エルナの主武器は、複合型クロスボウである。
直径七センチまでの球体と、専用の矢をどちらも装填、発射できる武器である。
これによって打撃と貫通を選べるのだが、この武器の旨みはそれだけではない。
すなわち、
(っ! また煙幕か!)
襲撃してきた魔術師、アックス=ベイルンは一体を覆う白い煙に手を焼いていた。
対面してからずっとこの調子だ。ひたすら煙幕を張り、視界を奪い、そして
(急所を狙った狙撃が来る!)
「防御せよ!」
アックスの裂帛の命令に応じて、足下から伸びた粘液が飛来する矢を絡め取った。
金属鏃の矢は自動する粘液によって勢いを一瞬で殺され、ペッと吐き出された。
10リットルはあるだろうか。青みがかった透明な水の塊。粘度を持ってプルプルと震えるそれは、アックスの使い魔の一匹である。名を簡易粘液生物と言う。
アックスの命令に従う忠実さ、高速で打ち出すウォーターカッター、体内で高速で渦巻くことで発揮される防御力、液状というあらゆる物理攻撃に対するアドバンテージ。そしてマスターの危機に自立して対処する柔軟性。極めて優秀なスペックを持っていると言っても良いだろう。
だが、アックスは簡易粘液生物を従えてなお、エルナ・ドルドノヴァを討ち取るに至れなかった。
(先ほどから煙幕が全く晴れない。絶えず補充しているのだろう。しかもこの森、なぜか音があまり響かない。そのせいで全く彼女を補足できない……。)
太めの木に背を預け、アックスは出方をうかがう。粘液生物の射程は五メートル。矢に対してカウンターを打ち込むには距離が足りない。では近づけばいいのではないかと考えるかもしれないが、エルナは煙の中のアックスに対して的確に矢を撃ってきているのだ。まだ何か手札があると考えて良いだろう。迂闊に近づいて罠にかかるのは避けたかった。
しかも、
(新たな使い魔を錬成しようとしても、術が発動しない。
魔術阻害弾とは、魔術の発動を阻害する煙を発生する物である。
① 大気中のマナを収集、②真言や祈祷、魔道具の使用 ③発動の3手が魔術行使の主な手順である。その第一手順である大気のマナを拡散させるのが魔術阻害弾だ。
あくまで術の発動を阻害する物なので、すでに生成していた粘液生物は問題ないが、手駒はこれ以上増やせないことになる。
(いつ帰ってくるかわからないゴーレムを待つという受け身の戦法はとりたくないが、さて、どうしたものか)
(とでも考えている間に、やつを倒す!)
エルナは新たな矢の弾倉を装填しながら森を駆ける。
魔道具であるゴーグルで白煙の中の襲撃者は補足していた。
残る阻害弾は1つ。もう時間はかけられない。しかし、やつには優秀な護衛がいる。
(スライムって特定の薬品をぶち込んだら自壊するって研究結果があったような。なんだっけ……。)
思い出せねばジリ貧になって殺されるだけだ。思い出せ、思い出せ。
足下が留守になっていたからか、エルナは足を滑らせた。ギャグのように美しいフォームでずっこけ、顔面を強打。
「なんで足下ヌルってんのよ……」
木に手をついて起き上がると、ブーツが赤く染まっているのがわかった。
加えて、鉄くさい悪臭がエルナの鼻を刺激する。
「血?」
見れば、地面がそのあたりだけ赤く染まっていた。ではその血の出所はどこからなのか。
木には、見知った人間がもたれかかっていた。
「リョータロー……?」
龍童良太郎は、胴を大きく陥没させて絶命していた。
胸から腹にかけてぺちゃんこ。血で真っ赤に染まっており、所々白いのは砕けた骨だろうか。
エルナが組んだばかりの相棒の亡骸に絶句していると、損壊した首が重さに耐えかねてか、頭部がゴトリと落ちた。
脈など、計るまでも無い。
信じがたい現実を前にして、エルナは全身から嫌な汗が噴き出すのを感じた。
クロスボウを持つ指先が冷えていく。
「そんな……リョータローは、聖人のはずじゃ……」
龍童良太郎は不死身である。それは間違いないはずだ。それに、彼には例の鎧がある。簡単に負けることはないと考えても良い。なのになぜ死んでいるのか。なぜすぐに復活しないのか。
強烈な気配を感じて振り返ると、至近距離の三メートル近い石の巨人が豪腕でもってエルナを掴み上げた。人間とは桁違いの膂力で細身のエルナの体が締め付けられる。
エルナの意思とは無関係に持ち上げられ、あっという間に拘束された。
渾身の力を振り絞るが、岩の拳はびくともしない。
「グッ、ぐううう……。」
「おや、私のゴーレムがすでに始末していましたか。」
スライムを連れて、スーツコート姿のアックスはゆったりとした足取りで近づいてきた。
「異世界人は何かしら祝福を持っているそうですが、見た感じ大したことはなかったようだ」
良太郎の死骸と傷のないゴーレムの真っ赤な右の拳を見て
「ふむ、異世界人は死亡、支援者も拘束。あとはあなたを殺すだけですが、もったいないですね。……そうだ、あなたは処女ですか?」
「な、何?」
随分と唐突で空気の読めない質問だったが、体を圧迫されているエルナにとってはそれどころではなかった。
「処女の血は術の媒介に貴重なので。ここで無為に捨てていくのはもったいない。」
「絶対言うか、変態……」
親指で首を刈るジェスチャーをすると、アックスのこめかみに青筋がビキリと立つのが分かった。
「この状況でその返事とは。自分の立場も理解できないほどの猿でしたか」
「初対面の女に処女か聞くとか、そっちの方が猿でしょ」
「黙れよ雌豚」
先ほどまでの落ち着いた様子とは打って変わった口汚い罵倒とともにアックスはエルナを睨みつけた。知識人ぶった蛮人だったようだ。
何を思いついたか、餌を見つけた飢えた獣のように口角を釣り上げた醜悪な笑みでアックスは言った。
「仕方が無い。貴様はこのままゴーレムに圧搾されて殺す。果物みたいに血があふれるだろうから、スライムにでも飲ませますか。」
性根まで腐った魔術師を前にして、エルナの思考は詰みを認めることができなかった。
先ほど組んだばかりの相棒は死に、そのまま復活してくる気配は無い。
(こんなところで終わりなの? せっかく姉さんを助ける手立てが見つかったのに。あと少しだったのに。こんなクソ野郎のせいで)
目じりに涙がたまる。
目じりに涙がたまる。ジワジワと、絶望がエルナの心を覆い、覆い、覆い……
「させるかバー……カッ!」
突如アックスの背後に現れた人影は、アックスの股間を容赦なく蹴り上げた。
「~~~~~~~~!!!」
股間に甚大なダメージを受けたアックスは、悶絶しながら地べたを転がった。
どうすればいいかわからないといった様子でスライムがオロオロとアックスの回りを動き回る。
一瞬で変わった状況に、エルナの心は正気に戻った。
ではその不意打ちは誰によるものか。考えるまでもなかった。
「リョータロー、やっぱり生きてた」
「俺も信じられないけど、あれじゃあ死ねないんだよな」
自分の血で真っ赤にそまった麻のシャツを脱ぎ捨て、良太郎は地べたのアックスたちに向き直った。
「ぶべあ……、なぜ貴様が生きている……。確かに肉餅になって死んでいたのに」
「俺は不死身らしいからな。原理はよくわからないけど。……よくも俺を殺して、エルナさんにセクハラ発言しやがったな。ボッコボコにしてやる」
良太郎は諸手を腰の左にあてた。その仕草は、まるで鞘から抜剣するように、
「装着」
そして良太郎は、剣を抜いた。
鞘口を押えていた左手から光の粒子が現れ、瞬く間に全身を覆う鎧が展開していく。
エルナも、アックスも、光の奔流に思わず顔を覆う。
そして輝きが収まり、現れたのは一人の鎧騎士。輝く装甲に身を包んだ戦士がそこにはいた。
「聖堂で見た鎧だ……」
「ああ、すこしだけこれのことがわかった気がする」
一瞬にして鎧騎士となった良太郎の姿を見て、痛みから復活したアックスは茫然としていた。
「これは……アーディア教の最強の霊装、聖装天鎧カラドエリア。なぜこの鎧を貴様が」
「知らね。いつの間にか装着できるようになってた」
ざっくばらんと言い放った鎧騎士カラドエリアは、右手にもつ剣をアックスに突き付けた。
「これが何だか知らんし、アンタがどこのだれかも知らん。だが、一殺一セクハラのケジメはつけてやんよ」
「物の価値も知らん阿呆め、私が力でもって教育してやる!」
アックスの合図に合わせて、ゴーレムはエルナを投げ捨てた。
「テメエッ」
カラドエリアはひとっ飛びで投げ飛ばされたエルナを空中で受け止めて着地。ゆっくりと木にもたれかけさせた。
外道な行いに、良太郎の怒りのゲージが溜まる。
エルナから離れるように間合いをとるカラドエリアに向けてゴーレムが動き出し、剛腕による大ぶりなパンチを繰り出した。シンプルにして最強の一撃。これが生身の良太郎を挽肉にせしめた一撃である。
カラドエリアは、左の円盾を掲げて構えて防御を試みる。
体格差は歴然であるが、良太郎は昨日の戦いで、鎧によって身体能力が爆発的に上がることは理解していた。あっけなく殴り倒されるなど
負けたのはカラドエリアだった。
パンチが直撃し、カラドエリアが後方に大きくぶっ飛ばされた。ぶっ飛んだ。木々をへし折りながら、面白いように飛んでいく。
「リョータロー?!」
「ハハッ、口ほどにもない!」
だが次の瞬間、一陣の風とともに折れた木々の向こうから鎧武者が弾丸のごとく急接近。ゴーレムの眼前に飛び出すと、居合を一閃叩き込んだ。
青みがかった鋼の刃が、石の頭部を切断せんと襲い掛かる。
斬ることは叶わなかったが、尋常ではないインパクトにゴーレムはノックバック。
「やっぱ斬れねえ!」
「すごい、その姿だと素早さが上がるんだ!」
「速いだけだ。ゴーレム!」
上体をそらしたゴーレムは、弾みをつけて拳を繰り出した。次は両拳を握っての振り下ろし。
いくら最強の鎧といっても、この一撃を受けることはできない。それはこの場の全員が分かっていたことだ。だが、カラドエリアにはもう一つ形態がある。
「装甲換装!」
光の奔流から現れたのは、フルプレートの重装騎士だった。タワーシールドとメイスを装備。
タワーシールドを掲げ、再び防御を試みる。重心を低くし、丹田に力を込める。
「ブっ潰れろおおおおおお!」
「オオオオオオオオオッ!!」
衝撃で大気や塵が吹っ飛ばされる。
砂塵が巻き上がり、晴れるとそこには両腕を粉砕されたゴーレムと、盾を構えたままの姿のカラドエリアがいた。
「全然効いちゃいねえぞ」
カラドエリアがメイスをゴーレムの膝に打ち据える。
石造の足はヒビを走らせながら崩れ落ち、片膝の姿勢になった。
「まだまだァ!」
さらに連打。鋼鉄塊のようなメイスがゴーレムを打つたびにヒビが走り、崩壊していく。
両腕、片足を失ったゴーレムはなすすべもなく殴打を食らい、腹部にトドメの一発をもらって石に塊石塊に成り果てた。
自分の使い魔が滅びる光景を前に、アックスは言葉を失ったが、
「ま、まだだッ」
アックスはめげずにスライムに命令を下した。
彼にはまだスライムがいる。そいつを使えば鎧なぞ無視して窒息させることができる。
だが彼の思惑通りには行かなかった。
パシャリ、と。スライムは水っぽい音をたてて球体を失い、地面のシミに消えてしまったからだ。
ゴーレムこそ攻撃力最強だが、汎用性などでを鑑みると手持ちで総合的に一番強いのはスライムだと信じていたアックスは、相棒の無様な姿を見て悲鳴を上げた。
「何でだよおおおおお!? 俺のスライムはっ、防御性能は一番高いのに! 術だって解いてねえ。なんで自壊するんだああああああ!」
「スライムって酸性の液体で溶けるのよね」
声の方を見ると、頭から血をながしたエルナが座り込んでいた。
そして近くには一部を引きちぎられた植物が。
「獰猛ウツボカズラ……。「大食いカズラ……。そいつの胃液を使ったのか!」
「正解。水の操作じゃなくてスライムなあたり、アンタ流体生物の形成維持が苦手でホウ酸混ぜたクチでしょ。」
自分の使い魔どころか苦手な分野すら看破され、アックスは赤面した。
使い魔二匹は消滅し、敵は二人とも健在。しかも一人は最強の礼装を持っている。
勝算など見込めない、絶望的な状況。
「まだやるか?」
重装備の騎士が、アックスを仮面越しに睨む。
アックスの先ほどまでの昂ぶった気持ちは急激に冷え、その場にへたり込んだ。
今は手札を全て失い、首のすぐそばに刃が当てられた状態だと言ってもいい。完全に詰みだ。
だって、それを示すように女が拾い上げたクロスボウを構えて
「ってちょっと待て!」
エルナのかまえるクロスボウを掴んだのは、鎧騎士だった。
「今、何しようとした?」
「ほっといたら仲間連れて追っかけてくるだろうし、殺そうかと」
「いやっ、それは、駄目だろう」
「何言ってるの? 私も殺されそうになったし、あなたは一度殺されてるでしょ」
「もしアイツを殺したら仇討ちで仲間達の殺意が上がるかもしれないだろ! 生かしておけばまだ話し合えるかもしれない!」
二人が口論を始め、魔術師は置いてけぼりになった。
またとないチャンス。アックスは走り出した。鎧を顕現させた人間を相手にしても勝てるわけが無い。今はこの場から逃げ出すべきだ。
アックスは小瓶からスライムの予備を取り出すと、靴にかけた。素早く
〈凍り付け!〉
魔力を乗せて呪文を唱え、靴を凍結させた。これで簡易スケートの完成である。
「あっ、逃げた!」
二人が気づいたときにはアックスはすでに逃げ出し、かなりの距離が開いていた。
決着のつかない討論に耐えかね、エルナは
「殺さなくて良いから、縛り上げるなら良い?! 」
「ごめん、今は無理……」
息も絶え絶えになった良太郎は、カラドエリアを解除して膝から崩れ落ちた。
気持ち悪かった。横隔膜が変に動いて呼吸はままならないし、心臓も痛くなるほど跳ねている。ビートを刻み、全身から嫌な汗が流れ、頭の中はガンガンと痛みがビートを刻んでいた茨がまとわりついているように痛む。
急に弱った良太郎の背をさすりながら、エルナは心配そうに尋ねた。
「どこか悪いの?」
「全部……。死ぬほど気持ち悪い。昨日と同じだ。もしかしたら、この鎧は装着するたびにこうなるのかも……」
襲撃者は去った。
良太郎は、新たな力の使い方を知って心強く思うと同時に、新たな力は自分にも牙を向く諸刃の剣であることも身をもって知ることとなった。
そして、新たな相棒との思考の差異も。
アックスは、森の中をひたすらに進み続けて疾駆し続けていた。
止まればあの鎧武者が追いつくのではという妄想が頭から離れず、トップスピードを出し続ける。
恐怖を感じる一方で、脳の片隅では一つの疑念が湧き上がっていた。
(魔術阻害弾。魔術によるテロや暴徒の鎮圧に使われていたものだが、無差別に魔術を打ち消すデメリットのせいで逆に犯罪者の必須アイテムになった過去がある……。そんな反社会的魔道具を持っているとは、あの女は何者なんだ?)
少しずつ意識が思考に寄ったからか。
唐突に脛の高さに現れた紐に気づけず引っかかり、頭から転んだ。
速度が非常に高かったこともあって何度も転がり、十数メートル進んでから止まった。
「ぐうう……、なんだ、今のは」
三半規管がシェイクされ、不安定な意識のままふらついて立ち上がると、目の前に一人の男が立っていた。
十代後半くらいだろうか。シャツの上からゆったりとしたコートを羽織り、裾の裂けたズボンとサンダルという出で立ち。
「誰だ、貴様は!」
「ふんふん、見た感じ魔術師っぽいな。まだ見たこと無いタイプだ」
アックスの問いかけを無視して青年は顎に手を当てる。その声はどこか女性じみており、本人も、
「あれ? なんかキモいな。ん、んんん。これでいいか」
軽く咳払いをすると、見た目にふさわしい低音になった。
「こいつを倒せばかなりの経験値を見込めるな。モンスターはそろそろ飽きたし、殺すとするかー?」
どこかずれた発言を繰り返す青年にアックスは疑念を抱いたが、同時に怒りも混み上がってきた。
「貴様もずいぶんとなめた発言をしてくれるな。この私に手を出した罪、死をもって贖うと良い」
「おー、すごい殺意というか、気合はいってんな。やっぱめちゃくちゃ作り込まれているなあ」
アックスの厳めしい表情を見てなお青年は気楽そうである。
そのなめ腐った仕草が、アックスの逆鱗に触れた殺意の引き金となった。
「死ね」
アックスが真言を唱えると、周囲に落ちていた無数の枝が集まり、1つの蛇となって襲いかかった。
一つ一つは他愛も無い枝であるが、束になって襲いかかられてはひとたまりも無い。雑に鋭い枝枝でズタズタに皮膚を引き裂かれ、治りがたい傷を負う。否、それだけで無く、肉を致命的なまでに削り取ることだろう。
蛇は男に肉薄し、顎をガバリと開いた。
しかし、男は特におびえた様子もなく、気の抜けたかけ声を発した。
「えいや」
シュン、と何かが通り過ぎた。
一陣の風かと思った。
アックスは、自分の先をすり抜けたのが目の前にいた男だとは考えられなかった。
補足できなかった。だが、背後から聞こえる男の声が、今神速で移動した男だと証明している。
ゆっくりと振り返ると、視界の端に、「ぐねぐねと形を変える何かの影」が見えた。
その影の主を見る前に、アックスの頭はきれいに輪切りになって地面に落ちた。
振り返り、バラバラと分解していく枝の蛇を見て、そして頭部がスライスされたアックスの遺体を見て、右拳から三本の鋭利な、30センチはある刃を生やした男は嬉しそうに言った。
「悪そうな魔術師討伐! これで経験値もガッポリだぜ!」