白雪千夜の美術観   作:maron5650

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21.初めて見えるものだから

真っ白なキャンバスに、彼女はひとり向き合っている。

月明かりをその背に浴びて。

木枠に張られた白を、真っ直ぐに見つめている。

そんな千夜さんを、ボク達は見守っていた。

 

ここは、不思議な場所。

ボクと小梅さんが、もう一人の自分に会った場所。

それはまるで鏡のように、窓ガラスに映っていた。

自分を写し取るものに、それは実体となって現れていた。

 

千夜さんが、ペインティングナイフを手に取る。

その上には、パレットの上で作り出した、深い青色。

月に照らされた夜空の色だった。

 

千夜さんは、絵を選択した。

自分を映し出す鏡。自分を見せつける凶器に。

自分が最も恐怖しているものは、これなのだと。

 

左から右へ、一直線に絵具を伸ばす。

彼女の手を追うように深い青が広がる。

上から順に、徐々に下の方へ。

白が夜に染まっていく。

 

千夜さんの忘れ物。愛した人との約束。

陽の差さないほど深い水の中で、抱えている光に見えたもの。

それは、この世界に存在するものではない気がしたと、彼女は言う。

 

雪は本当は、白色ではないのです。

絵の具を棚から出しながら、彼女はそう微笑んでいた。

色とは、物体が光を反射することで、初めて見えるもの。

白く見える太陽の光や蛍光灯などは、実はすべての色を同時に持っていて。

そして雪は、殆ど全ての色を吸収せず、光は殆どそのまま反射される。

だからまるで太陽のように、雪は白色に見える。

しかし、ほんの少しだけ。

青だけは、ほんの少しだけ透過する。

だから雪を光にかざすと、薄く青がかって見えるのだと。

 

この世界に無いならば、鏡の向こうに存在するのではないか。

小梅さんがもう一人の自分に襲われていた時のように。

ボクが小梅さんの化け物を引き受けた時のように。

ボクが見た自分の向こうで、小梅さんが泣いていたように。

千夜さんの鏡の向こうに、ちとせさんがいるのではないか。

 

色について話す彼女は、ほんとうに楽しそうで。

ああ。彼女はこんなにも、絵を描くことが好きだったんだ。

こんなにも大好きな絵で、大切な人を傷つけてしまったんだ。

それでも少女は今、再び筆を執っている。

大切な人を助けるために、彼女は筆を執っている。

 

彼女は、白雪を描くと決めた。

自分を映し出す鏡。自分そのものとして。

あの日に降り積もった雪を、この手で描くと、そう決めた。

 

下塗りと呼ばれる塗り方だった。

油絵は水彩と異なり、何層も重ねて色を塗ることができる。

その特徴を活かし、あらかじめ色を塗った上に、更に色を置く。

そうすると、色の奥に色が見え、より深みのある絵に仕上がる。

その下塗りに、彼女は夜空を描いていた。

 

白雪であってくれと、愛する人は最期に言った。

白雪でいてほしいから、ちとせさんは魔術を使った。

千夜さんが描いているのは、それらに対する回答だった。

 

夜の上に、白を乗せていく。

彼女の絵に雪が降り積もる。

どれだけ時が経とうとも、夜が消え去ることはなくて。

夜がそこにいてくれるから、雪は積もり続けていた。

この白は彼女の過去で。

この雪は彼女の思い出だった。

月夜を無理に剥がさずとも、確かに雪はそこにあった。

 

白雪が、白雪のままでいるためには。

月を浮かべる夜空の色が、必要不可欠であるのだと。

 

「わ……。」

 

白雪千夜が筆を置く。

キャンバスが月夜を浴びて、積もった色を反射する。

その光を見たボクは、思わず声を漏らしていた。

 

「どうですか。」

 

少女がこちらを向く。

その表情は優しくて。それでもどこか誇らしげで。

 

「綺麗でしょう。白雪は。」

 

これこそが自分自身だと、胸を張って告げていた。

 

「……はい。」

 

その姿は。

自身の在りようを曝け出し、尚それを肯定する様は。

塗り重ねた過去を帯びるからこそ際立つ色合いは。

 

「カワイイです。」

 

ボクの持ちうる、最上級の賛辞で応えるべきものだった。

 

 

 

 

 

 

「……いきます。」

 

千夜さんがパレットナイフを逆手に持つ。

ボクはゆっくりと頷いて、その時を待った。

 

この絵は鏡。

千夜さんを映し出す、千夜さんの作った鏡。

この絵は時間。

千夜さんが積み重ねた、千夜さんの時間。

この絵は深海。

月の光は表層にしか届かなくて、奥にはきっと色がない。

 

そこにきっと、彼女がいる。

 

千夜さんはナイフを、絵の上に突き立てる。

そして、そのまま、ゆっくり。ゆっくりと。

水へ沈み込むように、ナイフは静かに入っていく。

絵の中へ。色の中へ。塗り重ねた過去の中へ。

光の届かない深海へと。

 

ナイフは全て絵に沈み、反対側に突き出ることはなかった。

そのままナイフを持つ手が、腕が、肩が、絵の中へ沈んでいく。

千夜さんが過去に潜り込んでいく。

 

「……いきましょう。」

 

ボク達は手を繋いで、彼女がしたように絵に触れる。

ちゃぽん。

絵は水面のように揺らめいて、静かに音を響かせた。

手は何かに濡れていて、奥へ進むほど冷たかった。

ボク達は海の中へと潜っていく。

真っ黒な世界。光を、暖かさを与えられない世界。

次第に吐息が色を持ち、下り始める気温に、身体が震えて恐怖した。

 

何かが触れる感覚に目を開ける。

千夜さんがボクの手を引いて、何処かへと真っ直ぐに視線を送る。

ボクは振り返り、反対の手で繋がった小梅さんや、その後ろにいる芳乃さん、「あの子」さんの姿を探す。

誰もはぐれていないことを確認してから、千夜さんの目指す方へ泳ぎ始めた。

確かに水の感触があるのに、息はできるし、吐く息は白かった。

 

やがて水温が、或いは気温が、緩やかに上昇していくのを感じる。

目指す先に熱がある。そう直感する。

それはきっと、千夜さんが探していた忘れ物。

 

世界に触れてしまわないように。

冷たさに侵されてしまわないように。

光が漏れてしまわないように。

ずっと抱き締め続けていたもの。

 

奥の方に、微かに光が見える。

それは徐々に、眩ゆい輝きへと変わる。

やがてボク達は光に包まれ──

 

 

 

 

 

──美術館の白い壁が、ボク達を取り囲んでいた。

 

 

 

 

 

 

「ここは……。」

 

見たことがあった。

ちとせさんの記憶の中に、鮮明に焼き付いていた。

ここは、千夜さんの美術館。

千夜さんの描いた絵が、飾られた美術館。

ならば。

 

「この通路の先に、ちーちゃんがいるはずです。」

 

千夜さんが呟く。

その口調は落ち着いていて。確信に満ちいていて。

だからこれも、分かっていたことなのだろう。

分かっていたから、ボク達に力を貸してくれと頼んだのだろう。

 

美術館の通路。

両側の壁には、いくつもの絵が飾られている。

その絵が、水面のように、揺れる。

絵から、何かが這い出てくる。

それはまるで、墓地から手を出す死人のように。

それはまるで、蘇った腐肉のように。

それはまるで──

 

「──ぞ、」

 

「ゾンビだぁ……!」

 

ボクの驚愕は、小梅さんの歓喜にかき消された。

 

「なんで⁉︎ なんでこの流れでゾンビ⁉︎」

 

慌てふためくボクをよそに、千夜さん達は落ち着いていた。

 

「いえ。あれは……吸血鬼、なのでしょう。

現代こそ、吸血鬼といえば青白く。

長い牙を持つ不死身の怪物で。

美しい容姿をした西洋貴族的な装いの男性もしくは女性。

……そういうイメージがありますが。

民間伝承における吸血鬼は、死体がそのまま蘇ったような存在で。

屍衣を纏い、言葉を発するものも少なく、ただ徘徊して獲物を求める。

ちょうど、ゾンビのようなものだったそうです。」

 

「ほー。……そうして生まれた吸血鬼は、人を襲って仲間を増やす、でしたかー。」

 

「詳しいですね。その通りです。」

 

「そなたの主に教えていただきましてー。」

 

何でもないことのように話しながら、二人はゾンビの……吸血鬼の群れへと歩いていく。

吸血鬼達が二人の存在に気づき、緩慢な動作で腕を伸ばす。

 

「《うぇぽん》。」

 

芳乃さんが飴を噛み砕く。

すると、彼女の目の前に、一振りの薙刀が現れる。

手を伸ばし、自由落下を始めたそれを、しっかりと受け取った。

 

「露払いはわたくし共にお任せくださいませー。

そなたは、前をー。」

 

ぶん、ぶん、ぶん。

身の丈よりも長い、とても重いはずの薙刀を、軽々と舞うように回す。

やがて、準備運動が終わったと宣言するように、切先を真っ直ぐに前方に向けた。

 

「はい。」

 

千夜さんは走り出し、芳乃さんはそれに寸分違わぬ速度で付いていく。

前方と左右から襲い来る化け物の手足、頭部を、薙刀が撃ち落としていく。

千夜さんの周囲で、演舞をするかのようだった。

美しいまでに完成された動きで、芳乃さんは千夜さんを守っていた。

 

「……ちょちょちょ、置いてかないでくださいよ!」

 

「《うぇぽん》……。」

 

ボクは一瞬遅れて走り出し、小梅さんは飴を噛み砕く。

彼女の武器は、大きなチェーンソー。

非常に小梅さんらしい武器だった。

 

「ゾンビ……ゾンビにチェーンソー振れる……ふふ……。」

 

発言が怖い。

 

「芳乃さんは前、「あの子」さんとボクは左! 小梅さんは右を!」

 

千夜さんの左に付きながら叫ぶ。

二人はボクの声に頷き、それぞれ配置につく。

吸血鬼の群れを切り開きながら、通路をただ走っていく。

 

「カワイイパーンチ!」

 

千夜さんに噛み付こうとする吸血鬼の頭を殴る。

殴られた一体は漫画のように吹っ飛び、これまた漫画のように壁にめり込んだ。

 

『いつ見ても嘘だと思う』

 

「あの子」さんのホワイトボードが揺れる。

書いている暇があったら倒してください敵を。

 

 

 

 

 

 

「ねぇ……長く、ない……!?」

 

エンジン音を響かせながら、小梅さんが困惑の声を上げる。

眼前にあるのは、いつまでも吸血鬼の群れ。

そんなに広くもなかったはずの美術館。その最奥が、訪れない。

もうとっくに、突き当りに着いてもいいはずなのに。

 

「……会う気はない、ということなのでしょうね。」

 

「ではー、無理を通すと致しましょうー。」

 

千夜さんが呟き、芳乃さんが応える。

たん、と、小さな音を立てて千夜さんが跳ぶ。

空いた空間に、芳乃さんが薙刀の切先とは反対側……石突と呼ばれる箇所を突き出す。

サーカスのように、千夜さんは石突の上に乗った。

 

「よいしょー。」

 

そのまま石突をカタパルトのようにして、芳乃さんは千夜さんをぶん投げる。

吸血鬼の群れを、千夜さんは飛び越した。

 

「もう何でもアリなんですか?」

 

思わず真顔になってしまう。

 

「幸子ちゃんも……!」

「えっ」

 

服の襟を何かに持ち上げられる。

「いや確かにあのまま千夜さんを一人で行かせるのは危険というかまだ吸血鬼がいるかもしれないわけでしかしそれはあまりn」

説得虚しくボクの身体は簡単に宙を浮き、そのまま……

 

「いってらっしゃい……!」

『がんばれ~』

 

「ちょっとぉぉぉぉぉぉぉ……!!!」

 

「あの子」さんによって、無造作にぶん投げられたのでした。

 

 

 

 

 

 

「むぎゃっ」

 

突き当りに頭から突っ込むボクもカワイイでしょう。

カワイイのでセーフです。カワイくなければ危なかった。

 

「幸子さん。大丈夫ですか。」

 

「だいじょうびゅでひゅ……。」

 

鼻が。鼻が潰れていませんか。

手で形を確認すると、どうやら歪んではいないようだった。

 

「芳乃さん達が引き付けてくれています。

今のうちに行きましょう。」

 

後ろを振り返る。

チェーンソーのエンジン音や、薙刀の風を切る音。

何かが何かを殴る音が、吸血鬼集団の奥から聞こえてくる。

……確かに、早くした方が良さそうだった。

ボク達は足早に、誰もいない通路を駆ける。

 

「……あった。」

 

千夜さんが呟く。

そこには、ちとせさんの記憶よりも、過去の現実よりも。

視界を覆い尽くすほどに、途轍もない大きさの絵が飾られていた。

千夜さんの描いた、ちとせさんの肖像画だった。

ゆっくりと歩み寄り、手を伸ばし、千夜さんは絵に触れようとする。

その時だった。

 

「千夜ちゃん。」

 

低く落ち着いた、男の人の声。

ボク達の後ろから語りかけるそれに、振り向く。

その姿は、見たことがあった。

ちとせさんの記憶で、見たことがあった。

目の前にいる人物は、ちとせさんの兄だった。

語りかけた声の主は、千夜さんの愛した人だった。

 

「……お久しぶりです。」

 

千夜さんが悲しそうに微笑む。

それを見て、彼も同じように笑う。

 

「見ていたよ。ずっと、見ていた。

君はちとせに血を飲まされたから。

ちとせの血には僕の血も、確かに混ざっていたから。」

 

彼の左手は、真っ赤に染まっていて。

真っ白な美術館の、真っ白な床に、鮮やかな水たまりを作っていた。

 

「ちとせを、助けるんだね。」

 

確かめるように彼が問う。

その言葉に、千夜さんはゆっくりと頷いた。

 

「……ここは、君の心の中だ。

ちとせは自分が世界からいなくなる方法として、君の心の奥底に閉じこもることを選んだ。

だから君がするべきは、ちとせを連れてこの世界から出ること。

ちとせの心を、君の心から引き剥がすことだ。」

 

ぼたぼたと流れ落ちる血液が、線状に形を成す。

それは徐々に太さを増し、確かな形を手にする。

深紅の、剣だった。

 

「ちとせは、この世界は、それにひどく抵抗するだろう。

今まさに君達が、吸血鬼に襲われているように。

だから君が、したいことをするためには、力が必要だ。

人を傷つける力。ちとせに仇なす力が。」

 

彼は剣を持ち、握った手を千夜さんへ伸ばす。

千夜さんは両手で支えるように、紅い剣を受け取った。

 

「……消耗品だ。うまく使ってくれ。」

 

「……はい。」

 

愛する人に会えたというのに、彼はそれを喜ばなかった。

愛する人に会えたというのに、千夜さんは何も言わなかった。

彼を愛しているからこそ、千夜さんはちとせさんを救わなければならなかった。

千夜さんを愛しているからこそ、彼はそれを伝えるわけにはいかなかった。

それが彼の望みだから。

それが千夜さんの枷になるから。

確かに愛し合っているからこそ、二人は、結ばれるわけにはいかなかった。

 

「……行ってきます。」

 

千夜さんが彼に背を向けて、絵と真っ直ぐに向かい合う。

それを見て、彼は……。

その表情を、ボクだけが見るのは違う気がして。

こちらに気づき始めた吸血鬼を阻むように、ボクは千夜さんに背を向けた。

 

「行ってらっしゃい。」

 

公園に遊びに行く子供を見送るように。

その先で何が起こるかを確信しているように。

彼の言葉は、千夜さんの背中を優しく押した。

 

 

 

 

 

 

「どれくらい保ちますか。」

 

千夜さんが絵の奥に行った後。

視界を埋め尽くす吸血鬼の群れを睨みつけながら、隣に話しかける。

 

「……ここに時間の概念は無いけれど。

保たせてみせるよ。あの子が帰ってくるまでは。」

 

大量の血を流して、倒れないだけでやっとといった様子の彼は。

それでも両の足で立ち、背後には誰も行かせないと、気迫で告げていた。

 

「お帰りなさいを言う体力は、残しておいてくださいよ?」

 

千夜さんが、ちとせさんを連れて帰ってくるまで。

ここを、守り通す。

 

 

 

 

 

information : データが更新されました

 

 

[Tips] 《うぇぽん》

 

きぃわあどの一つ。

各々が事前に決めておいた武器を出現させる。

幸子以外の全員が設定しているが、幸子だけは設定していない。

「カワイイボクに武器なんて必要ありません! 何故ならボクは! カワイイので!」とのこと。

 

 

 

〔Mission List〕

 

・白雪のままでいてください

・生きる意味を救ってください

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