白雪千夜の美術観   作:maron5650

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18.約束

「…………。」

 

今日は、幸子さん達の事務所に新しく入った、白雪千夜さんとの合同練習。

事務所間の仲を深めることや、他事務所のアイドルと互いに切磋琢磨することを目的として、こういうことはたまにある。

……といっても、幸子さん達の事務所は、もう概ねウチと同じような扱いなのだけれど。

 

「どうしたんですか、そんなに難しい顔をして。」

 

休憩時間になると、私はすぐ気になっていたことを質問した。

普段から真面目に練習に取り組む彼女が、何か考え事をしているのは、本当に珍しいことだった。

 

「すいません、ほたるさん。顔に出ていましたか。」

 

ぺこり、と行儀よく謝る。

私は両手で「違う」とアピールしながら答えた。

 

「いえ、怒っているわけではないんです。叱るつもりも。

千夜さんはいつも、とても熱心にレッスンを受けていますから。

……何か、悩み事ですか?」

 

千夜さんは少し考えて、私に話をしてくれた。

 

「……何かを、忘れている気がするのです。

とても大切な、何か。それが無ければ私が私でいられないような何か。

しかし、何度記憶を振り返っても、何もないのです。

今日もこうして、予定通りレッスンに参加している。」

 

私も少し考えて、ひとつのことを閃いた。

隅に置いているバッグから、メモ帳を取り出す。

 

「私、大切なことを忘れないように、メモに書いているんです。

予定が急に変わることとかは、しょっちゅうですから。

勿論覚えておくようにはしていますけど、万が一忘れてしまっては大変なので。」

 

千夜さんにメモ帳を差し出すと、彼女は数瞬迷ってから、両手で礼儀正しく受け取った。

 

「……なるほど。ありがとうございます。」

 

「いえいえ。……思い出せるといいですね。

心に何かが引っ掛かったままというのは……もやもやしますから。」

 

「もやもや、ですか。」

 

私の言葉に、彼女はどこか納得したようだった。

自分の心を表す単語を、やっと見つけられたように。

 

 

 

 

 

「…………。」

 

午前の仕事が終わり、事務所に来てからというもの。

千夜さんがメモ用紙に殺気を放っている理由を、ボクは随分と長い間考えていた。

 

「…………む……。」

 

ペーパーレスのこの時代、紙というものに敵意を向けるのは、もしかしたら自然な流れなのかもしれない。

いやそんなわけない。第一彼女は絵が好きなはずで、絵は紙の上に描くものだ。

 

「……あの、千夜さん。

何か、そのメモにただならぬ因縁が……?」

 

近寄ることすら困難な雰囲気を纏わせる彼女に、何とか恐る恐る聞く。

千夜さんはメモ用紙からボクに視線を移し、それから一つため息を吐いた。

 

「……いえ。何か、忘れているような気がしたのですが。

何度確認しても何も忘れていないので、単に気のせいなのでしょう。」

 

と言って、彼女はメモ用紙をポケットに仕舞う。

……千夜さんが忘れ物をするなんて、珍しい。

珍しいどころか、想像すら難しいことかもしれなかった。

自分のスケジュールどころか、ボク達の予定まで頭の中で把握しているほどなのだから。

 

「千夜さんにもそういうことがあるんですね。」

 

「ええ。何というか……もやもやします。

仮に何か忘れているとしても、仕事に支障は無いはずなのですが。」

 

「まあ、何かあってもボクに任せてください!

ボクはカワイイですからね!」

 

「はい、期待しています。」

 

「そんなに感情の無い声も出せたんですね……。」

 

 

 

 

 

「…………。」

 

千夜おねーさんが、ホワイトボードを睨みつけています。

それはもう、憎い相手を殺さんとばかりの迫力で。

 

「あの……千夜おねーさ……?」

 

仁奈の声にはっとして、千夜おねーさんはこちらを振り返ります。

その表情は優しくて、いつもの千夜おねーさんでした。

 

「仁奈さん。すいません、考え事をしてしまって。」

 

「どうしたでごぜーますか?」

 

「何か……忘れているような気がして。

しかし、何度確かめても、何も忘れてはいないのです。」

 

それは、とても珍しいことでした。

千夜おねーさんは、自分のことだけでなく、仁奈の曜日ごとの宿題まで覚えているのです。

 

「ナゾでごぜーますね……。」

 

「ええ……こうやって確かめても、まだ忘れている気がするのです。」

 

千夜おねーさんはため息を吐きます。

何か、どうにかしてあげられる方法は無いでしょうか。

千夜おねーさんと一緒に、仁奈もうんうん考えます。

 

「……そーだ!」

 

ぱん、と両手を合わせ、千夜おねーさんの方を向きます。

こんな時のエキスパートが、事務所にいたではありませんか。

 

「芳乃おねーさんに聞くですよ!」

 

 

 

 

 

「ふむー……。何かを忘れている気がする、しかし思い出せず、周囲を確認しても当てはまるものがない、とー。」

 

芳乃が茶をすすり、話を要約する。

千夜は頷き、芳乃に尋ねる。

 

「芳乃さんのお力で、見つけられることは可能でしょうか。」

 

しかし芳乃は、首をゆっくりと横に振った。

 

「申し訳ございませぬー、失せ物探しは得意分野ではあるのですがー。

何が消え失せているのかを、知っていなければならないのでしてー。」

 

ですがー、と、芳乃は続ける。

 

「そなたが記憶を振り返る、手助けは叶いましょうー。」

 

その言葉に、千夜は頷いた。

 

「それだけでも構いません。……お願いします。」

 

芳乃は立ち上がり、千夜の前へ移動する。

座ったままの千夜は、少し見上げる形で芳乃を見る。

芳乃は千夜の顎に、そっと手を添えた。

芳乃と、目が合った。

 

「さあ、よく見てくださいませー。」

 

言われるままに、千夜は芳乃の瞳を見る。

その瞳は、千夜の目を見てはいなかった。

千夜の目の、その奥にあるものを。

芳乃の瞳は、それを映し出していた。

芳乃の瞳を通して、千夜は自分自身を見ていた。

 

 

 

 

 

黒。

 

 

 

 

 

真っ黒な世界。光を、暖かさを与えられない世界。

次第に吐息が色を持ち、下り始める気温に、身体が震えて恐怖した。

 

そこに物語性は存在しない。

だから起伏も幸福も、不幸だってひとつも無い。

そんな空間に、私は一人揺蕩っている。

 

何かを抱き締めている。

暖かく、自ら光を放つ何か。

これが世界に触れてしまわないように。

冷たさに侵されてしまわないように。

光が漏れてしまわないように。

私はこれを抱き締めている。

 

この光は何だったっけ。

この光の正体は。

覗き込もうとしても、眩しすぎて分からない。

 

守らなければ。

この光を守らなければ。

果たさなければ。

約束を果たさなければ。

 

 

 

 

 

約束?

 

 

 

 

 

誰と約束したんだっけ。

何を約束したんだっけ。

いつ約束したんだっけ。

 

光を守ると決めたのは、いつのことだったっけ。

 

息を吐く。

ごぽり、と音を立てながら、それは上へと昇っていく。

水中。ここは水中だった。

冷たくて、真っ暗で、だからこそ変化が無い。

そうだ。

私はこれを望んでいた。

私はここを望んでいた。

私はここにいることで、光を守ろうとしていた。

ここはみんなの──

 

 

 

 

 

「──天国なんだね……。」

 

顔を上げる。

カラスの声。

差し込む夕陽。

赤く染まる空。

太陽を背に受けて、依田芳乃は佇んでいた。

 

「失せ物は見つかりましてー?」

 

彼女が問う。

その視線に、私は頷いて答えた。

ここは水の中。

ここは人の及ばない場所。

ここは天国。

ここは、私の天国。

私だけの天国だった。

 

「ではー。まいりましょー。」

 

私の表情を見て、芳乃さんは立ち上がる。

 

「ああ、いえ、分かったことは確かなのですが。

具体的に何処なのか分かったわけではなくて……。」

 

「ふむー。」

 

芳乃さんは再び私の目を見て……きっと、心を読んでいる。

やがて目を閉じ、考えを纏めると、芳乃さんはこう言った。

 

「専門家を知っておりましてー。」

 

 

 

 

 

「何で……ボクなんですかね……?」

 

全身の力を抜き、座席に深くもたれかかって。

バスの中、輿水幸子は何度目かの不平を呟いた。

 

「幸子殿はー、以前あの場所にてもう一人の自分を見ましたゆえー。」

 

幸子の隣に座る依田芳乃が、水筒の茶をすする。

 

「う、うん……。私も、見た……よ……。」

 

二人の前の座席から、白坂小梅がぴょこりと顔を出した。

 

「それはそうですけど……。」

 

いつもの勢いのあるツッコミは何処へやら。

幸子はこの上なく、行きたくなさそうだった。

 

それもそのはず。

バスが向かっているのは、小梅と「あの子」の通っていた小学校。

今では廃校となっている場所だ。

幸子と小梅は以前、そこで「もう一人の自分」と会った。

それは幽霊とも、幸福や不幸ともまた違う、正真正銘の超常現象とでも言うべきものだった。

 

「申し訳ありません。こんな時間に。」

 

芳乃と幸子の後ろから、千夜が声をかける。

律儀にもバスの移動中は席を立たないので、小梅のように顔は出せない。

 

「いや、時間はいいんですよ……。

夜じゃないとダメな気もしますし……。」

 

そう言って、幸子は何度目かの大きなため息をついた。

 

『いい加減慣れなよ』

 

ふよふよとホワイトボードが、幸子の眼前に浮かぶ。

幸子は、ぺし、とそれを軽く叩いた。

 

「慣れるもんじゃないんですよ……。」

 

こんなにも幸子が、乗り気でない理由はひとつ。

幽霊だ。

廃校には数多の幽霊が存在しているのだ。

幸子は幽霊が、とんでもなく苦手なのだ。

自分に害する存在がいないと、十分に分かっていて、尚。

それが幽霊という、ただそれだけの理由で、純粋に怖いのだ。

 

「……おさらいをしましょう。」

 

バスの学校の近くまで来たのを景色から察し、幸子はそう切り出した。

 

「千夜さんは何かを忘れている。

そしてその内容は、陽の差さないほど深い水の中で、抱えている光に見えた。

更に言えば、この世界に存在するものではない気がした。」

 

間違いないですか、と、幸子は視線で問う。

千夜はそれに頷いて答えた。

 

「……そこで、あの廃校が役立つかもしれない。

ボクも小梅さんも、ガラス越しに「もう一人の自分」を見ました。

ワケは分かりませんが、どうやらあそこは、そういう場所のようです。

だから、千夜さんの忘れ物も、あそこでなら見つかるかもしれない。

見つからないとしても、ヒントくらいは得られるかもしれない。」

 

バスが路肩に近づき、ゆっくりと止まる。

ぷしゅー、と息を吐きながら、ドアがスライドする。

 

「じゃあ、いきましょうか。」

 

少女達は、校舎へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

「あれ、仁奈。どうしたのそれ。」

 

家に帰ると、仁奈が両手で画用紙を、水平に持っていた。

卒業証書でも受け取ったかのようなポーズだ。

 

「学校の宿題でごぜーます……。」

 

よく見ると、彼女の手は小さく震えている。

短くない時間、この体勢を維持しているらしかった。

 

「乾かすなら新聞紙か何か敷いて置きな?」

 

仁奈は私の言葉にはっとして、しかし両手が塞がっているから動けない。

ウチは新聞を取っていないので、ポストに挟まっていたチラシを適当に数枚抜き、念のため二枚重ねで畳の上に広げる。

仁奈は宝物を台座に置くように、画用紙をそっとチラシの上に置いた。

 

「……この人、お友達?」

 

女の人だった。

腰ほどまで伸びた金の髪。

透き通った紅い瞳。

私やきらり、仁奈と一緒に、オムライスを食べている。

 

「……わかんねーんでごぜーます。」

 

これだけ細部も描けているのだから、きっと親しい人物なのだろう。

そう思ったが、仁奈は力なく首を横に振った。

 

「……でも。食べたような気がして。

ここで一緒に、オムライスを食べたような気がして。

きらりおねーさんに手伝ってもらって、仁奈が作ったオムライス。」

 

絵に描かれた紅目の少女は、笑顔でオムライスを食べている。

これは仁奈の、願望なのだろう。

笑顔で。幸せそうに。美味しそうに。きっと食べて欲しいのだろう。

 

「……悲しそうに、食べてた気がするんでごぜーます。」

 

絵にはきらりも、私も描かれている。

しかし私は、ここで客人と一緒にオムライスを食べた記憶が無い。

そういう夢を仁奈が見たのか。

それとも私がそれを忘れているのか。

或いは、それ以外の何かがあったのか。

 

「じゃあさ。練習しようよ。」

 

真実がどうであれ、私は仁奈を守らなければならなかった。

 

「れんしゅー?」

 

「またこの人に会った時。今度こそ、笑って食べてもらえるように。

とびっきり美味いオムライスを作れるようになっちゃおうよ。」

 

「……はい!」

 

仁奈が元気を取り戻したのを見て、私は冷蔵庫を開ける。

確か卵はまだ余っていたはずだ。

しかし。

 

「「…………へ?」」

 

冷蔵庫にあったのは、冗談かってくらいバカでかいオムライス、その食べかけだった。

 

 

 

〔Mission List〕

 

あなたが成さねばならないことは、最初から何もありません。

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