碧のターフ 作:青井ソラ
ぽつりと最後の雫がターフを濡らした。
年末の底冷えする寒さに追い打ちをかけて瞬間的に降った通り雨。世間はその寒さに身を震わせていたが、今日この日、中山レース場に訪れていた人々は例外だった。
雨でぬかるんだ2500mの芝を走り抜けた『ウマ娘』。その中でも選ばれた優駿の16名が魅せた走りが、寒気以上の熱を生み出したのだ。
あるウマ娘は大切な母との約束を叶える為、ターフを捲る豪脚で驚異的な追い上げを魅せた。
あるウマ娘は絶対負けないという執念にも似た意志を貫く為、瞬間の駆け引きを制して魅せた。
あるウマ娘は己の強さを世界に証明する為、飛ぶような速さで風を切って駆けて魅せた
あるウマ娘は勝つことで自身の才能を絶対のものにする為、策を巡らせ抜け出して魅せた。
あるウマ娘は自分の唯一である信念と誇りを守り通す為、絶望的な逆風さえ追い縋って魅せた。
僅か2500mに詰め込まれた様々な想いは最後の一瞬まで激しくぶつかり合い、そして、一陣の風となり幕を閉じた。
割れんばかりの歓声と舞い散る紙吹雪。空を覆っていた曇天の隙間からは一筋の光が差し、それら全てが泥にまみれながらも夢見た頂を目指して駆けた彼女達の激闘を称えている。
その中で独り拍手を送ることもなく、時が止まったようにただ静かに佇んでいる男がいた。
スーツの襟できらりと光る金色の徽章。それはこの男がウマ娘のトレーナーであるということを意味しており、今日に限っては夢の見届け人の証だ。
彼の視線の先には一人の少女が天を仰ぎ見ていた。
凛々しく、それでいてどこか幼さを感じる顔立ち。しっとりと濡れた茶色の髪にはエメラルドのリボンが片側で結われており、少女の持つ愛らしさを強調していた。そして可憐さと優美さを織り交ぜられた新緑を基調としたドレスは雨と泥に濡れてしまっているが、それさえも自分の色と言わんばかりの堂々とした佇まいで彼を魅了する。
ふと、男と少女の視線が重なる。一秒、二秒。少女が不敵に笑い、促すように顎を上げる。
「──────」
観客席の最前列という、世界で一番遠い距離にいる男の耳に少女の言葉は届かない。
それでも彼には理解できた。その瞬間、男の中で時が動き出した。
「キング……ヘイロー……」
衰えない歓声の中で全身から絞り出すように呟く。口から出てきたのは大切な名前。
一度目は存在を確認するように。
二度目はねぎらうように。
三度目は心の底からの敬意を示すように。
四度目はありったけの感謝を込めて。
五度目は後悔と懺悔を伝えるように。
六度目は目の前の光景を心に刻むために。
男は理解していた。彼女達が魅せた輝きは、いつかは時の流れの中で忘れられてしまうことを。これからも続いていく何千何百のレースのたったの一つの結果でしかないことを。
けれど男は見てきたのだ。血反吐を吐き、才能という壁に何度も衝突し、大切にしていた誇りさえも失いかけたこれまでを。それでも前だけを見続け、溢れてくる諦めの言葉を噛み砕いて、歩くことすら難しい悪路をひた走ってきたこれまでを。
わがままで見栄っ張りな少女が見せない瘡蓋を間近で見てきた男には、幾百の一つにすることなんてできなかった。
だから、忘れないように男は目の前の光景とともに心に刻み込む。
青空に映える深碧の
アニメで見かけて、ゲームで興味を持って、史実を知って好きになりました。
筆は遅いけど、投げ出さずに書き続けます。