白雪千夜の美術観   作:maron5650

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10.回顧

「え……っと、」

 

真下にいる少女を見る。

美しい黒のロングヘアー。

幼くも凛とした目つき。

ムッとした形の、しかし可愛らしい唇。

ああ、そうだ。ちーちゃんだ。

どうしてこんな当たり前のことを、まるで忘れていたみたいに。

 

「ごめんね。ぼーっとしてたみたい。」

 

笑いながらそう言っても、ちーちゃんの機嫌は簡単には直らない。

 

「じゃあ見して!」

 

放心していたお詫びとして、集会を見せろという。

私だってそうしてあげたいけど、どうしてもできない。

おばあちゃんにかたく禁じられている。

 

「できないの……。本当にごめんね?

帰ってきたら、また遊んであげるから……。」

 

決して緩めようとしない手を、私の指からどうにか離そうとする。

しかし彼女の手は頑なだった。性格と同じで。

こうなったら、しょうがない。

 

「ああ、黒埼さんのお嬢さん。こんにちは。」

 

ちーちゃん家のお父さんが、家から出てくるようにする。

これくらいなら、何かを唱えたりしなくてもできるようになった。

 

「……こら、千夜。お嬢さんが困っているだろう。

家に戻りなさい。そろそろお昼ご飯の時間だよ。」

 

お昼ご飯の一言に、ちーちゃんの心は大きく揺らぐ。

食べることが大好きだものね。

 

「おとうさんのおにく、くれる?」

 

「……四分の一。」

 

「はんぶん。」

 

ちーちゃんのお父さんは苦い顔をする。

彼女が最近になって分数を理解したことを、これじゃ素直に喜べないかも。

最終的に、三分の二で落ち着いたみたいだった。

お父さんの肩も、けっこう落ちていた。それはもうがっくりと。

 

「ちーちゃんまたねー!」

 

「うん、後でね。ばいばい。」

 

ばいばーい! と元気よく手を振りながら、玄関へと後ろ歩きで進んでいくちーちゃん。

そのドアが閉じられる瞬間まで、彼女はこちらを向いたままだった。

 

「……わ、遅刻だ。」

 

そんな可愛らしいちーちゃんを見ていたら、時計の針は集会の時間を過ぎようとしていて。

私は少し駆け足で、おばあちゃんの家へと向かった。

 

 

 

 

 

「きょうは随分と遅かったですね、ちとせ。貴女で最後ですよ。」

 

おばあちゃんの家の玄関を過ぎると、彼女の声が出迎える。

なるべく音を出さないように行動しても、魔女には通用しない。

祈るように手を組んでいるから、私の動向を魔術で感知していたのだろう。

この手の結び方は、魔術を行使する最も基本的な形として伝えられていた。

 

「ごめん、ちょっとね。」

 

「……また、あの子ですか。あの子は貴女にとても気に入られていますものね。」

 

言葉を返しながら、足早にリビングへ向かう。

そこには円いテーブルと、いくつかの椅子があって。

ひとつを除き、すべての席は既に老婆に座られていた。

 

「うん。とっても可愛いんだもの。」

 

私の背丈より少し高く作られているそれに、飛び乗るように座る。

隣の老婆が、ため息をついた。

 

「ちとせ。あの子は私達にとって、あまり良くないものです。

私達は魔女。魔で人を導き、魔に導かれる存在。」

 

「魔術の通用しない存在は、私達の在り方に対する天敵。

本来ならば近寄ることすら許されないタブー。

……何度も聞いたよ。諳んじられちゃう。」

 

小言を途中で奪い、こちらもため息をつく。

どうしてみんな、ちーちゃんを恐れるのだろう。

私はそれが不服で仕方がなかった。

 

確かに、ちーちゃんに魔術は効かない。

ちーちゃんの家族に問題なく効いた魅了の魔術は、彼女にだけはうんともすんとも言わなかった。

でも、それがなんだっていうの?

 

「ちとせ。【魅了の魔女】。

貴女には魔術の才能があります。

私達の、いえ、ご先祖様を含めた私達の血筋の誰より。

勿論、貴女の兄。【献身の魔女】よりも。

だからこそあの子は、貴女の天敵になりかねない。」

 

おばあちゃんが諭すように語りかける。

私はいかにも「あなたの言葉に傷つきました」といった声を作った。

 

「おばあちゃん達はそう言うけど。それで私に何かあった?

あの子が私に、何かをした?

私は今もこうやって、今まで通り生きてるよ。」

 

私の言葉に、老婆達は顔を合わせ、再びため息をつく。

仕方ありませんね、と、おばあちゃんが席を立った。

ゆっくりとした足取りで、私の席まで歩み寄る。

 

「ちとせ。貴女がそこまで頑なならば、私達もこれ以上の忠告はしません。

しかし、これだけを覚えてください。それで今日はおしまいです。」

 

言いながら、おばあちゃんは私の元に膝をつき、一冊の革装本を差し出す。

私はそれを受け取り、ぱらぱらとページをめくる。

 

「感情を……その対象を、移し替える?」

 

その概要を口に出すと、おばあちゃんはゆっくりと頷いた。

 

「いつかきっと、必要になるでしょう。

しかし、一歩間違えれば、貴女を深く傷つけてしまう。

これは、強力な魔術ですから。」

 

その時のおばあちゃんは、今までのどんな時よりも、深刻な目をしていて。

私にはそれが、おばあちゃんは私が間違えかねないと考えている証左に見えた。

 

「間違えないよ。おばあちゃんが言ったんだよ?

私の魔術の才能は天才的だって。」

 

ページをめくる速度を変えず、項目を次々と斜め読みしていく。

それで十分だった。

そもそも私は、ろくに魔術書を読むことなく、魔術を行使できるのだから。

おばあちゃんが、魔女としてはまだ幼い私に【魅了の魔女】の称号を与えたのだって、それが理由だった。

 

私は魔女の家系に生まれた。

そして、どうやら天才的な才能があるらしかった。

それに気づいたのは、周囲の誰もが私に肯定的な感情を向けていると知った時。

誰ひとりの例外もなく、全員が私に好意的な感情を抱いていると自覚した時だった。

 

おばあちゃんは私に魔女の存在を教え、私もその血筋なのだと言った。

私は兄と共に、魔女とは何か、魔術とは何かを教授された。

魔女というものは人それぞれ、適性というものがあり。

その適性に沿った魔術を扱うことに、人よりも長けるのだそうだ。

私には魅了の、兄には献身の適性があった。

 

私は魔女として生きることを決め、兄は人間として生きることを選んだ。

兄は優しい人間だった。

魔術は良くも悪くも、人を、気候を、運命を操る。

それをするのは身勝手だと言っていた。

そういうところが「献身」なのだろうと、私は思った。

 

兄は万が一の時のため、怪我を治す魔術ひとつを教わった。

それ以降、集会には一度も顔を出していない。

私は魔術の習得というよりも、主に制御のために毎回通わされていた。

 

私の魅了は無自覚に行われているらしかった。

つまりは、関わった人全てが、私に好意を抱くのだ。

それは同じ魔女である彼女達をもってしても、完全に防ぐことは叶わない。

要するに、私はひたすらに、無条件でちやほやされてきていたのだ。

 

私の家の隣に白雪家が引っ越してきた時もそうだった。

挨拶にやってきて、私の姿を見た瞬間から。

黒埼家と白雪家は、家族ぐるみの付き合いになった。

 

でも、ちーちゃんは違った。

ちーちゃんだけは、私の魅了は効かなかった。

ちーちゃんだけは、私に腹を立てたり、私に悪戯をしたり、私と喧嘩をした。

 

ちーちゃんだけは、魅了のせいでなく、ほんとうに私を好いてくれる人だった。

 

 

 

 

 

「ただいまー。」

 

あれから延々と続いた魔女達の小言でくたくたになりながら、私は家のドアを開ける。

玄関には靴がふたつだけ。

 

「おかえりー!」

 

元気な声と共に、ドタドタという足音が近づいてくる。

ちーちゃんだった。

ウチにいるということは、兄と遊んでいたのだろう。

 

「おかえり、ちとせ。」

 

ちーちゃんの後ろから、兄がひょっこりと姿を見せる。

その手に色鉛筆があることから、きっとお絵描きをしていたのだろう。

ちーちゃんは絵を描くことが好きだ。

これはルーマニアに来る前からの、彼女の趣味だった。

 

「……アタックはどう? 効いた?」

 

兄に聞こえないように、ちーちゃんに耳打ちする。

少し前に教えておいた、意中の男性にアタックする方法。

せっかく二人きりなのだから、やらなかったということは無いだろう。

 

「バンザイされた……。」

 

がっくりと肩を落として返すものだから、私は笑いを堪えるのに必死だ。

精一杯勇気を出して両手を広げ、ハグを無言で要求したら、そのまま抱え上げられたちーちゃん。

可愛かっただろうなぁ。それはもう、とんでもなく。

 

なんて思っていたら、顔に出てしまっていたらしく。

「笑い事じゃない!」と、ぺしぺし叩かれてしまった。

 

ちーちゃんは兄に恋している。一目惚れだ。

日本からルーマニアに越してきて。

その日に挨拶にやってきて。

その瞬間に好きになったらしい。

 

知り合って2週間ほど経った頃、こっそりと教えてくれたのだ。

本人は隠しているつもりらしいが、全員が気づいている。

ただ1人、当事者である兄を除いて。

少し歳が開いているので、妹に慕われているくらいの気持ちなのだろう。無理もない。

そしてなんと驚くことに、白雪家も黒埼家も、この事実を認識しつつ、けっこう乗り気なのだ。

二人以外の全員が、二人のやり取りを微笑ましく見守っている。

 

「まあまあ、こういうのは根気だよ。根気。

成功するまで続ければ必ず成功するの。」

 

最近読んだ本の内容をそのまま諳んじる。

そりゃそれができたらそうでしょうよ。と、思うけれど。

今のちーちゃんにはぴったりな言葉だ。

 

「それに、ほら。明日は水族館に行く約束でしょ?

男女が水族館なんて、それはもう完全にデー「大切なよーじが入っちゃったって。」えー……。」

 

せっかく私が段取りをしてあげたのに。

チケットだって余ったフリをするためにわざわざ買ってあげたのに。

何をしているんだ私の兄は。大切な用事って何だ。

ちーちゃんとの水族館デートより大事な用事がこの世にあるというのか。

 

「おさかな……。」

 

明日のことを思い出したのか、ちーちゃんは俯いてしまう。

でも、あれ、これ、ひょっとして。

 

「……見たかった? お魚。」

 

私の言葉に、彼女は力なく頷いた。

首の力を抜いた、といった方が適切かもしれない。

 

「それなら……私と行「いいの!?」いいよぉ……?」

 

そんなに興味があったのか。魚に。

少し前まではむしろ苦手だったのに。煮魚とか。

子供の興味は移りにけりないたづらに。

 

「じゃあ、明日は一緒に水族館ね。」

 

「うん!」

 

私達は指切りをして、それからさよならをした。

一日の終わりに、明日やることを約束する。

それがいつもの、私達の決まりだった。

 

 

 

 

playback stopped.

 

> あー。あー。聞こえる? あるいは、見える?

> 見辛かったらごめんね。どういう形式でこれが見えるか、私には指定できないの。

> これが、幼い頃のちーちゃん。白雪千夜。

> 驚いたでしょ。こんなに明るい子だったんだよ。

> ……つまりは、これから暗くなるってこと。

> ちーちゃんを暗くしてしまうような出来事が、これから起こるってこと。

> 見ているのが辛くなったら、そう念じて。

> わかった?

 

YES.

 

> ありがとう。

 

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