私達のURAファイナルズ   作:竹流ハチ

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シンボリルドルフに乗り移り、予選でその名を告げた『エクリプス』。

余りに圧倒的な走りに誰もがその対策を考える中、ルドルフの失踪に責任感を感じていたオグリキャップもどう走るべきか悩んでいた。しかし、エクリプスとのタイマンレースで勝機を見出したオグリは準決勝で必ず勝つと宣言した。

大切な人の為に、走るのが大好きな自分の為に、時代を魅了したシンデレラが新たな輝きを放つ。


オグリキャップ「シンデレラの時間」

 

予選から2日経ち、エアグルーヴ達の必死の捜索も虚しくシンボリルドルフは再び姿を消した。余りにもらしくない走り方を見せ、落雷の騒ぎに乗じて消えたルドルフに世間も注目していて、生徒会もひっきりなしに掛かってくる電話の対応に追われていた。

 

「『ですので、その件に関してはお応えできません。そうではなく、一個人のプライバシーの問題で』」

「もぉ!ブライアン、電話線全部抜いて!」

「分かった」

 

応対してもキリがない電話に生徒会長代理として席に座っているミスターシービーも強硬手段を使うと決め、ナリタブライアンもその指示には即座に従い、生徒会室に臨時で設置した黒電話の電話線を全て抜いた。

 

朝からずっと電話の相手ばかりしていた三人はようやく静かになったとため息混じりに時計を見ると、短針は既に15時を回っていて三人とも更に深いため息を吐いた。

 

「会長が戻ってきたらこの責任は取らせよう」

「同感だ」

「そもそも何で生徒のアタシ達が対応するのさ、理事長達にやらせればいいのに」

「生徒主権、生徒にできることは生徒でやるべきだという会長の意向です」

 

設備の新調改修、校内の見回りは元生徒会長であるシービーの代でも行っていたが、外部との連携や政府との打ち合わせという明らかに一生徒が持つべきではない特権がルドルフには与えられていた。

 

当然ルドルフが単に権力を欲しがった訳ではない。これからの生徒達のことを思い、成すべき事を迅速に成す為に必要な力として分散していた権限を集約したのだ。

しかし、会長不在に於ける代償はシービー達が一重に受けていて、「仕方ないから記者会見で上部だけ説明しよっか」というシービーの提案に二人も賛成した事でひとまず休憩となった。

 

凝り固まった身体を起こそうとシービーは大きく伸びをしてから立ち上がり、その足で向かった先はチームスピカの部室だった。

 

スピカのメンバーはURAファイナルズでは良い成績は残しているものの、未だトロフィーは掴めずにいる。此処は一つ後輩にアドバイスでもしてあげよう、三冠ウマ娘として意気込むシービーは部室の前で咳払いをした。

情けなく見られないように身嗜みも整え、いざドアノブを捻って扉を開けた。

 

「スペ先輩そんなに食ったらマズイですって!」

「またお腹に出ますよ!」

「でも予選はお腹が空いてたから負けた気がするの!」

「いい加減機嫌直せって、聞かれた事ないんだから教えようもなかったろ?」

「知りません」

「はいアタシ上がり!」

「モォ!ツヨスギテツマンナイ!」

「この方は嘘を吐いてるんだか吐いてないんだか全然分かりませんわね」

 

やけ食い、痴話喧嘩、ババ抜き。

 

部室内では其々が好き放題やっていて、シービーでさえも呆気に取られてしまったが、変に気取ろうとした自分が可笑しくて声を出して笑うとようやくスピカの面々もシービーが来ていることに気付いた。

 

「シービー先輩チワッス!!」

「今席用意しますね!ほら、スペ先輩立って!」

「ンググッ!」

「そんなに畏まらなくていいよ。今はスピカのメンバーでもないんだし」

 

ルドルフ、ブライアンに並ぶ三冠ウマ娘がまさかチームの先輩だったとは知らなかったウオッカ達は丁重に持て成そうとしたが、シービーにとっては気楽な雰囲気の方が性に合っていた。

 

「それで、今日はどんなトレーニングするの?」

「……分からん!」

「分からないってどういう意味ですか?」

「あのルドルフちゃんを負かす作戦はまだ思い付かないって感じ?」

「だな。3000mであの走りをされた以上、準決勝の3200mでのスタミナ切れは期待出来ない。対してこっちは十二分に仕上がってるスペでも突き放されたんだ。根本的に戦術を組み直さなきゃ勝てないってこった」

「それじゃあ沖野ちゃんはスペちゃんとゴルシちゃんと一緒にランニングにレッツゴー!アタシと他の子達でルドルフちゃんの走りを研究しよっか!」

 

スペの実力不足ではなく、ルドルフの異常な強さ故に戦い方を変えるしないという沖野の意図をシービーはいち早く汲み取り、一先ずの方向性を決めた。

 

三冠を取ったコンビは数年経っていても未だにお互いの呼吸を覚えていて、体力面での事故要因を減らそうとするシービーの考えを沖野もすぐに理解してその提案に同意した。

 

「よし、取り敢えずはそれでいくか。でもシービーもスピカの手伝いなんてしてていいのか?」

「大丈夫大丈夫、たまの息抜きも必要だしね。それに可愛い後輩達の走りも近くで見たかったし」

「三冠ウマ娘に見てもらえるなんて感激です!」

「オレが先だ!」

「ハァ!?先にお願いしたのはアタシよ!」

「はいはい、二人とも見てあげるから」

 

面倒見がいいシービーが後輩達を引き連れてグラウンドに向い、沖野もシービーとの関係を追及してくるスズカから逃げるように後に続いた。

 

グラウンドにスピカのメンバーが揃い、沖野がスペとゴルシに細かい指示を出す中で早速シービーの指導を受けようとウオッカ達も息巻いた。

 

「それじゃあ、好きに走ってみて」

「へ?それでいいんすか?」

「うん、私もそれで三冠獲ったしね。さっ、まずは君達の走りを見せて」

 

二人の後輩に迫られながらもシービーは初めから指導をするのではなくウオッカ達の走りを見てからだと言い、そういう事ならと二人はスタート位置に着き、一斉にスタートを切った。

 

練習ともあり二人も各々の課題を意識した走りをしていて、前半は抑えた走りをしていたが第3コーナーからお互いに意識し合い、第四コーナーを抜けると領域に踏み込み全力で走り出した。

 

先行していたスカーレットは凄まじい勢いで直線を駆け抜けてゴールを超え、抜ける際に出遅れたウオッカも豪脚でその後を追ったがスカーレットには一歩届かずにゴールした。

 

「やったー!アタシが1番よ!」

「クッソ、もう一本だ!」

「はい、二人とも集合」

 

練習とはいえ勝敗は決まったと二人は一喜一憂していたが、内ラチの中にいるシービーに声を掛けられるとすぐに側へ駆け寄った。

 

「どうでした!?」

「スカーレットちゃんは沖野ちゃん以外の他の人から指導を受けてるの?コーナーでの足の溜め方が凄く上手になってるね」

「は、はい。タキオンさんにも色々と教えて貰ってます。実践は初めてでしたけど」

「今回の勝敗はその差だね。ウオッカちゃんはコーナーでの足運びが少しぎこちなかったけど、アレは我流でしょ」

「この間は付いてくのがやっとだったから直線以外でも勝負出来るようにって……」

「その挑戦は良いことだよ。でもまだ荒いね、アレじゃ直線での伸びまで殺しちゃってる」

「はい……」

「折角学園には色んなウマ娘が居るんだし、他の子に話を聞いてみるといいよ。その子と全く同じ走りは無理でもヒントは貰えるかも」

「わ、分かりました!」

 

たった一度走りを近くで見ただけでスカーレットとウオッカの普段の走りとの差を見抜き、その練度の違いまで指摘すると二人とも流石は三冠ウマ娘だと感嘆としていた。

しかし、同じ三冠ウマ娘でも無敗で達成したルドルフを尊敬しているテイオーは複雑な心境でその様子を眺めている。

 

シービーではなくルドルフに憧れたのは当然無敗の三冠だったから、1番強いウマ娘を語る中でルドルフが先に名が上がるのも七冠を達成したからだ。

その成績と比べてしまうと前年にクラシック三冠を達成して翌年の天皇賞秋を制覇したとはいえ、その後の成績は芳しくないシービーは見劣りしてしまう。

 

勿論クラシック三冠は取ったのだから尊敬はしている。しかし割り切れていない気持ちをシービーに悟られまいとしていて、まだ療養中のマックイーンもそれを察して近くで見守っていた。

 

「よし、それじゃあ次はスズカちゃん。折角だしアタシと走ろっか」

「私は別に…」

 

テイオーとマックイーンは走るつもりはなさそうだからとシービーはスズカと並走をしようとしたが、別の理由で複雑な心境になっていて走る気分ではないスズカは断った。

 

「アタシに勝てたら沖野ちゃんの昔の様子を教えてあげよっかなー?」

 

だがシービーがわざとらしく沖野を餌にするとスズカの尻尾が跳ね上がり、即座に「やります」と気合の入った返事をするとウオッカ達も「シービーも人が悪い」と乾いた笑いを見せた。

 

練習に来ていた他のチームもまさかシービーが走るところを見られるとは思ってもみず注目が集まる中、スカーレットの合図と共に二人は走り出した。

グラウンド2000m左回り。スズカの得意とするコースであり先行していて、シービーも5馬身程後ろで控えているがほぼ実戦のつもりで走っているのは明らかだった。

 

第一、第二コーナーも抜けていきスズカの先頭は変わらず第三コーナーを超えていくが、シービーが第三コーナーに入っていて瞬間、スズカは怪物が目覚めたのを背中で感じた。

 

「す、スゲェ!どんどん差を詰めてる!」

「アレが三冠ウマ娘の実力…!」

 

たとえコーナーでも力強く踏み込み、それでいて無駄のないキレでスピードを上げていくシービーはスズカとの差を瞬く間に詰めていき、第四コーナーを抜ける時には既にスズカの横にまで迫っていた。

 

スズカも最終直線に入ると一気に加速してシービーとの差を一瞬だけ広げたが、まだトップスピードまで余力のあるシービーは再び迫っていき、残り100mの所でスズカを躱してゴールした。

本調子に戻ったスズカに練習とはいえ勝ったシービーには周囲も驚いていたが、スズカは負けたことよりもシービーの走り方に違和感を感じていた。

 

「いやー、流石スズカちゃん。練習でも滅茶苦茶速いね。つい本気になっちゃった」

「本気、ですか?」

「うん。アレがアタシの本気だよ」

 

確かに負けた為にそれ以上は聞こうとしないスズカにシービーも不思議そうにしたが、今はルドルフに勝つ為に助力を尽くそうとルドルフの研究に頭を切り替え、直線だけなら最速と言っても過言ではない相手との勝負の仕方をスピカのメンバーで話し合った。

 

そんなレースの様子を側から見ていたタマモクロスはスピカに思いがけない助っ人が来ている事に騒ぎ立てていた。

 

「ウチらもあん人から聞けること聞こうや!」

「タマ、あの人はスピカの助っ人だから駄目だと思う」

「シービーはんなケチな事言わんて!学べる事多いで!」

「それでも駄目だ」

「何やつまらんなー」

 

予選を難なく勝ち上がったタマとオグリはチームに所属しておらず、合同練習という事でトレーナー達を待っていたが目の前で夢の勝負を見せられたタマモは既にやる気を漲らせていた。

 

オグリも走ってみたいと言うとタマモも踏んでいたが、消極的なオグリを見てその原因は容易に想像が付いた。

 

「まーだ会長さんの事引き摺っとんのか?あんなもんどうしようもないやん。ちゃんとレースに出てきたんやし、準決勝になったら来ると思うで?」

「でも」

「でもでもって、この話何回すんねん。耳だけやなくて口にもタコが出来そうや」

 

ルドルフの行方が分からなくなってからオグリは調子を崩し、なんとかトレーナーとタマモ達の励ましもあって気を持ち直して予選を一着でゴールした。

 

しかし、準決勝で競う事になっているタマモはライバルの不調を放ってはおけず切り替えるように言うが、オグリは頭では分かっていても心はそうもいかない。

誰にも責任がない故に自分が止められたのではないかと思わずにはいられなかったのだ。

 

「そんなに会長さんのことが好きやったんか?」

「そ、そういうのじゃない!」

「んなもん分かっとるわ。会長さんも子供やないんやから何か考えがあるんやろ。それをオグリが心配するのも、会長が心配させるのもお門違いや。次は会長さんとも走んのにそんな調子やったら100パー負けるで」

「……分かってる」

 

無口で無愛想に見えても口下手なだけのオグリを同期でありながら妹のように面倒を見るタマモは語彙を強め、少しでも勝負に集中するように背中を押した。

 

自分の所為でタマモに心配を掛けている状況も良くないとオグリ自身も理解していて、準決勝京都競技場芝右回り3200mはオグリにとっては一番の難関。限界に挑戦する距離なのだから余計な事に力を割いている場合ではない。

 

「……よし、始めようかタマ」

「よっしゃ、芦毛最速はウチやってこと見せたるで!」

 

タマモクロス、オグリキャップ、セイウンスカイ、ゴールドシップ。

 

世代を超え常識を超えて準決勝まで上がってきた芦毛のウマ娘達が勢揃いした第二レース、相手はあのルドルフなのだから不足はないとタマモも気合を入れるとオグリも今は練習に集中しようと気を入れ直した。

 

両陣営共に一番の強敵はルドルフであると定め、直線だけとはいえマルゼンスキーでさえ突き放された高速をどう対処するかを各々対策を講じ始めた。

 

 

 

そして準決勝まで残り1週間。

練習の合間に学園から出ていてるスペは段ボールを抱えてから都内の大学病院前でタクシーから降り、受付で面会の手続きを済ませた。予選ではルドルフ相手に善戦したと近くを通る患者やその家族に声を掛けられ、スペもそれに笑って応えてから最上階のVIPルームへと向かった。

 

大きな個室の扉を叩くと「入っていいわよー」と元気な声が聞こえ、扉の取っ手をお尻で押し開けていきスペが顔を見せると、ベッドで退屈そうに雑誌を読んでいたマルゼンスキーは途端に顔を明るくした。

 

「スペちゃんじゃない!わざわざお見舞いにきてくれたの!?」

「はい。これ実家から届いた人参です」

「ありがとう、ほらこっちに座って!」

 

予選でルドルフと真っ向勝負をしてスタミナを全て使い切り、走り切ると共に意識を失ったマルゼンスキーは検査入院していた。怪我等は一切無く、限界を超え過ぎて身体が保たなかっただけだとマルゼンスキーは言うが、リギルのトレーナーである東條ハナは大事をとってURAファイナルズは棄権する事を決めた。

 

またしても強敵と競う機会を逃してしまったとマルゼンスキーも気分が落ちていたが、スペがお見舞いに来ると辛気臭い空気をすぐに振り払った。

 

「お身体の方は?」

「もうピンシャンよ、今からでも走りたいくらい」

「でも…」

「おハナさんが心配し過ぎなの。でも、確かに出てても私に勝ち目は無かったわ。マイルならルドルフにも勝てたと思うけど、そんな事今更言ったって遅いしね」

「……あの人は会長さんでしたか?」

「ええ?ルドルフだったわよ?」

 

スペが走っていたのがが確かにルドルフであったのかと一番近くで競っていたマルゼンスキーにも確かめたが、走り切った後の事は覚えていないマルゼンスキーは不思議そうに頷いた。

 

だがスペは確かに見た。『私がエクリプスだ』と語り、敗者を見下すウマ娘を。それが自分の知るルドルフの姿とは余りにもかけ離れていて、その名の通りのウマ娘のような気がしてならなかったのだ。

 

「マルゼンスキーさんはエクリプスって人知ってますか?」

「あら、歴史のテストかしら?18世紀後半に産まれた公式記録でも全戦全勝、記録に残っていないものも含めたから何回勝ち続けたかも分からない。けれど一度も負けていない事だけは確かな事実として語り継がられている正真正銘最強のウマ娘よ」

 

歴史の教科書に載っているウマ娘の中でも間違いなく知名度が最も高い『エクリプス』はイギリスが代表する偉人の一人だ。

 

まだウマ娘のレースが黎明期の頃、ヒート戦と呼ばれる2000m強のレースで誰かが一位を二回取るまで走り続けるレースが行われていた。

誰かが二回勝つまで、そして休憩も挟むとはいえルール上では最大4回走る事も有り得た。しかし、エクリプスはただの一度も三レース目も走ったことは無く、全てのレースを最初の二回だけで決着を付けている。そんな真似が出来るウマ娘が現代に何人居るかなんて考えるだけで野暮だ。

 

そんなウマ娘ならば初めて走るターフで長距離でも勝ててしまうのではとスペは考えていて、マルゼンスキーも単なる謎かけではないようだとその様子から察した。

 

「ルドルフには勝てないって思っちゃった?」

「……正直、よく分からないです。凄く強いって事は分かったんですけど、胸の中はモヤモヤしてて」

 

気持ちが折れてしまったかとマルゼンスキーも心配したが、正直に本心を漏らしながら苦笑するスペに少し意表を突かれた。圧倒的な実力差を見せつけられても勝利をイメージできるスペのメンタルの強さもだが、スペはまだ自分が持つ本当の強みを理解していない。

 

ルドルフが見せた領域に棲んでいるかのような異様な覇気もスペはまるで影響を受けておらず、あくまでも自分の限界の内でルドルフと競っていたのだ。何故スペだけがそんな芸当ができるのか、マルゼンスキーはそこに勝機を見出そうとしていると急に黙ったことでスペはまた不安げな表情を見せていた。

 

「ごめんごめん、何でもないわ。スペちゃんならきっと勝てるわよ!」

「その前にまずは決勝に上がらないとですね。ブライアンさんにカフェさんに、強い人ばかりですし」

「ええ!最高に楽しい相手との勝負は楽しまなきゃ損よ!」

 

ルドルフとは決勝で再戦になるとはいえ、まずは決勝進出の為にスペも立ちはだかる強豪達に勝つ事に意識を向け、マルゼンスキーもその背を押そうと声援を送った。

 

だが、窓の外に見える黒雲は新たな標的を見つけポツポツと雨粒を降り始めていた。

 

「あ゛あ゛ぁぁ、今日は雨降らん言うてたアホは何処行ったんや!」

「タマが何度もラスト一本って言うから先に帰るって言っていたぞ」

「本調子やないオグリに負け続けてねんで!勝つまでやるに決まってるやろ!」

 

その頃、トレセン学園のグラウンドでは調子を戻したオグリとタマモが共同での練習中に突然の通り雨に打たれてしまい、大量の資料を抱えていたオグリのトレーナーを先に帰して二人は片付けをしていた。

 

最後には勝てたタマモが自分のトレーナーの文句を言いながら出していた道具を抱えて倉庫へと向かい、オグリも大きなタイヤを転がしながらその後に続こうとした。

だが不意に誰も居ないはずのグラウンドから気配を感じ、振り返ると2000mのスタートラインに一人のウマ娘が立っているのが見えた。

 

視界も霞むほどの激しい雨に打たれているにも構わず、そのウマ娘はジッとオグリの方を見ている。オグリも最初は怪訝な表情を浮かべていたが、そのシルエットに見覚えがあり目を凝らすとすぐにその側に駆け寄った。

 

「ルドルフ!」

 

オグリが側に寄って手を握った相手はこれまで学園に姿を見せなかったルドルフで、服もジャージ姿で少なくともまともに生活はしているのだと分かるとオグリは今にも泣きそうな顔をした。

 

「良かった……無事だったんだな…」

 

恩人であるルドルフの無事に心底安心していたオグリだったが、ルドルフからの反応がまるでなく顔を見つめるとその目は疎ましそうにオグリを睨み付け、オグリの手を強引に振り払うとオグリも呆然とした。

 

だが確証はなくとも『ルドルフではない』と直感的に理解し、オグリも怯まず睨み返すとルドルフは何も言わずに顎でスタートラインに並ぶように指した。

シービーと路上レースした時と同じく強いウマ娘を狙ったタイマンレースにオグリも乗り、スタートラインに並んだ。

 

お互いに出走の体勢をとり合図を待ち、一筋の稲妻が照明が並ぶポールに直撃すると同時に二人は走り出した。地面がぬかるんでいるにも関わらずルドルフは瞬く間に予選と変わらない程の速さまで加速し、出遅れなかったオグリでもその背が遠くなっていった。

 

「物凄い速さだが、その速さには驚かないぞ」

 

実際に走ってみても圧倒される速さではあるが、オグリは何馬身離されようと戸惑う事なく追い掛けて行った。そして、ルドルフはコーナーに差し掛かるとオグリの予想通り大きく減速した。

 

予選でも見せたコーナーでの減速は対戦相手を舐めているだけではない。今のルドルフはコーナーが苦手、それを補い余る程の直線での加速力とスタミナこそ驚異ではあったが、勝負が可能ならばオグリにも勝機はある。

 

ルドルフの減速に合わせてオグリも位置を上げていき、第四コーナーを抜けるまでにその差を1馬身まで詰めた。

だがコーナーを抜けるとルドルフは芝が大きく踏み込み、一気に最高速度まで加速すると再びオグリを突き放した。

雨でぬかるんでいるといえ芝が抉れ飛ぶ光景を目の当たりにし驚愕している間にもルドルフは加速していき、ルドルフが巻き起こす旋風は雨粒さえ流れを変えていく。

 

だが、オグリは頭の中は別の事で埋めつくされていきレースの途中でその足が止まっていくと、ルドルフもそれに気が付くと走り切る前に立ち止まった。

 

「It's not even a contest, it's just grey.」

「どういう意味だ?」

「興味が失せた」

 

勝負を中断されて心底下らないと声に怒りを混ぜたルドルフは吐き捨てるようにそう言うとグラウンドの中央に再び稲妻が落ち、その雷光にオグリの気が引かれるといつの間にかルドルフは姿を消していた。

 

タマモの言う通り、ルドルフは必ず準決勝に出てくると分かったオグリは満足気に置いてきたタイヤの元へ戻ると、タイヤの上には額に青筋を浮かべたタマモが座っていた。

 

「風邪を引くぞタマ」

「何処行っとんたんやバカタレ!」

「ルドルフと走ってた」

「早よコレ片してっ、今会長さんと走ったって言ったんか!?」

 

片付けをサボったオグリを怒鳴ろうとしたが、その前にオグリから信じられない言葉を聞かされたタマモは自分の耳を疑ったが、オグリはタイマンレースで確かな収穫を得ていた。

 

「ああ、勝つ方法が思い付いた」

「何や!?それ教えたら許したるで!」

「それは内緒だ」

 

直線では無類の強さを誇るルドルフの攻略法を思い付いたオグリはタマモの追及を逃れつつタイヤを転がしていき、タマモは何とかオグリから聞き出そうとするがオグリはそれを受け流すだけでタマモには教えようとしなかった。

 

それは意地悪やライバルだからではなく、タマモには教えても意味がないからだ。オグリキャップだからこそ思い付いた攻略法は真似できるようなものではない。『唯一抜きん出て、並ぶ者なし』、その問いへの回答としてルドルフに勝つべくオグリキャップは次の一戦への準備を始めた。

 

時を同じくして、雨で練習を中断した沖野はルドルフへの対策を考えるべくトレーナー室で唸っていた。ゴールドシップは最後の追い込みでも内側を攻めれるだけの強靭な脚力を有している。スタミナに関しても並外れていて、何よりも勝負感の強さは目を見張る物がある。

 

普通のウマ娘相手ならば十二分に勝機はあるが、相手が最初から飛ばす以上普段の走りでは差が開き過ぎるのだ。

 

「どうしたもんかなー、南坂何かアドバイスないか?」

「僕に聞かれても…」

「ガヴリエラちゃーん」

「知りません」

「おハナさん、は居ないのか。桐生院嬢も相変わらず担当探しだし」

「私を頼ってくれても良いんだよ沖野トレーナー?丁度試薬を試してみたかったんだ」

「だから聞かなかったんだよ」

 

珍しく中央所属のトレーナーが部屋に集まっているのだから知恵を借りようとしたが、他のトレーナー達も自分の担当ですらルドルフに勝つ方法が思い浮かばないのに下手なアドバイスは避けようとした。

 

タキオンだけは乗り気ではあったが沖野は呆れていると、部屋の扉を叩く音が鳴り扉が開かれると顔を見せたのはサイレンススズカだった。

 

「ん、どうかしたかスズカ?」

「少し話がしたくて」

「部屋の中でいいか?」

 

大した話でないならば部屋の中でもいいだろうと思っていたが、スズカが周りのトレーナーを気にしてるのを察して「それじゃあちょっと歩きながら話すか」と椅子から立ち上がって部屋から出た。

 

外は天気予報も外れて盆をひっくり返したような雷雨で、今日はもう練習は出来ないだろうと帰り支度をするウマ娘達とすれ違いながら二人は廊下を歩いていた。

 

「それで?何か悩みか?」

「シービーさんについて聞かせてください」

「またそれか、言っておくが彼奴とは変な仲とかじゃないからな。俺の最初の担当ウマ娘、それ以上でもそれ以下でもない。それを言わなかったのも三冠はシービーが誇るべき成績で、俺の実力のように言う気が無かったから。それだけだぞ」

 

シービーが元スピカ立ち上げのメンバー、そして沖野の元担当ウマ娘だと知ってからスズカは何かとその関係を探ろうとしていて、年頃の乙女なのだから仕方ないと沖野も思っていたが流石に度が過ぎ始めていた。

 

担当ウマ娘とトレーナーが特別な関係になることは確かにそう少ない話ではない。だが誰もがそうである訳でもなく、沖野も自分の立場を理解した上で健全な関係を結んでいた。

それを変に捉えようとしているなら少し叱ろうかと構えたが、スズカはそれに安心はしたものの沖野を尋ねたのは他の理由だった。

 

「どうしてシービーさんに追込を教えたんですか?」

 

スズカがシービーと並走した時に感じた疑問を尋ねると廊下を歩いていた沖野の足が先に止まり、スズカも立ち止まって振り返ると沖野が苦い顔をしているのが見て取れた。

 

「何でそんな風に思ったんだ?」

「この間シービーさんと走った時、私は確かに負けました。けど、もしも『レース』だったなら私は勝てた筈です」

 

スズカは三冠ウマ娘相手でもレースならばあの勝負は勝てたと言い切り、それが他のウマ娘ならば誤魔化せただろうがスズカが既にシービーの弱点に気付いているのだ。

 

「シービーさんはとても足が速い人です。実際、全速力ならシービーさんの方が上だから私も負けたんだと思います。でもレースなら、私達『以外』にも走ってる人達が居たらあの走りは危険だった」

 

シービーが得意とする第3コーナーから一気にスパートを掛け、集団をごぼう抜きにする走り方は一対一ならば持てるポテンシャル全てを発揮することが出来る。

だが、実際のレースではそうもいかない。

 

集団で競っているからには外を走る者も、内を走る者もいる。その中へ後ろから突っ込むからにはどうしても思い通りにいかない場面がある。加速しようとした時に前を塞がれるか、空いているのが大外しかないか、シービーの走りを邪魔する要因はレース中に多数存在する。

 

対してスズカは先頭を常にキープし、最後まで先頭で走り続けることでスタミナが切れて負ける可能性はあっても、進行方向にいる他のウマ娘に邪魔される事はない。

 

シービーの走り方は博打を打つ事前提の走りであり、三冠を取ったのだからそれでも問題はないと思うウマ娘もいるがスズカはそうではなかった。

 

「どうして逃げや先行を教えなかったんですか?」

「……彼奴が1番楽しいと感じた走りが追込だったからだ。俺はその想いを汲んだ、それだけだ」

「本当にそれだけですか?トレーナーさんなら」

「スズカ、お前の言ってる事は正しいよ。今の俺なら彼奴をもっと勝たせる事だって出来たかもしれない。でもそうはならなかった、過ぎた話をしても仕方ないだろ」

 

先頭の景色を見ていたいから走るスズカは何故勝ちやすくなる走り方を教えなかったかという素直な疑問をぶつけたが、沖野はその話を拒むように強引に打ち切った。

シービーと似ているスズカが居るから話をしたくなかった沖野はこれ以上シービーの話はするまいとスズカに背を向け、トレーナー室へと戻った。

 

一人残されたスズカは触れるべきではない過去だと理解しながらも、沖野をもっと理解したいという気持ちからどうにかして知る方法はないかとその場で左回りをしながら模索し始めた。

 

「シービーさんとトレーナーさん……同期の人は……同期…」

 

他のウマ娘達からの視線を気にする事なく回り続けていたスズカの足は同期という言葉で止まり、その手があったかと思い付くとすぐにその足はリギルの練習室へと向かった。

 

日本ウマ娘の誇りを守る為に実力者達が集められ、設備も完備されているチームリギルの練習室では東條ハナがナリタブライアンやテイエムオペラオーの練習を指示していて、二人からはルドルフであろうと必ず勝つという意思をスズカも感じ取れた。

 

「ハナさん」

「ん?あら、スズカじゃない。どうかしたの?」

「少し話が」

「構わないわ。少し休憩にするわよ」

 

沖野と普段から親しくしているハナならば何か知っているのではないかとスズカが話し掛けると、元リギルのスズカからの話と聞いてハナも練習を中断し、練習をしていた二人も気を利かせて汗を拭きながらハナ達から距離を置いた。

 

「それで?話って何かしら?」

「シービーさんとトレーナーさんの事を教えてください」

「三冠ウマ娘とその専属トレーナー、ってことを聞きたいのではないのね?」

「はい。もしかしてトレーナーさんが誰の専属にもならない事と何か関係があるんですか?」

「相変わらず鋭いわね。けど、それを知ってどうするの?面白い話でもないわよ?」

「私はトレーナーさんを信じてます。だからトレーナーさんが何を隠そうとしてるのか、私達の為に何を耐えようとしているのか知りたいんです」

 

野次馬をしても面白い事はないとハナも釘を刺したが、スズカは沖野が意味も無くウマ娘の担当を辞めるなんてないと信じている。だからこそ、何が沖野にそこまでさせているのかを知りたいと思っていた。

 

リギルに居た頃とは違い、本当の強さを知っているスズカの瞳に見つめられたハナも「走り以外を知りたいなんて、変わったわね」と穏やかな笑みを浮かべた。

 

そして、ハナが知る限りでの昔の沖野とミスターシービーというウマ娘が歩んできた荊棘の道について語り始めた。

 

「あの二人はお互いに組んだ事を後悔してるのよ」

 

 

 

 

近頃の荒れた天気が嘘のように晴れている準決勝前日の夜。オグリは眠らなければ分かっているものの、昂る気持ちを抑えられずベッドから起き上がり、同室のタマモを起こさないように静かに部屋から出た。

 

いつもは騒がしい栗東寮も今日ばかりは寝静まり返っていて、物音を立てて寮長を起こさないように忍び足で廊下を歩いた。

 

「おや、こんな真夜中に私に用かなオグリ」

 

しかし、大勝負前日なら確実に誰か抜け出そうとすると読んでいたフジキセキは靴箱の前に椅子を置いて待機していたのだ。見つかってしまったオグリは何とか言い訳を考えようとしたが、フジを騙し通せる程口が上手くないのはオグリ自身も自覚している。

 

観念してオグリは大きく肩を落としたが、「早く戻って来るんだよ」とフジは用意していたブランケットを手渡すと、オグリも「恩にきる」と頭を下げてから靴を履き替えて外に出た。

 

昼間の陽気な天気とは打って変わり、まだまだ夜は肌寒く貰ったブランケットに包まりながらグラウンドの観客席まで足を運び、使い方を覚えたスマホでメッセージを送ってから待人を待った。

月光によって照らされたターフは白い光を淡く反射していて、オグリも感傷的になっていると慌ててやって来た待人は夜闇の中でも目立つオグリを見つけるとすぐに駆け寄った。

 

「何で起きてるんだオグリ!寝なきゃ駄目だろ!」

「中々眠れなくて、すまない」

 

オグリの才能にいち早く気付いて笠松時代を支え、送り出してからは中央のトレーナーになるべく勉強と経験を重ね、オグリの有馬記念制覇後に担当に復帰した『北原穣』。

 

オグリの体調を第一に考える北原は自分の上着もオグリの肩にかけ、隣に座ってオグリの横顔を覗くとその顔はいつになく儚げに見えた。

 

「懐かしいな、あの頃が」

「あの頃?」

「トゥインクルシリーズを走っていた頃だ。あの頃の私はお母さんのお陰で走れるようになって、北原が私を見つけてくれたお陰でレースに出られるようになって、六平のお陰で中央でも成績を残せてた。私はいつも周りの人達に助けられてばかりだった」

 

オグリは地方から生まれたスターとして中央でも並々ならぬ成績を残し、『芦毛は走らない』という常識を覆し、怪我明けの有馬記念を制してまごう事なきシンデレラストーリーを歩んだウマ娘という唯一無二の存在になった。

 

見る者全てに夢を与えてきたオグリも直近のレースには殆ど出らず、ドリームトロフィーリーグを目指して北原とトレーニングの日々を過ごしていたが、URAファイナルズが開催されると聞くと二つ返事で出場を決めた。

 

「私は有馬記念で勝って、これまでお世話になった皆への恩返しは出来たと思う」

「ああ、十分過ぎるくらいにな。お母さんだって泣いて喜んでくれていただろ」

「だから、このURAファイナルズだけは自分の気持ちに正直になろうって決めたんだ」

「自分の気持ち?」

 

そこに掛ける願いはただ一つ。

 

「私は貴方の為に走るよ、北原」

 

北原への恩返しだった。

 

突然名指しで自分の為に走ると言われて北原は戸惑いを隠せずにいたが、オグリにとって北原はそれだけの価値のある特別な存在だったのだ。

 

「貴方に会わなかったら、貴方じゃなかったら、そしてあの時私を見送ってくれた貴方が居なかったら、今の私もきっと此処には居なかった」

「そんな……過大評価だぞ。俺は偶々マーチじゃなくてオグリを見ていたから」

「なら、これは私達の運命だ。もしも私がシンデレラなのだとしたら、私をシンデレラにしてくれたのは魔女ではなく貴方だ。貴方の誘いで最高の舞台で走って来た私が、今度は貴方を最高の舞台に連れて行くと決めたんだ」

 

北原に向けられたオグリの真剣な表情からは北原を揶揄うような意思は一切感じられず、自分との出会いを運命だと断言するオグリに北原もその言葉だけで目頭が熱くなっていた。

 

中央に送る為に六平にオグリを任せた北原は猛勉強をして、オグリに追い付いたがその時には既にオグリの時代は過ぎていた。それでもオグリは北原と再契約を交わし、新たな舞台を共に歩もうと手を差し伸べているのだ。

 

たとえ時代は過ぎても自分が送り出したオグリに一歩でも近付きたいという一心だった北原にとっては、オグリからの歩み寄りは自分の事を忘れていなかったという証明でもある。

それだけで北原はこれまでの努力は報われたと実感していたが、オグリはまだ気持ちは伝えてきれていないと立ち上がると空に浮かぶ満月を背にした。

 

「たとえ相手が唯一抜きん出たウマ娘でも、私は私の輝きで対抗してみせる。そして、もしも私が優勝した時は私と」

「私と?」

「………何か、美味しい物を一緒に食べに行こう」

「ああ、約束だ」

 

北原が思っているよりも大人になったオグリは自分の中にある特別な想いも伝えようとしたが、浮かれるのはまだ早いと自制して外食の約束を交わし、お互いに小指を絡めて指きりを交わした。

 

少し子供っぽい約束の仕方だが、それこそがオグリキャップというウマ娘。何処までも純真無垢で、裏表も無く、ただ只管に走り続ける。

 

「私は必ず勝つぞ、北原!」

「ああ!なんて言ったって俺達のオグリキャップだからな!」

 

皆の期待を薪にしてオグリの闘志はより大きく燃え上がり、満月に照らされ煌めく銀髪を白炎のように靡かせた。

 

そして、準決勝当日。春の京都競技場は曇天に覆われて小雨が降っているが、スタンドを埋める観客は雨合羽を着て応援に来ている。当然観客の多くが予選でルドルフが見せた圧倒的な走りを自分の推しのウマ娘がどう攻略するのか、どんな走りを見せてくれるのかと期待していて、ルドルフが出る第二レースの方が期待度としては上だった。

 

だが第一レースも二番人気ナリタブライアン、三番人気テイエムオペラオー、そしてルドルフにも善戦したスペシャルウィークが出走となっていて実力としては決して見劣りするものではない。

 

もしも唯一見劣りするものがあるとすれば、

 

「スペ……何だその腹…」

 

スペが体重管理に失敗し、腹が出ている事だろう。

 

マルゼンスキーの見舞いに行った際に渡した人参をスペがその場で半分以上食べてしまい、練習後もご褒美として晩御飯を豪勢にしていた為、栄養素を吸収して膨らんだスペの腹を鷲掴みにする沖野は呆れを通り越して無の表情を浮かべている。

 

本来ならばスズカが監視役になる筈だったが、別件に気を取られていた隙を突いて凶行に走ったスペはバツが悪そうに顔を背けた。

 

「……スペ」

「……はい」

「来年は俺が24時間監視してやる。悔いの残らないように楽しんでこい!」

「いや待って下さい!?この前は本当にお腹空いてて負けた気がするんです!勝負の前から諦めちゃ駄目ですよ!」

「いや、その腹は無理っすよスペ先輩」

「寧ろ勝てたら失礼っていうか」

「スペちゃんももうちょっと乙女の恥じらいを覚えなよ」

「食べたい気持ちはよく理解できますがそれは…」

「皆も酷い!?」

 

とてもじゃないがルドルフをどうの言える状態ではないスペに控室にいる他のウマ娘も『有力候補が自爆してくれた』とほくそ笑んでいて、拙い弁舌で反論しているスペの姿は哀れにも見える。

 

一方で第二レースの待機組であるタマモやスーパークリークは唯一見出したルドルフへの対抗策を失敗させない為にイメトレを何度も繰り返し、凡ミスで勝利を逃すまいとしている。

 

だがオグリだけはいつもと変わらない様子でベンチに座ってレースに入れ込む訳でもなくボーッとしていて、最初こそ気にしていなかったタマモも微動だにしないオグリが気になり、オグリの目の前で手を振るとオグリもタマモに視線を向けた。

 

「どうかしたのか?」

「いや、死んでんのかと思っただけや。まさかまた会長がーとか言わんやろな」

「別にそんな事言ってないし、寧ろ楽しみで仕方ない。決勝じゃなくてもこれだけ昂れる相手との勝負だ。変に意識するよりも普段通り走る方が楽しいに決まってる」

 

気を抜いてるのではなく自然体、予選で圧勝してみせたルドルフを相手にしても気を張らないオグリにタマモは拍子抜けにされた。

強者の相手となればいつも闘志を剥き出しにしていたオグリから『楽しむ』という言葉が出てきて、リラックスする余裕すら見せている姿はタマモでも見た事がない。

 

新たな境地に達したオグリがどんな走りをするのか、タマモも期待を寄せていると第一レースの出走者達に係員から召集が掛かり、スピカの面々に『来年こそは』と声援を送られるスペは肩を落としながら部屋から出て行く。

 

「スペも難儀やな…」

 

完全に敗北ムードのまま見送られたスペをタマモも哀れに思いながら見送り、控え室から関係者が出て行くと控室に設置されたモニターに他のウマ娘達も視線を向けた。

各ウマ娘達が実況で紹介され、スペもパドックでの評価が反映されて堂々の18番人気となり、全員の体勢が整うと一斉に走り出した。

 

予選では出遅れたウマ娘達も問題無く好スタートを切り、レースが進んでいくと先頭にミホノブルボン、それを追うオペラオーとブライアンが火花を散らしている。

集団の後ろではマンハッタンカフェも控えていて、誰が一着になるか全く予想が付かない展開だったが、終盤に差し替えると他にも予想外のことが起きていた。

 

「なんや、スペええとこ居るやん」

「一位争いには遠いが、集団の中でも存在感があるな」

 

完全に調整ミスをしているスペは最終コーナーに入ってもバテている様子が無く、トップスピードこそ劣るもののスタミナ面に関しては誰よりも余裕を感じさせる力強さが残っているのだ。

 

最終直線に入り集団から少し顔を出したスペは必死に先頭に向かおうとするが、既に先頭は領域に踏み込み限界を超えた末脚で先を行っている。

そして、

 

「『ナリタブライアンが一着でゴール!惜しくも2着はハナ差でテイエムオペラオー!怒涛の追い上げで3着マンハッタンカフェ、半馬身差!』」

「おお!スペ6着やで!」

「決勝には上がれたな」

 

先頭争いを制したナリタブライアンは拳を空に突き上げてファンからの喝采を受けているが、スペの決勝進出には誰もが驚いた。

 

勝負服から漏れ出ていたお腹も心なしかへこんでいて、まさか決勝に上がれるとは思ってもみなかったスピカの面々が掌を返して健闘を称えたが、流石のスペも熱い手のひら返しを細目で睨んでいる。

 

予想外の展開ではあったが、自分と同じくルドルフからの期待を寄せられているスペが決勝まで残った事は喜ばしく思いながらも、意識はすぐに自分のレースに向け直した。

 

「第二レースに出走する選手はスタートの方へ移動をお願いします」

 

目指すゴールはただ一つ、そして自分の答えを示すべくオグリは立ち上がって雨足の強まるターフへと向かった。

 

 

「わ、悪かったってスペ」

「許しません」

「そんな拗ねる事ないだろ、なぁ?」

「そ、そうですわ!入賞にはならずとも、決勝への切符を勝ち取れた事を喜びましょう!」

「みんな負けるって言ってた癖に」

「スペちゃん…ほんと悪かったって」

 

泥で汚れた勝負服からジャージに着替えたスペはスタンドで待つスピカと合流したものの、気不味そうにするスピカの面々は何とか機嫌を取ろうとしたがスペと言えど耳を貸す気にはならなかった。

 

食事制限を無視したのは自分で、明らかな調整ミスだったのは承知していたが、初めから負けると思われていて機嫌の良いウマ娘なんている訳もない。

 

美味しい和解案を提示してくるまでは拗ねたフリをしようとスペもだんまりを決め込んでいると、スタンドの方に何人かウマ娘達が近づいて来た。

 

「おっ、スペちゃーん。決勝進出おめでとー」

「セイちゃん、どうしたの?」

「んにゃ、特に何かって訳じゃないけど。あっ、居た居た」

 

スペに手を振るスカイがスタンドで探し人を見つけて駆け寄り、スカイの視線の先に居たキングもそれに気付いた。

 

「あら、わざわざ私に挨拶だなんて殊勝な態度ね」

「キングには私が芦毛No. 1だって所を見てて貰わなきゃいけないからね。はい、タッチ」

 

キングの側に寄ったスカイは両手を上げてハイタッチの構えをとり、キングも手を出してスカイとハイタッチを交わした。

だが、キングはすぐにスカイの手が震えていることに気付き、指を絡めてスカイの震えが止まるようにしっかりと握り締めた。

 

「大丈夫、このキングが応援しているのだから遠慮なく一位を取って来るといいわ」

「……ありがと、キング」

 

キングからの声援で気合いを入れ直したスカイは目の色を変えてこの一戦に全てを賭ける覚悟を決め、小走りでゲートに向かって行った。

スペも決勝で競う事になるかもしれないと分かっていても友人が本調子になった事を喜ばしく感じている。

 

するとゴールドシップもスピカの面々の近くにやって来たが、いつもと変わらぬ余裕な態度を見せていて、それが虚勢でない事は誰もが分かっている事だ。

 

「トレーナー、アタシには何かアドバイスあんの?」

「無い!自由に走って勝ってこい!」

「おっしゃ!本マグロ釣ってくる所見てろよマックイーン!」

「ちゃんとレースをして来なさい」

 

ゴールドシップの変わらぬ言動のようでもマックイーンにはそれがゴールドシップらしい勝利宣言である事は理解でき、いつも通りの返しで送り出すとゴールドシップも無邪気な笑顔を見せてからゲートへと向かった。

 

芦毛No. 1を決めると名高い第二レース、マックイーンやビワハヤヒデのように出ていないウマ娘がいる中でもそう言われるのは全員がそれだけの実力を兼ね備えているからだ。

 

残る一人を残してゲート付近に各ウマ娘が集まると、ターフに立つウマ娘達はすぐに地下通路から姿を現した存在に気が付いた。

 

「『一番人気11番シンボリルドルフ、悠々と姿を現した!予選では圧倒的実力差を見せ付けたが、今日も逃げ切ってしまうのか!』」

「『前回はらしくない走りでしたが、それでもあの結果ですからね。今日も逃げられる事前提で他のウマ娘達も対策を練って来ているでしょうから、何処まで食い下がれるかが見所ですね』」

 

二番人気のオグリと三番人気のタマモはルドルフと同じく予選1位だが、人気に差が付いたのはやはり圧倒的な実力差を見せ付けたからだ。

 

他者を追随すら許さない絶対的な走りに今回も期待が寄せられているが、ゲートに近付いて来るルドルフの表情は競うウマ娘の顔を見てあからさまに落胆の色を見せた。

 

「芦毛が四人、しかも一人は勝負から逃げ出す腰抜けか」

「……なんや、生徒会長の癖におもろい事言うやん」

「『芦毛は走らない』、レベルの低いレースで勝てた位でその現実は覆らない」

「口喧嘩したいんやったら控室でやってくれればええのに。マジモンの喧嘩なら受けて立つで」

 

ルドルフの口から発せられたのは『芦毛は走らない』という一種の事実だった。他の毛色のウマ娘達と比べると確かに芦毛の勝率は低い。それが芦毛という毛色のウマ娘にに課せられた運命であると言われていた時代は確かにある。

 

元来気が短いタマモは侮辱とも取れる言動に今にも殴り合いを始めそうな程怒気を露わにしたが、オグリがそれを手で制すとタマモも殴り掛かるのは抑えた。だがオグリが先に頭を下げると流石に周りのウマ娘も動揺していた。

 

「あの時はすまない。折角私に会いに来てくれたのに途中で勝負を止めたのは事実だから怒るのは当然だ」

「謝るから手を抜けと?」

「いや、だから今度こそ私の本気を見せるから手は抜かないで欲しい。手を抜かれるとどっちが速いか分からなくなる」

「私に勝てると言いたげだな」

「勝つと言ってるんだ。芦毛が走らないなんて古い考えはもう通用しない、お前もそんな考えは捨てた方がいい」

 

ルドルフの悪意のある言い方に対し、オグリはその天然さ故に歯に衣を着せぬ発言を繰り返すとルドルフはあからさまに苛ついている。

 

「あと、お前は誰だ?ルドルフじゃない事は分かってる、名前を教えてくれ」

「……エクリプスだ、この名を貴様の足りない頭に叩き込んでやる」

 

予選では大差以内に収まったスペとマルゼンスキーだけに教えた自らの名をエクリプスが大勢の前で語ると、誰もが知る偉人の名を言っただけだと周囲のウマ娘達は思ったが、オグリだけはそれが真実なのだと受け取った。

 

目の前にいるのはルドルフとは別人、それがオグリにとっては一番大切な事だったのだ。

 

「ありがとう、エクリプス。良い勝負をしよう」

「勝負などするつもりはない。私が勝つのは絶対だ」

「絶対なんて私が覆してやる」

 

エクリプスがどれだけオグリの気を削ごうとしてもオグリから返ってくるのはスポーツマンシップに則った言葉ばかり。

 

一人のスポーツマンとして自分に挑もうとするオグリが気に食わないエクリプスは係員に誘導される前に自身のゲートに入って行き、オグリ達もエクリプスの余裕を崩すべく気合いを入れ直してからゲートに入った。

 

「『各ウマ娘、体勢が整いました』」

 

レースの始まりが近付きスタンドの歓声が止んでいくと、京都競技場には降り頻る雨音だけが鳴り続き、ウマ娘達の雑念も次第に取り払われていく。

 

最大の脅威であるエクリプスをどう攻略するのか、スタンドにいるウマ娘達も息を呑む中、ゲートが開くと予選同様エクリプスは最初から限界を超えて領域に踏み込み、急加速しながら周囲を威圧した。

 

だが、先頭に踊り出たのは別のウマ娘だった。

 

「『一斉にスタートを切った!最高のスタートを切ったのは1番セイウンスカイ、シンボリルドルフを抜いて先頭に躍り出ている!』」

 

逃げとしては最高のポジションである1番枠を手に入れたセイウンスカイは最初から勝負を仕掛けてエクリプスの前に出るとスタンドは歓声を上げた。

 

エクリプスも一瞬であろうと他のウマ娘に前に出られた事に驚いたがすぐにセイウンスカイの後ろに付き、既に集団との差を3馬身程開いて最初の第3コーナーへ入っていく。

エクリプスはコーナーではスピードを出せず差が広がり癪に触っているが、その隙にもハイペースを維持するセイウンスカイはエクリプスとの差を広げていく。

 

「『セイウンスカイはまだ飛ばす!最初から勝負を決めるつもりなのか!』」

「『予選ではシンボリルドルフはコーナーで明らかな減速をしていましたから先に差を広げておきたいのでしょう』」

「『第3コーナーを抜けて大きな曲線を駆けるセイウンスカイ、シンボリルドルフ!その3馬身後ろの集団、先頭はメジロライアン、続いてレリックアース!』」

 

京都競技場の第3コーナーから第4コーナーは大きな曲線を描いていて、エクリプスがコーナーで失速するのならば先手を打った方が策を講じるのも容易になる。

その為に最初から全てを出し切るつもりで先頭を取ったスカイは後ろから追い掛けてくるエクリプスの威圧感に肝を冷やしていた。

 

これまで誰もなし得なかったエクリプスの前を走るというのは、常にエクリプスの標的になるという意味になる。後ろを走る事さえ許さないエクリプスが前を走られるというのは最大の屈辱に等しい、だがエクリプスの激昂もスカイの策略の内だった。

 

最初に第四コーナーを抜けたスカイはエクリプスを相手に4馬身差を開いていて、スタンドの前を駆けていくとファンの声援を一重に受けているがコーナーを抜けたエクリプスはスタンドからでも聞こえる程の強烈な踏み込みで猛加速を始めた。

 

「『先頭は依然セイウンスカイ!しかしシンボリルドルフが後続を突き放し、凄まじい勢いで差を詰めていく!』」

 

エクリプスがコーナーで減速する事は他のウマ娘達も理解していて、メジロライアンもエクリプスまで半馬身差まで詰めていたが、内ラチ寄りに走っていたエクリプスは直線に入った途端にスピードを上げてセイウンスカイに迫った。

 

2馬身、1馬身と瞬く間にセイウンスカイを射程圏内に捉えたエクリプスはセイウンスカイの真後ろに付き、直線を半分を超えているが抜くには十分な距離があり、これまでかと思われた。

 

だが、エクリプスはセイウンスカイの後ろに付いたまま抜かそうとはせずそのまま第一コーナーへと入り、誰もが何故抜かさなかったのかと疑問に思ったがトレーナー陣はスカイの巧みな戦術に舌を巻いていた。

 

「セイウンスカイの奴上手いな…!」

「セイちゃん何かしてたんですか?」

「シンボリルドルフが直線でしか勝負しないのを逆手に取ってるんだ。あれは抜かなかったんじゃない、抜けなかったんだ」

 

エクリプスはセイウンスカイを抜く為に全速力を出した。だが当たり前だが前を走るウマ娘を追い抜くには必ず内か外に動かなければならない。

 

そして、エクリプスはコーナーでの減速でのロスを最小限に抑える為に内側を走っていて、セイウンスカイを追い抜くには外を走るしかない。その一瞬のみ前へ進む為の足が横移動の為に使われるが、セイウンスカイの勝機は其処にあった。

 

エクリプスの足音が限界まで近付き、エクリプスが抜こうと思う瞬間だけ加速してエクリプスの行動に水を差しているのだ。たとえ外に出て追い抜かしコーナーで内側に入ったとしても、十分な差を付けていなければスカイへの妨害行為だと思われて失格になる可能性もある。

 

スカイはルールとエクリプスの走りを最大限に活かしているが、当然普通のウマ娘相手ならば自然な足取りで動く為に抜く瞬間など分かるはずもない。だがエクリプスは加速する瞬間だけ明らかに『足音が大きくなっている』。

 

「此奴…!」

「前には行かせない!」

「『先頭セイウンスカイは第一コーナーへ!続くシンボリルドルフ1馬身差、そのすぐ後ろ9番レリックアース!』」

 

第一コーナーに入って再びエクリプスとの差を広げるセイウンスカイは直線で勝負をさせない事で自身の体力も維持していて、エクリプス一強と思われたレースは波乱の展開となったが他のウマ娘達もこのまま黙った訳ではない。

 

第三コーナーよりも急な曲がり角になっている第一コーナーではエクリプスの減速も著しく、タマモは早々に領域に踏み込むと集団の外に出て前へと上がり始め、殿から様子を見ていたゴールドシップも少しずつテンポを上げている。

 

「『第3コーナーではタマモクロスが外から抜け出し、後方では3番スーパークリークと15番ゴールドシップが上がり始めている!第二レースは中盤から攻めているウマ娘が多いですね!』」

「『全体的に早めに仕掛けていますね。恐らく向正面でシンボリルドルフに離される前に出ておきたいのだと思います』」

 

タマモは小柄を活かした瞬発力で集団を抜け出してからエクリプスに迫っていき、コーナーで手間取っているエクリプスに並ぶとエクリプスは疎ましげにタマモを睨んだ。

 

だがタマモの瞳に稲妻のような覇気が迸り、エクリプスさえも抜き去ると大きな歓声が上がった。スカイが第四コーナーに差し掛かりその後ろをタマモが猛追する中で、未だ勝負を仕掛けず集団の後ろに居るオグリは自分の周りを走っているウマ娘達を見て思わず笑みを浮かべていた。

 

「皆凄いな」

 

北原との共闘、世代の違う強豪との勝負はオグリに大切な事を思い出させていた。

 

それは『オグリキャップ』として走り出す前、一人の幼い少女だった頃。元々は走るのに向いていない足を母親の看病のお陰で走れるようになり、野原を駆け回っていた頃の想いを想起していた。

 

走るのは『楽しい』。当たり前過ぎて誰もが意識する事を忘れてしまう感情をオグリはこのレースで再確認にすると、レースを最大限に楽しむには自分の全てを出し切るしかない事も自ずと理解した。

 

「もっと一緒に走ろう!」

 

レースをもっと楽しむ為にオグリは様子見の為に上げていた頭を下げ、第四コーナーから抜ける前に集団の外に出るとオグリが攻めるタイミングを待っていたゴールドシップはその後ろに付き、オグリの加速に合わせる準備をした。

 

そして第二コーナーを抜けてオグリがこのレースで初めてエクリプスの背を直線で捉え、オグリは左足を大きく前へ出して領域へ踏み込むと全身から覇気が放たれたが、エクリプスはオグリキャップの魂までもが脈動するのを聞き逃さなかった。

 

「私の走りは、此処からだッ!」

 

後ろから迫るゴールドシップはオグリが一瞬フワッと浮いたような気がした。これから仕掛けるというのに敢えて脱力して、何をする気なのだと。

 

けれど、オグリの視線の先に居るウマ娘達との位置関係を考え、『後ろに居たらマズイ』と直感的に勘付いたゴールドシップは大外へと逃げた。

 

次の瞬間、オグリは下げている自分の頭よりも前に出した左足を長いストロークで土を掻き出すように後ろへ蹴り出した。そして右足も同じように大きく動かして近くで見ていると分かり辛いが、スタンドからは他のウマ娘達と比べてオグリの速度が急激に上がったのが見て取れた。

 

「『向正面に入り集団から抜け出したのはオグリキャップ!頭を大きく下げて先頭集団へ突っ込んで行く!』」

 

オグリの柔軟且つ鍛え上げられた筋肉と体幹は一回のストロークでの加速量を底上げしていて、他のウマ娘では真似ができない頭を上下させながら重心を低くする独特な走法を可能にしている。

オグリはタマモクロスの直線上に並び、メジロライアンはそれに続こうとしたがゴールドシップが避けた『乱気流』に捕まりそうになり、すぐにオグリの後ろから避けた。

 

頭を下げれば当然空気抵抗も少なくなり有利ではあるが、それ以上に効果が発揮されるのは乱気流が発生する高度の低さだ。

 

ゴールドシップのように体躯の良いウマ娘の後ろならば無風状態の空間も広く、後ろに付いていればスタミナを温存しやすくなる。

だが、オグリは頭を下げる事で空気抵抗を減らすと共に、後ろに流れる気流の高度が小柄のウマ娘ほどになっていて、下手に後ろに付けば却って空気抵抗を受ける事になる。

 

そして小柄のウマ娘では出せないような速度をオグリが出している今、オグリの後ろには誰も付くことが出来ない絶対領域と化しているのだ。

 

「タマモクロスをシンボリルドルフが追い抜き、2馬身先のセイウンスカイへと迫っていく!だがオグリキャップはシンボリルドルフとの差は広がらず、タマモクロスとの距離を詰めていくぞ!」

 

そして、オグリの見出した勝機は前を走っているタマモにあったのだ。

 

「ウチを狙っとんのか!?」

 

タマモには長い末脚とそれに耐え得る強い心肺機能がある。だがマルゼンスキーがそうであったように、コーナーで並ぶだけでは直線勝負で必ず負けてしまう。

 

最終コーナーに入る前から射程圏内に捉えておく必要があるというのはタマモも理解していて、故に早々に勝負を仕掛けている。オグリも同様の作戦を考えていたが、エクリプス以外のウマ娘と同じ作戦では混戦になってしまうのが目に見えていた。

 

オグリにしか出来ない作戦、それが秘策『エクリプスは一旦置いておく作戦』だ。エクリプスに勝てたとしてもスカイやタマモが勝っては一着にはならない、ならエクリプスに拘る必要はないとオグリはあっさりと狙う相手を変えていたのだ。

 

向正面の直線を半分を超えるとオグリはタマモが生み出すスリップストリームの中へ入ると、空気抵抗が更に減って距離を詰めていく。対してエクリプスはセイウンスカイを再び半馬身まで捉えたものの、巧みな足捌きを前に苦戦していて後続の二人にも徐々に詰め寄られていく。

 

先頭集団が団子になり速度が頭打ちになると、後方ではゴールドシップとスーパークリークが溜めていた足を一気に解放し、互いに競り合いながら前へと上がり始めている。

 

「『先頭集団は第3コーナーへ!先頭は変わらずセイウンスカイ、しかしそのすぐ後ろシンボリルドルフ、タマモクロス、オグリキャップも前へ抜けようとしている!後方からはゴールドシップとスーパークリークも追い上げているが間に合うか!』」

「バカ、間に合わせんだよ!」

「これ以上私達抜きではやらせない!」

 

ぬかるんでいる大外で関係無しに詰めていくゴールドシップ達も第3コーナーに入り長い曲線を駆けていくと、先頭集団との距離がみるみる内に縮まっていき、コーナーでの減速が著しいエクリプスは更に順位を落とした。

 

並ばれる事さえ稀にしかなかったエクリプスにとっては現代のウマ娘達に並ばれ、一時的とはいえ順位を落とす事は屈辱でもあったがその目に映るのはオグリだけだった。

 

「あの時か…」

 

オグリから感じられる魂の輝き、エクリプスの領域に踏み込むのではなく『生み出そう』としている。

 

いつかの時代、何処かの世界で同じ名を生まれ持った者から引き継いだ魂の輝きが生む『領域』。本来ならばウマ娘と同名の者の結び付きは領域に達するほど強固ではなく、エクリプスの領域へ踏み込むのが限界だった。

 

だが、三女神像はウマ娘達に運命を超えさせる為に人馬一体の力を与えようとする。最も理想に近いルドルフが三女神像に接触する前に、エクリプスが乗り移り三女神像を破壊すると共に防いだ筈だったが、三女神像が選んだのはルドルフではなくオグリだったのだ。

 

「『まだ逃げるセイウンスカイ!しかしその半馬身後ろタマモクロス、続くオグリキャップが前を狙っている!シンボリルドルフはコーナーで再び減速し、差を広げられているが直線で巻き返せるか!』」

 

オグリから感じられる魂の輝き、それはオグリキャップが再びトゥインクルシリーズに出場する可能性を秘めている。だが、それを許せば他のウマ娘達の運命を大きく変えてしまう。

 

もしもツインターボが有馬記念に勝っていたなら、

もしもキングヘイローが三冠ウマ娘だったなら、

もしもアグネスタキオンが足を壊していなかったなら、

もしもエルコンドルパサーが凱旋門賞で勝っていたなら、

もしもシンボリルドルフが本当に無敗だったなら、

 

運命を変えてしまう行為はエクリプスが『唯一抜きん出たウマ娘』であるという伝説さえもを危うくする。だからこそエクリプスは運命を越えようとするウマ娘達の輝きを侵蝕し運命に従わせ、既定路線からの逸脱を許さない。

 

「貴様等に教えてやる」

 

『唯一抜きん出たウマ娘』は、エクリプスでなくてはならないと。

 

「先頭は第四コーナーへ!先頭集団は固まっているが大外からはゴールドシップとスーパークリークが並んできた!このまま差し切れるか!」

「ゴールドシップさん頑張れー!」

「後は最後の直線よ!粘りなさいスカイさん!」

 

スタンドからの声援を受け、第四コーナーを駆けるウマ娘達は残る400mの直線に残る足全てを費やす覚悟を決めた。

 

だが、ずっと内を攻めていたエクリプスが初めて外へと流れていくと、最後の直線で勝負を決める気かと観客も盛り上がっているがタキオンの横に立つカフェはエクリプスを見て戦慄していた。

 

「あんなのは初めて見ました…」

「シンボリルドルフに何か見えたのかい?」

「アレがシンボリルドルフに見えるのですか…?」

 

常人には見えないものが見えるカフェが怯える姿を初めて見たタキオンは「走り方は随分と違うようだね」と言葉を濁した。

 

オグリも第四コーナーを抜け出すと同時にタマモの後ろから抜けてタマモをも追い抜くと、スカイに並んで今にも抜き去ろうとした。

だが、外へと抜け出したエクリプスは集団と差を広げられつつもゴールまでの直線を確保した。

 

次の瞬間、身体を前のめりにして首を大きく下げると蹄鉄でターフを抉りながら一気に加速を始め、開いていた差を瞬く間に詰めていった。

 

「『し、シンボリルドルフが直線で勝負を仕掛けてきた!コーナーで離されていた差を一瞬で詰め、タマモクロスを抜き去った!』」

 

まるで地を這うように走る姿はさながらオグリのようだが、その爆発力はオグリの比ではない。最終直線で勝負を決める予定だったゴールドシップ達でさえ離される圧倒的なスピードはエンジンの掛かっているタマモクロスさえも一瞬で抜き去り、残るスカイとオグリに迫っていく。

 

最初から飛ばし続け、前半のように後ろに付かれている訳でもないスカイに抗う術はなく、残り200mの時点でエクリプスに抜かされるとエクリプスの前に残ったのはオグリだけだった。

 

「粘れオグリ!後少しだ!」

「勝つのは私だ!私は北原と先に進むと違ったんだ!」

「それは貴様の運命には必要の無い事だ!」

「これが私の全力だッ!」

 

残り100mで負けられないオグリは更なる輝きを放つと、エクリプスに自らの領域を魅せた。生まれ育った笠松の雪景色、オグリキャップにとっては忘れられない『夢』が映し出されると、オグリの足に更に力が入りエクリプスに差を詰めさせまいとした。

 

だが、

 

「ウマ娘に夢なぞ必要無いッ!」

 

エクリプスが放つ漆黒の領域がオグリの領域を黒く塗り潰し、オグリの夢を否定する為により力強く地面を蹴ってオグリの前へと出た。

 

オグリも何とか追い付こうとしたが、追い付くには距離が足りずゴール板の前を通過すると、誰もがエクリプス以外が勝つと思っていただけにスタンドは沈黙に包まれていた。

 

「『1着はやはりこのウマ娘、シンボリルドルフ!2着は半馬身差オグリキャップ!3着セイウンスカイ!最後の最後で差されてしまいましたね』」

「『あの状況から差し勝てるシンボリルドルフの強さ。これこそ彼女の絶対という言葉に相応しいものですね』」

「『決勝に勝ち上がったウマ娘達は果たして決勝では借りを返せるのか!2週間後の決勝が今から楽しみです!』」

 

全てを出し切って負けたオグリは身体から蒸気を放ちながら肩で息をしていて、ある程度歩いてから立ち止まると電子掲示板に映る2着の文字を眺めて自分の至らなさに拳を握りしめていた。

 

一方で芦毛と侮っていたとはいえ、コースを譲り本気を出さざるを得なかったエクリプスはオグリの実力を認めつつも、お互いに掴み合える距離まで詰め寄ってからオグリを睨み付けた。

 

「これが現実だ。私に勝つことも貴様等に夢を見る事も許さない。それが貴様達の運命だ」

「……それでも、私は楽しかった。また走ろう、エクリプス」

 

自分の夢を否定され、夢を見る事さえも許さないと言うエクリプスに対してもオグリは悔しさを差し置き、一緒に走れた事への感謝の態度を示した。

 

スポーツマンとしてあるべき姿を取るオグリにエクリプスは「分からない奴だ」と怪訝な表情を浮かべ、そのまま地下通路の方へと消えていき、予選同様に復旧したばかりのマルチターフビジョンに稲妻が落ちるとエクリプスは自分が走ったという痕跡を消した。

 

其々努力を重ね、策を講じ、そしてこれ以上無い程の全力を出し切ったのにオグリ達は負けた。決勝に進出したとはいえ、エクリプスに見向きもされなかったウマ娘達には屈辱しか残らなかった。

 

「あのオグリキャップでも差し切られるのか……」

「まさか予選では完全に手を抜いていただなんて信じられませんわ」

「手を抜くなんて会長は絶対にしない。あんなの、ボクが認めない」

「認めないって言っても、テイオーは長距離には出られないでしょ」

「ゴールドシップもやさぐれてるし、さっさと回収しなきゃ……って、スペ先輩手摺り壊しちゃマズイっすよ!」

「へ?」

 

ゴールドシップが八つ当たりをする前にスピカの面々も撤収しようとしたが、ウオッカが手摺りを握り潰しているスペを咎めると、スペ自身も無意識の内にそんな事をしていた事に驚いていた。

 

沖野が係員に事情を説明してから無罪放免になり、不機嫌なゴールドシップを連れてスピカは学園へと帰って行った。観客もまたもや落雷騒ぎで避難経路で誘導されていく中、着替えが終わったオグリは会場の出入口で北原と合流したが北原の表情は重かった。

 

「その、惜しかったな。彼処で抜かれたのは俺の力不足だ、すまない」

「いや、北原が居なかったら彼処まで善戦できていなかった。エクリプスが私よりも強かった、それだけだ」

「エクリプス?」

「ただ、エクリプスは私と走っても楽しくはなかったみたいだ。なのに何故彼女は走っているんだろう」

 

オグリのスポーツマンとしての態度も、走る事が楽しいという感情にさえもエクリプスは共感を示さなかった。

 

ウマ娘の夢を否定する為に走るエクリプスが何故そこまでするのかとオグリも気掛かりではあったが、北原は何の話か分からず困惑しているとオグリも首を横に振って気持ちを切り替えた。

 

「……いや、何でも無い。それよりも帰って作戦を練り直そう。彼女の本気は分かった、次は勝てる筈だ!」

「ああ、そうだな!次は中山の2500m、有馬記念の距離ならオグリの強みをもっと活かせる!」

 

たとえエクリプスに否定されようとも、オグリの夢は決して止まらない。大切な人の為に、走るのが大好きな自分の為に、『オグリキャップ』はまだ走ると決めたのだから。

 

 

 

「ふわぁ…」

 

準決勝から一夜明け、手摺りを破損させた反省文を書かされていたスペは朝一から生徒会室に向かっていた。

 

最低のコンディションで何とか勝ち取った決勝への切符はエクリプスとの再戦という難題への挑戦権でもある。元々勉強は好きではないがより身に入らないのに、徹夜で反省文を書いたスペはボーッとした頭でエクリプスの走りを思い浮かべていた。

 

最後の最後まで見せなかった本気の走り、あの加速力とトップスピードは足を壊したアグネスタキオンに引けを取らなかった。それを3000m弱走った後に出せる怪物にどう立ち向かうのか、スペの頭の中はその事で一杯だった。

 

『気が付いたら壊していました』と一文だけ書いた反省文を手に生徒会室までやって来たスペは扉を叩こうとしたが、まだ早起きの生徒達くらいしか居ない筈なのに生徒会室の中からは声が聞こえてきたのだ。

スペは耳を扉に当てて中の様子を盗み聞きしようとすると、中に居るのは生徒会長代理のシービーと起きたら既に居なかったスズカだとすぐに分かった。

 

『スズカちゃんは朝も早いんだね。にんじんジュースでも飲む?』

『いえ、要りません。それよりも聞きたい事があります』

『沖野ちゃんの事かな?残念だけどレースに勝ったのは私、約束は約束だから詳しい事は教えられないよ』 

『何でスピカを作ったんですか?』

『沖野ちゃんには必要だと思ったから』

『なら何故スピカを抜けたんですか?』

『沖野ちゃんに私は必要ないから』

『どうしてトレーナーさんとの契約を切ったんですか?』

『私と沖野ちゃんのトゥインクルシリーズは終わったから。質問は終わり?早起きはいいけど、あんまり沖野ちゃんを困らせたら…』

『そんなに三冠ウマ娘になった事を後悔してるんですか?』

 

矢継ぎ早にシービーを問い詰めるスズカに対し、シービーは余裕の態度を崩さなかった。だが最後の質問だけはシービーはすぐには言葉を返せなかった。

 

スズカが誰に自分と沖野の話を聞いていると察したシービーは最後の質問こそスズカが知りたかった事なんだと理解し、はぐらかす態度を改めるとスズカと向き合った。

 

『うん、後悔してるよ。私なんかトゥインクルシリーズに出る資格さえ無かったとも思ってる』

『どうしてですか?貴方はとても速い人で、現に三冠ウマ娘にもなれた程の人なのに』

『それで?』

『それでって…』

『確かに私は三冠ウマ娘になれたし、私の夢も叶って嬉しかった。けどそれだけ、私の三冠に意味なんて無い。たまたまコースが空いてて、たまたま私の世代が弱かっただけ』

『それは同じ世代の人に失礼です』

『現に私はルドルフには一度も勝てなかった。勝てなきゃいけない私が文字通り手も足も出なかった。それもその筈、だって私の追込は時代遅れで運頼りの戦法だった。ルドルフは、おハナさんは、私よりもずっと上手だった』

 

シービーは決して声を荒げたりはしなかったが、その言葉には自身への怒りが混じっているのは容易に感じ取れた。

 

『私は後ろから追い抜くのが好きなただのウマ娘だった。沖野ちゃんはそんな私を自由に走らせてくれて、三冠ウマ娘にもしてくれた。なのに私は沖野ちゃんに辛い思いをさせてしまった。だから沖野ちゃんには私の事を忘れて欲しかった。スピカだってその為に作ったし、将来勇猛なゴールドシップちゃんを連れてきたのだってその為だった』

『……』

『私と沖野ちゃんの関係はそれでお仕舞い、これで隠し事は何にも無くなったよ。スズカちゃんが心配してるようなことは何も無いよ』

『三冠ウマ娘にならなかったら良かったって、本気で思ってるんですか?』

『……思ってるよ』

 

部屋の外にいるスペにはシービーがどんな顔をしてその返事をしたのかは分からない。だがその言葉を受け止めたスズカは「失礼します」と一礼し、足音が近付いてきたスペは慌てて耳を離して開かれる扉の影に隠れた。

 

スズカは扉の影にいるスペに気付きながらもそのまま通り過ぎていき、開かれたままの扉から顔を覗かせるとスペに気付いていたシービーは笑顔を見せていた。

 

「おっ、スペちゃんも早起きだね。反省文はちゃんと持ってきたかな?」

 

スペは持ってきた反省文をシービーに手渡し、シービーも内容に満足してから引き出しの中に仕舞った。スペも聞きたい事が山程有ったがシービーの想いを尊重するべく口を噤んでいた。

 

「エクリプスには勝てそう?」

「っ、知ってたんですか?」

「勿論、あの子が自分でそう言ってたから。聞かされた時は半信半疑ではあったけど、準決勝で確信したよ。だから反省文っていう名目でスペちゃんを呼び出したんだから」

「私を、ですか?」

「うん。スペちゃんにお願いがあるの」

「何ですか?」

 

ルドルフがエクリプスに乗っ取られていることも、夢を否定する為に走っていることもシービーは知っていた。

 

だがエクリプスはシービーが夢を失くしていると分かると早々に路上レースを切り上げて行方を眩ませていたが、シービーも今の自分がエクリプスに敵わない事は承知していた。

 

だからこそ、

 

「あの子達に勝ってあげて」

 

自分が果たせなかった役目を後輩に託すことにした。

 

2週間後に始まる唯一のナイター戦、URAファイナルズ長距離決勝戦中山2500m右回り。URAファイナルズを締め括る最後のレースでスペシャルウィークは自身の真価を発揮する。

 

『日本一のウマ娘になる』、二人の母に約束した夢を叶える為に。




私の小さい頃からの夢、『日本一のウマ娘になる』こと。
けど、日本一のウマ娘って具体的にはどういう事なんだろう?
1番足が速いこと?
1番力が強いこと?
1番長く走り続けられること?
1番諦めないこと?
1番賢いこと?

多分、どれも私が想ってる答えとは違う。なら相手は三冠ウマ娘や有馬記念で勝ったウマ娘、そしてエクリプスさんに勝てば日本一?
それもきっと違う。
私は日本総大将スペシャルウィーク、私がウマ娘として生まれた意味はきっと此処にある。
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