あなたにとってのガストレアは?

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暴力は誰が為に

 風が吹く。

 

 舞う砂埃が煙の様相を呈し、灰の世界を覆う。崩れた柱。ひび割れた壁。折り重なる瓦礫の上、一人の少女が座っている。橙色の半袖のシャツに褪せた鶯色の短パンという出で立ちは、一見すると少年のようにも見える。

 

 

「ふあぁぁあ」

 

 

 退屈そうに欠伸をする少女。不意に吹き付ける風が、少女の栗色の髪を揺らす。砂埃が削り取られ、開けた視界に赤色が写る。赤い海。そこに沈む塊。瑞々しいそれは赤黒く、所々に白色が覗く。

 

 

『リンッ、どうして』

 

 

 ふと、脳裏を過った声。悲痛な顔が赤黒いものと重なり、溶けて消えた。少女は腹立たしげに舌打ちをし、立ち上がる。

 

 傍らに置かれた黒い棒に手を伸ばす。少女の瞳が赤みを帯び、棒を肩に担ぎ上げた。

 

 棒の先端には歪な黒い塊が着いていた。直径はおおよそ少女の身長の半分程度だ。本来同じ場所にあるはずのない部品を強引に固めたような金属塊。それは黒い光を照り返し、赤い液体を滴らせる。

 

 黒鎚を担いだ少女は瓦礫の山を跳び降りる。ぴちゃりと足音が鳴る。赤く跳ねた液体が少女の足を汚す。少女が一歩踏み出すたび、ぴちゃりと水音が響き渡る。時折、ぐちゃりとくぐもった音が鳴る。

 

 音が止んだ。少女の目の前には赤黒い塊。原型を留めていない肉の塊。筋繊維と内臓とが潰れて混ざり合い、鋭く尖った骨片が無造作に突き出している。

 

 少女は黒鎚を地面に立てた。黒鎚を支えに右脚を上げる。膝上まで晒された肌は透き通るほどに白く、赤く濡れた足とのコントラストが痛いほどに映える。

 ゆったりと持ち上げた足をおもむろに肉塊へ突き刺す。かき混ぜるようにまさぐる。少し動くたびに醜い音を奏で、混ざった空気が弾ける音が鳴る。そして、重い動作で引き抜いた。

 

 引っ掛かった繊維が滑って落ちていく。流れる血が指先から滴る。指の間には赤く染まった骨片。どこの部位かもわからないそれを、少女は眺めた。

 

 

「……死ぬしかねぇんだよ」

 

 

 

 ぐちゃり。

 

 

 

 少女が立ち去った廃墟に、一際強く風が吹き込んだ。風に煽られ砂埃が流され、その全貌があらわになる。

 

 

 一面に広がる血色の海。

 

 無造作に倒れた石柱。

 

 乱立する少女の骸。

 

 

 ある者は下半身を失ってなお手を伸ばした。ある者は胸部を潰され瓦礫に寄り掛かった。ある者は頭を失くして地に伏した。ある者は天井から落ちた瓦礫に押し潰された。ある者は身体を海老反りに折り畳まれ潰された。ある者はその惨劇を前に発狂し、その末に人であることを辞めた。

 

 

 数多の最期を想起させる死体の数々。暴力により彩られた悲劇は一つの芸術(アート)のよう。

 

 乾いた風に煽られて、歴史はやがて風化する。これは小さなその一幕。

 

 

 

 

されど記憶は鮮烈に。人の写し身(ガストレア)が朽ちるまで……。

 

 

 

 

――過去

 

 

 

 廃墟となったビルが立ち並ぶ外周区の一画。ひび割れたコンクリートの路上に、少女が一人、大の字になって倒れていた。齢7歳、大戦末期に生まれた『呪われた子供』だ。ぼんやりと空を見つめる瞳には、何も写ってはいない。

 

 着ている白いシャツは、少女の身体には少し大きい。ボロ布のように(ちぢ)れて歪み、砂で汚れて茶色の模様ができている。

 

 ズボンなどは履いておらず、丈の長いシャツがパンツの露出を防いでいる。時折吹く風がシャツの裾を捲り上げるが、少女がそれを気にした様子は無い。

 

 

「腹、へったなぁ……」

 

 

 少女の呟きが虚空に溶ける。応える声は無く、時間のみが流れていく。しばらく前までは雲の形を目でなぞるなどもしていたが、曇りガラスの瞳ではそれも叶わない。

 

 ただ無為に時が過ぎ、朦朧とした思考が暗闇へと沈んでいく……。

 

 

 

 ピシャッ

 

 

 顔に冷たい感覚を覚え、意識が強制的に覚醒した。空にはすっかり茜色が差し、紫色とのグラデーションを描いている。

 

 

「大丈夫?」

 

 

 混沌とした思考を整理していると、耳に音が飛び込んできた。久しぶりの言葉だった。咄嗟に大丈夫と応えようとするが、乾燥した喉は掠れた音しか鳴らさない。

 

 

「ほら、これ飲んで」

 

 

 目の前にペットボトルが差し出される。口は開いており、滴る水滴が見えた。ラベルはすでに剥がされ、中には半分程度残った水が揺れている。今も残る顔の冷たい感覚を思い出し、この水を浴びせられたのだと理解した。

 

 半ば引ったくるようにペットボトルを両手で掴み取り、口をつけて天に掲げる。口内に流れ込む液体を味わい、喉へと勢いよく流し込む。ポンプのように喉が動き、ゴクリゴクリと音を鳴らす。あっという間にペットボトルの水を飲み干した。水がもう無いことを確認して、名残惜しくも口を放す。

 

 

「いい飲みっぷりだね」

 

 

 再び声が聞こえて、ようやく人の存在を思い出す。声の主は一人の少女だった。

 歳はおおよそ同年代。首上までで短く切られた黒髪は無造作に毛羽立っている。着ているシャツは淡いピンク色で、少女的な装飾が施されている。細かいシワが見えるが清潔だ。それに反し、ボロボロにほつれたジーパンが目に付いた。長さを調整するためか、裾が千切られ足首が露出している。破れて穴も開いてしまっていた。

 

 

「どうも……」

 

 

 やや気恥ずかしくなり、俯きながらカラになったペットボトルを差し出す。黒髪の少女はそれを受け取り、そのまま背後へ投げ捨てた。ペットボトルがコンクリートに落ち、小気味良い音がビルの狭間を抜けていく。

 

 

「アタシはアイリ。あなたは?」

 

 

 突然の問いに、戸惑う瞳が揺れる。名前はあった。忌まわしい名前だ。彼女は法的手続きの下、戸籍を持って生まれた。親が付けた名前を持ち、親に虐待を受け、そして棄てられた。おぞましくもありきたりな運命を辿った、一人の少女だ。

 栗色の髪の少女は言い淀んだ。忌まわしき名だ。既に断ち切られたはずの、親との繋がりを証明する名だ。言葉にしたくはなかった。しかし、他に彼女を証明する名など無かった。

 

 

「……リン」

 

 

 アイリの眼差しに圧され、渋々その名を口にする。それを聞いたアイリは、にっと笑みを浮かべた。

 

 

「ねぇリン。アタシと一緒に来ない?」

 

 

 すっと立ち上がり、手を差し出す。無為に野垂れ死ぬのだろう。そう思っていた所に差し出された手。リンはほとんど無意識に、その手を取っていた。

 

 

 

 

 

 

 

――マザーズ

 

 

 

 赤目ギャング。『呪われた子供たち』が中心となり、結成された反社会組織の通称。その名が知られ始めたのはつい最近のことで、その数も少ない。

 

 

「ただいま!」

 

 

 外周区に暮らす彼女たちの活動は、万引き・窃盗に、麻薬の運び屋まで。赤目ギャングによる差違はあれど、それは多岐に渡る。

 

 

「おかえりー。ソイツだれ?」

 

 

「マザーズの新しい仲間だよ!」

 

 

 リンが連れてこられたマザーズもまた、そんな赤目ギャングのひとつだった。33人の構成員を内包する、この頃では一際大きな赤目ギャングだ。

 

 廃れたビル街の一角。既に倒壊したビルの地下に存在する、かつては駐車場として使われていた空間。シェルターとしても機能するそこが、マザーズの本拠である。

 

 

「ふーん。私はミカ。よろしくね」

 

 

 瓦礫に埋まらず残っていた2つの出入口が、マザーズへの入口だ。

 

 その南入口前に立つ少女が、リンに右手を差し出す。長い黒髪は目をほとんど覆い隠し、覗く表情は 無 そのもの。無造作に揺れる髪は頭部の傾きに合わせて垂れ下がり、やや不気味に写る。

 

 

「よろしく……?」

 

 

 流されるままに手を握るリン。ややひんやりとした柔らかい感触が手に伝わる。数秒の接触を経て、手は離された。なおもミカの表情は変わらない。

 

 

「ちょっと無愛想だけどなかよくしてあげてね」

 

 

 苦笑いを浮かべながらアイリはリンに向き直る。リンと視線が交わると、アイリは再び口を開いた。

 

 

「ようこそ、マザーズへ! 案内するからついてきて」

 

 

 アイリは前を向いて歩き出した。車両用のスロープを下っていく。ちらりとミカを見ると、「またあとでねー」と言いつつ手を振っていた。小さく手をあげて応え、リンは早足でアイリを追いかける。

 

 

 

 そこに広がる地下空間は、リンの想像以上に広かった。外周区の建物には珍しく電気が通っているようで、駐車場全体が白い光で隅々まで照らされている。所々に少女たちの姿が見られ、対面の壁際にいる少女は豆粒のように小さい。

 

 床のあちらこちら、特に柱の近くには毛布やクッション類が散乱している。それらに寝転がっている少女も見受けられた。元々停められていたであろう車は全て壁際に避けられ、その上で少女たちが談笑しているのが見える。

 

 

「どう、すごいでしょ?」

 

 

 リンは呆気に取られていた。今まで狭い部屋の片隅で生きてきた彼女にとって、少女たちが幸せそうに生きるこの空間は衝撃的なものだった。

 

 

「おかえりアイリ! その子新人?」

 

 

 近くにいた少女がアイリの帰還に気づき駆け寄ってくる。小柄で、少し汚れた白いワンピースを身に纏っている。伸ばしっぱなしの茶髪が、寝癖でライオンのタテガミのように広がっていた。

 

 

「うん! リンって名前」

 

 

「そうなんだ! 私はアンズ。みんなからはアンって呼ばれてるの。リン、これからよろしくね」

 

 

 アンズが手を差し出した。3回目ともなれば、警戒で緊張することもなかった。

 

 

「よろしく、アン」

 

 

 34人。それがマザーズの構成員だ。

 

 

 

 

 

 

 

――シブカワ

 

 

 

 リンがマザーズで暮らし初めて数日が経過した。既に仲間たちとは打ち解け、友達と言える間柄になっていた。食事は缶詰めなどの保存食がほとんどだが、調理されていない野菜をかじるだけよりは何倍もマシだった。

 

 

「この辺ほんと何にもないよなぁー」

 

 

 男物の青いシャツに膝下までのズボンを着た少女が呟く。彼女の黒い髪は、短く乱雑に切られている。少年と見間違うような姿の少女は、頭の後ろで手を組み天を仰いで、全身で退屈を体現していた。

 

 

「カズー? 今日はリンの初仕事なんだからちゃんとしてよね?」

 

 

 アイリが少年のような少女を諭す。カズと呼ばれた少女は「ごめんごめん」と平謝りした。アイリは「もう」と呟いて前を向き、一歩先を歩き出した。

 

 

「気にしなくていいって。なんもねぇのは事実だし」

 

 

 リンは、この数日で素の自分をさらけ出すことができるようになっていた。或いは、生まれてはじめて本当の自分になれたと言うべきか。大人の手の及ばない世界。支配のない世界。それはリンにとって、まさに楽園そのものだった。

 

 

「それに、カズ先輩に教えてもらうの楽しみだしな」

 

 

 先輩と呼ばれ、カズは照れくさそうに鼻を掻いた。カズ――カズミは、リンの一番の親友だった。互いに少年染みた男勝りな性格であったことが幸いしたのだろう。出会ったその日に意気投合し、朝から夜まで遊び回る仲になっていた。

 

 

「ずるーい。ねえリン、アタシのこともリーダーって呼んでよ」

 

 

「へいへい、アイリリーダー」

 

 

「なんかちがーう」

 

 

 和気藹々と歩む少女たち。彼女たちは今、『仕事』をするためにある場所へ向かっていた。

 

 『仕事』とは、マザーズに課せられたたったひとつの義務である。週に2~3回、3人1組になって『仕事』を行うのだ。

 そしてこの日リンは、リーダーであるアイリと、特に仲の良かったカズに仕事を教えてもらうことになっていた。

 

 

「そろそろ着くよ」

 

 

 アイリの言葉で前方へ注意を向ける。緑に覆われた平原。大戦前は市民に親しまれた公園だったのだろうその一画に、人の姿が見えた。

 

 背の丈は170センチ程度。髪は黒く、オールバック。ワックスで丸く固められ、太陽の光を照り返している。身に纏うスーツは紺青で、糊が残っているのか生地が張っている。ネクタイは赤く、よれた状態で首元に隙間を開けて掛けられている。

 20代後半と思われる男性が、白い紙袋を携えてそこに立っていた。

 

 

「誰かいる」

 

 

 リンは警戒心をあらわにし、半歩下がった。知っている大人は両親のみだったが、だからこそ自らを傷つけない大人の存在を知らなかった。

 

 

「安心して。あの人は信じられる人だから」

 

 

「おーい! シブにぃー!」

 

 

 対してアイリとカズには警戒心は無かった。アイリはリンを諌め、カズは大きく手を振り男へと呼び掛ける。

 

 カズの呼び声に気づき、男が手を振り返した。その様子を見て警戒は解いたが、それでも及び腰のままでカズの背に隠れる。

 

 

「おはようございます、アイリさん」

 

 

「おはようシブカワさん!」

 

 

 近づいてきた男は紙袋を地面に置き、丁寧に腰を曲げて挨拶をした。すかさずアイリも挨拶をする。その横からカズが男に駆け寄り飛びついた。

 

 

「シブにぃ元気か! 元気だな! よかった!」

 

 

「おっと。カズさんもお元気そうでなによりです」

 

 

 シブカワというらしい男はカズの突撃を難なく受け止めると、カズを持ち上げたまま1回転し地面に下ろした。

 

 カズの背後という寄る辺を失い、静かにアイリの背後へと移動していたリンにシブカワの目が止まった。一瞬目を細めたが、すぐに平静を装う。

 

 

「そちらは新しい方ですか?」

 

 

「うん! リンは今日が初仕事だから、いろいろ教えてあげてね!」

 

 

「わかりました」

 

 

 体をリンの方へと向けたシブカワ。リンはその身のほとんどをアイリの陰に隠し、アイリの肩から指と頭だけが覗いている。シブカワはそれを意に介した様子もなく、口を開いた。

 

 

「はじめまして、リンさん。私は渋川龍(シブカワリョウ)と言います。気軽にシブカワとお呼び下さい」

 

 

 再び頭を下げるシブカワ。そして右手を差し出した。おそるおそるといった様子でアイリの背から抜け出すリン。そこでアイリが突如として身を引いた。身を隠すものが無くなり一瞬硬直したが、アイリの目に圧され小さな一歩を踏み出す。

 

 ゆったりとした動作で手を伸ばす。ようやくたどり着いたシブカワの手は存外に大きく、触れる前に手を少し引いた。意を決して再び手を伸ばす。今度は萎縮することなく、シブカワの手を握ることができた。シブカワの指が優しくリンの手の甲に覆い被さり、握手が交わされる。

 

 

「そんじゃ、仕事しようぜ」

 

 

 ニシシと笑うカズの声を合図に、交わされた手があっさりと離れた。

 

 

「今日はリンさんもいらっしゃいますし、初めから説明しましょうか」

 

 

「おう! 頼む!」

 

 

 シブカワは地面に置いていた白い紙袋を、リンに見えやすくなるよう持ち上げた。

 

 

「これからみなさんにはこの紙袋を運んで貰います。中には『商品』が入っているので、優しく丁寧に扱ってください。今回運ぶ場所は『象の公園』です。具体的な場所の説明は……他の2人に着いていけば問題ないでしょう」

 

 

 そこまで説明してから、持っていた紙袋をアイリに手渡した。

 

 

「象の公園には先に『お客様』が待っています。たまに誰もいないこともありますが、数分待っても来なかったらここに戻って来てください。『お客様』も紙袋を持って待っているので、すぐにわかると思います。『お客様』の紙袋とその紙袋を交換して、ここに持ち帰ってくれば仕事終了です」

 

 

「よっしゃ、早く行こうぜ!」

 

 

「カズ! ちょっと待ってよ」

 

 

 説明が終わったと見て、カズが反転して駆け出した。アイリもすかさず追いかける。

 

 

「お、おい! 待って」

 

 

「最後にひとつ」

 

 

 2人を追いかけようと振り向いたリンをシブカワが制した。意識が自分に向いたのを確認して、シブカワは口を開く。

 

 

「誰かに襲われたり、捕まりそうになったら迷わず逃げてください。ここまでくれば安全です」

 

「……ん」

 

 

 どういうことなのか。リンは一瞬戸惑ったが、ひとまず小さく頷いた。

 

 

「リーン! 早く来いよー!」

 

 

 遠くからカズの呼ぶ声が聞こえる。目を向ければ、カズが丘の上で手を振っているのが見える。アイリは紙袋を抱えてやや小走りで丘を登っていた。

 

 

「では、行ってらっしゃい」

 

 

「おう」

 

 

 シブカワの声に小さく応え、リンは2人を追って駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

――仕事

 

 

 

 マザーズの『仕事』とは、『商品』を『客』へ届ける運び屋である。商品の品質とその価格から、業界では高い信頼を誇っている。

 

 当然、年端も行かない少女たちが自ら徒党を組んで、そのような仕事を思いつく訳もない。マザーズを裏で指揮する存在こそ、渋川龍(シブカワリョウ)である。彼はマザーズに仕事を凱旋し、その報酬として食料品や生活雑貨をマザーズに提供していた。

 

 彼は客を最大限満足させるために、一定の基準に応じて取引先を変えている。『象の公園』もその一つだ。場所をマザーズに指示した後、予約中の客から選出した一組にも連絡を入れる。マザーズは取引場所で商品と金銭を交換し、金銭を渋川へ届ける。これを客との信頼関係が続く限り、継続して行っていた。

 

 今回取引場所に指定された『象の公園』は、大戦時にガストレアに破壊され、象の滑り台のみが奇跡的に残った外周区の公園である。周辺の住宅は軒並み倒壊しており、マンホールチルドレンの姿もない。

 

 そして現在。リンたち3人の姿は、象の公園にあった。

 

 

「まだ来てないみたいだね」

 

 

 先頭を歩くアイリがキョロキョロと周囲を見渡す。象の公園と呼ぶそこには、ひしゃげたブランコやゴミの貯まった砂場など、かつての公園を思わせる残骸がある。

 

 

「そのうち来んだろ」

 

 

 2番目を歩いていたカズが、一足先へと駆け出す。公園の隅にある象の滑り台を滑る面から駆け登り、そう高くはない頂上に立った。

 

 

「カズー。それなんだ?」

 

 

 カズの足下にある象の滑り台を指差して、リンが尋ねる。今まで録な教育を受けなかったリンは、滑り台も象も知らなかった。

 

 

「象って言うらしいぜ。オレも本物は見たことないけどな」

 

 

 そう言いながら、カズは足で滑り台を叩く。振動で滑り台に積もった砂がパラパラと落ちていった。

 

 リンは「へぇ~」と声を漏らし象の滑り台を見た。デフォルメされてはいるが、顔の前についた長いパーツと、角のような牙に大きな耳、4本の足があることは判別できた。塗装は経年劣化で大部分が剥がれているものの、所々に残る青色が見える。

 

 

「お鼻がすっごく長いの。帰ったら写真見せてあげるね」

 

 

「ありがとう!」

 

 

 アイリの言葉に、感謝を返すリン。マザーズの拠点には外周区の廃墟から集めた様々な物資が集められており、図鑑や動物園のパンフレットなどもそこに含まれていた。

 

 

「お、来たぞ!」

 

 

 象の滑り台の上から辺りを見渡していたカズが、客の到着を報せた。その目線の先には瓦礫の山を登って来る2人の男の姿がある。

 

 

「うお、マジでいるじゃねぇか。噂は本当だったか」

 

 

 体格の良い男が瓦礫の頂上に立った。肌は日焼けしており、褐色。白を基調に金色の装飾が施されたジャンパーを羽織り、その合間から筋肉質な肉体を晒している。頭はスキンヘッドで、体の大きさに対して細く見えるサングラスを掛けている。

 

 

「みたいッスね。……てことは、もひとつの噂も本当ってことッスか?」

 

 

 隣のやや後方に控えてもう一人の男が立つ。ごくありふれた黒いスーツを着ており、意図的に乱された黒混じりの金髪以外に特徴はない。地面に落とさないためだろう、黒い紙袋を脇に抱えて持っている。

 

 

「かもな。けどんなもんに使う金なんざねぇよ。そこらのを捕まえりゃ充分だ」

 

 

「スね」

 

 

 どちらも身長は180cm前後だろうか。見るからに悪人といった風貌の2人組が、雑談を交わしながら瓦礫の坂を下ってくる。

 

 アイリが2人組の男へと向かって歩きはじめ、自然とカズとリンがそれに続いた。シブカワと会った時とは打って変わって、アイリの横顔に緊張が滲む。細く張り詰めた空気にリンは息を飲んだ。

 

 

「新しいお客様ですか?」

 

 

 5m程度まで近づいた時、アイリは立ち止まって口を開いた。男達は会話を止め、アイリを見る。褐色肌の男がアイリの持つ白い紙袋にチラリと目を向けた。

 

 

「ああ。中島(ナカジマ)だ」

 

 

 2mの距離まで近づいて、ナカジマは立ち止まった。金髪の男も斜め後ろに控えて立ち止まる。

 

 

「紙袋を確認します」

 

 

 アイリの要求を聞いて、ナカジマは表情を変えずに後ろを向いた。ほぼ同時に金髪の男も黒い紙袋を差し出し、ナカジマがその持ち手を掴む。

 

 

「ほらよ」

 

 

 ナカジマは振り向くと同時に黒い紙袋を前に突き出した。がさりと音を立てて黒い紙袋が左右に揺れる。

 

 アイリは慎重に一歩踏み出し、持っていた白い紙袋を地面に置いた。そうしてから突き出された黒い紙袋を両手で掴む。それを確認して、ナカジマはパッと手を離した。

 

 黒い紙袋を地面に置き、白い紙袋と並べる。どちらの紙袋にも、その側面には金色の模様があった。2つの紙袋の模様が繋がることで、龍の姿を描いている。

 

 アイリは黒い紙袋の口を開き、中を覗く。リンも一緒になって覗き込むと、ガムテープで厳重に封をされた箱が見えた。アイリはそれを手に取り、重さを確認しているようだった。

 

 一連の確認が終わったのか、アイリは白い紙袋を手に持って立ち上がった。

 

 

「問題ないです。商品を確認してください」

 

 

 ナカジマはアイリから手渡された白い紙袋の中を見る。そのまま地面に置くと、白い紙袋の中に手を入れ漁りはじめた。数秒後、ナカジマがニヤリと笑みを浮かべる。

 

 

「いいぜ。取引成立だ」

 

 

 ナカジマの言葉に、ホッと胸を撫で下ろした。

 

 

「ありがとうございます。またよろしくお願いします」

 

 

 アイリはそれに応えると、黒い紙袋を持ってそそくさと逃げるように歩きはじめた。慌ててリンとカズの2人もそれを追う。

 

 象の公園の出口に差し掛かった所で振り返ると、ナカジマと金髪の男は既に瓦礫を登っていた。間もなく、その姿は倒壊した家屋の瓦礫に隠れ見えなくなる。

 

 

「プハーッ! 緊張したぁー」

 

 

 リンと同じように男たちの姿を確認していたのか、カズが倒れ込むように座った。それを見てリンとアイリも足を止める。

 

 

「毎回あんなやつ相手に仕事してんのか?」

 

 

 体に残る緊張感をほぐしつつ、リンが訊ねた。

 

 

「いつもじゃないよ。あれははじめてのお客様だけ。はじめてのお客様は急に怒っちゃうこともあるから、リーダーのアタシが特別に対応してるの」

 

 

「そうそう。いつもオレらが相手してんのはあんな怖くねぇよ」

 

 

 アイリが疲れた様子で答え、カズもそれに続く。リンは納得したように頷いた。

 

 

「流石リーダーだな」

 

 

「……! うんっ! アタシはリーダーだからね! すごいよね! ね!」

 

 

 ふと零れた褒め言葉に、アイリの目が丸くなる。だが、すぐにそれは満面の笑みに変わった。疲れなど喜びで吹き飛んだかのように跳ね回る。

 

 

「あーハイハイ。すごいすごい」

 

 

「あっははっ! アイリ喜びすぎだって」

 

 

 リンは自分が口を滑らせたことに気づき、はしゃぐアイリを面倒そうにあしらう。心底嬉しそうな様子のアイリを見て、カズも釣られて笑った。

 

 こうして、リンの初仕事は終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

――理想

 

 

 

 夕暮れのマザーズ拠点、北入口前。

 

 

 

「楽園? 私が?」

 

 

 リンがマザーズに加わって、一ヶ月が経った。仕事にも慣れ、他人(ヒト)に対する忌避感も薄れてきた頃だった。

 

 

「はい。リンさんとカズさん。お二人は楽園に招待されました」

 

 

 シブカワに楽園行きの切符を渡されたのは。

 

 楽園。それはマザーズの構成員が目標とする、ひとつの到達点だ。東京エリア第5区で運営されているという児童保護施設、通称『楽園』。週に0~1人、多い時で3人、楽園へと招待されている。

 

 楽園では今よりも良い暮らしが約束され、先に行った仲間たちともまた会える。それが彼女たちにとっての楽園だ。

 

 誰が招待されるのかはわからないが、仕事をするほど招待されやすい。実際に古参のメンバーはほとんど楽園へ行っている。今も残っているのは、リーダーのアイリと門番を担うミカの2人だけだ。

 

 

「やったなリン! 一緒に楽園行けるってよ!」

 

 

 カズがリンの肩を勢いよく抱き寄せる。その顔には、親友と楽園へ行けることの喜びがありありと描かれていた。

 

 リンがマザーズで暮らす間にも、楽園に招待された仲間はいた。ある者は友との別れを惜しみ、再会することを誓って涙と共に去っていった。ある者は先に行った友を想い、期待を胸に去っていった。

 

 彼女たちに比べれば、親友と共に楽園へ行ける自分は遥かに幸運なのだろう。しかしながらリンは、マザーズで暮らしてまだ一ヶ月だ。楽園というものへの憧れがいまいち理解できていなかった。

 

 

「そうだな」

 

 

 表情だけは取り繕って、親友に言葉を返した。マザーズを離れるのも、親友と一緒なら良いかもしれないと思った。

 

 

「すごい!」

「いいなぁ」

「そんな早く行けるなんて、リンちゃん羨ましいよ」

 

 

 次々に投げかけられる仲間たちの声。彼女たちは二人をただ純粋に称賛し、羨んでいた。

 

 

「搬入が終わり次第出発しますので、その間に身支度とお別れのあいさつをどうぞ」

 

 

 地下駐車場の北入口前にはシブカワの運転してきたワゴン車が停められている。車内には食料品や衣服、生活雑貨が積まれている。それを仲間たちはマザーズの中へと運び込んでいた。

 

 ワゴン車から荷物が無くなるまで。それが、リンがマザーズでいられるタイムリミットだった。

 

 

「こうしちゃいられねぇ。リン! 早く行こうぜ!」

 

 

「おう!」

 

 

 カズの呼びかけに反射で応える。親友(カズ)がいるならどこだっていいじゃないか。リンは自分にそう言い聞かせた。

 

 

 

 別れはあっという間だった。

 

 

「ばいばーい! また会おうねー!」

 

 

 泣きながら笑うアイリの姿が小さくなる。

 

 

「おう!」

 

 

「じゃあなー!」

 

 

 エンジンの音が猛り、二人の声を引き離していく。夕日に浮かぶモノリスを背に、マザーズが遠ざかる。

 

 やがて声も届かなくなり、姿もモノリスの黒に塗り潰され消えた。空から赤色が消え去り、虚空のキャンパスに星が輝きだす。

 

 

 車が夜道を走る音だけが聞こえる。長く舗装されていない路面は、車内に静かな揺れをもたらす。

 

 

「ジュース、飲みますか?」

 

 

 運転席にいるシブカワが後部座席の二人に声をかけた。かさりと音が鳴り、二人の前にビニール袋が差し出される。

 

 

「ありがと」

 

 

 カズがそれを受け取り、入っていたペットボトルを一本、リンに手渡した。

 

 ラベルには大きくORANGEとプリントされている。リンには読めなかったが、ラベルの絵とペットボトルの中で揺れる液体の色で、オレンジジュースだとわかった。

 

 ややゆるいキャップを捻り、口をつける。舌の上にぬるく甘い液体が転がり込み、喉へと流れる。二回飲み込み、ペットボトルから唇を離す。口内に残った液体を舌で転がし、体温ほどに温まったそれをゆっくり飲み込む。

 

 ふと隣を見ると、カズの持つペットボトルにはもう半分しか中身が残っていない。なんとなく対抗心が芽生え、握ったままのペットボトルを呷る。

 

 一息つくと途端に眠気が込み上げてきた。外周区で暮らす者にとって、太陽は絶対の生活リズムを形成する。動物の因子を持つ呪われた子供たちにはそれがより顕著だ。

 

 マザーズの仲間には夜に起き朝に寝る者もいた。ミカに関しては、寝ている様子を見たことがない。

 

 リンは自分の因子が何かは知らない。太陽が昇れば起き、太陽が沈めば寝る。ただそれだけだ。

 

 隣を見れば、カズは既に目を閉じていた。カズの因子は犬であると、カズ自身が話していた。まだ両親に棄てられる前、聞いたことがあるのだという。

 

 カズの呼吸音が聞こえる。車から伝わる揺れがやけに心地いい。重くなる目蓋を開く気力も無く、リンの意識は深い微睡みへ落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

――現実

 

 

 

 光を認識する。濁った思考が徐々に明瞭になる。体の前面がひんやりと冷たい。うつ伏せで寝ているらしい。

 

 

「――は、今後ともよろしくお願いします」

 

 

 声が聞こえる。聞き覚えのある声だ。鉛のように重い目蓋をゆっくりと引き上げる。

 

 

「シブカワ……?」

 

 

 声の主の名前を呼ぶ。目映い光にいまだ慣れないが、人影が目の前に立ったのはわかった。

 

 

「まさかあれを飲んで起きるとは……。どうします? もう一度眠らせましょうか?」

 

 

「いや、そのままでいいさ。起こしといた方が面白そうだ」

 

 

 人影で光が遮られ、ようやく視界がハッキリとしてくる。正面に立っていたシブカワが退いて、見知らぬ男が視界に入ってくる。否、知っている男だ。『仕事』で3回会った『お客様』の一人だ。名前は知らないが、太って丸くなったシルエットを覚えている。

 

 

(リョウ)はもう帰っていいよ」

 

 

「わかりました。次回の注文をお待ちしております」

 

 

 シブカワは太った男の言葉を聞いて、足早に去った。シブカワの消えたドアをぼーっと眺めていたが、車の発進音が聞こえて我に返る。

 

 急いで起き上がろうとするが、足と腕が開かず失敗する。慎重に目を向けると、手枷で手を後ろに組まされ、足も同様に固定されていた。

 

 

「ここはどこ?」

 

 

 目に見える範囲のものは全て一般的な民家のものだ。部屋の中央には小さな丸テーブルとイスが置かれている。リンの瞳を覗き込んでいた男は、「どっこいしょ」と声を漏らしてそのイスに座った。

 

 

「珍しいな。大抵のやつは起きたら楽園だとか言うんだけど」

 

 

 照明は付いているものの、窓から差し込む光は明るい。カーテンは無く、窓の外には半壊したコンクリート塀とひび割れた壁が見える。

 

 

「どこ?」

 

 

「おおこわいこわい。そうピリピリするなよ、俺とお前の仲だろう」

 

 

 大袈裟に怖がって見せる男に、警戒しながら体を起こす。手足の拘束具がカチャカチャと鳴るが、無事にその場に座ることができた。

 

 

「どこ?」

 

 

 男を睨みながら、足の指を立てて飛びかかる体勢を取る。男は気づいているのかいないのか、気味の悪い笑みを浮かべながらリンを見ていた。

 

 

「仕方ないなぁ。ここは俺の別荘だ。外面は廃墟だけどね」

 

 

 男が膝に手を置き立ち上がろうとする、その隙を見て男に飛び掛かった。

 

 

「うおぉっ」

 

 

 バランスを崩し、イスごと男が倒れる。追撃を加えようするが手足は自由に動かない。

 

 

「らあああっ!」

 

 

 動かせる部位を精一杯動かし、男の喉を噛み千切ろうと身をよじる。しかし男の太った体の上では動きが阻害され、噛みつくことは叶わない。

 

 

「危ないなぁ」

 

 

 少女の体は軽く、男の両手を脇に差し込まれ持ち上げられてしまった。そのまま投げ飛ばされ、リンの体がフローリングの床を転がる。

 

 

「いだっ」

 

 

 床に打ち付けられた衝撃でリンの腕に痛みが走る。うつ伏せになったまま、ジンジンと響く痛みを堪える。

 

 

「興奮するのはいいけどさぁ、立場は弁えろよ」

 

 

 ゆっくりと立ち上がった男がリンに近づき、躊躇無く蹴り飛ばした。

 

 

「がはっ」

 

 

 蹴鞠のように飛ぶリンの体が壁に打ち付けられる。肺から空気が絞り出され、重力に従って落ちる。虐待の記憶がフラッシュバックし、瞳孔が震える。

 

 

「おらよ!」

 

 

 再びリンを蹴る男。それも繰り返し、執拗に。背後の壁に押しつけられているために逃げられず、血反吐を吐き、痛みと苦しみで呻き声をあげることしかできない。

 

 

「ふぅ、無駄に時間使っちゃったなぁ」

 

 

 男の暴力が止まった。リンは荒い呼吸を繰り返し、脂汗が体中から湧き出る。時間が経っても痛みは引かず、震える瞳で男を見上げた。

 

 

「痛いだろ? (リョウ)のとこの薬でねぇ、ガストレアウイルスの働きを一時的に停止させるんだと」

 

 

 男はその場でしゃがむと、無造作にリンの栗色の髪を掴み持ち上げた。リンの体がずるりと持ち上がり、鼻と鼻がくっつきそうになる。リンの体が震え、小さく怯えた声を漏らす。

 

 

「んん? もしかして怖いの? やりすぎちゃったかなぁ。男っぽいナリしてるしもっと耐えると思ったんだけど」

 

 

 男の目がリンの瞳の奥を貫く。リンは痛みに震えながら、ただ無抵抗に怯えることしかできなかった。

 

 

「まあいっか。もう一人でも遊ばなくちゃだしね」

 

 

 髪がパッと手放され、地面に落ちる。息つく間も無く肩に担ぎ上げられた。

 

 男の背後、目覚めた時にリンが寝かされていた場所の奥に、カズの姿があった。リンと同じように手足に黒い金属の枷を嵌められ、うつ伏せで床に転がされている。

 

 

「カズ……にげ……て」

 

 

 カズに呼びかけようとするが、声が掠れて消えていく。力が出ないまま手を伸ばすが、男が振り向くとカズの姿は見えなくなる。

 

 

「ざーんねん。カズミちゃんはぐっすり寝てるよ。まあ、逆になんで君は起きてるの?って話なんだけど」

 

 

 男はカズも担ぎ上げた。リンの右隣にカズの顔見える。

 

 

「カズ……」

 

 

 カズを起こそうと声を振り絞るが、起きる気配は無い。そうしている間にも男は歩き、階段を降りる。暗い地下室に入ると、男は二人を投げ捨てた。幸いそこは大きなベッドの上で、衝撃はあっても痛みは無かった。

 

 

「君たち買うの高かったんだよ? でもその分サービスは豊富で、睡眠薬もウイルスの活動を停止させる薬もあっち持ちだ」

 

 

 男が壁にあるスイッチを押すと、地下室が光で満ちた。部屋の大きさは10畳程度だろうか。打ちっぱなしのコンクリートで閉鎖された空間だが、マザーズの地下駐車場のような暖かみは欠片も無い。壁際にはテーブルやロッカーが並んでいる。開いたままのロッカーの中には黒色の何らかの器具が見えた。

 

 

「流石『薬屋ファザー』。麻薬から媚薬まで何でもござれ。その名前は伊達じゃないね」

 

 

 入口の鉄扉が男の手によって閉じられる。鈍い音が響き、同時にガチャリと鍵が掛かる音が聞こえた。少し間を置いて、天井に取り付けられた換気扇が回り始めた。

 

 

(リョウ)も凄いよねぇ。ガキの頃イジメてたヤツが今じゃ立派な取引相手だもん。俺たち『お客様』に君たち『商品』を売りつける。やり口がうまいよ」

 

 

 男はリンをベッドから降ろし立たせた。何をするのかと思えば、リンの手首に嵌められた手枷を外した。

 

 

「ガキどもを唆して夢を見させて、利用した挙げ句に売り飛ばす。別にガキが欲しいなら拐えばいい。孤児はいくらでもいるからね」

 

 

 男はリンの手を引き壁際に立たせると、天井から垂れ下がるふたつの手枷をそれぞれの手に嵌めた。リンの腕はY字に持ち上げられ、正面にベッドで眠るカズを見る形になる。

 

 

「でもそうしない。何故なら君たちは希望を持たされたからだ。ただ捨てられただけの子供はゼロから十まで絶望だ。けどね、君たちは違う。希望を持っているから、飼う価値がある。落とす価値がある。その価値を『商品』にしたのが渋川龍(シブカワリョウ)だ」

 

 

 男はカズの手足の枷を外した。おもむろに服を脱ぎ捨て、汚い裸体を晒す。眠るカズの短パンに指を掛け、丁寧に降ろしていく。

 

 

「なに……して……」

 

 

「一度やってみたかったんだよねぇ。お友達の目の前で、眠る女の子を犯すの。たまたま君が起きたから、やってみようと思って。睡眠薬の効果はあと1時間ぐらいかな? ちゃんと見ててよね」

 

 

 そう言うと、男はカズに跨がった。そうして行われた事は、リンの頭では到底理解できなかった。しかしそれが、とてもおぞましい行いであることはわかった。

 

 はじめの内はリンに見せつけるように、保健体育の授業と称して逐一説明した。粘りつくような男の声と、体を触られるたびに漏れるカズの声が脳裏に焼き付いた。

 

 男が交尾と言った行為が始まると、男の饒舌な口は閉じた。男の荒い息遣い。カズの体から血が零れても、苦しそうな表情をするだけで起きる気配は無い。徐々に男の動きは加速し、気色の悪い音と鼻を突く奇妙な臭いがコンクリートに閉ざされた空間に満ちる。

 

 やがて男の動きが痺れるように止まった。息を整えながら、カズの体からぬらぬらと光るものが引き抜かれる。体液と思わしきものがベッドに垂れる。よく見れば、眠ったままのカズの吐息も荒い。男はベッドから降り、長い間カズの顔を見つめていた。

 

 

「ふぅ……。思ってたよりスッキリしたなぁ。ちょっと休憩するね。君の番はその後だ」

 

 

 男はその場を離れると、テーブルの上のビンを手に取ってベッドに戻った。ベッドに座って蓋を開けると、中身を一息で飲み干す。

 

 

「見なよ。君がいてくれたおかげでこんなに出ちゃった」

 

 

 男がカズの足を開いてリンに見せる。赤が白に雑じったような色合いの液体がベッドに垂れる。

 

 

「……きもちわるい」

 

 

 リンがぼそりと呟くと、頭の隣にビンが叩きつけられた。砕かれたビンの欠片がリンの肩に散らばる。

 

 

「それも薬屋ファザーの商品だ。質のいい精力剤でね、効果は強いし即効性がある。その代わり今みたいに出しきった時に飲まないと副作用があるけどね」

 

 

 男は立ち上がり、リンの目の前に立つ。リンの服を掴んで引き裂く。リンの体を指でなぞり、短パン越しに撫でていく。

 

 

「そうだ、マザーズの話をしてあげよう。俺は(リョウ)と昔馴染みだから詳しいんだ。君も知りたいだろう?」

 

 

 男は傍らのテーブルに手を伸ばし、黒いナイフを取った。

 

 

「マザーズはね、(リョウ)が作った組織だ。アイリちゃんと信頼関係を築き、仲間を集めさせて、自分を信じ込ませた。一人のファザーに対して、複数人のマザーだ。最高のネーミングセンスだよね」

 

 

 ナイフを逆手に持って、リンの短パンをパンツごと切り裂く。リンの体を隠すものは無くなり、産まれたままの姿になった。

 

 

「アイリちゃんも買いたいんだけどねぇ、リーダーだからマザーズが存続できなくなるまで売らないって言われてるんだ」

 

 

 男はナイフを置くと、入れ換えるようにボトルを手に取った。手にボトルの中身を垂らし、擦り合わせて馴染ませる。

 

 

「そのせいでアイリちゃんなんて呼ばれてるか知ってる? 仲間売りの悪魔だよ。仲間を集めて、仲間をお客様と会わせて、仲間を売り飛ばす。笑っちゃうよね」

 

 

 光を照り返す手がリンの体を撫で回す。特にカズが男と繋がっていた場所は執拗に。感じたことの無い感覚がリンの体を走り抜け、同時にカズが男に受けた仕打ちを想像し怖気が走った。

 

 

「アイリちゃんはどの客も必ず会うんだけど、そのせいでいつか売られた時の値段がオークション的に跳ね上がってるんだ。確か今は3000万円だったかな。君もカズミちゃんも一律で100万円だから、とんでもない金額だよねぇ」

 

 

 男の指がリンの体内に侵入する。入念にほぐされたためか抵抗はなく、するりと入ってきたことにリン自身が驚愕した。

 

 

「んー?」

 

 

 声が聞こえた。ベッドの上でカズが体を起こしている。服は既に脱がされていて、体が汗に濡れている。

 

 

「どこだここ。……って、オレなんで裸なんだ!?」

 

 

 自分が服を着ていないことに気がつき、濡れた体を見渡す。すぐに股の濡れかたが汗ではないことに気づき、液体を指で掬い取った。

 

 

「なんだこれ。きもちわりぃ」

 

 

 人差し指と親指の間で糸を引く液体を眺める。そんなカズへと、忍び寄る男の姿が目に写った。

 

 

「カズ!」

 

 

「リン――キャッ」

 

 

 カズへの呼びかけは既に手遅れで、男がカズに飛びついた後だった。

 

 

「なんだよおっさん! なんで裸なんだよ、やめろっ、いやっ」

 

 

 男はいつの間にか持っていた手枷で、カズの腕を後ろ手に拘束する。慣れた手つきで足枷も嵌め、それらを鎖でベッドと繋いだ。

 

 

「ふぅ危ない、暴れられると困るからねぇ。にしてもかわいい悲鳴だねぇ。また君を犯したくなっちゃったよ」

 

 

「おっさんこないだの客じゃねぇか! なんでこんなことすんだよ、これ外せよ!」

 

 

 ベッドの上でカズは暴れるが、ガチャガチャと音が鳴るのみで抜け出すことは叶わない。

 

 

「でもちょうどいいや。順番だからね、君もリンちゃんが犯されるのをそこで見ててね」

 

 

「リン……リン! 大丈夫!?」

 

 

 男が振り返り、リンに歩み寄る。同時に壁際に拘束されたリンの姿がカズの目に入った。つい先程まで弄られていたために呼吸が荒く、憔悴したその様子はとても大丈夫には見えない。

 

 

「だいじょうぶ……んっ」

 

 

 男の手がリンに触れ、思わず声が漏れた。

 

 

 この日から、楽園とは到底言えない日々が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

――地獄

 

 

 

1日目 

 

きょうのことをかけっていわれた

いやがったらけられた

けられるのはいやだ

 

あしのあいだをさわられた

こうびされた

きもちわるい

ごはんはおいしかった

 

 

 

2日目

 

またかけっていわれた

カズはいやがってなぐられた

ちゅうしゃされてちからがでないって

 

わたしはまたこうびされた

なめられた

きもちわるい

 

 

 

3日目

 

なめさせられた

こんなのがわたしのなかにはいってるの?

きもちわるい

 

 

 

5日目

 

カズがにげようとした

しっぱいしてけられた

カズのをなめさせられた

ごめん

 

 

 

8日目

 

きょうはしらないひとがきた

おしりにもさされた

いたい

こわい

 

 

 

13日目

 

もうやだ

 

 

 

20日目

 

きもちいい

おかしい

いやだ

 

 

 

たすけて

 

 

 

25日目――

 

 

 リンはもう何も考えられなくなっていた。狭い地下室で、犯され飼われる性奴隷としての生活。それはリンの精神を侵食し、そして滅ぼした。

 

 

「……リン。オレ、もういっかい逃げる。それで、助けを呼んでくる」

 

 

 カズの心はまだ死んではいなかった。カズにはまだ希望があった。男がリンにだけ伝えたマザーズの真実を、リンは最後までカズには教えなかった。親友には絶望して欲しくなかった。リンの精神が崩壊してもなお、カズは希望を信じていた。

 

 

「帰ろう。一緒に」

 

 

 カズの言葉に、応える声は無い。光を失った瞳が、ただ天井をぼんやりと見つめていた。

 

 

 その時は来た。

 

 地下室の扉が開かれ、男が表れる。ニヤニヤとした笑顔は既になく、退屈そうに欠伸をする。

 

 男は弁当の入ったビニール袋をテーブルに置いた。ベッドに繋がれた二人に近づき、リンの拘束を解く。自分を縛るものが無くなっても、リンは一切の反応を見せない。

 

 カズは俯いたまま、悟られぬよう時を待つ。足枷が外されても動かない。手枷を外されても動かない。男がカズから注意を外し、振り向いたその瞬間、カズは音もなく走り出した。

 

 

「ッ! おい、待て!」

 

 

 男の制止を振り切り、カズは地下室の外へと飛び出した。慌てて男がそれを追う。

 

 地下室からリン以外の姿が消え去り、静寂が訪れる。換気扇が空を切る音が時を刻む。少しして、乾いた破裂音が遠くから聞こえた。二回、三回と繰り返す。六回目で音は止まった。

 

 再び訪れる静寂。しばらく時間が経った。足音が聞こえる。階段を下る音。やがて、男が地下室に戻ってきた。

 

 

「ったく、手間かけさせないでよねぇ。でもま、ちょうどいいか。君たち換え時だったしね」

 

 

 ベッドに何かが投げ捨てられる。リンの頬に生暖かい液体が落ちる。隣の物体は沈黙している。

 

 

「よいしょっと。これで見える? 君のお友達だよ」

 

 

 リンの体が持ち上げられた。頭の向きをベッドの上に向けさせられる。

 

 そこにあったのはカズだった。痩せ細り汚れた体に、穴が開いて血が流れている。目を見開いたまま、時が止まったように動かない。ベッドに赤い染みが形成される。それはカズの背を中心に、徐々に広がっていく。

 

 カズだった。確かにカズだったそれは、呼吸をしていない。拍動していない。瞳に光がない。生気がない。それはただ、静かに佇んでいた。

 

 

「……カ……ズ」

 

 

「おおっ? 久々に喋ったねぇ。四日ぶりかな?」

 

 

 リンの口から漏れた言葉を聞き、男の顔に笑みが浮かんだ。それはここに連れてこられた日と同じ笑みだった。

 

 

「うんうん、いいねぇ。やっぱり刺激は大切だねぇ。せっかくだし、最後のお遊びだ」

 

 

 男はリンをベッドに寝かせ、顔の向きをカズだったものに向けた。そうしてから服を脱ぎ、手早く全裸になる。

 

 

「最初もこんな感じだったよねぇ。寝てるカズミちゃんを君の前で犯すの。今度は、死んだカズミちゃんを君の前で犯そうか」

 

 

 最初の行為を再現するように、男がカズに跨がった。

 

 

「前みたいに保健体育の授業で濡らせないしなぁ。血でいっか」

 

 

 カズの体から流れる血を自分のものに塗りたくる男。そして一気に差し込んだ。

 

 水分が泡になり弾ける音。肉が互いに打ち付けあって響く音。聞き慣れてしまった音が地下室に響く。

 

 リンの視界に、上下に揺れるカズの横顔が写る。天井を向いていたカズの顔はそのうちに倒れ、カズとリンの目が合った。光の無い視線が交錯する。

 

 

 ふと、カズの目尻から一筋の雫が零れた。

 

 

「ふっふっふぅ、ガバガバだねぇ。こりゃ時間が掛かりそうだ」

 

 

 光の無かったリンの瞳に、赤い色が差す。それは徐々に広がり、赤い光となって瞳を染め上げる。

 

 リンはまばたきをした。虚ろな赤が瞳を満たす。体がゆっくりと持ち上がる。衰弱した体に血液が巡る。痩せた体に筋肉が巡る。

 

 

「おっ、起きた……の……か?」

 

 

 上体を起こしたリンの姿を見て、男の声が途切れ途切れになる。血色は良く、非常に健康的。伸び放題になった髪の毛も妙に生き生きとして見える。そして何より、幽鬼のように揺らめく赤い光。ガストレアの象徴たる赤い瞳が、男に恐怖を呼び起こさせた。

 

 

「なんだよ、その目は。形象崩壊? そんなはずは、薬は毎日打ってるんだぞ」

 

 

 腰を浮かし、リンを刺激しないよう離れる男。次の瞬間、男の体は壁に叩きつけられていた。

 

 

「がはっ」

 

 

 テーブルの上のものを薙ぎ倒し、地面に落ちる。男が立ち上がろうとすると、再び壁に打ちつけられた。

 

 

「やめ……」

 

 

 男の言葉も聞かず、リンは男を蹴り続ける。地下室全体が揺れ、壁を砂が流れて落ちる。やがて男の声は聞こえなくなり、リンの足下には赤い水溜まりができていた。

 

 リンはゆらりと振り返り、ベッドに眠るカズの前に立つ。すっと、瞳から赤い光が消えた。虚ろな瞳がカズを写す。

 

 カズを抱き締めた。その体は既に冷たく、死んでいることを改めて実感した。

 

 リンの瞳に涙が溢れる。カズの亡骸を胸に抱き、泣き叫ぶ。慟哭が静寂を突き破る。リンはこの日、たった一人の親友を失った。

 

 

 

 

 

 

 

――楽園

 

 

 

 誰もいない寂れた道を、一人の少女が歩いていく。栗色の髪の少女は、大きなハンマーを引きずって歩く。

 

 

 ハンマーは黒い金属を固めて作られている。棒に枷、手錠に鎖。拳銃らしきものも埋もれている。

 

 

 ハンマーは醜い肉が乾燥して金属同士を接着している。赤い錆に覆われて、道路に黒い線を引く。

 

 

 少女は汚れた服を着ている。橙色のシャツに鶯色の短パン。それはかつて、少女の親友が着ていた服だ。

 

 

 少女は手に宝物を持っている。それは白くて小さくいびつな欠片。親友だった少女の一部。

 

 

 少女はどこかを目指して歩く。遠くモノリスを目印に、見知った道を目指して先へ。

 

 

 やがて少女は辿り着く。夕暮れの中、ワゴン車が一つ。小さな母達の集まる、かつて過ごした理想郷。

 

 

 少女は声をかけられる。右へ左へ聞き流し、駐車場へと降りていく。

 

 

 そこで見つけた一人の男。仲間と慕った一人の父。

 

 

「っ! なぜ君が」

 

 

 言葉は最後まで続かない。赤目の少女が潰したから。黒いハンマーで執拗に。叩いて叩いて見えなくなるまで。

 

 

「リンッ、どうして」

 

 

 リーダーと慕った母の声。ようやく少女の手が止まる。

 

 

「仲間売りの悪魔」

 

 

 ぼそりと呟く少女の声。小さなリーダーは全てを悟った。

 

 

「……そっか。やっぱり、そうだったんだね」

 

 

 少女は目を見開いた。リーダーは誰よりも聡かった。

 

 

「だったら、なんで……!」

 

 

 少女はリーダーに詰めよった。リーダーは暗い顔で俯いた。

 

 

「ここだけしかなかったの。アタシたちが生きられる『楽園』は」

 

 

 リーダーはごめんと小さく謝る。少女はその目に涙を浮かべた。

 

 

「アアアアアアアッ!」

 

 

 ハンマーが叩きつけられた。涙混じりの絶叫が、リーダーだったものを擂り潰す。

 

 

「イヤァァアアアアッ!」

 

 

 たった一人の父が消えて、偉大なる母も失った。拠り所を失った小さな母達は、怒りを胸に少女へ向かう。

 

 少女はハンマーを振り回す。涙が枯れて尽きるまで、かつての仲間が消えるまで。

 

 

 

 少女の暴力は誰が為に。

たったひとりの友のため……。

 

 少女は鎚を振るうだろう。

少女の敵が朽ちるまで……。

 

 


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