喧騒が、痛いほど鼓膜を叩く。
大勢の人間が行き交う道路の片隅で、少年は壁に背を預けて座り込み、霞んだ視界でただ目の前を横切って行く人々を見ていた。
少年の顔は土気色で目には生気がなく、一目見て健康とは程遠い状態であることが分かるにも関わらず、誰も少年のことを気に掛けようとはしなかった。
否、気に掛けている余裕がないのだ。
何せ少年の視界に映る人々もまた、程度の違いはあれ少年と同じような状態なのだから。
大声で女の人が何事かを喚いている。
男同士が怒鳴り合っている。
小さい子どもが泣いている。
少年がいる場所は『ガストレア戦争』の被害を受けて、全国から東京に逆疎開してきた
ガストレア戦争。その名の通りガストレアと人類の戦争。数ヶ月前に突如として世界に現れた、赤い目をした異形の怪物───ガストレア。強靭な肉体と並外れた再生能力を持ち、ステージIからステージⅣの4つの段階を経て成長し、他の生物に血液を介してウイルスを送り込み感染させることで同族を増やしていく寄生生物。
少年もまた奴らによって、この場にいる多くの避難民と同じように住んでいた家を追われ東京にやって来た身だ。
けれど、本来であれば少年はこんな場所にいる必要などない人間だった。少年は他の東京に避難してきた者たちと違い、父親の友人の家に預けられたからだ。
父親は、両親と離れたくないと必死に抵抗する少年に真剣な顔で『俺と母さんもすぐに行く』とだけ伝え、東京行きの列車に押し込んだ。列車のドアが閉まる直前、少年が泣きながら両親に手を伸ばすと、二人は安心したような顔で笑った。
そして少年は、駅まで迎えに来てくれた父の友人に連れられ、彼の家にやって来た。父の友人の家はとても大きく、少年は生まれて初めて目にする豪邸に緊張しつつ、幼心にちょっと興奮した。
父の友人を名乗るおじさんは目が鋭くて少し怖いけど、実際は優しくて、おじさんの屋敷にいるお手伝いさんたちも余所者である自分にすごく良くしてくれた。おじさんの孫であるたくさんのお兄さんたちと、自分と同い年ぐらいの女の子とはどう接して良いのか分からなくて少し苦手だけど、それはお父さんとお母さんが来たときに二人に相談すればいい。そう思っていた。
───5日後に、
葬儀の日、丁重に渡された黒い塊を震える手で受け取った瞬間、ソレは呆気なく崩れて指の間からこぼれ落ちていった。
コレが、何度も自分に笑いかけ、一緒に添い寝をし、美味しいご飯を作ってくれた両親?
信じられるはずがなかった。
少年は真っ黒になった掌を何度も開いたり閉じたりした。
もう両親は笑いかけてくれない? 一緒の布団で眠ることも出来ない? もう二度と、三人でご飯を食べられない?
信じたくなかった。
少年はぐちゃぐちゃになった心で、考えつく手段をすべて使って現実を否定した。
木魚を鳴らすお坊さんに掴み掛かって読経を止めさせた。
棺の蓋を蹴り飛ばして空っぽな中身を参列者に見せつけた。
自分を宥めようとする大人たちの声を、耳を塞ぎ叫ぶことで掻き消した。
『お父さんとお母さんは死んでなんかいない!』
そう何度も絶叫し、制止する父の友人の声を振り切って屋敷から飛び出した。そして宛もなく、衝動のままに走り続けた少年は、2日かけてこのキャンプ場に流れ着いた。
しかし、配給札も持っていない少年に食べ物を恵んでくれる者はおらず、空腹と喉の渇きに耐えられなかった少年は、今しがた仕方なく木の根を噛み、草の汁を啜り、直後猛烈な下痢と吐き気に襲われて、めでたく脱水症状になった。
ここに座り込んでいるのも、つい先ほど起こった立ちくらみと視野狭窄によって立っていることもままならなくなったからだ。
……きっと、あの家に戻ればこの地獄のような苦しみからは解放されるだろう。あそこにはこのキャンプにいる人たち全員が、それこそ喉から手が出るほど求めて止まないものがすべて揃っている。
それでも……それでも、少年はあの家に戻りたくなかった。
実の両親との離別。新しい家庭環境。
その二つの出来事は、生まれてまだ6年しか経っていない少年が受け止めるにはあまりにも重すぎたのだ。
不意に凄まじい倦怠感に全身を侵され、意識が遠のきかける。
───死ぬのだろうか。
このまま完全に意識を失えば二度と目覚めることが出来ないことを直感しながらも、少年は自分が思っていたより『死』を恐れていないことに気づいた。
───死んだら、楽になれるのだろうか。
どうせもうこの国は終わりだ。国土のほとんどをガストレアに奪われ、国民を守ってくれる自衛隊もほぼ壊滅状態。遅かれ早かれみんな死ぬ。なら、ここで死んだ方が無駄に苦しまなくて済む。
けれど───けれど、もしもこの場を生き延びることが出来たなら。
死んでなんかいないと、絶対にまだ生きていると。そう信じて、両親を捜しに行こう。そして、また抱き締めてもらいたい。頭を撫でてもらいたい。頑張ったねと、褒めてもらいたい。
なら、こんなところで死んでなんかいられない。
現実逃避かもしれない。だが、人は心が原動力だ。その心が、両親は生きていると信じ、立ち上がると決めたなら。
少年は足に力を込め、壁を支えにして立ち上がる。
その時だった。遠くから人外の咆哮が響き渡ったのは。
それまで通りを行き交っていた人々の足が止まり、辺りを静寂が支配する。しかしそれは、直後鳴り響いた鐘の音と、山の向こうから飛び越えて来た巨影によって引き裂かれることになる。巨影の正体は、鳥の体と昆虫の目を持ったガストレアだった。
瞬く間に狂乱はキャンプ全体に伝播した。誰もが叫び、押し合い、少しでもあの怪物から離れようと倒れた
道路の端にいたことと、皮肉にも空腹と脱水症状によってその場から一歩も動けなかったことで、少年は奇跡的に人の濁流に巻き込まれることはなかった。
少年に出来たことは、こちらへと飛んで来るガストレアをただ睨みつけることだけだった。
だからこそ、ガストレアの後ろから自衛隊の戦闘機が迫っているのに最初に気付いたのもまた少年だった。
やがて人々もそれに気付き、逃げ惑っていた全員の意識が戦闘機とガストレアの空中戦に集中する。
そして、決着の時はやって来た。
戦闘機が放ったミサイルがガストレアに直撃し、空気が炎上し爆発する。空中に咲いた火焔の華の中から飛び出した、片翼となり悲鳴を上げる怪物に群衆から歓声が沸き起こる。
しかしそれも一瞬。急激に高度を下げ、弱々しく滑空するガストレアの軌道が自分たちに向かっていると気づくや否や、まるで映像を巻き戻して再び流し直したかのように、人々は叫び声を上げて走り始めた。
直後、ガストレアは幾多の建物や仮説テントを薙ぎ倒し、大勢の人を挽き殺しながら、文字通り少年の目と鼻の先で停止した。
眼前に現れた瀕死のバケモノ。嘴から大量の血が流れ落ち、息も絶え絶えと言った様子の呼吸を繰り返している。
とは言え、瀕死といえどその場から動くことのできない
怪物は嘴を思い切り開き、金切り声を上げた。それはまるで、これから自分に食われる少年を嘲笑うかのように。
顔に飛び散った血と涎が不快だった。
獣くさい咆哮に吐き気がした。
数瞬後の未来を想像して、恐怖で全身が震え、悲鳴が口から飛び出しそうになった。
けれど、何よりも。
目の前のバケモノに、手も足も出せずに殺されることが、堪らなく悔しかった。
ガストレアが首を傾け、その嘴が少年に迫る。せめて目だけは閉じてたまるかと、涙を浮かべた目で精一杯睨みつけた。そんなちっぽけな意地だけが、少年に許された唯一の抵抗だった。
故に─── 少年は、その光景を生涯忘れることはないだろう。
───日の呼吸 円舞
嘴が少年に触れる直前、男が少年とガストレアの間に割り込んだ。そして男は回転しながら腰に差していた刀を抜くと同時に、下から切り上げるように目の前のガストレアを一刀両断した。
「─────」
それは、今まで一度も剣技というものを見たことも触れたこともない少年が息を忘れるほど綺麗で、あまりにも美しかった。男が右手に持つ
ズシン、とお腹に響くような振動と共に、ガストレアの体が左右に分かれ、男が付けている日輪を模した花札のような耳飾りが揺れる。
不思議なことに、男の刀で斬られたガストレアの傷口は、まるで高熱の炎で炙ったかのように焼けており、一向に再生する気配はなかった。
少年の瞳は目の前に立つ大きな背中に釘付けになった。
徐に、男は振り返った。長い黒髪を後ろで縛り、赤い羽織に黒い袴を履いた物静かそうな顔をした青年だった。
そしてそんな彼の額には、揺らめく炎のような独特な形をした痣があった。
これが少年───里見蓮太郎と、後に『耳飾りの剣士』と呼ばれる男の、最初の出逢いだった。
◆◇◆◇
「───スゥゥ……ハァァァ……」
とあるアパートの屋根の上。月の光を浴びながら、蓮太郎は目を閉じて坐禅を組んでいた。
もしもこれが昼間であれば、同じアパートの住人や大家のおばさんに見つかり大問題になっていたかもしれないが、幸いにも今は真夜中。誰にも邪魔されることなく、蓮太郎は瞑想に耽ることができた。
「───ここにいたのか、蓮太郎」
「延珠?」
掛けられた声に振り返ると、そこには居候兼仕事の相棒でもある藍原延珠の姿があった。
「目が覚めたら隣に蓮太郎が居なくてびっくりしたぞ。危うく街中を探し回りに行くところだったではないか!」
「わ、悪い……」
すやすやと気持ち良さそうに眠っていた彼女を起こさないようにと、細心の注意を払って部屋を出たつもりだったが、どうやらその気遣いが却って少女にいらぬ心配を掛けさせてしまったらしい。
蓮太郎がバツが悪そうに視線を逸らして謝罪すると、「分かれば良いのだ」と延珠は満足そうに頷いた。
「それで、どうしたのだ?」
「え?」
「蓮太郎がここに来るのは決まって何か悩んでいる時だからな。あれか? 木更のおっぱいを触ってケンカでもしたのか? それとも菫にイジメられたか? 妾が慰めてやるぞ?」
「アホ。そんなんじゃねぇよ」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、隣に腰を下ろしながら悩みの原因を探ってくる延珠に、蓮太郎は溜息混じりに否定する。
「今日の夕方倒したガストレア……岡島さんのことは覚えてるな?」
「……無論だ。つい数時間前の出来事を忘れるほど、妾はまだボケてないぞ」
二人はガストレア退治を専門とする『民間警備会社』、略して『民警』を
延珠は『呪われた子供たち』と呼ばれる、ガストレアウイルスをその身に宿しながら人の姿を保ち、それでいて人を超えた様々な能力を持つ存在であり、その力でガストレアと戦う『
蓮太郎はそんな彼女を監督し、サポートする『
まあ実際のところ、二人とも基本的に戦闘スタイルが超近距離型のため、お互いにフォローし合うことがほとんどだが。
「彼が元々いたマンションで、ある男に会ったんだ」
事の発端は『グランド・タナカ』というマンションの住人からの通報だった。
曰く、上の階から血の雨漏りがする、と。
情報を総合した結果、その『雨漏り』はガストレアによるものだと判断した警察は民警に応援を要請。いち早く現場に急行した蓮太郎は、道中で一緒に乗っていた自転車から振り落とされたことに気付かず、置き去りにしてしまった延珠の到着を待たずに現場に突入した。
異様な光景だった。
リビングの床にぶちまけられた大量の血。
まるで巨大な鉄球で叩き付けられたかのように、壁にめり込み圧死した二人の警官。
そしてそんな部屋の真ん中で佇む、奇怪な服装をした線の細すぎる仮面の男。
「最初はそいつも民警なのかと思った。けど違った。先に現場に突入した警官を殺したのは、他ならないその男だったんだ」
目の前にいる男が敵であること。そして如何なる方法を使ったのかは不明だが、成人男性二人を容易に圧殺できる能力を持っていること───即ち、自分には全く予想できない攻撃手段を有しているという事実に、
一瞬で男との間合いを詰め、眉間に掌底、鳩尾に裡門頂肘、顎に裏拳と流れるように打ち込むと、最後に確実に意識を刈り取るために殺さない程度に威力を抑えた『隠禅・黒天風』を放った。
当たるという確信があった。先の連撃には確かな手応えがあり、回避する余裕も防御する猶予もないと思った。
だが、回し蹴りが男の横面を捉える直前、見えない障壁に阻まれた。
蓮太郎の目が驚愕に見開かれるが、それも一瞬。すぐさま体勢を立て直すと同時に距離を取り、腰の後ろに差していたXD拳銃を抜き放ち構える。
本来であれば、不可視の壁という摩訶不思議な現象に動揺し、致命的な隙を晒すところだが、蓮太郎の左眼─── 『二一式
そしてその推測が正しいか確かめるために、蓮太郎は男の足に向けて一発だけ銃弾を放った。
直後、青白い燐光が弾け、銃弾は全く見当違いの方向へ飛んでいった。
俄には信じられないことだが、男はバリアに守られているのだ。
ここに至って、蓮太郎は確信した。この男は
アレを突破するにはこちらも
───どうすればいい。
現状を打破するために加速した思考で戦略を練る蓮太郎に対し、男は無言でじっと、興味深そうにこちらを見ていた。
そんな男の様子に、蓮太郎は気味の悪さで寒気がした。
「そいつは世界を滅ぼすと言っていた。けど、俺はあいつを倒すことが出来なかった。しかも、あいつは『呼吸』のことを─── 縁壱さんのことを知ってるみたいだった」
脳裏を過るのは、唐突に殺気を霧散させて、両手を広げながら称賛してくる男の姿。
『いやはやお見事。私の"イマジナリー・ギミック"を今の一瞬で看破したのもそうだが、
───なぜ得物が剣じゃないのかは気になるがね。
「…………」
「どうしたのだ蓮太郎? 急に黙って」
「いや、何でもない」
蓮太郎は一度、大きく息を吐いた。
「そういえば、延珠には縁壱さんのことをちゃんと話したことはなかったな」
「縁壱……確か、蓮太郎に『呼吸』を教えてくれたお師匠の名前だったな。悩みというのは、その縁壱のことなのか?」
「……そんなところだ」
アパートの屋上から一望できる街の夜景をぼんやりと眺めながら、蓮太郎は静かに話し始めた。
ある日突然、自分の前から姿を消した恩人のことを。
◆◇◆◇
───どうしたら、貴方みたいになれますか?
天童の屋敷から飛び出して、ガストレアに喰われそうになったあの日、俺は耳飾りを付けた剣士───縁壱さんに救われた。
眼前に現れた明確な『死』を前にして、怖くて震えることしか出来なかった俺を、まるでヒーローみたいに。
いや、"みたいに"じゃない。あの人は俺にとって、本物のヒーローだった。
かっこよかった。俺もあんな風になりたいと、心の底からそう思った。
だから当時の俺は、何度も縁壱さんに剣を教えてくれるように頼んだ。助けを求める人のところに颯爽と現れて、絶望を切り払う───太陽のような人に。
でも縁壱さんは。
『蓮太郎、お前には私が何か特別な人間のように見えているらしいが、そんなことはない』
天童家の屋敷の縁側に座り、中庭に目を向けながら彼は言った。
『私は大切なものを何一つ守れず、人生において為すべきことを為せなかった者だ……いや』
ふと、縁壱さんは空を見上げた。
『残せた物はあった。だがそのことに
『ッ!』
そんなことない。そう否定しようとしたが、その音が形になることはなかった。自虐的な言葉とは裏腹に、彼の表情はとても穏やかで、どこか嬉しそうに見えたから。
『……それでも僕は、貴方みたいになりたい。強く、なりたいんです』
今にして思えば、アレは縁壱さんなりに俺を諦めさせようとしていたんだろう。当然と言えば当然だ。まだ10歳にも満たないガキの
だけど当時の俺は、とにかく縁壱さんみたいに強くなりたかった。だから俺は何度もあの人に、剣を教えてくれとお願いした。
……そう言えば、俺が縁壱さんに頼み込みに行く度に
ともかく。あの人が屋敷に来る度に何度も何度もお願いして、もう何度目か分からないほど同じやり取りを繰り返したころ、ついに縁壱さんは俺に剣の型と『全集中の呼吸』と呼ばれる特殊な呼吸法を教えてくれた。
だけど結論から言って───俺はあの人の扱う剣を習得することが出来なかった。
どんなにあの人の動きを真似ても、あの人が見せてくれた技のキレには程遠くて。
どんなにあの人が教えてくれた通りに『呼吸』を意識して鍛錬を続けても、技を連続して出すことは出来なくて。
縁壱さんからは初めに、『呼吸』にはいくつかの流派が存在し、その中から自分に合った呼吸を選べばいいと言われた。だから無理に自分の呼吸を真似する必要はないのだと。
それは俺を気遣ってのものだったが、当時の俺にはその言葉が『お前に私の呼吸は使えない』と言われているように感じて。
無性に悔しかった俺は、自身に合っていたかもしれない他の呼吸を意地でも教えてもらおうとしなかった。
自分に合った呼吸。つまり、適性が高い呼吸は努力すればするだけ身につくし、逆にどんなに努力したところで、適性の低い、あるいは全く適性がない呼吸は習得するのに時間が掛かる。それどころか、一生習得できない可能性だってある。
それでも……それでも、俺はあの人と同じ呼吸───日の呼吸の使い手になりたかった。
だから、来る日も来る日も、俺は鍛錬を続けた。縁壱さんが屋敷を訪れる時も、そうじゃない時も。
そのうち、俺の鍛錬をこっそり見ていた、まだ天童家の令嬢だった木更さんとも良く話すようになった。
そんなある日の出来事だった。
その日は縁壱さんは家にいなくて、俺は木更さんに見られながら仕方なく一人で鍛錬していた時だった。どこから侵入したのか、突然屋敷に野良ガストレアが現れた。ガストレアは俺たちに襲い掛かり、咄嗟に木更さんを庇った俺は左眼と右手、右足を食われた。
その後、俺は運ばれた病院で
だけど……その日以来、縁壱さんが俺たちの前に姿を見せることはなかった。
別れの言葉はなく、何の前触れもなく、縁壱さんは居なくなった。理由すらも分からない。
だから、会って話したい。せめて理由ぐらい教えて欲しい。
なあ、縁壱さん。アンタ今、どこで何してんだよ。
◆◇◆◇
「───ヒヒヒ、よもやよもやだ」
2031年、東京エリア。
大手民間警備会社『大瀬フューチャーコーポレーション』の前で、蛭子影胤はシルクハットのつばに触れながら、白貌の仮面の奥でその双眸を喜色に染めていた。
「里見くんへのプレゼントにと、適当に防衛省に招ばれた参加者の首を持って行こうと立ち寄ってみれば、まさか君と鉢合わせすることになるとはね」
影胤の視線の先にいたのは、一人の男だった。
浮世離れした男だった。赤い羽織に袖を通し、黒い袴を履き、腰に一本の刀を携えたその姿は、まるで何百年も昔の人間が現代に飛び出して来たような印象を見る者に与える。そして男には、額の左側から側頭部にかけて炎のような痣があった。
そんな男に、まるで長年の友人に向けるような親しみを込めて、影胤は声を掛けた。
「久しぶりだね。元気そうで何よりだよ───縁壱くん」
男───継国縁壱は、腰に提げている刀の鞘を握り、耳飾りを小さく揺らしながら、影胤の道を阻むように静かに佇んでいた。
〜東京こそこそ噂話〜
菊之丞さんは縁壱さんに剣の師事を頼み込む蓮太郎くんを、某兄上が弟を見るような顔でいつも見ていました。ちなみに菊之丞さんは天童式抜刀術と呼ばれる居合いの達人でガストレアの完成形であるステージⅣを一刀両断できるほどの実力を持っていますが、そんな彼のもとに蓮太郎くんは一度も頼みに行きませんでした。悲しいね。