白雪千夜の部屋から、客間に場所を移して。
黒埼ちとせは、双葉杏から説明を受けていた。
「……で、色々実験してみた結果、これが出来た。」
そう言って、目の前の少女は、テーブルの上に飴を置いた。
先程彼女が口にした、鮮やかな赤色。
「鷹富士茄子の幸福は、意志のあるモノには作用しない。
人の感情や思考を操作することはできないし、幸福そのものを他者に分け与えることはできない。」
鷹富士茄子の超常現象──「幸福」。
何でもアリのように思えるそれには、しかし明確なルールが存在していた。
① ある人物が幸福とその対象を具体的に思い浮かべている。
② ある人物が幸福の発生を心の底から願っている(≒実現可能であると考えている)。
③ 鷹富士茄子が①の事実を認識している。
④ ①〜③の全てが達成されている場合、対象に幸福が発生する。
白菊ほたるの「不幸」も、ほとんど同条件で発生するらしい。
勿論、②は「発生しないことを心の底から願っている」に置き換わるが。
「でも、意志のないモノになら。
多少劣化はすれど、使い切りの幸福を付与できる。」
それが、この飴なのだという。
「この飴を噛み砕いた人間が。
噛み砕いた時に願った幸福が。
噛み砕いた瞬間に現実となる。」
何故飴なのかといえば、その理由は2つあった。
1つ目は、分かりやすくするため。
髪飾りやぬいぐるみなどの、無くならないモノに付与したところで、幸福が使い捨てなのに変わりはない。
どれを既に使っていて、どれがまだ使われていないのか。
幸福の残数の確認を容易にするために、使ったら消える形にした方が都合がよかった。
後は単純に、大量に作る環境が既にあったから、媒体として飴が選ばれた。
また、必須というわけではないが、幸福の内容と対象を明確に思い浮かべるために、それらを声に出すことにしているらしい。
2つ目は、条件②の達成を確実にするため。
幸福を願う本人がそれを実現可能であると思っている必要があり、しかし時にそれは困難である。
だから、対価を用意する。
「飴を消費したのだから、叶ってもいいはずだ」。
大枚はたいて手に入れた服が、良い生地で作られた長持ちするものだと疑わないように。
そう思い込むことで、②の達成を容易にする。
……その最終手段として、対価を別に用意することもできるらしい。
「で、ここからが重要なんだけど。
……飴による幸福は、鷹富士茄子による幸福に影響を与えられないの。
ただ一方的に、打ち負ける。」
杏ちゃんは、さっき千夜ちゃんに試していた。
飴をひとつ使って、千夜ちゃんに触れようとした。
でも杏ちゃんは、私と同じように弾き出された。
……幸福を発生させていない私と、まったく同じように。
「白雪千夜のいるあれは、鷹富士茄子の幸福だ。」
杏ちゃんはそう言うと、髪を乱雑に掻き上げる。
あまりに予想外なのだろう。
頼まれたから来てみれば、原因が身内だったのだから。
「……あれ? 待って。幸福ってことは、つまり……。」
ふと、先程の話が引っかかる。
確か、幸福の条件のひとつには……。
「恐らくはー、彼女自身が望んだことかとー。」
杏ちゃんの隣にちょこんと座った芳乃ちゃんが、言葉の続きを代弁した。
それが問題なんだ、と言わんばかりに、杏ちゃんは大きなため息をつく。
手元のコーヒーを一気に空にして、それで心を切り替えたのだろう。まっすぐ私に向き直った。
「茄子本人があれを望むとは思えない。千夜ちゃんと彼女はあまりに無関係だからね。
茄子を呼び出して打ち消してもらうのも……多分無理。あれをヤバいと思うなら最初から叶えてない。
私達があれをどうにかしようとしてることを知って、その阻止に回られたら、その時点で詰み。」
つまり。私達だけで、どうにかしなきゃいけない。
鷹富士茄子の幸福抜きで、千夜ちゃんを、助けなきゃ。
「……唯一の手掛かりは、あれが千夜ちゃんの願いだってこと。」
ぽつり、と、呟くように杏ちゃんが言う。
部屋の中に満たされた水。
その中心で眠る彼女。
あれが千夜ちゃんの願い。
千夜ちゃんの、幸福。
「どんなに些細なことでも構いませぬー。
千夜殿について、お教えくださいませー。」
芳乃ちゃんは、優しい微笑みを崩さないままで。
その姿を見て、少し心が落ち着いてくれた。
「……千夜ちゃんの、ことかぁ。」
目を閉じて、振り返る。
千夜ちゃんとのこれまでを。
誰よりも輝いていた、ちーちゃんのことを。
私達は、ルーマニアで出会ったの。
私は当時そこに住んでいて、ちーちゃんはお父様のお仕事の都合で越してきた。
ちょうど、私の家の隣にね。
ちーちゃんは……不安でいっぱいで。だから、日本語が分かる私から、離れようとはしなかった。
互いにあだ名で呼び合うのに、そんなに時間はかからなかった。
ふふ、素敵でしょう? ちーちゃん、って。
ちとせの「ち」。千夜の「ち」。
二人で同じ名前を呼び合っていたの。
最初の数日は、借りてきた猫みたいだったけど。
新しい環境に慣れてくると、ちーちゃんは、とっても活発な子で。
色んなところに駆けてくちーちゃんを、私は後ろから歩いて付いていった。
たまに振り返っては私を確認するちーちゃんに、手を振って返していたの。
外で遊ぶだけじゃなかった。
あの子は絵を描くのも好きだった。
物心ついた時からずっと、あの子は何かを描いてた。
最初はクレヨン。
それが色鉛筆になって、いつしか絵の具へ。
外を走り回るのと同じくらい、その時のちーちゃんは輝いてた。
でも、数ヶ月が経って。
あの子は日本に帰ることになったの。
とても悲しかったけれど、別れ際に住所と電話番号を交換して。
それからは、手紙や電話で話してた。
彼女が12歳になっても、それは続いていた。
その頃になると、あの子の絵はとても評価されていた。
美術館から声がかかるくらいにね。
客観的に見れば小さな美術館だけれど、あの子にとっては大舞台だった。
何を描こう、どう描こう、って、何日も考えてたよ。
その時のちーちゃんは、とっても楽しそうだった。
それでね。何を描いたと思う?
ふふっ。実はね。
私なの。
黒埼ちとせを描いたのよ。
「ちーちゃんが一番きれい!」……なんて。
宝物を見つけたような声で。
……嬉しかったなぁ。
せっかくのあの子の晴れ舞台だもの。
数年ぶりに、私達は会うことになった。
でも……そこで、事故が起こった。
あの子のすべてを燃やし尽くした、事故が。
火事。
火事が起きたの。
あの子の絵は、一番奥に飾られていたから。
私達は……逃げ遅れちゃって。
私は大丈夫だったけれど、あの子の家族が。
……みんな、亡くなった。
千夜ちゃんは、それを自分のせいだって思ってしまった。
自分が絵なんて描いたから。
皆を招待してしまったから。
だからみんな、死んでしまった。
そう呟くあの子の瞳に、もう色は宿っていなかった。
あの日の炎は、あの子のすべてを灰にしてしまった。
その後、千夜ちゃんは私の使用人として、ルーマニアで過ごすことになったの。
私は、あの子に色が戻るような何かを探し続けた。
最初は少し乗り気じゃなかったけれど、そういう意味では、使用人という立場は都合が良かったね。
私がそうしたいから。そう言えば、あの子はちゃんとやってくれるもの。
お嬢さまのお戯れ。退屈しのぎ。そういう名目で、思いつくものを片っ端から試していった。
日本に来たのは最近のことよ。ええと……一年前くらいから、かな。
ルーマニアできることには限界がある。
あの子が生まれ育った日本の方が、何かがある可能性が高いんじゃないかって。そう思ったの。
そしたら早速アイドルなんて、中々体験できないものが、向こうからやってきた。
二つ返事で了承したよ。
千夜ちゃんはいつものように、私に付き合わされる形で、アイドルをすることになった。
「……それで、最初の階段を上がり始めたのが、今。」
そう締めくくり、ちとせはティーカップをかちゃりと置いた。
「ありがと。……一度、家に帰って整理してみるよ。
そろそろ夕方だしね。」
杏はアンティーク調の壁掛け時計をちらりと見ながら席を立つ。
芳乃も彼女に倣い、すっと立ち上がった。
「見たところ、千夜殿はあのままでも問題は無いようでございましたがー。
万一の際には、こちらに連絡をくださりませー。」
そう言って、芳乃は一枚の紙……携帯の電話番号が記されたメモ用紙を手渡す。
受け取りながら、ちとせは何気なく聞いた。
「芳乃ちゃんはラインとかやってないの?」
「羅院。」
「うん、ライン。」
「あー……ちとせ? 芳乃はその……現代人になって日が浅いんだ。」
「どうだった?」
黒埼邸を出て、二人は帰路につく。
コンクリートの感触をスニーカー越しに確かめながら、杏は隣の少女に尋ねる。
「嘘が数点。秘め事が数点。……といったところでしょうかー。」
はぁー。と、深い溜め息をつく。
心底めんどくさそうな顔をしながら、杏は更に尋ねた。
「嘘って?」
「美術館での火災は、"事故"。」
芳乃は足を止め、閉じていた瞳をゆっくりと開ける。
ざわり、と、風に吹かれて木々が揺れる。
一歩遅れて立ち止まり、振り返る杏に、芳乃は確かめるように告げた。
「千夜殿の家族を、殺めた者がおりましてー。」
information : データが更新されました。
[Tips Update] 水槽⇒千夜の水槽
鷹富士茄子によって叶えられた、白雪千夜の願い。
[Tips] 飴
双葉杏が幸福について調べた結果生まれた、幸福を付与された菓子。
嚙み砕くことで、鷹富士茄子の幸福を、飴1つにつき一度だけ使用することができる。
発生条件は鷹富士茄子が起こす幸福と同様である。
鷹富士茄子の幸福の完全な下位互換であり、彼女の発生させる幸福には一方的に打ち負ける。
幸福を付与させる対象は、意志を持っていなければ何でもいいが、既に量産体制が整っていたため飴が採用された。
幸福を願う際に噛み砕くことで、発生条件の達成をより確実にする狙いもあるようだ。
大規模な幸福を願う際には、追加の対価を用意することもできる。
[Tips] ちとせの昔話
ちとせが杏と芳乃に語った、千夜とちとせのこれまでの話。
父親の仕事の都合でルーマニアに越してきた千夜は、日本語を解するちとせと仲良しになる。
やがて親友となった二人の関係は、千夜が日本に帰国してからも電話や文通という形で続いていた。
当時は天真爛漫であり、同時に絵を描くことが好きだった千夜は、12歳の頃、絵を展覧会に出さないかと美術館に声を掛けられる。
千夜の晴れ舞台を一目見ようとちとせも日本に来るが、美術館で火災が発生。
千夜は家族のすべてを失うこととなる。
その後、千夜は快活さを失い、絵を描くことも無くなった。
ちとせは千夜を使用人として雇い、彼女を元の状態に戻すため現在も手を尽くしている。
[Mission] 鷹富士茄子に気取られないでください
問題は鷹富士茄子の幸福によって発生していた。
それは彼女が、この状況を良しとしていることを示している。
双葉杏と依田芳乃、そして黒埼ちとせが解決に向けて動いていることを知れば、敵対は免れないだろう。
そして鷹富士茄子と敵対することは、それ自体が敗北を意味するのだ。
彼女にバレるわけにはいかない。
〔Mission List〕
・白雪千夜を水槽から出してください
・鷹富士茄子に気取られないでください