私達のURAファイナルズ   作:竹流ハチ

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URAファイナルズマイル部門。

チームスピカからウオッカとスカーレット、そしてアメリカから帰って来たスズカが出場する事となっていた。しかしアメリカから帰ってきたスズカの走りは以前とは異なり沖野も困惑していたが、スカーレットも尊敬する先輩であるタキオンの出場に動揺を隠せずにいた。

スズカの変化も、タキオンの出場も、全ては夢を叶える為。

『最速』を決めるべく、二人の覚悟が火花を散らす。


タキスズ「壊れたタイマー」

「『第四コーナーを抜けて逃げるサイレンススズカ!だが既にアグネスタキオンが並んできている!1馬身差のウォッカも追い縋るが前を走る二人は次元が違う!』」

 

何なんだよ、オレだって何度もG1で勝った。スカーレットにだって勝ってきた。だってのに何でこの二人には追いつけないんだ。

 

「『直線に入り二人が並んだ!アグネスタキオンがサイレンススズカを捉え、少しずつ上がってくる!準決勝同様アグネスタキオンが高速勝負を制してしまうのか!』」

 

さぁ、異次元というのはこの程度の速度の事なのかい?私はまだ走れる、そろそろ本気を出さないと私を捉えておけないよ?

 

「『残り500m!逃げ切れるのかアグネスタキオン!差し返せるかサイレンススズカ!』」

 

 

 

 

 

「スズカさーん!」

「わっ!?」

 

チームメイトを出迎える為に装飾がされているスピカの部室でスペシャルウィークの歓喜する声と同時にアメリカから帰ってきた親友を抱き倒す音が響き、空港まで迎えに行き教え子の長旅の荷物を持っている沖野は呆れたように額に手を当てた。

 

「おいおい、スペやり過ぎだぞ」

「だって、だってスズカさんが帰ってきたんですよ!?」

「そう言って何日前から準備してたんだ」

「1週間前です!」

「元気に言うところじゃないぞ……練習しろ」

「でも待っててくれて嬉しいです。みんなも、ありがとう」

 

スペシャルウィークのルームメイト、そして日本でも随一の逃げウマ娘『サイレンススズカ』は今にも泣きそうなスペシャルウィークの頭を撫でていて、チームメイトにも感謝を伝えると全員が「へへっ」と照れ臭そうに鼻を擦っている。

 

秋の天皇賞で足が故障し、日本で復帰戦を遂げた後にアメリカに渡ったサイレンススズカが帰ってきた理由は一つ。

 

「テイオーさん、URAファイナルズ惜しかったですね」

「うん。でも悔いは無いよ、僕の全力は出し切ったから」

「必ず私がマイルのトロフィーは取ります」

 

URAファイナルズマイル部門。中距離とマイルでの出場権があったサイレンススズカはマイルでの出走を決め、アメリカでのレース後すぐに日本へ渡ってきたが2週間後に控えた準々決勝に向けて意志はできていた。

 

だがその発言は聞き捨てならないと後輩の二人も声を張り上げた。

 

「マイルのトロフィーはオレのだぜスズカ先輩」

「アンタは黙ってなさい!トロフィーはアタシのよ!」

 

剛脚で後半での大差しを得意とするウォッカ、先行で前を走りながらも長い末脚で後続を突き放すダイワスカーレット。同じ世代に生まれ競い合ってきた後輩二人も今回は同じトーナメントで競うライバルだった。

 

血気盛んな二人に対して余裕の表情を浮かべているスズカも2人を侮っている訳ではない。右も左も分からない異国の地で戦い続けて、久し振りに顔見知りとのレースで表情とは裏腹に闘志は燃え上がっていた。

 

「大丈夫、必ず私が勝つから」

「「ムキーッ!」」

「はいそこまで、折角スズカさんが帰って来たのですから先ずは目の前のご馳走を片付けましょう」

「そうだそうだ!マックイーンが涎垂らしちまう前に腕はそっちに曲がらねェェッ!?」

 

レースを前にヒートアップしている二人にメジロマックイーンとゴールドシップも仲裁に入り、ゴールドシップの腕が常人ではあり得ない方向に曲がる余興を見せると二人も一旦は落ち着いて全員で用意したケーキやステーキに目を向けた。

 

「……取り敢えず、ご飯にするか」

「そうね。取り敢えずは保留にしましょ」

 

ライバルとはいえチームメイト、まずはその帰省を祝おうと二人も倒れている二人に手を差し伸べ、立ち上がらせてから皿を全員に回していき其々思い思いの量を取り分けていく。

 

スペシャルウィークもスズカに配慮してご飯の山もいつもの五合目程の高さに抑え、全員がにんじんジュースの入ったグラスを手に取ると沖野が音頭を始めた。

 

「それじゃあスズカの帰省を祝って」

「「「かんぱーい!」」」

 

沖野の音頭に合わせて全員がグラスを鳴らし、それぞれ談笑をしながら食事を始めると話題はやはりスズカのアメリカ遠征の話で持ちきりだった。

スピカの中では唯一アメリカのレースを経験していて、日本よりも体格の大きなウマ娘も多い中でも速度負けしないスズカの評判は全員が聞いている。

 

『異次元の逃亡者』、一度故障した日本ウマ娘と侮っていたアメリカウマ娘達を驚愕させたスズカは日本のレベルの高さを改めて世界に知らしめていた。

タイキシャトルの両親と会った話や空港でひったくりを捕まえた話、アメリカを渡り歩く中で体験した沢山の土産話で盛り上がる中、スピカの部室のドアを叩く音が鳴った。

 

代表者である沖野が率先して立ち上がり扉を開けると、其処に立っていたのは今日発刊したばかりの雑誌を手にしたチームリギルのトレーナー『東条ハナ』だった。

 

「随分と騒がしいわね」

「いやぁ、今日は我がチームのサイレンススズカの帰省祝いだから盛大にね。おハナさんもどう?」

「そんな嫌味なお誘いはお断りよ。部外者が混じっても盛り上がりにも欠けるでしょうし。それとコレ、もう届いてたわよ」

 

元はリギル所属でサイレンススズカのトレーナーだった東条に沖野も揶揄うような言い草で誘ったが、折角の帰郷祝いを邪魔するまいと東条は断りながら手に持っていた雑誌を手渡した。URAファイナルズ短距離部門を圧倒的な実力で制し、ゴール後でも凄まじい覇気を出しているキングヘイローの写真がその表紙を飾っている。

 

「凄かったよな」

「ええ。今の彼女に敵うスプリンターは居ないかもしれないわ」

「それキングちゃんの特集載ってるんですか!?」

「そうだぞ、ほれ」

 

同じ黄金世代で最初に冠を手に入れた親友の特集を見ようとスペシャルウィークが沖野から雑誌を受け取り、椅子に戻ってから読み始めると他のメンバーも横から食い入るように見始めた。

 

その様子を見ているトレーナー二人も突然開催されたトーナメントで苦労した部分も多かったが、クラシックを終えたウマ娘達にも多くの機会を与えられ、こうして盛り上がっているのならと安堵した。

 

「いやぁ、友達が雑誌に載ってるのっていいなー!」

「ほぇー、カッケー。あの面白い先輩こんな顔も出来るんすね」

「ちょっと、失礼でしょ」

 

スペシャルウィークがページを捲っていくとURAファイナルズの特集は次のマイル部門を取り上げていて、その中央に大きく写真が載っているのはアメリカから帰って来たサイレンススズカだった。

 

「おっ、スズカも載ってるよ!」

「やはり注目されていますわね」

「えーと、ダスカとウォッカは端の方だな」

「「うるさい!」」

 

アメリカでの華々しい戦績の端の方にはダイワスカーレットとウォッカの事も書かれてはいるが、話題の中央にいるのはサイレンススズカである事に二人は不満もあるがスズカの戦績が戦績なだけに言い返せなかった。

 

『グリフォンワールドカップターフ』というアメリカで新設されたばかりのG1レースに名を刻んでG2以下の重賞でも勝利を重ねている。日本では見劣りしない成績を残している二人でも慣れない土地と走り難い芝で同じ成績を残せる等と軽々しく口には出来なかった。

 

まだ背中には追い付けない悔しさと誇らしさを胸に潜めているスカーレットは他の走者の記事にも目を通していった。そして、其処に載っている筈がない走者が名前だけポツンと載っているのを見つけるとスペシャルウィークから雑誌を取り上げた。

 

「嘘でしょ…!?」

「ちょ、まだ見てないよ!」

「ちょっと出るから!」

「お、おう」

 

其処に載っている名前を読み間違えた訳ではないと雑誌を放り出したスカーレットはトレーナー二人の間を割って部室から駆け出して行き、メンバー達は何事かと其処に載ってるウマ娘を確認していた。

 

スカーレットが向かう先はそのウマ娘が根城にしている実験室。いつも其処で試験官を爆発させるか、ウマ娘を捕まえては実験をしているウマ娘を尋ねてスカーレットが勢いよく実験室の扉を開けた。

其処で待っていたのはホワイトボードにマイル部門準々決勝の舞台である阪神競技場芝1600m右回りの情報を纏めた用紙を貼り付け、エアシャカールとマンハッタンカフェと共に作戦を協議している『アグネスタキオン』だった。

 

4戦無敗でクラシック三冠に含まれる『皐月賞』を取り、その後の『日本ダービー』と『菊花賞』を制覇したウマ娘達を4戦の内で降していた事から『幻の三冠馬』の称号を持つウマ娘。

飽くなき探究心と好奇心で周囲を巻き込むアグネスタキオンの勤勉さ、そして試作の栄養剤を融通してくれる良い先輩としてスカーレットも懇意にはしていたが今日だけは鼻息を荒くして詰め寄った。

 

「どうしたんだいスカーレット君?」

「何でマイルに出るんですか!?」

「それは簡単な話さ、出たかったからだよ」

「でもマイルでの実績が無いのにどうやって…!」

「それも簡単な事さ。モルモット君を引き連れて委員会に抗議に行ったんだよ。『私は皐月賞の後はマイル路線で行くつもりだったのに、URAファイナルズは一度壊れた私の夢を叶えてはくれないのか』ってね。新設されるトーナメントにケチを付けたくない皆さんは快く承諾してくれたよ」

 

タキオンは皐月賞後の日本ダービーでも当然期待されていたが練習中に足の炎症が発覚し、それ以来今日までレースには出場しなかった。皐月賞後の出場は未確定だったためにその言い分には多少の正論も混じってはいる。

 

だが自分が考えた詭弁が通じるとは思っていなかったシャカールは本当に実行したタキオンのネジの外れ具合には溜息を漏らしているが、スカーレットの疑問は解決していなかった。

 

「何で其処までしてマイルに出るんですか!?」

「んー、サイレンススズカが出るという噂を聞いてね。次いつ帰って来るかも分からない彼女の走り、是非とも隣で見てようと思ってね」

 

スカーレットに詰め寄られてもいつもと変わらない飄々とした態度で躱していて、理由もサイレンススズカが出るからとスカーレットの詰め寄る勢いも少し弱まった。

 

同じ故障したウマ娘、そして早期に復活を遂げたサイレンススズカとは違いコレまでずっと自分の身体の研究を続けてきたタキオンが遂にレースに出る。タキオンの勤勉さとストイックさを尊敬しているスカーレットはレースに出る事自体は喜んでいるが、それが自分と同じことマイルである事に納得がいかなかった。

 

「スズカ先輩が居るから、ですか」

「ああそうだ、シャカール君もデータを取る為に協力してくれている」

「うっせェ、大体スカーレットは敵だろうが。ホワイトボード隠すくらいしろよ」

 

面倒くさそうに机で頬杖をついているシャカールの言う通り、同じ距離で出るからには頂点を争うライバル。タキオンの復帰戦がURAファイナルズなら応援しようと思っていたスカーレットにとって、タキオンは応援する訳にはいかない相手になってしまったのだ。

 

「大丈夫さ、スカーレット君はそんな卑怯な真似をしに来たわけじゃない。中距離適性しかなかった私がマイルに出るのは無謀だと忠告しに来てくれたんだ」

「タキオンさん……私は」

「安心したまえスカーレット君。私はサイレンススズカにも、当然君にも負けるつもりはこれっぽちも無い。私が積み上げてきた研究の成果を全て出し切るつもりだから、安心して私の背中を追うといいよ」

 

タキオンにしては珍しく相手を煽る挑戦的な言葉だとカフェも感じていたが、スカーレットがその言葉を聞いて様子を変えるとカフェも眉を上げた。

 

応援したかった先輩と競う事になり、出来る事なら避ける道を選ぼうとしていたスカーレットもタキオンの覚悟を聞いてそれが失礼に値する余計なお世話だと気付いた。

三冠も夢ではないと世間に思わせた『超光速のプリンセス』、サイレンススズカ以上に見知った仲でありながらその走りをまだ見たことがないスカーレットは目標を定め直した。

 

「そういう事なら、アタシも全力で勝ちに行きます!マイルに出たことを後悔させますから!」

「ああ、それで良いんだスカーレット君。そうでなきゃ私が走る理由が無くなってしまうからね」

「話が付いたなら早く追い出せよ」

「おやぁ、私が後輩と仲良くしてるのそんなに羨ましいのかい?」

「やっぱ協力すんの辞めたわ」

「あぁ、冗談だよ冗談!すまないねスカーレット君、今シャカール君に気が変わられると困るんだ」

「いえ、お騒がせしました!お二人の長距離も応援してます!」

「ん」

「ありがとう…」

 

タキオンの意思が固いのなら自分の我儘よりも同じ舞台での勝負を選んだスカーレットは他の二人も応援してから部屋から出て行き、残されたシャカールとカフェは手を振って見送っているタキオンに視線を向けた。

 

「どうしたんだい二人して?」

「何でもねェよ」

「本当にサイレンススズカに勝つつもりなんですか…?」

「当然さ、レースに出るからには勝つ以外の目的なんてあるわけないだろう?だから出走レースが違う君達に我儘を聞いてくれる『とっておき』を渡すんだ。また何かネタを探さないといけないね」

 

タキオンは二人を協力させる為に今まで使わなかった最強の交渉カードを使い、何故そこまでのするのかは知らなかったが交渉に乗らない手はない二人は協力する事を決めていた。

 

だが最大の敵となるのは奇跡の復活を遂げて今尚成果を上げ続けているサイレンススズカ、対して今日まで足を溜め続けてきて底の知れないタキオン。

果たしてどこまで通用するのかと二人は疑心暗鬼のままだったが、唯一タキオンだけはホワイトボードを前に不敵に笑っている。

 

「今のサイレンススズカなんて目じゃないさ」

 

スカーレットが見向きもしなかったホワイトボードに書き出されているのはタキオンの作戦ではない。

シャカールが様々な情報源からデータを掻き集め、戦術眼に長けるカフェが様々なパターンを想定し、それ等を統合してタキオンが試走を繰り返し導き出した『今のサイレンススズカが選ぶであろう作戦』。

 

想定だけでも規格外の速さを示しているが、タキオンが勝利を確信しているのは『試走が可能だった』という点にあった。

 

 

そうしてサイレンススズカが帰って来てから1週間が経ち、旅の疲れを完全に抜いてから初の公開練習には多くのマスコミが練習場に集まっていた。

 

ブロワイエに勝ったスペシャルウィーク、有馬記念を制したトウカイテイオー、リギルに次いで好成績を叩き出しているチームスピカからマイルに三人も出場すると聞き、他のチームの選手もスピカには特に目を光らせている。

 

出場しないシンボリルドルフやナリタブライアンといった顔ぶれも揃っていて、スカーレットとウオッカは余りの視線の数に緊張しているが話題の中心であるサイレンススズカはそれを気にする様子も無くストレッチをこなしていた。

 

「す、スズカ先輩緊張しないんですか?」

「え?うん?この位の人は向こうでも居たから」

「流石アメリカ帰り、肝が据わってるぜ…」

「ほら、お前らも喋ってないでストレッチしろ。今更気にしても仕方ないだろ。準備が終わったらランニング3周」

 

マスコミの対応はマックイーンとテイオーに任せ、沖野はマイルに出場する三人を中心に練習を組み、長距離に出場するスペシャルウィークとゴールドシップも混ぜてからランニングを始めさせた。

 

「スイーツスイーツ」の掛け声と共に仲睦まじく走っている姿はマスコミのウケも良く、必要以上にいがみ合わないスピカの絆にも注目される中、スズカも久し振りの掛け声に笑みを溢していた。

 

「スズカさん楽しそうですね」

「うん。向こうじゃずっと一人だったから」

「アメリカかー、オレも行ってみたいなー」

「アンタじゃ無理よ。アタシが行くんだから」

「別にアメリカだけが海外じゃないと思う。イギリスもあるし、ドバイだって大きなレースは沢山ある」

「「ドバイかぁ…」」

 

同じチームの先輩がアメリカで活躍しているのを聞くとスカーレットとウオッカも遠い海の向こうを夢見ていて、「喋ってないで足動かせー!」と沖野が声を張り上げると二人も口を塞いだものの心は此処には無かった。

 

中央で大きな成果を残したウマ娘だけが手にする海外への切符。重賞を幾度となく制してきたスカーレットとウオッカにもその権利はあるが二人での決着が付くまではその話には乗らないようにしていた。

だからこそURAファイナルズで決着を付け、最初の栄冠を手にした女王として海外へ挑戦しようと思っていたのだが、その壁になったのは既に海外で活躍しているサイレンススズカ。

 

サイレンススズカを越えなければ海外に行っても高が知れていると二人も自分の全てをぶつける為にランニングにも力を入れた。

 

五人がランニングを終えるとスペシャルウィークとゴールドシップはそれぞれの課題に取り組み、スカーレット達は沖野の周りに集まった。

 

「それじゃあまずはスズカの今の走りを実際に見せてくれ。向こうとは芝も違う、無理だと思ったら速度は落として構わないからな」

「大丈夫です。もう慣れました」

「早いな。それじゃあ、よーい…スタート!」

 

また故障させようものなら取り返しがつかないから無理をしないように注意したが、アメリカ各地を飛び回って様々な芝を踏んできたスズカはすぐに日本での勘を取り戻し、体勢を整えると沖野の合図と同時に走り出した。

 

すると1本目から日本に居た頃と同じ全力で走り出し、練習とは思えない速さに沖野はおろかマスコミや他のウマ娘達ももどよめいていた。

 

「これ練習じゃないのか!?」

「ちゃんとタイム測ってるか!?」

「サイレンススズカの特集で決まりでいいって編集長に言っとけ!アレは絶対に勝つぞ!」

「ワォ!やっぱりワタシもマイルに出たいデス!オハナサン!」

「ダートに出たいと言ったのは貴方よ。もう変更は無理よ」

 

瞬く間にコーナーを超えて向正面を駆けていくスズカの姿からは足の故障の影響はまるで感じず、長い栗色の髪を靡かせながらターフを駆ける姿は一陣の風のようだった。

 

完璧な機能美を備えたスズカの走りは見る者を魅了し、コースを一周して沖野の前を駆け抜けると沖野も慌ててタイマーを押しそのタイムを見て愕然とした。

 

「2000m1分59って……ほぼ自己ベストだぞ…!」

「うっそだろ……」

「さ、流石スズカ先輩……」

 

一走目から実力を発揮したスズカにスカーレット達も負けじと走り出し、息を整えたスズカが沖野の元に戻ってきてタイムを確認すると少し肩を落としていた。

 

「まだいけそうですね」

「そんなに飛ばして大丈夫か?今のままでも十分トロフィーは狙える、少しずつ調整していけば」

「大丈夫です。マイルなら徐々に上げるよりも最初で突き放して先行に流れを掴ませず、同じ逃げの相手をした方が勝てます」

 

スズカが焦っている様に感じた沖野は練習のペースを落とし、作戦を練りながら話を進めようとしたがスズカが自分で考えた戦術なら勝てると断言すると沖野は口を閉ざした。

 

数秒してから沖野が黙っているのが助言を邪魔してしまったからだと思ったスズカは途端にアタフタしながら「と、トレーナーさんはどう思いますか」と付け加えると、沖野は大きく成長した教え子も根は変わらないと頭を撫でた。

 

「大丈夫だ。俺も同じ意見だったが、スズカにはもう先が見えてるんだな」

「そ、そんな事は……ただ向こうでは自分でも考えるようにと教えられたから」

「そうだな。いつまでも俺の下に居るってのも嫌だろうし、なにより専属トレーナーが見つかるまではその方がスズカの為にもなるだろしな」

 

沖野のようにウマ娘を集めてチームとして教えるトレーナーに対し、キングヘイローのトレーナーであるガヴリエラのような専属のトレーナーは人生の殆どを担当のウマ娘に費やし、ウマ娘は家族と同等にトレーナーを信用する。

 

チームのトレーナー以上に絆を結ぶ相棒を選ぶのは決して容易なことではない。お互いに信頼を積み、苦楽を共に過ごしてからようやく契約を結ぶかの段階に入る。

 

それまでは自立を目指すのも悪くないと思ってのアドバイスだったのだが、沖野の返答に頬を膨らませムスッした表情をしたスズカは沖野の脇腹を肘で突き、不意打ちを喰らい変な声を上げた沖野は目を瞬かせながらスペシャルウィーク達の元に向かうスズカの背を目で追った。

 

「なんだよ……」

「どうしたのー?」

「いや、スズカも大きくなったって話をしてたんだけど、機嫌を損ねちまったみたいだな」

「えぇ?スズカ大きくなった?」

「……そうは見えませんわ」

 

マスコミの対応を気を利かせたエアグルーヴが代わり、戻ってきたテイオーとマックイーンにも相談したが、二人は自分の胸に手を当ててジッとスズカのある一点に目を向けている。

 

年頃らしい反応だが男である自分が指摘するとエアグルーヴからの叱責は逃れられないと敢えて口には出さず、オセロをしているスペシャルウィークにアドバイスするスズカの成長振りを沖野は取り敢えず喜んだ。

 

『いやぁ、アレが話題のサイレンススズカか。最速の機能美と名高いあの曲線美、是非実寸させて貰えないだろうか沖野トレーナー?』

 

だがいつの間にか背後にいたウマ娘の声に驚いて振り返ると、其処に居たのは最近は何かと沖野の周りを彷徨いているアグネスタキオンだった。

 

ジャージを着ていることから練習に来ているのは察する事は出来たが、タキオンは沖野が持っているボードをあからさまに覗こうと背伸びをしていて沖野もボードを背に隠して警戒した。

 

「言っておくが見せないからな」

「それは残念。とはいえ、今日の目的はサイレンススズカじゃないんだ。マックイーン君、養護は順調かい?」

「ええ。お陰様で」

 

わざとらしく肩を落としたタキオンは今度は沖野ではなくその後ろにいるマックイーンに声を掛け、マックイーンも普段通り接している姿に沖野も目を丸くした。

 

「お前達接点あったのか?」

「最近ですが、炎症に効くお薬を紹介して貰っていますの」

「……念のために聞くが」

「勿論、違法な物じゃないよ。歴とした医薬品を紹介しただけ、処方箋だって彼女が貰っているよ。薬品の成分から飲む薬品は選んだ方がいいと教えただけだよ」

「確かに持ってますわ」

 

タキオンが自分のトレーナーを七色に光らせていたのを過去に見ている沖野は恐る恐る聞いたが、タキオンもそれにはキッパリと否定してマックイーンもそれに頷くとひとまずは胸を撫で下ろした。

 

タキオンはデビュー前から研究癖がありその足の速さから期待が高く、足を故障してからはより一層研究に没頭するようになり生徒会ですら手に余っている問題児。悪い噂を信じている訳ではない沖野でも、突然のマイルでの選抜とスピカへの接点を増やしている動向に警戒を怠る事は出来なかった。

 

そう思っていた矢先に「そういえば向こうにハチミツの屋台が来ていたよ」とマックイーン達に教え、二人が目を輝かせて様子を伺うように沖野を見上げると根負けした沖野は首を縦に振って二人に休憩を与え、二人が駆け出していくとタキオンは手で口元を隠しながら笑った。

 

「フフフッ、扱いやすい人達だね」

「それで、スズカが目的じゃないなら何の用なんだ?」

「そうだそうだ、忘れるところだったよ」

 

相変わらずわざとらしく忘れていたフリをするタキオンを余所に沖野はコースに向き直り、スカーレット達がコースを一周してから沖野の前をほぼ同時に通り過ぎた。タイムを確認するとやはりスズカに劣るものの二人の調子は絶好調そのもので沖野も満足げにした。

 

「先程のスズカ君の上がり3ハロン、37.9秒だったよ」

 

だが、その言葉を聞いて沖野は耳を疑った。

 

先頭のウマ娘が残り600mを超えて一着がゴールするまでの時間はウマ娘の速さを簡単に説明する際によく用いられ、当然トレーナー達もその速度を前提に差すタイミングや作戦を考えている。

 

しかし、37.9秒というのはスズカの日本での自己ベストから2秒以上遅れていて、逃げてから逃げ差すスズカの走り方から考えれば余りにも遅かった。

 

「走り方は凄く上達してるみたいだが、果たしてそれが吉と出るか凶と出るか。いやはや、期待してるよ沖野トレーナー」

 

タイムは悪くないのに終盤での足が弱くなっているのに気付いているタキオンが何故それを自分に教えるのか、そしてスズカがそれに気付いていない訳がないのに言わない理由があるのか。

沖野の心中を掻き乱せた事を嘲笑うようにタキオンまた口元を手で隠して目を細めながら沖野の側から離れていった。

 

「何の用事だったんですか?」

 

スペシャルウィークがゴルシにオセロで勝って機嫌を直したスズカはようやくタキオンが来ていた事を知り、沖野に何の用事だったのかを聞いた。

 

「いや、お前の様子見だとさ」

 

しかし沖野は上がり3ハロンがそのタイムでも自己ベストに近いタイムを出したスズカの走りが間違っているとは言い切らず、最後の伸びを残している分より勝負強くなっていると捉えてスズカの調子を崩すような事は言わなかった。

 

それもタキオンの計画の内なのか、それとも別の目的があるのか。底の知れない相手に標的にされてしまったと沖野も気を引き締め直し、三人の内から優勝者が出るようにトレーニングを続けた。

 

 

 

そして、1週間後のURAファイナルズ予選。

 

『ダイワスカーレット!最後まで逃げ切りライバルのウオッカをクビ差で降し一着でゴール!因縁のライバル対決、ダイワスカーレットが先に白星をあげました!』

『ミスストレイトが10番人気を裏切って一着でのゴール!本番強さを遺憾無く発揮し、準決勝に駒を進めました!』

 

注目される対決が多い中、第一第二レースと進んでいきそれぞれ決着が付いていき、ライバル対決を制し上機嫌なスカーレットと心底悔しそうにしているウオッカが観客席にいるスピカの面々に合流した。

 

「惜しかったなーウオッカ!」

「ぜーんぜん惜しくないわよ!これがアタシの実力よ!」

「決勝で覚えてろよ!次はオレが絶対にぶち抜いてやるからな!」

「ん?決勝でも負けに来るって言ったかしら?」

「言ってろ!」

 

最終コーナーを抜けてウオッカが一度は差したものの、スカーレットが直線で加速して差し返したレースはお互いに全力を出せていたと沖野からは言う事のない満点のレースだった。

もう一度走れば逆の結果も十分にあり得るが、今回はモチベーションが高いスカーレットに軍配が上がったのは間違いなかった。

 

「尊敬するタキオンが出るレースでウオッカに負けていられない」、決勝で競うことになるであろう猛者相手にレース前から覇気を滲み出していたスカーレットの末脚は凄まじく、差し馬のウオッカですら捉えられなかった。

常に先頭を走り続けるスズカの逃げとは打って変わり、後続を勝負に誘い自らの競争心を煽る事で限界を引き出すスカーレットの逃げは未だ天井を見せていない。

 

まだまだ伸び代がある二人を次のステップに上がらせる事も沖野が視野に入れようと考える中、一人のウマ娘がターフに現れると歓声が一際大きく湧き会場が震えた。

 

その歓声を一重に受けているのは他のでもない第三レース一番人気3番、アメリカから帰ってきたサイレンススズカがファンの歓声に応えて手を振ると更に盛り上がりを見せ、自分達の比ではない歓声にスカーレット達も耳を伏せた。

 

「スズカさん凄い人気ですね…!」

「そりゃあスズカだもん、これくらい盛り上がるでしょ」

「その分他の奴等から狙われてるっぽいけど、眼中にも無さそうだな」

 

ファンサービスを終えてゲートに向かうスズカは本格的にマイル用の練習をするようになったが、タイムの変動は殆どなく僅かながらに良くなっていくだけで、スズカの言う通り調整に掛かる時間が大幅に短縮されていた。

 

元々器用ではあったがそれに磨きが掛かけたアメリカのトレーナーは優秀だと沖野は判断したが、結局スズカの走りに違和感は拭えないまま予選への出走となった。

 

ウマ娘達の体勢が整い、向正面のゲートから一斉に走り出し早速サイレンススズカが集団になる前に先頭に躍り出ると歓声が湧き上がった。

 

『先頭は期待通りサイレンススズカ!後続を引き連れて第三コーナーへと駆け抜けていく!』

 

序盤から勝負を仕掛けていくスズカに後続も負けじとテンポを上げ、スムーズに高速勝負を作り上げる手腕は他のウマ娘には出来ないスズカの器用さあってのモノだった。

 

一切無駄のない動作で徐々にテンポを上げる事でスピードが上がっているという感覚を麻痺させ、先頭で息を整えて最終コーナーから抜け出すと同時に一気に突き放す。

それが作戦だと分かっていても付いて行かなければそのまま逃げ切られる。同じ大逃げでもツインターボとは違い逃げ切れるだけのポテンシャルがあるスズカ相手では作戦に乗らざるを得ない。

 

『第三コーナーに入り先頭は以前サイレンススズカ!4馬身後ろに4番シンジケート!その後ろダイタクヘリオス!後方から追い上げるがサイレンススズカとの距離は広がる一方!』

 

それが日本に居た頃のスズカの作戦『だった』。

 

日本に帰って来てからのスズカは序盤からほぼ全力で走り、コーナー等での減速をなるべく無くすスムーズなコース取りやバ場状態で足を取られにくい場所を選ぶ目が鍛えられていて、レース終盤では後続を完全に突き放す走りに変わっていたのだ。

 

タイムそのものに差は殆ど感じられないが、スズカらしくない走りに沖野は眉を顰めているがスズカの走りに違和感を覚えているのは沖野だけではなかった。

 

「スズカさんってあんなに頭上げてましたっけ?」

「あー、そう言えばそうっすね」

「後ろを気にしているようですわね」

 

スピカの面々の言う通り、スズカは他を意識せずに先頭を走り続ける為に頭を低くして空気抵抗を減らす走りを心掛けていた。それが今は頭を上げて後ろを気にする素振りも見せていて、高速勝負であるのに変わりはないが突き放した相手を意識しているのだ。

 

スズカの走りの変化は全てが悪いものではないが、其処を最初に指摘したのが沖野ではなかったという事実が沖野にとって何よりも気掛かりだった。

 

『第四コーナーを超えて最初に抜け出したのはサイレンススズカ!しかし後続もその差を少しずつ縮めていく!』

 

第四コーナーに差し掛かってきてから少しずつ差を縮められているスズカは直線に入りラストスパートを掛け、後続もそれに必死に喰らい付いていた。

 

後続が少しずつ差を詰め、劇的なレース展開に観客のボルテージは上がって歓声が鳴り止むことがなく、最後には半馬身差まで差し返されてからゴールを過ぎると会場が震える程の歓声が湧いた。

 

『サイレンススズカ、期待通り一着でゴール!二着は惜しくも半馬身まで詰めたサウスフライ!三着はダイタクヘリオス!』

 

並み居る強豪を抑えて一着でゴールしたスズカは息を整えながら観客へのファンサービスを忘れずしていて、それだけ余裕を持ってゴールしたと見れば悪くはないのかもしれない。

しかし、勝てはしなかったもののスズカを捉えることが出来たサウスフライの闘志に火が付いたのは間違いなかった。

 

日和見していい状況ではなく、早急に手を打つ必要があると沖野も考えを巡らせていると第四レースの準備も終わりレースがスタートしていた。

 

「あっ、しまったなぁ…」

「どしたの?」

「タイマー押し遅れちまった」

「もぉ、スズカが帰って来たからって気が抜けてるんじゃないのー?」

「分かってるって」

 

意識を違う事に向けていた沖野は慌ててタイマーを押そうとしたが既に出遅れてしまい、仕方なくタイムは上がり3ハロンのみに絞って測定する事にし、レースに目を向けると一番人気のトロッコボンバーは後方に控えて先頭を走るのはアグネスタキオンだった。

 

第四レースは比較的差し馬が多く、中でもトロッコボンバーは最終直線での伸びを切り札にしていて、距離の短いマイルでも逃げ馬を捉える急加速は目を見張るものがある。

今トーナメントでのスズカが苦戦するであろうタイプのウマ娘なだけあり、正確なタイムを得るのが後になるのは惜しんだが差し馬の勝負所である残り600mをタキオンが通過すると同時にタイマーを押した。

 

先頭は2馬身差でアグネスタキオンが走り、集団を外から抜いたトロッコボンバーもスパートを掛け始め、アグネスタキオンに迫ろうとする。しかしタキオンも粘っているのか差は縮まらない。

 

「……マジかよ!?」

 

否、広がり始めていた。

 

『あ、アグネスタキオンが驚異的な末脚でトロッコボンバーを引き離す!その差は6馬身、第四コーナーを超えて直線に入るがその差は埋まらない!』

 

第四コーナーを最初に抜け出したタキオンは差し馬のトロッコボンバーさえ超えた速度で直線を駆け抜けていき、トロッコボンバーも必死に追い縋るがその差は縮まるどころか少しずつ広がっていく。

 

逃げていたのではなくあくまでも先行、常軌を逸した足の速さから先頭に立っていただけで最後にスタンドの前を駆け抜けていくタキオンは悠々とゴールし、誰もがそのタイムに目を向けた。

 

『い、1分31.9秒!レコードには惜しくも届きませんでしたが、アグネスタキオンが大差を付けて余裕の勝利!時代を瞬く間に駆け抜けたウマ娘が再びレースの舞台に帰って来ました!』

 

レコードと0.8秒差で余裕の一着を取ったタキオンに観客は一斉に歓声を上げ、珍しく肩で息をしているタキオンは観客に目を向けると誰かを探すように見回し、スピカの面々を見つけるとその内の1人に視線を定めた。

 

視線の先に居たスカーレットは自分が尊敬する先輩の真の実力を見せ付けられ拳を強く握っていて、悔しがりながらもタキオンの復活に喜びが混じった笑みを浮かべるとタキオンは満足そうに地下通路の方へと去っていった。

 

『URAファイナルズマイル部門、予選が全て終了しましたがどのウマ娘が一番気になりましたか?』

『今日は文句なし、アグネスタキオンですね。マイルに出場と聞いて驚きましたが、その驚きを上回る走りを見せてくれました』

『サイレンススズカとアグネスタキオン、高速を超えた超高速のレースが見られることに期待しましょう!』

 

 

 

「驚きました…」

「おや、カフェ。出迎えてくれるなんて珍しいじゃなイッ!?」

 

レースを終えたタキオンが足を伸ばしながら地下通路に座っていると、事の次第を察したマンハッタンカフェがタキオンの側に現れた。

迎えが来たとタキオンは戯けた様子で両手を伸ばして抱っこを要求したが、カフェはそれには応えずしゃがんでからタキオンの靴に触れるとタキオンの顔が痛みで歪んだ。

 

「足は大丈夫ですか…?」

「大丈夫、まだ走れるさ。足の強度は計算に入れているよ」

「次は今の痛みの数倍は痛むと思いますよ……それでも」

「それでも走る。プランAを必ず成功させ、研究の成果を証明しないといけないからね。研究に代償は付き物さ、我慢できなかったら素直に走るのを辞めるよ」

 

今トーナメントに出る為に結んだトレーナーとの契約も名義だけのもの。皐月賞後早々に契約を切っていたタキオンが走ると聞き、タキオンが頼ってきたから何も聞かずにトレーナーは了承したがカフェには足を痛めてでも走るタキオンが理解できなかった。

 

ウマ娘が走れないのならそれは少しヒトよりも力の強いだけの存在。多少の怪我ならば治して軽く走ることは可能でも、タキオンがやろうとしているのは歩く事すら困難にしかねない愚行にしか思えなかった。

 

「そこまでスカーレットさんが大事ですか?」

「スカーレット君?何故今君がその名前を出したかは理解しかねるが彼女は確かに大切な研究対象さ。私と似た脚質を持ち、同じ速度領域でのレースが可能な第二の私のような子だ。彼女なら今日の私の走りも模倣できるだろうし、次の機会では恐らくあの速度に達するだろうね」

「準決勝で当たるかもしれないのに悠長ですね…」

「当たらないさ」

 

今日のタキオンの走りが再現可能だというのに事を構える気がないタキオンにカフェは呆れていたが、トーナメントで当たる事がないとタキオンが断言するとカフェも目を丸くした。

 

「彼女は準決勝を辞退する。遂に競い合うことが無くて、本当に残念だよ」

 

スカーレットが準決勝を辞退すると断言するタキオンは酷く寂しそうに笑っていて、長い付き合いになるカフェはその話には触れずタキオンを背負って地下通路から運び出した。

 

 

 

 

『腱鞘炎ですね』

 

サイレンススズカとスカーレットが一着を取り好スタートを切ったスピカが練習をしている最中、スカーレットの様子がおかしい事に最初に気付いたのはウオッカだった。

練習で前を走るスカーレットが左足を前に出すのが遅れていて、前日のレースと比べて容易に抜くことができ、沖野に進言してから検査すると左足中指の付け根に腱鞘炎が発症している事が判明した。

 

まだ痛みは少ないが無理はできないと沖野は辞退する旨をスカーレットに伝え、沖野も反論が返ってくると覚悟していたが「仕方ないわね。今回は諦めるわ」と予想外な反応が返ってきた。

 

「はぁぁ……何で今なのよ…」

 

今は一人の時間を与えようと暫く練習に来ないように指示し、突然の休暇にやる事がないスカーレットは図書室で本を読もうと向かっていた。

 

本音を言えば怒鳴り付けてでもレースには出たかった。だがサイレンススズカ、トウカイテイオー、そしてメジロマックイーンと文句一つ言わずに療養を受け入れたチームメイト達を見てきたスカーレットだけが我儘を言うのは情けないとプライドがその判断を受け入れていた。

 

幸い炎症も程度は軽くしっかり療養すれば治ると聞かされていても、URAファイナルズ強いては海外進出も視野に入ってきた途端の病気にスカーレットの気分は地まで落ちていた。

 

「ドバイ旅行まだ先になりそうね…」

 

スズカが世界で見てもレベルの高いアメリカで活躍している中、スカーレットは何処を目指そうかと考えた際に出たドバイという選択肢。

世界各国から強豪が揃うドバイこそ自分に相応しいと狙っていたが、ウオッカも海外を狙うならドバイというのはライバルであるスカーレットも薄々感じていた。

 

だからこそURAファイナルズで決着を付けようとしていたのだが、不戦敗での決着に納得が出来ず図書室に入って席に着いても突っ伏せるだけで本を読もうとはしなかった。

 

「ハァァァァァ……」

『退屈そうだねスカーレット君』

「ヒェッ!?」

 

喉から怪物を吐き出さんばかりにため息を吐くスカーレットに後ろの席に座っているタキオンが声を掛けると、山積みの本の影に隠れていたタキオンの存在に気付いていなかったスカーレットは思わず変な声を上げて立ち上がった。

 

「た、タキオンさん!?」

「如何にも、アグネスタキオンは世界で私一人だよ」

「ごめんなさい……ため息なんて吐いちゃって…」

「いいんだよ。君のURAファイナルズに掛ける想いは人一倍大きなモノだった筈。私と同じ病気で療養になるとはつくづく君とは縁があるみたいだ」

「もう知ってるんですね……」

「其処にある週刊誌にしっかり載っていたよ。本当に記者というのは耳が早い」

 

目の前に積んでいる本の山を退かしてスカーレットと向かい合ったタキオンの反応から既に辞退した事を知っていると悟り、スカーレットも向かいの席に座ってタキオンが差し出した週刊誌を手にした。

 

「しかし、偶には週刊誌も読んでみるものさ。『タキオンタイマー』なんて称号があるとは、私の話題性もまだまだ捨てたものではないらしい」

「タキオンタイマー?キッチンタイマーみたいものですか?」

「近からず遠からずといった所だね」

 

タキオンタイマーという単語を初めて聞いたスカーレットは雑誌を開き、URAファイナルズ予選での結果を書いた記事を読んでいくと見開きの右側はスズカ、左側はタキオンと予選前とは打って変わってライバル扱いになっていた。

 

だがタキオンについての記事を読んでいくと、その単語の意味が分かった。

 

「『皐月賞制覇後、足の不調を理由に一時は引退と思われていたアグネスタキオン。今回はタキオンタイマーを超えて走る事が出来るのだろうか』って……どう見てもタキオンさんを貶してると思うんですけど」

「重賞を複数回勝てる高速が売りのウマ娘がデビュー後、早々に足の怪我で引退まで追い込まれる事をタキオンタイマーと呼ぶらしい。そして、今回の療養で君もその仲間入りだそうだ」

 

タキオンがたった四度しか走れなかった事を明らかに冷やかす意味での称号にスカーレットは怒りに震え、自分がその中に数えられた事よりも諦めていないタキオンを貶している事が許せず雑誌を掴む手に力が込められていった。

 

「この記者探してきます…!」

「別に気にする事ないさ。そんな称号には何の科学的価値も根拠もない、気にするだけ無駄というものだよ」

「でもタキオンさんは走ってるのに、走ってもない人達にそんな呼ばれ方されてるのが許せないんです!」

「言わせておけばいい。実際、トゥインクルシリーズで私が4度しか走れなかったのは事実だ」

「たとえ事実でも言って良い事と悪い事の区別はあるべきです!」

「良し悪しなんて人の価値観で簡単に変わってしまう。記者だって読者に買わせるような文を書くしかないんだ。人は淡々とした事実よりも面白い虚構の方が好きな生き物なんだよ」

 

スカーレットは自分の事のようにタキオンタイマーという称号を使うのをやめさせるべきだと進言したが、タキオンはそれに一切の興味は持たずスカーレットを諫め、スカーレットも本人がそこまで言うのならと溜飲は下げた。

 

「スカーレット君、君は本当に良い後輩だ。優等生という話を私でも聞くほどなのに何故私に慕うんだい?」

「それは……タキオンさんが走るのをずっと諦めてなかったからです。ずっとずっと自分を研究して、また走るにはどうすればいいかを悩み抜いた人だから私もそうなりたいって思えたんです。だから私もこんな所で止まるつもりはありません。タキオンタイマーなんてふざけた称号は私が否定します」

 

尊敬する先輩が気にしなくても、その後ろを追いかけるスカーレットがその称号を否定してみせると言葉に怒りを込めていて、その返答にタキオンは本を閉じると「優しい子だね、君は」とスカーレットの目を見ながら純粋な心を褒めた。

 

その姿には何処か肉親にも似た温かさがあり、スカーレットが狼狽えているとその様子を察したタキオンは話を戻した。

 

「しかし、本当にそこまで心配することはないよ。私は今回のトーナメントで優勝するから記者達も勝手に取り下げる筈さ」

「でも、準決勝はスズカ先輩と当たるんですよ?ウオッカだってやる気上げてきたし」

「今のスズカ君じゃ私に勝てないよ。彼女はアメリカで勝つ事しか考えず自分の走りを見失った。データだけで走っていた私が感情的に走って、感情的に走っていた彼女がデータを頼るようになったんだ」

 

タキオンが「皮肉なものだね」と笑みを溢すとスカーレットはその自信もそうだが、感情的に走っているというのが信じられなかった。

 

タキオンが予選で見せた走りは全盛期のスズカを思わせるような脅威的な伸びがあり、そこまでのレース展開もラストに向けて無駄のない加速で圧倒していた。

それが感情的になった事で引き出せた走りには到底思えなかったのだ。

 

「感情的と言っても、そこに辿り着くまでは全て計算の内。その計算で実際に行動に移すかどうかが感情論に頼ってだけだよ」

「予選での走りは本当に凄かったです。今日は練習しなくて大丈夫なんですか?」

「今の私に必要なのは休養と砂糖たっぷりの紅茶、それと暇潰しに付き合ってくれる相手だけさ。お互い時間を余らせている訳だ、近くのカフェにでも行って時間を潰さないかい?」

「は、はい!お供します!」

「ハッハッハ、それではカフェがバイトしている所を知っているから其処へ行くとしよう!」

 

タキオンにカフェへ誘われたスカーレットは今日初めて嬉しそうに笑い、タキオンもスカーレットの様子を見て満足気に立ち上がると本の山をそのままに二人で図書室から出て行った。

 

一方でスピカが練習しているグラウンドではウオッカがテイオーと本格的な模擬レースをする中、スズカは沖野に連れられてトレーナー室に来てソファに座りながらビデオを見ていた。

日本に居た頃の走りとアメリカでの走りをビデオで観ながら相違点を指摘し、何がそこまで変えたのか掴めればと沖野は狙っていたが、表情を曇らせているスズカの様子から答えは既に知っていると悟った。

 

「此処での走りは向こうで通用しなかったか?」

「そういう訳では…」

「アメリカに渡って最初のG1から成績残しちまって、負けられないなんて思ってるなら気にしなくて良いんだぞ?」

「……」

 

『負けられない』、スズカが気にしている点は其処だと気付いた沖野は敢えてそれは指摘せず、あくまでもスズカの自主性に任せてどうするのかを託した。

今の走りは余りにも中途半端で、下手な癖が付く前に元に戻すか今の走りを完成させるのか方針を決めないとスズカの才能を無駄にしてしまうばかりか、勝てる筈のレースでも負けてしまう。

 

現にアメリカで負けたレースでは序盤に飛ばしたものの、それに喰らい付いてきた強豪に最終直線で差されて負けている。勝ち負けは別にするとしても、今のままではスズカの為にならないと沖野も今の状況に真剣に向き合っていた。

 

「……私は」

「ん?」

「私は……勝たなきゃいけないんです」

「そうか」

「皆の前を走っている私が負けていたら応援してくれる人達に申し訳なくて、なんとか勝とうとしてグリフォンワールドカップでは自分でも飛ばし過ぎたと思ってます。でも後ろから付いて来ている人が居なくて、そのまま一着が取れたんです」

「そうか」

 

スズカが何を言いたいのか、沖野はすぐに理解した。

 

スズカは一度通用した作戦を多用していた。作戦は分かっていてもスズカ本人のレベルが高い所為で攻略が難しく、余程の相手でない限り勝ててしまう。

だから競り合うリスクを負う普段の走りを捨て、最初に飛ばして早々に勝負を決してしまおうとしていたのだ。

 

「アメリカのトレーナーも流れを掴んでいるスズカに水を差すか悩んだに違いない」、沖野も表に出さないもののどう助言したら良いものかと悩んだがスズカはその心配を機敏に感じ取り、不安を感じさせない為に言葉を改めた。

 

「だから、私は勝ち方に拘るつもりはありません。どんな走り方でも勝ってみせます。だからトレーナーさんには私の背中を見ていて欲しいんです」

「……そこまで言われちゃ敵わないな」

「見てて下さい。次のレースで私はタキオンさんに勝ちます」

 

優勝の最有力候補はアメリカ帰りのサイレンススズカという前評判を覆らせたタキオンと準決勝で勝負する事になっているスズカは闘志を燃やしていて、沖野はスズカの言葉を信じて新しいスズカの走りをサポートする決心をした。

 

序盤で勝負を決するのであればスズカのペースが落ちている事を感じさせない位に大差を付け、少なくともラスト200mまでの減速は一定で無ければ後続が勢い付かせてしまう。

『他を寄せ付けない絶対的な逃げ』。スズカな得意な独壇場での勝負に更に磨きをかけるべく徹底的に各区間のタイムを計測し、一切無駄のない逃げを完成させたのは準決勝の2日前だった。

 

何本走ってもペース配分を狂わせずに走れるようになったスズカ、それを追い掛けるウオッカは長い末脚で減速のタイミングを狙えるスタミナを付けて望んだURAファイナルズマイル部門準決勝。

 

「『超高速勝負を制したのはアグネスタキオン!異次元の速ささえも捉えたアグネスタキオンが1馬身差でゴール!強い、強過ぎる!彼女の前では光さえも止まって見える!』」

 

サイレンススズカは負けた。

 

中山芝右回り1600m、レコードと僅か0.2秒差でゴールしたアグネスタキオンは前を走るサイレンススズカの走りを完全に捉えていた。それはスピカの練習を偵察して攻め時を盗み見た訳でも、スカーレットから情報を渡された訳でもない。

 

ただ『速い』。予選とは違い第四コーナー前から加速を始めたタキオンは瞬く間に後続を引き離しスズカとの差を詰めた。同じタイミングで攻めようとしていたウオッカも追い縋ろうとしたがスズカとの差は縮まれどタキオンの影さえ踏めず、スタミナを切らして五着という結果に拳を握り締める事しかできなかった。

 

「ふぅ……スズカ君、ちょっといいかな?」

「……はい」

 

完璧なペース配分だったのに負けてしまい意気消沈しているスズカに息を整えたタキオンが声を掛け、悔しさ以上に期待を裏切ってしまった事で俯いているスズカは何拍か置いてから返事をした。

 

「正直に言おう。君の走りには少しガッカリしたよ」

「……」

「勝ちに拘り、手段が目的に変わってしまった君にスピードの向こう側が見える筈もない。私にはもう次しか無いんだ、次こそは頼んだよ」

 

自分の走りにガッカリしたと正面切って言われ、負けたスズカは何も言い返せずにいたが最後に懇願するようにスズカの走りに期待する言葉を残してタキオンはその場を去り、俯いていたスズカは言葉の意味が分からずその背中に目で追った。

 

すると柄にも無くファンに手を振っているタキオンが僅かに左足を引いていて、その足でスズカさえも抜いたスピードを出してしまえばどうなるかを理解すると同時に驚愕した。

 

「まさかタキオンさん……」

 

アグネスタキオンは足を壊してでも決勝で勝つつもりでいる。それを理解したスズカはターフから去っていくタキオンの背中をただ見詰めていた。

 

 

 

 

「ハァ!?てめェふざけてんのか!」

「ふざけてなんかないさ。私は次のレースで引退するつもりだよ」

 

準決勝の翌日、理科準備室にシャカールとカフェが集まり、タキオンの口から次のレースが最後であると聞かされたシャカールをガンを付けながらタキオンに掴みかかり変な冗談を撤回させようとした。

 

しかしタキオンは言葉を改めようとはせず冗談ではないと無言で伝えると脅して変わる程軽い覚悟ではないと分かり、手を離してから椅子に座ると足を組み大柄な態度でタキオンの話を聞くことにした。

 

「私の足は次が限界だ。皐月賞後より遥かに痛むし歩くのもやっとなんだ」

「なら尚更走るのをやめればいい……」

「URAファイナルズは一回限りじゃねェだろ。てめェの成績はサイレンススズカをぶち抜いてんだ、何年後だろうが出場できる筈だ。なのに今足ぶっ壊して何になるってんだよ」

 

カフェとシャカールは何故そこまでして走るのか理由を知らないから左足を壊してまで走る必要はないと棄権するように促したが、不敵な笑みのまま「今しかないんだ」とタキオンが語気を強めると二人とも言葉を飲み込んだ。

 

度々タキオンの実験に付き合わされてきて、碌な目に遭っていない二人は今回は報酬が特別だったから首を縦に振った。しかしタキオンのラストランを支援する事になるとは予想だにしていなかった為にどうするべきかと悩み始めていた。

 

「ホントに走れなくなんだぞ?」

「覚悟の上さ」

「私との決着はどうするんですか……私の負けっぱなしだなんて許せません…」

「……すまない、足の強度からして中距離は走れないんだ。カフェだって半端な私に勝っても嬉しくないだろう?」

 

マイルでの出走は中距離での走りをある程度は反映させられるから。二度と走れなくなる事を計算に入れた上でそれでも走っているタキオンに勝ち逃げは許さないとカフェも憤っていたが、2000以上は走れない状態の相手との勝負を考えると唸るしかなかった。

 

「てめェが言ってたマイル最速のデータってのはテメェの話かよ」

「そうだよ。本当なら準決勝でデータは取り終われる筈だったのだが、スズカ君が思いの外追って来なかったから私も不完全燃焼気味だ。だが次の決勝でのデータはきっと役に立つと思う筈さ」

 

シャカールを協力させる為にタキオンが出した『マイル最速のデータ』はスズカの事だと思っていたが、準決勝でも全力ではないタキオンの事だと気付き、そんな余力を残していた事に気付けなかった自分の観察眼にシャカールは腹が立っていた。

気付いていれば、それに続く言葉がタキオンの為になるかどうかは別として少なくともシャカールが手伝う事はなかっただろう。

 

「何がてめェにそこまでさせんだよ。研究しか脳が無かったてめェがいきなり研究を捨ててでも最速を目指して、スズカに勝っても満足しねぇなら何が目的だ?それを言ったら最後まで付き合ってやるよ」

「シャカールさん……」

「今止めたらデータ採取に此奴の目的、カフェの取り分まで全部が半端で終わっちまう。そんな事態を避ける唯一の方法はこの馬鹿を優勝させるしかねェんだ。クソみてぇな片棒担がされたんだ、その位報酬を上乗せしろよ」

「……スカーレットさんの何が貴女にそこまでさせるのですか?」

 

半端に終わらせて誰も得しない終わりよりもケジメを付ける為に条件を増やして協力を続けるシャカールに対し、既にタキオンの目的にスカーレットが絡んでいるというのは勘付いているカフェもタキオンに目的を話すように要求した。

 

二人が止めようとしないなら遅かれ早かれ理由は話すつもりでいたタキオンは「特別なことではないさ」と前置きをしてからURAファイナルズに出走する理由を話し始めた。

 

その頃スピカにも不穏な空気が流れていた。トーナメント前から期待されていた二人がタキオンに手も足も出ずに負け、勝てると確信していたスズカは更に速度を上げるべく一人で練習をするようになってしまった。

沖野も二人を勝てると思える程育てたのに負けてしまった原因を突き止めるべく、準決勝のビデオをトレーナー室で何度も見返している。

 

「トレーナーさん遅いですね」

「タキオンさんも凄く速かったですし、並大抵の対策では勝てないというのは分かるのですが」

「ウオッカの練習どうする?また走り込む?」

「駄目だ……取って付けたスタミナじゃまるで敵わねぇ。スズカ先輩にも追い付けなかったのに、その先にいるタキオン先輩にどうやったら追いつけんだよ……!」

 

同じレースで負けたものの、前を走る二人とのレベルの違いを思い知らされたウオッカは生半可なトレーニングでは付いて行く事が出来ないと知り、その差を埋める為に何をすればいいのかと完全に行き詰まっていた。

 

ウオッカも様々なレースで勝ちスカーレットと競い続けてきたが、前を行く二人は勝ち負け以上の何かを求めて走っていてウオッカとのモチベーションの差は歴然だった。

 

他のスピカのメンバーもトレーナーも居ないこの状態でどうしたらいいのかと狼狽え始めていた。

 

『ウオッカ、出て来なさい!』

 

その時、スピカの部室の外から聞こえてきたのはスピーカー越しのスカーレットの声だった。いきなりの事にウオッカも戸惑いながら外に出ると、其処には額に『打倒先輩!』と書かれた鉢巻を締め、竹刀片手にスカーレットが立っていた。

 

「何してんだお前?」

「アンタ、アタシが居ないレースで負けたわね」

「スカーレットに言ってもしょうがねぇけどあの二人は次元が違う。仮にスカーレットが居たって」

「勝ったわよ!アタシなら絶対に勝てた!」

「ッ、言うだけなら簡単だよな!俺が負けて悔しくないとでも思ってんのかよ!目の前であんな走りされてどうしろってんだよ!」

 

スカーレットの足の怪我を申告し棄権させてしまったという後ろめたさから最初こそ強くは返さなかったものの、スカーレットの自分なら勝てたという言葉にはウオッカも心の内を叫んだ。

 

同世代ならまだしも、相手は何年前から走っていて走りに費やした時間が違う。自分と同じ実力だと認めているからこそ、スカーレットでも敵わなかった筈だとウオッカは分かっていた。

 

「勝てばいいだけでしょッ!」

 

しかし、スカーレットはそれでも言葉を変えなかった。

 

「アンタはアタシと同じくらい速い!ならアタシに勝てたならアンタだって勝てる筈!どうすればとか、ああすればとか、使い慣れてない頭で考えるから負けんのよ!」

 

どんなレースでも競い合ってきたライバルが自分が出ないから本調子になれないという事態にスカーレットは激昂し、ウオッカよりも成績が良いことを盾に頭を使おうとしていたのがウオッカの敗因だと叫んだ。

 

二人の言い争いは通りすがりのウマ娘達の目も引き、ウオッカも顔を赤くしているがスカーレットは至って真剣だった。

 

「アンタにはアタシの代わりになってくれなきゃ困るの!アタシが走れないんだから、代わりにアンタが全力を出してくれなきゃ死んでも後悔するの!だから、アンタのトレーニングはアタシが指導する!今のトレーナーよりもアタシの方が100倍マシよ!」

「スカーレット……」

「お願いだから……次のレースでは全力を出して!アンタ嫌ってくらい速いんだから勝てるでしょ!アタシに勝てるんだから後二人くらいどうにかしなさいよ!」

 

自分と同格のライバルだからこそ、自分が出れない時に大切な人のラストランが重なってしまった事を立ち聞きして知ったスカーレットはウオッカを代わりにするしかなかった。

 

ウオッカが全力を出して、それでも負けたなら仕方ない。しかしウオッカ全力を出せずに終わってしまえば必ず後悔すると感情に任せたスカーレットの叫びはウオッカにも響いていた。

 

「お前指導なんかできんのかよ」

「アタシを誰だと思ってるの!指導力でも当然一番、タキオンさんが前に読んでたトレーナー指南書を借りてきたからイケるわよ!」

「ハァ……即席のトレーナーがいきなりURAファイナルズの指導かよ。信じていいんだよな?」

「当然、アンタとアタシの力であの二人を抜くわよ!」

「……分かった!オレ達はオレ達であの二人をぶち抜いてやろうぜ!」

 

今トーナメントで走れなくなったというのに闘志を燃やし、ライバルの為に人肌脱ぐスカーレットにウオッカの闘志にも火が付くとスカーレットに負けない声で承諾した。

二人がメニューについて言い争いながらグラウンドに向かうのをテイオー達は呆然と見ていていたが、ウオッカの立ち直りを起点にしようと「わり、ちょっと火星人探してくるわ」とゴールドシップも部室から出て行った。

 

 

 

 

「どうする……この速さで600m走れる相手にどの位差を付けていれば勝てるんだ…?」

 

何度ビデオを見返してもタキオンの走りは見事だ。常識破りの速さに加えてそれを維持できるスタミナもあり、事故を避けて外を走るタキオンは作戦は単純でも速さが別次元だ。

 

スズカならスピード負けはしないだろうが、逃げれるだけ逃げて差を活かす作戦がまるで効いていない相手にどう立ち向かうべきか。考えても考えても作戦が思い付かない。

 

折角スズカが一人で走れるようになって、スズカは指導通りのタイミングで仕掛けられるようになったんだ。もっと攻め時を詰めて走るしか道はないのかもしれない。

 

『トレーナー居るかー?』

「ん、ああ」

 

タキオンの速度を無視できる距離を計算しようとペンを手に取るとノックと音と同時に扉が開き、ゴルシがトレーナー室に入って来たから顔だけ見て俺はビデオに向き直った。

 

「何か用事か?」

「いやぁ、火星人探しに来ただけだよ」

「此処にはいないぞ」

「あちゃあ、アタシの勘が外れちまったか」

 

ゴルシは部屋に入ってくるなり椅子の下を覗き込んだり、窓を開けて外を見たりとしているが火星人は此処には居ないと教えると落胆する声が俺の後ろから聞こえて来た。

 

「んじゃ違う事すっか」、そう真後ろから聞こえて来た瞬間、俺の服の襟をゴルシが掴むと無理矢理俺を担ぎ上げた。力の強いウマ娘とはいえ抵抗してもまるでビクともせずもがいていると、ゴルシは何も言わずに窓際に歩いて行き嫌な予感がした。

 

「おいまさか…!?」

「そらよっと」

「うぉぉぉ!?」

 

開けた窓の前でゴルシが立ち止まり、止めさせようと声を掛ける前にゴルシが軽々と俺を掴んだまま窓の外に突き出した。

 

3階から宙ぶらりんの状態にされると足元の方から生徒達の悲鳴も聞こえ、俺もゴルシの腕を掴んで何とか落とされないようにしたが、ゴルシが俺を見る目は今まで見た事がない程に怒りが込められていた。

 

「アタシが何でスピカに誘われて入ったか、知ってるよな?」

「じ、自由に走りたいからだろ!?」

「何でスズカがリギルを抜けたか、知ってるよな?」

「自由に走って1番を取りたかったからだろ!?いいからそっちに戻せって!?エアグルーヴに知れたら…!」

「アンタ、今スズカに何やらせてる?それをアタシにも押し付ける気か?一から全部キッチリ決めて、作戦通り走らせるつもりか?」

 

ゴルシが言いたいことは分かる。スズカの走りが変わって、勝つ為に俺は万全な状態を作ろうとしてかなり理屈を固めた作戦を取っていた。

 

けどそれはスズカが勝ちを望んだから、今のスズカに一番を取らせてやるには必要な指導だったからだ。

 

「スズカは勝ちたいから今の走りに変わったんだ!俺はそのサポートがしたかっただけだ!」

「あんな中身空っぽの走りにアンタは惚れたのかよ?」

 

だが、ゴルシの言葉は俺の中にあった違和感を寸分狂わずに撃ち抜いた。

 

「他の奴らは奇跡の復活だのアメリカ帰りだの言ってるけどよ、それがスズカの走り方とアンタの指導に何か関係あんのかよ」

「それは……」

「いい加減目ぇ覚ませって。アンタの前に居たのは前と変わらないスズカだったろ」

「……」

「スズカの夢、アンタがちゃんと見せてやれよ」

 

ゴルシが放つ言葉はそのどれもが俺の奥深くまで突き刺さり、抵抗する気さえ失うとゴルシも次第に怒りの矛先は収めてくれた。

 

「あんなビデオ見たってスズカの走りは良くなんねーぞ。ビデオ見て足が早くなんなら今頃アタシは重力3分の1ジャンプをマスターしてるって」

「……だよな」

「彼奴は今グラウンドに居るから、行って来い」

 

そう言ってゴルシは俺を部屋の中に戻してから手を離し、俺も地に足をつけると居ても立っても居られず部屋から駆け出した。

 

俺は馬鹿だった。スズカの走りが変わったのは確かに勝ちたいからだった。でも何で勝ちたいのか、其処にあったのは俺達の期待に応えたいからというスズカの優しさ故の目標だった。

 

でもスズカの夢は決してそんなものじゃなかった。他の走者を置き去りにし、その先にある最高の景色を見る為に走っていたスズカが俺は好きだったんだ。

 

「スズカァァッ!」

 

何度走るなと注意されても静止を振り切ってグラウンドに走って来た俺はすぐに埒を超えてスズカを探し、グラウンドの中央一人でずっと何かを考え込んでいるスズカを見付けて近付くと共に声を掛けた。

 

いつもなら左回りで歩きながら考える癖だってあったのに、それさえも出来ないくらいにスズカは追い詰められていたんだ。なのに俺はそれに気付いてやれなかった、その姿は見えていたのにスズカの事が見えていなかった。

 

「ど、どうかしましたか?」

 

血相を変えて来た俺にスズカも戸惑っているようだが、俺は我慢出来ずに頭を深く下げながら叫んだ。

 

「俺の馬鹿野郎ォォォォッ!」

「きゃっ!?」

「スズカがアメリカでも走っているのを見て、スズカはもう一人で大丈夫だなんて勝手に勘違いしてた!走り方を変えても勝てるならってお前に甘えてた!」

 

ウマ娘が走り方を突然変えるなんて本来あり得ない話だ。それをスズカだから出来る事だなんて甘い考えで甘受して、どうしてそんな走り方をしてまで勝とうとしていたのかを理解してやれてなかった。

 

スズカにとってスペやスピカのメンバーからの期待は追い風にもなっただろうが、大きなストレスとして行手を阻んできた事もあるに違いない。最初のグリフォンワールドカップでの失策がその前兆だったのに、それで勝てていたから問題ないなんて話がある訳がない。

 

「あの日からずっとスズカは凄いウマ娘だって思ってた。いつか俺の手からも離れて、きっと皆にも夢を魅せるに違いないって。でもスズカが一人で苦しんでいるのに気付かないで手を放した俺が間違ってた」

「トレーナーさん……」

「今のスズカの気持ちを俺に聞かせてくれ」

 

頭を上げて今のスズカを知りたくてスズカの目を見詰めると、動揺していたスズカが少しずつ不安を帯びていき、俺から目を逸らすと口を開いてくれた。

 

「みんなが応援してくれて最初は嬉しかったんです。でも、レースに勝つ度に少しずつモヤモヤして、負けた時には夜も眠れない位に胸が締め付けられて……」

「期待されるのが怖くなったのか?」

「日本に居た頃はそんな事はなかったけど……その…」

「何でも言っていいんだぞ。スズカの言葉を聞きたくて俺は来たんだ」

「……トレーナーさんが隣に居ないのが怖かったんです」

「そうだったんだな」

「いつも私を見てくれていた人が居なくて、間違ってたら怒ってくれる人が居なくて、偶に世間話で笑ってくれる人が居なくて……いつも迎えに来てくれていた人が、居なくて…っ…」

 

スズカは目を涙ぐませながらもしっかりと何が怖かったのかを教えてくれて、俺も何が間違っていたのかをしっかりと理解できた。

 

スズカは周りの人を大切にして支えにしているが、その支えとは別にスズカがスズカらしく走れるようにサポートする人間が必要だったんだ。アメリカのトレーナーはスズカが飄々と走る姿を見て、そういった面に気付けなかった。

 

いや、それ以上にスズカが気付かれないようにしていたんだろう。誰にも心配を掛けたくない一心で走り続けて、夜も眠れないくらいにストレスを抱え込んでも勝てていたスズカの強さと弱さを分かってやるべきだったんだ。

 

「トレーナーさんに、迷惑を掛けたくなくて……」

「辛かったよな。俺も邪魔したくなくて声を掛けなかったけど、寧ろそれがスズカの重荷になってたってのに」

 

一人で震えているスズカをしっかり抱き留め、ここまで一人で頑張って来たスズカの頭を撫でてやるとスズカも俺の服をギュッと掴んで俺に身体を預けてされるがままになってくれた。

 

「これからはしっかりスズカの事を見るから、もう負ける事も応援される事も怖がらなくていい。そんなモノを捨て去った先にスズカの夢があるんだ。俺の夢もその先にある」

「……トレーナーさんの夢って何ですか?」

 

俺がトレーナーを目指すようになり描いた大きな夢はトレーニングをどれだけやって勝っても、作戦をどれだけ考えて勝っても、それだけでは叶わない。

 

ウマ娘の中には親が勝ったG2のレースの方が大事だと思う子もいるだろう。地元の重賞を優先したいという子だって、それこそ日本一のウマ娘になりたいという大きな夢を持った子も居る。

 

俺がトレーナーになる上で覚悟として決めた夢というのはそういうウマ娘を否定しない事。

 

「俺の夢はお前だ、サイレンススズカ」

 

『ウマ娘の夢を一緒に叶える』、それが俺の大切な夢だ。

 

スズカが最高の景色を見たいというのなら、俺はその隣でスズカが夢を叶えた瞬間の輝きを見ていたい。ウマ娘には誰にだって夢を見る権利も、叶えるチャンスもある。

それを一緒に掴み取ってやるのが俺達トレーナーの役割だ。

 

「お前の夢を叶えるところを側で見させて欲しい」

「……私の夢は速いですよ?」

「この目に焼き付けてみせるさ」

「なら、もう私は迷いません。私の走りで、私が見たい景色を見に行きます」

 

もう震えが止まっているスズカを放してやるとスズカは顔を真っ赤にしながらもしっかりと俺を見ていて、俺に夢を叶える瞬間を見せてくれると断言してくれた。

 

俺達に心配を掛けまいとする上部だけの言葉じゃなく、スズカの想いを込めてくれた言葉に俺も頷いた。

 

「必ず勝つぞ!」

「はい!」

 

 

 

 

 

一度タキオンに負けたスピカの二人もスカーレットが沖野に相談しながらウオッカのトレーニングを、走り方を大幅に変えるスズカは沖野が逐一指示を出しながら練習を続けた。

 

遥か先にいる二人に追いつく為に、最高の景色を見る為に練習を続ける二人に対してタキオンは一切練習はせずに足を少しでも休めることに専念していた。

 

スズカを焚き付けて最高のコンディションを引き出させる作戦はその練習風景から成功したと確信していたが、スカーレットがウオッカのトレーニングを担当しているのを見て「何処までも似ている子だ」と笑みを溢した。

出たいという想いをライバルに託し、その成長を促そうとする感情も今のタキオンなら理解できていて、それに応えようとするウオッカも気を付けるべき相手だと再認識した。

 

そうして誰もが自分達の夢を叶える為に迎えたURAファイナルズマイル部門決勝。

 

『皆さんお待たせしました!URAファイナルズマイル部門決勝!その舞台は東京競技場1600m左回り!天気も良好、バ場状態も良さそうです!』

 

大番狂わせの多かったマイル部門の決勝だったが、1番人気だけはこのウマ娘だと誰もが疑わなかった。

 

『一番人気は当然8番アグネスタキオン!準決勝ではサイレンススズカを破り、レコードと0.2秒差でのゴール!怪我から今日まで沈黙を貫いてきていたウマ娘が期待に応えて栄冠を手にするのでしょうか!』

『文句無しでの一番人気、今の彼女が見ているのはニューレコードだけかも知れませんね』

 

一番人気のタキオンは最後のレースである事を隠したままファン達に最後のファンサービスをしていたが、スタンドの最前列にスカーレットやスピカの面々を見つけると其方に近づいて行った。

 

「やぁ、今日はお手柔らかに頼むよ」

「スズカとウオッカは準決勝の時とは全く違う。その余裕もきっと見れなくなるな」

「ハッハッハ、それを待ってたんだ。そうでなきゃ、私の最後の実験も張り合いがないってものだよ」

 

沖野はタキオンの言う『最後』という言葉に引っかかっているが、タキオンの目は浮かない表情のスカーレットに向いていて、タキオンが両腕を伸ばして垂れた袖越しにその頬をグニグニと弄り回すとスカーレットも目を細めた。

 

「にゃんれすか…」

「君にそんな顔は似合わないよ。君は一番になるんだろう?なら今日の私の走りをしっかりと見ておくといい、君なら私みたいにはならず同じ走りが出来る筈だ」

「走れなくなってでも、タキオンさんが走る理由って何なんですか……?」

「私の夢を叶える為さ」

 

このレースでウマ娘としての最後を迎えるのに笑っているタキオンにスカーレットが未だ知らない走る理由を訊ねると、タキオンも自分の夢を叶える為だと応えた。

 

それが質問の答えとしては不十分だとは承知していたが、本人には怪我の事を伝えるつもりがなかったタキオンは「そうだ」と言って勝負服の白衣を脱ぐと、綺麗に折り畳んでからスカーレットに手渡した。

 

「持っていてくれないかい?私がウマ娘だったという証明、魂の造形とも云うべき物だ」

「で、でも…!」

「なぁに、心配いらないさ。元より他の子達よりも重い勝負服なんだ。今更脱いだくらいじゃ何も言われないよ」

 

ウマ娘にとって勝負への拘りを形取った勝負服をタキオンがスカーレットに託し、黄色のベスト姿のままゲートに向かって行くとスカーレットもその背中を見ることしか出来なかった。

 

今回が最後のレースだとスカーレットには言わなかったタキオンは先輩の気紛れだと捉えられていると思っていたが、スカーレットには勝負服を受け取ってしまった事がよりレースに出られない事への後悔に繋がっていた。

 

「なぁスカーレット、最後って何のことだ」

「……タキオンさん、私と同じ怪我で本当はレースに出れる状態じゃないんです」

「ハァ!?まさか皐月賞の時の怪我か!?なら止めないと走れなくなるぞ!?」

「待って!」

 

事情を知っているスカーレットに沖野もタキオンの怪我の事を聞かされ、レースどころではないと運営に確認させようとしたがスカーレットは駆け出そうとした沖野の服を掴んで止めた。

 

「今日だけは……このレースだけはタキオンさんに走らせてあげて」

「だけど彼奴だけの問題じゃ…!」

「タキオンさんだって凄く悩んで決めた筈なの。それを今邪魔して、もう走れなくなったらタキオンさんの夢がずっと叶わなくなる。だから……走らせてあげて」

 

レース中の怪我は命にも関わる。それはタキオンも沖野も、スカーレットも百も承知しているがタキオンはレース前の検査は通っていて、運営側は出走可能だと判断している。

 

検査さえ通ってしまえば出走する事自体は問題ない。しかしレース中に怪我が悪化して転倒でもすれば後続のウマ娘達にも危険が及び、一人の我儘の為に全員を危険にはできない。沖野はそう判断して振り切ろうとしたが、「何やってんだ?」とターフにいるウオッカが2人に声を掛けた。

 

「タキオンは怪我をしているらしい」

「ん?知ってるけど?」

「っ、知ってたのか!?」

「そりゃ、本人がさっき言ってたし」

 

タキオンが会場に姿を表す前、ウマ娘しか居ない控室は騒然としていた。

 

『実は予選の時から怪我していてね。もしも私が無理だと感じたら大外に出るつもりだから、無視して構わないよ』

 

怪我をした状態で走っていたと突然聞かされたウマ娘達は無責任だと叱責したが、タキオンはそれには反論しなかった。

予選と準決勝は確実に走り切れる確信があったが、爆弾を抱えていたことには変わりない。そして決勝では更に悪化させるのだから、他の走者が反対するのならタキオンも諦めようと考えていたのだ。

 

しかし、運営に報告すべきだと息巻くウマ娘達に対してタキオンの前に立ったスズカは「怪我してても私達には勝てる、そう思って出ていたんですよね?」と周囲を煽った。

そういう意味ではなかったタキオンもスズカの意図を汲み、「怖かったのは君くらいだったけど、あの様子じゃ今日も勝てそうだよ」と煽り返すと周りのウマ娘達の意見は一転して参加させる方に転がった。

 

『ここまで自分達のことを舐めているのに、誰も勝てずに勝ち逃げされる位ならレースに出させて負かしてから報告すればいい』。屈辱と怒りで燃え上がったウマ娘達は先に控室から出て行き、タキオンは「ありがとう」とスズカに礼を言ったが「スピードの向こう側を見せる為ですから」と挑戦的な言葉をスズカも残していた。

 

その事をウオッカが沖野に話すと、沖野もレースに出るウマ娘も分かっているのならと報告に行くのは止めにした。

 

「スカーレット」

「何よ?」

「お前、タキオン先輩の事応援してやれよ」

「……駄目よ、私はスピカのメンバーよ。それにアンタの指導もした、これでアンタが負けようものならアタシが」

「絶対にお前が手を抜いたなんて思わねぇ。だからお前はタキオン先輩の応援をしろって」

 

そう言ってウオッカはスカーレットに向けて拳を突き出し、誰を応援するべきかと悩んでいたスカーレットも気の利くライバルを持ったと笑って拳を出して互いにぶつけ合った。

 

「負けんじゃないわよ」

「おう!」

 

「『大外18番5番人気ウオッカもゲートに入りました!』」

 

ウオッカも最後にゲートへ入るとゲートの中は殺伐とした空気になっているが、一番ゲートにいるスズカはその空気に呑まれることはなく芝の状態を確認できるほどに冷静さを保っていた

 

「『各員ゲートに入り、体勢が整いました』」

 

『絶対タキオンに勝つ』、向正面から始まるレース前の静けさの中でも怒り渦巻くゲートの中でウマ娘達がスタートダッシュを切る為に体勢を整え、ゲートが開くと同時に一斉に駆け出した。

 

「『今レースがスタートしました!先頭に躍り出るのはやはりサイレンススズカ!』」

 

逃げに有利な一枠を取ったスズカはスタートと同時に他のウマ娘から身体一つ分抜け出し、また大逃げを見せるかと思いきやサイレンススズカは2番目との差をキープしながら直線を駆けていた。

 

『走り方が元に戻った』、観客も一度敵わなかった相手の為に作戦を変えてきたスズカに歓声を上げた。しかし予選と準決勝で既に勝負したことがあるウマ娘達は焦る事はなかった。

 

下手に大逃げをされてペースを乱されるよりも視界に捉えている方がペースを調整し易い。予選では敗北したサウスフライもスズカに狙いを定めてはいるが、それ以上に危険視しているのは既に集団の先頭を取っているタキオンだった。

 

「その後ろ5番ダイタクヘリオス!その1馬身後ろに8番アグネスタキオン!」

 

控室ではスズカの口車に乗せられたが怪我した状態で予選と準決勝を勝ったタキオンの速さは本物。怪我というのが嘘なのかと疑いたくなる程の快速ぶりに、加減どころか全力で掛からなければ置いていかれると直感で理解していた。

 

『憎たらしいけど、速さは本物』という共通認識が競い合うウマ娘達に流れる中、タキオンの瞳は前を走るスズカだけを捉えていた。

 

「サイレンススズカが後続を引き連れて第三コーナーへ!ダイタクヘリオスが少しずつ下がる中、後方からは大外を走るウオッカが早くも上がって来ている!」

 

中距離部門で好成績を残した親友のメジロパーマーのように逃げていたダイタクヘリオスもスズカのハイペースの前に敗れ、第三コーナーに入ると共にタキオンに抜かれた。

ヘリオスは自分を抜き去っていくタキオンの必死の表情を横目で見たが、其処にはレース前の余裕はカケラも感じられなかった。

 

ただでさえ歩くのにも支障をきたしているのに、ヒールのある靴で全力で芝を蹴っているのだから一歩踏み出すだけでも左足全体に痛みが響き、次の一歩を踏み出す為に力を込めれば込めるほど痛みは増していく。

 

額に汗を滲ませ歯を食いしばり痛みに耐えながら更に速度を上げていくタキオンを「ヤバたん過ぎ」と心の内で褒め称え、ヘリオスは集団の中へと呑まれていった。

 

「『先頭は依然サイレンススズカ!しかしアグネスタキオンが脅威的な速さで差を詰めていく!続くウオッカもその背中に食らいついている!』」

「いいぞウオッカ!」

「そのままコーナー抜ければ勝ち目はあるよ!」

 

早々に上がりタキオンの背後に付くことで空気抵抗を減らし、少しでも走りやすさを確保したウオッカはタキオンに離されることなく追えていたが内心ではその速さに驚愕していた。

 

既にウオッカが直線で出せる全速力でタキオンはスズカを追っていて、内側をなるべくキープしようとするタキオンを追おうとする足に掛かる負担はいつもの数倍にも感じている。

 

タキオンがその負担に耐えられる筈がなく、現にタキオンはウオッカ程に力は入れてはいなかった。タキオンの走りを研究したシャカールがタキオンの速さに応じた力のベクトルの推移を導き出し、極限まで無駄を省いた走りは軽やかなステップを踏んでいるようにも見える。

 

ウオッカが苦手だと省いてきた知力をタキオン達は全面に押し出し、持ち味を更に活かしているタキオンとの差を身を持って体感しているウオッカはそれでも頭は上げなかった。

たとえ勝敗は既に決していたとしても、今日この日を走れなかった大切なライバルの想いを背負っているのに諦める訳にはいかなかった。

 

「負けてたまるかァァァッ!」

「『アグネスタキオンがウオッカを引き剥がし、サイレンススズカの後ろを完全に捉えた!大欅を超え勝負は第四コーナーへ!準決勝での雪辱を晴らせるかサイレンススズカ!』」

 

高速で走りながらも内を走るスズカを避ける為、タキオンは少しずつ外側へと位置を移動させ、左足の感覚がなくなってきたのを好機と判断してタキオンは更に上がり始めた。

 

「『第四コーナーを抜けて逃げるサイレンススズカ!だが既にアグネスタキオンが並んできている!1馬身差のウォッカも追い縋るが前を走る二人は次元が違う!』」

 

普段の走りを取り戻したスズカ相手でもクビ差、ハナ差と詰めていくタキオンに観客は盛り上がっているがスピカの面々はそれに同調する事はなかった。

 

「『直線に入り二人が並んだ!アグネスタキオンがサイレンススズカを捉え、少しずつ上がってくる!準決勝同様アグネスタキオンが高速勝負を制してしまうのか!』」

「いや、いけますわ!」

「後は直線だけだよスズカ!」

「『残り500m!逃げ切れるのかアグネスタキオン!差し返せるかサイレンススズカ!』」

 

まだサイレンススズカはまだ足を残しているのだから。

 

 

 

久し振りの感覚、一体何年振りなんだろう。

 

走っているのに足の感覚が少しずつ無くなって、空気の流れを完全にコントロールして私自身も風になったかのような心地よい速さ。

もう見れないと思っていたこの速度域での光り輝くターフがゴールまで真っ直ぐ続いている。

 

後ろなんて関係ない、私はこの道を全力で駆け抜けるだけ。それが私の夢なのだから。

 

「『サイレンススズカが此処に来て急加速!あの速さで足を溜めていたサイレンススズカ!やはり彼女は常識では測れない異次元の速さを隠していた!』」

 

秋の天皇賞ではコーナーでこの加速をしたから足が負荷に負けて保たなかったけど、直線なら確実に耐えられる。

 

私が目指した『スピードの向こう側』に辿り着くと視界に映るモノは瞬く間に端の方へ消えていき、100mさえも一瞬に感じる。だというのに、視界の端に映るタキオンさんの痛みに苦しむ顔は消えてくれなかった。

 

「『アグネスタキオンも差を開かれまいと必死に追い縋る!異次元の走りにも彼女一人が立ち向かっている!』」

 

一体何が貴女をそこまでさせるの?この速度域は今の私でも油断すれば足が掬われるというのに、その足で付いて来るなんて並大抵の精神では痛みに心が折れる筈。

 

何が貴女をそこまで破滅に駆り立てているかは私には分からない。足を壊してでも貴女がこの速度に手を出しても、ウマ娘の身体とはいえ構造上これ以上の速度は出せない。

つまりこの速度に先に辿り着いた私の勝ちは揺るがない、スピードの向こう側に逆転なんてないのに。

 

「『残り200m!先頭を走る二人の差は縮まることが無く膠着している!』」

「スズカさん頑張れェェ!」

「行けェェ!スズカァァ!」

 

私の背中を押してくれる人達の為に、私は勝たなきゃいけないの!

 

 

 

スピードの向こう側、確かに君が拘るだけはあるよ。私一人では決して辿り着けなかっただろう。

これ以上は頑丈なウマ娘の身体でも保たないという見解も間違いではない。現に私の左足は完全に感覚が無くなっている、今走れている事さえ奇跡だ。

 

けど、君は一つ勘違いしている。

 

スピードの向こう側にある限界も所詮は理屈だけの話。限界なんて物はいつだって越える為に存在しているんだ。越えるのが如何に難しかろうが、

 

『タキオンさん、頑張ってェェ!』

 

後輩の声援に応えない訳にはいかないだろう!

 

「『アグネスタキオンが徐々にサイレンススズカに並び始めた!異次元でも超光速は捕らえられないのか!?残り100m、勝負は分からない!』」

 

私の走りの限界に合わせていた筈の勝負服が悲鳴を上げて解れていき、研ぎ澄まされた感覚の中で二度と着れなくなるというのが分かる。少しずつ足の筋が千切れ骨が軋み、私の研究の成果が全て崩れ去っていくのが分かる。

 

それでも私は今この瞬間にウマ娘としての全てを捧げる。どうせ左足は使い物にならないんだ、なら足の一本や二本なんて最早誤差の範囲さ。

 

「『残り僅か、アグネスタキオン差せるか!』」

「これが私の、全てだァァッ!」

 

骨の強度を無視して両足に込めれるだけの力を込めて地面を蹴り飛ばし、スズカ君の前に飛び出るとスズカ君は信じられない物を見るような目で見ている。

 

そう悲観する事はないよスズカ君。私は残り50mの為にこれまで積み上げてきた全てを燃やして限界を越えるんだ。

 

私のように足を壊してでも走る大馬鹿者は一人で十分、君は時代を牽引するウマ娘として彼女の前を走ってくれればいい。『限界の向こう側』に辿り着いた私は一足先に時代を駆け抜けるとするよ。

 

「『異次元を突き抜けたアグネスタキオンが今一着でゴール!タイムは……惜しくもレコードとは0.1秒差!しかしレコードには届かなくとも二人の……はい?』」

 

ウマ娘の限界を超えると共にゴール板を超えると私の足は急に回らなくなり、スタミナも気力も使い果たしてその勢いのまま倒れそうになった。

しかしゴール後を考えてなかったのが分かったのか、スズカ君が減速した私の背に腕を回すと掬い上げるように両足も抱えてくれた。

 

これも自分が救護された事がある経験から学んでいた事なのか、負けたというのに私を抱え運んでくれるスズカ君の瞳には涙が浮かんでいた。

 

「私は速かったかい?」

「……はいっ!」

「『て、訂正します!記録は1:29.6秒、ワールドレコードです!上がり3ハロンは30.9秒!信じられません、次元を超えたアグネスタキオンが私達に新たな夢を見せてくれました!』」

「なら、プランAはこれを持って終了だ」

 

私に負けたのが悔して涙しているのに、スズカ君は笑って喜んでくれているんだ。きっと彼女にも私の走りは伝わっただろう。

 

ウマ娘には無限の可能性が秘められているという事が。

 

 

 

 

「両足とも折れていますね」

「あちゃあ、やっぱり駄目だったかー」

 

前人未到の上がり3ハロン30秒台に乗り、1600mでのWRを叩き出したアグネスタキオンは医務室に連れて行かれ、医師の診断結果を聞くとタキオンは露骨に肩を落としていた。

 

「寧ろよく走り切れたいうべきです。特に左足の関節は恐らく後遺症が残るかと」

「足が折れてもいいように残り50mまで足を溜めていたから、走り切れた事自体は不思議でも何でもないよ。それよりも右足も駄目となると」

「ライブは無理ですね……」

 

医務室でタキオンの診断結果を一緒に聞いているのはカフェとスカーレット、トレーナーとの契約が名義だけの物だと勘付いた沖野。そして、

 

「無理とは言わせないぞ、アグネスタキオン」

「生徒会長がいつにも増して厳しいけど、カフェが何かしたんじゃないのかい?」

「トレーナーから名義だけを借りるなぞ、本来ならば記録取消が妥当な違反だ。そうならないだけ僥倖だと思う事だ」

 

ライブへの参加が記録取消にしない条件だと告げにきたシンボリルドルフだった。

 

タキオンがURAファイナルズに出場する為だけに再契約したトレーナーが『足を折ってでも』というタキオンの凶行を止めず、周りに危険を及ぼしていたのは重大な規約違反。

 

しかし『走っている時には気付かなかったけど、折れてしまっていた』だけなら、ルドルフも言い訳の一つや二つを運営に報告することも出来る。

歌は歌えるのだからライブへの出演を断ったりしないだろうと脅しを掛けに来たルドルフに対し、タキオンの様子は普段と変わらなかった。

 

「仕方ない、その条件を呑もう」

「でも今すぐ病院に行かないと…!」

「別にいいんだ。生徒会長も私の敵として来た訳じゃない。十分なくらいの譲歩を見せてくれたんだ、私も最後のライブくらいは自分でッタァァァ!?」

「何を格好付けてるんですか…」

 

何とか自分の力で立ち上がろうとタキオンは足に力を込めたが、左足から来る激痛に悶えて声を上げるとカフェも呆れていた。

 

最早立ち上がる事すら叶わない。自分の意思でその道を選んだタキオンにケジメをつけさせる為に来たルドルフは「覚悟を決めた方が君の為だ」と言い残し、医務室から去って行った。

沖野も何とか立ち上がらせる方法を考えたが、痛み止めや麻酔でも骨折しているウマ娘を踊らせることはできない。

 

此処まで無理をして出した記録を何とかして登録させてやりたいと思っていたが、ルドルフの言葉の意味を理解していたタキオンは自分の計画が見透かされていた事に笑みを浮かべていた。

 

「すまないが三人にして貰えないかな?」

「え、俺も残るのか?」

「勿論、スカーレット君と沖野トレーナーに大事な話があるんだ」

 

何か策をと考えていた沖野だったがタキオンはカフェと医師に部屋の外に出るように頼み、二人ともそれを快諾して外に出ると部屋に残ったのは三人だけになった。

 

「何か思い付いたのか?」

「思い付いた、というよりも初めからそのつもりだったんだよ。とはいえ、以前までは私と沖野トレーナーは全くの無関係だったし私にはその資格が無かった。でもようやく決心がついたよ」

「一体何の話をしてるんですか?タキオンがライブに出る話じゃないんですか?」

「ああ。もう時間が少ない、率直に言おう」

 

ライブまで残り時間も少ないタキオンはずっと温めてきた話を二人に告げると、二人は声を上げて驚いた。その反応も想定内だったタキオンは二人に詳細を話し、突拍子もないが思い付きで話している訳ではないのは二人にも理解できた。

 

僅かにあった点と点が線で結ばれていき、タキオンの奇行がその理想に繋がっていたのだの分かると、二人は真剣に悩み始めた。

将来に関わる大事な選択であり、タキオンも中途半端にしない為にURAファイナルズを走り切ったのだからどう転んでも後悔はなかった。

 

そして、二人は答えを出した。

 

大勢の観客がレコードを叩き出したタキオンを待ち望む中、ファンファーレがなる前にステージの最前列の装置が動き出し、観客がいつもと演出が違うとざわめいてきたが奈落の下から現れスポットライトに照らされたのは車椅子に乗ったタキオンだった。

 

「『やぁファンの諸君、随分と待たせて悪かったね。やっと準備が終わったんだけど、その前に私の話を聞いて欲しいんだ』」

 

普段と変わらない喋り方をしているタキオンだったが、その両足に巻かれている包帯が新記録を出すための代償だったというのは誰もが察していた。

 

「『ウマ娘の可能性を導き出すプランAを完遂した私は今日を以ってレースは引退する。私の足は二度と走れない程に壊れてしまった。元々頑丈ではなかったけど、あれだけ無茶な走りをすればそれも当然だろう』」

 

突然の引退宣言に会場全体が騒めきだし、立ち上がれなくなったタキオンの姿をVIPルームから見下ろしているルドルフは隣に居るエアグルーヴでさえも底冷えする程に威圧感を放っていた。

 

チラホラと「やめないで欲しい」という声が上がる中、ルドルフの視線に気付いたタキオンは視線を上げると不敵に笑った。

 

「『だが、悲観しないで欲しい!諸君らも見ただろう!誰もなし得ないと思われていた上がり3ハロン30秒台という夢を、ウマ娘達の果てがないと思われていた夢を私は叶えたんだ!』」

 

観客の不安を吹き飛ばす程陽気に笑いながら夢を叶えたと誇るタキオンに観客は圧倒された。

 

怪我で走れなくなったというのに悲観するのではなく、成し遂げた事を誇るタキオンの姿はこれまで怪我で泣く泣く引退してきたウマ娘と余りにもかけ離れていたのだ。

 

「『巷にはタキオンタイマーなどと言う不名誉な称号を与えられた子達もいると聞いているが、その子達も誇るといい!その称号は今日を以って『怪我で早期に引退したウマ娘』から『再びターフに舞い戻り、並み居る強豪を抜き去れる可能性を秘めた優秀なウマ娘』という意味に変わった!私がそれを証明し、この場にいる全ての人が証人だ!』」

 

一度はターフを離れていたタキオンが再び走ろうと決意したのは、ウマ娘の多くが自分と同じ怪我をしていると気付き、早期に発症したウマ娘はタキオンタイマーと呼ばれている事に憤りを感じた事。

 

そして、自分とよく似た走り方をするスカーレットも発症する可能性を秘めていたからだった。

自分だけならまだしも、からかい半分で他のウマ娘達に揶揄される事を嫌ったタキオンはその称号を安易に付けられるモノではないように変えるべく、自らの足を犠牲にしてでも走り切った。

 

もう走る事を諦めてしまったウマ娘もいる。だがこれからまだ走りたいと願っているウマ娘に希望を与えるタキオンの言葉はスカーレットの胸にも響いていた。

 

「『たとえどれだけ他の子達が輝こうとも、時代を駆け抜ける流星の輝きには敵わないものさ!そして私が新たに始動させるプランBとは、今はまだ輝き方を知らない岩石達を私がターフに導き、新たな流星へと生まれ変わらせる事!』」

 

『私がターフに導く』、タキオンが表舞台で語る最後の啖呵を聞いてルドルフは表情を和らげ、「見事だ」と期待通り人々を魅了する輝きを放ったタキオンに拍手を送った。

 

「『私はこれからは『トレーナー』としてウマ娘達のサポートをする事にした!』」

 

そう言って一枚のカードを高く掲げるタキオンの手元にカメラが向けられると、バックにある巨大な画面にはトレセン学園公認のトレーナーである免許証が握られていてその場にいる誰もが声を上げて驚いた。

 

トレーナーの、それも中央で活躍する為の資格は合格率も低ければ競争率も高い狭き門。それを学生にして取得するのは常軌を逸した天才か、常識外れの狂人のどちらかでしかない。

 

「『そしてつい先程一人のウマ娘と専属契約も交わした!私の代わりに、だがいつか必ずこの舞台へ自力で上がってくる子にライブの代役を頼むことした!』」

 

もう誰もタキオンが引退する事を悲しんではいない。走れなくなっても夢を忘れず、ターフに何の未練もなく自由に生きているタキオンを慰めの目で見る事ほど意味のない事は無いからだ。

 

タキオンからスポットライトが外され、ファンファーレが鳴り始めると皆が誰に最初の矢が向けられたのかと期待し、同じ舞台で踊ることになるウマ娘達はタキオンがそれほどの期待を寄せたウマ娘に視線を向けた。

 

そして舞台下へと下がっていくタキオンに対し、舞台装置によって上がってきたスズカとウオッカに挟まれたウマ娘は、遠目でも分かる腰丈以上の長さのツインテールに普段の勝負服の上にタキオンに託された白衣を身に纏い、名誉の称号を持つ者の中で一番タキオンに近い存在。

 

「『位置についてー!』」

 

タキオンのコールに導かれるウマ娘は自分が新たなステップを踏み、先に進む為に専属契約に合意した。たとえライバルと違う道を走ることになったとしても、それが自分が夢を叶える為に必要な経験だと分かったからだ。

 

「『よーい!』」

 

両隣の同じチームに所属する先輩と同期、そしてライバルでもある二人に目配せをし、同じチームとしては最後になるライブの準備ができているか確認をした。

 

『一番になる』、ライバルとの競争を知る前に胸に抱いていた夢を叶えるべくそのウマ娘は先輩として誇るタキオンに付いて行くと決めた。

 

「『どん!』」

 

タキオンと運命共同体の証である専属契約を交わしたウマ娘『ダイワスカーレット』が、自身に『同じ舞台に立つ』という誓いを立てるべく今走り出した。

 

 

 

 

 

「結局、カフェ先輩は何でタキオンさんに協力したんですか?」

 

新しいチームの設立の準備として実験室の片付けを進めていたスカーレットが二人の実験室に入ってくると、慣れない杖を使った歩行に疲れたタキオンを膝の上で眠らせているカフェに対してそう訊ねた。

 

シャカールは足を折る前提のタキオンのデータを「使えねェ」と一言吐き捨てて破棄したが、結局カフェが何かをタキオンに要求している様子が無かったから気にしていたのだ。

 

「本来は実験室を全部私の部屋にしてくれる筈だったのですが……こんなに広い部屋を貰っても仕方ないので断りました…」

「そうなんですね。でも、大変じゃなかったですか?タキオンさん何かに興味を持つと其方にフラフラ歩いて行っちゃいますし」

「ええ、大変だった……それこそいつも勝手に何処かに行ってしまうから……」

 

カフェは静かに寝息を立てているタキオンの髪を撫でているが、その手付きは手慣れたものでスカーレットにも二人の間にあるのが固い絆である事が分かった。

 

「何でタキオンさんがURAファイナルズを走ったか、知りたいですか……?」

「え?夢を叶える為じゃないんですか?」

「それもですが……一番は貴方の為みたいですよ…」

 

タキオンが無理をしてまで走った理由が自分の為だと知り、スカーレットは驚いているがカフェは淡々と語り続けた。

 

「タキオンさんがずっと一人で研究していた頃、ターフを諦められないという想いを誰にも理解されず孤独だったみたいです。ですが、貴女は他の子達とは違い理解しようとしてくれた。それが嬉しかったみたいです……」

「たったそれだけの為に、ですか?」

「……要は貴女の前で先輩として格好付けたかったんですよ」

 

皐月賞だけで断念する事になったタキオンの後悔は誰にも理解されなかった。けれどスカーレットだけはタキオンの後悔ではなく、その先にある未来に興味を持ち応援した。

 

まだ時間があるスカーレットに同じ道を歩ませたくない。だから自分が破滅の道を最後まで走り切り、その道から得られるモノ全てをスカーレットの糧にしようとしたタキオンにカフェは呆れていた。

 

「この人は我儘で子供で、幼稚ですがちゃんと考えは持ってる人なので支えてあげてくださいね……」

「……はい!」

 

誰よりもタキオンの暴走を見てきたカフェは寂しがりな天才を支えるようにスカーレットにも頼むと、スカーレットも満面の笑みを咲かせてからまた新たな部室へ荷物を運びに行った。

 

スカーレットの足音が遠ざかっていくと眠っていた筈のタキオンはパチリと目を開け、膝枕をしているカフェに視線を向けた。

 

「……何で言っちゃうかなあ〜!?」

「貴女が寝たフリなんかするからです……」

 

カフェに甘えていたのが恥ずかしくてタキオンが寝たフリをしていると、カフェが勝手に秘密を全て話してしまい、スカーレットが居なくなってから散々な言われように対して抗議したがカフェは飄々とした態度を崩すことはなかった。

 

「私は一体どんな顔をしてスカーレット君に会えばいいんだよ!?君の所為だぞ、責任を取り給え!」

「そうですね……なら私も貴女のチームに入ります…」

「……えっ!?」

「だから、チームに入ると言っているんです……」

 

タキオンは駄々を捏ね得るように手足を振り回してカフェの気を引こうとしたが、カフェから予想外の提案をされるとすぐに身体を起こしてカフェと顔を突き合わせた。

 

トレーナーとしては未熟なタキオンはまずはスカーレットの専属契約から、ゆくゆくはチームを発足するつもりだったがチームを作る前から希望者が現れた事に歓喜した。

 

「やったぁぁ!これで部費も請求出来るしスポンサーも…!」

「まぁ、クラシックには出れませんし貴女とは違い長距離向きなので教えられる事はないと思いますが、人数合わせだと思ってください」

「何を言っているんだい!走るからには有馬だろうが、天皇賞だろうが目指すに決まっているだろう!」

「貴女に出来るんですか…?」

「勿論さ!」

 

だが、カフェ自身もタキオンに望んでいたのは広い部屋でもモノでも、ましてやデータでもない。

 

「君に出来る事を、私が導き出してあげようじゃないか!」

 

かつては同じ三冠ウマ娘を夢見て、楽しげにレースについて語るタキオンの屈託の無い『笑顔』をもう一度見たかった。

 

そして、タキオンがトレーナーとして新たな門出を迎えて楽しげに予定を考える姿にカフェは微笑んだ。

 

「何を笑っているんだい?」

「別に……」




私達の道は細い糸の様。

誰が何処で解れ、切れてしまうかわからない。

でも切れない限りは私達はウマ娘として走り続けるとも決めた筈。
不退転、一度舞台に上がったのならその使命を果たしなさいエル。

同じ黄金世代として、私との勝負から逃げる事は許さない。
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