温かいなと、プロデューサーの手に触れたときに、西城樹里は思った。
その日は寒い日だった。現場に向かい、並んで歩いている時に自分の手と彼の手があたった時だ。今日みたいに寒い日は外を歩いているとすぐに手や足が冷えてしまう。自分の手はずいぶん冷えていて、寒いなと思いながら歩いている時に当たった。寒い中、彼は手袋もしてないのにずいぶん温かいなと思ったのだ。
彼は手が当たったことにすまんと一言いったが、別に気にしていない。彼はそれからコートのポケットに両手を入れて、樹里も寒くて同じように上着のポケットに手を入れた。それでも自分の手は寒いままでポケットの中で手を握ったり開いたりした。樹里は何気なくポケットに入ったままの彼の手を見て言った。
「…アンタの手、あったかいな」
「え?ああ、これ持ってたからな」
彼はポケットに入っていた手を出した。その手にはカイロが握られていた。シャカシャカと中身を振りながら樹里に見せた。それを見て納得したように頷いた。
「ああ、なるほどな。今、手が当たったときにさ、今日すげぇ寒いのになんか温かいなって思ったんだ」
「…そう思えば樹里の手…すごく冷たくなってたな。…よし」
彼は迷わず手に持っているカイロを樹里に差し出した。
催促したように聞こえてしまっただろうか、慌てて樹里は首を振った。
「いいって。プロデューサーの物なんだし、アタシに渡したら今度はアンタの手が冷えるだろ」
「いや、樹里が寒い方が俺にとっては問題だ。言われないと気づかないとか、駄目だな」
寒くないかの一言くらいかけられるだろうに、と彼は言った。
彼らしいなと思ったが、最近の寒さにその台詞をいつも言っていることに気づいていないのだろうか。
「アンタは普段から気を遣い過ぎなんだよ。別にそんなに寒くねぇから、そのまま持っててくれよ」
「大丈夫だ、実はもう一個ある!」
彼はコートの内側のポケットから封の切られていない新しいカイロを取り出してみせた。
「まだ持ってたのか」
「そうそう。樹里にあげても、もう一個あるから大丈夫だ。新品の開けるから温かくなるまで、嫌かもだけど俺の使っていいぞ」
「…別にそんなこと気にしねぇよ。…それなら、貰っていいか」
「もちろんだ」
彼からカイロを受け取って、両手で握った。もう既にカイロは熱を持っていて、握ると手はだんだん温かくなった。
「ありがとうな」
「気にしなくていいさ」
彼は樹里が寒くなくなった様子を見て、笑いながら新しく開けたカイロをまたシャカシャカと振りながら言った。普段は大人なのにこうした子供みたいな一面を見ると微笑ましいなと感じた。
ていうかーー相変わらず、気になっちまう。
今日は手と手が当たってしまったからなのだが、目線が彼の手をずっと追ってしまっていた。
というのも、ある時期から樹里は彼の手がどうにも気になるようになったからである。思い出すとオーディションの時とは違う感覚で身体が熱くなるのでやめた。
「ああ、お陰で身体もあったかくなってきたぜ。なんかやる気が出てきたよ」
熱を払うように先ほどよりも足取り軽く歩いた。今日の仕事はラジオの収録で特に身体を動かすわけではないが、動き回りたい気分だった。この気分のままに樹里は彼に言った。
「そうだ、アタシのスケジュールだけどさ。2週間後にオーディションあるだろ」
「ああ」
「それなんだけど、今週と来週に自主トレしたくてさ。レッスン室って借りられるかなって」
「いいけど。確か…空けられるはずだ。…けど今週と来週どっちも?ここのところあんまり休みなかったし、どっちかは休んだ方が」
「確かにそうだけどさ、撮影とかラジオが多かったからダンスのレッスンを最近出来てなくてさ」
「…わかった、ただしほどほどにな。それが条件でいいか」
「わかったよ、約束する」
笑顔で樹里は彼に返事をした。その日のラジオ収録も上手くいって、このまま勢いよくオーディションも合格してやると、レッスンするのを楽しみに一日を終えた。
*
数日後の週末。
樹里は痛みに顔をしかめていた。ジャージをまくって赤くなっている右の足首を撫でた。ちょっと腫れていて痛みもあり、今日はここまでかと思った。
大きくため息を吐き大の字に寝そべった。オーディションが近いからと自主レッスンをしていたが、まさか怪我をしてしまうとは、馬鹿をしてしまったと自分に悪態を吐いた。スポーツをしていた時はこれくらいの怪我は日常茶飯事だったから動けないわけではないがダンスへの影響を考えると気分が落ちこんだ。
それに…
約束、破っちまったなーー申し訳なさが胸を支配した。
程々に。それが条件だったはずで、自分もそれを受け入れた。なのについ熱くなって一人で動きを突き詰めていた結果がこれだ。
彼が自分を見たときに、どんな顔をしてしまうか簡単に想像できて嫌になる。
少しの間寝そべっていたが、いつまでもこうしているわけにもいかない。仕方ないからさっさと着替えて切り上げようと起き上がった。さっさとしないとプロデューサーが来てしまうかもしれない。彼は今日、樹里が自主レッスンしていることを知っている。今は外に出ているがそろそろ戻ってくる頃だと思う。こんなところ見られたら心配をかけてしまうだろう。
怪我をしていない左足に力を込めて立ち上がろうとしたときにガチャリとレッスン室のドアが開いてドキリとした。
入ってきたのは想像通り、彼だった。笑いながら片手に何か、袋を下げて入ってきて笑顔で樹里に話しかけた。
「お疲れ、樹里。差し入れを…」
彼はちゃんと樹里の様子を見たようで、目が一気に変わり慌てて駆け寄った。
樹里も観念したように息を吐いた。
「おお、お疲れ…」
「樹里」
想像した通り彼の顔が心配で染まって胸が締め付けられた。
「…ああ、その……すこし捻っちまった」
「そうか……ちょっと見せてくれるか?」
「…ん」
立ち上がるのをやめて座ったまま彼に右足を差し出した。彼が慎重に樹里の足に触れた。普段は温かい彼の手は、外に出ていたからだろう、とても冷たくて、触れられた瞬間ビクッとした。だがその冷たさに慣れると腫れて熱くなっている部分が冷やされて気持ちよかった。
「…アンタの手、冷たいな」
「あっ!すまん、外から帰ってきたばっかりで…」
「いや、いいよ。大したことないけど、腫れてるとこ熱くてさ。冷たくて気持ちいいし……なんか安心する」
「…そ、そうか。なら良かったよ」
「…もうちょっとこのまま手を当ててくれないか」
「え?ああ、けど」
「…いいから、頼むよ」
そう言われ彼は黙って少しの間、樹里の足に手を置いた。
…心配されるから見られたくねぇって思ったけど。いざ見つかっちまったらこれかーー落ち着く。
先ほどまではやはり不安だったし、落ち込んだいた。
だが彼に見つけてもらうと、ざわざわしていた気持ちが少しずつ薄れて、代わりに安心が胸の中にあった。
「…プロデューサー」
「うん、どうした。…痛むか」
「ちょっと、痛む。…そうじゃなくて…心配かけて悪い。それに約束破っちまった」
「…そうだな、破ってほしくはなかった」
「うん」
「けど誰だって気を付けていても失敗するときはある。俺なんて気を付けていても、いつも勝手に無茶して皆に心配かけっぱなしだ。俺が皆をサポートしなきゃならないのにさ」
彼は優しく笑いながら落ち着いた声音で言った。彼自身も心配していたが、大きな怪我ではないようでホッとしたようだった。その顔を見て樹里もようやく顔を綻ばせた。
やべぇ、なんか嬉しく思っちまうーーいつの間にか申し訳なさより、嬉しさが勝って、そんなことを思った。
もう少しこのまま触れていて欲しいと、そう思った。しかし落ち着いていくにつれ現状に今更ながら恥ずかしさも湧いてきた。
優しい顔で自分の素足を彼の手が触れていることに、冷やされて気持ちよかった身体が熱くなりそうだった。
樹里は内心慌てて違う話題をした。
「も、もう手は大丈夫だ」
「そうか、この後はとりあえず湿布と固定かな。事務所に救急箱があるから取ってくるよ」
「だ、大丈夫。歩ける。一緒に行こうぜ」
「そうか、無理せずにな」
「大丈夫だって。それにさ、えーと……そ、その箱。差し入れって言ってたろ?」
強引にだが、話を変えようとした。
「ああ、そう差し入れ。ケーキなんだけど」
「じゃあ、事務所で一緒に食べようぜ。あんたのことだから自分の分も買ってんだろ」
「うっ…べ、別に良いじゃないか」
「悪いなんて言ってねぇだろ。一人で食ってんのも寂しいし」
話題がなんとか変わったことに安堵して立ち上がろうとすると、目の前に彼の手が差し伸べられた。
「ほら、つかまって」
「…おお、サンキューな」
手を掴むと、彼は慎重に樹里を支えながら立ち上がらせた。掴んだとき彼の手はもう暖かくなっていた。自分の足に触れていたからだろうか。そのことも妙に恥ずかしくてドキドキした。そのせいでまた彼の手から目が離せなくなった。
*
あの時は二人してテンパってどんな状況だったかよく覚えていない。思い出すことも、意識してしないようにしている。
気を付けていてもやってしまう時はある。彼が先ほど言っていたことだが、それは不運が重なった結果の出来事だった。
「す、すまん!決して!わ、わざとでは!」
彼も普段からは考えられないほど取り乱していた。自分より混乱してる人をみると、逆に冷静になるなんて言われるが自分は決して冷静にはなれなくて、彼と同じくらいか、それ以上に混乱したのだと思う。
「こ、今回だけは見逃してやる!…ほんとは駄目なんだかんな!」
*
頭を振って追い払った。立ち上がって、手を放そうとすると彼は樹里の手を握りなおした。
「大したことないとはいえ、痛むだろ?杖代わりになるよ」
「いいって、一人で歩け…」
痛めた右足を地面に着くとビリっと痛みが走って思わず声が出た。
「ほら、無理しない。この後も少し待っててくれれば車出すから」
「そこまでしなくても……わ、わかったから」
断ろうかと思ったが約束を破ってしまったのは自分だ。観念して今日は彼の言うとおりにしようと思った。
彼も頷いて、二人で歩き出した。
彼がこんなに近くにいるのは、あの恥ずかしい思い出以来かもしれないと思いながら、もう少しゆっくり歩きたいと思った。
ほんとは駄目なんだかんなーー
「…はあ、駄目じゃなくなっちまう」
「え、なにがだ」
「なんでもねぇよ!」
いつもと変わらない様子の彼を見て思う。
次同じようなことがあって、駄目じゃないって言ったらアンタはどんな顔するんだろうな、と。