絶望を照らす日輪   作:夢幻読書

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投げ込まれた一石は波紋となって

 

 

 

 

 

「───どこだよ、ここ」

 

 気がつくと、蓮太郎は見知らぬ場所に立っていた。

 

 眼前には天童の家にも劣らない立派な武家屋敷があり、どうやら自分はその中庭にいるらしい。

 ただ何故か、周囲には人の気配が全くない。これだけ大きい家であれば、天童の屋敷のようにそれなりに多くの人間が居そうなものだが。

 

(そもそも、一体どうして俺はこんなところに……)

 

 現状に戸惑いながらも、不思議と焦りや不安を感じていないことに違和感を覚えながら、蓮太郎は状況を整理するために直近の記憶を辿っていく。

 

(確か俺はアパートの屋根の上で瞑想してて、起きてきた延珠に仮面の男と縁壱さんの話をして、それから……)

 

 そうして順当に記憶を掘り起こしていくことで、徐々に意識が外から内へと切り替わりかけた時だった。

 

『───兄上の夢は、この国で一番強い侍になることですか?』

 

 思わず、蓮太郎は振り向いた。

 

 そこには先ほどまで誰も居なかったはずなのに、いつの間にか二人の少年が向かい合っていた。

 そしてどういう訳か、蓮太郎には少年たちの顔がよく見えなかった。顔を見ようとしても、どうしても視線を口から上に持ち上げることが出来なかった。

 

『俺も兄上のようになりたいです』

 

 そう言って、少年の片割れは笑った。

 

『俺は、この国で二番目に強い侍になります』

 

 不意に、少年たちの姿が空気に溶けるように消えた。

 

 蓮太郎は周囲を見渡し、縁側に座って話をしている二人を見つけた。

 

『……俺はもう、剣を握りたくありません』

 

『何故だ? 以前、侍になるとお前は私に言った。なのに何故、お前はそれを自ら手放そうとする』

 

 どうやら先ほど中庭で侍になると言っていた少年は、並外れた剣技の才を持ちながらも、木剣で他人を打つ感触ですら耐え難く不快に感じたらしく、もはや侍にそこまでの関心を持っていないようだった。

 

『剣の話をするよりも俺は、兄上と双六や凧揚げがしたいです』

 

『……………』

 

 再び、少年たちの姿が消える。しかし今度は周囲の景色ごと水に浸した絵の具のように溶け出し、新しく風景が作り上げられる。

 

 今度は山中の、田んぼと畑のある場所に蓮太郎は立っていた。

 

 正面には、家族を失った少女と、帰る家を持たない少年がいた。

 

『じゃあ俺が一緒に家に帰ろう』

 

 少年の言葉に、驚いたように少女が振り返る。

 

 きっと、この少女の顔も見えないのだろう。

 そう思いつつも、反射的に少女の顔に視線を向けて、蓮太郎は呆気に取られた。

 

 黒曜石のような少女の瞳が、とても綺麗だったから。

 

 

 ───景色が再構築される。

 

 

 少年と少女は大人になり、二人は夫婦となった。

 

 妻の臨月が近づき、男は産婆を呼ぶために家を出た。

 

『いってらっしゃーい! 気をつけてねー!』

 

 自分を見送る妻に、男は軽く手を挙げて応え歩き始めた。

 

 その光景を見て、蓮太郎は気がつけば男を家に連れ戻すために走っていた。

 

「駄目だ、戻れ。行っちゃだめだ!」

 

 声を張り上げ、蓮太郎は男の背に手を伸ばす。

 

 もしも、今見ているこの光景の結末が()()()()()()()()()()()()()なら、絶対に、彼を行かせてはならない。

 

 あと少し。あともうちょっとで、手が届く。指先が触れる。

 そして蓮太郎の手が、ようやく男の肩を掴もうとしたところで。

 

 

 ───景色が再構築される。

 

 

 男が家に帰ると、彼の妻はお腹の子共々殺されていた。人を喰らう、鬼の手によって。

 

 冷たくなった妻子を抱き寄せて、男は動かなくなった。しばらくして現れた、鬼を追っていた剣士に弔ってやらねば可哀想だと言われるまで。

 

 男の夢は、家族と静かに暮らすことだった。裕福でなくていい。ただ愛する人の傍にいられれば、それだけで。

 

『それだけで、良かったのに』

 

 だが、そんなささやかな願いが成就することは永遠にない。

 

『鬼が、この美しい世界に存在している為に』

 

 妻と子を埋葬したその日、男は鬼狩りになった。

 

 

 ───景色が再構築される。

 

 

 左右を竹林で挟んだ大きな一本道。そこで男は、鬼の始祖と対峙した。

 

 悠久にも感じられる刹那の攻防の末に、男はついに鬼の始祖を追い詰めた。

 だが、あと一歩のところで鬼の始祖を取り逃してしまった。

 

 二人の死闘をすぐ傍で見届けていた女の鬼は、鬼の始祖は男が寿命で死ぬまで二度と現れないこと。鬼の始祖を自分も倒したいことを伝える。

 

 男は、女の鬼の思いを信じ、殺さず見逃した。

 

 しばらくして、男の仲間である鬼狩りの剣士が駆けつけた。

 

 数年前に鬼狩りに加わった男の兄が裏切り、鬼になったという報せを伴って。

 

 鬼の始祖を倒せなかったこと。女の鬼を見逃したこと。さらに身内から鬼を出したこと。

 それらすべてを糾弾され、程なくして男は鬼狩りを追放された。

 

 

 ───景色が再構築される。

 

 

『私は恐らく、"奴"を倒すために特別強く造られて生まれてきたのだと思う』

 

 小さな家の縁側で、男の話を一人の青年と小さな女の子が聞いている。

 

『しかし私はしくじった。結局しくじってしまったのだ』

 

 その声は自責と、悲しみと、苦しみに満ちていて。

 

『私がしくじったせいで、これからもまた多くの人の命が奪われる』

 

 掛ける言葉なんて見つからなくて。

 

『心苦しい』

 

 その言葉を最後に、彼らの間に沈黙が降りた。

 

 男のあまりにも過酷な人生に、青年は言葉を失っていた。どうにかして言葉を紡ごうとはしているものの、結局それが口から出ることはなく。

 

『だっこぉ』

 

 その時、女の子が男の袖を掴み、抱っこを求めてきた。

 その様子を見た青年の勧めもあり、男は女の子を抱き上げた。

 

『キャハハッ』

 

 高く持ち上げられ、嬉しそうに笑いはしゃぐ女の子の顔を見て、男は涙を流し、宝物のように女の子を抱きしめ、膝をついた。

 

 失われたものは戻らない。けれど、守るべきものは、今もまだここにある。

 

『ありがとう』

 

 見失いかけていた想いを取り戻した男は、微笑みと共に感謝を伝え、青年たちのもとを去っていった。

 

 徐々に小さくなっていく男の背中を見届けながら、蓮太郎は思う。

 

 その後、彼がどのような人生を辿ったのかは分からない。けれどせめて、ほんの少しでも良いから報われたものであって欲しいと、そう願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 まるで水底から浮かび上がるように、緩やかに意識が覚醒する。

 途端に耳に流れ込んでくる周囲の喧騒。机に突っ伏していた上体を起こせば、枕にしていた両腕がじんわりと痺れを訴える。

 

 僅かに滲む視界。目元を拭い、懐から取り出した携帯で時間を確認すると、ちょうど2限目も終わり、どうやら今は休み時間らしい。

 

 結局、延珠に縁壱の話をした後はあまり眠れず、蓮太郎は寝不足による頭痛に苛まれながらもどうにか登校した。

 有り難いことに、蓮太郎のクラスは学校の玄関から近く、また担任は他のクラスの教職員と比べ教室に来るのが遅いことに定評があったので、朝礼が始まるまでの間に少しでも睡眠を取っておこうと、蓮太郎は教室に増える生徒の話し声を環境音にして睡魔に身を委ねた。

 

 そうして微睡みの中で見たものが。

 

(『とある鬼狩り』の話……久しぶりに夢で見たな)

 

 『とある鬼狩り』。これは正式な名称ではなく、蓮太郎が勝手にそう呼んでるだけである。なぜならこの()()を聞かせてくれた人物は、その内容を語りはしても、物語そのものに名前を付けていなかったからだ。

 

(そう言えば、縁壱さんに稽古の合間によく聞かせてもらってたな)

 

 まだ蓮太郎が天童家を出奔する前、縁壱が自ら呼吸の指導をしていた時期のことだ。縁壱は鍛錬の休憩がてらに、蓮太郎によく『とある鬼狩り』の話を語って聞かせた。

 

 あまりにも過酷で無情で、悲しみに満ちた物語だった。初めて聞き終えた時は涙が止まらず、珍しく動揺した縁壱にあやされたほどに。

 

 そしてその物語は、蓮太郎にいくつかの影響を与えた。

 

 蓮太郎は己の右手を見る。人工皮膚で覆うことで生身の腕と遜色のない外見を保っている、超バラニウム合金で作られた義手を。

 この義手の中には、ステージⅣガストレアすら屠る威力を発揮するほどの推進力を生み出す大口径薬莢(カートリッジ)が仕込まれている。無論、義足にも。

 

 この義肢には何度も助けられてきた。実際、もし自分が生身のままだったら、今ごろガストレアの腹の中か、運が良ければ墓の下だ。

 

 だが、蓮太郎はこの義肢が嫌いだ。正確には、義肢に装填されている薬莢に言いようのない嫌悪感を覚える。

 

 この義肢は銃と同じだ。そして蓮太郎は、人を殺す銃を心の底から嫌っている。

 『銃が人を殺すのではない、人が人を殺すのだ』なんて言葉があるが、そんなものはただの屁理屈だ。どんなに取り繕ったところで、銃が殺しの道具であることに変わりはない。銃なんて、この世界から消えてなくなればいい。

 

 それほどまでに、蓮太郎は銃と自身の義肢の力を嫌っているのに、戦闘でそれらを利用することへの躊躇は一切ない。

 

 その理由は偏に、争いを嫌い、木剣で人を打つ感触すら不快に感じるほど他者を傷つけることを好まなかった『とある鬼狩り』の男も、鬼を斬るために刃を振るい続けていたから。

 

 そして同時にこうも思った。

 

 もし、この力を使い熟せていなかったせいで、目の前で人が死んだ時に。くだらない意地を張り続けたせいで、救えたかもしれない命を救えなかった時に。

 

 もっと早くこの力を受け入れていれば、なんて。そんなふざけた後悔だけは、絶対にしたくないと。

 

(結局、あの鬼狩りがどうなったのかは分からないままだったな……)

 

 『とある鬼狩り』の話は、鬼狩りの男がかつて助けた夫婦のもとを立ち去ったところで終わっている。

 

 逃げ延びた鬼の始祖が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()話は聞かせてもらえたが、鬼狩りの男がどのような最期を迎えたのかは、(つい)ぞ聞けなかった。

 

 彼のその後を尋ねると、縁壱はいつも「お前が納得のいく結末を思い描くと良い」と、誤魔化すように蓮太郎の頭を撫でた。

 

(……まあ、今さらそれを知ったところで何が変わるわけでもねぇけど)

 

 また一つ、あの人と再開したら尋ねたいことが増えてしまった。

 

「お? 里見くん、やっと起きたんだね」

 

 半ば寝ぼけた頭で、益体もないことをつらつらと考えていると、クラスメイトの男子が声を掛けてきた。

 

 蓮太郎が彼の方に顔を向けると、何故か彼は一瞬きょとんとして、すぐにニマニマと笑みを浮かべた。

 その顔を見て、蓮太郎は猛烈に嫌な予感がした。

 

「どうしたどうした、そんなに目元を赤くして。俺は優しいから放っておけないぜ───泣くほど怖い夢を見たんだろ? 良かったら相談に乗るぜ?」

 

 当人にその自覚はないのだろうが、彼の声はそれなりに大きかった。それこそ、今しがたまで談笑していた他のクラスメイトたちが会話を止めて、教室中の視線を独り占めするくらいには。

 

 蓮太郎の顔は一瞬で真っ赤になった。

 

「おまッ、ふざけんな童田(わらべだ)!! 別に泣いてねぇよ!」

 

「えー? でもさっきすげえ目ゴシゴシしてたよね?」

 

「バレてたのかよ畜生! けどだからって、教室中に響くような声で言うことじゃねぇだろうが!!」

 

 蓮太郎が肩で息をしながら反論すると、童田と呼ばれた男子は最初「何言ってんだコイツ?」という顔をしたが、自分たちを見ながらくすくすと笑うクラスメイトたちに気付くと、申し訳なさそうに目を逸らした。

 

「あー、その、自分ではそこまで大きい声を出してるつもりはなかったんだけど、ごめんね? 恥ずかしい思いさせちゃってさ」

 

「お、おう。分かってくれたならそれでいい。どっちみちもう手遅れだしよ」

 

 蓮太郎が諦めたように息を吐くと、童田が真剣な顔で肩を組んできた。

 

「そうだね。俺が言うのも何だけど、起きてしまったことは無かったことにできないからね。───じゃあ話を戻すけど、結局なんで泣いてたのかな?」

 

「よく今の流れで話を戻していいと思ったな!? 言わねぇよ!」

 

「もしかして、ついに欲望を抑えられず、幼女の下着を盗んで捕まる夢でも見たのかい?」

 

「“ついに“って何だよ! どうして泣くほど怖い夢がガキのパンツ盗んで捕まる夢なんだよ!!」

 

「なるほど! 里見くんレベルのロリコンともなると、幼女の下着を盗んで捕まる程度のことは怖くも何ともないんだね! 凄い!」

 

「そういう意味でッ、言ったんじゃねぇッ!!」

 

 蓮太郎は舌打ちした。コイツと話すといつもこうだ。ペースを乱されて、調子が狂う。

 

 いっそのこと無視してしまおうか? いや、無視したらしたで余計に面倒なことになりそうな予感がする。どうしたものか。

 

「───その辺りにしたらどうですか?」

 

 声のした方に童田と揃って顔を向ければ、そこには人当たりが良さそうな、それでいて大人びた微笑みを浮かべる少女がいた。

 

「委員長……」

 

「こんにちは、里見さん」

 

 委員長と呼ばれた少女は朗らかな声で蓮太郎と挨拶を交わすと、そのまま童田に顔を向けた。

 

「童田さん、先ほどから聞いていましたが、随分な言い草ですね。里見さんが女児の下着を盗むなんて……夢の中であったとしても、彼がそのようなことをする筈ないじゃないですか」

 

「委員長……!」

 

「へー! どうしてそう思うのかなぁ?」

 

 彼女の言葉に、蓮太郎は不覚にも目頭が熱くなった。同時に、隣で相変わらずニコニコと笑うクラスメイトをぶん殴りたくなった。

 しかし、続く委員長の言葉に、蓮太郎の出かかっていた涙は一瞬で引っ込むことになる。

 

「里見さんなら女児の下着ではなく、女児そのものを盗むはずです」

 

「結局アンタもそっち側か!」

 

 蓮太郎は目眩がした。なぜ自分の周りにいる人間は、どいつもこいつも人をロリコン扱いする連中ばかりなのか。

 

「ふふ、冗談です。それより……本当に大丈夫ですか?」

 

 それまで浮かべていた大人びた笑みを消し、心配そうにこちらを窺う委員長に蓮太郎は少し面食らう。

 どうやら自分が思ってるよりも、彼女はこちらをきちんと気にかけてくれているらしい。

 

「問題ねえよ。少なくとも()()()()じゃない。本当に大したことじゃねえんだ」

 

「それなら良いんですけど……あまり無理はしないでくださいね」

 

 蓮太郎の言葉に、委員長は労るような、悲しそうな顔で微笑んだ。

 しかし一度大きく息を吐くと、委員長の顔はいつも通りの大人びた笑みに戻っていた。

 

「それはそれとして。里見さん、今朝先生に配られたアンケートがあるので、書き終えたら後で渡しに来てもらえますか?」

 

「……分かった」

 

 机の上に置かれたアンケート用紙を見て正直面倒だなと思ったが、入学した当初からクラスに馴染めるようにと色々と世話になった恩もあるので、真面目に回答しようと考え直す。

 

「ああ、それからもう一つ。先ほど司馬生徒会長が来てましたよ」

 

「未織が?」

 

 司馬未織。蓮太郎が()()()()()()()勾田高校の生徒会長であり、巨大兵器会社『司馬重工』の社長令嬢であり、民警である蓮太郎のパトロンでもある。

 彼女とは木更と共に天童民間警備会社を立ち上げた当初からの付き合いで、まだ実績も知名度も何もなかった蓮太郎たちに無償で武器や装備品を提供してくれたのだ。

 

 とは言え、只より高いものはない。無論いくつか条件はあった。そしてその条件の一つが、未織と同じ高校に通うというもの。

 民警という職に就きながら、蓮太郎がこうして普通の学生のようにわざわざ学校に来ているのはそれが理由である。『通わされている』というのはそういう意味だ。

 

 ちなみに、未織がまだ無名であった当時の蓮太郎と契約した理由としては、一目見た瞬間から「将来大物になる」と直感したかららしい。

 

「貴方が寝ていると分かると、寝顔を写真に収めて満足そうに去って行きましたが」

 

「何してんだよあいつ……」

 

「ちなみに角度によっては、司馬生徒会長が里見さんにキスしてるような構図でしたね」

 

「マジで何してんだよあいつ!?」

 

 蓮太郎の脳裏には、常に持ち歩いてる鉄扇で口元を隠しながらウィンクする未織の顔がはっきりと浮かび上がった。

 道理でさっきからクラスの男連中から殺気が飛んで来てるわけだ。

 

「だから学校で未織に会いたくないんだよ……」

 

「うん? もしかして里見くんって、司馬さんと仲悪いのかい?」

 

「いや、そういう訳じゃねぇんだけど……」

 

 童田の素朴な疑問に対して、蓮太郎の反応はどうにも歯切れが悪かった。

 

「ただちょっと……苦手なんだよ」

 

 そう。別段、蓮太郎は未織のことを嫌っているわけではない。ただ彼女の場所を問わない(公衆の面前でキスを敢行する延珠に比べれば可愛らしい)スキンシップに悩まされているだけだ。

 

「司馬生徒会長は積極的な方ですからね。里見さんって妙に()()()()()()()ところがありますから、彼女のように真っ直ぐな好意を向けてくる人とは相性が悪いんですよ」

 

「─────」

 

 無意識に下りていた視線を咄嗟に持ち上げると、穏やかに微笑む委員長と目が合った。

 

「では、私はこれで」

 

 踵を返して、近くで談笑していた女子の輪に加わる委員長を見送ると、蓮太郎はぐしゃぐしゃと頭を掻いた。

 

「あらら、行っちゃった。せっかく委員長とお話しできる良い機会だったのに、ほとんど喋れなかったなぁ」

 

 腕を組んで、残念そうに委員長の横顔を見る童田に、蓮太郎は以前から疑問に思っていたことを訊いた。

 

「前から気になってたんだけど、童田って委員長と何かあったのか?」

 

「ないよ。何でか分かんないけど、初めて会った時からあんな感じだったんだよねー」

 

 委員長と童田は仲が悪い。正確には、童田は委員長に一方的に嫌われている、と言うのが勾田高校の共通認識である。

 美人で人当たりが良く、学年性別問わず人気がある委員長が唯一辛辣に接するのが、常に浮かべている胡散臭い笑みに目を瞑れば、陽気で誰に対しても気さくに話しかける好青年と評判の童田だったのだ。

 

 校内で知らぬ者はいない二人の間に、やれ以前は恋人同士だったが別れただの、実は前世から続く因縁があるだのと、根拠のない憶測が飛び交うのにそう時間は掛からなかった。

 

 余談だが、前者の噂に関しては当事者二人が率先して否定して回ったという。片方はピキピキとした笑みを浮かべながら、もう片方はしょんぼりしながら。

 

 そして二人の奔走の甲斐あってそれらの噂は鎮火したが、童田が委員長に好意を持っていることはもはや周知の事実であるため、代わりに童田が実は委員長のストーカーなのでは、という新たな噂が打ち立てられたとかなんとか。

 

 閑話休題。

 

「あ、そうだ。君が夢で泣いたり、委員長が話しかけてくれたからすっかり忘れかけてたけど、もともとは君にこれを見せようと思ってたんだ」

 

 唐突に、童田が思い出したように携帯のディスプレイを蓮太郎に見えるように向けてきた。

 どうやらとあるサイトに掲載されているネットニュースらしく、記事のタイトルにはこう書かれていた。

 

 

 

 『"耳飾りの剣士" 本物か、それとも偽物か』

 

 

 

 それを見た途端、蓮太郎は急激に興味が失われていくのを感じた。

 

「あれ? なんか思ってたより反応が薄いなぁ。里見くんって継国縁壱のファンじゃなかったっけ」

 

「別にファンって訳じゃねぇし、どうせそれ、偽物だよ」

 

 叶うことなら、今すぐにでも縁壱に会いたいと常に願っている蓮太郎が、その縁壱に関する情報に対してここまで冷めた反応をしているのには理由がある。

 

 ガストレア戦争において、その剣を以って日本に多大に貢献した縁壱は、人々にとってまさしく英雄的存在だった。

 

 そしていつの時代にも、そういった『英雄』に憧れる人間は一定数いるもので、終戦後、彼の痣や服装を真似する者が後を絶たなかった。

 また、縁壱自身があまり名声といったものに頓着しない性格だったこともあってか、中には縁壱の容姿を真似るだけでは飽き足らず、自分こそが日本を救った英雄だなどと、縁壱の名を騙って好き放題する輩まで湧く始末。

 

 これらは後に『縁壱化現象』と呼ばれ、このせいで現在では『額に炎の痣がある人間は、縁壱のコスプレをしてる人』という共通認識が生まれてしまったのだ。

 

 故に蓮太郎は、童田が見せた記事に対して「どうせ縁壱さんのコスプレをした人が騒ぎでも起こしたんだろ」と早々に結論づけたのである。

 

「えー。でもさ、この記事によるとその『耳飾りの剣士』っぽい人は、シルクハットに仮面を被った、タキシード姿の不審者と戦ったって書かれてるんだけど」

 

「───おいちょっとその記事見せてくれ」

 

 童田の口から飛び出した不審者の格好が、つい最近遭遇した不審者(影胤)の格好とあまりにも似通っていたため、「ひょっとすると記事に書かれている『耳飾りの剣士』は本当に縁壱さんかもしれない」という期待と「それはそれとして何故あの二人が戦闘に?」という困惑を胸に、童田から携帯を受け取ろうとした瞬間。

 

 ───蓮太郎の携帯に着信が入った。

 

「………………」

 

「………………」

 

 発信者を確認する。どうやら社長(木更)からの連絡らしい。何か重要なことだろうか。

 

「………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

「いやそろそろ出なよ。記事(これ)は後で君の携帯に送っておくからさ」

 

「……おう、サンキュ」

 

 童田に促され、蓮太郎はようやく通話ボタンを押した。

 

『───遅い』

 

 携帯を耳に当てるなり聞こえてきた、鈴の音のような澄んだ声に、蓮太郎は小さく呻いた。どうやら我が社の社長は大変ご立腹らしい。

 

「わ、悪い。今ちょっと手が離せなかったんだ」

 

『里見くん』

 

「………はい」

 

 蓮太郎は直感した。先の返答は悪手だったと。自分は今間違いなく、自ら墓穴を掘ったのだと。

 

『窓の外、見えるかしら』

 

 言われるがまま、蓮太郎は教室の窓に顔を向けた。だがその動きはとても円滑とは言えず、錆びたブリキ人形を彷彿とさせる動作だった。

 

 そして、蓮太郎は見た。

 窓の外。校門の前に停まっている黒塗りのリムジンを。そのリムジンの前で、不機嫌そうな顔で佇む木更の姿を。

 

 それが意味することは、即ち。

 

『全部見てたんだから』

 

「すみませんでした!」

 

 蓮太郎はその場から立ち上がり頭を下げた。見事なまでの最敬礼である。

 

『もう、お馬鹿。電話にすぐ出なかった件はひとまず許してあげます。それより里見くん、仕事よ。今から防衛省に行くから、すぐ出てくるように。いい? すぐよ、すぐ』

 

「え、ちょっ───」

 

 言いたいことだけ言うと、木更はこちらの返答も待たずに通話を切ってしまった。

 窓の外に目を向けると、にっこりと笑う木更と目が合った。

 

 ……これは少しでも遅れたら、絶対に碌なことにならないな、と蓮太郎は確信した。

 

「───じゃ、そう言うことだから童田、担任には急遽依頼が入ったって伝えといてくれ。あとクラスの奴らにも」

 

「いいぜ。俺は君の一番の親友だからな! それぐらいお安い御用さ」

 

 ……どこまで本気で言ってるのかは分からないが、引き受けてくれるのならそれに甘えるとしよう。

 

「委員長! 悪い、仕事が入ったからアンケートはまた今度提出させてくれ!」

 

「分かりました。里見さん、気をつけてくださいね」

 

 教室から出る直前、話が聞こえていたのか、クラスメイトの何人かから「死ぬなよー!」「絶対帰ってこいよー!」と声を掛けられた。

 それらに対し、蓮太郎は振り返らずに手を挙げて応え、教室を飛び出した。

 

 玄関を抜け、校門の前に到着すると、何故か先ほどまでと打って変わって、木更は少し嬉しそうだった。

 

「なんだよ?」

 

「別に、大したことじゃないの。ただ里見くんが普通にクラスに馴染んでたから、ちょっと安心したの」

 

「……俺も、あんな風になるなんて思ってなかったよ」

 

 学校に通うをことが決定した当初、蓮太郎はクラスに馴染むつもりなどさらさらなかった。

 

 所詮、契約だから通うだけ。学校など行くだけ無駄というのが蓮太郎の見解であり、過去の経験から教師や生徒など学校に関係する人間に良い感情を持てなくなっていたという理由もある。

 

 だから最初は、学校に居る間は寝て過ごし、同じ教室にいるだけの他人とも一切関わるつもりはなかった。

 

 なかったのだが。

 

『かつて他人から些細な理由で蔑ろにされたからといって、それは貴方が他人を拒絶していい理由にはなりませんよ』

 

 おそらく()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()に諭され、「人も世界も醜く残酷だけれど、決してそれだけではないのだから」と、優しく抱きしめられた記憶が蘇る。

 

 今もまだ、学校という環境に対する不信感は拭いきれないが。少なくとも、一方的に拒絶する必要はないかな、と、そう思うようになっただけだ。

 

「……里見くんは、本当に強くなったわ。体も、心も」

 

「急に何だよ」

 

「成長した、って話よ。君が天童家(うち)に来て、縁壱さんに稽古をつけてもらってるのを見てた時は、まさかこんなに強くなるなんて想像できなかったもの」

 

 まるで我が事のように誇らしげに笑う木更に反して、蓮太郎は顔を俯かせた。

 

「……確かに、俺は強くなったかもしれない。だけど、努力は───」

 

「努力はどんなにしても足りない、でしょ。里見くんの口癖よね、それ」

 

 まるで呪いみたい。

 

 そう呟いて、木更は悲しそうに目を伏せた。

 

「まだ、気にしてるの?」

 

「……………」

 

 沈黙を肯定と捉えた木更は、真っ直ぐに蓮太郎を見つめた。

 

「だとしたら里見くん、それは傲慢よ。そもそも、剣の稽古を始めたばかりの6歳の子どもが、ガストレアを倒せるはずないじゃない。むしろ、大人でも恐怖でその場から動けなくなるようなあの状況で、君は身を挺して私を守ってくれた。それは、誰にでも出来るようなことじゃないのよ?」

 

「……ああ、分かってる」

 

 木更の言葉に、蓮太郎はいつの間に握り込んでいた拳を解いた。顔を上げると、木更は何か言いたげに口を開いて、結局何も言うことはなかった。

 何となく居心地が悪くなって、蓮太郎はどうにか話題を変えようと頭を働かせるも、結局気の利いた言葉は出てこなかった。

 

「それじゃ、行きましょう」

 

 しばらく気まずい沈黙が続いた後、先に動いたのは木更だった。自然と、蓮太郎の視線は木更の背中を追い、彼女の進行方向にあるリムジンが視界に映る。

 

「───ちょっと待ってくれ」

 

 そして、意気揚々と目の前に停車している大型高級車に乗り込もうとする()お嬢様を、蓮太郎は制止した。

 その声に、ビクリと肩を震わせて木更は硬直した。

 

 蓮太郎は、校門の前に駐車しているリムジンを見た時から一つ疑問に思っていることがあった。

 天童から独立し、金銭的援助のない木更個人にも、彼女が社長を務めている天童民間警備会社にも、タクシー感覚でリムジンを呼べるだけの貯蓄はないはずなのだ。

 

 木更はかなり見栄っ張りなところがある。彼女は天童から出奔し、縁を絶った身だが、それでも周囲から向けられる『天童』に対する期待には応えようとする。その証拠に、彼女は自身の少ない資金をやりくりして、わざわざ高い学費を払ってお嬢様学校の美和女学院に通っている。

 

 だから最初は、どうせイタ電でも掛けて呼び出したリムジンの横を、颯爽と通り過ぎて行くものだと思っていたのだが。

 

「まさか……」

 

 金の出どころに心当たりのあった蓮太郎は、信じられない物を見るような顔で木更を見た。

 

「木更さんアンタ、そこまでして見栄を……」

 

「ちょっ、里見くん、違うのよ? 本当に違うの! これは成り行きでそうなっただけで、決して私からお願いしたことではないの!」

 

 必死に弁明する木更に、蓮太郎が視線で続きを促すと、ポツポツと話し出した。

 

「その、防衛省から招集が掛かってきてすぐね、連絡が来たの。『事情は聞いています。車を手配しておきましたから、自由に使いなさい』って……」

 

「……他には?」

 

「『お台は気にしなくていい』って……」

 

「……………」

 

「……………」

 

「……今度、お礼を言いに行かなきゃな」

 

「……ええ、そうね」

 

 何とも哀愁漂う空気が二人を中心に流れる。だが、いつまでもここに留まっている訳にはいかない。

 

 木更は黒髪をかき上げて、蓮太郎に向き直る。その仕草に一瞬ドキリとしたのは、蓮太郎だけの秘密だ。

 

「それじゃ改めて。行くわよ、里見くん」

 

「ああ、社長」

 

 そして、蓮太郎がドアを開けようと手を伸ばしたその時───ドアが、内側から開いた。

 

「───こんにちは、お兄さん」

 

 ドアが開くと、中には既に先客がいた。プラチナブロンドの髪に、緑を基調としたドレスを纏った少女は、朗らかな笑顔で蓮太郎を出迎えた。

 

 見覚えのある少女の姿に、蓮太郎は思わず声を上げた。

 

「ティナ!?」

 

 

 

 

 




〜東京こそこそ噂話〜
 原作一巻で、蓮太郎が教師やクラスメイトを徹底して無視してる理由は明言されていませんが、個人的には五巻で言及された「まだ人工皮膚が普及していなかった幼少期に、学校で露出した義肢を不気味がられた」経験に起因しているのでは? って勝手に思ってます。本編には一切関係しないと思うけど、こういう特に言及されてない部分を考察するのって楽しいよね。

童田くん
高身長、高学歴。常にニコニコとした笑みを浮かべているが、頭から血を被ったような髪色でもないし、虹色の瞳も持ってない。性格も比較的まとも。本当にまとも。でも時々無自覚に人を煽ることがある。
初対面の人間からは大抵腹黒い印象を持たれがちだが、クラスメイトや彼と関わりの人たちからは「胡散臭いだけで悪い奴じゃない」と評価されてる。あと委員長からは凄く嫌われている。
童田「俺はこんなに良い奴なのに、どうして本当は悪い奴だとか、絶対に何か裏があるなんて思われるんだろう?」
委員長「常に胡散くさい笑みを浮かべてるからじゃないですか?(にっこり)」
童田「え、でもそれだったら委員長だって───ぐわぁ!」

委員長
小柄、美人、成績優秀。薬学研究部とフェンシング部を掛け持ちしている。才色兼備で人柄も良いが、嫌いな人には驚くほど毒舌。特に童田くんには特に辛辣。しかし委員長自身、なぜ自分が彼に対してそこまで嫌悪感を抱いているのかは分かっていない。
ちなみに違う高校には、無口で無愛想で人に誤解されやすい年上の彼氏がいるらしい。
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