それはエルコンドルパサー、セイウンスカイ、スペシャルウィーク、キングヘイロー、グラスワンダーを中心とした最強と名高い世代の為の称号。
5人での全部門制覇を持ち掛けたエル、それを拒絶しエルとの勝負に拘ったグラス。何の為に走るのか、誰と一緒に走るのか、お互いにぶつかり合う想いの答えはURAファイナルズの舞台にしかない。
「『最初に第3コーナーに差し掛かる先頭はスマートファルコン!しかしそのすぐ後ろではタイキシャトルが前を狙っている!』」
グラスがどうしてそこまで私が走れない事を気にするのか分からなかった。最後に皆で思い出を作りたかっただけなのにどうしてあんなに怒るのか分からなかなかった。
「『先頭集団は第3コーナーに入り、早くも熾烈なデッドヒートを繰り広げている!最後方の一番人気グラスワンダーは絶不調のエルコンドルパサーを追い掛けているぞ!』」
エルが何故走るのを辞めたがっているのか、私にはまだ答えが分からない。あんなに走るのが大好きだった貴女が、こんなに後ろで何を考えているのか私には分からない。
「グラスの馬鹿…!」
けれど、勝利よりも大切な何かが他にあるとすればそれは此処にしかない。
エル一人を此処に置いてなんていかない。
トウィンクルシリーズに於いて優秀な成績を残した者が出場可能な新設されたトーナメント、URAファイナルズ。
トレセン学園理事長『秋川やよい』、同校生徒会長『シンボリルドルフ』が主体となって開催まで急ピッチで調整が進められ、運営は各選手の出場権の選定やチーム間での調整に追われたが無事に期間内に終わらせることができた。
そうして秋川が全校生徒に向けてURAファイナルズの案内の放送を流し、学園中に詳細が張り出されると多くの生徒達が興味を持った。
ライバルとの決着を付けたい者、己の道を見極めたい者、夢を叶えたい者。理由は様々だがG1レースに相当して最初の冠を手に入れようとする者達は闘志を燃やしていたが、その中でもカフェテリアに集まり同じテーブルを囲んでいる五人はその誰もが優勝候補だった。
「URAファイナルズ?理事長が言ってた奴だっけ?」
「そうデェェス!」
「キングであるこの私が勝つに決まってるレースで話って何かしら?」
「エル〜?そろそろ理由を話してくれないかしら?」
『黄金世代』。
エルコンドルパサー、セイウンスカイ、スペシャルウィーク、キングヘイロー、そしてグラスワンダー。
誰が最初にそう呼んだか、同時期にデビューし互いをライバルとして競い合い栄冠を奪い合ってきた五人は他の世代と比べても総合的にレベルが高いウマ娘だ。
だが、普段は友人として和気藹々としていてエルコンドルパサーがURAファイナルズに関して話があると声を掛けると、四人もカフェに集まってテーブルを囲んでエルの話を聞く事にした。
「まず大事な話デスが、URAファイナルズ出たくない人挙手ッ!」
「……そんな人居るのかしら?」
エルがURAファイナルズに出たくない人が居るか確認を取ったが、キングの言う通りURAファイナルズはウマ娘達の新たな晴れ舞台。
出たくても出られない者は居ても出たくないというのは余りにも稀で、誰も手を上げないことにエルも胸を撫で下ろしていた。
「これはあくまでも確認デスよ。出たくない人が居たら無理をさせてしまうのは悪い事デスし」
「どういう事?」
「URAファイナルズ最初の栄冠、私達で総ナメにしてやりませんか!」
エルがテーブルを叩きながら勢いよく立ち上がり、URAファイナルズの全部門を五人で優勝しようと声を大きくして四人に持ち掛けると、同じカフェに居たウマ娘達も含めて全員が耳を疑った。
黄金世代はその誰もが優勝するだけの実力を持っている。その五人が別々の部門に出場すればエルの言う通り、黄金世代が最初の栄冠を総取りする事も決してあり得ない話ではないからだ。
「うーん、でも誰がどのレースに出るの?」
「キングは短距離しか出れないし、ワタシはダートにも出れる。適性から言えば長距離中距離をスペちゃんとセイちゃん、マイルにグラスが出てくれれば全然狙える筈デス!」
「短距離だけというのは余計よ。でも面白い話ではあるわね」
「みんなで表彰台に立てるなんて夢みたい!ね、グラスちゃん!」
「……確かに夢のようですが、談合だと疑われるのでは?」
「別にワザと負けろとか言ってる訳じゃないデスし、相手に応じてレースを回避するのは立派な戦術デス!」
自分の経歴を守る為に無理のあるレースを回避するウマ娘は少なくはない。其々の出走する部門を事前に決めるのもその一つだとエルが説得すると、「そうですね〜」とグラスはエルの提案を否定する事はなかった。
「そうなると、スペちゃんはどっちに出たい?」
「私は……そうだなー、長距離にしようかな。でも3200mとかになったらどうしよう?勝てるかなー?」
「スペちゃんなら勝てるって。それじゃあ私が中距離で、グラスちゃんがマイルって事でいい?」
「私は構いませんよ〜」
「決定デスね!それじゃあ必勝、全勝、優勝デェェェス!」
「おー!」
エルの音頭に合わせてスペシャルウィークも拳を上げてやる気を見せていて、スカイとグラスは二人を見てニコニコと笑っているのをキングは敢えて口には出さず紅茶を飲むだけだった。
黄金世代が全部門に出るという噂は瞬く間に学園内外問わずに広まり、記者達もトレーナーや関係者に確認を取る中、チームリギルのトレーナーである東條ハナはグラスが持ってきた参加希望の書類を見て眉を上げていた。
「本当に良いの?エルの言っている事はルール上問題無いのよ?」
「構いません。セイちゃんもそのつもりでしょうし」
「……貴女がそう望むのなら、私も運営に掛け合ってみるわ。けど貴女には戦績が無いから厳しいかもしれないわよ」
「ならば走りで証明します」
グラスが持ってきた『ダート』への出走希望はダートでの成績がないグラスには本来出場権が無い部門。
だがアグネスタキオンが無理矢理マイルに出場する話を聞いていた東條は同じ手は使えなくもないとは思っていた。しかしエルとの約束を反故することになる事を気にしていたがグラスの目には既に炎が灯っていた。
「エルの性根は私が叩き直します」
各部門出走者が決まり、エルコンドルパサーは自分達が戦う相手は誰なのだろうと陽気な気分で資料を読んでいたが、すぐに四人をカフェテリアに呼び出して机を叩いた。
「何でグラスがダートに出てるんデスか!セイちゃんも、中距離って言ってたデショ!」
「えー?言ったっけー?」
「せ、セイちゃんも長距離……嵌められた…!」
「だから長距離を選ばせてたのね。良い性格してるわね、全く」
「全然良くない!これじゃあ全部門制覇が出来ないデス!」
広まっていた噂とは裏腹に黄金世代は二部門で出走が重なっていて、グラスが成績の無いダートに出るというのは誰もを驚かせた。
芝とダートでは走り方も大きく異なり、より高い専門性を求められるがグラスは芝での結果を盾に同じ走りをすると豪語し、運営も悩んだ末に出走を許可した。
スカイとグラスが出走レースを変えた事でエルの思惑は崩れ、カフェテリアには悲鳴に似た声が響いていたが目を閉じたまま話を聞いていたグラスが目を開けてエルに向けると、瞳に込められた冷徹な怒りにたじろいだ。
「エル、どうして貴女に出走するレースを決められないといけないの?」
「それは……私達の思い出にしようって」
「その想いは汲み取りますが、それ以前に私達はウマ娘。己の走る道は自分で決める、他人に押し付けられるものではありません」
「っ……」
「最近練習にも顔を見せていませんが、何をしているの?そんな事でURAファイナルズに出る並み居る強豪を降せると思っているのなら笑止千万。相手を舐めるのもいい加減にしなさい」
声を決して荒げず、だが確実に怒りを含んだグラスの言葉はエルの胸に刺さったがそれでもエルは全員での制覇を諦められなかった。
「……だからって、アタシと勝負する必要なんて無いでしょ」
「貴女の性根を治す為に変えたの。確かに砂の経験はないけれど、少なくとも今のエルに負けるつもりはありません」
「グラスの馬鹿ッ!」
グラスならば長距離でも十分に走れる。しかしエルを負かす為だけにダートに出るグラスに対し、拳を握り締めたエルはそう言い残してカフェテリアから駆け出して行った。
スペシャルウィークがすぐに追いかけようと立ち上がったが「好きにさせておきましょう」とグラスが語気を強め、スペシャルウィークも躊躇うとその間にエルは姿を消し、やむを得ずまた席に座った。
「つまり、私達の中で最初に出走するのは私って事ね。最初の栄冠はこの私の物よ、オーホッホッホ!」
「応援してるからねキングちゃん!」
「でも大丈夫?キングってすぐに慌てちゃうし、本番で出遅れたりしないでよね〜」
「そんな事しないわよ!」
雰囲気を変えようとするキングに同調するスカイも想いはグラスと同じだった。長らく機会を得られなかったスペシャルウィークとの勝負に既に闘志を燃やし、場外戦術もお構い無しの勝負を仕掛ける事に躊躇いはなかった。
それぞれが走る舞台が決まり練習を始める中、トレセン学園最強のチーム『リギル』のトレーナー東條ハナはエルを合同練習から外し、出走が近い選手用の個室でルームランナーの上を走らせていた。
「何故練習を休んでいたの?」
「ハァ……ハァ…ごめんなさいデス…」
「謝罪は求めてないわ。貴女にやる気が無いのならチームの枠を空けるだけよ」
チームリギルが最強の称号を保持しているのは当然ウマ娘達が血の滲む努力して成果を残しているから。だが学園を挙げてそのサポートをしているのは『日本ウマ娘』の誇りを守る為だ。
日本のウマ娘達は世界でもレベルが高くエルのように世界に羽ばたくウマ娘も居るが、ブロワイエのように世界から日本に挑戦してくるウマ娘も少なくはない。だが海外ウマ娘に冠を持って帰らせる事は日本ウマ娘の誇りを失うに等しい。
だからこそ、サポートを受けるからには妥協が許されない東條には結果を残しただけで満足するウマ娘を抱えているだけの余裕はなかった。
エルにその兆しがあるのか見極める為に厳しい言葉を掛けているが、エルの言葉からは本心が見えなかったがルームランナーが示す数値がエルの異変を如実に表していた。
全速力でなければまだ2キロも走っていないのにエルは息を上げていて、怠けていたにしても幾つもの栄冠を我が物にしたウマ娘の体力が底を着くには余りにも早かったのだ。
東條がルームランナーを止めるとエルは肩で息をしていて、走っていた姿も今の様子も演技には見えなかった。
「何処か怪我をしているの?」
「ハァ……んっ…特には…」
「本当に?」
足じゃないにしろ怪我を隠して無理をしている可能性も考えたが、エルが嘘を吐くとは思っていない東條は辛そうに頷くエルを信じる事にした。練習をサボっていたのではない、『走りたくない』から練習に来なかったのだと察した東條は事態を深刻に捉えていた。
世界最強になると豪語し、フランスでも結果を残して当代最強と名高いブロワイエに引けを取らない走りを見せたエルの炎が既に消えかけているのだ。
東條はエルの話を聞こうとベンチに座らせてその隣に寄り添った。
「何があったの?」
「……足が震えるんです」
「足が?」
「走っても走っても、ブロワイエと走った時でも最後まで走り切れた足が……」
身体の不調はないと本人が言った。ならば何がエルを蝕んでいるのかと東條は考えを巡らせたが、エルはそのまま言葉を続けた。
「私……もう走り切っちゃったのかもしれないデス…」
「走り切ったって……貴女の夢は、世界最強になる夢はどうするの?」
「……私があのシンボリルドルフに勝てると思いますか?」
「それは……分からないわ」
「あのテイエムオペラオーに、あのマルゼンスキーに、あのっ……スペちゃんに…!」
「……もういいわ」
自分の心を傷付けながら勝てないと思ってしまった相手の名前を涙と共に零していて、エルのマスクに秘められた想いを知っている東條はエルが抱えてしまった心の病の正体に気付き、東條はエルの頭を抱き寄せて言葉を止めた。
『イップス』、心因性動作障害の一つであり大きな失敗やミスに心が引き摺られて普段の動作に支障が出るスポーツ選手で罹る者も多い難病。
ブロワイエに負け、そしてスペシャルウィークがブロワイエに勝った事でエルは自分が分からなくなってしまった。自分は誰の前に居て、誰の後ろに居るのか。誰の為に走り、何の為に走るのか。誰と走り、誰と競うのか。
当たり前だった価値観が当たり前じゃなくなっていく感覚を誰よりも怖がっていたのはエルだった。だからこそ最後の花を咲かせようと一念発起して五人での優勝を提案し、グラス達の手によって最期の夢は散ってしまった。
「URAファイナルズは棄権しましょう。今の貴女が出ても傷付くだけよ」
「……出なきゃ、グラス達に心配掛けちゃう」
「今は貴女の心配をする時よ。グラスも、他の子達も分かってくれるわ」
「それでも……せめてグラスに負けて終わりたいデス。私がずっと勝ちたいって思ってた友達だから」
皆を笑顔にしていた父の様になれる様に弱い自分を鼓舞する為に被ってきたマスクを外し、今にも崩れてしまいそうな笑顔を見せるエルに東條は何も言えなかった。
多くのウマ娘達を育て上げ、多くのウマ娘達の挫折を見てきた東條はエルがどれほど悩んで出した答えが分からないほど人情を捨ててはいない。
負けると分かっていても、自分の前を走っていく友人をターフで見送りたいという気持ちは痛いほど理解できていた。
「エルの最後のレース、走り切れるようにして貰えますか?」
「……勿論よ。もう一度翔けるように私も尽力するわ」
翔けなくなったコンドルをもう一度空高く飛べる様にする為、東條はエルの手を握って約束するとエルももう一度だけ魂を燃やすレースに出る事を決意した。
そうしてURAファイナルズは中距離部門からトーナメントが始まり、有馬記念で復活したトウカイテイオーとビワハヤヒデの再戦が期待される中、前評判を覆す大逆転劇で優勝者が決まると世間は大きく賑わっていた。
「いやぁ、中距離回避して合ってたよー」
「あんな走り方もあるんだね!テイオーさんも凄かったけど、ターボちゃんの絶対負けないって気持ちが凄い伝わってきた!」
カフェテリアに集まった5人は中距離部門優勝者『ツインターボ』が表紙を飾る雑誌を広げて読んでいた。自分の後続全員を掛からせたツインターボ、その流れを読み切り第四コーナーだけで最後方から先頭まで躍り出たトウカイテイオーの決戦は誰にも勝敗が予想できないレースだった。
互いに限界を超え、一歩も譲らない状況で吹いた神風がターボの味方となったが実力に差があった展開ではない事は明らか。だからこそURAファイナルズ最初の栄冠こそターボに譲れど、テイオーの実力を疑う者は居なかった。
「ターボの話してるの!?」
「わっ!?」
雑誌を見ながら五人が話していると、スペシャルウィークの後ろから当事者であるツインターボが話題を聞き付けて五人のテーブルに駆け寄って来た。
隣のテーブルから椅子を持ってきて五人の中に混ざろうとするターボの後ろからナイスネイチャも追いかけてくると、「先輩達の邪魔しないの!」とターボを抱えて行こうとした。
だが「構いませんよ〜」とグラスの当たり障りのない笑みを浮かべながら言うと、細められた瞼の奥から感じるグラスの視線に怯んだネイチャがターボを下ろすとターボは目を瞬かせながら首を傾げていた。
「まずは優勝おめでとうございます、ツインターボさん」
「うん、ありがとう!」
「巧みな戦術、諦めない精神、どれを取っても素晴らしいレースでした」
「へへん、アレがターボの限界じゃないから次はもっと速く走るんだから!」
「そうですか。ならば、その次の機会では是非私とも競って頂きたいですね」
「いいよ!」
後輩とはいえURAファイナルズの中でも注目度の高い中距離部門という大舞台で最初の栄冠を掴み取ったターボに対し、並々ならぬ闘志を燃やしているグラスに一切気付いてないターボは爛漫とした態度で接している。
何とかこの場を切り抜けたいナイスネイチャは乾いた笑いを浮かべていて、「この辺でお開きに」とターボを回収しようとしたがグラスの視線はそれを許さなかった。
「後輩がこうして結果を残しているのだから、私達もより一層の研鑽を積まないといけないわねエル?」
「……あっ、私デスか?」
「エルは一人でしょ〜?」
「あ、あー!ターボちゃんって走るのが好きなんだよね!やっぱりこの記事に書いてるみたいに一番を目指して中央に来たの!?」
「当然、次の相手はシンボリルドルフなんだから!」
「会長かー、大きく出るねー」
「だってターボのファンはそういうのが見たいんだもん!ならターボは絶対勝つ!勝つまで走るって決めてるもん!」
後輩が良い所を見せているのだからとエルのやる気を出させようとするグラスの意図を察し、話題を変えようとしたスペの質問に対してもターボの姿勢は変わらなかった。
応援してくれるファンの為、勝てる勝てないではなく勝つまで走る。勝敗以上に応援してくれる人達の為に走るターボの原動力はエルにも理解できていた。
だが、心の中に穴が空いているエルはファンの期待を受け止められずにいて、暗い顔を見せているとそれに気付いたターボが顔を覗いた。
「調子悪いの?」
「そ、そんな事ないデスよ!エルはいつだって快調な怪鳥デェェス!」
「んー、そうは見えないけど」
「今日は体験入学の生徒が来るんじゃなかったかしら」
「あー!?今日ターボの日なの忘れてた!」
「だから言ったじゃん!それじゃあ失礼します!」
勘が鋭いターボに痛い所を突かせまいとキングがカワカミプリンセスから聞いていた中等部の予定を口にすると、ターボは自分が案内担当日である事を思い出し、今が好機だとネイチャがターボを脇に抱えて駆け出して行った。
無理矢理お開きにした事でグラスは不服そうな態度を見せているが、空元気なエルの様子がただの不調ではないと勘付いたキングとスペシャルウィークはグラスの荒療治が裏目に出る事を懸念していた。
一番のライバルだからこそ立ち直って欲しいという想いを理解しつつも、エルの心が付いて行けなければ無理を強いているだけ。次の短距離部門で出走するキングは気に掛ける必要がある事が増えたと焦る心を落ち着かせ、頂点を取る事だけに視野を絞ることにした。
そうして始まった短距離部門。
優勝を期待されるサクラバクシンオーとギリギリでの勝利を重ねるキングヘイローがお互い無敗で決勝まで上がり、雌雄を決した決勝は誰にも予想がつかない結果だった。
「オーホッホッホ!私が最初の栄冠を手に入れたわよ!」
「キングちゃん本当に凄かったよ!応援してるこっちが怖いくらいだった!」
「普段からアレならキングって感じなんだけどねー」
「ふん、王が玉座から立ち上がるのは有事だけよ」
「じゃあ結構ギリギリだったんだ」
「あ、揚げ足を取らない!」
先頭で後続を置き去りにしたサクラバクシンオーに対してキングは早々に大外から集団を抜き、誰もがここ一番での暴走だと思った。だが第四コーナーを越えてもキングはトップスピードから降りて来ず、そのままバクシンオーを抜き去ると3馬身の差を付けて一着でゴールした。
その場に居る誰もがキングヘイローが発している異様なまでの覇気を感じ取り、勝利は喜ぶモノのではなく当然のモノだと言わんばかりの貫禄はまさに王の様だと称賛した。
五人が囲むテーブルには覇気を発している時のキングが表紙の雑誌が置かれていて、スカイは茶化しているものの友達としてその勝利には本心から喜んでいた。
「本当に凄かったです。見ているだけなのに私まで震えちゃいました〜」
「走ってた私にそんなつもりはなかったんだけど、会う人全員に言われるのよね。そんなに凄かったのかしら?」
「こう、会長みたいな感じだったよ」
「生徒会長?それは光栄な話ね」
生徒会長シンボリルドルフを思わせるキングの覇気も今は鳴りを潜めていて、狙って出せるならとキングも試してみたものの「何で変顔してるの?」と素で目を丸くしているスカイに言われ、コホンと咳き込んでから切り替えた。
「取り敢えず、一個目の冠は手に入れたわよエルさん」
「そうですね!次はグラスとアタシの何方かがダートの冠を取ってきます!」
「エルに譲るつもりはないけど、2つ目は確かに手に入れてきます」
次のマイル部門での出走者は五人の中には居らず、無事に優勝できたキングも少しは気が休まると胸を撫で下ろしていた。
だが悠長に事を構えることはなく、自分の可能性を見出したキングは次は宝塚記念を取ろうと既に中距離での練習を始めていて、キングのトレーナーであるガヴリエラも其処へ向けてトレーニングを調整していた。
五人での休憩が終わればキングも練習を再開したが、2000mを2本走った段階でキングが練習を打ち切ると専属トレーナーのガヴリエラも不思議そうにしていた。
「何のつもりよ」
「何が?」
「この間の私みたいになれって言いたいんでしょうけど、狙って出来たら苦労しないわよ」
普段ならばキングの限界を引き出す為に徹底的に数字で管理されたガヴリエラの指示が「目の前に自分が居ると思って」や「自分の限界を考えないで」等と抽象的になっていたのだ。
キングもその意図にはすぐに気付いたもののその練習に意味を見出せずにいたが、ガヴリエラは意見を変えようとはしなかった。
「意図的に限界を超えられるならそれに越したことはないから」
「簡単に越えられないから限界って言うのよ」
「意図的に越えられるようになればキングは間違いなく黄金世代最強になれるよ」
決勝で自分が放っていたという覇気は本意ではなく、副次的な物だからガヴリエラに拘るのを止めさせようとした。だがそれを極めれば黄金世代の頂点に立てると聞くと、一聞の価値はあると腕を組んでガヴリエラの話を聞くことにした。
「ウマ娘の限界には二種類あるの。一つは肉体の限界、どれだけ本人に意思があろうと肉体の限界だけは越えられない。もう一つは精神の限界、本人がどれほどの恵体でも心が追い付かないんじゃ宝の持ち腐れ」
「へぇ、学園では習わなかったわ」
「だってそんなの当たり前の事だし、ウマ娘でも人でも同じ事が言える。だから誰もが限界まで努力して、頂点を取ろうとする。でも、精神の限界だけは少し違うの」
「違うって?」
「極稀にキッカケを与える事で心のたがが外れて、自分の限界を越えられるウマ娘が居るの。それは誇りの為、家族の為、夢の為、キッカケは人それぞれだろうけど確かに存在するその領域に踏み込めるウマ娘はそれを『
教科書には載っていない都市伝説レベルの話ではあったが、イギリスの名門トレーナー家に生まれたガヴリエラが真剣な面持ちで語っている事から領域の存在は信じることにしたキングは自分がその領域へ達していたのだと理解した。
「よく知ってたわね」
「叔父さんがそれが出来たウマ娘が側に居るって言ってたから。そしてキングはその領域に踏み込めた、流石は奥様の娘だね」
「嫌味な言い方だけど、認めるしかないわね」
キングはアメリカ最強の座に居た母親から生まれ、無茶な走りをしても怪我一つしない恵まれた身体を受け継いだ。
同じ精神の限界を越えられる相手との勝負でも肉体の限界値ではキングに軍配が上がるのだから、ガヴリエラは其処を起点にしようとしていたのだと練習の意図を理解したキングは納得を得ていた。
「『唯一に抜きん出て、並ぶ者なし』。キングは他の子達よりも遥かに恵まれた身体を持ってる。そしてそれを認める事ができたから活かさない手はないよ」
「……ならエルコンドルパサーさんは貴女の目から見てどうかしら?」
「エルコンドルパサー?あの子は長くは保たないよ」
「どうして?」
「あの子はキングと同じマインドセットをしなきゃいけないタイプの子だから。キングがキングであろうとするように、あの子も自分の描く最強の自分を演じてきた。でもキングだって知ってるとは思うけど、人は挫折を乗り超えて成長するもの」
「あの子は現実を知って、最強の自分を演じられなくなったって言うの?」
エルとは他人であるガヴリエラは敢えて気を遣わずに率直な意見をキングに与え、キング自身に答えを出させると頷くだけだった。
キングは何度も挫折を味わい、それでも自分の走るべき王道を探した。それに対してエルコンドルパサーは多くのレースで勝利し、負けても最強であろうとする心がその走りを支えていた。
だがスペシャルウィークがブロワイエを降した事で自分のアイデンティティを失い、それを超えるために仮面を被ろうとしたがその仮面そのものに違和感を覚えてしまった。
『仮面を被らなければ走れない』、自分が決定的に負けているのが自分の幼い精神だと気付いてしまったのだ。
「彼女はある意味領域に踏み込んでたんだろうね。常に自分の限界を超え続けていたからあれ程の強さを誇ってた。だけど今の彼女にはあの仮面は小さ過ぎるんだよ」
「……私はあの子にどうしてあげれば良いのかしら?」
「何も無いよ」
「っ、それだと友達として薄情じゃない!」
「それじゃあキングがレース中に背中を押してあげる?友達にそんな事される方が本人にとっては辛いと思うけど」
「そんな極端な話じゃなくてもメンタルケアとか…!」
「出来るの?あのチームリギルを率いてる東條先輩でもなす術が無くて、私にも頼るくらいなのにその心の病をキングが治せるの?」
東條もエルの心をどうにか立ち直らせる事が出来ないか手は探していた。イギリスの名門トレーナー校を首席で卒業したガヴリエラ、まだ卒業して間も無いが名家の跡取りである桐生院、歳の差など構う事なく手を探していたからエルの状態を知っていたガヴリエラはキングの半端な優しさを咎めた。
「優しさがキングの強みだって事は私も分かってるよ。でも走る事だけが人生だと思ってるなら勘違いしないで。いつかキングだって走るのを止める日が来る。セイウンスカイも、スペシャルウィークも、グラスワンダーも、当然エルコンドルパサーも。キングが本当に彼女を心配しているのならするべきなのは立ち直らせる事じゃなくて、立ち直れないでいる今の彼女に寄り添ってあげる事だよ」
「……」
「あの子は大人になったの。私のキングならやるべき事は分かるよね?」
「……練習は暫く止めよ。身に入らないわ」
「うん。彼女の為に悩んでこそ、私達のキングだよ」
たとえガヴリエラに何と言われようと答えは自分で決めようとするキングにガヴリエラも休暇を与え、エルの為に考える時間を与えるとキングは一旦ターフを離れる事にした。
初めて訪れた友人の最後にどう向き合うべきか、それが分からない王でありたくないキングは友人として、そしてライバルとしてエルに掛けるべき言葉を探し始めた。
それと同時に始まったマイル部門のレースはアメリカ帰りのサイレンススズカ一強だと思われていたが、何年もの間足を溜めてきた伏兵はたった3レースで再び伝説を作った。
「いーたーいー!」
「文句言わないでください……」
予選、準決勝、そして決勝でサイレンススズカを除き後続に大差を付けて勝利したのはアグネスタキオンだった。
クラシックでは皐月賞を取ったものの其処で足を怪我をし、数年間はレースに出なかったが自分を理解しようとしてくれた後輩と不名誉な称号を与えられたウマ娘の為にその称号の意味を塗り替えたタキオンの走りは想像を絶するものだった。
自分だけでは足りないものをスズカから学び、越えられない筈の肉体の限界を意図的に越えた代償に両足を骨折したタキオンは車椅子を押すマンハッタンカフェに連れられて真夜中の医務室に来ていた。
「何処の棚にあるんですか……?」
「私が知っている訳ないだろう」
「……医務の方を連れて来ます。絶対大人しくしててください」
立てなくては研究も出来ないタキオンは寝る前に強めの痛み止めを打とうとしたが、薬品には疎いカフェでは棚に並べられた小瓶のどれが目的の物か分からず、駄々を捏ねるタキオンを置いて医務室を後にした。
駄々を捏ねる相手が居ないと張り合いがないタキオンも黙ってしまったが、月明かりが差し込む窓側のベッドがカーテンで仕切られているのに気付き、怪我をしている子が居るなら是非治験に付き合って貰おうと車輪を回して近付いていった。
そしてカーテンを音が鳴らないようにゆっくり開けると、ベッドで眠っている生徒とは別にもう一人隣で椅子に座っている生徒と目が合った。
「君は……セイウンスカイ君か」
「……」
「そう邪険にしないでくれよ。今の私は人畜無害なウマ娘さ」
「何の用かな、タキオン?」
スカイは無難な表情を浮かべているだけでタキオンとは関わろうとしない態度に「凄い嫌われようだね」と心当たりしかないタキオンは苦笑を浮かべているが、ベッドで眠っている相手には興味があり会話を続けた。
「そこで眠っている子に興味があってね」
「優勝、凄いね」
「おや、黄金世代の君に褒めて貰えるとは光栄だよ」
「足を折ってでも勝つなんて、私じゃとても出来ないなー」
「勝つ必要があったからそこまでしただけ。私は過程を無視して結果を求めただけさ」
「でも走れなくなったら詰まんなくない?どうせならのんびり走れるくらいは加減したら良かったのに」
タキオンを警戒しているスカイをどうやって言い包めてベッドで眠る姫を起こしたものか、そう考えていたタキオンだったがスカイの発言に違和感を覚えた。
「私は走っていたいなー」
そして、スカイもタキオンを言い包めようとしている事に気付いた。逃げは逃げでも変幻自在の走りで相手を惑わせるスカイが巧みに言葉を操ってタキオンを誘導しようとしていたのだ。
だが何故そんなことをするのかと訝しんだが、こんな夜遅くにわざわざ保健室に来てまで話す相手という点から予想を立て、最近の学園内での噂をもとに仮設を組み立ていった。
「聞いてるの?」
そして、そこにで眠っているウマ娘の正体に気づき、スカイの企みに気付いたからにはタキオンも研究者ではなく見習いトレーナーとしての思考に切り変えた。
「そうだね、確かに走れないのは辛い事さ。でも走るだけが人生じゃない。私はトレーナーという道を歩く事にしたし、過去に引退した子達もそれぞれ今の道を歩いているだろう」
「でもそういう人って怪我とかしたからでしょ?」
「そうでもないさ。結果が残せなくて去る者もいれば、結果に満足して去る者もいる。最後まで走って終わらなければいけないなんて道理はないよ」
「ウマ娘は走るのが大好きなんだから走らせるのがトレーナーの役目でしょ」
「それは君の主観的な意見だ。トレーナーの役目は走らせる事ではなく走る為のサポート、走れなくなった子を走らせようなんてする者がトレーナーであってはいけないんだよ」
『走っていればまた気が変わる』、『今は走る気分でなくてもいつかまた走りたくなるのだから引退する必要はない』。
スカイはそれに類する言葉を優勝者であるタキオンから引き出し、ベッドで眠っているウマ娘の考えを変えさせようとしたがタキオンはそれとは反対の意見で真っ向からスカイの言葉を否定した。
スカイのように気持ちを切り替えられるならその意見も間違いではなかった。だがそれは気持ちを切り替える事も才能であると気付いていないスカイの意見であり、そうでないウマ娘に対してそんな言葉を易々と掛ける訳にはいかなかった。
「私は大切な友人をターフに残して先に引退した。だから残される君達の想いは理解してあげられない。だが先に去る者の想いは分かるつもりだ」
「……」
「辛いのが残される者だけだと思わない事だよ。走れない辛さは走れない者にしか分からないんだ」
心を許した友人をターフに残してしまったタキオンはトレーナーという道を歩む事でケジメを付けた。だがスカイが無理にエルを引き止めたとして自分に何が出来るのかと考えた時、競う事しか出来ない現実に気付くと苦虫を潰したような表情を浮かべるしかなかった。
普段は友人として寄り添うことはできても同じターフに立てばライバル。手加減なんて出来ないスカイにとっては楽な相手でも、エルにとってはモチベーションでも勝てない相手に挑むことになる。
ウマ娘としてそれが正しい事なのか、その事情を知らない者から見た時にその姿がどう映るのか、それが状況を悪化させる事は容易に想像が付いたのだ。
「あーあ、やっぱりタキオンの話聞くんじゃなかった」
「それはどうかな?君の求めていた答えはさておき、君は友人の為に想って行動している。それは誇るべき行いだが、次からは相手の想いも汲み取ってあげるといいんじゃないかな?」
「……ホント、らしくないね」
「これがトレーナー全員の総意だよ」
ニシノフラワーにちょっかいを掛けようとしていた時とは違い、トレーナーとして人道を重じているタキオンに調子を崩されたスカイはベッドで眠るウマ娘に「ごめんね」と一言掛けてから医務室から去っていった。
友人を想うあまり傷付けてしまう事態は避けられたとタキオンも肩の荷を下ろしたが、今後はそういった相談が増えてくると思うと気を抜く事はできなかった。
「あの子も悪気は無いし、誰が悪いなんて話じゃない。君は君の答えを見つけるといいよ」
「誰に話してるんですか……」
「おや、いつの間に帰って来てたんだいカフェ。随分と遅いから先輩達と世間話をしてたんだ」
「貴女が?先輩と?世間話?」
「そんな露骨に怪しまなくてもいいだろう?私と君の仲じゃないか。一緒に走れなくても仲良くしようじゃないか」
「……先生が居なかったので今日は痛み止め抜きです」
「うぇぇ!?カフェが頑張って探しておくれよ!」
「嫌です、帰ります」
「タキオンが先輩達と話していたのなら」とベッドで毛布に包まった子の事を考えてタキオンの車椅子を押して出て行き、タキオンの駄々が遠くなっていくとベッドで寝たまま黙り込んでいたエルが起き上がった。
友人が心配してくれている。それはエルにとっても心の支えになっていて、トーナメントを前にしても逃げ出さないのはその支えがあるからだった。
だが競う事になるグラスの側にいることが出来ない自分が心の中にいるのが嫌で、自室に帰る事も出来なくなっていた。
レスラーである父のように勇気を与えられるように、そして勇気を出せるように被り続けたマスクを手にしても思うように力が出せない無力感にマスクを握り締め涙を零した。
「ごめんなさい……グラス…!」
グラスが望む最強の私はもう居ないの。
『URAファイナルズダート部門準決勝全レースが終了、勝者が出揃った!第一レースの勝者はダートであろうと弾丸のように駆ける、タイキシャトル!』
URAファイナルズダート部門の準決勝までが終わり、実況者がそれを聞く人々へ勝者の名を伝えていった。タイキシャトルは予選前から優勝が期待されていたウマ娘だったが、タイキシャトルが一番の強敵だと睨んでいるのは予選では敗北した第2レースの勝者だった。
『そして第二レース!芝に愛されたウマ娘は砂にも愛されていた、グラスワンダー!ダート出走経験無しの前評判を覆し、ナントアルタイルを下したグラスワンダーの圧巻の走り如何でしたか!?』
『予選でも快調で優勝候補だったナントアルタイル一人に狙いを定め、ダートとは思えない加速力で差し切る恐ろしい執念。彼女には走る道は関係がないようですね』
予選、準決勝と勝利を重ねているグラスワンダーに注目が集まりながら準決勝は終わりを迎えた。黄金世代の名に恥じぬ圧巻の走りは雑誌にも取り上げられ、次の日にカフェに集まった5人も回し読みをしてからグラスの健闘を讃えた。
「凄いよグラスちゃん!ホントにダートでも勝っちゃうなんて!」
「芝か砂かなんて関係ありませんよ。私は走りたいレースと真剣に向き合い、己の実力の全てを出しているだけです」
「いやはや、グラスちゃんとレース被らせなくて良かった良かった。一度決めたら意地でも狙ってくるんだもん」
「意地でもスペシャルウィークさんを狙った貴女が何を言ってるんだか」
ミホノブルボンやメジロマックイーンを狙った時のライスシャワーを想起させる執念深い走りは今トーナメントでも遺憾無く発揮されている。
東條と二人で誰を狙うか決めてからは徹底的にマークして相手の隙を狙って差し勝つ、常勝パターンであるものの研ぎ澄まされた刃のような大差しは下手な対策を全て切り崩してしまう。
予選で一度対決して勝っているタイキシャトルが相手だとしてもグラスは一切油断していなかった。
「いやぁ、グラスは凄いデスよ!アタシも見習わなくちゃデスね!」
しかし、予選準決勝と上がってはいるものの下から数えた方が早いエルの言葉にグラスが纏う空気が変わった。
その場にいる誰もが『マズい』と感じ、「そんな事よりもさ」とスカイがグラスが嫌う言葉で気を引こうとしたものの、グラスの眼には自分の事が一切書かれていない雑誌を手にして笑うエルしか映っていなかった。
「見習う?今のエルが私の何を見習うの?」
「そ、それは……頑張ってる所とかデスよ!」
「そんな矮小な次元の話をするつもりで此処に居るの?私達が背負う『黄金世代』という看板は安いものじゃない筈」
「やめなって、グラスちゃん」
「そうよ。そんな看板の為に走ってる訳じゃないのよ?」
自分の立場を改めたスカイとキングは言ってはならない言葉を吐きそうになっているグラスを宥めようとしたが、グラスはそれには聞く耳を立てずエルだけを睨んでいた。
グラスに睨まれた事でエルは怯んでいるものの、今の自分を支えてくれている人達の為に引き下がろうとはしなかった。
「それは分かってる……でもアタシだって負けたくて負けてる訳じゃ…!」
「今の貴方に黄金世代を名乗る資格は無いッ!」
エルの言葉を遮りカフェテリアを越え学園中に届かんばかりのグラスの怒声が響き渡り、その怒声を聞いた誰もが誰に向けられたものなのかは理解していた。
予選前は優勝候補に名を連ねていたエルが今では三番人気にすら入らない。ファンもエルの走りには落胆していて、URAファイナルズを嘗めていたという評価も少なくはない。
グラスとは正反対の結果を残しているエルに対する叱責は『黄金世代』という最強の世代の名を守る為だった。だが自分の今の実力を理解しているエルはそれに文句のひとつも言わずにその席には居られないと立ち上がり、スペシャルウィークが呼び止めると足を止めたものの背は向けたままだった。
「アタシはアタシにできる全力を出してる……!」
「違う、貴方は自分に甘えているだけ!私の知ってるエルはもっと速かった!」
「そうだよ……速かったよ…!」
「なら何故全力を出さないの!何故負けて笑っていられるの!何故…!」
「『いい加減にしなさい』」
グラスは自分の知っているエルに戻って欲しい。その為なら悪役だって買うつもりでエルを叱責していたが、キングが口を挟むとその場にいる誰もが震え上がった。
決勝以来練習でもシンボリルドルフを思わせた凄まじい覇気を出せなかったキングがグラスの言動に耐えかね、二人の友人の為にも止めるべきだと思うと自然と覇気を身に纏う事ができていたのだ。
「黄金世代、確かにその称号は私達を象徴するものよ。でもそれが鎖であってはならないわ」
「力を持つ者には力を保持する責任があります。それがリギルの掟なの」
腕を組んで無駄な覇気を抑えようとしているキングに対して怯む事なく黄金世代を語るのなら相応の力が必要だとグラスは語り、何週間も時間を掛けて出てきたその言葉を聞いて呆れたのはキングだけではなかった。
「……あっそ。それじゃあ私は別にリギルじゃないし1抜けたー」
「私も、此処の席は私の居るべき場所ではなかったようね」
一つに拘ることも囚われる事も嫌うスカイは黄金世代が鎖で繋がれた関係ならば興味は無いと切り捨て、立ち上がるとエルよりも先にカフェが出て行った。
それに続くようにキングも立ち上がり、気を落ち着かせて何とか覇気は抑えたものの「友達だと思っていたのに、残念よ」と言い残して去って行った。
スペシャルウィークは残された二人を何とか仲直りさせたいと思いはするものの、二人の気持ちを理解しつつも着地点を見つけられずにいると先に口を開いたのはエルだった。
「私はもう走れないの……友達なんだから分かってよ…」
周りからの評価はもう気にはしていない。ただ、いつも側にいてくれた友人にまで同じ言葉を掛けられた事が悲しくて、何とか言葉を絞り出したエルはグラスに背を向けたままその場から居なくなった。
スペシャルウィークだけはグラスの側に残っているが、その表情からは勝利し分かち合っていた筈の喜びも、友人と話していて浮かべていた笑顔も残ってはいない。
ただ一人残されてしまう事への恐怖だけがそこには映っていた。
「グラスちゃん……」
「少し……頭を冷やしてきます」
「……うん」
走れなくなる辛さは走れない者にしか分からない。
限界を超える手段を失って心が追い付かない。
友達だからこそ見守りたい。
マスクに頼っていた自分から卒業してしまった。
スカイがエルを立ち直らせる事を諦めた理由も、キングがエルを支える事にした理由も、スペシャルウィークが誰の味方にもならない理由も、エルが走りたくない理由もグラスには分かっていた。
分かっていたからこそ、エルをターフに残していたかった。
黄金世代が此処に来て仲違いをしてしまい、学園内は騒然としているが五人の仲に口を挟める者が居る筈もなかった。
『んだよ、そんなしけた面して俯いてたらUFO見逃すぞスペ!』
一人を除いて。
練習に身が入らない、そんなのは怪我をしていた頃だけだった。いつでも勝利の為に全力で、真剣に向き合ってきた私は五人の中で一番強いという自信もある。
だけど他の四人も自分の実力を遺憾なく発揮し、それぞれがそれぞれの舞台で栄光を手にした。そんな四人を誇りに思っていたし、これからもずっと5人で走っていられると信じていた。
なのに、エルが最初に走れなくなるなんて思いもしなかった。怪我もしてないのに走れないなんて、そんなのはあんまりな話だ。走るのが大好きで夢を与える存在になりたがっていたエルが走る事を失えば、一体エルに何が残る?
エルはこの先どんな道を歩んでいくの?その道に私達は居るの?
『レーダー受信!レーダー受信!グラスハンノウアリ!』
次は誰が走るのを止めて、誰が残されるの?
『おっ!この辺にグラス反応があるぞ!』
最後まで残された子は誰と走ればいいの?
『うおぉぉぉぉ!?ダウジングの棒が離陸しちまうぞ!?』
「……何をしているんですかゴールドシップさん」
今は一人で居たくておハナさんにもお願いして三女神像のある噴水広場のベンチに一人で座っていたのに、さっきから私の周りをウロウロしているゴールドシップさんが目に入って仕方がない。
気分屋の事を気にしても仕方がないと無視するつもりでいたけど、私に用があるというのは十分分かったから私から声を掛けた。
「うぉっ!?ちゃんと居るじゃねぇか」
「何処に目を付けているのかしら?」
「そんな怒んなって。アンタとアタシの仲だろ?」
「特別な仲だった記憶はありませんけど」
奇想天外なゴールドシップさんと深い仲になったつもりないけれど、ゴールドシップさんの方は既に私の隣に座るや否や肩を組んでくる仲だと思っているようで、仕方ないからなされるがままになった。
「それで私に何の用が?」
「いやさ、おハナちゃんの許可がようやく降りたからこれ見せてやろうと思ってな!」
「何ですかそれは?」
随分と馴れ馴れしいゴールドシップさんが持ってきていた袋の中身を取り出したのは、細い竹枠に布地が貼り付けられて糸で固定された凧だった。
それも5枚連続で続いている連凧で、季節からは少し外れているとはいえ無駄に精巧な作りをしているのもゴールドシップさんらしい。
それに5枚の絵柄がどうも見た事がある色味をしていて、おハナさんの許可が取れなかった理由も頷けた。
「これは私達の凧ですか?」
「そう!黄金世代凧だ!焼きそば売りも飽きちまったからな、次は火星まで届く凧で勝負だ!」
レースに参加する筈が何故かいつも焼きそば売りになっているゴールドシップさんは次は土産屋になるつもりのようで、私達の意匠を施した凧を売り出すようだ。
勝手に売り出さないだけ多少常識はあるようだけど、火星まで届くなんて売り込みで売ってもそれが嘘なのは子供でも分かるに違いない。
「そもそも何で火星なんですか?」
「火星といえば凧だろ?」
「……タコの間違いでは?」
「ん?そうか?まぁ何でもいいんだよ、そんじゃあ一緒に飛ばそうぜ!」
「遠慮します。児戯に付き合うつもりもありませんし」
話くらいには付き合うつもりだったけれど、立ち上がってから一緒に凧を飛ばそう等と言われても私は精神統一の為に一人で居るんだ。
遊ぶのなら一人で勝手に『何だよ凧飛ばせないのかよ』……
「飛ばせますけど」
「でもやんねーじゃん」
「レース前だから気を休めているんです」
「別にレースしようぜとかは言ってないだろ?なのにやらないって、さては下手っぴだな?」
「貸してください」
凧くらい飛ばせるというのにゴールドシップさんは勝手に私が凧が飛ばせないという方向で話を纏め始め、それには異議しかないから仕方なく立ち上がって凧を受け取ると「そうこなくっちゃ」とゴールドシップさんも満足げに笑っていた。
せめて広い場所に場所を移そうとしたけど、「アタシなら此処で飛ばせるけどな」と言われては私も此処で飛ばすしかない。もう夕暮れ時で他の生徒達が帰っていく中、私は少し風が吹いたタイミングを見計らって凧を飛ばす為に軽く走ると凧は勢いよく空に舞い上がった。
「すげー!ちゃんと飛んだ!」
「この位余裕です」
たった一本の糸で5枚の凧が空を飛ぶのは確かに壮観な眺めだけど、それぞれが受ける風の強さが少し違う所為で意外と力を使い、適度に巻いている糸を外していかないと糸が切れてしまいそうだ。
意外と気に掛けることが多くて難しいけど、初めて凧を飛ばしたにしては上出来だろう。
「何で凧って飛ぶんだろうな?」
「風を受けて、揚力を得るからでは」
「そんじゃあ穴が空いちまったら飛ばせないのか」
「そうでしょうね」
「あの中で一個壊れちまったら全部落ちるってことか」
……成る程、わざわざこんな物まで作ってまで口を挟んでくるとは。スペちゃんが頼んだと思えないけど、余計なお節介を。
「壊れたら直せばいいだけ。また一緒に飛ばす事だって出来る筈です」
「……それもそうだよな!」
『5枚の凧を私達に見立てて壊れたら切り離すしかない』。そんな安い話でもう少し粘るかと思いきや、ゴールドシップさんは意外にもその話に拘ることはなく呆気に取られてしまった。
「いやぁ、おハナちゃんとかにも『わざわざ5枚で飛ばす必要あるのか』って言われたんだけど、5枚続けて飛ばした方が格好良いんだから5枚がいいって言ったんだよ。でも壊れた時はどうしようかって悩んでたんだよな。纏めて落っことしたら怒られるし」
「……なら5枚別売りにすればいいんじゃないですか?」
連凧は確かに扱っていて面白いものの、糸も千切れやすいし何より一つ壊れたら全てが巻き込まれて壊れてしまう可能性もある。
商売的な話をするのなら個別にして薄利多売で売った方が評判も良さそうなものだと口を出してみると、「アンタ天才か」とゴールドシップさんは目を輝かせていた。
私達の話に首を突っ込もうとしたのではなく、本当に凧の話をしていたとは。私達の話題で過敏になっているのは私の方なのにキツい言い方をしてしまったかもしれない。
「ごめんなさい、少し言い方が悪かったですね」
「いいってことよ。それにさ、5枚飛ばすのだってダチが5人集まれば一人一つずつ飛ばせばいいだけだもんな」
「そうですね」
「場所が違っても一人一枚なら何処でも飛ばせるし、飛ばす高さも合わせやすいし。グラスの言う通り別売りの路線で行くわ!そんじゃエアグルーヴの相手は任せた、じゃあな!」
遠くから聞こえてくるエアグルーヴ先輩の怒声を聞いたゴールドシップさんは凧を持たされたままの私を置いて逃げ出し、暫くするとエアグルーヴ先輩がやって来たけれど凧を持っているのが私だと気付くと目を丸くしていた。
「ぐ、グラスが揚げていたのか?」
「はい」
「その、気持ちは分かるがルールはルールだ。早く降ろしてくれないか」
「……降ろすの、時間が掛かりそうですね」
5枚綴の凧を繋ぐ糸は離すのは簡単でももう一度巻き取ろうとすると細い糸に負担が掛かり、下手に力任せにしてしまえば簡単に千切れてしまう。
糸が千切れないように私も優しく糸を巻く事を心掛けて少しずつ凧は下に降りてきたけれど、突然強い風に吹き込むと一番奥のエルの凧を繋げていた糸が切れてしまった。
風に攫われて凧が何処かへ飛んでいくのを呆然と見ていると凧を繋げていた糸が次々と切れてしまい、私の手元に残ったのは一番手前で糸の張りに余裕があった私の凧だけだった。
エアグルーヴ先輩はすぐに飛んで行った凧を回収に向かったけれど、私達は一つの糸で飛んでいた筈なのに気付けば自分の凧しか残っていないのがあまりにも不憫に思えた。
同じ糸に繋がれてずっと一緒だった筈なのに、それぞれが飛べた時間も高さも違う。
「どうして私を置いていくの……」
私達は一緒に走っていた筈なのに、いつの間に別の道を走っていたの?エルは、セイちゃんは、キングさんは、スペちゃんは一体何処に行ったの?
最強を決めるべく競い合う道に残された私は一人でどうすればいいの?
黄金世代が仲違いを起こしてから2週間、URAファイナルズダート部門決勝の舞台は中山1800m右回り。空は雲が疎らと浮かぶだけの快晴でバ場状態も良好。
ダートのコースは小さく、一周する為にマイルと距離は同じでもスタンド側から出走する事になっている。中距離部門以来のコースを一周するレースに観客のボルテージは上がっているが、スピカからの出走者が居ない沖野は応援に来ているスペシャルウィークを置いて浮かない顔の同僚の元に側に寄った。
「おハナさん、今日は誰も連れて来てないんだね」
「……どんな顔をしていいか分からないもの」
チームリギルからは数人出ている東條が浮かない顔をしているのは同じリギル所属で黄金世代の二人が仲違いをして、関係を修復できないままエルのラストランを迎えてしまったからだった。
最強のメンタルを失ったエルを決勝まで上がらせたのは一重に東條の指導力とエルのポテンシャルの高さ故。しかし決勝まで上がって来たウマ娘達の勝負は精神で決まると言っても過言ではない。
それが此処に来て仲違いまで起こし、エルの勝利はより絶望的なのにレースに出してしまった東條は判断を誤ったのではないかと胸を痛めていた。
「『一番人気はやはり2番グラスワンダー!今日もタイキシャトルに狙いを定め、大差しを見せるのでしょうか!』」
「『スマートファルコンを追いながらグラスワンダーに挟まられるタイキシャトルがどう走るのか、其処が勝負の分かれ目でしょうね』」
適性のないダートだというのに一番人気までのし上がったグラスがエルを再燃させる為に走っているのは東條も分かっていた。多少手荒でも、グラスならばエルの対抗心を刺激できるかもしれないとエルが患ったイップスを侮っていた。
「練習中は何度も転けたの。あのエルコンドルパサーが、私達に夢を与えてくれていたあのエルコンドルパサーがもう走れないなんて、私も信じられなかった」
「……だよなぁ」
「貴方がトウカイテイオーやメジロマックイーンを治せたのに、私が出来ないなんて言えなかったの。その所為で……あの子を…っ…!」
何週間も掛けたというのにエルのイップスが治る事は遂になかった。積み重ねてきた栄光が今はエルの心の安寧を脅かしていて、心が揺らぐ度にエルは栄光から転げ落ちそうになった。
何度も踏ん張り、何度立ち上がっても一度亀裂が入ったエルの心が治る事はなく、それでも走らせてしまった事を後悔する東條は声を震わせていた。
本気でウマ娘達と向き合い、厳しくもウマ娘達から信頼されている東條にどう声をかけるべきか沖野も頭を悩ませた。
凄まじい気迫で相手を怖気付かせているグラスもだが、心が折れかけているエルも決勝に上がらせたのはトレーナーとしては誇るべき成果だ。結果がどう転ぶかは目に見えているが、沖野から言える事は一つだけだった。
「それでも、見てやらなくちゃだろ?これが最後のレースなら尚更エルコンドルパサーだっておハナさんに見ていて欲しい筈だ。俺達が目を離したらそこでお終い、でしょ?」
「っ……分かってるわよ…!」
「黄金世代の一人が此処で終わるって言うのなら、その最後まで付き合うのがトレーナーってもんだよ」
エルを最後まで走らせたトレーナーとして、その最後から目を背けまいと東條も涙を拭ってゲートに入っていくエルを見守った。
自分のゲートに入ったエルは何度も深呼吸をしていて、隣のゲートにいるブラックシップもその様子を見かねて「大丈夫〜?」と心配したがエルは小さく頷くだけだった。
「大丈夫……大丈夫……」
本当は怖くて仕方がない。他のウマ娘との距離感さえも失い、スタミナ配分さえ前を走るウマ娘頼りのエルにとってターフは今や完全に無知な世界へと変わってしまった。
「『各員ゲートに入り体勢整いました』」
『もう自分を強くしてくれていたマスクは必要ない』。エルはマスクを外してポケットに仕舞うと視界が少しだけ広くなり、これまでは見えていなかった視界の端まではっきりと見えるようになった。
スタンドの方では東條が涙を拭っていて、自分がレースに出た事で沢山心配を掛けてしまったと申し訳なくなった。
『それでも自分は走らなきゃいけない』。エルが心の中を整理していると突然ゲートが開き、他のウマ娘達が走り始めると出遅れたエルもすぐに駆け出した。
「『今スタートしました!スタンドの前を一番に駆け抜けて行くのは1番スマートファルコン!続く4番ブラックシップと10番タイキシャトル!』」
致命的な出遅れにファン達も既に勝機は失ったと落胆の声を上げていて、エルはその言葉に心が揺らいだものの歯を食いしばって足がふらつくのを抑えた。
最強だった自分をいつも追いかけて来たグラスに負けて終わりたい。せめて夢が叶わないなら望んだ最後にしようという意思だけで決勝まで上がったエルは転倒でレースを台無しにする訳にはいかなかった。
グラスは今何処に居るのか、誰に狙いを定めているのかと前方の集団を観察したがおかしな事に気付いた。
2番ゲートから出た筈のグラスが何処にも居なかったのだ。
「『大きく出遅れたのはエルコンドルパサー!そして一番人気のグラスワンダー!』」
大きくどよめいている会場、集団から遅れている自分の後ろから聞こえてくる足音にエルは事の次第を理解した。
「『最初に第1コーナーに差し掛かるのはスマートファルコン!2馬身後ろにタイキシャトル!その後ろブラックシップ!』」
グラスは『わざと負けようとしている』。エルがグラスに負けてから引退する気ならば、自分が負ければ少しでも時間を引き延ばせるとわざとエルの後ろに付いていたのだ。
勝負事では一切手を抜かないグラスがそこまでしてでもエルを引き留めようとしている姿にはスペシャルウィーク達も驚いていた。
エルの引退を何としてでも阻止しようと関係にヒビを入れるだけでは足らず、自分の信条にも反した走りをしているグラスの姿が余りにも信じられなかったのだ。
「『先頭集団は第2コーナーを抜けて向正面へ!最後方では一番人気グラスワンダーは絶不調のエルコンドルパサーを追い掛けているぞ!』」
「グラスの馬鹿…!」
グラスの想いを一番近くで感じているのは他でもないエルだった。
これが一番後ろの景色。これまでずっと走って来て初めて見るけれど、想像していた通り気分の良いものではない。でも私が一回耐えれば、この一回だけ敗者になることを甘んじればエル達はまだ一緒に走ってくれる。
誰よりも自由に走って、誰よりも勝利に執着するセイちゃんが居たから。
何度負けても決して諦めず、栄冠を追い求めたキングさんが居たから。
お母さんと日本一になるという約束をして、ブロワイエを下したスペちゃんが居たから。
世界最強という子供のような夢を抱き、そして実現の一歩手前まで行ったエルが居たから。
仲間でありライバルであり親友である皆が居たから頂点に立つという私の夢が輝いたんだ。
「『最後尾が第2コーナー抜けて、先頭から最後方まで凡そ20馬身!グラスワンダーは何か故障しているのでしょうか、エルコンドルパサーの後ろから勝負を仕掛ける様子がない!』」
それが一人でも欠けてしまえば私の夢は色褪せていき、輝きを失ってしまう。私の夢は『黄金世代』が居なきゃ意味が無いの。
私の前を走ってくれる皆が居なければ、私は走れないの…!
『グラスワンダァァッ!』
一緒に走ってくれていた友達を失う恐怖から目を背けようとしたその時、私の目の前を走っているエルが突然私の名を叫んだ。
「『先頭ではタイキシャトルとブラックシップがジワジワとスマートファルコンに迫って行く!集団からも、集団の後方からエルコンドルパサーが仕掛けている!?』」
思わず顔を上げるとエルはさっき迄とは打って変わって威風堂々とした覇気を纏い、集団との距離を一気に詰めて行く。
肩に掛けた派手な赤いコートを靡かせダートだろうと飛ぶように走り、黄金世代最強と名高い『エルコンドルパサー』の走り。それがようやく復活したんだ。
随分と時間は掛かってしまったけどまだ間に合う。
第4コーナーに差し掛かるまでの緩やかな弧線で先頭を追い抜こうとしていて、私もその背中を追いかけていくとそのスピードはテレビ越しでしか見れなかった凱旋門賞の時と変わらぬ程だった。
『私を見ろ』と言わんばかりの派手な走りに観客も大いに盛り上がっていて、追い抜かされていく他の子達も出遅れたとは思えない快足ぶりに肝を抜かれている。
「『エルコンドルパサーとグラスワンダーが外からグングンと伸びてくる!先頭は既に第三コーナーに差し掛かっているが大番狂わせを起こせるか!』」
ダートであろうと外であろうと一切の影響を感じさせずに走っているエルはあっという間に集団を追い抜き、タイキさん達に迫ろうとしていて私もエルよりも少し内に入ってその大きな背中を追い掛けていった。
私も十分に足は溜めている、直線に入ればエルはもっと加速するだろうからこの第四コーナーが勝負の分かれ目だ。私が目指した頂点はきっとこの先にある。
『最強のライバルともう一度競おう』、そう思って加速しようとした矢先、
「『第四コーナーに差し掛かった先頭は未だスマートファルコン!追い込んでいたエルコンドルパサーは1馬身差まで詰めたが此処で力尽きたか、少しずつ下がっている!』」
突然エルから覇気が消えた。
タイキ先輩まであと少しだというのに気が抜けてしまったように足がふらつき始め、私との距離が見る見るうちに縮まっていく。
駄目よエル、あと少しなのよ。あと少しで私達が目指した頂点があるのにどうしてそこで諦めるの?
どうすればエルがもう一度息を吹き返すかコーナーから抜ける前に必死に考えていると、間が悪いことに雨が降り始めたのか水滴が頬を掠めた。
『雨雲も無いのに一体何処から』と思考を巡らせていると今度は右目に水滴が入ってしまい、一瞬怯んでしまったが走るのには支障はない。
滲む視界の中でもしっかり前を走っている四人を視界に捉えると水滴によってピントがズレているのか、再び水滴が飛んでくるのがハッキリと見えたけれど避けれた筈なのにまた右目に入ってしまった。
「泣いてるの……?」
エルの涙が頬を伝っていき少しピントがズレてエルの後ろ姿以外が霞んでいくと、外を走るエルの表情がハッキリと見えた。あんなに走るのが大好きだったエルが今は心底辛そうに走っていて、足取りもおぼつかず涙まで流している。
一体いつからそんなに泣いていたの?出走した時から?私が怒った時から?私が出るレースを変えた時から?
それとも、
「もう無理なの……行って…!」
URAファイナルズが始まる前から泣いていたの?
皆がどうしてそんなにエルが走るのを止めるのか私には分からなかった。いいえ、分かろうとしなかった。私はずっといつまでも走っていたい、だから私が走る意味でもあるエルにずっと一緒に居て欲しかった。
私の気持ちばかりを押し付けてエルの気持ちなんて全く考えてなかった。走れないのは甘えだなんて、速く走れないのは黄金世代の恥だなんて、どの口が言っていたんだ。一人じゃ怖くて走れない私の方がよっぽど恥晒しだったのに、エルは私に文句を言う訳でもなく此処まで走ってくれた。
かつての自分のように走れないのに、負けると分かっているのに、私の我儘に最後の最後まで付き合ってくれた。
こうしてエルが前を走ってくれていなかったら、マスクを外してくれていなかったら泣いている事にも気付けなかった愚かな私を見捨てないでくれていたのはエルの方だったんだ。
まだこの道を走れる私がエルの無念も夢も想いも、全て背負ってこの道で走ってあげないで、
「行ってグラス!」
何が友達なの!
第四コーナーを抜けたスマートファルコン、タイキシャトル、ブラックシップは後ろから猛追していたエルの覇気が完全に消え、もう脅威にはならないとお互いに自分の走りに意識を向けた。
だがエルの覇気に隠れていたかのように突如として凄まじい威圧感が三人に襲い掛かった。静かに、だが確実に全員を抜き去ろうとする確固たる意志を感じさせる人外のような覇気を放ちながら三人に迫ってくるウマ娘の正体は後ろを見なくても分かっていた。
「『第四コーナーを抜けて最後の直線300m!此処でグラスワンダーが上がってきている!同世代のエルコンドルパサーを抜き、先頭3人に迫っていく!』」
あのマルゼンスキーに次ぐ『怪物二世』、ダートを得意とする相手でさえ関係無しに迫ってくるグラスの足音は一歩一歩着実に三人に迫って来ていた。
誰が狙われているのか、残り300mで仕掛け所を模索している合間にもグラスは近付いて来ていて、痺れを切らして最初に仕掛けたのはスマートファルコンだった。
残していた最後の足を使い、僅かに加速したもののグラスはそれに追従する事はなくファルコンも失策だったと痛感した。
このタイミングで加速し続けている相手にスピード勝負を持ち掛けても意味が無い。グラスの威圧に怯んでしまい無駄に足を使ってしまったファルコンは200mを目前に落ち始めていた。
「『スマートファルコンが勝負を仕掛けたが誰も乗らずに不発に終わる!ラスト200mの上り坂を制し栄冠を手にするのは誰だ!』」
ラスト200mで待ち構えている砂の坂。ただでさえスタート直後の坂道でスタミナを消費しているのにレース終盤でもう一度登るのは並大抵のスタミナでは失速してしまう。
ファルコンが先頭で登り始めるもののすぐに失速し、タイキシャトルが外から抜くと続く二人もファルコンを追い越していく。
既にブラックシップの真後ろまで詰めているグラスワンダーが『領域』に踏み込んでいるのは前を走る二人も感じ取っていた。前を走る友人を超え、その眼が見据えているのは勝利ただ一つ。
『最強』の称号をその道の果てまで追い続ける覚悟を決めたグラスが狙い定めたのはただ一人。
「最後尾から一転して栄冠争いに乱入したグラスワンダーがブラックシップを超え、タイキシャトルに迫っていく!怒涛の17人差しを見せるかグラスワンダー!」
『最強マイラー』と名高いタイキシャトル、坂を前にしても未だ余裕を残しているのを見抜いたグラスが標的にしたのはタイキだった。グラスはまだ勝負所を見極めようとしているブラックシップを追い越し、坂道を登り始めるタイキシャトルの背中に迫った。
だが、グラスの殺気にも近い威圧を一身に受けるタイキの表情は余裕の笑みを浮かべていた。
「やる気になるのが少し遅かったデスネ!」
グラスワンダーがタイキシャトルに並ぼうとしたその時、タイキシャトルもグラスに劣らぬ『領域』に踏み込み、火薬を爆発させたかのような猛加速で坂を駆け上がった。
確実に差せる、そう思っていたグラスを置き去りにしていくタイキをシンボリルドルフは2階のスタンドから安堵の笑みを浮かべながら見ていた。
「勝負あったな」
「はい」
「グラスの執念は凄まじいものだった。エルへの執念、勝利への執念、黄金世代という称号への執念、それが彼女を領域へと誘った。だが領域に入れる者が1レースに1人という訳でもなければ、入れば勝てるというモノでもない」
タイキの背中を必死に追うグラスの後ろからは最後の100mに勝機を見出し同じく領域に踏み込んだブラックシップが上がってきていて、『負けてなるものか』とグラスは更に自分に鞭を打ったが今以上の速度は出せなかった。
対して何処で自分の限界を越えるか、自分の持ち味を最大限まで活かせるポイントをしっかり絞ってきたタイキは限界まで足に力を込めて弾丸のように撃ち放ち、それを何度も高速で繰り返している。
後ろから迫るブラックシップもグラスに無視された事で『私を無視しないで欲しいな〜』と穏やかに見えるほど巨大な炎を激しく燃やしてペースを上げていた。
「『タイキシャトルの末脚が大爆発!まるで下り坂を下るかのような速度で駆け上がり、グラスワンダーを突き放す!』」
「グラスが負けるというのに嬉しそうですね、会長」
「ああ。久し振りにタイキの全力を見られた事とブラックシップがこの舞台に上がってきた事、そしてグラスがこの敗北から学び得たものは彼女を更に強くする」
「私ものんびりとしている訳にはいきませんね」
友人の想いを背負うことで領域に踏み込めたものの、同じ領域で競い合う者達との邂逅でグラスは初めて『違う世代』の猛者達の強さを体感した。
黄金世代、そしてその直近の世代にしかライバルは居ないと思っていたグラスの視界を広げさせる為にダート出場を認めたシンボリルドルフは思っていた形ではなかったが、その甲斐はあったと確かな手応えを感じていた。
「『ブラックシップがグラスワンダーを差し返した!しかしタイキシャトルが先に一着でゴール!続くブラックシップ、グラスワンダーももつれ込むようにゴール!』」
タイキがグラスに差させる事なく圧勝し、後輩のブラックシップに差し返されたグラスはハナ差で3着でのゴール。
友人のラストレースで本人が名誉を捨ててまで前に進ませてくれたのに、報いることが出来なかったグラスはゴールしてすぐに脇目も振らずに声を上げて泣いていて、グラスがそんな姿を見せるとは思っていなかった黄金世代の仲間達も涙を流していた。
仲間であり、ライバルであり、親友である5人が共に高め合ってきた世代の一人を失い、諍いも乗り越え涙を流す姿を見てきたルドルフは確信していた。
「黄金世代は私も超えるかもしれないな」
先の時代を走って伝説を作ったものの、ライバルには恵まれなかったルドルフは並ぶ程の伝説は無くとも自分の走る道を改めて見直し、それでも崩れることが無かった5人の絆があればいつの日か自分を超えられると確信した。
18着で最後のレースを終えたものの、グラスを泣き止ます為に強く抱き締めるエルの強さも再確認したルドルフは用意していた資料を手にスタンドを後にした。
あのグラスちゃんが3位で終わったURAファイナルズダート部門。ライブではセンターではなかったけど、これまでにないくらい輝いていたライブはあっという間に終わってしまい、制服に着替え終わったグラスちゃんの所に向かうと開口一番に頭を下げて『見苦しい所を見せてごめんなさい』と謝られた。
エルちゃんの引退を一番心配してたからこそ沢山悩んでたんだろうから私は気にしていなかったけど、キングちゃんは近寄るや否やグラスちゃんの頬を平手で叩いた。
流石に友達同士の殴り合いは見たくないから止めに入ろうかと思ったけど、「目は覚めたかしら?」とキングちゃんが聞くとグラスちゃんも笑って頷いていた。
それを境に私達はそれまでの事を口にするのは止めて、学園に帰ってエルちゃんを探したけどその姿は見当たらなかった。トレーナー室に居た東條さんにエルちゃんの居場所を聞くと代わりにエルちゃんに頼まれた『手紙』をグラスちゃんに渡していて、中身を確認した私達は目を疑った。
「エルちゃーん?」
「ふわぁ……流石に夜は寝かせてよ…」
「貴女昼間も寝てばかりでしょ」
一体何のつもりか分からないけど、門限を過ぎて日が落ちて寮を抜け出した私達は『果たし状』と書かれていた手紙の指示通り勝負服を着てグラウンドの中央までやって来た。
空も端の方が赤みがかっているだけで珍しくライトも点いていないグラウンドは薄暗く、果たし状を手に待っているジッとしているグラスちゃんも時間が過ぎているのに顔を見せないエルちゃんを気にしているようだった。
もう一度東條さんに確認を取ろうかとキングちゃんとセイちゃんが言い出したその時、突然グラウンドの照明が点灯して私達を照らすと急な眩しさに私達も目を細めた。
『レディィィスエーンジェントルメェェェェン!皆さんお集まりご苦労様デース!』
私達が眩しさに怯んでいる中、エルちゃんの豪快な声が音響越しに学園内に響き渡ると誰も居なかった筈のスタンドから歓声が湧き、私達もライトの光に目が慣れてきてからスタンドを見回した。
其処にはこの学園に在籍する沢山のウマ娘達が集まっていて、エルちゃんが勝手に集めただけでは集められない寮長や会長もその中に混じっていて、私達だけが事情をよく知らずにこの場に居るというのはよく分かった。
『今宵の特別レースは誰もが気になる黄金世代最強決定戦!芝2000m右回り、場所は勿論このグラウンド!2番セイウンスカァァァイ!』
「やる事が派手だねぇー」
『3番スペシャルウィィィク!』
「えぇ!?何がどげんなっとんの!?」
『4番キィィングヘイロォォォ!』
「全く、まんまと嵌められてたのね」
『5番グラスワンダァァァ!』
「……」
私達が視線を向けているスタンドには1人だけ勝負服を纏った生徒がスタンドの階段を降りて来ていて、私達もよく知るそのウマ娘がマイク片手に観客の熱気を煽るように私達の名を叫んでいた。
そのウマ娘は私達の名を言い終わると同時にスタンドからグラウンドに飛び降りて見事に埒の上に着地すると、最後に自分を鼓舞するように右腕を高く掲げた。
「『そしてェッ!怪鳥!不死鳥!絶好調!エルコンドルパサァァァ!』」
いつものマスクは外しているけれど、昼間のレースの時とは打って変わって普段の様子に戻ったエルちゃんが自分の名を叫ぶと、スタンドに居る生徒達は一斉に歓声を上げた。
あまりの突然の事に私は何がどうなっているのかよく分からずにいたけど、エルちゃんはマイクを呆れた顔をしたエアグルーヴさんに渡すと私達に歩み寄って来た。
「エル……」
「手紙、見ましたか?」
「えぇ……」
『今日の夜8時、勝負服を着てからグラウンドで待っていて』。そう書かれていたから私達は此処に来たのだけど、まさかレースをするなんて聞いてないし、レースをするならトレーナーさん達はこの事を知っていたのに何で言ってくれなかったんだろう?
どうやってトレーナーさん達の許可を取ったんだろうと考えていると、エルちゃんは本題に入る前に深く私達に頭を下げた。
「皆、沢山迷惑を掛けてごめんなさい。私がウジウジしてたから心配してくれてたんだよね」
「……ええ、その通りよ」
「そりゃ止めたかったけどエルちゃんの気持ちはエルちゃんにしか分からないもん」
「特にグラスは私の為にレースを捨ててまで……何て言ったらいいから分からないけど」
「何も言う必要は無いですよ〜。アレは私の不始末、負けたことをエルの所為にするつもりなんてこれっぽっちもありませんから」
エルちゃんの引退はとても悲しいけど、それでもエルちゃんだって悩んで決めた事だから私達も受け入れる事にしたんだ。だからエルちゃんに無理をさせてもう一度だけ私達と思い出を作ろうとしてるのなら、そんな無理をする必要ははない。
エルちゃんがしたくない事はさせたくない、頭を下げたまま肩を震わせているエルちゃんに私も側に寄って手を差し出した。
けど、
「あんなレースで納得出来るかァァァッ!」
「ギャアアアア!?」
エルちゃんは我慢の限界だと言わんばかりに身体を起こしてから耳元で叫ばれて思わず私も叫んでしまった。
「18着ですよ、18着!?人生で初めて取りましたよ!そんなレースが最後で納得出来るわけないじゃないですか!だから私の最後のレースは此処に居るメンバーでの真剣勝負に延長です!」
「それは構わないけど、正直言って勝ち目が無いのは貴女が一番分かっている筈よ」
「わざと負けてあげるってのは性に合わないしね」
「耳が……!」
「必要ありません!私も全力を出す方法を見つけました!」
キングちゃんに耳から血が出てないから確認して貰っている間にもエルちゃんはいつものノリで話していたけど、全力を出す方法を見つけたと聞くとずっと暗い顔をしていたグラスちゃんも目を丸くした。
「それは本当なの?」
「本当です!」
「……もしもそれが本当なら、また一緒に走れるますか?」
「……それは無理です」
エルちゃんを引き止めるのは思い直したグラスちゃんもエルちゃんがもう一度走れるようになったと知り、また一緒に走ろうと持ち掛けたけどそれにはエルちゃんは首を横に振った。
「今日のレース中、グラスの為に走らなきゃって思ったらいつも通り走れたの。だから、『競う』為にはもう走れないの」
「難儀なものね」
「ホント、自分の事なのに上手く折り合いが付かないのは大変だよ。でもこのラストレースだけは皆の為に走るよ」
競う為に走れなくなったエルちゃんが私達の為に走ると言ってくれたのは嬉しいけど、それでもグラスちゃんは無意味にエルちゃんを走らせるのには難色を示していた。
けどその反応もエルちゃんの予想通りなのか、『私に勝てたらレース続けるよ』と言うとキングちゃんとセイちゃんの雰囲気も変わった。
「あんまり下手な約束はしない方がいいよー」
「言っておくけど今の私は宝塚記念を目標に2000mを重点的に特訓してるのよ?」
「関係ないよ、私が絶対に勝つから」
「……ウマ娘に二言はありませんね?」
「私は此処で皆に勝って、自分の足で皆で走って来た道から別れる。だから皆も手加減なんてしたら許さないから」
折角後腐れなくエルちゃんも引退できる筈だったのにそんな約束をしてしまっては意味が無いと遠回しに伝えていたけど、エルちゃんも断固として私達に勝ってから引退すると聞かなかった。
エルちゃんが一度言い始めると中々意見を変えてくれないのは私達はよく知ってるから、キングちゃんも深いため息の後に『負けたわ』と微笑みながら呟くと生徒会の人達が用意してくれたゲートに向かった。
私達もそれに続いてゲートに向かうとようやくレースが始まると生徒達は盛り上がっていて、私達は決められた番号通りにゲートに入った。
「勝っても負けても恨みっこ無しだからね!」
「私はのんびり逃げよっかな〜」
「私が短距離だけだと思ったら大間違いよ!」
「エルに引導を渡すのは私、このレースで幕切れなんて許しません」
「遅い人程よく吠えるって諺を知らないんですか?啖呵は勝ってから切ってください!」
「「「「上等!」」」」
エルちゃんが煽りに煽って私達を本気にさせたけど、皆の顔は明るくて当然私だって嬉しくてつい笑ってしまっていた。
5人の中で競り合う事はあっても5人全員で同じレースに出たことはないから、たった一度切りのこのレースで一番強いウマ娘が決まるのなら全力を出さないと後悔するに決まってる。
「「位置についてー!」」
私達の号令に合わせてスタンドの歓声も止んでいき、グラウンドが静まり返ると既にキングちゃん達が怖い感じを出していて、私も身震いをしてしまったけど同時に楽しみに思ってしまう。
この5人なら一体何処まで行けるんだろう。それぞれ走る道は別れていくのかもしれないけど、
「「よーい!」」
私達は仲間であり、ライバルであり、何よりも友達なんだから道は違ったって一緒に走って来た友達が隣に居ることには変わりないんだ。
それなら何も怖がる必要はない。
「「「「「どん!」」」」」
私達は自分のゴールを目指して、一斉に走り出した。
「ごめんなさい。自分の道は自分で決めたいんです」
「そうか」
「その気持ちには凄く感謝してます。でも、自分で道を決めるって言っちゃいましたから」
後日、エルはシンボリルドルフに呼び出されて生徒会室に向かうと、「トレセン学園の特別講師としての枠を空けている」と資料と共に持ち掛けられた。
だがエルはラストレースで友人とした約束を守ろうとその話は断ったが、ルドルフも「それでも選択肢としては持っていて損はないだろう?」と勧誘する態度は変えなかった。エルもその気遣いに感謝していたが自分の何がそこまで評価されているのか分からずにいると、ルドルフもその様子を察知して口を開いた。
「誰にでもこうして話を持ち掛けている訳じゃない。君は挫折しても領域に踏み込めた。君なら日本ウマ娘もレベルを更に引き上げられると判断しているだけだ」
「……その領域っていうのが私にはよく分からないんですけど、それってそんなに大切な事なんですか?それが出来ない人でも速い人は速いですし、ブロワイエがそういう事を意識してる雰囲気もなかったですよ」
「備えあれば憂いなしという奴だ。何時誰とどんな形で勝負するか分からない。その時に自分の走りに集中出来なければ勝てるものも勝てないというだけだ」
黄金世代を筆頭に次々とウマ娘達が頭角を表していく中で度々出てくる『領域』という言葉。ルドルフが拘るからには何か理由があるのかとエルは尋ねたが、ルドルフも当たり障りのない言葉で追及から逃れようとした。
満足のいく答えではなかったが一般生徒には言えない事もあるんだろうとエルは聞き分ける事にし、資料を持って生徒会室から退室した。ルドルフもそれを見送ってからソファの背もたれに背中を預けると「相変わらず勘が鋭いな」と呟いた。
感覚で勝負して来たエルの直感は的を射ていた。元々は領域に踏み込める事を重要視していた訳でもなく、出来なければいけない等と価値観を押し付けるつもりは一切ない。
だが、前生徒会長から聞かされていた領域に関する話でルドルフが気がかりだったものが今大会で浮き彫りになっていき、懸念が現実になろうとしているのを肌で感じていた。
「『Eclipse first, the rest nowhere.』、踏み込めねば勝てない相手もこの世には存在するという事か」
『限界を超える』という表現で良かったものを敢えて『領域に踏み込む』という言葉が使われているが、領域というからには誰かが何処かで線引きをしなければならない。
それがもしも『何者かと勝負するに値する境界線』だとすれば、領域を超えた者達が放つ覇気もあくまでもその相手に対抗する手段の一つに過ぎないという予想が立つ。
ではそれは誰なのか、ルドルフは一人だけ心当たりがあったがそれはあり得ない相手だと分かっていても、そうではないかと思わずにはいられなかった。
「本当に貴女が出てくるのか、『エクリプス』」
唯一抜きん出たウマ娘、『エクリプス』。遥か昔に亡くなっているウマ娘がどうやってレースに参加する気なのか。
ルドルフが俄には信じ難い推論に自分でも半信半疑だったが、不意に背後から声を掛けられたような気がして振り返った。当然誰も居ない生徒会室に他の生徒がいる訳もなく、窓が外の風で僅かに音を鳴らしているだけだった。
「三女神像、か……」
来週から始まる長距離部門は荒れる、風の知らせがそう言っているような気がしたルドルフは誰が相手でも勝てるように万全を尽くす為、ソファから立ち上がり生徒会室から退室した。
お母ちゃん、遂に私が出る長距離部門が始まります。
予選から生徒会長さんと当たっちゃったけど、相手が誰でも私は勝つよ。
でも何だか普段と雰囲気が違うっていうか、凄く怖いけど私も負けていられないよね。
もう一度日本一になる為に、私頑張るから!
(次は前中後編に分かれてます。かなり本格的に書くつもりなので、暫く本編はお休みします。代わりテイマクやセイキン等でお茶を濁す予定です。あとゴルシはちゃんと元ネタがあって出てました。決して便利だからではないです、これだけは真実を伝えたかった)