「んー!ダメかー!」
理科準備室では今日も授業をサボったアグネスタキオンの独り言が響いている。
椅子の上に足を置きクルクルと回る彼女の前にあるノートPCには、彼女が個人的にやり取りをしている海外の商人から依頼を拒否された文面が映っている。
是非とも欲しいモノがあったから報酬を弾むと交渉したものの、「命が惜しい」とだけの返答にタキオンも頭を悩ませた。
「やはりアメリカの研究施設にある最新設備は持ってきてくれないか。1時間で8時間分の休養が取れる優れ物だというのに別ルートも全部ダメとは。やはり直接交渉する他はないか」
タキオンはウマ娘の可能性を追うべく日夜研究に励んでいて、その際に副産物として生まれる研究成果は同種の研究者からしてみれば宝の山。
直接交渉すれば当然相手は相応の対価を支払うのだが、無駄な交渉を好まないタキオンは商人を通じてしか取引しない。
だが、今回ばかりは事情が違う。
「あと一年か……」
椅子の回転が止まり、タキオンが横目で眺める先は机の上のカレンダー。
タキオンのトゥインクルシリーズはクラシックを終え、残るはシニア級のみ。現役で居られるのは実質一年だ。
「このペースじゃダメなんだよ」
皐月賞で勝利してレースへの出走を無期限休止にしたタキオンだったが、彼女は魅せられてしまった。
自分以外が放つ輝きに、自分以外が持つ限界を超える才能に、自分以外が轟かせる本能に。
もう一度彼女達と走りたい、自分の足の限界を早期に予期していたからこそ諦めていたその想いに再び火を点けたタキオンは別プランを考え始めた。
「学園の噴水を足湯にするプランCは副生徒会長に阻止されてしまったし、骨振動による回復を目指すプランDは時間が掛かり過ぎる」
再び椅子の上でくるくると回り始めたのと共にタキオンは思考を回転させる。
アーでも、ペーでも、パーでもない。タキオンは未知なるアプローチは何か無いかと思考を回転させる。
くるくる、くるくると。
そして、ある試薬を思い出したタキオンは足で回転を止め、飛び出すように椅子から降りると試薬を保管している棚を開けた。
「アレがあるじゃないか!どうしてもっと早くに気付かなかったんだ!」
前回はタキオンのトレーナーに飲ませた結果、身体が緑白色に光っただけに終わった試薬だがそれはあくまでも人間に対しての実証実験。
ウマ娘相手には逃げられ続けて実験出来ずにいたから放置していたのだが、タキオンはもう被検体を探すだけで終わるつもりはない。
「あったあった!備えあればなんとやらとはまさにこの事だねぇ!」
アレでもコレでもないと試薬を探していたタキオンは求めていた試薬の入った栓がされた試験管を手に取った。
「失敗する可能性は凡そ99%といったところだが、成功する確率がある事はいつか必ず成功する。そう言ったパイロットは実に賢明だ」
ジャパンカップに出る前に彼女が言ったように、試さなければ可能性は生まれない。可能性さえ追い求め続ければいつか必ず成功する。
それは明日からもしれないし、一年後かもしれない。もしかしたら一生かもしれない。だが、明日走るには今から試すしかない。
「やるしかないか…!」
タキオンが景気の良い音を鳴らしながら栓を抜くと、中に入っている試薬の刺激臭にタキオンは眉を顰めた。
しかし、一度やると決めたからにはタキオンにも意地がある。
「失敗したら恨むよマーフィー君!」
そう意気込み、タキオンは試薬を一気に飲み干した。
「ポッケー、今日こそトレーニング後にパフェ食い行くぞ」
「おう、ダンツとカフェも来んだろ?」
「行く行く!」
「私はコーヒーさえ飲めれば…」
「じゃあ決まりだな!」
今日の授業も終わり、帰りの準備をするポケット達はトレーニング後の話に花を咲かせていた。
すると、廊下の方からどよめきが起き、何かと思っていると扉の磨りガラスにはまるで虹でも掛かっているのかと言わんばかりに七色の光が映っている。
教室に居る全員がその光景に目を疑っていると、その光の主は勢いよく扉を開けると一目散にポケットの目の前までやって来た。
「やぁやぁジャングルポケット君!」
「タキオンおま、何で光ってんの……?」
「んー?まぁ理由は様々だが、端的に言えば実験の副産物さ。しかし、実験は成功だよ。君の言うとおり、何事も試してみなければね」
「それで成功してんのか」とポケットは全身七色に光るタキオンを見て思っていたが、久し振りに不調の無い身体を取り戻し上機嫌なタキオンはそんな様子のポケットに鼻先がぶつかりかねない程顔を近づけた。
「ポッケ君、あの日の約束を叶えてあげよう」
「約束?」
「私と並走してくれないかい?」
タキオンがポケットに並走を申し出ると、周りにいる生徒達は騒ついた。
もう走れないと思われていたタキオンがまたターフに帰ろうとしている。その言葉を真正面から言い放たれたポケットの表情は恐怖と嬉しさとが混じったようだったが、最後にはその目は闘志が漲っていた。
「やれんだな、タキオン!」
「ブランクもあるしまだ本気では走れないが、まぁ本気でなくても君には勝った事があるからね。良い練習になると思うよ?」
「面白ェ……そのデケェ口が走った後でも叩けるのか楽しみだ」
今にも掴み合いをしそうな程緊迫した雰囲気の中でも、彼女達の競い合いはターフが舞台。
二人は同時に走り出して廊下を駆けて行き、遠くからエアグルーヴの怒声が聞こえてくるとカフェ達も呆れて笑いながら二人の後に付いて行った。