白雪千夜の美術観   作:maron5650

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23.夜明け歳巡りても

「……え、じゃあ君は、何も知らずに送り届けたのかい?

千夜ちゃんを、ここまで。」

 

ちとせの絵を背に、彼が問う。

カワイイキックを放ちながら、幸子は頷いた。

 

「自分には何か忘れ物がある。

それがあるのはこの世ではない気がする。

千夜さんはそう言っていました。

だから以前にボク達が、不思議な体験をした場所に案内しただけです。

小梅さんの通っていた小学校。今では廃校となっている場所に。」

 

幸子の背後を狙おうとする吸血鬼に、血で作られた剣を振り下ろす。

荒く息を吐きながら、彼は信じられないものを見るような目を幸子に向ける。

 

「……確かに、あの廃校は不思議な場所だよ。

あそこは鏡として扱われ、だから鏡として機能している。

きっと誰かがあの場所を、鏡として用いたんだろうね。」

 

そんな奇想天外な使い方を、どうやったらできるのか。

心底不思議そうに幸子は首を傾げている。

その幸子こそが廃校を鏡として扱ったのだと、彼女はまだ知らない。

 

「千夜ちゃんの忘れ物は、黒埼ちとせという存在。

そしてちとせは千夜ちゃんの、心の奥底に隠れた。

千夜ちゃんがちとせを見つけるためには、自分自身をその目で見る必要があった。」

 

剣を振り下ろしたその隙をつき、吸血鬼が彼の右肩を狙う。

飛びかかってきたそれをカワイイ裏拳で吹き飛ばし、幸子は次の言葉を待った。

 

「でも、自分を見るということは、通常は不可能だ。

自分の身体に目が付いているのだから、自分自身なんてまず視界に入らない。

それこそ、鏡でも使わない限りはね。」

 

伸ばされた幸子の腕に噛み付こうとする人影を、下からの一閃で両断する。

彼と幸子は、切っ先とこぶしを吸血鬼の群れに向ける。

 

「……結果的に鏡の役割を果たしたのは、千夜ちゃんの描いた白雪だ。

そこから君達は、千夜ちゃんの心の中へと入っていった。

その最奥が、この絵の向こう。ちとせの隠れている場所だ。」

 

通路の左右にある絵から、吸血鬼は無尽蔵に湧いてくる。

いくら倒し続けても、終わりが来ることは無さそうだった。

千夜がちとせを連れてくる、その時まで。

 

「千夜さんの心の中に、ちとせさんやアナタがいる理由は分かります。

千夜さんの身体には、お二人の血が流れていますから。

……でも。あれは、何なんですか?」

 

吸血鬼の群れを指差し、幸子が尋ねる。

彼は一瞬、言葉に迷ったようだった。

 

「あれは……ちとせの、自己破壊欲求だ。

自分が自分を許せない。だから自分を傷つける。

そして、それを止めようとするものを、排除する。」

 

「……ボク達ってことですか。」

 

彼は頷き、続ける。

 

「ちとせは千夜ちゃんに、深く根付いている。

千夜ちゃんの心の中に、ここまで影響を及ぼせるほどにね。

だから、ちとせを連れ出すためには、まず千夜ちゃんから切り離さなくちゃいけない。」

 

「だから、剣を渡した?」

 

「そう。これは僕の血。僕そのものだ。」

 

消耗品。

彼が千夜に剣を渡すとき、そう言っていたのを思い出す。

あれは、彼そのもの。

千夜の身体に流れる、彼の血そのものなのだ。

ならば、使い切ったときは。

千夜に流れる彼の血が、すべて使い尽くされたときは。

千夜の心の中からも、彼の存在は、きっと消える。

 

「本当にぴたりとくっついてしまったものを、綺麗に剥がすのは難しい。

ケーキのフィルムにクリームが付いてしまうように。

シールの跡が残ってしまうように。

何も傷つけず、接着面だけを綺麗に切断することは、事実上不可能だ。」

 

彼の動きが精彩を欠き始める。

剣を持つ手が重力に逆らい切れず垂れ下がる。

肩で息をする彼を守るように、幸子は彼の前に立った。

 

「だから千夜ちゃんが選ぶのは、どちらを傷つけるか。

自分ごとちとせを切り離すのか。ちとせごと自分を切り離すのか。

どちらかを選んだ上で、どちらかを傷つけなくちゃならない。」

 

彼は幸子の肩にそっと手を乗せ、よろよろと幸子の前に立つ。

何かを言おうと開かれた幸子の口に、そっと人差し指をあてがった。

 

「ちとせは、自罰をやめられない。

現実で抑制することはできても、感情そのものを無くすことなんてできない。

だから二人が帰ってきた時、守る人が必要だ。

あの自罰感情から二人を守り、現実へと返す人が。」

 

彼は大きく息を吐き、剣を構える。

幸子は力を抜き、息を整えることに集中した。

幸子の舞台はまだ先で、今は彼の舞台だった。

 

「……僕はもう、じゅうぶんだ。」

 

幸子は観客として、ひとつの舞台を見届ける。

愛する者を守ろうとした、一人の人間の大舞台。

死して尚、献身をやめることの無かった、優しい吸血鬼の物語を。

 

「あの子は今も、あの頃のように綺麗だったから。」

 

 

 

 

 

 

「……っ!」

 

どこまでも真っ白な空間。

黒が埋め尽くす中央で。

ひとすじの紅が、舞うように線を描いている。

 

「キリがない……!」

 

何十人目かの自分を剣の腹で押し返し、千夜が吐き棄てる。

左手で、守るべき主の手を引きながら。

千夜は、どこにあるかも分からない出口を探し続けていた。

 

「千夜ちゃん……!」

 

ちとせが不安げな声をかける。

目の前だけを見つめながら、千夜はしっかりと手を繋ぎ直す。

この手を離さない。

この手だけは絶対に離さない。

例え剣を落としても、これだけは、決して。

 

周囲を取り囲む自分自身を睨みながら、千夜は肩で息をする。

どうする。いっそ切り捨ててしまうか。

ダメだ。お嬢さまの命を忘れたのか。

お嬢さまだけでも何処かへ逃がすか。

ダメだ。私を置いていくわけにはいかない。

二人で。無傷で。ここから出なくては。

 

周囲が、その半径を徐々に縮めていく。

千夜は牽制するように切先を正面に向ける。

何度も振るううちに、剣は随分と短くなっていた。

それでもその紅は、とうとう黒に触れようとした。

その時だった。

 

 

 

 

 

ジリリリリリリリ。

 

 

 

 

 

火災報知器が、けたたましい警報音を発する。

周囲の黒は不快そうに眉をひそめ、両手で耳を塞いだ。

半径の歩みが止まり、その場でうずくまっている。

 

「……これは、」

 

千夜はこれを経験したことがあった。

廃校の美術室、杏から着信があった時。

まるで非常ベルのような音が、空間を満たしていた。

 

自分のポケットに触れる。携帯は動かない。

振り返り、ちとせを見る。

彼女は、震える携帯を手にしていた。

目線だけで、どうすればいいかを尋ねている。

その画面に映る数字が、見覚えのあるものだから。

千夜は優しく頷いて、彼女が話し終えるのを待った。

 

「……もしもし。」

『もしもし……ちとせおねーさ……っ、』

「どうしたの? どこか、痛いの?」

『ちげーでごぜーま……、あの、えっと……オムライスっ! 』

「うん。……うん。」

『……仁奈のつくったオムライス、あやまんなくちゃ、って、』

「……それは、どうして?」

『だってちとせおねーさん、ずっと悲しそーで……! きっと仁奈が、まちがえたから……!』

「ううん。違うの。あれは……私が、悪いの。」

『……そうなんでごぜーますか……?』

「うん。……まだ、残ってたよね。

また、食べに行ってもいいかな。今度は、千夜ちゃんも一緒に。」

『……はいっ! きてくだせー!』

「うん。楽しみにしてる。……またね。」

『またでごぜーます!』

少女の耳から携帯が離れ、主は祈るように赤のボタンを押す。

警報音は鳴り響いたままで、まだ喪服達は両耳を塞ぎ苦しんでいた。

その中でただ一人、佇んでいる少女がいた。

 

少女は絵を背に立っていた。

少女は筆を手に持っていた。

少女は絵を描き切っていた。

少女はちとせに、筆を差し出していた。

 

「……もう、だいじょうぶ?」

 

ちとせは筆を両手で受け取る。

千夜の持つ紅に滑らせると、穂先は同じ色に染まる。

すべてを吸い取るように、絵筆は紅を引き受けた。

ちとせは千夜に筆を渡し、少女に振り返って微笑んだ。

 

「だいじょうぶ。生きるよ、一緒に。」

 

千夜は筆で宙に描く。

その軌跡は線を成し、形を成し、意味を成した。

その向こうには、二人分の人影。

 

「ええ。生きましょう。一緒に。」

 

千夜の言葉に、ちとせが頷く。

二人は扉の向こうへと、その一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

「……そうか。そうしたんだね。」

 

彼は、まだそこに立っていた。

身体中に生傷を作っても。

手にした剣が、その長さを殆ど失っても。

存在自体が曖昧なものになってさえ。

彼はまだ、そこに立っていた。

 

「千夜ちゃんは、ちとせを切り離さなかった。

千夜ちゃんの傷はちとせの傷で。

ちとせの傷は千夜ちゃんの傷。

そのままでいいと、二人は結論づけたんだ。」

 

彼の重心がぐらついて、どん、と肩を壁にぶつける。

幸子は彼の後ろで、それをじっと見つめていた。

自分が動くべき時を、しっかりと理解していたから。

今はまだ彼の、彼だけの舞台だから。

 

「……あの子に必要だったのは、他者を傷つける剣じゃなかった。

あの子の手にあるべきものは、過去を切り捨てる刃じゃなかった。

記憶の上に塗り重ねる、生きようとする色だった。」

 

沈むように、彼から力が失われていく。

ゆっくり、ゆっくりと、彼が片隅に収まっていく。

その表情は、幸子には見えなかった。

しかし。それでも。確かに彼は。

 

「あの子は僕が思うより、ずっとずっと強かったんだ。」

 

ようやく安心したように、笑っていた。

 

 

 

 

 

 

「……終わったようでしてー。じきに此方へ戻られるでしょうー。」

 

非常ベルが鳴り続ける通路の真ん中で。

吸血鬼の首を鮮やかに刎ねながら、芳乃はちとせの気を読んだ。

背後には、ぜーはーぜーはーという音と共に、小梅が座り込んでいる。

 

「……やっと……終わり……?」

 

本人もチェーンソーもガス欠で、小梅はこれ以上動けそうになかった。

幽霊である「あの子」はいいとしても。

いくら芳乃がアイドルとして、日々体力をつけているとしても。

これだけの時間動き続けられるのは、その上で息ひとつ乱れないのは。

小梅の目に、異常に映って仕方がなかった。

 

『あとはこのまま、退路を確保するだけ。もうひとふんばりだよ。』

 

「あの子」の声に頷き、小梅はよろよろと立ち上がる。

スターターロープを引くと、ぶおん、とチェーンソーが唸った。

小梅は、全力でそれを振りかぶる。

すると。

 

「カワイイキーック!」

 

振り下ろそうとした場所に親友が飛び出てくるものだから、小梅はぐるんぐるんとチェーンソーに振り回されてしまった。

 

「お待たせしました。

皆さん、お怪我はありませんか。」

 

「はいー。」

 

千夜と芳乃が淡々と話をする。

無事じゃない。ぜんぜん全くこれっぽっちも無事じゃない。

そう喚くだけの体力も、小梅には残っていなかった。

 

「よーしそんじゃ逃げますよ!!」

 

幸子が小梅を、ひょい、とお姫様だっこし、そのまま走り出す。

それに千夜と、手を繋いでいるちとせが続く。

明らかに何かから逃げている。

芳乃は幸子の気を読み、反射的に振り返る。

幸子達がやってきた方向。最奥へと続くはずの廊下を。

 

「……なんとー。」

 

燃えていた。

燃え盛っていた。

その向こうにあるはずの、黒埼ちとせの肖像画。

それがまったく見えないほどに、火が立ち上っていた。

炎が、少女達を追いかけていた。

 

「お嬢さまを頼みます。」

 

千夜が芳乃に声をかける。

芳乃が頷くと、千夜はちとせの手を放し、筆を宙に走らせる。

紅はみるみる形を成し、一台の大きな車……消防車になった。

 

「乗ってください、「あの子」さんは放水を!」

 

『OK』

「でしてー。」

 

芳乃は薙刀の石突で人を消防車の上へとぽいぽい投げ、「あの子」は側面のホースを取り外し背後へ向ける。

全員が乗り込むと消防車は加速し始め、放水によって火の勢いも弱まっていく。

 

「……千夜殿、ちとせ殿、その御怪我はー。」

 

火に飲まれる心配がひとまず無くなると、芳乃は二人の傷に気が付いた。

千夜は左手の。ちとせは右手の手首に、それぞれ切り傷があった。

決して深くはないものの、血がぽたぽたと流れ落ちている。

 

「これは……絵の具です。」

 

その言葉に、幸子は千夜の右手を見る。

彼が渡したはずの剣が無い。

その代わりに、一本の、深紅を纏う絵筆が握られている。

 

「こうやって……。」

 

ちとせは千夜の隣に立ち、右手を彼女の左手と繋ぐ。

千夜は穂先を二人の手首につけ、勢い良く宙に走らせる。

手首から血の紅が、線となって空中に刻まれた。

 

「出口を作ります。掴まっていてください。」

 

そのまま大きな長方形を描き、最後にドアノブを添える。

消防車は加速を続け、ドアを破る勢いで突進する。

来たるべき衝撃に備え、少女達は互いに掴まりあう。

そして千夜の描いた絵は、彼女の心を飛び出していった。

 

 

 

 

 

「おにいちゃん。」

 

懐かしい声に、僕は重い目蓋を開けた。

 

「……ああ、なんだ。」

 

思考も視界も曖昧で、輪郭がぼやけていた。

 

「もう、じゅうぶんだったのにな。」

 

僕は少女を抱き締める。

 

「もう、じゅうぶん、幸せだったのにな。」

 

 

 

 

 

ただ、抱き締める。

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