あれから1週間、言い渡された休職期間を過ごす療養地は都心からそれ程離れておらず静かで閑静な温泉宿で、基本的にはウマ娘達の為の施設なのだがそこに僕は居る。
何処かで聞いたウラシマ効果の逆が起き、いつまで経っても時間が進まず、趣味の一つでもあれば時間を潰せるのになと仕事から離れいかに自分が無趣味だったのかを痛感しているとシンボリルドルフが訪問してきた。
お久しぶりですと常套句を交え雑談に花を咲かせる。
そうしていると他に療養で来ていたウマ娘達が集まり気づけばロビーは懇親会の様になり、シンボリルドルフの人気と信頼の高さを目の当たりにし、改めて時代を代表するウマ娘なのだと再確認した。
暫くして各々が部屋へと戻りロビーに残されたのは僕とシンボリルドルフだけとなり、会話が途切れたタイミングに合わせ彼女について聞いた。
調子はどうだとか
怪我はしてないかとか
無理はしていないかとか
矢継ぎ早に質問を投げかけるがシンボリルドルフは一つづつ丁寧に答えてくれる。
少し調子は落ちていたが今は持ち直して怪我もなく無理もしていないと聞きホッと一息つく。
「なぁトレーナー君。あの日君は自分をエアグルーヴの『トレーナー』ではなく『マネージャー』だと表現したがあれは何故だ?少なくとも私や他の人達から見ても君は正しくエアグルーヴの『トレーナー』だったのだが」そう聞いてくるシンボリルドルフは純粋に疑問だったのか、怪訝な顔でこちらを見る。
視線を外し窓に映る自分の姿を見て視線を戻し、自問の様に質問に答える。
「前にも話しましたが、私が彼女に相応しくないからです。コーチングもそうですが、3年も一緒にやってきたのに私は彼女の事を何一つわかっていなかった。そんな人が彼女の『トレーナー』を名乗れませんよ」
「…何一つか」
そう、何一つ
あの日の彼女の姿がフラッシュバックする。
未熟で、マネージャーで、他の娘達の僕に対する事を否定せず笑いながら肯定し続ける。
思い出せば出す程息が浅くなるのを感じ悟られない様、意識し呼吸を整える。
「もう遅いですけど帰りは大丈夫ですか?」
いくら大人びていても彼女はまだ未成年で子供だ。場合によっては安全の為に送らないとと考えていると今日はここに泊まる予定らしく「神色自若。こうしてたまの休暇を入れないと支障が出てきてしまうからね」理事長から君の様子を確認するのも用事の一つなんだと少し困った様に打ち明けた。
成る程と1人納得しわざわざ来てもらった事へのお礼と謝罪をし今日はお開きとしそれぞれ部屋へと戻る。
先程までの騒がしい場から一転、静けさが部屋を覆う。風呂に入り血流がよくなり心地よい温みのままドサリとベッドに横たわり携帯をいじる。
着信、メール、メッセージアプリ全てに通知はない。もしかしたらを思ってこの1週間続けていた事だが、規律に厳しい彼女が破ることも無いだろう。自分も理事長の温情で今の状況を作ってもらっているので破るわけにもいかずそのまま充電もせず眠りつく。
翌朝また来ると言い残し宿を後にするシンボリルドルフを見送りまた無為な時間を過ごす日々が再開した。
「待っていたよトレーナー君。さあ乗りたまえ」
休職期間の最終日、宿の前に待っていたシンボリルドルフは有無を言わさず僕を車に押しやり出してくれとそのまま走らせた。
「あの、いったいどこに向かって」
「惚けるのはなしだ。君はこれから私と阪神競バ場に向かってもらう。君の担当ウマ娘の晴れ舞台を見に」こうでもしないと君はそのままどこか他に行ってしまいそうだからねとしたり顔で言い放つシンボリルドルフは悪戯が成功したのが嬉しい年相応の少女の様で呆気にとられてしまった。
「エアグルーヴはもう現地入りして最終調整に入っている。君の組んだなかなかなメニューをこなしてね」
そんな会話をしていると車から新幹線に乗り換え、気づいた時には会場近くのホテルに居る事になりもはや拉致と変わりないのでは?と渋面をしていると、やあやあお待たせしたと意気揚々に駿川さんを横に控えさせた理事長がやってくる。
「お久しぶりです。ご迷惑おかけしました」
姿勢を正し僕より大分背が低い理事長に頭を下げようとしたが、無用と書かれた扇子に止められた。
「無用ッ!君が迷惑をかけた事など何もない!むしろこちらが謝罪をする側だ!けんもほろろに君を1ヶ月も学園と担当ウマ娘から離してしまった事を謝罪させてほしい!すまなかった!」
バッと頭を下げる理事長に慌ててやめてください!頭を上げてください!謝るのは私の方です!と僕も頭を下げる。
いや私が!いえ私が!とお互いが譲らないまま漫才の様に上がらない頭はいつか地面についてしまうと思ったのか駿川さんがそこまでですよと止めてくれるまで続いた。
宝塚記念
ファン投票によって選出されたウマ娘達が鎬を削る上半期のウマ娘の頂点を決めるに等しいレース。
「投票1位で1番人気…本当に凄いなあ…」
並み居る強者達をおしのけの1番人気。それだけ人気と実力を兼ね備えた『女帝』
僕の担当ウマ娘
「今日の宝塚記念は例年に比べて熱気が凄まじい。まさに竜闘虎争だ」
サイレンススズカを始め名だたるウマ娘達が一堂に会し2200mの戦場を2分強で駆ける戦い。
テラスシートに案内され、メインレースを前にしデビュー戦や未勝利のウマ娘達がターフを走り掲示板に表示された結果に1人は笑い、1人は泣き、1人は奮起し、様々なドラマと表情を映し出す。
勝負に勝つ者に負ける者
勝者に敗者
そんな煌びやかで残酷で明快な世界。
何度きても未だにこの会場を覆うあらゆる感情の塊には慣れず体に力が入ってしまう。
各レース順調に進んでゆき理事長とシンボリルドルフはレースを見ては出走した娘達の分析をしスカウトの話をしていた。
暫くするとシンボリルドルフが席を立つと一緒に僕を立ち上がらせ「では行こうか」とどこかへ引っ張っていく。
突然な事にうおっと声出したたらを踏む
「どこにいくんですか?」
「ついてくればわかるさ」
迷いなく進むシンボリルドルフについていく道は見覚えのある道だった。
関係者以外立ち入り禁止の扉を越え、すれ違う人達は皆レースを楽しみに来ている人たちではなく「勝負」に来ている人達。
やがて目的地に着くとそこは選手控室で
「エアグルーヴ様」とかかれたプレートが掲げられていた。
瞬間全身が強張る。呼吸が浅くなって、唇が乾き、生唾があふれる。
そんな僕を見たシンボリルドルフは肩に手を置き「君は無理に入らないでも良い、入りたくなったら入りたまえ」と言って僕を扉から離れさせノックをして中に入っていった。
扉の向こうに彼女がいる
以前ならば何の気兼ねもなく回したドアノブに手をかけることができずジっと扉を見つめる。
微かに彼女の声が聞こえる。
会って謝らなければいけないと思いつつも体が針金で縛られた様に動かせない。
奥歯に力が入るが手先に力が入らないチグハグな感覚に襲われ、結局僕は扉を開けることができず扉の横に背中を預けシンボリルドルフが出てくるのを待つ事にした。
どのくらい経っただろうかと時計を確認すると出走までもうあと10分程に差し掛かっており「ちょっとしたサプライズがあるから楽しみにしてくれ」と扉を閉めたシンボリルドルフと目が合う。
「待たせたすまなかったトレーナー君」
「…いえ、大丈夫です」
「入ってこなかったが、どうしてだい?」
「私はその資格がないので…」
そんな問答をしているとため息つき「ならせめて電話でもいいから激励の言葉をかけてあげてくれ。『トレーナー』」
ポケットから取り出し携帯を握らせ、踵を返し僕を置いてそのまま足早に戻っていく。渡された携帯には既に番号が入力されており、携帯を見つめ数回深呼吸をした後ボタンを押した。
コール音が響く
一回、二回、三回
「もしもしエアグルーヴです」
幾度となく聞いてきた声が抜けていく。
もしもしと再度聞き返されるが声がすぐに出ず遅れて「お久しぶりです」と声が出せた。電話の向こう側でガサガサと空気を切る音が聞こえる。
「エアグルーヴさん」と続けるとヒュッと息を吸い込む音と「トレーナー…」と呼ぶ彼女の言葉が紡がれた。
「……突然すみません。これからレース…ですよね。体調はどうですか?練習で疲れてませんか?無理はしてませんか?」
何を話せばいいのか分からず当たり障りのない事を聞いてしまう。
違う、もっと言うべきことがあるはずだ。
1ヶ月も離れてしまってすみませんとか。
ご迷惑おかけしましたとか。
彼女からの返答はなくまた「エアグルーヴさん」と呼ぶ。
「トレーナー…わ、私は」と震える声でいつもの様に喋られないのか彼女の呼吸だけが早くなるのが聞こえる。
「エアグルーヴさん、今日のレース、応援しています頑張ってください」恐らくレース前に珍しく緊張しているのであろう。そんな時に僕から突然電話など来たら驚くのも無理はない。それではとなるべく早めに打ち切ろうとするが「待ってくれ!」と引き止められる。
「私は、お前にたくさんひどい事をして、しまった。許してくれなどとは言わない。でも、謝らせて欲しい…!言葉にするのが遅くなってしまった愚かで怠惰な私の謝罪を受け入れてくれ…本当にすまない…」なぜ彼女が僕に謝罪をしているのかが解らなかった。
寧ろ謝罪をするのは僕の方だ。
紛いなりにもトレーナーとして専属契約しているにもかかわらず、その仕事を満足にできなかった事をまず僕から謝罪するべきなのに呆然としてしまう。
「トレーナー…」
トレーナー、トレーナー…
「…はい」
「頑張れと、言ってくれ。私には、お前が必要なんだ」頼むと懇願する様に1人のウマ娘が、エアグルーヴが必要と言ってくれた。
歓声が遠くに聞こえる
「エアグルーヴ」
「…頑張れ、エアグルーヴ。君なら勝てる」
「彼は行ったか?」
「えぇ、『トレーナー』ですから」
「さぁいよいよ始まりますG1レース宝塚記念!票に託されたファンの夢を一身に受け今ウマ娘達がゲートに入ります!」
テラスシートに戻らずそのまま僕はターフビジョン前の一般観覧席に足を運ぶ。
一階、二階席は共に満席で立ち見のお客さんも大勢いる。皆それぞれ今日の勝者は誰かを語り合いやれグラスワンダーだやれサイレンススズカだテイエムオペラオーだと。
ウマ娘達が全員ゲートに入り切るとガヤガヤとしていたレース場は水を打ったように静まり返り、ガシャリと同時に歓声が弾けた。
「今スタートしました!各ウマ娘綺麗なスタート!先頭を行くのはやはりこのウマ娘!サイレンススズカ!その後ろをピッタリとついて行くのはマヤノトップガン!その後方およそ3バ身離れてメジロライアン、スペシャルウィーク、メジロマックイーンと続きます!さらにその後ろグラスワンダー、テイエムオペラオー、エアグルーヴと続き最後方にはゴールドシップ!順位は変わらずレースは中盤に差し掛かります!」
状況がまずい
先頭集団から大きく離されてる上、バ群に飲まれ始めている。徹底的にエアグルーヴがマークされあれでは抜け出せない。
刻一刻と場面は移り変わり第3コーナーを回る。掛かっていない、足は残っている。
前を見据え、内ラチから抜け出そうとするが、それを許さずバ群中程は横一線にウマ娘達が形成し抜ききれない。
先頭集団はもうすぐ直線に入ってしまう
エアグルーヴ、エアグルーヴ
エアグルーヴ!
「エアグルーヴ!!」
気づけば叫んでいた
地面を揺るがす程の歓声に埋もれ
聞こえないとわかっていても
「負けるな!!」
ターフの上で戦う彼女に
僕ができる事は少ないが
「頑張れぇ!!!」
心の内から飛び出た声は止められない
「さぁ運命の第4コーナー!先頭を行くはやはりサイレンススズカ!マヤノトップガンを突き放す!続いてメジロライアンが抜けて来たぞ!これは2人の勝負に…いや違う!後方から抜けて来た!エアグルーヴ!大外だ!大外からエアグルーヴが来た!!」
バ群から飛び出し
芝を蹴り上げ
溜めた足を解放し
閃光の様に煌めき
全てを抜き去る
「逃げるサイレンススズカ!逃げるメジロライアン!残り400!エアグルーヴだ!!『女帝』が来た!『女帝』が来た!!メジロライアンを抜いた!サイレンススズカも追い越した!グングンと突き放す!2バ身、3バ身!強い、強すぎる!これが『女帝』だ!これがトリプルティアラだ!」
これが彼女だ
エアグルーヴだ
僕が見たかった
『女帝』が
「今1着でゴールイン!!エアグルーヴ!!優勝はエアグルーヴ!!2着はサイレンススズカ!3着メジロライアン!!」
真っ先にゴール板を駆け抜けた
「見ていたか」
「うん、見てた」
「どうだった」
「感動した」
「そうか」
「うん」
カツカツと彼女が歩を進める度に地下バ道の簡素な壁と床を音が反響し縦横無尽に響かす。
一歩、二歩、三歩。
レース後の興奮冷めやらぬ体は隆起し熱を持ち、発汗し、噴き出る蒸気で陽炎を作り、乱れた髪の毛は激闘を語っていた。
やがて眼前の下、鼻がぶつかり合う程に近くにきた。
「痩せたな」
「…そんな簡単に痩せないよ」
「いや、痩せた」
手を取りゆっくりと指先から手首まで確認する様に撫でる
「…手が赤いぞ」
先程のレースで力が入ってしまっていたのか強く握りしめてしまい、手は真っ赤に充血してしまっていた。
僕がここにいる事を確認する様に僕の手を未だ火照る自分の頬に当てる。
「もう、私の前から居なくならないでくれ」
勝利の果てに流れた一粒は僕の手に落ちた