白雪千夜の美術観   作:maron5650

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11.灰

あれから数年が過ぎた。

ちーちゃんは日本に帰り、私はまだルーマニアにいる。

離れ離れになってからも、電話や手紙で定期的に連絡は取っていた。

私の魅了の影響を受けない、本当に私を好いてくれる人。

そんな、これから二度と出会えるかも分からないような相手を、ただの物理的距離なんかに奪われるのが嫌だった。

ちーちゃんも、私を好いてくれているから、というのと。

兄のことが気になって仕方ないらしく、手紙には必ず兄について書かれていた。

 

ある日のことだった。

私が14歳、ちーちゃんが12歳になる頃のこと。

今までと同じように届いた一通の手紙は、今までと違うことが記されていた。

ちーちゃんの絵が、美術館に展示されることになったらしい。

私が思う一番美しいものを描いたから、もしよかったら見にきてくれないか。

そういった内容の文章が、いつもより丁寧な文体で書かれている。

兄を連れて、ということを、本人はさりげないと思っているのだろうけれど、これでもかというほど強調して。

 

このことを兄に伝えると、とんとん拍子で日本に行くことが決まった。

開催期間に合わせて、行くのは12月の後半。

クリスマス前後だ。

 

兄と会えて、ちーちゃんはとても嬉しそうだった。

私以外の、つまり白雪家の大人達は、邪魔者は退散しますかねと笑いながらさっさと何処かの居酒屋に向かってしまった。

私もそうするつもりだったけれど、ちーちゃんが無言で訴えかけてきたから、隣にいることにした。

片想いの相手と2人きり、という状況に、どうやらまだ耐えられないようだった。

 

その日は、雪が降っていた。

しんしんと白が降り積もる中、美術館は私達の貸切状態だった。

二人はゆっくりと絵を見て回っていき、私はそれを一歩下がって眺めていた。

ちーちゃんの絵は、一番奥に展示されているみたいだった。

 

「……あのっ!」

 

美術館に、ちーちゃんの声が響く。

勇気を出したことがありありと分かるような、しかし美術館という場所に適した程度の声量で。

きっと、兄への想いを吐露するのだろう表情で。

兄は足を止め、壁に飾られた絵画から、ちーちゃんへと視線を移す。

その時だった。

 

 

 

 

 

ジリリリリリリリリ……

 

 

 

 

 

「……え?」

 

立ち止まり、音の発生源を探そうと、きょろきょろと辺りを見渡した。

これは……そう、火災報知器の音。

どうして今? 誤作動?

そんな平和ボケした思考が、私の理性を守ろうとする。

だって、この辺りには炎どころか、煙すら立っていないのに。

 

今見えないのなら、見えない何処かにあるのではないか。

この辺りに無いのなら、奥にあるのではないか。

 

奥には、ちーちゃんの絵があるのではないか。

 

私の思考がそれに行き着く一瞬前に、ちーちゃんは駆け出した。

美術館の奥の奥。

ちーちゃんの絵が飾られている場所へと。

次いで兄が、遅れて私が、ちーちゃんに続く。

 

美術館の構造は単純なもので、カタカナのコの形に順路が作られている。

今いる通路の突き当たりを曲がれば、ちーちゃんの絵が飾られている最奥だった。

ちーちゃんの姿が角に消え、兄が消え、私も突き当たりでつま先に力を込める。

 

立ち尽くしていた。

 

ちーちゃんが。白雪千夜が。

拍手のようにぱちぱちと、音を立てる炎の前で。

じわりじわりと下の方から、焼け焦げていく額縁を。

自分自身が描き上げた、「一番美しいと思うもの」を。

祈るように膝を折り、ただ呆然と見つめていた。

 

 

 

黒埼ちとせの肖像画を。

 

 

 

「……ぁ、」

 

私は、立ち止まってしまった。

そこから動くことも、頭を働かせることもできなかった。

私の瞳は、ある一点を見つめたまま、身じろぎひとつすることは無かった。

 

描かれた紅い瞳。

 

おばあちゃんの言っていたことが脳裏に蘇る。

魅了の影響を受けない。だからちーちゃんは危険。

このことだったのだ。

彼女は、私の瞳を正確に描き写せる、きっと唯一の人間だったのだ。

自分ですら制御しきれない、見たものを所構わず魅了する、そんな危険極まりない瞳を。

完全に、複製できてしまったのだ。

その効力すらも。鏡のように正確に。

 

こうして展示されるに至るほど評価を受けたのも、少なくとも何割かは、これのせいだ。

私の瞳の魅了のせいだ。

本人すらこの有様なんだ。一般人が抗えるわけがない。

しかも、ああ、なんてこと。

ちーちゃんには、効かないのをいいことに、意識して魅了を制御したことがない。

 

あれが焼き尽くされるまで、私達は動けない。

あれが焼き尽くされたなら、ちーちゃんはどんなに悲しむだろう。

だってあんなにも、丁寧に色を乗せ続けて作られた。

どれほどまでに時間を割いたか。労力を費やしたものか。

ひと目で分かってしまうほどのものだから。

 

私の視界は動かない。

ちーちゃんも。兄も。私自身も。

炎だけがゆらゆらと、賛辞するように揺らめいて。

額縁だけがゆっくりと、下から失われ続けている。

あの瞳に魅了されていた。

あの絵に取り込まれていた。

ちーちゃんの描いたものに、私達は掌握されていた。

だから。

 

兄が動き出した瞬間を、私は幻覚だと思った。

 

絵に映る瞳が見せた、都合の良い夢幻だと。

しかし、違う。あれは現実だ。

兄が、魅了の影響を確かに一度受けながら、その上で行動している。

行動、できている。

 

ちーちゃんとの水族館デートに、行けなかった理由。

そういえばあれは、私がおばあちゃんの言うことを、真面目に聞かなかった後のことだった。

対策を教えられたのだろう。

そして忠実に習得したのだろう。

万が一、私の魅了が制御できなくなったとき。

周囲に被害を及ぼすとき。

【献身】の適性を以って、皆を助けられるように。

 

兄は私の目を手で覆い、何かを唱える。

それが終わると、私は絵から視線を外していた。

外せるようになっていた。

 

外したままの勢いで、視線は目まぐるしく動く。

状況を確認しようと奔走する。

そうやって初めて、私達以外の人間が、この場に居合わせていることを知った。

 

私と同い年くらいの少女だった。

肩に触れないくらいの黒髪と、頭のてっぺんから伸びる長めのアホ毛が特徴的な女の子。

手には、小さな瓶が握られていて。

それは美術館という場所に、どこまでもそぐわなかった。

 

少女は絵を見つめてこそいるが、瞳を見つめてはいない。

あの子はまだ絵に魅了されていない。

あるいは、魅了が解けるほどのショックを受けている。

……表情からして、きっと後者だ。

 

「ねえ、あなた!」

 

切羽詰まった状況に、声が大きくなってしまう。

少女はびくりと肩を揺らし、ぶんぶんと首を横に振った。

まるで何かから、釈明するように。

 

「ち……違う、ぼくじゃない、よ、ほんとに、

だって、お姉ちゃんに追いつかなくちゃで、なのにぼくより年下が、だから、」

 

声が震えているし、内容も要領を得ない。

軽い錯乱状態のようだった。

でも、これは、ひょっとして。

 

「……私の眼を魅て。」

 

すっ、と吸い込まれるように、少女の瞳は私を映す。

同時に、彼女の記憶が流れ込んでくる。

 

 

 

 

 

優秀な家庭。

優秀な両親。

優秀な姉。

優秀な妹として期待され、しかし何に手を付けても姉に、周囲に劣る。

 

数々の習い事に手を付けては辞めを繰り返し、現在は絵画教室に通っている。

姉は既に海外の、聞いたこともないが両親の反応からして、相当に高い評価の証である賞を貰っていた。

その賞の審査員の一人に非常に気に入られ、その人のもとで修業をすることが決まっていると聞いた。

自分は、こんな小さな美術館に、出展すらさせてもらえなかった。

 

だというのに、自分よりも幼い少女が、こんなものを描いている。

妬ましい。疎ましい。羨ましくて仕方がない。

どうしてこんなにも、吸い込んで離さない瞳を描けるのか。

 

許せない。

劣っている自分が許せない。

それを自覚したくない。

周囲の全てが責めるのに、自分すら敵にしたくない。

見たくない。

これ以上これを見たくない。

自分を否定する、この瞳を見たくない。

 

 

 

 

 

そうだ。

 

 

 

 

 

「……っ、いい。よく聞いて。」

 

茫然自失の少女を見つめ、どうにか平静を保とうとする。

 

「あなたは姉の絵が受賞したのをきっかけに、絵を描くことを諦めた。

だからこんな小さな美術館には来ていないし、存在すらあなたは知らない。

北海道には観光のためだけに来たの。

今日はもう帰って。明日から美味しいものを食べて。綺麗なものを見て。

適度に逃避ができたなら、帰るべき時に帰りなさい。」

 

少女は私の言葉を聞くと、ゆらゆらと覚束ない足取りで出口へと向かっていく。

……これだけじゃダメだ。

この火災自体を、無かったことにしなきゃ。

 

私が原因だ。

私の瞳が原因だ。

私の魅了が原因だ。

だから私が、私が、私が、何とかしなきゃいけない。

 

火災報知器は既に鳴った。火災そのものを隠すことはできない。

付近にいる全員を一人ずつ魅了する?

無理だ。絶対に漏れが出る。

魔術の効果範囲を拡大させる方法。

いつだったか、確かに集会で聞いたはずなのに。

 

いや、それよりも前に。

まずはこの火を消さなければ。

絵は下から燃えているから、あの子はきっと床に火を放った。

水……なんて持ってないし、そうだ、消火器、確か入り口に、

 

「……せ! ちとせ!」

 

兄が私の肩を揺らしている。

ぐわん、と視線が揺れて、初めて兄が私に触れていることに気づいた。

 

「千夜ちゃんを外に! できるだけ遠くへ!」

 

兄が口にした言葉は。

現状が私の想定より余程、取り返しのつかないことを前提にしていた。

 

「え……火を、消さなきゃ、」

 

「これは放火だ! 火を付けられたのは千夜ちゃんの絵で!」

 

そこから兄は、言うのをためらうように。

脳内にある言葉が現実だと認めるのを躊躇するように、大きく一度息を吸った。

 

「……辺りに撒かれているのはガソリンだ!!」

 

ガソリン。

確か、気化すると、一気に、

 

「逃げるだけじゃダメ! 犯人は絵に魅了された女の子!

この火災自体を無かったことにしなきゃいけないの!」

 

魔女は。魔術を行使する人間は、そうでない者を傷つけてはならない。

魔は人を傷つける。だから魔女は集い、身を隠し、傷つけない方法を共有する。

このままガソリンに引火して、それが公になったとしたら。

私達だけじゃない。黒埼家も。私が属した魔女集会に縁のある全ても。

何らかの方法で殺される。

 

「……方法を知ってる! 今は逃げるんだ! 早く!」

 

兄が数瞬目を閉じ、開くと同時にそう叫ぶ。

状況を解決する算段が、彼の中で整ったらしかった。

今はそれを信じるしかない。

 

ちーちゃんの方を見る。

膝をついたまま、燃え続ける絵画を見つめている。

まるで取り込まれたように、その瞳に表情は無かった。

 

「ちーちゃん!」

 

呼びかける。反応は無い。

肩を揺らす。反応は無い。

……彼女は絵を見つめたまま、何の行動も起こさない。

長い黒髪がすだれになって、表情すら隠れていた。

 

彼女は魅了の影響を受けない。

だからこれは、絵に描かれた瞳のせいじゃない。

きっともっと純粋な、誰にでも理解できる感情。

 

美しいものを描いたのに。

美しいままに描けたのに。

皆に褒められたものなのに。

見てもらおうと思っていたのに。

 

宝物が目の前で壊れていく。

 

……ダメだ。何を言ったところで、今はこの子に響かない。

無理矢理にでもここから逃さなきゃ。

ちーちゃんの手首を掴み、ぐい、と引っ張る。

きっと痛みを感じながら、全くそんな素振りを見せず、ちーちゃんは力なく立ち上がる。

 

引っ張った勢いのまま、出口へと駆け出した。

ガソリンの、あの独特の嫌なにおいが、逃すまいと背後から迫ってくる。

突き当りを曲がり、後は出口まで走るだけ。

その直線の、半分まで差し掛かった頃だった。

 

ちーちゃんの家族がそこにいた。

 

居酒屋に行くと言っていたのは嘘だったのか。

それとも既に、食事を済ませるくらいに時間が経ってしまっていたのか。

それを確かめることはできないし、確かめたところで意味が無い。

今は、何とかして状況を伝えなくちゃ。

 

口を開き、息を吸い、

 

 

 

 

 

赤。

 

 

 

 

 

ここから、しばらくの記憶がない。

私の目を覚ましたのは、頬に落ちた雪の冷たさだった。

 

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