黄金世代最初の出走者としてトレーニングを重ねる中、ルームメイトであり親友のハルウララに『勝たなきゃ意味が無い』と言うウマ娘を目撃し、キングヘイローは激怒してそのウマ娘の頬を打った。
だがそのウマ娘こそ最強のスプリンター『サクラバクシンオー』。傲慢と思える程に自信と実力を持ち合わせた相手との勝負で、キングヘイローは自分が走る理由と走るべき道を見つける。
ええ、そうね。貴方なら何を言われたって気にしないわよ。それが貴女の良い所ですもの。
「『大外からキングヘイローが迫る!』」
分かってる、分かってるのよそのくらい。
でもこれは私の我儘。
「『キングヘイローの行手を遮るのは先頭1馬身差サクラバクシンオーただ一人!キングヘイロー足色は衰えない!残り400m先頭の差は1馬身、いや半馬身!怒涛の走りを見せるキングヘイロー、王は一人でいいとでも言うのだろうか!』」
私の王道は誰にも邪魔させないわよ!
「URAファイナルズ、ねぇ」
トゥインクルシリーズで成績優秀だった者のみが出走可能なURAファイナルズ。その短距離部門で出場可能だった私は新年早々渡されたエントリーシートにサインし、その1週間後に渡された参加者リストを眺めながらカフェテリアの椅子に座って紅茶を口にした。
「流石キング、新設のトーナメントの走者に選ばれるなんて!」
「まぁ、私なら当然ね。寧ろ向こうから参加希望の打診があってもいい位よ」
私を慕ってくれている取り巻きの子達は私がURAファイナルズに出られる事を喜んでくれているけど、私としては短距離以外は選考外だったという事実には不満しかない。
確かに私はまだ短距離でしかG1レースは勝てたことはない。けど有馬記念への出走や他のG1での成績も加味すれば他の距離で出れてもいい筈なのに、随分と安く見られたものね。
でもこうして出られるだけでも喜ぶべきというのは理解している。中にはどれだけ努力しても実を結ばず、一度も勝利せずに引退するウマ娘もいるんだ。無い物ねだりならまだしも、持っている物を認めず更にねだるなんて傲慢でしかない。
「短距離向きは同じ世代に余り居ないから知らない名前も多いわね。カレンチャン、さん?呼び難いわね」
「スプリンターS、高松宮記念を取った子ですね」
「そう。サクラバクシンオー、この方も王の名を持つのね。この方も高松宮記念は取ったのかしら?」
「いいえ、スプリンターズSを二連覇しましたけど高松宮記念はまだ無かった頃なので出てませんね」
「へぇ、二連覇とは凄い人ね」
他の世代についてはよく知らないから取り巻きの子が他の走者の事を教えてくれるけど、その成績はURAファイナルズに選ばれるだけはあってやはり目を見張る物がある。
私は負けて負けて、負け続けてそれでも諦めずに走ってようやく高松宮記念を制覇した。だが手にした栄冠が同じならそこまでの道中がどうであろうと関係ない、結果さえ残せば敗北の数なんてホコリ同然。
「オーホッホッホ!それでも勝つのはキングであるこの私、キングヘイローよ!」
情けない負け方をすればまたお母様から小言の電話が掛かってくるだろうし、それに他の方の成績がどれだけ優秀だろうが勝てば私が頂点になるという事には変わりない。
なら勝てばいい、私が勝ってキングである事を証明すればいいだけよ。
まだ見ぬ相手に私も闘志を燃やしていると後ろの方から『キングちゃ〜〜ん!』と大声で私を呼ぶ声が聞こえ、カップを置いて振り返ると高知から帰って来た私のルームメイトが大荷物を抱えて大手を振りながら走り寄って来ていた。
「ただいま!」
「お帰りなさい、ウララさん。これまた随分な大荷物ね。」
ピンク髪で小柄な身体に有り余る元気を詰め込んだハルウララさん。高知への遠征から戻り、大きな荷物を脇に置いて私と向かい合うように椅子に座ると取り巻きの子達も気を利かせて何も言わずに去って行った。
「あれ?みんな何処行くの?」
「何か用事が入っただけよ。それよりも今回は勝てたのかしら?」
「そうそう!聞いて聞いて!」
「言われなくても聞いてるわよ」
「今回は3位だったんだよ!高知の人達も凄く褒めてくれたの!」
「あら、凄いじゃない」
嬉しそうに3位入賞を果たした事を語るウララさんはこれまで一度もレースで勝ったことがない。聞いた話では入学テストでも散々な結果だったらしいけれど、この人が中央のトレセン学園に入学できた理由は凡そ察しは付いている。
何度も負けても諦めず、誰にでも笑顔を振り撒き、いつでも楽しそうに走るウララさんは勝たずとも人に勇気を与えるウマ娘だから。校訓の『唯一抜きん出て、並ぶ者なし』をウララさんに当て嵌めるのなら、『底無しの明るさ』という一点においては誰にも負けない才能を持っているからだろう。
「あともうちょっとで勝てそうだったんだけど、相手の子も凄く速くてね!」
「小さい頃の私もこんな感じだったんだろう」、なんて親のような気持ちでウララさんの遠征話を聞いていると瞬く間に時間は過ぎていき昼休みは終わってしまった。
ウララさんもURAファイナルズの期間はレースは休みともあり、私のレースを観に来ると約束してから私も午後からのトレーニングに精を出した。
予選阪神競馬場芝右1400m、準決勝東京競馬場芝左1400m、そして決勝中京競馬場1200m。何の因果か決勝の舞台は高松宮記念と同じ会場となっているけど、今更私がレースに怖気付くことはない。
なにせ私は「あのウマ娘のご令嬢」という評価も、「クラシック路線からいきなり短距離に行く道化」というマスコミの記事も、「諦めろ」というお母様からの試練も乗り越えた。
今の私は世代最強と名乗るに相応しい実力と実績を身に付けたんだ。今更私が立ち止まる理由なんて何処にもない。
「ハァ……ハァ……ゼェ…」
「今日はやめにする?」
「ハァ…そ、そうね……!ちょっと早いけど貴方が先に根を上げるなら………今日は終わりにしようかしら…っ!」
第四コーナーから助走してラストの直線を全力疾走10本を終え、膝に手をついて息を整えているとトレーナーがタオルを差し出してくれたからそれを受け取った。
金色の長髪をウマ娘の尾のように纏め、澄んだ水色の瞳で私を見つめている私のトレーナー『ガヴリエラ・ハーウッド』。私のお父様と同じイギリスの生まれらしく、いつも涼しげな顔をしているがイギリスのトレーナー育成機関を主席で卒業した程の秀才で勝利への執念も私に負けずとも劣らない。
卒業後に来日するとすぐに中央の資格も取得し、初めての担当ウマ娘として私を選び、私も最初は実力を疑っていた。けれどクラシック路線からスプリンターへの転向にも対応し、実際に勝たせてくれたのだから一流のウマ娘に相応しい一流のトレーナーという所だろう。
「じゃあそうしよっか。それにしても気合入ってるね」
「っん……当然!私達の世代全員が出るURAファイナルズで私だけがヘマする訳にはいかないもの!」
スペシャルウィークさんとスカイさんが長距離、グラスさんとエルコンドルパサーさんがダートで競うと知り、両レースとも他にも猛者が多く集まっていて今から黄金世代への期待の声は高まっている。
私も友人として同世代の人達に勝って欲しいし、私も同じような期待を受けているのだから負ける訳にはいかない。黄金世代の一番手としてキングの威光を遺憾無く発揮できるようにトレーニングには全力で打ち込まないと気が済まない。
とはいえ、トレーナーが先に根を上げてしまったのなら仕方が無いから今日の所はお開きとなり、私も更衣室で制服に着替えているとベンチに置いていたスマホの呼出音が鳴った。
休日でもないのに寮住みの同級生から掛かってくる事は無いし、トレーナーなら余程の用事が無ければ明日直接話す筈。つまり今掛かってきている電話は1番話したくない相手の可能性が高い。
着替えていて出られなかった、という説明を後日する方が面倒が増えるから仕方なく袖を通す前の制服を一旦置き、携帯を手に取ると電話先の相手の名前を見て一息吐いてから通話ボタンを押した。
「はい、お母様」
『随分と遅いわね』
「着替えている途中だったの。今日は何の用事なの?」
『新設されたURAファイナルズの短距離で出るそうね』
流石業界人は耳が早い、その地獄耳をちょっとは世間から娘への賞賛にも傾けて欲しいものね。
「ええ、出るわ」
『辞めておきなさい。一度G1の短距離を勝てた位でその道のエキスパート達と張り合っても無様を晒すだけよ』
「そう、でも私は出るわ。負けるかどうかなんてやらなきゃ分からないもの」
『分からない程度の実力だから辞めなさいって言ってるのよ』
ホント、ああ言えばこう言う人ね。前までの私なら適当に話を合わせて電話を切っただろうけど、私はトレーナーと出会ってから変わった。
トレーナーは私がクラシック路線で走ると言っても止めなかった。有馬記念で走る事も止めなかった。私が本気で高松宮記念を獲ろうとすれば全力で応えてくれた。
今の私は一人じゃない、背中を押してくれる人達がいる限り私は前に進み続けると決めたんだ。
「私の実力も測れないのに勝手に決めないで。私は必ず勝つわ、後で吠え面かいても知らないわよ」
空いている左手を強く握り締めながら電話の向こうにいるお母様にしっかりと私の意思を伝えると、少しの逡巡の後に「なら実力で示す事ね」と言い残して珍しく向こうから電話を切った。
いつもは私から切っていたのに珍しい、いつまでも私が下手に出ると思っていたのかしら?でもそんなのは大間違い、私はいつまでも子供じゃないんだから。
ようやく見返す事が出来たといつもより大きく高笑いを上げ、声を聞き付けたエアグルーヴさんに説教をされてから寮へと戻ることにした。
「さっむ……ウララさん暖房付けるのかしら…」
屋外はすっかり日も落ちて暗くなり、冬本番ともあって動いていないと凍えるような寒さが身に沁みる。レース中は寧ろ暑いくらいだけど、流石に冬用の勝負服の案だけでも考えておこうかしら。
『……あ……せ…!』
外には長居はしたくないけど今日は気分も良いから軽い足取りで学園内の歩道を歩いていると、何処からか聞き覚えのある声が聞こえてきて足を止めた。
方角的には靴箱のある玄関口の方、少し遠回りになるけど様子だけでも見ておこうかしら?
学園内で事件が起きるとは思えないけど大事だといけないから顔だけは見せておこう、そう思って校舎を回り込んで行くと二つ聞こえる声の片方はウララさんの声だというのは判別できた。
昼間とは打って変わって静かな校舎にウララさんの声はよく響くから分かりやすいけど、もう一人の方は誰だったかしら?
建物の角を曲がって玄関口の方が見通せるようになると明かりの付いている玄関口にはウララさん、そしてもう一人が何やら話しているのが確認できた。
茶色の後ろ髪をポニーテールにしていて遠目でも分かる位の綺麗に分けられた前髪、ウララさんに負けない位に真が通っていて聞き取りやすい声からして彼女の性格が窺い知れる。
特に気にする必要もなかったわね。それよりもウララさんが部屋に帰ってないなら暖房も点いてないじゃない。明日からタイマー設定しようかしら?
『そこで負けては意味がありません!』
……ん?
イマイチ分からないエアコンのリモコンを弄るのは億劫だから誰に設定を変える権利をあげるか検討している中、帰ろうと背を向けた向こう側から聞こえてきた声に思わず足が止まった。
『レースは勝たなきゃ意味がない!』
聞き間違いかと思ったけど、ウララさんと話している方の声はよく聞こえる。その声がウララさんに向かって勝たなきゃ意味がないと確かに言った。
『負けちゃいけな、ん?』
『あっ、キングちゃ…!?』
玄関口で話している二人に私が近付くと先にウララさんと話していた方が私に気付き、ウララさんもそれで気付いたようだけど私は我慢ならなかった。
ウマ娘は確かに勝たなきゃいけないかもしれない。でも勝たなくても輝く人だっているんだ。私が負け続けていた時に何度ウララさんの明るさに救われたか。
ウララさんの魅力も知らない癖に勝ち負けだけの価値観を押し付けているのが許せず二人の間に割って入り、私が睨み付けても瞬きをするだけで非礼を詫びる様子もない。
反省しないならその身に教えるしかない、そう考えた私が相手の方の頬を打つと乾いた音が校舎に響いた。
「け、ケンカはダメだよキングちゃん!?」
「何で叩かれたか分かるかしら?」
「いえ、さっぱり!」
叩かれた頬が赤くなっている相手は私が話を聞いていたと分からなかったのかシラを切り、もう一回叩こうとしたけど今度はウララさんに腕を掴んで止められた。
「ダメだってば!」
「貴方がどれほどの成績を残したのか知らないけど、貴方がどれだけ速かろうが…!」
「短距離だけで12戦11勝です!」
実力行使がダメなら口で分からせようとしたけど、私の話を遮って自分の戦績を語った相手の言葉に私は声が詰まった。
12戦11勝、それも全部短距離?
「スプリンターズSのレコードも持ってました!最近抜かれちゃいましたが、また抜き返しますよ!ハッハッハ!」
スプリンターズSのレコード?
「サクラちゃんって凄いんだよ!」
サクラ?まさかこの方が?
「貴方がサクラバクシンオーなの?」
「はい!私が学級委員長のサクラバクシンオーです!えっとー、名前は?」
「キングヘイローちゃんだよ!同じ短距離でURAファイナルズに出るんだって!」
「あー!聞いたことあるかもしれません!残念ながら一着は私のモノなので、頑張って二着が取れるといいですね!」
「ッ、あらそう?なら吠え面かかせてやるわよ!」
何処までも傲慢な態度を取り、その態度に見合った成績を持つサクラバクシンオーが既に私に勝ったつもりで話しているのがまるでお母様のようで心底腹が立ち、話していても得られる物は何も無いと判断しウララさんの手を引いてその場から立ち去った。
相手がどれだけ速かろうが、どれだけ勝利を重ねていようが関係ない。勝つのは私、キングヘイローなのだから。
『ハナ差でホワイトイーグルとの差し合いを制し一着はキングヘイロー!二着ホワイトイーグル、三着は1馬身差でニシノフラワー!』
「ハァ……ハァ…!」
「お疲れ、キング」
「み、水…!」
お母様とサクラバクシンオーに絶対に吠え面をかかせてやる為にがむしゃらに特訓して迎えたURAファイナルズ予選。
スプリンターズSでは辛酸を舐めさせられたホワイトイーグルさんとの差し合いを制し、キングの威光を遺憾無く発揮した私は堂々の一着。
1400mとはいえ短距離は全力疾走し続ける体力勝負であり、一手間違えれば大きく順位を落とすことになる頭脳戦でもある。馬鹿正直に最初から先頭を走り続ければ勝てるというものではない。
サクラバクシンオーは駆け引きが上手いようには見えなかったけど、きっと狡猾な手を使ってくるのだろう。けどそんな見え透いた手に掛かるほどキングは馬鹿じゃないのよ。
トレーナーから受け取った水を浴びるように飲み干し何とかひと息つけたけど、ホワイトイーグルさんの相手は何度やってもしんどい。
同じ差し馬で攻めるタイミングが被ると抜け出す前に少しでも良いポジションにいた方が勝つ。今回は内に入っていたホワイトイーグルが先行のニシノフラワーさんを追い抜く時に一瞬手間取ったお陰で勝てたものの、位置が逆だったなら結果は変わっていたかもしれない。
それに差しだとどうしても勝負服が前から跳ねてきた土で汚れてしまうし、勝つ為に躊躇うことはないけど後で洗うのも大変だから勝利の代償は大きい。
「最後のスパートのキレは良かったよ。ただ、前半で先行馬を抜くのに時間が掛かり過ぎてる。もうちょっと外から突いてもいいと思う」
「2番ゲートだったんだから間を縫った方が勝機があると思ったのよ」
「レースの流れで外側に抜けられたから良かったけど、内側に居たら間違いなく負けてた。次は気を付けて」
私が勝っても負けてもこうしてレースを分析した結果を教えてくれるトレーナーの存在は大きい。お母様との比較ではなく私を見てくれる、私が一流で有り続ける為に必要な素質をトレーナーは持っている。
これ程優秀なトレーナーがこれまでの誰の担当でもなかったのには驚いたけど、大方私の才能を見抜いて先んじて勝ちウマに乗ろうとしたんだろう。
「取り敢えずこの後は取材、帰ったらビデオで見返そっか」
「分かったわ。ただ、その前にレースの様子を見に行ってもいいかしら?」
「構わないけど、他人のレースを気にするなんて珍しいね」
「あのサクラバクシンオーが何着になるか見るだけよ」
「サクラバクシンオー?それなら見なくても分かるよ」
「あら、貴方がそんな事言うのも珍しいわね」
「余程の失態をしない限り、サクラバクシンオーは一着だよ。彼女にはそれだけの才能と実力がある」
私が勝ってもダメ出しをしてくるこのトレーナーがこれだけ実力を買うなんて、これまでもまぐれ勝ちではないという事なんだろう。それでも私が興味があるから観に行こうと無視して更衣室から出ると、トレーナーも私の後を何も言わずに付いて来た。
こういう所は忠臣らしくて嫌いじゃないのだけど、
「……私にそういう事言ったことあるかしら?」
「早くしなきゃ見逃すよ」
サラッと毒を吐くのは見逃せないわね。
一々指摘したら私の器が小さいみたいだから寛大な心を持って許し、二人でスタンドの方へと向かうと歓声が遠くからでも響いてくる。
あのサクラバクシンオー、それとカレンチャンさんが出る第二レースは二人に票が割れたとは聞いているけど、実際の走りを見てみない事には後で肩透かしを食らっても面白くない。
関係者用通路を通って1番眺めのいいスタンドの三階へやって来ると、私が直接此処に来たからかファンが喜んでくれているけどトレーナーが盾になり、私は窓際に寄ってレースの展開を眺めた。
そして、愕然とした。
『サクラバクシンオーだ!サクラバクシンオーがカレンチャンを2馬身差に抑える圧倒的な実力を見せつけゴール!最強のスプリンター、サクラバクシンオーは健在です!』
短距離で2馬身差、他のウマ娘達が出遅れたのなら分かるけどカレンチャンさんも後続を1馬身以上離している。集団に対しては3馬身以上離すなんてどんな走りをすれば出来るんだ。
「サクラバクシンオーは最速のスプリンター、今日みたいに集団で手こずってたら逃げ切られるよ」
「……取材を受けて、帰ったらすぐにトレーニングよ。このキングが絶対に逃げ切らせないわ」
「今日は」
「キングがトレーニングをすると言ったらするの!でももヘチマもないわ!」
言うだけはある圧倒的な走りを見せられ、今の実力で満足していられないから1秒でも多くトレーニングをしようとトレーナーを急かし、何か考えるように開いている手帳の縁を指先で叩いているトレーナーは少しを間を置いてから「了解」と言って手帳を閉じた。
「何か不満でもあるのかしら?」
「ううん、何も無いよ」
初めて会った時から度々見せるその癖が中々抜けないトレーナーを連れて取材陣が待つ会見会場に向かい、服の乱れを直してから会場に入ると流石はG1級のトーナメントともあってカメラのフラッシュが焚かれ、すぐにトレーナーが遮光グラサンを掛けてくれた。
「今回の勝因は!?」
「ライバル対決を制した感想は!?」
「今回応えられる質問は一つだけよ。一流の私に相応しいと思う質問だけにして頂戴」
矢継ぎ早に質問を浴びせられながらマイクの前に立ち私も質問の質を上げるように呼び掛けると、月並みな質問ばかりする記者達も少しは落ち着いた。
そして静かになった会見会場で白スーツで髪の長い女性記者が手を挙げた。
「そこの貴女」
「はい!月刊トゥインクルの乙名史です!先程スタンドで第二レースを観戦していたとの事ですが、やはり目的はサクラバクシンオーさんの偵察なのでしょうか?」
ついさっきの話をもう拾ってくるだなんて、そこそこ優秀な記者だというのは伝わってくる。
けど誰も彼もサクラバクシンオーサクラバクシンオーって、今貴女が質問しているのはこのキングヘイローなのに何で他の人の話をしなきゃいけないのかしら?
「すみません。キングについての質問だけに」
「いいわ、ちゃんと応えるから。それに、サクラバクシンオーはキングであるこの私がわざわざ偵察する程の相手なのかしら?よく知らないから分からないわね」
「つまり、対戦することになっても勝つと?」
「いいわ、なら此処で宣言してあげる!私はこのURAファイナルズ、一度も負けずに優勝してみせるわ!誰が相手でも、どんなウマ娘でも関係ない!勝つのはこのキングヘイローよ!オーホッホッホ!」
私がサクラバクシンオー一人を狙うなんて馬鹿らしい。キングなら全員に完勝して当然なのだから完勝宣言をすると再び沢山のフラッシュが焚かれ、音源を取った取材陣達も早速局に連絡を入れている。
まだ質問しようと取材陣は手を挙げているけど応える質問は一つだけの約束だから投げ掛けられる質問を背に会場を後にした。
これでいい、キングに退路なんて必要ないのだから勝てばいいだけの話よ。
「『キングヘイローとサクラバクシンオー、本物の王は何方だ!?』、ですって」
「流石ですキング、話題の中心はキングが掻っ攫ってますよ!」
「当然、何故なら私が一流だから!オーホッホッホ!」
次の日、トレーナーが持ってきた雑誌の表紙にはURAファイナルズ中距離を制したツインターボさんの写真が載ってあり、ページを捲っていくとURAファイナルズの特集の一面を飾っているのは四人の勝者の中でも私だった。
エクスカリバーさんやエイシンディーシーさんも勝ったものの、王の名を持つ私とサクラバクシンオーのライバル関係を中心に記事は書かれている。
「何故か私がサクラバクシンオーに挑戦する形に書かれてるけど、勝つのは当然私よ!貴方達には私を応援する権利をあげるわ!」
「はい!次も私達応援に行きますね!」
「当然よ!オーホッホッホ!」
『あっ!いました!』
取り巻きの子達にも私が勝って気持ちよく応援できることを約束していると、カフェテリアの入口の方から聞きたくないよく通る声が聞こえ、視線を向けるとやはり其処に立っていたから視線を戻した。
だけどその人は足早に私の元に駆け寄って来たから仕方なく視線を合わせてあげると、その手には私と同じ雑誌が握られていた。
「あら?サインでも貰いに来たのかしら、サクラバクシンオーさん?」
「いえ!この雑誌にアナタの事が書かれていたので!」
近くに居るというのに溌剌とした声で喋るサクラバクシンオーが私と話しているのは周りの目を引き、あくまでも休憩中なのに無駄な体力は使いたくないから私もやんわりとした態度を心掛けた。
「私に勝てるといいですね!」
つい雑誌を持つ手に力が入ってしまいクシャクシャにしてしまったけど、笑顔は絶やさずにいるとサクラバクシンオーは他にも何か言ってるみたいだけど聞く気にはならない。
一方的な話が終わったのかサクラバクシンオーは颯爽と立ち去って行き、取り巻きの子達も「忙しい人ですね」とフォローしてくれたけど私は早めに休憩を切り上げ、トラックに向かうと既にトレーナーが練習の準備を終わらせて待っていた。
「流石は私のトレーナー、殊勝な態度ね」
「今日のメニューは変更しないからね。準決勝で当たるカレンチャンはサクラバクシンオーの前哨戦としては十分過ぎる相手だから、キングは集団に呑まれない走りを意識して」
「貴方もサクラバクシンオーを意識するのね」
「キングが気にしてるからそう言ってるだけ。カレンチャンならカレンチャンでもいいし、エクスカリバーもエイシンディーシーも引けを取ってない。運だけじゃ勝てない四人という事には変わりない」
ストレッチをしながらトレーナーと話しているとそこでもサクラバクシンオーの名前が出てきて、トレーナーも意識しているのかと思ったけど、私が口にするから合わせてくれていただけで他の三人も強敵だというのを強調している。
「でも忘れないで。サクラバクシンオーばかり見てても勝てない。何でキングが気にしてるのかは知らないけど、短距離で呑気に様子見してたら勝てないからね」
「……言われなくても分かってるわよ」
「なら良いよ。それじゃあ400mダッシュ10本、始めて」
会見でも名前を出したから意識しているのには気付いているようで、意識するなと語気を強めてきた。一流の私の為にトレーナーも一流のトレーニングメニューを用意しているのに、それに身が入らないなんてキングの名折れ。
しっかり柔軟運動を終わらせてからメニュー通りの練習を始め、スタート位置に移動してからトラックの直線400mをゴールに向かって全力で走り出した。
すぐに全速力まで加速してターフを駆けていき、ゴールと同時にトレーナーがストップウォッチでタイムを計測した。
「遅い」
「おそっ、もうちょっと言い方あるわよね!?」
「明らかに昨日見たレースを引き摺ってる遅さだよ。無駄に力んで、無駄に足を動かしてる。もっと効率良く動いて」
「別に力んでなんて」
「出来るの?出来ないの?」
「出来るわよ!」
この私に有無を言わせないトレーナーのトレーニングは少しでも粗があれば指摘し、YES or NOの選択肢で今後のメニューも大きく変える。
けどキングにNOの二文字はない、出来ないなら出来るまでするのが私だから当然出来ると答えるとトレーナーも2本目の準備を始めた。トレーナーは無理は言わない、私に出来ると知っているから限界を引き出そうとしているだけだ。
「2本目、0.5縮めないと今日は終わりだからね」
「0.7縮めるわ!」
「じゃあ0.8だね。準備始めて」
「ッゥゥ!?やってやるわよ!」
やり方は、確かにスパルタだけど。
「『各員一斉にスタート!早速先頭に出るは2番人気8枠カレンチャン!その後ろに続く6枠ホワイトイーグル、13枠アールピージー!』」
URAファイナルズ短距離準決勝、晴天の下で東京の芝の上を走り始めたウマ娘達は短距離ともあり一気にトップスピードまで加速していく。
1番人気のキングヘイローは18枠、大外からのスタートとなったがスタートダッシュが得意なキングヘイローは先頭5番目に陣取りながら第3コーナーへと向かった。
「『先頭は依然カレンチャン、しかし大外からはキングヘイローが上がってくる!』」
「『大外スタートとは思わせない好調な走りですね』」
「『キングヘイロー、ホワイトイーグルを大外から躱しカレンチャンと並ぶ!』」
トレーナーとのトレーニング通り、他のスプリンターには無い長距離も走れるスタミナを活かし外から抜いていくキングヘイローは側から見れば好調だった。
しかし、キングヘイローの心中はレース前の母親との電話の内容で埋め尽くされていた。
『これ以上URAファイナルズで走るのはやめなさい』
『何度言われても同じよ。私は必ず勝つ、だから走る。お母様がそうしてきたように私も走り続けるわ』
『貴方は私と同じようには走れないわ。走れるのなら既にG1で複数回勝てているもの』
『……』
『晩節を汚すという言葉は知ってるわよね?折角G1で一度勝てたのに、負けを重ねたら意味が無いわよ』
『大事なレース前の娘に掛ける言葉がそれなの?』
『……情けない想いをしてからじゃ遅いのよ』
『レース、見てなさい』
キングヘイローは母親の返事を聞く前に電話を切り、携帯の画面が暗くなると画面に反射して映った自分の顔を見ないように目をギュッと瞑った。
キングである自分に切り替えようと何度も自分に言い聞かせ、レースでも練習の成果を出せているキングヘイローだったがその眼には他の走者は映っていなかった。
目に浮かぶのは何度もビデオで見た母親の走り。自分と同い年の頃に見せていた圧倒的な走りが、自分では追い付けない母親の走りが脳裏にチラつく。
それでも少しでも早く、それでも少しでも見返そうと第四コーナーで大外からは内側に入り、少しでも速度を出しながら抜け出そうとした。
そして、
「キャッ!?」
背後からカレンチャンの悲鳴にも似た声が上がり、すぐにキングヘイローはレースに気を戻したが背後を振り返る余裕はなかった。
背後の様子は見えないが転倒する音だけは聞こえず、レース中に止まる方が危険だと判断してそのまま第四コーナーから抜け出して最後の直線を駆け抜けた。
視界の端から上がってくるのはカレンチャンではなくホワイトイーグル、予選での借りを返そうとするが直線での伸びを鍛えたキングヘイローを追い抜くことはできず、キングヘイローが1馬身差に抑えて一着でゴールした。
次々にウマ娘達がゴールしていく中、歓声も疎らに湧いているが観客の視線はキングヘイローではなく、着順掲示板に青背景に白文字で映された『審議』の二文字に向けられていた。
『お知らせします。URAファイナルズ短距離準決勝第一レースに於いて、第四コーナーで18番キングヘイローが斜行し8番カレンチャンの進路を塞いだことについて審議を致します』
「やはりキングヘイローの斜行は審議か。アレはやり過ぎだったな」
「どうした急に」
「第四コーナーから抜け出す前、キングヘイローが外から大きく動いて内に入って来た時は確かに先頭だった。だが既にその進路はカレンチャンが走っていて、目と鼻の距離で割り込まれたカレンチャンは驚いて減速し、結果は4着。もしもあのままカレンチャンが走っていればキングヘイローを抜けたかもしれない。それをキングヘイローが意図的に狙ったのならキングヘイローは順位をカレンチャンの一つ下に落とされ、最悪出走停止もあり得る」
「でもわざとやってる様には見えなかったですよ」
「最後も凄く速かったもんね」
「そこを裁決委員がどう捉えるかだね。実際伸びてきたホワイトイーグルも突き放せたんだ、走りでの勝負を諦めた違反行為ではないのは確かだよ」
そう何度もあるものではない審議に観客達も動揺しているが、会場にいる人の中で1番動揺しているのはその対象になっているキングヘイロー自身だった。
決して邪魔するつもりはなかった、ただ一番走りやすい場所を取ろうと必死になっていてカレンチャンが何処にいるのか把握できていなかっただけ。
勝敗に影響する程だったのかは分からないが、少なくともカレンチャンに迷惑を掛けたのだから謝ろうとした。だがいつも可愛くあろうとするカレンチャンが電光掲示板を睨んでいる姿を見て、キングヘイローが近付くのを躊躇っていると再び会場にアナウンスが流れた。
『お待たせ致しました。URAファイナルズ短距離準決勝第一レースは、審議を致しましたが到達順位の通り確定致します。なお審議の対象は18番であり、第四コーナーで内側まで斜行し8番が減速しましたが、接触しない距離は保てていた事とその後に減速もなかった為、競走に影響は無かったと判断致しました』
会場内が安堵と落胆の声に分かれる審議の結果に、カレンチャンが肩を落として険しい表情を崩したものの、拳だけは握り締めているままである事にキングヘイローは気付いていた。
暗雲立ち込める空気のままキングヘイローは無敗のまま決勝へと駒を進めた。
審議も終わり、それぞれ控え室に戻っていく中で私は自分の控室に戻る前にカレンチャンさんの控え室の扉を叩いた。
「カレンチャンさん、少し良いかしら?」
『はーい』
「失礼するわ」
カレンチャンさんの許可を得て私が入室するとカレンチャンさんのトレーナーも中に居たが、私に気を利かせてか『飲み物取ってくるわ』と部屋から出て行き、椅子に座っていたカレンチャンさんも私と向き直った。
「どうしたの?」
「その……ごめんなさい」
「え、ナニナニ?何で頭下げるの?」
「私がカレンチャンさんの邪魔したから……」
今回は私の順位が落とされる事はなかったけど、カレンチャンさんなら私が進路を邪魔しなければ私を抜いていたかもしれない。
邪魔するつもりはなかったけれど、結果として審議に縺れ込む強引な走りをしたのは間違いない。だから私はキングだの言う前に頭を深く下げて謝った。
謝って許されるものではない。ウマ娘としての経歴に泥を塗ってしまったのだからカレンチャンさんの許可があるまで頭を下げていると、「頭上げてよ」と言われてようやく頭を上げた。
すると向けられていたスマホのシャッター音が鳴り、何かと思っているとカレンチャンさんは私を撮ったスマホの画面を見せてきた。
「今のキングさん、全然キングって感じじゃないよ」
「だって、私は…」
「確かにカレンの前に来た時はビックリしたけど、審議でも言ってたけど十分距離はあったし直線での加速に付いて行けなかったのはカレンだもん。私も悪いと思ってないのに謝られても困るよ」
「……」
「だから、次からカレンの前でキングっぽくない事するのはダメ。それだけ約束してくれたらもう気にしなくていいから、ね?」
そう言いながらカレンチャンさんは私の写真を消して私にも笑顔を向けていて、色々複雑ではあるけど私が掘り返しても良いことはないと思い、もう一度頭を下げてから部屋から出た。
そして私の控え室に戻ると当然トレーナーが待っていたが、腕を組んだ右手に持っている私の携帯の着信音が鳴っているのに渡そうとはしなかった。
「何をしてるの?早く渡しなさい」
どうせお母様だから携帯を渡すように指示したけど、トレーナーは知らんぷりをするつもりなのか携帯の縁を指先で叩くだけで渡そうとしなかった。
「サクラバクシンオー、二着に3馬身差で勝ったよ」
「あらそう」
「……」
「悩むくらいなら、渡しなさい」
電話の内容が予想出来ているから携帯を渡したくないのだろうけど、どんな内容であれお母様の電話に出る事には変わりないから悩んでいる暇があるなら携帯を貸すように言った。
トレーナーが私の事を分かってるように、私もトレーナーの事は分かってる。私の為に渡したくないのだろうけど、お母様からは逃げたくないから手を差し出すとトレーナーは私に携帯を渡してから控え室から出て行った。
そしてベンチに座ってから私からお母様に電話を掛け直すとワンコールで繋がった。
「『遅いわね』」
「ごめんなさい」
「『……荷物を纏めておきなさい』」
「何の話よ」
「『あの走りは何?無理に内側に行って審議されるなんてあのトレーナーに何を教わっているの?』」
「アレは、アレが一番速いと思ったから」
「『勘だけで走るからそうなるのよ。実力は付いても貴方はいつもその場の勘で走る。だから日本ダービーで逃げようなんて安易な考えを実行して恥を晒したのにまだ学んでないの?』」
「……」
スカイさんとスペシャルウィークさんと競った日本ダービー、好調過ぎたスタートで私が選んだ逃げの選択は14着という結果を齎した。
いつも通り走っていれば勝てたかもしれないのに、私は勝てない選択肢を選んで自ら勝利を手放してしまった。あの日のトレーナーの顔は今でもハッキリと覚えているし、私は二度とトレーナーを失望させないと決めていた。
だから勝てる道を選んだだけなのに。
「『練習通りに走れない。かといって勘だけで勝てるだけの実力も無い。どうしてそんなに半端な走りをするの?どうして自分で負けを導くような走りをするの?その走りで一体何が掴めるの?』」
お母様はいつもいつも私の失敗ばかり、偶には褒めてくれたっていいのに。
「『貴方がせめてサクラバクシンオーさんの様に飛び抜けて速ければもう少しはマシに走れたでしょうに。反則スレスレで勝ったのに喜べないようじゃ負けたカレンチャンさんも報われないわね』」
どうして、私を見てくれないの。
「『そんな走りをしてて何が楽しいの?』」
「……やめて」
「『貴方は勝ち方に拘れるほど速いの?』」
「もうやめて…っ!」
もう聞きたくない。私の事を否定してばかりで、私の事を何も認めてくれなくて、私の事を話してくれないお母様の話なんて聞きたくない。
私が絞り出した声でお母様の小言は一瞬詰まり、何拍か置いてからまた電話先から声が聞こえてきた。
「『再来週の朝に迎えに行くから荷物を纏めて置きなさい。貴方は走るのに向いてない、もう嫌ってほど分かったでしょ。これ以上私に言わせないで』」
「……」
「『もうキングだなんて馬鹿げた事を言うの』」
それ以上は聞きたくなかった。
キングという称号は私だけで積み上げたモノじゃない。トレーナーや取り巻きの子達、同期の友達と競い合ってきて得たモノだ。
それだけは否定されたくなかったから途中で電話を切り、携帯を持った手を振り上げて思いっきり叩き割ろうと振り下ろした。だけど、どれだけ否定されても繋がりを断つ事が出来ず、どうする事もできない感情が溢れて涙が止まらず、投げ捨てられない携帯を隣に置いてただ俯いて泣く事しか出来なかった。
トレーナーは私が泣き止むまで帰って来ず、帰って来ても「今日からトレーニング禁止」と告げるだけでそれ以上の追及はなく、記者会見も無しで私達は学園へと帰った。
それから4日が経ち、毎日一本走っては「今日は無し」とトレーニングを打ち切られ、取り巻きの子達も心配してくれたが私自身の問題なのだから「気にしなくていい」と言うのが精一杯だった。
だけど、
『アナタも無敗で決勝なんですね!』
周囲から見れば明らかにコンディションが悪い私に変わらない声で話し掛けてくるサクラバクシンオーはある意味安心感すら覚える。
他人の気持ちも状況もお構い無し、自分が望む事を望む時にするその傲慢さは確かに王と呼ぶに相応しいのかもしれない。
「私も無敗ですが、同じく強い人が相手だとより燃えますから!決勝では負けませんからね!」
「……そう」
「ムムッ、何か悩み事ですか?ならこの学級委員長にご相談を!レースはレースとして、普段は頼れる学級委員長ですから!ハッハッハ!」
カフェで紅茶を飲むだけでボーッとしていた私にサクラバクシンオーが話し掛けに来て、取り巻きの子が何とか気を逸らそうと計らってくれようとしたけど、どうせなら本人にも意見を聞こうと取り巻きの子達を退がらせた。
私の向かいに座って貰うとサクラバクシンオーは言われる前に自分で紅茶をカップに注ぎ、すぐに飲み干すのではなく紅茶の香りを楽しんでから口に含み、口の中で広がる風味もしっかりと味わっている。
意外にも上品な方なのだと再認識していると、「ちょわ?」と変な声を漏らしながら首を傾げていて、この人は考える前に行動するだけで割と常識人なのだとよく分かる。
「貴方は何の為に走ってるの?」
「ん?勿論私がサクラバクシンオーだからです!私がサクラバクシンオーである限り、私は走り続けます!」
「己の存在証明って事?」
「ソンザイショウメイ?」
「自分が自分である為にって事よ」
「はい!その通りです!」
確かに応援する側からしてみればいつでも一位を取ると豪語し、実際に成果を残すサクラバクシンオーの傲慢さは様になっているのかもしれない。
対して私はどうだ?カレンチャンさんにもキングらしくないと言われ、キングとしてマインドセットを行わないとレース中も維持出来ない。
私がここ一番で勝てないのも結局は自分の力を出し切れないから、素体が悪くなくても私が自分自身を制御できてないから走りにムラが出てしまう。
どれもこれも元を正せば私が原因の事ばかりだ。
「キングヘイローさんはどうして走るんですか?」
「私?私は……キングである事を証明する為よ」
「証明してどうするんですか?」
「証明して……」
「何で勝ったのにそんなに不満そうなんですか?」
サクラバクシンオーのウララさんに似た純真無垢の目を見ればそれが本心から不思議に思っているというのが伝わってくる。サクラバクシンオーなら審議で勝っても喜ぶんだろう、寧ろ勝てなきゃ再審を強請っていそうなくらいだ。
「貴方はサクラバクシンオーではないので詳しい事は分かりませんが、勝ったら喜んだ方が良いですよ!その方が走ってても楽しいですから!それじゃ、決勝で会いましょう!」
私に勝利の喜び方を教えた気でいるサクラバクシンオーは爽やかな笑顔を残して走り去って行き、彼女への敵対心は薄れたけれど今の彼女に勝つビジョンはより一層浮かばなくなった。
走ってて楽しい、ウララさんと同じモチベーションで才能もあるなんて強くて当然だ。勝てば勝つほど、走れば走る程より高みに登るなんてだなんて恵まれた人だ。
私が走りたい理由なんて……そんなの…
『ママ!私ね、2番になれたよ!』
『あらそう。頑張ったのね』
まだキングヘイローが小さい頃、キングヘイローは走る事が好きだった。フランスで凱旋門賞を取ったウマ娘のトレーナーと世界でも名高いウマ娘の娘として周囲からの期待を知らず、がむしゃらに走っているだけの頃はキングヘイローは勝っても負けても笑顔が絶えなかった。
自分の子供が楽しそうにしていて喜ばない親は居ない。母親も何も知らずに走る娘がいつかウマ娘の頂点になりたいと願うのならば勝負服をデザインしてあげよう、僅かながらの夢を抱きながら娘の成長を見守った。
『お母様、ごめんなさい。次こそは一着を取ってみせます』
そして、後悔した。
ウマ娘の頂点を目指す娘に生半可に自分の功績を話し、いつか自分と同じ舞台で走って欲しいと願うと娘はその為に努力した。
だが娘と母親は違う、母親に出来て娘に出来ない事は沢山あったのだ。コーナーでの競り合いの強さ、根本的なトップスピード、一瞬でコースを見極める戦術眼、そのどれもが天性の才能として持ち合わせていた母親にとって娘はレースには不向きにしか見えなかった。
だから諦めさせようとした。向いていない道を走るのは過酷で、そうやって折れてきたウマ娘達を何人も見てきた母親は娘にそうなって欲しくなかった。
だから自分に出来て娘に出来ていないことを只管に指摘し、自分に追い付く事が不可能だという事を分からせてあげたかった。
『どうして最後の直線でスタミナを切らしたの?』
『何故集団が前に居るのに内側から差そうだなんて思ったの?』
『何で同い年の子達と貴方とでそれほど差があるの?』
母親にはその全部の答えが分かっていた。誰もキングヘイローに走り方を教えていないから、母親が最強の一角であるキングヘイローに教えようとするトレーナーが居なかったからだ。
下手に負けようものなら何を言われるか分からない。縦横の繋がりの深いウマ娘の世界で、その重鎮の娘が才能に乏しいキングヘイローでは育成に失敗すればその世界でトレーナーとして生きていけなくなるかもしれない。
キングヘイローのトレーナーになるというのはそれだけリスクの大きいのだ。『そんな残酷な理由は娘には分からないだろう』、だから自分が先に諦めさせようとしたが幼くとも賢いキングヘイローもその理由を重々承知していた。
『私の実力不足です』
自分が『あのウマ娘』の娘だからトレーナーを希望する人が居ないのだと理解し、そして自分の力で乗り越えようとした。誰の所為にもせず、弱い自分が悪いと言い聞かせられるその優しさが母親にとっては走って欲しくない一番理由だった。
走っていれば身体が接触する事なんて良くある事、後ろの子に泥を掛けることも当たり前。審議になろうが勝てたのならば問題はない、それがプロの世界。
けれどキングヘイローはそれ等を極力避ける癖がある。その癖が本人の優しさ故であり才能も乏しい、常にあと少しで勝てない『勝負弱さ』を生まれ持ったキングヘイローが勝負の世界で生きていくのは無理だと母親は痛感していた。
それでも走ろうとするキングヘイローは少しでも自分の名前だけで走れる道を探す為に日本のトレセン学園に入学を決め、母親の反対を振り切って単身で日本に渡った。
どうしてそこまでするのか、どうしてそこまで自分を追い込むのか、負け続けても何故そこまで走ろうとするのか。母親には理由が分からなかった。
「お母様……」
幼い頃が夢に現れ、眠りながら涙で枕を濡らすキングヘイローがそれでも走る理由はたった一つ。
「次は……必ず…」
『キングヘイロー』
母親が自分と同じく頂点に立って欲しいと願い、高貴な魂に宿った名前。幼かった頃に自分の功績を話す母親が、娘の名に込めた夢を語る母親が笑っていたのが忘れられない娘はまた母親が笑う姿を見たい。
王とは程遠い優しい願いを普段は胸の奥に隠しているが、いつも夢の中で見ている幼い願いをずっと隣で聞いてきたハルウララはキングヘイローのベッドに潜り込み、キングヘイローの頭を胸元に抱き寄せた。
「キングちゃん……ウララも居るからね…」
辛い現実と秘めた想いの狭間で足掻いているキングヘイローはハルウララの温かな抱擁で少しずつ眠りが深くなっていき、自分が走らなければいけない理由を手に掴みながら意識を落としていった。
「私がサクラバクシンオーさんに勝つにはどうしたらいいの?」
朝からウララさんに抱き付かれていて引き剥がすのに時間が掛かり、いつもより遅めに始めたトレーニング。その最初の一言目で私がサクラバクシンオーさんの名前を出すと、怪訝そうな表情を浮かべたトレーナーはまた手帳の縁を指先で叩き始めた。
昨日の夜に見た夢、前は思い出したくない記憶だったけど今は少し違う。私が大人になったからなのか、それとも気持ち良く眠れたお陰で前向きに考えられるようになったのか、私がムキになってしまう理由が少し思い出せた。
何処まで行っても私はお母様に取り憑かれている。それから逃げるようにアメリカを出て、トレーナーと出会ってから自分の道を歩けるようになり、回り回って向き合わないといけなくなった。
でも今の私ならきっと重荷だったモノを解消させられる。その為にもサクラバクシンオーさんには勝たないといけない。
「お母さんから荷物を纏めろって言われてるんじゃないの?」
「ええ、言われたわ。つまりあの人が日本に来るということよ」
「そうだね」
「だからあの人を会場に来させるわ。そして私が負ければ大人しく帰って、勝てばこのまま日本で走り続けるわ」
また私が無茶な賭けを始めたとトレーナーはため息を吐いた。だけど手帳の淵を叩く指は止まり、手帳を開いてその中の確認を始めた。
「つまり必ず勝つと?」
「当然よ」
「サクラバクシンオーは確かに速い。カレンチャンでも追い越せなかったし、エクスカリバーも負けた。でもキングはまだ一度も戦ってない」
「前置きはいいわ、勝算はあるの?」
「……正直に言うよ?」
「ええ、一流の貴方に率直な意見を言う権利をあげるわ」
たとえ汗だくになろうが泥塗れになろうが、勝たなければいけない理由がある私はトレーナーに気を使わなくていいと許可を出した。
私が覚悟を決めているのが分かったトレーナーは少し悩んだ様子を見せたけど、すぐに口を開いた。
「今のままでも勝てるよ」
「はい?」
「キングの実力は今のままでも十分サクラバクシンオーに通用する。問題なのはキングが自分の気持ちに整理をつけられず、走りに集中できていない事だから。準決勝もそうだったけど、アレだけ気持ちが揺らいでたのに勝てたのは実力は足りてるからだよ」
予想外のトレーナーからの高評価に拍子抜けしていると、「だから言いたくなかったの」と零していて私の気が抜けると思っていたらしい。
確かに前までの私なら後ろで悲鳴がしたら慌てて振り返ろうと立ち止まったかもしれない。そうしなかったのは冷静に考えられるだけの心の余裕、トレーナーとの練習によって身に付けた自信が私の走りを支えてくれたからだ。
「キングはもう人の背後に付くべきじゃない。誰かの後を追うレースは前回までで卒業しよう」
「逃げろって言うの?」
「違う、キングは他の子達とは違って自分の道を走るべきだよ。まず1400m、本番と思って5本」
「1400m?決勝は1200mよ?」
「……」
「分かったわ、1400mね」
「やっぱり6本」
「本音は?」
「7にしよっか」
「次からは最初からやらせたい数字を言いなさい。貴方のメニューを今更断ったりしないし、時間の無駄よ」
「了解」
本当に分かってるのかしらね?
「『URAファイナルズ短距離決勝戦!舞台は中京競技場芝1200m左回り!パドックでは誰もが好調といった様子でしたが、やはり注目は一番人気4番サクラバクシンオー!』」
「『仕上がりも完璧、今トーナメント無敗の実力を遺憾無く見せてくれるでしょうね』」
URAファイナルズ短距離決勝当日、準決勝が審議になったとは思わせない会場の盛り上がりに実況の声も高まり、一番人気のサクラバクシンオーを紹介した。
影を踏むことさえ許さない王者の走りに期待が集まっていて、本人も自分の勝利は揺るぎないモノだと確信して高笑いをしている。
「『2番人気は9番キングヘイロー!前回は審議となりましたが、それでも同じく無敗!今は友人と話す余裕すら見られます!』」
「『リラックスしていますね。普段は一人で集中しているイメージですが、これがどう転ぶかですね』」
対する2番人気キングヘイローは本番前でも余裕を見せていて、観客席にいるハルウララとトレーナーに話し掛けていた。
「納得いかないわね。この私が2番人気だなんて」
「それでも凄いよ!それに一回も負けてないんだから!」
「当然よ!何せ私はキングだから!貴方には私が一着になる所を見る権利をあげるわ!オーホッホッホ!」
「うん!頑張ってね!」
「……それと、一応貴方の為でもあるのよ」
前回の審議を引き摺っているとは思わせないキングヘイローの高笑いに観客達も盛り上がったが、キングは今回勝たなきゃいけない理由にハルウララが含まれていると伝えるとハルウララは首を大きく横に傾げた。
「へ?ウララの?」
「数週間前、サクラバクシンオーさんに勝たなきゃ意味がないって言われたでしょ?」
「……そうだっけ?」
「言われてたのよ。だから私が証明してあげる、負けは次に繋げられるって。貴方の負けも、大切な勝利の為の礎だって教えてあげる」
「うん!それじゃあお願いするね!」
「ええ。それとトレーナー、お母様とは連絡付いたかしら?」
「全然、私からじゃ電話にも出てくれない」
「まぁいいわ、空港にもテレビくらいはあるでしょ。そこで私の走りを見ているといいわ」
キングヘイローの母親はURAファイナルズを棄権してキングと一緒に帰るつもりでアメリカから飛んで来た。しかしキングヘイローは母親の性格から前日には日本に居ると踏んで飛行機の到着時間を見越し『明日中京競馬場に来てください』とメッセージを送っていた。
すぐに電話が掛かってきたが口で話す段階はもう終わり、自分の走りで答えを示そうとするキングヘイローはそれには出ず、当日を迎えたが見る限りではスタンドには母親の姿はなかった。
初めて日本で走る姿を直接見せようとするキングは少し眉の端を下げたが集中力は決して切らしてはおらず、トレーナーも今のキングならば真実を知っても力に変えられるだろうと秘密を打ち明ける事にした。
「キング、一つだけ私が隠してた事があるの」
「あら、何かしら?」
「私がキングのトレーナーになったのは偶然じゃないの」
「あらそう?でもそれは当然よ、何故なら貴方が一流のトレーナーだったから一流の私を選んだのよ!オーホッホッホ!」
「そういう事じゃなくて」
「それと、そんな事にも気付いてない私だと思ってるの?貴方の人を見る目はまだまだね!其処で貴方が育て上げたキングの背中を見る権利をあげるわ!」
トレーナーが告げようとした秘密を上手くはぐらかしながらキングヘイローはゲートの方に小走りで向かい、既に知られているとは思っていなかったトレーナーも「教える事はもう何も無いよ、キング」とその背中に声を掛けるとキングヘイローは手を振って応えるだけだった。
もう母親のしがらみも自分に課した重圧も全て取り払ったキングヘイローの背中はトレーナーから見ても大きく、心配する要素はもう無いと安堵しながらウマ娘達がゲートに入っていくのを見守った。
キングヘイローの右隣10番のゲートに入るホワイトイーグルは、普段レース前は闘志に満ち溢れているキングの様子が違うことに気付いた。何度も競い合ってきたが、隣で立っているだけでも身震いがする程精神を研ぎ澄ませている状態は初めてだった。
会場内は二分にも満たない短い時間でウマ娘達が全てを出し切るレースを見逃すまいと静まり返り、走者達の集中がピークに達するとゲートの駆動音と共に一斉に走り始めた。
「各員体勢整い一斉にスタート!まず先頭を取ったのは一番人気サクラバクシンオー!そのクビ差で外を走るカレンチャン、続くエクスカリバー!その後方も集団になって迫っている!」
中京競技場を向正面からスタートしたレースは誰もが予想した通りサクラバクシンオーが先頭に立ち、カレンチャンも前回の反省から終盤で加速するよりもサクラバクシンオーの後ろに付いて圧を掛ける戦法に切り替えていた。
集団の後方で控えているホワイトイーグルは冷静に集団の様子を見極めていて、同じく前回ニシノフラワーを追い抜く際に手間取った経験から内から抜くリスクを負うよりも集団の外に出ようと視線を向けた。
すると集団の大外に見えたのはキングヘイロー、そのペースは既にキングヘイローのトップスピードに達しており、瞬く間に集団を追い抜いて先頭を走る三人に迫っていた。
「『サクラバクシンオーが後続を引き連れ第三コーナーへ!続くカレンチャンも外から伺い、エクスカリバーは内を狙っているのか!集団を最初に抜け出してきたのは大外を走るキングヘイロー!脅威的な速さで2馬身差のエクスカリバーに迫っていくがこれは掛かっているのか!』」
「『ここに来て彼女の勝負弱さが出てきましたね。このままペースを維持できればいいのですが、冷静さを欠いているかもしれません』」
集団を抜けても尚大外を走り続けているキングヘイローに解説も冷静さを欠いていると指摘し、キングヘイローに続くように集団を外から抜いたホワイトイーグルは先頭が煽られて勝負を早めるのを危惧して早々に上がり始めた。
だが大外を走り続けている筈のキングヘイローに追い付けず、次第にエクスカリバーへ迫っているのを見てキングヘイローをよく知る者達はいつもの暴走とは何かが違うと気付いた。
「『キングヘイローがエクスカリバーに並び第四コーナーへ!未だ大外を走り続けるキングヘイロー、今日の暴走はいつもと何かが違う!』」
大外から内に入るタイミングは幾らでもある。なのにキングヘイローは一切それに乗ろうとしないばかりか、トップスピードを維持したまま既に第四コーナーに差し掛かっているのだ。
幾ら短距離とはいえ短距離で通じるスピードの維持はスタミナ以上に筋肉や関節が保たない。並のウマ娘から既に落ちているのが当然、そして以前の自分の力だけで勝とうとするキングヘイローならそうだっただろう。
「『キングヘイローがカレンチャンに並ぶがまだ止まらない!その目が見据えているのはたった一人サクラバクシンオーだ!』」
泥塗れになってでも磨き上げたテクニックで前のウマ娘を抜き、鍛え上げた加速力で直線に全てを賭けていたキングヘイローの走りは其処にはなかった。
「『大外からキングヘイローが迫る!』」
アメリカで最強と名高いウマ娘の一人娘。
母親の走りの才能は引き継げなくとも、猛者が集う黄金世代随一の身体の頑丈さをキングヘイローは受け継いでいる。
たとえクラシック路線から突然短距離に切り替えても、練習したこともない逃げをしても故障の一つもしない類稀なフィジカル。これまでは武器として使うことを拒んできた天性のギフテッドを全面に出し、位置取りに関するテクニックを全て捨てて勝負を仕掛けていたのだ。
「『第四コーナーを抜けたキングヘイローの行手を遮るのは先頭1馬身差サクラバクシンオーただ一人!キングヘイロー足色は衰えない!』」
『誰にも邪魔されない大外だけを走り1200mオーバーをトップスピードで走り抜ける』。そんな無茶な走りができるのは向いていない菊花賞でさえ入賞させるキングヘイローの根底を支える母親の血、そして幾多の敗北を糧にしてきたキングヘイローの精神力。
これまで噛み合わなかった母親の因子がキングヘイローの成長に合わせて適合し、魅せる絶対の走りは余りに圧倒的だった。
「『残り400m先頭の差は1馬身、いや半馬身!怒涛の走りを見せるキングヘイロー、王は一人でいいとでも言うのだろうか!』」
先頭を走るサクラバクシンオーに迫るキングヘイローの覇気を感じる誰もが思った。
「『残り100m、キングヘイローがサクラバクシンオーに並び、更に頭が出る!止まらない、キングヘイロー止まらない!』」
何故キングヘイローはこれまで負けてきたのか。最初からこの走りが出来ていれば三冠、伝説の七冠さえ手にしていただろう。
「『1馬身、2馬身……これが王者の走りなのか!キングヘイローが一着でゴール!二着のサクラバクシンオーに3馬身差!余りにも圧倒的、余りにも絶対的なレース展開で観客を黙らせ会場を我が物としたキングヘイロー!悠々とウイニングランを済ませる姿からは貫禄すら感じます!』」
黄金世代最初のトロフィーである短距離部門制覇。
そして初めて誰の後ろにも付かず自らの王道を走り切り、冠を手に入れたキングヘイローの勝負服には泥一つ付いておらず、自分こそが絶対のキングである事を証明した。
「アイタッ!?」
「よし、戻った」
控室に戻っても完全にゾーンに入り切っていて、覇気が抜け切れていないキングヘイローの額にトレーナーがデコピンで刺激を与え、キングヘイローも普段の様子に戻ると朧げな記憶から自分が勝利した事は覚えている。
普段ならプライドが許さない作戦とも言えない作戦を選んだのは信じているトレーナーが一流である事、そしてハルウララに意味の無い負けはないと伝える為に絶対に負けられなかったから。
その為なら母親から受け継いだモノに目を向け、それに気付いていたからこそ全てを出し切る為のトレーニングを続け、遂に花開いたキングヘイローは勝利したけれどその心は穏やかだった。
「私……まだまだね」
「えぇ!?キングちゃん凄かったよ!?」
「あの走りで勝てるのは短距離だけよ。春秋の天皇賞、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念。どれも無心で走って勝てるレースじゃないわ」
「そうだね。あくまでもアレは今回だけの作戦、でもキングなら勝てるよ」
「あら、貴女が褒めるなんて珍しい」
「それだけ凄かったんだよ。流石私の王様だよ」
一切の非の打ち所がない走りを見せたキングヘイローにトレーナーも手放しで褒めていると、控室のドアをノックと言うには大きな音が響いた。
『キングヘイローさん居ますか!サクラバクシンオーです!』
「入っていいわよ」
まるで押し入りのようなノックに呆れながら入室の許可を出すと、勢いよく扉を開けて入って来たのは勝負服を着たままのサクラバクシンオーで座っているキングヘイローの目の前まで詰め寄るとキングも少し身を引いた。
「な、何よ?」
「凄かったです!圧倒的なバクシンでその背中を見ていたのに負けた気がしませんでした!」
「あらそう?それじゃあ貴方も少しは負けた甲斐があったんじゃないかしら?」
「はい!これで24戦13勝、久し振りに負けましたが次こそは勝ちますよ!」
負けた筈のサクラバクシンオーもそれを引き摺った様子はなく、素直に負けたことを認める姿にキングヘイローも好感を覚えていた。
だが、24戦13勝という所には違和感を覚えた。ハルウララに「負けに意味がない」と言っていた時は12戦11勝、今回のトーナメントを含めれば15戦の筈なのに随分と対戦数と敗北数が増えているのだ。
「……24戦?15戦じゃないの?」
「いいえ?12戦というのは短距離だけで、私も他の距離は結構走ってますよ?どれも負けましたけどね!」
「じ、じゃあ何でウララさんに負けたら意味がないなんて言ったのよ?」
サクラバクシンオーが自分と同じように色々な距離のレースに出ていたと知り、短距離以外では負けしかないサクラバクシンオーが何故あんな暴言を吐いたんだと聞き返した。
「ひょへ?私そんな事言いました?私が負けて思い詰めていた頃トレーナーに怒られてから考えを改めた話ならしましたけど?」
「……あれ、貴方の話だったの?」
「はい!私も昔は少しナーバスになりがちでしたが!今やこうして元気に走っているので、ウララさんもいつか勝つ日が来ると信じてその話をしていたんです!」
サクラバクシンオーの話を聞いていく中でキングヘイローの顔色が変わっていくのを横で見ているトレーナーは「早とちりして何かやらかしたな」と気付き、キングヘイローはすぐに立ち上がると深く頭を下げた。
「ごめんなさい!よく話も聞かないで叩いたりして!」
「過ぎた事なんて気にしませんよ!何せ私は学級委員ですからね、ハッハッハ!それより早くウイニングライブに向かいますよ!」
「急に手をッ!?引っ張らな、走らないでェェ……!?」
キングヘイローに頬を叩かれた事を微塵も気にしていないサクラバクシンオーは早くウイニングライブを始めようとキングの手を掴み、全力疾走で部屋から連れ出すと、慌ただしい二人に置いて行かれたトレーナーとハルウララがお互いに見合った。
「いつもの騒がしいキングヘイローが帰ってきた」。ずっと側にいると決めた王様のライブを見ようと二人もライブ会場に向かい、トレーナーがハルウララにもキングからの招待券を渡して関係者用の二階の特別観客席に案内した。其処からは会場全体を一望でき、一階では沢山のファンがペンライトを持ってライブの始まりを楽しみに待っていた。
「わぁ!?ウララ、此処から観る初めてだよ!」
「あっ!?ウララさん!」
「皆も招待されてたの!?」
ハルウララがキングヘイローに招待されていた取り巻きの子達に気付き、其方に駆け寄って話が盛り上がる中、トレーナーは辺りを見回すと観客席の端に座る女性を見つけた。
誰の招待客なのだろうと他の観客は首を傾げていていたが、トレーナーが隣に座るとそれが誰なのかを察して唖然としていた。
「こうして会うのは久し振りね、ガヴリエラ」
「お久し振りです、奥様」
帽子にサングラスまで掛けて変装をしているキングヘイローの母親は娘のライブを見る為に待っていて、トレーナーも『最初の雇い主』である母親に丁寧に挨拶を返した。
「あの子、優勝したわね」
「はい。優勝できるようにトレーニングしましたから」
「英国のトレーナー育成機関で首席だった貴方に高い契約金を払って雇った私は何と指示したかしら?」
「『走るのを諦めさせろ』と」
キングヘイローのトレーナー、ガヴリエラ•ハーウッド。
英国でも有名な優秀なトレーナー一家『ハーウッド家』の生まれで母親の夫と同じ一族。つまり、ガヴリエラはキングヘイローに才能が無いから諦めさせる為にトレセン学園に送った姪っ子、そしてキングヘイローとは血の繋がりがある年上の従姉妹だった。
トレーナーの所為に出来ないようにキングヘイローの監視役として雇った筈のガヴリエラは母親の指示を無視し、キングヘイローを短距離G1で勝たせてURAファイナルズさえも優勝させてみせた。
トレーナーとしては間違いなく一流だが、契約を破った事を追及されたガヴリエラは横目で母親の様子を見るだけで悪びれる様子もなく口を開いた。
「私は契約通り諦めさせるつもりでしたよ。普通のウマ娘なら逃げ出すトレーニングで、優秀のウマ娘でもやる気を無くすくらいに完璧を追及した」
「……」
「でもキングはそれに付いて来た。それどころか、私の方がキングのトレーニングに付いていけず、大事なダービーの日に高熱で倒れてしまった。あの時は本当にキングには申し訳ないことをしたと思ってます」
人生でたった一度しか出られない日本ダービーの日、好調過ぎるキングに対してガヴリエラは体調崩していて高熱でマトモな判断が出来る状態ではなかった。
『場合によっては逃げてもいいのかしら』、上機嫌なキングの言葉をただの冗談としか思わなかったガヴリエラはそれを許可したが、キングを見送ってから意識を失ったガヴリエラが病院で目覚めた時には失意に暮れるキングが側にいた。
本当に逃げると思っていなかったガヴリエラは自分が無責任な事を言ってしまったと心からキングに謝ったが、キングも自分の身勝手な行動の結果を自分の所為だと嗚咽を漏らしながら責めるガヴリエラを見て拳を握り締めていた。
自分のトレーナーの様子も分からず、舞い上がって台無しにしたにも関わらずガヴリエラは一切キングを責めなかった。ガヴリエラはキングはそこまで幼稚ではないと信じていたのに、その期待を裏切った自分を許せなかったのだ。
「私の契約を切る事だって出来たのに、キングは私の名誉を守る為に走り続けてくれた。何度負けても私の事を信じてトレーニングを受けてくれて、自分の思っていた道を変えてでも諦めずにG1を獲りに行ってくれた。だから、私にはキングが諦めてレースを止めるなんて事をしないのは分かってました」
「それでも、諦めさせて欲しかったわ。勝つか負けるか分からない世界であの子の成長だけに期待なんてしたくなかったの」
「……そうですね。でもキングは必ず勝つと分かってましたから」
「どうしてなの?」
「キングは人の為に走れる優しさがあった。期待に応えようとする力は時として才能を超える」
ライブの始まりを告げるファンファーレが会場に鳴り響き、ステージの中央に空いた穴の下から三人のウマ娘が上がってきた。
我を貫くカレンチャン、自分の勝利を確信し続けるサクラバクシンオーという強豪で両脇を固めながらも、センターで二人と手を繋ぐキングヘイローの姿はまさに『心優しい王様』と体現していた。
「人の中心に立つ王が最強である必要はない。それ支える忠臣である私が最強のトレーナーであればキングは必ず勝てる。だから私は私に出来る最高のサポートをしたつもりです」
「……貴方に頼んだのが間違いだったわ」
「契約違反に関しては契約金をお返ししますよ」
「別にいいわ。ボーナスだと思って受け取っておきなさい」
『位置についてー!』
優秀で勝てるウマ娘が分かるガヴリエラなら私情を挟まずに判断できると信じていた。だが、その予想を覆す程の輝きを持っている娘はキングの名に込めた夢を既に叶えていたのだと理解した。
『よーい!』
たとえ王様がどれだけ偉大でも、玉座を支えるのはその周りの人々。
『どん!』
自分の娘は王様にとって最も大切な人を惹きつける才能を誰よりも持っている。傲慢になり切れず優しさを忘れられないキングヘイローは生まれながら周囲の人々に愛される王様だったのだ。
あの子がまさか彼処まで走れるようになるなんて、私の目が澱んでいたのがよく分かる。私がもっと早くに信じてあげていれば、あの子が手にした冠はもっと多かったかもしれない。
『15時20分発、ハワイ行きにご搭乗の…』
次の仕事先であるハワイ行きの便の搭乗案内が流れ、私も荷物を持って立ち上がった。
私は自分の栄光に目が眩み、娘の走りを真っ直ぐ見てあげられていなかった。あの子は褒めて欲しかった筈なのに、褒めてしまうと取り返しが付かなくなる気がして、あの子が夢を諦めるところを見たくなかった。
でも、あの子は自分の夢を叶えた。それはとても誇らしい事だけど、信じていなかった私にそれを褒める資格はないと律する事にした。
『其処の綺麗なおば様!』
搭乗ゲートを超えて通路を歩いて行こうとしたその時、私の後ろからさっきまでライブ会場に居た筈の声が聞こえ、周囲が騒つきからその声の主が誰なのか容易の想像が付いた。
「私、勝ったわよ!」
「……ええ、そうね」
「私の友達がトレーナーと話してる『綺麗なおば様』が居たって聞いたから慌てて来たのよ!何で来たなら来たって言わないのよ!貴女はいっつも私に本当の事を何も言ってくれないじゃない!」
娘の言い分はもっともだ。此処一番での勝負強さを生まれ持ち、勝ち続けた私は必要最低限の事しか言わないしやらない。そんな性格だからウマ娘の勝負服のデザイナーというデザインと機能性の取捨選択を要求される仕事もこなせている。
それが子供との対話さえ切り捨てていたんだ。今更母親面なんて出来る筈がない。
「私、お母様の事大っ嫌いだった!全然褒めてくれないし、走るなって言うし、トレーナーだって雇ってくれないし!」
「……」
「でも、それでもお母様の事は大好きなの!」
何と罵られても受け止めよう、それが私の犯した罪への罰だと思っていたが娘はすぐに罵るのをやめると予想外の言葉を叫んだ。
「ちゃんとご飯とかは用意してくれたし、学校の行事にも来てくれてた!靴とかも欲しいって言えば買ってくれて、学費だって何も言わずに出してくれてる!私ようやく分かったの、お母様は私が嫌いなんかじゃないって!私と同じで頑固で我儘で、思い通りにならないとムキになる!嫌ってほど私とそっくりの人なんでしょ!」
罵るよりも多くの言葉で私への感謝の言葉を叫ぶ娘はようやく余計なところだけ私と似ていると分かったのか、周りの人達だって聞いているのにも関わらず叫び続けていた。
「だからっ…だから見てなさい!私はこれからも『貴女の娘』キングヘイローとして走り続ける!だから貴女には『私の母親』である事を誇る権利をあげる!貴女の吠え面を見られなくて残念ね、オーホッホッホ!」
何処まで行っても馬鹿な娘ね。そんな上擦った高笑いじゃ見なくても泣いてるのが分かるわよ。
強く成長したのに肝心な所で泣くなんて、ホント誰に似たのかしら。それでも、あの人によく似たガヴリエラにキングを任せて正解だったわね。
「その勝負服、よく似合ってるわ」
「当然よ!一流のデザイナーに作らせたんだから!」
「お褒めに預かり光栄よ。これからも勝てるといいわね、キング」
「……ええ!」
優しい貴女によく似合う緑色の勝負服。
ただでさえトレーナーとして志願する変わり者も居なかったのに、デザイナーである私の娘の勝負服を断りも入れずに作る勇気のある人なんて居なかった。それ以上にわざわざ私にお伺いを立てるような自信の無いデザイナーに娘の勝負服のデザインなんて務まらない。
走りは一流になっても、自分の母親のデザインの特徴を理解していないなんて、まだまだ本物の一流には程遠い。
次回
モルモット君が魔法を掛けてくれたお陰でタイムリミットを超えても走れるようになったけれど、中々実験のチャンスが巡って来なかったんだ。そうしたら噂が聞こえてきたね、サイレンススズカがアメリカから帰ってきてマイルに出場するって。
『異次元の逃亡者』、比喩表現だとしてもそう言われるだけの走りを隣で観察する機会なんて滅多に無い。なぁに、私だって『超光速のプリンセス』って呼ばれているんだ。異次元だろうが観測してみせるさ。
スカーレット君?あー、そういえば彼女もマイルだったね。失念していたよ。まぁ、親しくしている先輩として背中を見せるとするさ。