女帝の横にいるあの人   作:高千穂牧場のカフェオレ

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胡桃の堅い殻の中には甘い実がある
手に入れるには殻を砕くしかない
砕いた殻は戻らない


女帝の横にいるあの人 3

「はっ…はっ…ふっ…ふー…」

あれから一月経った。私は奴から貰った練習メニューをひたすらこなしていた。

「次は、40mラインタッチ、12本」

奴とこんなにも会わず、連絡も取らないのは初めてだった。最初の頃は奴から連絡があるのではないかと携帯を手放す事が出来ず暇があればチェックをしてしまい色々と失敗が続いてしまい、会長に携帯を没収され代わりの携帯を支給された。私もついに観念し意識を向けない様自制する事にし、トレーニングに集中した。周りの娘達も気を遣ってか話題に出さず、まるで奴はいなかったと錯覚してしまう程に奴に関する事は一切耳に入らなかった。私も生徒会の仕事に加え次のレースに向けての調整で忙しい日々を送っているので奴の事を考える余裕があまりなくなっていき、気づけばレース当日を迎えていた。

 

宝塚記念

ファン投票によって選出されたウマ娘達が鎬を削る上半期のウマ娘の頂点を決めるに等しいレース。光栄な事に私は投票1位を獲得し並み居るウマ娘達をおしのけ1番人気。外から聞こえる観客の歓声を控室で聞いていた。

控室に居ると否が応でも奴がいない事を意識してしまう。元々そこまで広くない控室がやけに広く感じるのは気のせいだろうか、落ち着かず部屋を歩き回り、水を飲み、尻尾を手入れし、また部屋を歩き回る。そんな事ばかりしていても時間は5分程度しか進んでいない事に辟易していた。

「まだ30分以上あるのか」と独りごちる。

いつもはこんな時間すぐに過ぎてしまうはずなのに何故こんなにも長く感じるのだろうかと不思議に思う。いつもなら奴が今回のバ場状態や選手たちの状態の確認、レース運び、そんな事を話している間にもう開始時刻だねと奴が私を送り出す。そんな当たり前な事が今日はできていないせいなのか、とにかく私はひどく落ち着かなかった。

まだまだレースまで時間があり、こんな調子でレースに出れるだろうかと自分自身に焦りと緊張が襲う。指先が冷えてきた。あのオークスの時ですら感じなかった感覚に震える。

落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせながら太腿を叩き震えを抑え込もうとしているとノックが響き会長が訪ねてきた。

突然の事で背筋が伸び思わず裏返った声で返事をしてしまった事を恥じ咳払いを一つしてどうぞと招き入れる。

「やあエアグルーヴ調子はどうだ?君は随分可愛い声を出すんだな」

揶揄う様に話す会長に対し不満気に驚いただけですと口を尖らせ対応する私が珍しかったのかジロジロみてくる。

「一体どうしたのですか会長。控室に来るなんて珍しい」先程の失態はさもなかったかの様にツラツラと話す私にただの陣中見舞いさ

とあっけらかんとし他愛もない雑談をした後、レース期待しているよと言って付け加える様にちょっとしたサプライズがあるから楽しみにしてくれと部屋を出て行った。時計を見るとレースまでもう後10分程まで迫っており、心なしか緊張も少しほぐれている事に気づき会長に後でお礼をしなくてはなと考えていると携帯が鳴り響く。発信元を確認すると非通知だった。この携帯は支給された物だから普段連絡してくる者達は登録してあるので首を傾げる。普段であればそのままで応答しないのだが今は時間を潰す事が多い方が良いし、もしかしたら関係者からの電話かもしれないと思い電話に出てみる事にした。

 

「もしもしエアグルーヴです」

電話の相手は何も話さず無言を貫く。

もしもしと再び聞いても返答は返ってこず、やはりただの悪戯かと電話を切ろうとすると「お久しぶりです」と懐かしい声が耳を抜けた。息が詰まった。急いで電話をまた耳に当てると声の主は「エアグルーヴさん」と私を呼んだ。奴だ。トレーナーだ。私のトレーナーの声だ。大声を出そうとした口を手で覆いなんとか耐え、突然早くなった鼓動に引っ張られない様「トレーナー…」と絞り出す様に言葉を紡いだ。

 

「……突然すみません。これからレース…ですよね。体調はどうですか?練習で疲れてませんか?無理はしてませんか?」

こちらを気にする事ばかり聞いてくるトレーナーに私は言葉では言い表せない気持ちになっていた。「エアグルーヴさん」とまた私を呼ぶ。あぁ、あぁトレーナー、私は私の名前を呼ばれる度心臓が早鐘を打ち、体の芯が震える。「トレーナー…わ、私は」いつもの様に喋れない、喉が乾いて話しづらい。その場にしゃがみ込み、言葉を詰まらせるばかりで何も伝えられない。

「エアグルーヴさん、今日のレース、応援しています頑張ってください」淡々と、まるで渡された台本を読むかの様に私を激励し線引きをされたかの様な言い方をするトレーナー。それではと電話を切られそうになり待ってくれと声を張って止める。

「私は、お前にたくさんひどい事をして、しまった。許してくれなどとは言わない。でも、謝らせて欲しい…!言葉にするのが遅くなってしまった愚かで怠惰な私の謝罪を受け入れてくれ…本当にすまない…」私は捲し立てるように言った。返事はない、こんな顔を合わせないままの上辺だけの言葉ではまるで足りない。トレーナーと会って、顔を合わせて伝えたい事がたくさんある。

「トレーナー…」

「…はい」

「頑張れと、言ってくれ。私には、お前が必要なんだ」頼むと懇願する私は女帝ではなくただの一人のウマ娘だった。そのただの一人のウマ娘を育ててくれたトレーナーからの一言が私は欲しかった。

 

カチカチと秒針が刻む音が控室に響く

外の歓声が大きくなる

返ってこない返事に胸が苦しい

どうか、どうか

「エアグルーヴ」

永遠にも感じた時間の中で、いつもの慣れ親しんだトレーナーの声が聞こえる。

「…頑張れ、エアグルーヴ。君なら勝てる」

 

 

 

「さぁいよいよ始まりますG1レース宝塚記念!票に託されたファンの夢を一身に受け今ウマ娘達がゲートに入ります!」

歓声が津波となり体にぶつかる。ビリビリと肌に感じるのは勝利への執念かはたまた嫉妬か。選ばれたフルゲートのウマ娘達は一様に私をマークする。差しの私を中盤コースで塞げば飲まれて抜け出せないと思っているのだろうが、『女帝』を舐めるなよ。

 

「貴様らには負けん」

 

「今スタートしました!各ウマ娘綺麗なスタート!先頭を行くのはやはりこのウマ娘!サイレンススズカ!その後ろをピッタリとついて行くのはマヤノトップガン!その後方およそ3バ身離れてメジロライアン、スペシャルウィーク、メジロマックイーンと続きます!さらにその後ろグラスワンダー、テイエムオペラオー、エアグルーヴと続き最後方にはゴールドシップ!順位は変わらずレースは中盤に差し掛かります!先頭は変わらずサイレンススズカとマヤノトップガン!両者お互い譲りません!おっとここでバ群中程で動きがあった!全員横一線に広がる様にスピードを上げ抜きつ抜かれつのパワー勝負だ!後ろの娘達がこれを抜けるのは厳しいか!?先頭に戻ってサイレンススズカ、マヤノトップガン!続いてメジロライアンとメジロマックイーンが上がってくる!メジロの戦いに参戦するのはスペシャルウィーク!ここでも熾烈な位置どり勝負が始まったぞ!さぁ運命の第4コーナー!先頭を行くはやはりサイレンススズカ!マヤノトップガンを突き放す!続いてメジロライアンが抜けて来たぞ!これは2人の勝負に…いや違う!後方から抜けて来た!エアグルーヴ!大外だ!大外からエアグルーヴが来た!!驚異的なコーナーリングと末脚でエアグルーヴが他のウマ娘達をごぼう抜き!先頭集団に待ったをかける!!逃げるサイレンススズカ!逃げるメジロライアン!残り400!エアグルーヴだ!!『女帝』が来た!『女帝』が来た!!メジロライアンを抜いた!サイレンススズカも追い越した!グングンと突き放す!2バ身、3バ身!強い、強すぎる!これが『女帝』だ!これがトリプルティアラだ!今1着でゴールイン!!エアグルーヴ!!優勝はエアグルーヴ!!2着はサイレンススズカ!3着メジロライアン!!」

 

レース場が揺れる。

歓声で、応援で、祝福で。

 

「私の勝ちだ」

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