の中のわだかまりをため息一つで吐き捨て、一緒に宿題へと取り掛かる。

今はただ、こうして別のことに集中できる時間が何よりも楽であった。

 

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

 

なんとか宿題を終わらせ、トレーナーが結論を出すと決めた日取りまで後2日。

ウララさんもいないので、2度寝しようとする彼女を起こしてあげる必要もなく、寝ぐせでボサボサになった髪や尻尾を整えたりする必要もない。

 

早朝に一人でやっている軽いランニングを終え、それでもまだ始業までに時間がある。

普段であれば、追加メニューでもこなそうかとトレーナーに相談するところであった。

 

「…………」

 

だが、私はスマホを片手にトレーナーへの電話番号を前にして固まっていた。

 

「今……なにしてるのかしら……」

 

練習前にふとトレーナー室を覗いてみたが、彼は朝早くから机に向かって何やら真剣な顔でパソコンへと向かっていた。机の周囲には書類が山をなしており、その大きさはたった1日で2割程増えている有様だ。

 

「……なにを……してるのよ……ほんと……」

 

ここ1週間程度の練習メニューは既に組まれている。

次のレースも決まっていないのだから、対戦相手の研究などすることもできない。

過去のデータの統計だって既に終わっていると聞かされたばかりだ。

 

どう考えてみても、あれは“キングヘイロー”の為の仕事ではない。

 

 

では、一体何のために……

 

 

「っ……!!」

 

 

考えれば考える程に胸の奥が握りつぶされそうになるような圧迫感が強くなる。

私はそんな思いを振り切るかのようにスマホをベンチに投げ捨てる。

 

「やめやめ……別に他の仕事をしててもおかしくないわ。彼はトレセン学園のトレーナーよ。ライセンス維持のためにも他にも仕事や勉強があるし……別に、私が気にすることなんてないんだから!」

 

私は靴紐を結びなおし、再びターフへと駆け出していく。

 

ペース配分もフォームも何も考えず、ただ力任せに地面を蹴り上げる。

全力のままターフを駆け抜け、400mを越え、800mを越え、そのまま1200mを走り抜ける。

 

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 

 

最初から全霊を振り絞るようなダッシュだったので当然最後の方は力尽きていた。タイムなんか計っていなかったが、きっと酷いタイムであっただろう。

 

いくらスプリンター適正が高いといえども、1200mを常に全力で走ることはできない。

 

特に自分はレースの中で更に全力で走る距離を短く絞り、ラスト200mからの一瞬の末脚で撫で切るような走りでここまで勝ち上がってきたのだ。

最初からハイペースで走って勝ち切るような逃げ足は最初から持ち合わせてはいないのだ。

 

私は熱を帯びて乳酸が溜まった足でフラフラとターフ脇のベンチへと歩いていく。

そのまま、私は力尽きたようにベンチに寝転がり、空を仰いだ。

 

「……ほんと……私って……バカ……」

 

身体から疲れを抜く時期に強引な全力疾走。

しかも監督者もいないような状況。

走っている途中で転倒でもしようものなら大事になる。

 

それがわからない程に愚かではないつもりだった。

 

だが、心の中でどうしようもなく思うのだ。

 

もし、これで足を痛めてメニューを調整するようなことになればトレーナーは自分の為に時間を使ってくれるんじゃないだろうか?

もし、大きな怪我をしたら、自分のために今の仕事を投げうって飛んできてくれるんじゃないだろうか?

 

まるで、ダダを捏ねて親の気を引く幼子のような思考だ。

ただ、そんなことを本気で考えてしまう程に今の自分は弱り切ってしまっていた。

 

「…………」

 

走って火照った体から噴き出た汗が熱を少しずつ奪っていく。

感情と共に冷えていく体温。

 

本当に風邪をひいてしまうわけにはいかない。

 

それは“一流”を名乗る自分にふさわしくない。

 

私は長年の習慣に従うように汗をぬぐい、クールダウンのメニューへと取り掛かる。

 

今はもう何も考えたくなかった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

スマホのカレンダーを眺め、私はため息を吐きだした。

 

全ては明日決まる。

 

何がどうなるかもわからないが、とにかく明日には全てが決まる。

トレーナーがどういうつもりなのか最後までわからなかったが、この言い知れぬ不安からはとりあえず解放されるだろう。

 

私はスマホを暗転させ、ポケットに滑り込ませる。

そんな時、ふとスペシャルウィークさんが声をかけてきた。

 

「キングちゃん、まだ行かないの?」

「え?どこに?」

「次は移動教室だよ。化学実験室」

「……え……あ、ああ……そうだったわね……」

 

完全に失念していた。

 

私は必要な道具だけを片手に抱え、スペシャルウィークさんと一緒に教室を後にした。

 

「キングちゃん……その……大丈夫?」

「ん?大丈夫って何が?」

「いや……なんか、元気なさそうだから」

「……そんなこと……ないわ」

 

私は奥歯をぎゅっと噛みしめ、黙り込んでしまった。

 

だが、そんな姿こそが最も自分に似合わないとい態度だということは誰よりも自分がわかっていた。

 

「……あっ、そうだ!来週から食堂に季節限定のスイーツが出るらしいよ。グラスちゃんとセイちゃんも誘って、みんなで一緒に食べに行こうよ」

「スペシャルウィークさん……昨日、山盛りパフェ食べてたけど、体重は大丈夫なの?」

「はうっ!!だ、だ、だ、大丈夫!あ、あれは、そう、チートデイ、チートデイだったから」

「それじゃあ、ちゃんと体は絞れてるのね?」

「…………」

 

露骨に視線を明後日の方向に向けるスペシャルウィーク。

そんな彼女に私は目を細める。

 

「まったく、スペシャルウィークさん。トレーナーさんに怒られても知らないわよ」

「……わ、私のトレーナーさんはそんなことでは怒らないもん」

「知ってるわ。『自分の指導不足だ』って言って落ち込むような人なんでしょ。そういえば、スペシャルウィークさんは契約更新はどうなったの?」

「あ、それなんだけど。やっぱり私、今のトレーナーさんに付いていくことにする」

 

スペシャルウィークは迷いなくそう言い切った。

 

「それじゃあ、チームに合流するの?」

「うん。チームの練習も少し見学させてもらったんだけど、やっぱり、自分だけの練習をするわけじゃなくて、チームの他の人とも合わせた練習も増える。でも、併走トレーニングは気兼ねなくできるし、筋トレとかのモチベーションはやっぱり他の人が一緒の方がいいみたい」

「スズカさんのチームはいいの?」

「う~ん、やっぱりチームってそのチーム毎の雰囲気があって。あそこのチームはちょっと私には……」

 

肌に合わなかったというやつだろうか。

確かにチームによってその練習の雰囲気は大きく変わる。

 

そういうことを複合した結果の判断なのだろう。

 

友人として彼女の行く末が固まったのは喜ばしいことだった。

 

 

「…………」

 

 

だが、私はどうしても祝福の言葉を口にすることができなかった。

今口を開けば八つ当たりが飛び出しそうだった。

 

私は唇を真一文字に結び、チーム練習の感想を語るスペシャルウィークの言葉に相槌を合わせるに留まった。

 

「でね、そこでのプール練習が……あれ?あそこにいるの四谷トレーナー?」

「えっ!?」

 

スペシャルウィークが指さした先。

そこには学園の中庭を歩く四谷トレーナーがいた。

 

「……ほんとね……」

「こんな時間にどこ行くんだろ?トレーナーさんってこの時間は大体事務仕事してるはずだよね」

「……ええ……」

 

首を捻るスペシャルウィーク。

だが、私には彼がどこに向かっているのかわかる気がした。

 

彼の歩き方やその目を見れば、彼が気分転換でブラブラしているわけではないことはすぐにわかる。

 

「……グランドに行くみたいね……」

「え?そうなのかな?あっ、ちょっと待ってよキングちゃん」

 

私は速足になってその場から立ち去る。

 

見たくなかった。これ以上、見ていたくなかった。

彼のあんな顔を、彼のあんな目を見ていられなかった。

 

彼の真剣な、ともすれば他者を射抜かんばかりの強い視線。

普段のヘラヘラとした顔つきからは想像もできないような顔つき。

 

あれには覚えがあった。

 

 

私がスカウトされる前。

選抜レースで思ったような結果が出せず、それでもスカウトにやってきてくれたトレーナーを切って捨てていた頃だ。

 

セイウンスカイから譲ってもらった模擬レースに向けて、調整を繰り返していた。

そんな時に彼は性懲りもなくやってきた。一度スカウトを断ったのに、もう一度私の前に現れた。

あの日、私は彼に自分の覚悟を語り、彼など眼中にないかのように調整を続けた。

 

夕方から雨が降ったが、私はそんなこと気にしなかった。

 

レースは翌日に迫っており、雨の影響は強く出ることがわかっていたからだ。

それに合わせた調整ができるなら御の字だといわんばかりに走り続けた。

 

 

彼はそんな私をずっと見ていた。

 

雨に打たれながら、傘も差さず、真剣な顔で。

 

 

 

その時と同じ顔が今は私以外の方向を向いている。

 

それがどうしても耐えられなかった。

 

 

「キングちゃん?あれ?泣いてる……の?」

「な、泣いてないわよ!そんなわけないでしょ!」

「で、でも……」

「もう、遅刻するわよ!急ぎなさい、スペシャルウィークさん」

「あっ、ちょっと待ってよキングちゃん……」

 

 

私はもう一度スマホを取り出してカレンダーを確認する。

 

トレーナーが示した期限は明日。

 

彼がどうしてその日付を指定したのか、もう私にはわかっていた。

 

 

 

明日は今年に入って第3回目の選抜レースがある。

それはトレーナーがまだデビューしていないウマ娘をスカウトする場だった。

 

 

 

「なによ……なによ、なによ……」

 

 

 

耐えたはずの涙が一筋だけ零れ落ちた。

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