何故夢を叶えて後悔するのか、それを知ろうとするスペの周りには沢山の人々が集まってくる。スペをよく知る友人、多くのウマ娘達を見守ってきた責任者、そしてウマ娘の夢を諦めさせようとするエクリプス。
『日本一のウマ娘になる』、その答えを見つけるべくスペシャルウィークは走り続ける。
「それではURAファイナルズ優勝者インタビューを始めたいと思います」
URAファイナルズの各部門で優勝した5人のウマ娘は熾烈な取材権争いを制した乙名史の取材を受ける為にトレセン学園の応接室に集まり、乙名史も一言一句漏らさぬようにボイスレコーダーを起動してからインタビューを始めた。
其々の意気込みやレースに掛けた想い、ライバル達との激戦といった定型文的な質問は答えを用意していたウマ娘達も言葉を詰まらせなかったが、其処は乙名史も織り込み済みで本番は次の質問からだった。
「では、この中で自分こそが最強だと思う方は?」
「はい!ターボが1番!」
「あら、一流の私こそが最強よ!」
「走ることさえ出来れば私だろうね」
「最強の名は譲れマセン!」
何度も再点火してテイオーを差し返したツインターボ。フィジカルに物を言わせて全速力で1200mを走り切りバクシンオーを抜いたキングヘイロー。上がり3ハロン30秒台を達成しスズカを置き去りにしたアグネスタキオン。16人差しをやってみせたグラスワンダーでさえ捉えられなかったタイキシャトル。
其々強豪を打ち倒したが故に最強という称号は譲れないと手を挙げて主張していて、残された長距離部門優勝者に視線が向けられると「こういった質問には気乗りしないが」と前置きをしてから堂々と手を挙げた。
「皇帝として、譲る訳にはいかないな」
URAファイナルズ長距離部門優勝者、『シンボリルドルフ』も最強候補として名乗りを上げると、乙名史は記者になってから長年の夢だった『誰が最強なのか』という質問ができて舞い上がっていた。
「すみません!ですが、やはりこの場に居る誰もが最強を名乗るに相応しい実力を持ち合わせていますよね!残念ながらタキオンさんは難しいでしょうが、皆さんが競っている所も見てみたいですね!」
「うーん、確かにこの足で競うのは難しいね。しかし来年ならスカーレット君が優勝するだろうからその時に纏めてレースを開くのも面白いと思うのだけれど、どうだろう生徒会長?」
「私に聞かれても返答に困るな」
「走るならターボ中距離が良い!」
「距離は良いのだけど私が連覇したら出走者が減るわね」
「コングは相変わらず強気デスネ!」
「コングじゃなくてキング!」
「という訳で、やはりURAファイナルズでの結果を絡めた夢の11レースをするには人も協議も足りないようです。ですが優勝者で何かしらの催しをするというのは面白いかもしれないね」
「成る程、前向きに検討されると」
「そう捉えて貰って構いません」
取材には慣れているルドルフが個性の強い4人の意見を取り纏めながら乙名史の質問にも学園の代表として答え、乙名史もこういう場でしかできない質問ができて満足して話をURAファイナルズに戻した。
「では、皆さんの印象に残ったレースなどはありますか?」
「「「それは当然…」」」
誰が最強かはお互い譲らなかったものの、印象に残ったレースと聞かれれば5人は口を揃えて答えた。
「失礼しまーす……」
シービーとスズカの対話を立ち聞きしてしまい、シービーが何故そこまで自分の成績を嫌っているのか知ろうとしたスペシャルウィークは、学園内にある『ウマ娘記念館』へやって来ていた。
其処には歴代生徒会長の胸像、ウマ娘のレースの変遷を纏めた書籍の数々、各レースの表彰歴等、一般では見られないような事細かな内容まで記録が残されている。
だが、今を生きるウマ娘達にとっては身の回りにいる年上のウマ娘以外には大した興味はなく、スペ自身も入学の際に一度案内されただけで館内に入るのは初めてだった。
唯一の管理人も外出中で記念館の中は静まり返っていて、スペは案内板を見てから目的の物がありそうな場所に目星を付け、校外向けのビデオが置かれた棚をしらみつぶしで探した。
「……あった!」
トリプルティアラ、秋シニア三冠と様々な連勝記録を持つウマ娘達を紹介するビデオが収められた棚の中から、スペが選び取ったのは『クラシック三冠』ウマ娘を説明するビデオだった。
チャレンジ出来るのは人生で一度しかなく、中にはスペが栄冠を掴んだ日本ダービーも含まれているクラシック三冠。学園内でもシンボリルドルフ、ナリタブライアン、ミスターシービーと成し遂げたウマ娘が居る。
誰もが憧れる三冠を手にしておきながらシービーが何故手に入れるべきではなかったと言うのか、スペはその言葉の真意を知る為にソファに座ってからビデオを再生した。
『タブーは人が作るものに過ぎない』
かつて、周りにそう思わせるような走りをしたウマ娘が居た。
クラシック二冠を達成し、最後の冠である菊花賞では最後方に控えていたにも関わらず、第3コーナーから一気に飛ばして先頭に躍り出て、そのまま後続を突き放して世代最強の三冠ウマ娘になった。
白い勝負服に映える艶やかな茶色の長髪、小さな帽子といつも冷静で凛々しい横顔。長らく見なかった三冠ウマ娘ともあり誰もが彼女を愛していた。
だが、彼女は--
「感心!勤勉だなスペシャルウィーク君!」
「きゃぁっ!?」
史上三人目の三冠ウマ娘として紹介されていて、その功績を讃えていたがその比較対象としてシンボリルドルフが紹介されていると、スペの後ろから溌剌とした声を掛けたのは白い帽子を被った少女だった。
「り、理事長!?」
だがその少女こそがトレセン学園の理事長である『秋川やよい』。その顔に見覚えがあったスペはすぐに立ち上がって挨拶をしたが、「お忍びだから気にしなくて大丈夫」と秋川はスペの隣に座って気遣いは無用だと笑った。
歳こそスペシャルウィークの方が上だが、その齢でトレセン学園という特殊な教育機関の長として手腕を振るい、URAファイナルズという新しい試みにもチャレンジする姿にはスペも尊敬の意を示していた。
「三冠ウマ娘に興味が?」
「その、はい…」
「三冠、ターフを走るウマ娘なら誰もが夢見る舞台だろう。だがその夢が叶う者もいれば叶わない者もいるのが現実。だからこそ叶えた者には相応の期待が寄せられる」
「……シービーさんもですか?」
「当然。先代の時代とはいえ、私も彼女の事はよく知っているよ。彼女は久し振りの三冠ウマ娘だったが故に、ファンの熱も入り過ぎていたな」
『見つけましたよ理事長!』
秋川もシービーについては良くも悪くも人目を引いてしまうウマ娘だったと説明しようとしたが、秋川を探していた秘書である『駿河たづな』が秋川を見つけると秋川もバツが悪そうに扇子を開いて顔を隠した。
普段から緑色の服を着ている駿河は先代の理事長も支え、グラウンドの使用許可や購買の管理など多岐にわたって業務を請け負っているベテランの秘書だ。
「まだ打ち合わせは終わってませんよ」
「たまたまスペシャルウィーク君が記念館に入っていく姿を見て感心して声を掛けに来ただけだよ。ほら、スペシャルウィーク君に言っておかないといけない事もあるだろう?」
「言っておかないといけない事?」
「海外からURAファイナルズの決勝を是非見学したいという連絡があってね。決勝に出る君にも記者会見に出て欲しいみたいだ」
URAファイナルズはこれまでの実績から出られる部門こそ選定されるが世界的に見ても珍しいほぼ無制限のトーナメント戦。海外ウマ娘は出られないとはいえ、レベルの高い日本ウマ娘達の頂点を決めるトーナメントと聞きつけ、予定を合わせて海外ウマ娘が来日するのだ。
中でもスペに因縁があり、名指しでの指名にスペは首を傾げたが「では頼んだよ」と秋川は駿河に叱られる前に記念館から出て行った。駿河は呆れながらも、記念館に入るウマ娘がスペだったならば自分も声を掛けていただろうと心の中では同意していた。
「決勝進出おめでとうございます、スペシャルウィークさん」
「あ、はい。ありがとうございます」
「シンボリルドルフさんの予想通り、お二人共決勝まで上がってきましたね」
「予想通り?」
「はい。『スペシャルウィーク、オグリキャップ両名が決勝まで残り、何方かが勝者となった暁には……」
駿河はURAファイナルズ開催にあたって開かれた関係者会議に於いて、シンボリルドルフが事前に関係者のみに交わしていた誓約についてスペの意見を聞こうとした。
しかし、スペの目が『どうしてこの人が知っているんだ』と言わんばかりに純粋な目をしていて、思っていた反応と違い過ぎることに違和感を覚えた駿河は途中で言葉を止めた。
「シンボリルドルフさんからはどういった話を聞いてますか?」
「優勝したらプレゼントがあるとしか」
「……あー」
「もしかして、聞いちゃいけないこと聞いちゃいました?」
駿河の様子からスペも何か聞いてはいけない事を聞いてしまったのだと察すると、駿河は口元で指を立てて二人の秘密だと暗に示すと敏腕秘書もミスをするのだとスペは笑いながら頷いた。
「そうだ、よかったらシービーさんについて教えて貰えませんか?ビデオ観てても何ていうか、思っていたのと違って」
「構いませんよ。私の知る限りの事はお話しましょう」
「シービーさんとトレーナーさんって結構有名だったんですか?」
「それはもう!沖野さんは初めてのウマ娘で、シービーさんは初めてのトレーナー。そういう場合はお互い遠慮をしてしまうものなのですが、お二人とも息ピッタリで最初から勝利を重ねていきました」
長い間その目でウマ娘達を見てきた駿河にとっても、ミスターシービーと沖野のペアは特別異質だった。本来ならお互いの相性を見てからようやく考える専属契約を早々に結び、トゥインクルシリーズを走り切るまで一度も契約解除をしないペアはそう居ない。
契約解除をせずにクラシック三冠ウマ娘を達成したのは二人が初めての実績で、それだけに二人は常に注目の的だった。
「スペシャルウィークさんも知っての通り、クラシック三冠を取った時のお二人はまさに絶頂期だったと思います。ですがその後の足の不調が長引き、周囲の目は変わっていきました」
「生徒会長さんがクラシック三冠を取ったからですか?」
「それもありますが、ジャパンカップの辞退も大きな要因だったと思います」
スペもシービーがクラシック三冠を達成した年のジャパンカップは足の不調で辞退したのは知っている。しかし、足の不調なんてウマ娘ならば常に付いて回るもの、避けたくても避けられないのは誰もが知っている事だ。
「海外からの挑戦者が多いジャパンカップでは久し振りに三冠ウマ娘と競えると大きな期待が寄せられていました。しかし、それだけにシービーさんの棄権は波紋を呼びました」
「でも足の不調なんて…」
「どうにも出来ないのは皆分かっていたと思います。苦言を呈した海外の方達もシービーさんを貶めるつもりはなかった筈です。ですが、シービーさんにとってはそれが大きな重荷になりました。そして翌年のジャパンカップでシンボリルドルフさんと競い、同期のヒイラギファーストさんが勝ち、10着という大敗を喫しました」
「……」
駿河の話を聞いているスペは何とかシービーの気持ちの変化を汲み取ろうとしたが、どうしても理解し切れない部分があった。
ブロワイエを降したジャパンカップではスペもその勝利を喜んだが、もしも負けていれば当然悔しくて涙も流しただろう。しかし、それは自分の過去の勝利まで無かったことにしたいと思う程だろうか。
最速を競う皐月賞、幸運を競う日本ダービー、最強を決める菊花賞を制した程のウマ娘がどうしてそこまで思い詰めたのか。
そして何故沖野がそんな状態になるまでシービーを放置したのか、当時を知らないスペからしてみればシービー達は余りにも不器用に感じたのだ。
それをスペが口に出せなくとも駿河もその考えを読み取り、シービー達を語る上で避けては通れない話を続けた。
「シービーさんは後方からの猛烈な追込みで勝つ戦法を得意だったのは知ってますか?」
「はい。菊花賞の時が1番凄かったってさっき観ました」
「その通りです。中盤まで全体のテンポに合わせ速度管理とスタミナ管理を容易にし、その代わりに終盤に追い上げられる程の豪脚を持っているウマ娘だけが選べる戦術。それが追込みですが、二つ弱点があるんです」
「前を塞がれるとかですか?」
「それも正解です。そしてもう一つ、先行しているウマ娘達が足を溜めていると終盤で追い越せない事があります。それが分かっていれば前にいる全員がシービーさんに対してその二択を選ぶことができた。それがシービーさんが後期になるほど成績が落ちた原因であり、追込みが見栄えだけの時代遅れな戦術と揶揄される所以です」
最後方からの追込みで集団を次々に抜き去り、クラシック三冠を勝ち取ったシービーは誰もが注目する存在だった。三冠を取るまでは奔放なシービーは注目される事もプラスに働き、声援や期待を力に変えることが出来ていた。
しかし、ジャパンカップの棄権と大敗でシービーが経験したのは、前を走る全員が自分への対策を講じるという展開と期待を裏切った際に降り掛かる失望の声だった。
『勝負できると思っていたのに』『三冠ウマ娘同士の勝負になると思っていたのに』『そこから捲り切れると思っていたのに』『シンボリルドルフに勝つと思っていたのに』と数多くの言葉を掛けられたが、シービーはそれ等には大して興味を示さなかった。ルドルフが強かった、包囲網を抜けられなかった自分が弱かったと割り切ることはできていたからだ。
ただ、『俺の所為だ』とシービーの指導を誤ったと悔いる言葉だけは今もシービーを苦しめている。
実際に見てきた駿河の話を聞いてシービーが走ってきた道は決して楽な道ではなかったのだとスペは重く受け止め、「少し話が長くなっちゃいましたね」と駿河は腕時計を見てからまた秋川が行方を眩ませる前に戻ろうと立ち上がった。
だがもう一つ話しておかなければいけない事を思い出して「そうでした」という声と共に手をポンと叩いた。
「エクリプスさんとの勝負、応援していますね」
駿河は何の気兼ねもなくスペとエクリプスの勝負を応援していると言い、「あっ、ありがとうございます」とスペも返したものの、すぐに駿河がエクリプスの存在を知っている事がおかしいと気付くと声を上げた。
「何で知ってるんですか!?」
「それは……秘密です。でもシンボリルドルフさんが貴方とオグリキャップさんを選んだ理由が話していて分かりました」
「へ?」
「その気持ちを忘れなければ、きっと応えてくれる筈ですよ」
駿河はスペの問いには応えなかったがスペがシービーを知ろうとした想いこそがエクリプスを超える鍵だと助言を与え、今は困惑しているスペを置いて記念館から先に立ち去った。
一人残されたスペはまだ分からない自分の気持ちの正体を知るためにソファに座り直し、リモコンの再生ボタンを押すとビデオの続きが流れ始めた。
ミスターシービーの紹介が終わり次のウマ娘の紹介をスペが観続ける中、応接室では次のレースに向けての最終調整が進められていた。
大まかな内容は実行委員とURA幹部で既に決められているが、議題が『シンボリルドルフの出走資格の取り消の採決』に移ると手元の書類にはない項目にエアグルーヴは声を荒げて反抗していた。
「何故会長が失格にならなければならないのですか!」
「彼女のパドックでの立ち振る舞い、係員や他選手への態度、とても褒められたものではないからです」
「会長はあくまでも全生徒の憧れであり立ちはだかる壁としてヒールに徹しているだけ!『皇帝』という異名を聞くだけで諦めるようなウマ娘になって欲しくないという願いがあっての事です!」
「では何故この場にも姿を見せず、代理のミスターシービーがその椅子に座っているですか?」
「それは…!」
「我々はシンボリルドルフの要請により、トレセン学園生徒会長に多くの権限と采配の自由を与えてきました。それに見合っただけの功績、ウマ娘を想う気持ちは私とて嘘偽りなく称賛しましょう。しかし、それがシンボリルドルフだから出来ることであっては困まります。現にこの一ヶ月の間でミスターシービーはその多くの権限を行使した様子もありません」
警察がルドルフを捜索する事態になってから前生徒会長のシービーが代理で生徒会を動かしている間もURA幹部である樫本は敢えて静観していたが、シービーは生徒会長としての特権を行使する事は無かった。
だがそれでもトレセン学園は問題なく機能している。つまり『権限等は本来必要無い』という確かな証拠を樫本は掴んだことになる。エアグルーヴですら把握し切れていないルドルフの権力は本当に必要なものなのか、樫本はこれを機にトレセン学園内の人事を大幅な見直しを行うつもりだったが、追い詰められたシービーは初めて会議の場で手を挙げた。
「何ですか?」
「確かにルドルフの振る舞いは少し度が過ぎちゃってるかもね。生徒会長代理としても見過ごせないよ」
「シービー……!」
「だから生徒会長代理として監督不行き届きの責任を取るよ」
これ以上ルドルフの立場を悪化させかねないシービーの発言をエアグルーヴが遮ろうとしたが、シービーは責任を取るという発言をするとポケットから雑に折り畳まれた白紙の封筒を取り出してその表紙の文字を全員に見せた。
「URAファイナルズが終わったら、私は『退学』します」
退学届の三文字が描かれた封筒を見せられた生徒会は勿論、実行委員やURA幹部もミスターシービーが自らの引退で幕を引こうとしている事に言葉を失った。
トウィンクルシリーズで優秀な成績を残せた者なら誰もが挑戦するドリームトロフィーリーグに三冠ウマ娘のシービーは出場せず、選手人生を終わらせることでルドルフを守ろうとしているのだ。
他人の為にそこまでするウマ娘が居るのかと会議の場は騒然としているが、シービーの事情を理解している秋川は二人の間に口は挟まなかった。
「……貴方の進退でどうにかなる話ではありません」
「元々ルドルフが居れば辞めるつもりで学園に戻って来たし、これがダメならやっぱやーめたとはならないよ」
「ならば尚更、貴方は一度トレーナーとよく話し合うべきです」
「私にトレーナーは居ないし、もう二度と誰とも契約しません」
『此処までおいで〜!』
『規律を乱すなシービー!』
シービーが中等部に入学した当初、娘の才能を信じた両親が勝手に願書を送って受かっただけで望んで入った訳ではないシービーは授業をサボり、トレーニングをサボり、教員達の手を焼かせていた。
後に最大のライバルになる同室のヒイラギファーストは同期の桜として規律を乱すシービーを捕らえようとするが、周りと比べても本格化を迎えるのが早かったシービーは専用のトレーニング無しでも基礎は出来上がっていた。
そんなシービーを是非チームに入れようと勧誘するトレーナーも多く、リギルのアシスタントトレーナーだった東條ハナもその一人だったがシービーはチームに入る事を嫌がった。
理由は簡単、
『あれ?もう逃げ切っちゃった?』
先行するシービーには誰も追い付けなかったからだ。
誰かと一緒に走っても序盤から本気を出していると、すぐに相手を引き離し先頭で一人になってしまう。だがそれではレースが楽しめないシービーは幼い頃から追込で競う事で他のウマ娘達との勝負を楽しんでいた。
それに対してチームのトレーナー達が狙うのは確実な勝利。シービーの才能をそんな事で腐らせたくないと走り方を変えようとするが、幼い頃から追込だけがウマ娘と競う方法だったシービーにとっては他の走り方はあり得なかった。
だからシービーはトレセン学園には入りたがらなかった。自分の走りたいように走れない世界には居られない、他人に望まれたウマ娘にはなりたくないと。
『ハァ……やっぱり辞めようかな』
授業を抜け出して追い掛けてきていたヒイラギファーストも引き離し、屋上まで逃げ切ったシービーは毎日校舎を走るのも飽きて退学も視野に入れていた。
だが、その日の屋上にはシービーを待っている男が居た。シャツの襟には真新しいトレーナーバッジ、癖毛に左だけ刈り上げた頭、口にはタバコのような物。見るからに怪しいトレーナーだが変な気を起こしても張り倒す自信があるシービーが怖気付く事はなかった。
『やっと来たなミスターシービー』
『アタシは君を知らないけど?』
『俺は沖野、見ての通り新人トレーナーさ』
『アタシをチームに入れようって魂胆なんだろうけど、アタシはチームには入らないよ』
『んにゃ、チームに入れなんて言わないよ』
シービーは先手を打ってチームの勧誘を断ろうとしたが、沖野もその話を事前に聞いてシービーがチーム勧誘には興味を示さないと分かっていた。
圧倒的実力と才能を持ち合わせているが、トレーナーに恵まれない不運なウマ娘。沖野の夢でもある『ウマ娘の夢を一緒に叶える』という目標に向けて、その最初のウマ娘に相応しい相手を見つけた沖野の覚悟は最初から決まっていた。
『俺と専属契約を結んでくれ』
『はい?何言ってるのか分かってる?アタシの選手人生を新人君に預けろって?』
『どうせこのまま居ても辞めるんだろ?ならトレーナーと居た方がレースにも出られて良いだろ?』
『新人君と組むくらいならリギルにでも入るよ』
『俺なら追込で三冠を狙いに行くけど、おハナさんは許してくれないだろうなー』
長年の付き合いを経たトレーナーとウマ娘が初めて考える専属契約を最初のウマ娘と最初の交渉で結ぼうとする沖野にシービーも呆れ、校舎の中へ引き返そうとしたがその背中に投げ掛けられた言葉に足を止めた。
『それ、本気で言ってるの?』
『勿論。シービーが追込で走りたいってなら俺はそれを全力でサポートする』
『生憎だけど追込は今の時代じゃ通用しないんだよ』
『これまでのウマ娘ならそうだったかもな。でも俺が話し掛けているのは目の前にいるミスターシービーだ』
才能でも実力でもない、目の前にいる一人のウマ娘を見ていると言う沖野にシービーも振り返るとその顔は決してご機嫌取りの為のお世辞でない事は伝わっていた。
シービーが望むのなら本気で追込で三冠を取るつもりでいる。その為なら結果を残さねばお互いにタダでは済まない専属契約を結ぶ事も辞さない覚悟なのだとシービーにも伝わると、シービーも一つだけ条件を提示した。
『それじゃあ一個だけ約束して』
『何だ?何でも言っていいぞ?』
『負けても走り方の所為にしないで。責めるなら私を責めて、分かった?』
決して追込で走った事を言い訳にしない。シービーもそれだけの覚悟があって走り方に拘っているのだと沖野も理解し、笑みを浮かべてるとシービーに近付いて握手を交わした。
『よし!それじゃあ契約成立だ!常識で凝り固まった先輩連中に一泡吹かせてやるぞ!』
『トレーナー君の夢はアタシが叶えてあげるよ!此処からはアタシ達の世界だ!』
シービーと沖野の専属契約は学園内でも波紋を呼んだ。お互いに結果を残さなければ次のトレーナーやウマ娘の契約時に必ず確認される経歴に傷が付き、二度と契約が結べなくなるかもしれない。
誰もが『無謀だ』『無理だ』と言ったが二人は周りの声など気にせず、どうやって追込だけで勝ち抜いていくかを考えた。シービーには才能と実力はあるが追込専門の知識やトレーニング方法までは知らなかった。
だからこそ沖野はシービーに残された伸び代は其処にあると踏んでいた。初戦こそ公式戦を諦めていたシービーが舞い上がって飛ばし過ぎてしまい先行のように走ってしまったが、次のレースからは全て後方スタートに徹し、負けても決して走り方の所為にはしなかった。
『絶対内側の方がいいって!』
『いーや!シービーの足なら外だ!お前なら差し切れる!』
『内側から差されるなんて誰も思ってないから大丈夫だって!』
『リスクが大き過ぎる!レースの流れよりも自分の持ち味を活かせるコースを選ぶんだ!』
お互いに意見をぶつけ合い、時には口を聞かない程の喧嘩をしながらも二人は自分達の夢を叶える為に必死に足掻き、周囲からの奇異の視線にも耐え抜いた。
そしてクラシック三冠を取った時、二人は夢を叶えたのだと実感した。逃げや先行が有利と言われる近代走法を追込で打ち破るというタブーを犯し、まさに二人は時代の風雲児と云える華々しい業績を打ち立てた。
『申し訳ありませんトレーナー……20着なんて無様な結果…』
『気にする必要は無いわ。貴方はそもそも中距離向き、クラシック路線を走り切れた事を誇りなさい』
『……ルドルフ、先で待っているぞ。来年は貴様の番だ』
『ああ、すぐに追い付いてみせるさ』
だが、東條が一年遅れで見つけた『皇帝』が夢を叶えた二人の運命を引き裂いた。
「あー、疲れた」
URA幹部との会議を終え、『シンボリルドルフの失格は一先ず保留』という結論が出て満足したシービーは退学の件で問い詰めてくるブライアンとエアグルーブから逃げ切り、学園内を適当に歩き回っていた。
すれ違うウマ娘達は誰もが活き活きとしていて、充実した設備に恵まれた環境でトレーニングを受けている。三冠ウマ娘のシービーと会えて喜ぶ生徒も居れば、目指すべき高みの相手だと睨む生徒も居る。
常に注目を浴びてきたシービーは誰に対しても笑顔を向けているが、今のシービーの内心にあるのは沖野への罪悪感だけだった。
三冠ウマ娘になるという意味を知らずになってしまったシービーは子供の頃から大好きな走りで周囲を見返すという夢を叶えたが、『夢を叶えた先』を何も考えていなかった。
「おーす!やっと見つけたぜシービー!」
他の生徒に悪影響を与えかねないからシービーも早く帰ろうと校門に向かったが、通りの向かい側からセグウェイに乗って現れたのはゴールドシップだった。
シービーが沖野の為に遺したスピカの最初のメンバーにして、シービーが見つけてきた黄金の卵。沖野は見事にその卵を孵す事ができたが、生徒会でも手が付けられないじゃじゃウマ娘なのはシービーの耳にも入っている。
「私を探してたの?それに練習は?」
「アタシはアタシのやりたい時にやりたいやり方でやるからいいんだよ。元々そういう約束だったろ?」
「まぁそうだけど、あんまり手を抜いてるとエクリプスには勝てないよ」
「大丈夫だって、あんな奴に二度と負けねぇから。それよりもスズカがアンタをお呼びだぜ」
「スズカちゃんが?」
「そ、アンタとの再戦をご希望だってさ。ほら、これアンタの勝負服」
「……どうやって私の部屋を見つけたんだか」
各地を転々としているシービーがキャリーバッグの奥底に仕舞っていた筈の勝負服の入った袋をゴルシが差し出し、中身を確認したシービーは呆れ気味に笑いながら受け取った。
引退の時しか着ないと決めていた勝負服をこんな形で着るとは思っていなかったシービーも、相手がスズカならば引退を早めるのもアリかと思い直し、グラウンド脇の更衣室で勝負服に着替え直すとその勝負服から懐かしい匂いがした。
「いい匂い……それに足の丈もピッタリ。この服何処にあったんだろう?」
キャリーバッグに仕舞っていた筈なのにしっかりとアイロンまで掛けてあり、今のシービーの丈にもピッタリと合っているのだ。
手先が器用なゴルシとはいえそこまで出来るものなのかとシービーも不思議に感じていたが、今はグラウンドで待つスズカの元に向かおうと更衣室から出ると空からはポツリポツリと小雨が降り始めていた。
「遂に空にも嫌われちゃったか」と自嘲気味になりながらも準備運動代わりに小走りでグラウンドに向かい、さぁラストランだと軽く意気込んでからシービーはグラウンドに入場したが、観客席の方を見るとその足が止まった。
「ミスターシービーが来たぞ!」
「シービー先輩こっち向いてー!」
「ヒャァァァ!?発電出来そうなくらい後光差してますよ!?モノホンのシービーさんの勝負服姿が見られなんてお母さん産んでくれてありがとぉぉぉ!」
グラウンドの観客席には所狭しとウマ娘達がシービーとスズカのレースを見ようと並んでいて、シービーの入場に合わせて大きな歓声を上げた。
これがラストランとは思っていたがまさか観客まで居るとは思っていなかったシービーに対し、先にグラウンドで待つスズカも勝負服を着て準備を万全にしていて、慌てて駆け寄ってくるシービーに冷ややかな視線を向けていた。
「観客が居るなら先に言ってよ……それなら…!」
「走らなかった、ですか?」
「……君の気持ちは分かってるよ。沖野ちゃんが私の事を引き摺ってるから早くケリをつけて欲しいんでしょ?こんな事しなくても私は引退す…」
「違いますけど?」
スズカは専属契約を結びたい沖野がシービーとの過去があるから渋っていて、その為に因縁にケリをつけようとしているのだとシービーは思っていたが、既に火が付いているスズカは言葉を遮ってそれを否定した。
確かに沖野と専属契約を結ぶにはそれも必要だと思っていたが、それ以上に怒りが上回っているスズカが手で合図を出すと、サングラスとマスクを付けたスカーレットとウオッカが人の足がはみ出したずだ袋を担いでやって来るとシービーの隣に放り捨てた。
そしてその中から這い出してきたのは沖野だったが、沖野も何も聞かされておらず、隣に勝負服姿のシービーが居る事に気付くと目を丸くした。
「私はトレーナーさんにも怒ってます。なので今日はトレーナーさんのアドバイスを聞いてから私と一対一で勝負してください」
「おいスズカ、あまり無茶ばかりするなって。誰に似てきたんだ?シービーだって生徒会長の仕事で」
「御託を並べるよりも早く今の私に勝つ為にアドバイスをしてあげて下さい。それがトレーナーさんの役目ですよ」
沖野から注意されてもまるで耳を貸さないスズカは先にスタート地点へ向かい、「何したの?」とシービーが小突いて聞いても沖野にも心当たりはなく首を横に振るしかなかった。
ただ尋常ではないくらい怒っているのは間違いなく、シービーが勝手に帰れば地の果てまで追い掛けてきそうな気迫を前にした二人は仕方なく勝負を受けることにした。
「それじゃあ、どうする?」
「スズカは確かに速いが、最後のキレはシービーの方が上だ。序盤で離され過ぎないようにしつつ、最終コーナーはなるべく内を突くんだ。二人だけならそれで十分だろ」
「了解」
スズカの魂胆は見えないが沖野もスズカがその気ならやりようはあるとシービーに策を提案すると、それに納得したシービーは頷いてからスタート地点に向かおうとした。
だがその前に沖野の方へ振り返り、「今までありがとう、沖野ちゃん」と微笑みながら手を振って別れの挨拶を済ませ、スタート地点に並ぶとスズカは今すぐにでも出走できるように準備を済ませていた。
「もう走る意味なんて無いんだけど、それでもやる?」
「走る理由が一つ増えました」
「……あっそ」
「ヨッシャ!何だかよく知らないけどタイマンなんだな!2000m左回り、ゴールは真後ろにあるアタシの看板だ!位置について!」
事情を知らないヒシアマゾンが二人のレースを仕切り、二人とも体勢を整えたのを確認し、「ドン!」という掛け声と同時に二人が走り出した。
いつもシービーなら少し出遅れてから様子を見ていたが、沖野の指示通り差を広げ過ぎないように3馬身程に抑えていて、実際のレースならば先行の位置取りでもペースが乱れないのはそれだけシービーには天性の勘が備わっているからだ。
「ぬかるんだ芝なのに二人とも滅茶苦茶速い…!」
「アレが本当に久し振りに走る人の速さですの…!?」
第一、第二コーナーと周って向正面に入ってもシービーは付かず離れずの位置をキープし続け、スズカが完全に捉えられている展開にスピカの面々は手を握り締めていた。
日本には居なかったとはいえずっと走り続けたスズカが多少の雨でスピードを落とさないのは理解できるが、シービーはスズカと一度並走しただけ。だがシービーの天性の勘を理論に落とし込み、レース中でも自分が走るべき道を選べるように仕上げたのは他でもない沖野。
スズカが走れるならシービーも当然同じように走れるのは決して驚くような事ではなかった。
「前回がまぐれ勝ちだと思ったのが大きな間違いだったね」
そして二人が第三コーナーに入った瞬間、シービーが領域に踏み込むと生徒達は観客席からでもその凄まじい覇気を感じ取れた。
エクリプスがオグリの夢を否定する為に出した全力に匹敵する程の覇気を放つシービーは急激に加速し、第四コーナーに入る前で既にスズカの影を踏んでいた。
長いストロークでもフワフワと浮いてるようで力みを感じさせず、見る者に神々しさすら感じさせる走り姿はまさに『天衣無縫』。豪脚のシービーと智略を巡らせた沖野の二人で完成させた追込は極みに達しているだろう。
シンボリルドルフ、ナリタブライアンに並ぶ『三冠ウマ娘』としての存在感を示しながら二人が第四コーナーに並んで入り、此処から更に伸びるシービーを相手に勝負は決したと誰もが思った。
「私が思い出せてあげます。貴方が見たかった景色を」
だが、スズカは諦めてなかった。
第四コーナーから抜けてミスターシービーがスズカの一歩前へ踏み出そうとした瞬間、スズカも領域に踏み込んで持てる全てを出し切ろうとしたが生徒達が受けた印象は『静寂』だった。
エクリプスのような禍々しさも、シービーのような神々しさもなく、ただ其処でサイレンススズカが走っているだけと思わせるような静かな走り。
だが誰もがその姿に釘付けになった。何にも縛られる事なく走れている事に最大の喜びと感謝を込めたスズカの左足がターフを踏み締めた瞬間、前傾姿勢で長くなっているスズカの身体はシービーを完全に突き放していた。
「ッ!?それでも私だって……!」
前回の並走とは比べ物にならないスズカのラストスパートに離されたシービーは自身も残っている全てを出し切ろうと加速するが、あと一つ出し切れていないと自分でも感じ取れた。
菊花賞の時に辿り着いた領域とは違い、今も全力を出している筈なのに何も感じられないシービーは目の前にいるスズカがあの日のルドルフと重なっていた。感じる印象は違っても、間違いなく自分より『強い』と。
スズカは少しずつシービーとの差を開いていき、シービーは自身の末脚を発揮出来ずに先にスズカがゴール板を過ぎると、激戦を制したスズカに生徒達から喝采が送られた。
シービーも遅れてゴールしてから立ち止まり、肌寒い小雨の中で息を整えながら観客席の方を見ると勝てなくとも少しは楽しませることは出来たみたいだと安堵した。
「ありがとうスズカちゃん、最後に楽しっ
これで悔いはない、そう思ってシービーはスズカに握手を求めたがスズカは近付くや否やシービーの頬を平手打ちしてターフに乾いた音が響いた。
二度は見れない激戦に盛り上がっていた生徒達も本人達の雰囲気が冷え切っているのを察すると静まり返っていった。
「一体いつまでそうやって拗ねてるつもりですか?負けてもそうやって笑ってれば楽しいフリができるんですか?」
「……もう満足した?最初に走りたくないって言ったでしょ?勝手に勝負服まで持ってきてさ、私の気持ちを無視して私の事を分かってるフリしてるのはスズカちゃんの方だよ」
「自分に嘘を吐いてまで勝負から逃げるんですか?」
「いい加減にしてよッ!」
スズカの怒りを焚き付けるような言い方に大人であろうとしていたシービーも我慢の限界を超え、スズカの胸ぐらを掴んで怒りを露わにし、慌てて沖野は二人の仲裁に飛び出したがシービーの堪忍袋の尾は完全に切れていた。
「私の立場も状況も知らない癖に口を出して来ないでよ!もう沖野ちゃんとは関係無いんだからどうでもいいでしょ!」
「立場や状況なんかの為に走るのを辞めるんですか?その勝負服に掛けた想いはそんな安いものなんですか?」
「だから着たくなかったんだよッ!」
ウマ娘が自らの想いを込めてデザイナーに託す勝負服、嫌でも目立つシービーの勝負服も自分からひと時も目を離させないという自信が現れている。
けれど、シービーは今の自分が勝負服に見合わない事は分かっていた。
「私はもう昔のようには走れない!私が負ければまた大切な人達が傷付く、また嫌な思いをする!それなら走らない方がマシに決まってるでしょ!」
負けるのは怖くない、勝負なのだから勝敗が決まるのは仕方がない事だ。だがシービーが恐れているのは切っても切り離せなくなった『三冠ウマ娘』という称号そのものだった。
沖野が二人の間に割って入って二人を無理やり引き離したが、既に感情が爆発しているシービーはそれでも止まらなかった。
「私が負けた所為でルドルフに勝ったヒイラギちゃんまで弱いって言われた!私が負けた所為でルドルフが学園を背負わなくちゃいけなくなった!私が負けた所為で沖野ちゃんが間違ってた事にされた!私が三冠を取った所為で皆嫌な思いばかりしてるんだよ!?」
シービーがこれまでずっと溜め込んでいた悲鳴にも似た叫びはクラシックを走り終えた者、これから走る者の胸にも突き刺さっていた。クラシック三冠に挑めどその一つを取っただけでも快挙であり、ましてや三冠を達成する者なんてそれこそ一握りのウマ娘だけ。
幼い頃から夢見た三冠を成し遂げられずに涙する者の気持ちは分かっても、成し遂げた所為で自分の走りが出来なくなったシービーの気持ちが真に分かるウマ娘なんて何処にも居ない。
他のウマ娘と競う為に追込を選んだ筈のシービーはいつの間にか孤独になってしまい、誰にも話せずに積もっていた想いを打ち明けたシービーは雨の中でも分かるほど号泣していた。
「なのにどうして……っ、どうして私を走らせようとするの!終わった私のことなんてもう放っておいてよ!」
「貴方が恩人だから、見過ごせません」
自分が走れば誰かを傷付けると思い勝負服すら拒絶していたシービーに対し、スズカは声を荒げることなくシービーへ自分の感謝の想いを告げた。だがシービー自身には感謝されるような事をした覚えはなく戸惑っているとスズカは言葉を続けた。
「私はリギルに居た頃、クラシックでは全く結果を残せなかった。ハナさんは私を勝たせようと沢山練習にも付き合ってくれて、私もその想いに応えたくて先頭を走りたい気持ちを我慢してました。でもそんな私を見つけてくれたのは他でもないトレーナーさんでした」
「それは沖野ちゃんがスズカちゃんの才能を見抜いただけで私は…!」
「いいえ、シービーさんが沖野さんの夢を守る為に残したスピカ、『一つ尖った変わり者』の居場所を守る為にトレーナーさんは私をリギルから引き抜いてくれました。スピカの皆が居なかったら、トレーナーさんが居なかったら、シービーさんが居なかったら私は此処には立っていない筈です」
スズカが秋の天皇賞で足を骨折した時、もしもスピカが無ければスペが助けに行く事も無ければ左足を庇うという沖野の指示も無く、そのまま最高速のまま地面に倒れてスズカの選手人生は愚か生死すら危うかっただろう。
そんな運命の分かれ道で最良の道を選ぶことができたのはシービーがスピカを残したからだった。
「貴方が走ったら誰かが傷付くなんて、そんな寂しい事を言わないでください。少なくとも私は貴方が走っていたお陰で今も夢を見続けられているんですから。トレーナーさんだってシービーさんに言いたい事があるんですよね?」
「スズカ……」
「ハナさんにちゃんとお礼を言ってくださいね」
スズカが自分の感謝の気持ちを伝えるとシービーの自己否定に若干の綻びが生まれ、スズカは最後のバトンを沖野に渡すと、自分だけでは伝えられなかった想いに気付いていた東條と伝えるきっかけを作ったスズカに感謝しながら沖野はシービーと向き合った。
「本当に悪かった。シービーがスピカを残して去っていく時に……いや、契約解除の書類にサインをしている時に言わなくちゃいけなかったのに俺にはその度胸が無かった」
「沖野ちゃんは悪くないよ……私がルドルフに負けさえしなければ…」
「いや、そうじゃないんだ」
「そうじゃないって?」
「……シービー、俺達がルドルフ達に負けたのはそれが『実力』だったからだ。全部俺の指示が悪かったと思い込んで、俺は目の前にいるシービーを見ていなかった。シービーが三冠を取った事で夢を叶え、目標を見失っている事にすぐ気付いてやれなかった。そんな状態で走っても負けるのは当然だったんだ」
かつては自身の指導力不足が原因でシービーが負けたと自分を責め、それを聞いたシービーが沖野を傷付けてしまったと後悔していた。だが沖野はスピカのメンバー達の成長を通じて、お互いに肝心な部分が間違っていたのだと気付いた。
『自分の夢を叶えてくれたパートナーが間違っている訳がない』。お互いの実力と才能を信じる余りに、お互いがパートナーの実力を驕っていたのだ。三冠を目指していた時のように言い争う事も、譲らない事も無くなった二人は走法こそ完成して驚異的な実力を誇っていても、夢が無ければ全力が出せる筈もなかった。
シービーはそれが分かっていても口には出さなかった。夢を叶えてしまったと言ってしまえば沖野との関係が終わってしまいそうで、かけがえの無いパートナーを失ってしまいそうでシービーから言い出すことができなかったのだ。
だからこそ、パートナーと別れる覚悟を決めていなかった自分の所為で多くの人を傷付けてしまったとシービーの自責の念は強く残ってしまっていた。
なのにそれがお互いの実力だったと言う沖野に対して、自分の我儘が悪かったと感じているシービーは何度も「違う」と言いながら首を横に振り、嗚咽混じりの声で否定しようとした。
「ちが…っんぐ……おきのちゃんは…!」
だが、沖野も同様にシービーが夢を叶えてしまっていた事にはその後に気付いたものの言い出せなかったのだ。レースで勝てず学園内外でルドルフと比較され続けるシービーの苦しみを誰より理解してるからこそ、根底から間違っていたなんて言ってしまえばシービーが苦しんできた日々は無意味になってしまう気がした。
ずっと自分が黙っていることでシービーを真実から守れるなら、そう思っていたがそれはただ足を止めているだけだった。たとえシービーにとっては認めたくない真実だとしても、シービーの敗北は『二人の実力』だったんだとトレーナーとして沖野の口から言わなければ意味が無かったのだ。
「さっき見てて分かったんだ。夢の為に走り続けているスズカの強さも、夢を失って走れなくなったシービーの弱さも。一緒に夢を叶えるって約束したのに夢を叶えたらそれまでだなんて、俺はトレーナー失格だった」
「ゆめをかなえでくれでっ……あたしをみてくれで…っ!」
「お前のお陰で俺は沢山夢が出来たんだ。ゴルシを最高に楽しませる事も、スカーレットとウオッカの勝負を見届ける事も、テイオーが皇帝を超える事も、マックイーンがもう一度走り出す事も、スズカと同じ景色を見る事も、スペを日本一のウマ娘にする事も、全部シービーが俺にくれた大切な夢だ」
「あたしのゆめはっ……もうおわったの…!」
お互いを想い、守る為に離れていった似た者同士はシービーが蒔いた一つの種が花咲く事で再び巡り会い、沖野にシービーともう一度向き合う為に必要なモノを教えてくれた。
それはシービーを庇う事でも、二人で負けを背負う事でも、ましてやルドルフやヒイラギに勝つ事でもない。
「だったら、次は俺がお前に夢を見させる番だ!」
沖野が長年果たせなかったシービーとの最初の約束を守る為、溢れ出る涙を拭うシービーの手を握り潤んだその瞳をしっかりと見つめた。
「シービー、もう一度夢を叶えに行こう!何度だって新しい夢を見つけて、何度だって夢を叶えるんだ!」
『シービーに新しい夢を見せ、夢の舞台へもう一度上がらせる』。一度夢を叶えても新しい夢を目指せばいい良かったのだとようやく答えを出せた沖野がそれをシービーにも伝えた。
夢を叶えた所為で沖野を頼れないと思っていたシービーはもう一度一緒に夢を見てもいいのだと知り、沖野から一緒に夢を叶えようと誘われると大勢の生徒に見守られていても気にせずに大きな声で泣き叫んだ。
もう一度シービーが走り出すのを誰よりも待っていたウマ娘が走り出すのその背中を押すようにシービーコールを始めると他の生徒達にもその声が広まっていき、その声の方がした方へシービーが顔を向けた。
「遅いぞシービー!一体いつまで私を待たせる気だ!」
「ヒイラギちゃん……」
「貴様が来なければ私がどのツラ下げてドリームトロフィーリーグに進むんだ!早く戻ってこい、私達の三冠ウマ娘!」
シービーの同期にしてライバルであり、そしてルームメイトのヒイラギはもう一度シービーをターフに立たせる為に協力してほしいというスズカの申し出に応え、シービーの為にずっと背丈を調整していたシービーの予備の勝負服を渡したのだ。
そしてシービーがもう一度走るのだと分かるや否や、厳しい言葉を掛けているがその表情には憧れと闘志に燃えて輝いていた。次第に雨足は強くなっていき、雷鳴が轟いていても生徒達はシービーコールを止めることはなくシービーの答えを待った。
「アタシの新しい夢、決めたよ…!」
「今のお前の夢は何だ、シービー!」
「アタシ、大切な人達にアタシの世界を見せてあげる!誰が前に居たって、アタシが走っている姿しか見えないくらいに輝いてみせるよ!」
シービーがもう一度走り出す為に決めた新しい夢をこれから見る事になる生徒達にも聴こえるように大きな声で宣言すると、生徒達は学園に三人しか在籍していない三冠ウマ娘の一人が再び走り出すのだと歓声が湧いた。
すると次の瞬間、空に広がる黒雲からグラウンドに設置されている避雷針を無視してターフに稲妻が轟音と共に落ち生徒達は悲鳴を上げたが、シービーは其処にルドルフの身体を操っているエクリプスが突然現れても驚きはしなかった。
「来ると思ってたよ、エクリプス」
「一度走るのを辞めた貴様がもう一度走るなぞ私が許さない」
「君の気持ちは分かるよ、多分スズカちゃん達に言われなきゃ私も同じ道を辿ってたから」
「黙れ」
「アタシ達の為にそうやって夢を諦めさせて運命に従わせようとしてるんだよね?悪いけど、アタシはその運命に従うのは辞めたの」
「黙れッ!」
「君の悪夢はアタシが終わらせてあげる。それがこれまでアタシ達ウマ娘の夢であり続けてくれた君への敬意だよ」
新しい夢を見つけた事で運命の歯車から抜け出そうとするシービーにエクリプスは激昂し、その怒りに共鳴するかのように雷鳴が空で鳴り響いているがシービーもエクリプスの長い悪夢を終わらせる為に抗う覚悟を決めた。
突然現れた生徒会長とシービー、今度は三冠ウマ娘同士の一騎打ちが始まるのかと生徒達はどよめいていたが、
『皆さん傘も差さずに何してるんですか?』
記念館から帰る途中、シービーコールを聞いてグラウンドに足を運んだスペが今からレースをしようとしていた二人の前に立ちはだかった。
状況を把握できていないスペをエクリプスは睨み付けて退かそうとするが、そんな威圧には一切動じないスペはそんな事気にする訳もなく二人を傘の中に入れようと駆け寄った。
「スペシャルウィーク…!」
「生徒会長……じゃなくて、エクリプスさんですよね。二人ともこんな雨の中走ったら風邪ひいちゃいますよ」
「……あはは、スペちゃんの言う通りかもね。この雨じゃあ皆が可哀想だ」
本当にレースはやるのかと雨に打たれながら三人の協議を待つ生徒達の方へシービーとエクリプスが目を向けた。夢は打ち砕こうとしてもウマ娘達に悪影響が出るのは本意ではないエクリプスは舌打ちをしながらも、スペの傘の下から出ると雨に濡れながらそのままグラウンドから立ち去っていった。
すると三冠ウマ娘同士の勝負は無いのだと生徒達も落胆し、風邪を引く前に早く帰ろうと帰り支度を始めた。
「ナイスタイミングだったねスペちゃん」
「結局何してたんですか?」
「ん、スズカちゃんとレースしたりとか?」
「スズカさんとレースしたんですか!?まだ私もしてないのに!」
「あははは!それが生徒会長代理の特権なのだ!それじゃあアタシは一足先におさらばさせてもらうね!」
アメリカから帰ってきたスズカとはまだ走れていないスペは頬を膨らませて抗議したが、天真爛漫な明るさを取り戻したシービーも自分がやらなければならない事を果たす為に雨の中を駆けて行った。
シービーの雰囲気が少し変わったとスペも感じていたが「失礼していいかしら?」とスズカがスペの傘に入ろうとすると、スペは喜んでスズカを迎えた。
「あっ、どうぞどうぞ!」
「おっ、俺も悪いな」
「トレーナーさんは駄目です!」
「何でだよ!」
「トレーナーさん背が高いんですもん!トレーナーさんは走って帰って下さい!」
スズカに続いて傘に入ろうとする沖野をスペは一蹴し、仕方なく被ってきたずだ袋を傘代わりして沖野は走っていくとスズカはその様子を楽しそうに笑っていて、スペも最近難しい顔をしていたスズカが笑ってくれたと喜んだ。
「私達も帰りますかスズカさん」
「ええ」
それから数日が経ち決勝戦前日、学園内にある会見場で決勝に向けて代表者の記者会見が開かれ、何とか人前に出られるように調整を間に合わせたスペは勝負服を着てから集まった記者達の前に姿を見せた。
結局誰からの指名かは聞かされずに壇上に用意された椅子に座ったスペは周りを見回したりソワソワしていると、会見場の大扉が開かれて指名者が姿を現すと一斉にカメラのフラッシュが焚かれた。
「Bonjour, スペシャルウィーク」
「ブロワイエさん!」
フランス当代最強と名高く、ジャパンカップではスペに敗北したものの凱旋門賞ではエルを打ち破った『ブロワイエ』が通訳として選んだエルを連れてスペの前にやって来ると、スペも予想外の来客に立ち上がって握手を交わした。
海を飛び越えてライバルの大舞台を観戦しに来たブロワイエとスペに向けて一際強くフラッシュが焚かれ、司会の駿河が記者達を諫めるとカメラは下げられ、駿河の進行で会見は進められた。
「エルちゃんも言ってくれれば良かったのに!」
「ブロワイエにスペちゃんには言うなって釘を刺されてたんですよ。ホント、フランス人ってキザったらしいデスよ」
「エル、私も少しは日本語は学んでいるんだよ」
エル達が日本語で話していると、リスニングだけなら完全に理解できる位まで勉強してきていたブロワイエがエルに含みのある笑みを浮かべた。揶揄っていたエルはバツが悪そうに視線を逸らしていると、駿河からの経緯説明が終わり記者達からの質問の時間になった。
その多くはブロワイエへの質問で、フランスでのリーグ戦も真っ只中だというのにその合間を縫ってまで観戦に来たからには相応の理由があるのだろう。再びジャパンカップに挑戦するのか、それとももっと大きな目的があるのか、様々な憶測に対してマイクを受け取ったブロワイエもその質問にはしっかりと答えを用意していた。
「
「それはやはりジャパンカップでの雪辱を晴らす為ですか?」
「
ブロワイエが観戦に来た理由はスペシャルウィークの観戦、その一点だけだった。
フランス当代最強と云われ、凱旋門賞に挑戦しに来たエルを打ち倒し、ジャパンカップを制する事で日本を降すつもりだったブロワイエの覇道の前に立ちはだかった日本総大将。
日本一を決めるトーナメント戦ならば当然決勝戦にも上がって来ると信じて日程を調整し、出場するレースも変えてから来日したのだ。それだけに準決勝での醜態には肝を冷やしたが、今日実際に再会してからその不安は杞憂に終わったと確信した。
「ブロワイエさんはスペシャルウィークさんが優勝するとお考えですか?」
「
記者からの質問に確信を持っていると感じさせるほどスペの優勝を断言し、記者達も感嘆の息を漏らしているが当の本人は照れ恥ずかしそうに頬を掻いている。
何故か多くの実力者から支持されるスペと準決勝では負けたものの後一歩だったオグリは準決勝1着のブライアンに並んで人気が集まっている。そこにブロワイエも加わるとなれば記者もスペにも聞かなければならないだろう。
「それではスペシャルウィークさん、URAファイナルズ優勝に掛ける想いを教えて貰えますか?」
ブロワイエに会見の場まで用意されたスペの意気込みを知りたいと記者はそのままスペに質問をすると、ブロワイエもマイクを渡してスペに応えるように促し、スペも緊張しながら変わらないレースへの想いを語った。
「私は日本一のウマ娘になるってお母ちゃんに約束したので、決勝も全力で頑張ります!」
スペは幼い頃から変わらない大切な夢を語ると、多くのウマ娘達を取材してきた記者達も年相応のスペの微笑ましい回答に失笑していてスペも気恥ずかしそうにしている。
スペ自身も子供じみた夢だというのは何となくではあるが理解していて、その反応には慣れていた。その一方でその様子を受けたブロワイエが手を差し出したからスペもマイクを手渡したが、その表情は一転して険しくなっているのに気付いた。
「
ブロワイエがフランス語でスペを半笑いしている記者達を叱責し、いきなり難解な単語を捲し立てられエルは翻訳に苦労しているがブロワイエの意思が伝わると記者達もバツが悪そうにした。
子供じみた夢だというのはスペも分かってはいたが、かつての対戦相手にそこまで擁護されるとは思わず、どう宥めたものかと悩んだもののブロワイエも記者達に反省の色が見えると口の端を緩めた。
「スペシャルウィーク」
「は、はい!」
「
かつてエルがスペに吹き込んで国際問題に発展しかけた煽り文句を今度はブロワイエからスペに向けて放ち、本当の意味を知らないスペはエルの翻訳を待ったもののエルは知らぬ顔をしているブロワイエを横目で睨みつつ、「頑張れだって」と好意的な意訳するとスペも大きく頷いた。
記者会見も満足したブロワイエが予定を無視して会場から立ち去る事で打ち切られたが、スペは明日に迫る最終レースに気合を入れ直した。だがその記者会見を生放送で見ていたライバル達も正しく『勝利は君の物だ』と翻訳されたテロップを見て激しく闘志を燃やした。
オグリキャップが準決勝で示した『エクリプスだけが敵ではない』という意思は決勝に進む者達にも受け継がれ、相手がエクリプスだけではないと再認識した。
自分以外全てがライバル、それこそがウマ娘達が走り始めた頃から変わらない唯一のルール。普段は気心知れた間柄でもターフに立てばたった一つの栄冠を競って奪い合う。
たとえそこに最強のウマ娘が含まれていても、走り始めれば他のウマ娘と変わらない。『唯一抜きん出て、並ぶ者なし』、ウマ娘の果てなき夢を体現するべく走るしか道はないのだから。
「『勝てる筈が無いという予想を覆し、そのウマ娘は勝利した。そのウマ娘の名は、ツインターボ。強敵よ……
「あ゛ー!見て見てネイチャ!ターボのCM流れてる!」
「おー、本当だ」
開催から長かったURAファイナルズにも遂に訪れた最終レース。長距離部門決勝戦、中山競技場芝右回り2500m。
唯一のナイターレースとなっている中山競技場はライトアップされ、向正面側に設置されたマルチ画面ターフビジョンにはここまでの振り返りとして最初の栄冠を手にしたツインターボのCMが流されていた。
生憎の雨雲に星空は隠れているが、スタンドにはところ狭しと観客が並んでいて入場制限も敷かれる程の熱狂ぶり。
様々な世代のウマ娘達が一堂に会して競い合ってきたURAファイナルズは興行的には成功したと言っていいだろう。しかし、運営にとってはこの最後のレースの結果によって次回開催は見送らなければならない。
シンボリルドルフが見せる傲慢な振る舞いは『強さこそが唯一の基準』だという在らぬ誤解を生み、今後のウマ娘育成にも大きく関わってくるからだ。
しかし、出場停止に関しては『やっぱ退学は無し』と笑ってURA幹部達に報告したシービーに猛反対され、それこそURAファイナルズを開催した意義を失うというのは秋川達も理解していた為そのまま出場権はそのままにされた。
スタンドではこれまで優勝者のCMが流れ盛り上がる中、準備室ではその異様な光景に多くのウマ娘が唖然としていた。
「おいおいおい、死ぬでホンマに」
準決勝では調整に失敗してふくよかになっていたスペが、今度はレース前に大量のおじやを掻き込んで食べている様子に出場者は呆れを通り越して絶句していた。
しかし、沖野はその様子を真剣な眼差しで身守っていて、スペにしか出来ないその秘策の意図に真っ先に気付いたのはカフェの準備の手伝いにやって来たタキオンだった。
「おやおやぁ?大したものだねぇ」
「タキオンさん……何しに来たんですか?」
「おじやは非常に消化効率が良いエネルギー食だ。実際、我々ウマ娘とは違い超長距離を走る事で膨大なエネルギーを消費するマラソン選手などはレース前に必ず食すと聞く程だ。それに梅干しを添える事でクエン酸を補給し、食欲の向上更には消化効率を上げている」
「いや……何しに来たんですか?」
「しかし、それを実践できるのは彼女自身の脅威的な消化力に頼ったものだと言わざるを得ない。ん〜、やらずに諦めるには実に惜しい才能だと思わないかいカフェ!」
「だから……何しに来たんですか…?」
準決勝でスペが大敗しなかった理由を独自に研究し、そしてその意図を完全に理解したタキオンはカフェにその有用性を解説しながら、七色に輝くおじやを詰め込んだタッパーを持ってジリジリと詰め寄っていった。
予選後の「お腹が空いたから負けた」というスペの発言と準決勝の結果から、普段から人一倍食べて消費するスペにとって体重だけを気にして管理された食事だけではエネルギー不足だったのだと沖野は気付いた。
調整に失敗する度に肥えてきたが、その後の修正の速さも目には見えないスペの特筆すべき特徴である。
ポテンシャルの全てを出し切るために必要なのは即効性があり、消化効率の良い食事なのだとタッパーに詰め込んだおじやを一人で3個分食べ切ったスペはいつもの調整不足とは違い全身に力が漲るのを感じていた。
「いけそうかスペ?」
「はい!今からでも行けます!」
「よし!それじゃあ俺はスタンドで待ってるから、頼んだぞ日本総大将!」
「おいおい、アタシには何も無しかよ!」
「アタタ!?お前にも期待してるって!?」
沖野にヘッドロックを掛けながらゴルシも準備室から出て行き、残っていた他のウマ娘達も準備を終えてからパドックへ向かうとスペもその後に続いた。
オグリが準決勝で勝ち筋を見せた事で専門家でも予想が別れる最終レースのパドックでは普段以上の盛り上がりを見せていて、2番人気のオグリキャップが一番手としてファンの前に現れると黄色い歓声が湧いた。
「オグリー!」
「負けるなよオグリ!」
「勝つのは、私だッ!」
笠松からもフジマサマーチやノルンエース達が応援に来ていて気合いの入っているオグリはコートを脱ぎ捨てると共に勝利宣言をし、普段はしないファンサービスに会場は震えるほど歓声で沸いた。
ヒートアップしたパドックからオグリが戻ると、次の入場者であるナリタブライアンに『観客は全員自分の味方だ』と言わんばかりに得意げな表情を見せながら手を上げた。
孤独に走る強さも知りながらも、背中を押される意味を知っているブライアンもオグリの挑発に乗っかり、ハイタッチを交わしてからパドックに姿を見せた。
オグリに対する歓声が未だ止んでいないが、ブライアンは地面を力強く踏み付けると爆発音かと思う程の爆音が会場中に響き渡った。驚きの余りに静まり返った会場でひび割れた舞台の上に立つブライアンはコートを脱ぎ捨て、その下から現れた勝負服は普段の白ランを改造した服ではなかった。
紫と黒を基調としたドレスは自分が故障した時に支えてくれた姉への感謝と自身のの再起を現す勝負服。中距離部門では惜しくも敗北した姉の無念を晴らすべく、「勝つのは私だ」と言葉を荒げずとも魂を込めた言葉で覚悟を示した。
走る前から息を呑むほどの覇気を迸らせるブライアンに観客が怖気付いたが、「ブライアン!」と幼い掛け声が一つ上がると周りの観客達も合わせてブライアンコールを始め、ブライアンは多くを語らず背を向けて拳を掲げるだけでその声援に応えた。
その後もウマ娘達はお互いライバルではあるが、同じ舞台まで登ってきた戦友としてバトンを渡していき、人気に関わらず全員が勝つつもりで望んでいるのが観客にも伝わった。
「よーし!スペ、あっためてきたから存分にウケを取れよ!」
「うぅ、緊張します…!」
そしてゴルシからバトンを渡されたスペをハイタッチを交わしてからパドックに足を進めた。そしてスペがステージに姿を見せると、前日の会見でブロワイエの太鼓判を押された事で期待が高まっている為にパフォーマンスをする前から観客は歓声を上げた。
未だに歓声を浴びるのは慣れてないスペは右手足を同時に動かす程緊張しながらステージの真ん中までやって来ると、緊張を吹き飛ばそうとコートを胸元から掴んで脱ぎ捨てようとした。
しかし、思わぬ強風に煽られてマントが体もろとも引っ張られるとそのまま体勢を崩して倒れてしまい、会場に笑いを誘った。
未だあどけなさが残るスペには尊敬よりも期待の声が大きく、顔を真っ赤にしながら立ち上がり手を振って歓声に応えていると突然歓声が一際大きくなった。不思議に思っていたスペも後ろから足音が聞こえて振り返ると、一番人気のシンボリルドルフがスペの入場に合わせて乱入していたのだ。
本来ならウマ娘一人一人の見せ場でもあるパドックに同時に立つことはない。しかしそんなルールを無視して現れたエクリプスはスペを押し退けて舞台の中央に立ち、そして何のパフォーマンスもなしに踵を返した。
「エクリプスさん!」
URAファイナルズという大舞台での素行の悪さが目立ち、スペとは対照的に賛否の分かれるエクリプスがスペに呼び止められて足を止め、背後を振り返るとスペは多くを語らずに手を差し出していた。
オグリと同じようにスポーツマンシップに則る現代ウマ娘にエクリプスは辟易しながらも、シンボリルドルフの体面も考慮して仕方なく握手を交わした。
絶対王者と挑戦者のやり取りを観客も固唾を飲んで見守っていて、スペもエクリプスに伝えておこうと友達に相談してから教えて貰った言葉を放った。
「
「ッ、You'll regret it!」
スペの放った言葉を聞いた観客はこれまでに無いくらいに湧き上がり、真っ正面からそんな言葉を吐かれて顔を真っ赤にしたエクリプスはスペの手を強引に振り解き、激昂したままステージの裏へと足速に去っていった。
明らかに機嫌を損ねているエクリプスを追ってスペもステージから出て行き、その様子を見ていた同期の3人はスペが事態を把握していないのは見て取れていた。
「あのスペシャルウィークさんがあんな言葉知っている筈が無いわ」
「よっぽど予選で手加減してたのが許せない人デスネ」
「誰なんですかね〜?」
スペに「英語で良い勝負にしましょうって何て言うの?」と聞かれ、どう解釈しても『かかって来い』としか受け取れない言葉を教える程好戦的な同期は誰なのか。
一人口元を隠してコロコロと笑うグラスを他の二人は横目で見つめていて、エクリプスに火を点けて満足気にスタンドに向かうグラスの背に大きな息を吐いてから付いていった。
ターフへ向かう地下通路には各選手を応援するウマ娘やトレーナーが集まっているが、その多くは既にやる気を漲らせている選手達に敢えて声は掛けずその背を見送っていた。
「行ってらっしゃいゴルシちゃん!」
「おうよ!スピカ魂見せてやんぜ!」
だが、唯一出口で待っているシービーだけはこれから出走するウマ娘達を学園の代表として全員の背中を押していた。
本来ならば出走していてもおかしくないシービーが出走出来ない程に大きな想い抱えていたのは誰もが耳にした。走りたくても走れない、そんな悔しい想いをしているウマ娘達は多く、出走するウマ娘の知る中でもそういった者はいる。
シービーはそういった者達を代表して明るく送り出しているのだと出走するウマ娘達も真摯に受け止め、ターフへと進んでいく。
「私変なこと言っちゃいました!?」
「Don't touch me!」
「英語で言われても分かんないですよー!?」
「おっ、二人は揃ってのご登場だね」
そして最後に現れたのは機嫌を損ねたままのエクリプスと謝ろうとしているスペだった。相変わらずレース前でもらしさを出しているスペに「スペちゃんは先に行ってなよ」とエクリプスの手を掴んでから先に入場するように促した。
時間も押しているからスペは何度も頭を下げてからターフへと進んでいき、スペの背中が遠くなってからエクリプスの手を離した。
「何の真似だ」
「いつか言ったよね。『領域は誰にだってあるからこそ、レースはいつだって楽しい』って。長い間私はそんな大事なことも忘れて、私が走りたかった理由さえも見えなくなってた」
「……」
「君達もアタシと同じだよ。君達は頂点として長い間君臨して、多くのウマ娘達の憧れになってきた。けど、それが君達をより孤独にさせてしまった。君が挑戦者になる事なんて最早あり得ない話になってる」
「……何が言いたい」
「スペちゃんと走れば分かるよ。あの子の本当の強さ、あの子の答えが」
『唯一抜きん出て、並ぶ者なし』。その体現者であるエクリプスを前にしてもシービーが高く買い、ルドルフも特別視していたスペに一体どれほどの底力が眠っていようともエクリプスには関係なかった。
ウマ娘が無駄な夢を見ないで済むように今尚走り続けているエクリプスはスペの夢を阻む為、そして今一度ウマ娘の存在意義を示す為に歓声が鳴り止まぬターフへと足を進めた。
「『最後に姿を現したのは3番、1番人気シンボリルドルフ!予選準決勝と並々ならぬ逃げで後続を突き放して皇帝は決勝でも逃げ切ることができるのか!』」
「『彼女が常々語る絶対の走りをこのレースで見せてくれると思いますが、他のウマ娘達も黙って見ている訳はありません。荒れるレースになるのは間違いありませんね』」
「『URAファイナルズ長距離部門決勝戦!中山競技場芝右回り2500m!雷鳴轟く豪雨の中、最初の栄冠を掴む者は一体誰なのか!』」
大波乱ばかりのURAファイナルズ最後のレースともあり、スタンドに居ないファン達も身近なテレビやラジオの前でこれから始まるレースを見守り、スタンドの歓声もレースの開始を邪魔しないように次第に静まっていった。
第三コーナー付近に設置されたゲートでは走る前から只ならぬ覇気が入り乱れ、感じ取れる者から見れば空間が歪んで見える程に出走者達は殺気立っていた。その全ては逃げに有利な内寄りのゲートに立つエクリプスに向けられているが、エクリプスの意識は4番ゲートに入っているスペにしか向けられていなかった。
「スペシャルウィーク」
「はい?」
「Eclipse first, the rest nowhere」
「……望む所です」
「『各員体勢整いました。URAファイナルズ最終レース、いよいよ開始です!』」
確認を終えた係員達がゲートから離れていき、後はゲートが開けば最後のレースが始まる。しかし雨風は激しくなっていき、雷鳴も次第に競技場の方へと近付いてきている。
そして係員がゲート開放のボタンを押すと同時に空を覆う黒雲が白く光り、眩い雷光と共に発馬機に稲妻が直撃すると競技場全体に凄まじい衝撃と空気が灼き裂かれる爆音が響いた。
衝撃波でコース脇に設置されて照明器具が割れるとターフは一転して暗闇に変わり、スタンドからはターフの状況は一切分からなくなった。
「『雷の影響により馬場は一面暗闇となっています。雷は発馬機に直撃していましたが、ウマ娘達に影響が無いと良いのですが……!?』」
実況はこの状態ではレースは不可能だろうと判断して状況説明に徹し、係員達も懐中電灯片手に救護箱を持って急いでゲートへと向かっていた。実況が双眼鏡で懐中電灯で照らされているゲートの方を観察すると、全員のゲートが開放されていて雷に怯えて尾を隠しているウマ娘は居るものの、怪我人は確認されず安堵した。
しかし、5番ゲートにナリタブライアンがコーナーの方を指差して係員に何かを捲し立てていたがそれよりも目が向いたのは、3番と4番ゲートの中にはウマ娘が立っていないのだ。
続いて解散ムードだった観客達が一斉に馬場に向き直って歓声を上げ、其方に目を向け直した実況も事の次第を確認してからすぐにマイクを握った。
「『暗闇の第四コーナーから最初に現れたのはシンボリルドルフ、スペシャルウィークが並んで現れました!二人だけは雷の直撃を物ともせずにゲートから飛び出していました!』」
スタンド側の明かりで僅かに照らされた第四コーナーの出口からエクリプスとスペが雷の影響を感じさせない全力の走りで姿を現し、他の走者の事など気にも留めずにコーナーでの激しい勝負を繰り広げていた。
雨でぬかるんだ芝でのコーナーは一歩間違えるだけで転倒する可能性を孕んでいる。ゲートがたった一つ外だっただけのスペでもその差は並走するので精一杯になるほど大きな差になっている。
そして直線に入ると同時にエクリプスは頭を下げ、蹄鉄をしっかりと食い込ませてから泥を吹き飛ばす勢いでターフを蹴り、トップスピードまで加速を一気に加速した。
「『カンパイは無し、つまりこのレースは有効です!シンボリルドルフかスペシャルウィーク、優勝はこの二人の何方かで確定です!』」
「『シンボリルドルフは今回は最初から頭を大きく下げ、全力の構えですね。スペシャルウィークも追従していますが直線ではやはりシンボリルドルフに軍配が上がるようです』」
「『現在先頭はシンボリルドルフ!続くスペシャルウィークは4馬身差!二人しかいないこのレースで逆転はあり得るのでしょうか!』」
スタンド前の駆け抜けていくエクリプスは瞬く間に差を広げていき、スペもそれに食らい付こうとしているが差は広がる一方。準決勝ではセイウンスカイがエクリプスの前を塞いでいた為に速度を制限されていたが、今はエクリプスを遮る者は居ない。
スペはここからエクリプスに一人で追い付き、そして追い越さなければならない。直線勝負での勝ち目がなくコーナーでの勝負に賭けるしかないスペにとっては現状は逆境そのものだった。
スタンドを駆け抜けていったエクリプスが先に第一コーナーへと入っていき、6馬身離されたスペも少しでも差を詰めようと内側を攻めていくが、第一コーナーから先は再び暗闇になっている。
「貴様に見せてやる、夢の果てに行き着く絶望を!」
エクリプスとスペが暗闇の中へと飛び込んでいくとスタンドからはその姿が見えなくなり、スペは夜目を効かせてラチが僅かに反射している光を頼りに走っていく。
だがエクリプスの領域に一歩踏み込んだ瞬間、スペにはエクリプスが遥か先にいるように感じた。そして更に一歩踏み出すとスペしか居ない筈なのに隣には見たこともない顔のウマ娘達がエクリプスの背中を追っていく。
更に一歩、一歩と足を進めていくに連れてセピア色のフィルターが掛けられたエクリプスの領域へと踏み込んでいった。
『ゴールしたのはエクリプスただ一人!最早このウマ娘を止められる者は存在しない!』
エクリプスが世界で最も知られた勝利宣言をし、そして宣言通り大差をつけてゴールした場合のみに適用されるルールによって他の走者を全員失格となり、そのレースはたった一人しかゴールできなかった伝説のレースとなった。
『世界最強のウマ娘になる』、幼い頃からの夢を叶えたエクリプスは歓喜した。夢を叶えたのだから満ち足りた人生を走り、家族に看取られて終われる自分こそ唯一無二の勝者だと。
だが、エクリプスは余りにも魂と同じ道を走り続けてしまった。死の間際で同じ魂を持った別世界の自分を見てしまったエクリプスは愕然とした。
自分の勝利は全て決まっていた事、伝説の勝利でさえ歴史の再現でしかない事を知り、『エクリプス』というウマ娘として何も残せていないと絶望した。
「ウマ娘の勝利も、敗北も、全ては決まっていた事だ!そこに全てを費やして何になる!其処に残るのは魂の抜け殻に過ぎない!」
スペの夢を否定するエクリプスに対して、スペはエクリプスの気持ちを理解できずに困惑していた。何故エクリプスやミスターシービーが夢を叶えても意味がないと言うのか、スペにはどうしてもそれが理解できなかった。
自分が今抱いている気持ちの正体は何なのか、全力で走りながらも気持ちが入り切れていないスペに引導を渡そうと、エクリプスは向正面に入ると一息に引き離していく。
「『暗闇の向正面では果たしてどういった展開が起きているのでしょうか!天が味方しているエクリプスが完全に突き放しているのか、それともスペシャルウィークが番狂わせを起こしているのか!』」
お互いの足音さえも聞こえない猛雨の中、直線でエクリプスの背中が遠くなっていくと、エクリプスが見せた絶望が重く背中にのし掛かっているスペの足は次第に重くなっていく。
一体どれだけ走れば世界最強のエクリプスに追い付けるのか、追い付いたとしてどうすれば追い越せるのか、追い越した先で何をすればいいのか、エクリプスの絶望は着実にスペの心を侵食していった。
『日本一のウマ娘が世界最強に勝てないって誰が決めたんだい?』
だが、誰も居ない筈のターフでその言葉が聞こえた瞬間、スペはこれまで悩んで出てきたどんな言葉よりもその言葉はすんなりと胸の内に収まった。
『簡単な事だよ、スペシャルウィーク。追い付いたなら勝てばいい、世界最強に負けているようでは君が目指す日本一のウマ娘にはなれないよ』
ずっと昔から側に居たような、スペの気持ちを全て理解しているような言葉によって全ての疑問の答えを手にしたスペはより一層の力を込めてターフを蹴った。
「スペちゃん頑張れー!」
スペが夢の答えに辿り着くと共に、スペに運命的な何かを感じたスズカは身を乗り出して暗闇の中を走るスペに声援を送った。たとえ直線では追い付けなくても、決してスペが諦めないと信じているスズカの声は他の観客達にも響いた。
二人の母親に夢を託されてから、初めてテレビでウマ娘達のレースを見てから、トレセン学園に入学してから、これまで走り続けてきてそれでも叶えられたと実感しなかった『日本一のウマ娘になる』という夢。
その夢を叶える為に更に一歩踏み出すと、エクリプスはスペが夢を諦めずに自分に挑むつもりだと知り激昂した。
「ならば叶わぬ夢を抱えたまま、絶望に沈めてやる!」
たとえ身体が朽ち果てても人生の全てを無にした三女神への復讐を誓い、夢の成就を願い、様々な年代と場所で最強のウマ娘の身体を使い自分の実力を示してきたエクリプス。
全ては世界最強になる為に、自分が生きていた意味を示す為に走り続けているエクリプスは第三コーナーに差し掛かると、絶対に転倒しないようにスピードを落としてコーナーを回っていく。
エクリプスに向正面で8馬身も離され、遅れて第三コーナーに入っていくスペをゲートの近くで見守る他の選手達はスペの異変に気付いていた。
きっと、私はずっと怒ってたんだ。
私だって三冠を目指したし、勝ち続けようとしたから二人の凄さは分かっている。夢を叶えたシービーさんやエクリプスさんにしか分からない後悔があったに違いない。
多分それは私にはどうしてあげる事もできない。
「スペシャルウィーク頑張れー!エンジン全開だー!」
でも、だからって私達の夢を否定する権利がある訳じゃない。
確かに私達のレースの結果はずっと昔から決まってたのかもしれない。けど勝つ為に毎日夜遅くまでしていた練習も、そこに懸ける想いまでもが同じだった訳じゃない。
「スペシャルウィークさん、まだいけますわ!」
この勝負は負けちゃいけないんじゃない。
この人だけには『勝たせちゃいけない』んだ。
「勝負所までもうすぐだ!そこまで耐えるんだよ!」
私はウマ娘として生まれたから走るんじゃない。そこに夢があったからウマ娘として走るんだ。
負ける人が居るから誰もが一着を目指すんだ。
勝つ為に皆が努力をするからレースは盛り上がるんだ。
そうして勝ったから応援してくれた人達に笑顔を、負けても立ち上がるから勇気をあげられるんだ。
「スペちゃんfight!絶対に抜かせマスヨ!!」
その想いを全て踏み躙って、夢なんて叶えない方がいいなんて理由を押し付けて自分勝手に走って、ましてや私達の冠を手にしようだなんて他のウマ娘に失礼だ。
直線だけ本気になればいい?芝に慣れてないからコーナーはゆっくり走る?何処まで私達をコケにすれば……いや、ここまでコケにされて黙って引き下がれる訳がない。
「そんな人に勝たせる訳にはいかないッ!」
たった一人の対戦相手が怒号を上げ、第三コーナーを差し掛かったものの、既に第三コーナーは抜けているエクリプスの余裕は崩れなかった。
天気は猛雨、足元は芝で滑りやすくどれだけ力の強いウマ娘であろうとコーナーでは多少はスピードを落とさざるを得ない。直線だけで勝負していたのは何も舐めていただけではない、直線で勝てないような相手にこのコンディションでは負けようがないからだ。
「『暗闇の第3コーナーから最初に抜けてきたシンボリルドルフ、リードは6馬身!』」
雨がもう少し弱ければオグリのように多少の勝ち目もあったが、勝利の女神は常に自分に微笑んでいると確信していた。
「『いえ、5馬身差!暗闇の中山で濡れたターフを物ともせずに開いていた差を一気に詰めていくスペシャルウィーク!』」
だが、背後から聞こえる足音が凄まじい速度で近付いてきている事に怪訝な表情を浮かべた。
内ラチに寄っている足音はスピードを落とすどころか次第に上げていて、水溜りを掻き出す音は雨音でも隠せずにエクリプスでさえ聞こえる程大きい。
エクリプスは悪あがきで無理な走りをしているだけだと思おうとしたが、第四コーナーに差し掛かる前に一気に3馬身差まで詰められるとそれは間違いだと気付いた。
「『最終コーナー、先頭は未だシンボリルドルフ!しかしスペシャルウィークがその差を3馬身差まで詰めた!圧倒的な実力差をテクニックで補ったスペシャルウィークが更に迫っていくぞ!』」
エクリプスに無く、スペシャルウィークに有るモノ。
それは日本で走ってきた経験と日進月歩で進む走行技術だった。
たとえ暗闇であろうとスペは何度も中山を走ってきて、たとえ小さな坂であろうと頭の中に叩き込んでいるスペにとっては暗闇は障害にすらならない。
そして雨の日であろうと素早く走る為に、土が踏み固められている内ラチ側をつま先だけを接地することで地面を蹴る際の無駄を極限まで減らす。
エクリプスには出来ない磨き抜かれた技術力はエクリプスとのコーナーでの差を一気に埋めた。
自身の全てを出し切りエクリプスに迫ったオグリとは違い、極限まで研ぎ澄まされた技術で喰らい付こうとするスペにエクリプスは驚きはしたものの、所詮は小手先だけだと嘲笑った。
「幾らコーナーで詰めようが、もう一度突き放してやる!」
「スペそこから離れろォッ!」
1馬身差まで詰め寄られたエクリプスだったが第四コーナーから抜ける前から大きく頭を下げ、沖野の警告がスペに届く前にエクリプスは全力で地面を蹴り飛ばして加速し、スペの目の前には掻き出された泥が壁のように立ち塞がった。
それでもスペにはトレセン学園に来る前に母親との特訓で鍛えた回避行動がある。スピカのメンバー達は初レースの時のようにスペが避ける事を期待したが、スペはそのまま泥飛沫の中へと突っ込んでいった。
多少内を走ったとしてもウマ娘が蹴り飛ばした泥を真正面から受け止めればその方が結果的にロスに繋がる。
勝つ為に少しでも内を走ろうとした蛮勇、自分の勝利は決して揺るがないとエクリプスは確信したが、泥を被りながらでもスペが次に踏み出した足音はしっかりと『ダンッ』という乾いた音を響かせた。
「私を…!」
レース始めの第四コーナーから抜ける際にエクリプスが見せた加速による泥飛沫、それこそが並走では追い抜けないと悟ったスペが見出した勝利への一歩。
エクリプスの加速によって表層の泥が吹き飛び、顕になった『濡れていない土』にスペがタイミングを合わせて踏み込むと、その一歩に全力を込めてラチに身体を擦るほど内に寄りながらコーナーから抜け出し、外へと流れているエクリプスより1馬身前へと躍り出た。
しかし直線勝負になればたとえ外が不利だとしてもエクリプスの脚力を持ってすれば些細な差、何故そこまでして内側に拘り今先頭を取ろうとしたのか。
だが、スペが最終直線に入ると同時に係員達が持ってきた業務用照明によって最後の直線が照らされ、濡れて光り輝くターフを目の当たりにしたエクリプスは何故スペがそこまでしてその一歩に拘ったのか悟った。
「『第四コーナーから先に抜けてきたのは驚異的な速さでコーナーを回ってきたスペシャルウィークだ!続くシンボリルドルフも加速の為に頭を下げているが間に合うか!《中山の直線は短いぞ》!』」
予選、準決勝と最後の直線が400m以上ある京都競技場しか知らないエクリプスにとって、300m弱の中山競技場の直線は明らかに短い。
他のウマ娘達ならばそこも踏まえて挑んでいた筈だ。序盤でなるべく逃げるウマ娘もいれば、最後の坂でのスタミナ勝負に持っていくウマ娘もいただろう。
だがエクリプスは直線でしか勝負しない。それも内や外なんて事は気にも留めず、前さえ塞がらなければ勝てると信じ切っていた。準決勝でオグリを交わしたのは最後の100mを超えてからだというのに同じ戦法を取ってしまったのだ。
無理に加速せずに内さえ守っていればスペが外を走るしかなく勝負にはならなかった。だが自分の実力を過信した事で、自らスペを勝負の舞台へと引き上げてしまったのだ。
「
少しでも土の硬い内側を走るスペは持てる全ての力を出し切ろうと全力で駆け抜けていき、ワンテンポ遅れたエクリプスもその後に続いていく。
このまま逃げ切ろうとするスペを応援する声は大きく、誰もがスペの勝利に期待しているがファンの中にはまだ勝負は決していないと杞憂している者も居た。
「まだ勝負は終わっちゃいない。寧ろ本番はここからだ!」
「どうした急に!?」
「今のシンボリルドルフの真の恐ろしさはそのトップスピードやスタミナじゃない!トップスピードに達するまでの加速力だ!数歩でトップスピードまで到達するシンボリルドルフにとって直線のぬかるみは大きなハンデにならない!今の差だけじゃ「「スペシャルウィークさん頑張れー!」」
「「頑張れスペシャルウィーク!」」
残り200mを残した所でトップスピードまで乗ったエクリプスは次第にスペとの差を詰めていくと、150mを切る頃にはその差さえも無くなり二人は並走状態となった。
しかし、夢の答えを見つけたスペにとってはそんな逆境さえもが力に変わる。
日本一になるでも、世界最強になるでもなく、日本一のウマ娘になるという大きな夢。それは決して一人で叶えられるものではなかったのだ。沢山のファンに応援され、ライバルと競い合い、そして何よりも自分自身がその夢に見合う『
頂点に立つのではなく、永遠の挑戦者であり続ける事こそがその夢の果てなき終着点。挑戦者である以上決して叶うことはない、だが決して失われない夢の為に走るスペだからこそ人々は魅了されているのだ。
「これが私の……ッ!」
「行けェェェ!スペシャルウィーク!」
だからこそ、スペシャルウィークは強いのだ。
「『全身全霊』だァァァァ!」
エクリプスの漆黒の領域さえも超え、まだ見ぬ自分になる為に魂の輝きを放ったスペは限界を超えて自分の領域に辿り着くと、エクリプスを少しずつ引き離していく。
世界最強である筈のエクリプスが真っ向からの直線勝負で負け始めているのだ。それは決してあり得てはいけない事なのかもしれない、だがスペはそれでも走り続けた。
エクリプスに勝ち、そして夢の続きを見る為に。
「タブーは人が作るものに過ぎない。勝って、負けて、そして次の夢を見に行くんだエクリプス」
エクリプスは目の前で起きていることが信じられなかった。自分の目の前を走っているウマ娘がいる、もうすぐ負けるというのにその心の中は『凄いウマ娘だ』とスペを賞賛していた。
そして、先頭を走っていたスペがゴール板を通り過ぎると同時にマルチ画面ターフビジョンに稲妻が落ちると、画面が割れてスペの記録を表示する物は無くなってしまった。
だが、その光景を見て、聞いた者達の記憶には確かに刻まれた。
「『暗闇の中山を一筋の流星が駆け抜けた!勝ったのは日本総大将スペシャルウィークだァァ!』」
世界最強を降し、URAファイナルズ長距離部門を最初に制したのはスペシャルウィークだった。人々を魅了する輝きを放っていたスペはゴール後にすぐに地面へ滑り込むように倒れたが、この拳はしっかりと勝利の感覚を握り締めていた。
続くエクリプスもゴールすると散々な態度を取ってきたにも関わらず、健闘を讃えるように惜しみない拍手で迎えられ、「負けても拍手か」と笑みを零すとスペの元へと近寄った。
「ハァ……ハァ…勝ちましたよ…!」
「スペシャルウィーク、今一度聞こう。『Eclipse first, the rest nowhere』、この言葉の意味が分かるか?」
「『夢は前にしかない、だから振り返らない』、です!」
「……君と走れて光栄だったよ、スペシャルウィーク」
挑戦者としてエクリプスの問いに答えたスペに満足したエクリプスはスペに手を差し出して、スペも手を握ってから立ち上がった。
そしてエクリプスが力抜けたように倒れるとスペはすぐに抱き留めたが、スペには既にシンボリルドルフの中にはエクリプスが居ないことをすぐに悟った。
負けて終わってしまった、だがそれによって勇気を貰ったエクリプスは次へと進んでいった。駆け寄ってきた救護員にルドルフを託したスペもやるべき事を済ませようと傘を差して表彰の準備を進めるURA幹部等の元へと駆け寄っていき、一つの提案をした。
それには反対する幹部も多かったが、秋川はスペが軽はずみでそんな事を口にしている訳ではなく、初めからそのつもりだったのだと理解した。
「それでいいんだな、スペシャルウィーク君」
「はい!きっと生徒会長さんも分かってくれますよ!」
勝者であるスペの意思を汲み、秋川が他の幹部の説得に回ると状況が状況なだけに一つの特例として結論を出し、秋川が代表してスタンドから見下ろせるようマイクを持ってにターフへと歩み出た。
そして、スペの期待に応えるべくその決断を報告した。
「『再走!只今のレースは3番と4番のみが出走したが、雷によるゲートの故障は見受けられなかった!しかし、勝者であるスペシャルウィークからの公平性を期す進言により、URAファイナルズ長距離部門決勝戦は後日再走とする!』」
URAファイナルズ全レースが終了し、優勝したウマ娘とその関係者達が集められたホテルの会場は大きな賑わいを擁していた。だがその一角でドレスを身に纏っているスピカの面々は未だに納得がいかずに、不満を漏らしていた。
「なーんでスペ先輩の優勝が取り消しなんだよ」
「アンタまだ言ってんの?スペ先輩が自分で再走にして欲しいって言ったんだから仕方ないでしょ」
「そんなのボクだったら絶対しないよ」
「まぁ、レース自体は成立していた訳ですしね」
スペから申し出た再走は物議を醸した。勝者からの進言とはいえ、一度決まった優勝を取り消すのは今後に良からぬ前例を残すのではないかと不安視する者も居た。
しかし、『でも雷が鳴って危ないからみんな出なかったんですし、私と会長さんだけ何にも考えずに走っただけですよ』とスペはレースの不成立を主張し続けた。それにより再走が決まり、後日決勝戦が行われた。
「それが出来るのが、スペの強みって訳か」
「スペちゃん、なんだか大きくなっちゃいましたね」
「多分そりゃ腹がデカいだけだぞ」
その話題の張本人はホテルの料理を皿に山ほど乗せて食べ歩いていて、注目の的だというのにそれを気にする素振りは見せなかった。
そんなスペの元に一人のウマ娘が近寄ると、スペも箸を進める手を止めた。
「今大丈夫ですか?」
「どうしたのブルボンちゃん」
「……私、再走が決定した時に喜んでしまいました。何もせず終わらずに済んだと。でも、それはスペシャルウィークさんが優勝を取り消してくれたから。私は勝てなかったけれど、それでも走り出せない後悔をしなくて済みました。申し訳ありませんでした、そしてありがとうございました」
「また一緒に走ろうね」
「はい!」
雷が苦手なブルボンの謝罪と礼を同時に受け、自分の考えは間違っていなかったとスペは満足しているとホールの照明が少し暗くなり、壇上に優勝者が集まると拍手が巻き起こった。
「『それでは改めて優勝者達の表彰を行う!まずは中距離部門、ツインターボ!貴殿の卓越した戦略、そして決して諦めず走り続けた事を賞する!おめでとうツインターボ君!』」
「やったよトレーナー!」
「『続いて短距離部門、キングヘイロー!貴殿は全勝を宣言し、見事成し遂げた!貴殿の力強い走り、また弛まず努力し続ける姿勢を賞する!おめでとうキングヘイロー君!』」
「キングとして当然よ、オーホッホッホ!」
「『続いてマイル部門、アグネスタキオン!貴殿は自らの選手生命に於いて飽くなき探究心を燃やし続け、そしてその成果を次の世代へと受け継ごうとしている!貴殿の研究成果、そして不可能と言われていた夢の記録を賞する!おめでとうアグネスタキオン君!』」
「これはこれは、有り難く受け取っておくよ」
「『続いてダート部門、タイキシャトル!貴殿は決して相手を侮らず、迫る脅威にも適切に対応し、実力を遺憾なく発揮してみせた!それを此処に賞する!おめでとうタイキシャトル君!』」
「wow!こんなトロフィー貰っていいんデスカ!?」
秋川はそれぞれにしっかりと賞賛の言葉と共にトロフィーを渡していき、残る長距離部門優勝者の前に来ると優勝者も一歩前に出て受け取る準備をした。
「『そして長距離部門、シンボリルドルフ!貴殿は頂点に立つ者として挑戦者を拒まず、その実力を遺憾なく発揮した!君の後ろには沢山の後立ちが居るだろうが、これからも精進して欲しい!おめでとうシンボリルドルフ君!』」
「光栄です、理事長」
長距離部門優勝者シンボリルドルフ。エクリプスに操られていた時とは違い普段の走りを取り戻したルドルフは先頭を走るブライアンを抜き去り、見事1着でゴールした。
一方のスペは前走での影響もあり18位と大きく順位を下げてしまったが、再走を進言した事に後悔は無かった。誰よりも自分が一番納得できる結果になり、スペも皿を置いて優勝者達に拍手を送っていると、秋川は出席者の方へと向き直った。
「『そして、今回限りではあるがURAファイナルズ全部門に於いてのMVPも発表する!これは優勝者達の意見も考慮し、公平な判断により決定されたものである!』」
唐突に発表されたMVPの存在にスペはキョトンととしているが、他の誰もがそれが誰なのかはすぐに把握した。
「第一回URAファイナルズ全部門MVP、その栄えある最初にして最後のウマ娘は……スペシャルウィーク!」
優勝者が満場一致で答えたURAファイナルズで最も輝いたウマ娘としてスペシャルウィークが選出され、呑気に誰なのかと期待していたスペにスポットライトが当てられた。
やけに眩しいとスペは両隣を見回したがその周りには他にウマ娘が居らず、自分以外あり得ないと理解すると同時に声を上げて驚いた。
「ええ!?私ですか!?」
「『さぁ、壇上に上がってくるんだ!』」
状況をイマイチ把握できていないスペは言われるがまま壇上に上がり、壇の中央で優勝者と変わらぬほどのトロフィーを持つ秋川と対峙した。
「『第一回URAファイナルズ全部門MVP、スペシャルウィーク!貴殿は凡ゆる逆境を自身の持てる全てを発揮する事で跳ね除け、更にウマ娘として誇るべきスポーツマンシップを発揮した!君の走りは記録には残らなかったが、大勢の人の記憶に残り、これからも語り継がれるだろう!おめでとう、スペシャルウィーク君!』」
「あ、ありがとうございます!やったよみんなー!」
「そんな事しなくても見えてるぞー!」
貰えるとは思っていなかったトロフィーを受け取り、スピカのメンバーに見えるように掲げ、スペらしさに会場も和やかな笑いが流れた。
「それでは、君から一言お願いするよ」
「『ええ!?そんな急に言われても……』」
「思うままに答えるんだ、それが一番君らしい」
秋川にマイクを渡され、突然の事ばかりで困惑したままスペだったが自分らしくていいと言われると、スペは出席者の方へと向いた。
大勢に見つめられる感覚にはライブで慣れてきたものの、スペへの視線はライブとは違いその言葉一つ一つを受け止めようとしているのが分かる。
だからこそ、スペも物怖じするのは止めてしっかりと前を向いた。
「『私はURAファイナルズを通して、沢山のことを学びました。友達が勝って嬉しかったし、私は負けて悔しかった。凄く悔して、悔しくて、言葉じゃ言い表せないくらい悔しかった』」
決して慢心して再走を申し出た訳じゃない。自分の考えを貫き、そして負けた。
その結果は誰にでも想像できたが、その結果を想像しながらもその決断を下すのは決して容易ではなかっただろう。
だが、スペにとってはそこに全ての答えがあったのだ。
「『でも、だからこそ私は前を向き続けようと思いました。たとえこの先どんな敗北があっても、どんな勝利があっても、私は私。スペシャルウィークで在り続けようって、誇れる私のまま走り続けようって』」
勝っても負けても次のレースに向けて努力する。
それこそがスペシャルウィークなんだと再確認したスペは秋川の方に身体を向けた。
「『理事長、それにURAの皆さん!私達のURAファイナルズを開催して頂き、本当にありがとうございました!』」
自分が表彰される場なのに秋川達に感謝の言葉を送り、深々と頭を下げるスペに会場からは今日一番の拍手が送られ、面を食らっていた秋川も顔を上げたスペを見て大きく頷いた。
スペはマイクを秋川に返してから舞台から降りようとしたが、自分のトロフィーを係員に渡したルドルフがスペを再び中央に戻し、「まだ何かあるんですか?」困惑するスペに対してルドルフは何も言わずに秋川からマイクを受け取った。
「『お集まり頂いた皆さんにまずは生徒会長として感謝を、ありがとうございます。無事URAファイナルズを終えられた事、そして後輩達がより高みへと至ろうと走っている姿に私も胸を打たれました。話が変わる、というよりも私はこのURAファイナルズ開催に於いて一つだけURA幹部の方に宣言していたことがあります』」
ルドルフは前々から考えていたトレセン学園の改革について話す場は此処しかないと、大勢の前で発表した。
「『それは私が負けた場合トレセン学園の生徒会長の席から退くというものです。しかし、それは進退を賭けたという意味ではなく、新たな時代を作っていく為に必要なプロセスだと考えています』」
長い間トレセン学園の生徒会長としてその手腕を振るってきたルドルフが生徒会長から退くという重大事項を知らされた出席者達には動揺が起き、「ナンデヤメチャウノ!」と反対する声も聞こえてきたがルドルフの意見は変わらなかった。
「『私はずっと頂点にいる事で多くのウマ娘達が私を目指してくれると思っていました。ですがそれは私の傲慢でした。他の役員にも助けられ、その立ち振る舞いをできていたに過ぎません。それをどう解消すべきか考えていた所にURAファイナルズ開催を耳にし、その方法ならば適切な後継者を選べると考えていました。ですが、その考えも違いました』」
頂点に立ち続ける事が長としてあるべき姿、負ければきっと次の長が見つかると思っていたルドルフの考えをスペは完全に否定してみせた。
「『彼女は挑戦者でありながらも、人々に新たな道を示してくれました。そして私にも再び挑戦者として次に進む勇気をくれた。頂点で待つのではなく、共に頂点を目指して歩み続ける新たな生徒会長として、私はスペシャルウィークを次の生徒会長に任命したいと思う』」
勝ち負けよりも大事な事を魅せたスペをルドルフは生徒会長の最後の役目として新生徒会長に任命すると、スペは幾ら何でもそれは無理だと断ろうとしたが、会場の出席者達は満場一致の拍手を起こした。
「何で急にそんな事言うんですか…!」
「プレゼントがあるって言っておいただろう?」
「もっと他の奴だと思ってましたよ!お菓子とかジュースとか!」
「生徒会長になればそういったものを頂く機会も多いかもしれないね」
「……本当ですか?」
「生徒会室にあるジュースは全部貰い物だよ」
在籍者数が2000名を超えるトレセン学園の生徒会長という重役とお菓子等が貰えるという些事が天秤に並べられる器の大きさこそ、スペが生徒会長という職に向いている証でもあるが今一人でやれと言っても難しいことはルドルフも分かっている。
まだ幼さが残るスペをよく知り、そして欠点を補える仲間も含めてスペを選んだのだ。彼女達が支えればスペは必ず生徒達の模範として、あるべき姿を見せてくれるとルドルフは信じている。
「これからは共に学び、競い合っていこう」
「はい!」
スペシャルウィークという、新たな世代の幕開けを。
そう遠くない未来、春の桜が春風に乗って散る中、新入生の前で挨拶をする予定だったスペシャルウィークが校門を全速力で駆け抜けていった。
「しまったァァァァ!?」
サイレンススズカが再びアメリカに戻る際、完全に退寮する事になり暫く一人での寮生活になっていたが、新入生が同室になると意気込んで前日も夜遅くまで掃除をしていた。
その結果、寝坊してしまったスペは急いで生徒達が集まっている体育館へと向かっていた。副生徒会長二人が鬼の顔をして待っている事を考えて滅入っていたが、スペの前をのんびり歩く真新しい制服を着たウマ娘がいた。
白い髪に白い耳、そして白い尻尾と珍しいウマ娘が春の陽気に当てられたゆっくり歩いていて、スペも走る速度を緩めると隣に現れたウマ娘に気付いた新入生は「あっ」と声を漏らした。
「スペシャルウィークさん、ですよね?」
「うん!えっと、君は?」
「ハッピーミークって言います……ふふっ、名前少し似てますね」
独特な雰囲気を纏いながら笑うハッピーミークにスペも合わせるように笑い、歩調を合わせて二人でゆっくりと歩き出した。
「ミークちゃんは入学式に行かないの?」
「行きますけど、何だか外に居るのが気持ち良くって」
「そっか、こんな絶好のランニング日和は中々無いもんね!それじゃあ会場まで競争しない?」
「いいですね……でも、私速いですよ?」
「私だって!」
マイペースなミークが遅れないで済むようにスペから会場まで競争を仕掛けると、ミークも生徒会長と走る機会を早々に得られるとそれに喜んで応じて体勢を整えた。
「位置についてー!」
「よーい」
「「どん」!」
人の上に立っても変わらないスペと、まだ見ぬ世代のミークはこれからも続く夢へ向かって走り出した。
くぅ~疲れましたw これにて完結です!
多分今日別途後書き、プラス本編1話1話の設定と自分の感想、採点を載せたものを書いて、エピローグ的なものも書いたら完全に終わりです。
9月から仕事が死ぬほど忙しくなり、凄く期間が開きましたが、しっかり終わらせられたので良かったです。
拙い文章でしたが、一番やりたかった『無礼るな』が出来たので満足です。