「……それでは。」
翌日。
幸子、小梅、「あの子」。
杏、きらり。
芳乃、ほたる。
そして、ちとせ。
以上の8名が、事務所にて一堂に会している。
一人だけ立ち上がっているほたるは、手に持っている飴を口に入れた。
「準備はいいですか?」
その言葉に、全員が頷く。
其れを見て、ほたるは飴を噛み砕く。
「……《しんぱん》。」
瞬間、黒埼ちとせの視界はホワイトアウトする。
目を傷つけるような眩しい光ではない。
いつまでも包まれていたいような、優しい光。
その中に揺蕩っていると、やがて誰かの気配がした。
「……あなたは、何を願いますか?」
白菊ほたるがそこにいた。
優しい、真っ白な空間に、彼女はそっと佇んでいた。
「私を、消すこと。」
私が願いを口にすると、彼女は悲しそうに笑った。
「……あなたからすれば、ふざけている話かもしれませんけれど。
私、死にたかったんです。
……ずっとずっと、死にたかった。」
彼女がその場からいなくなる。
背後からする声に振り向くと、そこは夜の屋上だった。
数々のビルが立ち並ぶ空間、その中心とも思える場所。
刃こぼれした包丁。切れたロープ。折れ曲がった小さなナイフ。
そんなものたちに埋もれるように、彼女は立っていた。
「それでも私は不幸だから、死ぬことも許されなかった。
だから茄子さんに願ったんです。私を殺してくれって。それが私の幸福だって。」
ほたるは足元から凶器のひとつを拾い上げ、そっと指先で撫でる。
錆びた刃先が柔肌を削り、やがて血を滲ませた。
「それでも茄子さんは、私を殺すことはしませんでした。
一日だけ待ってくれと。それでも死にたいままなら、その時に殺すからと。」
赤に染まる指先を宙に差し出す。
血は重力にゆっくりと負けていき、水滴となって球形に集合する。
「結果、私は生きています。幸せに生きています。
幸福ではないけれど。まだ不幸なままだけど。
……あの日一日を待ったから、私は幸せに生きています。」
ぽたり。水滴が落ちる。
反対の手で、ほたるはそれを受け止める。
「でも。だからといって、みんながそうだと言ってしまうのは早計だと思うんです。
私は一日を耐えたから幸せになれた。だからって、他の人に強要するのは違うと思うんです。
どうなるか分からない、保証されていない明日を待つのは、つらいですから。
その結果どうなるかを、私は保証できないんですから。
……諦められる方が、幸せなこともありますよ。」
赤い血の球形は、彼女の手の中で、白い彼女の飴になっていた。
「ステージの光は呪いだから。
惹かれてしまって……呪われてしまったら、
光にたどり着くまで、手を伸ばし続けるしかないんです。」
彼女の飴が、白が、徐々に視界を覆い尽くしていく。
やがてそれが、ひとつひとつの、小さな白の集合であることに気づく。
とても大きなひとつの白だと思ったそれは、誰かが振るペンライトだった。
「私はアイドルの世界で生きる意味を見つけてしまったから。
死ぬまで追い続けるんです。」
ここは、白菊ほたるの、二度目のファーストライブ。その舞台。
客席いっぱいのファンが振る光を背に、彼女は微笑んでいる。
「もしかしたら、その道のどこかで……
誰かを傷つけることがあるかもしれません。
でも私は……いつか、もっと大きな形で返したいんです。」
呪い。
彼等を幸せにしなければならない呪い。
彼等に幸せにされなければならない呪い。
互いが互いの光になるという、呪い。
「目指すものがあるって、いいことじゃないですか。
目的がなくて、生きがいもなくて、ただ生きてる……
死んでいないだけより、ずっといいと思うから。」
ファンが幸せになるためにアイドルは踊る。
アイドルを幸せにするためにファンは全力でそれを享受する。
そんな相互関係で、彼等と彼女は結ばれている。
「でも……呪われていないんだったら。」
白菊ほたるは、諦めようとした。
頑張って、報われなくて、諦めようとして。
それでも死ぬなと言われた先に、彼女は光を見つけた。
「光のない夜にだって、幸せはきっとありますよ。きっと。」
だからといって、それが全員に当てはまるとは、ほたるは考えない。
ほたるは、最後の最後に、幸運だった。自分をそう考えている。
一日を待った結果、もっと酷い現在がある可能性だって、十分にあった。
だからほたるは、自分に行われた方法を、他人にもしようとは思わない。
自分が救われたからといって他人に、結果の見えない夜の中を、光が見えるまで進ませることは、しない。
消えることが幸せだと、本人が思っているのなら、本人が言っているのなら。
それを無為にすることは、決して。
「彼女を、幸せに、したいんですよね。」
彼女が問う。私は頷く。
白菊ほたるは、白い飴を手渡した。
「……これを持って、目を閉じてください。
次の人に会えるはずです。」
言われるままに飴を受け取り、目を閉じる。
……光が、だんだんと和らいでいく。
目蓋を通しても尚、はっきりと感じられていた、白い光が。
「彼女が幸せになることを、願っています。」
ほたるの声が、聞こえた気がした。
目を開けると、そこは教室だった。
藍色の空に漂う、白い満月。
その真円が、彼女のシルエットを浮かべる。
「アナタは、何を望みますか?」
淡い光を背に受けて、輿水幸子は立っていた。
「私を、消すこと。」
答えると、幸子は黒板へと歩き始める。
深緑の平面を、指でなぞりながら。
そして彼女の指先は、深く突き刺さったナイフに当たった。
「千夜さんを、幸せにするために?」
頷く。
幸子はナイフを引き抜き、ちとせの元へ歩み寄る。
「確かに、千夜さんが最も恐れているのは、アナタが死ぬことです。
それを回避するためには、アナタが最初からいなかったことにすればいい。
実にシンプルな解法です。それ故に、確実に思える。」
ですが、と、彼女は続ける。
「もし、何もかもダメだったら。
アナタの行動が原因で、彼女が不幸になったら。
涙を流し、悲しみに埋もれるようになってしまったら。」
彼女は手にしたナイフを、ちとせの目の前に見せつける。
それは黒板に刺さっていたサバイバルナイフではなく、一片のガラス片だった。
「アナタは、彼女を殺せますか?」
彼女の手から、綺麗な紅が流れ落ちた。
美しいその色はガラスを伝い、凶器を鮮やかに彩った。
ナイフを染めた彼女の色が、所有権を叫んでいた。
「彼女が死にたくなるほどの不幸を、アナタの行動が生んだなら。
アナタは、彼女を殺せますか?」
幸子は、責任を問うていた。
千夜にとって幸せだと思える行動が、しかしそうでなかったら。
明確に自死を望むような結果になってしまったら。
アナタは、その責任を取れるのか。
「……殺せない。」
ちとせは俯き、呟く。
千夜に、死んでほしくない。生きていてほしい。
黒埼ちとせは、そのためだけに生きてきた。
兄の血を吸い、鬼になったあの日から。
千夜を死なせないこと、千夜を幸せにすること。
それだけのために生きてきた。
「……なら、同意するわけにはいきません。」
幸子は、右手に握っていた飴を机の上に置く。
ぽたり。ぽたり。
彼女の血が、ガラス片の切っ先から零れ落ちていく。
「アナタが望んでいるのは、自分勝手な贖罪です。
自分が感じた罪を、自分が赦せるように、自分を傷つけているだけです。
そんなものは彼女の、千夜さんのための行動ではない。」
幸子は、小梅のために血を流した。
すれ違いを起こしていた「あの子」との和解。
それが殆ど紛れもなく、可能であると判断して、尚。
それがダメだった時には、小梅の代わりに自分が血を流すと。
自分が痛みを引き受けると。そう主張した。
自分の行動の結果は、全て自分が引き受ける。
それが、他人のために行動する者の責任だと、幸子は考えていた。
「……強いんだね。」
ちとせは、幸子の糾弾を否定しない。
否定する方法もなければ、否定する必要もなかった。
確かに自分は自分のために白雪千夜を救おうとしていた。
白雪千夜が救われることで、自分が救われることを、期待していた。
いつの間にか、自分と彼女の間にある線が、溶け合っていた。
「強くなんかありませんよ。」
そう言って、幸子はガラス片を宙に放る。
くるくると回転しながら、ガラス片は少し上昇した後、ゆっくりと落ちていく。
「カワイイだけです。」
それが、ちとせと幸子を横切る瞬間。2人の視線を横切る瞬間。
ガラス越しに、ちとせは目が合う。
その相手は、先程までとは、一瞬前とは違っていた。
「……何が、欲しい……の?」
かちゃん、と、ガラス片が床とぶつかって音を立てる。
それを、目の前の人物が拾い上げる。
視線の先に、白坂小梅が立っていた。
それを認識した途端、肌寒さを感じる。
何者かの気配。
見ることも触れることも叶わない。
しかし確かに、そこにいる。
何者かによって、この教室は満たされている。
「私を、消すこと。」
それを聞いて、小梅は困ったように笑う。
否定したいが、できない。そんな表情だった。
「私……は、認めるのが、怖かった……の。
あの子が……死んだってこと。
だから、認めないように……認めなくてもいいように、してた……。」
白坂小梅は、「あの子」の死を認められずにいた。
「あの子」の死は自分のせいだと思い、自分を恨んでいるはずだと、強く思い込んでいた。
結果、小梅は「あの子」の幻覚を見ることで、どうにか精神を保とうとしていた。
「でも……幸子ちゃんは、御都合主義が……あるかもしれないって、言ってくれた。
映画で見るような……全てが夢で終わるような、御都合主義が。
現実にも……あるかもしれないって、言ってくれた。」
しかし、全てはすれ違いだった。
「あの子」もまた、小梅を歪ませてしまったと。
その責任が自分にあると、自分自身を責め続けていた。
幸子の言う通り、御都合主義は存在していたのだ。
「怪物に襲われて、逃げ道も無くて。もうだめだー、って時に。
突然アラームが辺りに響いて、気が付けば自宅のベッドに居て。
なんだ、夢か、って。息をついて終わるような。」
小梅は目を閉じ、これまでの口調とは別人のように、スラスラと言葉を紡ぐ。
それは幸子の言葉だった。
幸子が、小梅を勇気づけるために紡いだ言葉だった。
「……そんな、御都合主義。」
小梅がゆっくりと目を開く。
その瞳からは、緑色の液体が、じわりと滲み出していた。
「それでも、確かめるのは本当に怖かった。
幸子ちゃんがああ言ってくれなければ、きっと私は立ち止まったままで。
彼女が引き受けてくれなければ、私は今も、人間でいられない。
前に進むのは。現実と向き合うのは。幻想から目を覚ますのは、ほんとうに恐ろしいこと。」
右目から緑色の涙を流しながら、少女が流暢に喋り出す。
彼女が見たくなかったもの。受け入れたくなかったもの。
それは彼女にとって、彼女自身が化け物であるということだった。
「だからあなたの行動を、私には止められない。」
涙は重力に従って下降し、右目から右腕、右手、そしてそれが持つガラス片へと集まっていく。
緑は切っ先にしずくとなって集合し、やがてぽたりと落ちていく。
少女が左手で受け止めると、そこには飴があった。
深い青色。月に照らされた夜空の色だった。
「ずっと、真実を知らないままで。
何もかもを忘れたままで。
真実と向き合わないままで。
死ぬまでそうやって生きていられたなら。」
少女は飴を差し出す。
ちとせはそれを受け取り、再び彼女の瞳を見た。
「……どっちが良かったか、なんて。
私には、分からない……決められない、から……。」
そこにいるのは紛れもなく、これまでの白坂小梅で。
人と関わることに怯え、紡ごうとしている言葉を確認しながらでしか話せない人間で。
それでも、前に進むことを決めた少女だった。
「……他の人が、どう判断するか、分からない……けど。
みんな……ちとせさんの、千夜さんの、幸せを……願ってる、から。」
小梅はちとせの背後にまわり、きっと背伸びをしながら、そっと両手でちとせの両目を塞ぐ。
ちとせが頷くと、誰かが笑ったような気がした。
「……だーれだ。」
「……杏ちゃん。」
答えると、手はあっさりと外される。
先程までよりも強い、真昼の光が、ちとせの瞳を照らす。
どこまでも青い空。真っ白な入道雲。
真夏の住宅街。大通りの真ん中だった。
道の端には真っ赤なポストが、陽炎に揺らいでいる。
「ちぇ、バレたか。」
ちっとも悔しくなさそうに杏が言う。
ちとせの表情を見て、それから右手を見て、それだけである程度察したようだった。
「同意が2。……反対はまだ幸子だけ、ってとこか。」
杏はうさぎのぬいぐるみを片手でむんずと持ち上げ、外れかかっているポケットをまさぐる。
中に入っていた赤色の飴を取り出すと──
「はい。これで3。」
──あっさりとちとせの手の上に置いた。
「……いいの? そんな簡単に、」
「いいのいいの。……そうしてくれた方が、都合がいいから。」
杏はひらひらと手を振って答える。
杏は、ちとせの行動から、何かを得る気らしかった。
「私は仁奈を守らなきゃいけない。ちとせが千夜ちゃんに、そうであるようにね。
だから、この先。何年先か何十年先か分からないけれど、とりあえず当分先。
私は、仁奈と離れなければならない時がくる。」
カーブミラーが光を反射する。
その眩しさに、ちとせは一瞬目を瞑る。
「私が仁奈ちゃんを、守れない時がくる。」
そこは、夕暮れの路地裏だった。
目の前には長身の、長い黒髪の綺麗な女性が佇んでいる。
半身を地平に沈めている太陽を背に受けて、彼女の色彩が奪われる。
この人物が諸星きらりその人だと、ちとせは声を聞くまで分からなかった。
「ごめんなさい。私は、私達は、あなたで試したい。
いつか悲しみを生むのなら、最初から無いほうがいいのか。
……私達が死ぬ時に、あなたと同じ行動をするべきなのか。」
そう言いながら、きらりも飴を手渡す。
鮮やかな黄色の飴が、手の中でころりと転がった。
「だから、あなたの成功を。白雪千夜の幸せを、私達は願っています。」
ばちん。
何か、スイッチの、勢いよく動作する音。
ブレーカーの落ちた音。
それと同時に、夕暮れは光を失い、世界は太陽に照らされない。
真っ黒な世界。光を、暖かさを与えられない世界。
次第に吐息が色を持ち、下り始める気温に、身体が震えて恐怖した。
「……あなたは……。」
声をした方に視線を向ける。
真っ黒な空間に、少女が立っていた。
陽の当たらない、色の無い、こんなにも凍りついた空間に。
微笑を顔に浮かべたまま、彼女は佇んでいた。
「悩み事が、お有りなのですね?」
少女はちとせの元に歩み寄る。
その小さな口は確かに音を発し、そうであるからには息を吐き、しかし。
こんなにも凍てついた世界に、彼女の吐息は映らない。
「ならば私は、犬馬の労を取りましょう。」
ちとせの目の前に、少女の華奢な手のひらが差し出される。
その上には、翡翠色の飴が、ちょこんと乗せられていた。
飴を受け取り、ちとせは改めて少女を見る。
長さは彼女と同じだが、色は黒。
目の色も少し違う。彼女は髪と同じ茶色だったが、この少女は瞳も黒い。
そして何よりも、口調がまるで異なっている。
……この少女は、依田芳乃では、ない?
「さあ、これで5つ。過半数の同意が得られました。」
ばちん。
再びブレーカーの音。
ちとせの真上から、スポットライトの光が降り注ぐ。
その眩しさにくらんで、ちとせの瞳は少女の姿を見失う。
「願いを、叶えましょう。」
たん。
硬いもの同士が触れ合う音。
小さな球体。ちとせの飴が、足元に転がっている。
それはちとせの瞳のように、深く紅い色をしていた。
ちとせは飴を口に含み、上下の歯で固定する。
吸血鬼が血を吸うように。
ギロチンの刃が落とされるように。
こめかみに当てた拳銃の引き金を引くように。
彼女は飴を噛み砕いた。
「黒埼ちとせがいなくなりますように。」
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ……。
目覚まし時計が朝を知らせ、私はベッドの上でひとつ伸びをする。
ここは幸子さんの家。その一室。
アイドルを始めてから、事務所に通いやすいよう、好意で泊めてもらっている。
「おはようございまひゅ……寝ぼけたボクも……カワ……、」
「おはようございます。顔を洗ってきてください。
今日は午前から仕事が入っているでしょう。」
「ふぁい……。」
まだ半分目が閉じたままの幸子さんと、リビングで挨拶を交わします。
私はそのまま、一階の部屋へと足を運びます。
「小梅さん。起きてください。……小梅さん!」
付けっぱなしのテレビ。
流れっぱなしのホラー映画。
夜遅くまで鑑賞してそのまま寝てしまったのだろう小梅さんが、スヤスヤと寝息を立てています。
「……「あの子」さん。」
急いで脱いだと思われる、放置されたキグルミを見つけ、空間に語りかけます。
しかし、反応がありません。
居留守を通す腹積もりのようでした。
「「あの子」さん!」
もう一度。今度は語気を強めます。
するとキグルミは下の方から、スルスルと人の形を成していき。
やがてこちらの方を向きました。
『ごめんなさい』
首に下げられたホワイトボードには、謝罪。
「ごめんなさい、ではありません。
どんなに遅くとも午前1時までと約束をしたはずですが。」
『ちゃんと1時で止めようとしたよ
でもさ ちょうどクライマックスで』
「没収。」
DVDを取り上げます。
まったく、いつまでこの調子なのでしょうか。
こうやって対策をしようとしても、また別のDVDを隠れて見るのでしょう。
さて、後は……、
気のせい、ですか。
さて、私も今日は早くから打ち合わせがあります。
早く朝食の準備をしなければ。
今日もいつもと同じ、一日が始まります。
【error】 アカウント"黒埼ちとせ"が存在しません。
【error】 アカウント"黒埼ちとせ"が存在しません。
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