「「ずずず……。」」
テーブルに向かい合って座った芳乃とちとせが、湯吞の茶をすする。
縁側に座るおばあちゃんのように、二人とも目を閉じリラックスしていた。
「美味しいね、これ。普段は紅茶ぐらいしか飲まないから、新鮮だな。」
「はい。お仕事の際に先方から頂いたものなんですが、皆さんからの評判がよくて。
無くなったら同じものを買おうと思ってるんです。」
芳乃の隣に座り、お盆を両手で抱くように持つほたるが答えた。
「白菊ほたるレベルともなると、お土産ももらえちゃうんだ。いいなぁ。」
「いえ、私なんてまだまだで……。」
「あ、芳乃ちゃん。はいこれ携帯。」
「これはこれはー、ありがとうございましてー。」
「いやおかしいですよねぇ!?」
ばん、と机を叩きながら、幸子が立ち上がる。
なんだなんだといった様子で彼女を見上げる3人からは、依然としてのほほんとした雰囲気が漂っていた。
「ちとせさん!」
「わぁ、はい。なあに?」
「アナタ芳乃さんの記憶を消しにきたんじゃないんですか!」
「違うよ?」
きょとんとした様子で答える。
そのあまりの無邪気さに、がくっ、と幸子の膝から力が抜けた。
「ちとせ殿から敵意は感じないのでしてー、安心してくださいませー。」
「それを早く言ってくださいよ……。」
気を読むことができる芳乃が言うのなら間違いはない。
どうして自分がおかしいみたいな雰囲気なんだと若干不服そうながらも、幸子はソファに座り直した。
「まあ、消したいのは消したいんだけど。」
あっれぇ? とでも言いたげに、幸子の首が少し横に曲がる。
「消せないから、消さないの。」
どんどん横に曲がっていく。
「……私達は飴を持っていて、いつでも瞬間移動することができる。
ちとせさんが記憶を消すには、一定時間相手の目を見つめていなければならない。
だから、私達の記憶を消すことは不可能。」
ほたるが自分の飴……スズランのように真っ白なそれを手のひらに乗せる。
「そういうことですよね?」
確認するように見つめてくるほたるに、ちとせは笑顔で返した。
「あれ? でも……あ、そっか。」
一瞬納得がいかなそうだった幸子は、何かに気づいたように頷く。
ちとせは飴の……《えすけいぷ》の能力を、少し誤解しているのだ。
これは単純に、事務所のソファに瞬間移動するという、ただそれだけのもの。
ソファの前でちとせが待ち伏せすれば、それだけで詰んでしまう。
ソファに座っている状態で《えすけいぷ》したところで、一瞬後に同じ場所に現れるだけなのだから。
しかしちとせはそれを知らない。
館にいたはずの芳乃が「えすけいぷ」と叫んだ瞬間、少女はその場から消えた。
彼女が持っている判断材料はそれだけだ。
そこから彼女は《えすけいぷ》を、実際より便利な……どこでもドアのようなものだと推測したのだろう。
確かにそれならば、いくら記憶を消そうとしても、出会い頭に瞬間移動され続けるだけ。
記憶を消すことは不可能。諦めるしかない。
そういうことになる。
「してー。……何用でしょうかー?」
ことん、と湯呑みを置き、姿勢を正して。
依田芳乃は来客に向き直る。
「……私の部屋に入って、あれを見つけたのは、偶然?」
その動作を見て、ちとせも先程までのような悠然とした態度を改める。
それは館の主であり、ひとりの従者を持つ、権威ある女性の姿だった。
「いえー。杏殿の指示でしてー。」
「その理由は、千夜ちゃんのあれを解決するため?」
「はいー。」
「杏ちゃんは、あれの原因が、私の寿命にあると推測した?」
「そのようでしてー。」
いくつかの問いの後。
はぁー、と、ちとせは下を向き、ため息をつく。
「じゃあ、バレちゃったのかなぁ……。」
弱々しく呟く声色は、年不相応なまでに幼く聞こえた。
「少なくとも杏殿は、そうお考えのようでしてー。」
ちとせは千夜に、自分の身体のことを知られたくないと考えている。
知られていない状態で、助けたいと。
しかし、そもそもの原因が、それを知られたことにあったのだから、ひどく落ち込むのも仕方のないことか。
芳乃は表情に出さず、目の前の少女をそう分析した。
「……こっちからも質問、いいかな。」
芳乃の雰囲気がガラリと変わる。
ちとせは目を少し見て、納得したように頷いた。
「あなたが筆談相手さんね。どうぞ?」
「どうして生きてるの。」
「哲学的な質問だね。」
「そうじゃない。分かってるでしょ。」
「あの子」は苛立ちを隠そうとしない。
元々、杏の精神年齢を少し幼くしたような性格だと思っていたが、それにしても。
ここまで気が立っている彼女を見るのは、幸子にとって初めてのことだった。
「そうだね……口で説明するのは、難しいな。」
ちとせは目を伏せ、しばし考えている様子だったが、やがて困ったように微笑んだ。
「難しくても説明して。
そもそも現状、アンタは信用できない。
千夜の問題を口実に杏と芳乃に接触して、杏の記憶を消した。
隠し事だってしてるし、嘘だって吐いている。
本当の狙いは何? あれは本当にアンタがやったことじゃないの?」
「ち……ちょっと、「あの子」さん。そんなに問い詰めなくたって、」
あまりに有無を言わせない。鬼気迫る、という表現すら似合ってしまいかねない。
そんな状態の「あの子」を、幸子は落ち着かせようとする。
「五月蠅い! こいつは死んでるはずなんだ! 生きてるわけない!
死んでるのに生きてるなんて……!」
「……羨ましい?」
ぽつり。
ちとせが吐いた言葉に、「あの子」の勢いが止まる。
「安心して。そんなにいいものじゃないよ。
……幽霊になれるなら、そうでいたかった。少なくとも、私はね。」
ふっ、と、一瞬「あの子」の身体から力が抜ける。
身体の主導権を芳乃に返したようだった。
小学生の頃に死んだというのに、ひょっとしたら幸子より大人びている彼女が。
ここまで感情を剥き出しにしてしまったことが、恥ずかしかったのだろう。
「口で説明できなくても、追体験してもらうことはできるけど……やる?」
楽しいものじゃないけどね、と、彼女は付け足す。
それでもちとせの言葉に、その場の全員が頷いた。
ちとせが何故、こうまで身体のことを千夜に知られたくないのか。
何故、千夜のことを大切に思っているのか。
情報は言葉で変換された時点で取りこぼしが生じてしまう。
追体験できるなら、その方がより確実だった。
確実に、ちとせの思いを知ることができる方法だった。
「……噂通りのお人好し集団なんだね。」
ちとせは寂しさと嬉しさをないまぜにしたような微笑を浮かべる。
「えっそうなんですか」
その言葉に、幸子だけが反応した。
「白菊ほたるを筆頭に最近大躍進の、通称超常現象プロダクション。
業界にちょっと関わる人なら名前は知ってるレベルだと思うよ?」
「厳密にはボクは違うんですけど……。
いや、この際そういうことにした方が……?」
ブツブツと考え込む幸子を横目に、ほたるが口を開く。
「有名という意味では、ちとせさんも同じじゃないですか。
吸血鬼を自称する、人々を魅了するアイドル。」
幸子は打算をやめ、ほたるの方を見る。
幸子が知らない、アイドルに関する情報を、当然のように述べたからだ。
「吸血鬼。……吸血鬼、ね。」
自分は他人よりも努力は怠っていないという自信が、幸子にはあった。
アイドルとして輝くための努力。
それには当然、ライバルとなりうる他のアイドルについての情報収集も含まれていた。
しかし、幸子は黒埼ちとせのことを、名前と、最近アイドルになった新人ということくらいしか知らなかった。
「人々を魅了して、心を奪ってしまう。
忠誠を誓わせて、永遠の眷属にしてしまう。」
だというのに、この少女は。白菊ほたるは。
既に自分がトップに近い人気を誇っているというのに。
多少慢心したところで、誰にも咎められるはずがないところにいるのに。
「……なんてひどい仕業なんでしょう。」
努力していたのだ。
幸子よりも熱心に、努力をしていたのだ。
「アイドルがすることって、まるで吸血鬼みたいじゃない?」
ちとせはそういうと、また寂しそうに微笑んだ。
「だから、自分は吸血鬼だと?」
ほたるの問いに、ちとせは答えない。
それも含めて教えてあげる、と、目を伏せて答えるだけだ。
「ああ、そうだ。その前に。」
何かを思い出したように上を向き、ちとせは芳乃の方を見る。
芳乃は当然分かっている。
今から問うことが、ちとせの本題であることを。
「飴を使って記憶を消すことって、できるの?」
「できませぬー。飴は、茄子殿の幸福は、意思のあるものには作用しませぬゆえー。
記憶や感情を取り払うことも、植え付けることも叶いませぬー。」
しかし、と、芳乃は言葉を続ける。
「消したい記憶の元となっているものを消すことは叶いましょうー。」
さらりと語られた芳乃の言葉に、その場の全員が絶句する。
芳乃が言ったことは、つまり。
何かにつまずいて嫌な思いをした、という記憶を消したければ。
その何かの存在を、この世から消し去ってしまえばいい。
鷹富士茄子の幸福には、発生した幸福によって生じる齟齬は可能な限り自然な形で補填される、という特徴がある。
要するに、幸福の発生によって生じる矛盾などは、勝手に修正してくれるのだ。
だから。記憶を消したいならば。
黒埼ちとせに関する記憶を、消し去ってしまいたいならば。
黒埼ちとせを消せばいい。
芳乃は今、そう言ったのだ。
「……できるんだね。よかった。」
それを聞いて、ちとせは安心したように笑った。
どうして安心できるのか、幸子には分からなかった。
自分が死ねばいいと言われることと、そんな顔をすることが、頭の中で致命的に結び付かなかった。
そして、こんな顔をする人を。
こんな顔をしてしまえる人を、幸子はもうひとり知っていた。
「じゃあ早速、追体験してもらうよ。」
ちとせはそう言うと、自らの唇をかり、と噛む。
滴り落ちた血液を、人差し指で受け止めた。
「ルーマニアに住んでた頃、魔女のおばあちゃんに教えてもらったんだ。
血液感染する病気にはかかっていないから、安心して。」
指先についた赤を、ひとりひとりの唇の端にそっとつけていく。
周りを全員一周すると、ちとせは指先をぺろりと舐めた。
血液が、彼女の元へ還っていく。
「目を閉じて。私の声を聞いて。」
言われるままに目を閉じる。
静寂の中、ちとせの声だけが反響する。
それは歌のようで、お経のようで、ただの音のようでもあった。
私はずっとそれを聞いていた。
ボクはその音に聞き入っていた。
わたくしの肌の感覚が、無くなっていくような気が致しました。
「……ちゃん、ちーちゃん! ちーちゃんってば!」
気がつくと私は、ちーちゃんに袖をぐいぐいと引っ張られていた。
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…
…
…
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〔Mission List〕
・白雪千夜を水槽から出してください
・鷹富士茄子に気取られないでください
・火災の真実を探ってください