用務員の年藤さん 作:笑顔の爆弾
「理事長! 大変です!」
その日のトレセン学園の朝は、慌ただしく始まった。
「吃驚ッ!? 一体何があったッ!!」
トレセン学園理事長、秋川やよいは秘書の駿川たづなから一枚の紙を受け取る。
「ぬ? これはただのチーム設立申請書……これはッ?!」
書類仕事は得意で無い彼女だったが、駿川たづなの気迫に負けて文字を目で追っていくと、やがてある部分で彼女の目の動きが止まった。
「トレーナー名、ご覧になられましたね?」
駿川たづなは神妙な面持ちで彼女の様子を見ていた。
「質問ッ!! ……これは誰かの悪戯では無いのだな?」
「間違いありません。
質問にそう返された秋川やよいは穴が空きそうな程その紙を睨みつけ……ため息を零した。
「むむむ、彼女に如何なる心変わりが……」
駿川たづなは、彼女が零した言葉に無言で首を横に振る。
チーム設立申請書、そのトレーナー欄に書かれていたのは──
──『年藤きく』
✳︎✳︎✳︎
「あ、ようむいんさんだあ! ライスちゃんと何お話してるの?」
「……その、用務員さん。ライスが何かしてしまいましたか?」
年藤きくは中庭を歩いていた。
そして今は、あるウマ娘達に視線を注いでいる。
側から見れば不審者だろう。しかし彼女は気にも留めなかった。
何故なら、彼女の意識は二人にしか無かったからだ。
彼女の視線を一身に集めるのは、ライスシャワーとハルウララ。
トレセン学園の評価はこう……『トレーナーを付けないウマ娘』と『トレーナーが付かないウマ娘』。
用務員として働く彼女は、ウマ娘と関わる事が極端に少ない。なので一個人から顔を覚えられる事は少なく、灰色のツナギを特徴として覚えられる事が多い。
ハルウララは人の顔は覚えられる質である為、数少ない例外だが、それでも年藤きくと言う名前は知らない。そしてライスシャワーはと言うと、年藤きくに露骨な人見知りを発揮している。
こうして見ても、彼女と二人はあまり深い関係でないと言える。なのに年藤きくはそんな二人に朧げな"何か"を……言うなれば"縁"の様なモノを感じていた。
毛色も体格も違う二人に何をそう感じるモノがあったのかと疑問を抱いた彼女は、二人の間で視線を揺らし、やがて納得した風に首を縦に振った。
「……いえ、あなたに何か運命的なモノを感じまして」
「ヒィッ!」
年藤きくは無表情でライスシャワーに詰め寄る。ライスシャワーはそれが余りにも怖かったか、小柄な身体に見合わない力強いステップで近場の植え込みに頭から突っ込んだ。
大人の女性が小さな少女に詰め寄った挙句逃げられる──全てが不本意にも関わらず、年藤きくの不審者のレベルが上がって行く。
見かねたハルウララはよく分からないなりに何とかしようとし、植え込みに埋まるライスシャワーを庇うように年藤きくの前に立った。
「むっ、ダメだよ! ライスちゃんにこわいコトしたら!」
「ああ、申し訳ありません。ライスシャワーさん、ハルウララさん……二人に何か感じるモノがあったのでつい目で追ってしまいました」
──不思議な感覚だった。
彼女はそう振り返る。
「(積み上げた経験が無意識のうちに導き出した答えが直感ならば、きっとこれは直感ではありません。……敢えて名を付けるならば、それは運命、または希望か)」
──彼女の先輩は言っていた。トウカイテイオーのデビュー戦を見た時、なぜか涙が溢れたのだと。
──彼女の後輩の姉妹は言っていた。姉はウイニングチケット、妹はミホノブルボンの姿を見た時、無性に抱きしめたくなったのだと。
彼女は黒鹿毛の少女と桜色の少女を見て理解する。
きっとこれも同じ事なのだと。理屈ではなく、心で彼女は見抜いた。
「……ライスシャワーさん、ハルウララさん」
「……」
「なになに〜?」
急な呼びかけに答えられない状態のライスシャワー。状況が理解出来ないハルウララ。それにも構わず、彼女は二人に何かを告げようとした──
「バクシンシーンッ!!」
──が、その声は、乱入者の爆声に掻き消された。
「生徒達から報告のあった不審者とは、アナタの事ですね!!」
どこからともなく現れたポニーテールの少女、サクラバクシンオーは、年藤きくへビッと指を指し、素性を問う。
「不審者……確かに、この状況ではそう言っていいかも知れませんね」
しかし、年藤きくは特に動揺する事もなくどっしり構えた富士の如くに今を受け入れていた。ハルウララは次々と変わる状況に目を回して「ふらら〜」となっている。
サクラバクシンオーはと言うと、植え込みに突っ込みリーフのシャワーを浴びるライスシャワーとフララフララと彷徨うハルウララを見て、不審者への疑いがバクシンしていた。
「な、なんと非道い事を……! こうなれば、私は全生徒の模範として、あなたをバクシン的に捕縛します!!」
「はい、どうぞよろしくお願いします」
「ああ、これはどうもご丁寧に……ん、んん? こう言う時は普通、逃げるモノでは……?」
この事態を引き起こしたと言う自覚がある年藤きくは、困惑するサクラバクシンオーに連行され、二人の前から姿を消した。
そして中庭に残された二人が落ち着きを取り戻した時、ライスシャワーは「わたしのせいで、用務員さんが疑われて……やっぱりライスはダメな子なんだ……」と涙目になり、ハルウララは「……ようむいんさんって、難しいお仕事なんだね!」と何かを悟る事となった。
「ん〜? でも
「……それは、ライスにもよく分からない……かな」
結局、二人は彼女の名前を知る事は無かった。
ただ、二人とも彼女の言葉は最後まで聞いていたらしい。
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「ねえウオッカ、年藤さんは見つかった?」
「いや、全然ダメだこっちは」
「もう、役に立たないわね……」
「んだと? そっちだってまだ見つけてねえだろ?」
「……そうね。はあ、こんなトコで駄弁ってる暇なんて無いのに」
ダイワスカーレットとウオッカ、二人は黄昏時の三女神像前に居た。
二人は昨日の説教からすっかり立ち直り、年藤きくをトレーナーにする為、校内をしらみ潰しに探し回っている。が、用務員室にも、トレーナー用の食堂にも、生徒会室も理事長室にも彼女は居なかったのだ。
これと言った手掛かりも無く、二人は頭を抱えていた。
「(もし、このまま見つけられなかったら──)」
そう、他のウマ娘達に先を越されるかも知れないと──
「(ウオッカに先を越されるッ!)」
「(スカーレットに先を行かれちまうッ!)」
──どうやら、彼女達はお互い以外は眼中にないらしい。
「(まだ探せてない場所は……そうだ!)」
「(……練習場、模擬レースの試験官だったあの人なら!」
互いに競い合う心がそうさせたか、二人は導かれる様に練習場へと足を向ける。
「っ、アンタも同じ考え!?」
「そりゃこっちのセリフっ、だッ!!」
三女神像から練習場まではトレセン学園の本校舎を回り込んでも数百メートル。彼女達からすれば戯れにもならない距離だ。
二人の視線が交錯し──火蓋が切られた。
ありもしないスターティングゲートの開く音がどこからか響く。
二足のローファーがバチンと石畳を蹴り上げる。
「(トレセン学園の地図なら頭に叩き込んでる、距離だってそう! 残りはたった500mと少し、先頭は譲らないッ!)」
先駆けるのはダイワスカーレット、その後に続くのはウオッカ。
「(こっから練習場までは多分数百mしかない筈だ! だったら12……いや10秒後に仕掛けてやるッ!)」
そしてハナを譲らぬダイワスカーレット、差し切り準備を済ませるウオッカ。
校舎裏への左回りの第一直角コーナー、両者吸い付く様なコース取りでこれを抜け、両者の距離は依然そのまま。
駿バもかくやと言う走りを見せつける二人は、ペースを更に上げ第二の直角カーブへと向かう。
左手には校舎、校舎右手にはライブステージ。そしてこの道はこのコースに於いて最も長い直線。
超短距離故の圧倒的なハイペース、その速さは並び立つ電灯が証明している。
西洋建築風の校舎によく似合うガス灯を模した電灯はハロン棒の如く20m刻みで設置されており……電灯間の
そして、いよいよ来たる第二コーナー直角カーブ。
内はダイワスカーレット、外からウオッカ、互いに譲らず、しかしダイワスカーレットが僅かに抜け出す。
視界は開け、二人に練習場への道が見えた。
ここを抜ければ残りは三つのコーナーを残すのみ。
しかし、練習場に続く道はイナズマの如きジグザグとした軌跡を描いている。
「(第三コーナーで内と外が入れ替わる、第四コーナー、第五コーナーも同じ。外から内へ寄れば最短で行けるけど斜行になるかもしれない。だから真っ向勝負の叩き合いで"一番"になるしか────ないッ!」
「(最後の最後までコーナー、あの直前で完全に差せなかった以上、ここから先は厳しい戦いになる……でもな、難しいからこそ、出来たら最高に"カッコいい"んだよ。さあ────かっ飛ばすぜッ!」
それぞれの思いの蓋は外れて中身は口から溢れ出す。
それにもお構い無しで二人は全力の踏み切りを行うと、二人は更に加速した。
赤と黒、そして藤色が敷地を駆る。
内、外、内、外、内、外。
通常のレースではまず有り得ない屈折した動きに内外は激しく入れ替わっていく。
同時に先頭も常に入れ替わっている。
ダイワスカーレットが逃げる、ウオッカが追う。
ウオッカが差す、ダイワスカーレットが差し返す。
観客は誰もいない。
ただ、目の前の相手が自分を見ている。
それだけで二人の走る理由は十分だった。
……しかし、どんな時間にも終わりは訪れる。
二人はトンネルの中の暗闇へ飛び込んだ。
ゴールとなる練習場のスタンド席の横を貫くトンネルの出口は、この暗闇の先、二人の一足先にある。
横並びの二人は腕を大きく振り、驚異的な末脚でトンネルを駆けて行く。
そうして二人は……トンネルの出口を覆う光の膜を貫き──
『──勝ったッ!』
──
「…………いや、勝ったのはアタシでしょ」
「…………いいや、俺だね」
「はぁ?」
「あん?」
写真判定などある訳もなく、甲乙付かぬまま二人の意見は平行線にも連れ込む。
勿論、二人がこの結果に満足出来る筈も無く、また
「──やはり、芝生とは良い物ですね」
様々なコースが並ぶ練習場、その中のターフに仁王立つ
何故ならば、その声は──
『年藤、さん?』
──年藤きく、その人の声だったからだ。
二人は咄嗟にトンネルの影に隠れて声の方を見やった。
──藍色の燕尾ベストに臙脂色のシャツ。
──逆袈裟に掛けられた茶色の剣帯に朱鞘の日本刀。
──トモの部分で膨らんだ白いズボンに黒いブーツ。
どこか物々しい雰囲気の勝負服を着込んでいるウマ娘がそこには居た。
肩に掛かるほどの栗毛の髪によって顔までは見えなかったが、それでも二人は確信めいたモノを感じていた。
小さく呟かれた二人の声はそのウマ娘には届かなかった。そして二人に気付く事もなく、彼女は独り言を続ける。
「やはり今の芝生は昔の荒れた重い芝生とは質が違う。柔らかさ、密度、反発力、全てが理想的……ここ一番の完成度に仕上げられました」
次に彼女は、何を思ったかしゃがみ込むと、芝を少し千切ってそれを口に放り込んだ。
「味も悪くありません」
そう言って彼女は立ち上がる。側から見れば不思議過ぎる光景。
更に、立ち上がった拍子に夕焼けに溶け込むほど鮮やかな栗毛の髪が乱れ、その顔が露わとなる。
その顔は、間違いなく昨日にも見た年藤きくのモノであった。
しかし、その表情はまるで違う。
緩やかな弧を描いていた目蓋は鋭さを帯び、深い黒の眼光は、熱を帯びていた。
また、普段はぶかぶかとした灰色のツナギに隠されていた身体は、非常に筋肉質でありながらもしなやかで、まさに走るための身体をしていた。
「(嘘っ、年藤さんってウマ娘だったの!?)」
「(知るかよそんな事っ! そんな名前のウマ娘、聞いた事ねえぞ?!)」
トンネルの影から顔を出し、年藤きくを覗き見る二人。その表情は驚愕一色。誰も知らない秘密を、彼女達は知ってしまったのだ。
ツンと尖った栗毛の耳や尻尾が揺れ動く。二人に彼女がウマ娘であると言う事実を突き付ける様に。
そんな彼女は長い髪を一房に纏め、ベストの前ポケットに鉛色の重りを詰めると、第一コーナーに目を向ける。
『(……まさか!)』
勝負服を着たウマ娘がターフの上でやる事と言えば、一つしかない。
彼女は片足を下げ、半身を前に出し走り出す体制を取る。
そして彼女は、ズボンのポケットから取り出した銀色の品をトンネルの影に向かって放り投げた。
「ダイワスカーレットさん、この秒時計をお願いします」
「えっ、は、はいっ!」
「ウオッカさんは発走の合図を」
「お、おう、任せろ!」
年藤きくのあまりにも自然な態度に名前を呼ばれた二人は考える余裕もなく、慌てて準備を整えた。
三者の用意は完了。年藤きくに向かって片腕を掲げたウオッカが叫ぶ。
「……じゃあ行きますよ! 位置について! よーい、ドンッ!」
そして、今、この時。
二人と一人の
???「勝負服が……似てる?」