期間限定の転入手続きをつつがなく終え、ようやくトロンベは自由な時間を手にすることが出来た。
トレセン学園の近くに住む場所の手配をしていたので、後はもう帰り、明日に備えるだけ。
「はいっ。これで必要なことは全部終わりました。もし何か分からないことがあったらいつでも声を掛けてくださいね」
「ありがとう。色々と助かった」
去ろうとするたづな。トロンベは無意識に呼び止めてしまっていた。
「どうしましたか? 何か聞き忘れたことでも?」
「いや……」
気にならない、と言えば嘘になる。
初めて会ったときから、今に至るまで。
――何故、ここまで闘争心を掻き立てられるのか。
この感覚はそう、レースで強敵と出会った時に感じる強い感情。全力でぶつかりたい、全力で勝利したい。そういう類の感情だ。
気になったことはすぐに聞くトロンベは口を開いた。
「たづな殿、貴方はもしかして――」
瞬間、世界が凍った。
例えば目の前に暴走した自動車がやってきて冷静に行動できるだろうか。大半は呆然とし、立ち尽くし、これから起こる惨劇を受け入れざるを得ないだろう。その根本にあるのは恐怖。
それが“今、この瞬間”。
ドイチェスダービーをはじめ、トロンベは幾多もの修羅場を走り抜けてきた。何度も困難にぶつかり、その都度、乗り越えてきた。
だからこそ彼女には何事にも動じない自信があった。それだけのマインドセットは完了していたのだ。
だというのに。
一言で完結させよう。トロンベは
たづなから発せられる気配、オーラとでも言うべきか。にこやかに見つめる彼女の眼が、オーラが、全てを語っていた。
これ以上を喋れない。こんな経験は初めてだった。
何が“黒い竜巻”か、何がドイツの新星だ。そんな肩書などまだまだ通用しない。そんな風に思わせる相手だった。
「どうしたんですか?」
「……いや、なんでもない。失礼した」
「そうですか? それでは失礼しますね」
「たづな殿」
背を向ける彼女へ、トロンベは言った。
「私が貴方と走りたい、と言ったら走ってくれるだろうか?」
「何のことかは分かりませんが、私はただの理事長秘書です。トロンベさんのようなウマ娘と走るなんてそんな事あり得ませんよ。私はウマ娘達のサポートをするのがお仕事なんです」
力こぶを作るような仕草をし、あくまでにこやかにたづなはそう言った。
それが答えなのだと受け取ったトロンベはこれ以上何かを言うことはやめた。
たづなが去った後、いよいよ一人となったトロンベ。
時間を見る。まだ家に戻るには早すぎた。
もう少しこのトレセン学園を見て回ろうとトロンベはあてもなく歩き出した。
この広い場所で一人でいるのは些かの寂しさを覚えたが、その孤独さえ力に変えられるのがトロンベなのだ。
そういえば、と彼女は向かう場所を何となく定めた。
「ここの練習場でも見ておくか。しばらく走ることになる場所だからな」
一にも二にもまずは走ることが大事。
自然と練習所へと向かうのは何ら不思議でなかった。
「他のウマ娘達にも会えると良いのだが……」
ゴールドシップ、メジロマックイーン。彼女たちを見ていればここのレベルの高さもよく分かる。
だからこそ、もっと出会いたかった。ドイチェスダービーを制覇したとて彼女に慢心はない。常に研鑽してこそ、ブランシュタイン家のウマ娘。
ぼんやりと歩いていると、遠くから誰かがやってきた。
丁度いいので練習場までの道を聞こうと、トロンベは気持ち歩く速度を上げた。
「あら」
「む」
視線が絡み合う。直後、火花が飛び散った。
トロンベはそのウマ娘とは初対面だ。しかし、そんなものは関係ない。
全身から立ち上るオーラを見るだけで良いのだ。それだけでトロンベにとって、彼女がどういう相手かはすぐに理解できる。
相手のウマ娘も同じ感覚なのだろう。彼女は不敵な笑みを浮かべ、微動にしない。
運命、はたまた奇縁、あるいは作為的な物語。トロンベとそのウマ娘は歩み寄る。彼女らにとってはそのどれでも良い。何せ、これから言う内容に変わりはないのだから。
「はぁいマルゼンスキーよ。いきなりで悪いんだけど、私とひとっ走り付き合ってくれないかしら?」
「トロンベという。その申し出、謹んでお受けしよう」
人は彼女をこう評した。積んでいるエンジンが違う“スーパーカー”、と。その圧倒的な実力はこのトレセン学園で知らぬ者はない。
来たばかりのトロンベは知る由もないのだが、ひと目で分かった。
(驚いたな。これほどの気迫を持つウマ娘が日本にもいるのか)
マルゼンスキーに先導される形でコースへと向かうトロンベ。その胸に宿るのはこれから起こるであろう魂燃えるレースへの期待。
マルゼンスキーが声を掛けてきた。
「ごめんなさいね、いきなり野良レース吹っかけちゃって」
「いや、良い。貴方が言わなかったら私から申し出ていただろう」
「うふふ。やっぱり思うところは一緒だったのね」
「しかし、良いのだろうか? 模擬ならともかく、野良は後で怒られるのではないか?」
野良レースと模擬レースは似ているようでまるで違う。ざっくりと言うならば、前者はトレーナー抜きでやる個人的な競い合い、後者はトレーナーが立ち会うれっきとした練習の一つ。
これからやろうとしていることは、後で担当トレーナーから怒られる可能性が高い私闘だ。
「そうねぇ、確かにおハナさんにバレたら大目玉食らうのは間違いナッシングね」
「ナッシング……?」
「でもね」
くるりと向き直すマルゼンスキー。彼女の瞳には闘志の炎が灯っていた。
「気兼ねなく貴方と走れるのはこの瞬間だけかも知れない。なら――走るしかないじゃない?」
「フッ。同感だ」
日本を震撼させた怪物マルゼンスキー、ドイツを湧かせた新星トロンベ。
彼女たちが野良レースをするという噂は一瞬でトレセン学園中に広がり、コース外にギャラリーが埋め尽くすことになったのはある意味当然と言えた。
マルゼンスキーが好きです(直球)
あと、この作品でのたづなさんは例の説を採用しております。たとえ本当は違っててもこの作品のたづなさんはその説のたづなさんということでご承知おきください。
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現在連載中の『十五夜にプロポーズでも』の作者ちゃん丸さん(ID:91010)が主催している企画小説『ウマ娘プリティーダービー〜企画短編集〜』に参加しております!
これはウマ娘二次小説作家さん(書いていない人もいます)たちが短編を持ち寄り、毎日1話ずつ投稿されるという内容になっております。
私は5月29日(土)21時に投稿されます。投稿されたらぜひとも読んでいたければ嬉しいです!