白昼幽夢 / Daydream_Revenant 作:宇宮 祐樹
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拝啓、この終わりのない世界へ訪れた、誰でもないあなたへ。
私はイストワール。このゲイムギョウ界の歴史を管理する、司書の役割を持つ者です。
そのきっかけを語ることは、私にはできません。
私の知らない予兆があったのかもしれませんし、彼女がふと願った、それだけのことだったのかもしれません。ただ一つだけ確かなのは、それはすでに起こってしまい、もう先に進むことも、後に戻ることもできないということです。
崩壊と呼ぶには優しすぎるものでした。ですが、終焉と呼ぶにはあまりにも残酷でした。
希望も無く、終わりすらも迎えられなくなった彼らを、私は見届けることしかできませんでした。
それが『歴史を管理する』という、私の役割でしたから。
事の顛末を、ここに記しておきます。
端的に言ってしまえば、ある一日のループでした。
何の変哲もない平凡な一日でした。大きな事件や事故もないありふれた日常。
だからなのでしょう。きっと彼女は、こんな日々を望んでいたんだと思います。
呆れるくらいに退屈で、平和だということすらも忘れてしまいそうな、静かな日常。
それが永遠に続けばいいと、女神でありながら――いえ、女神だからこそ、願ったのでしょう。
ループが始まったのは、その日からでした。次の日もまた次の日も、同じ一日の繰り返し。
人々は同じ日常を繰り返し、永遠に静かな日々を送り続ける。
当然ながら、そのことに気が付いたのは一人もいませんでした。
ただ、私だけはこのループを記録していました。
私は歴史を管理する司書であり、神代に作成された
ですが、私ができることはそれだけでした。
起きている現象に干渉することなど、私にはできるはずもありません。
プラネテューヌの女神である彼女自身が、こうした結末を望んだ、ということも含めて。
ループが続いているにも関わらず、人々は平和な日々を過ごしていました。
いいえ、元々は彼女らが願ったことなのですから、当然のことかもしれません。
繰り返す毎日を同じように迎え入れ、同じように過ごし、同じように眠りに就く。
永遠に繰り返される、平穏な日常。確かにそれは、完全な平和と言えるのかもしれません。
そういう意味では、彼女は自らの手で、このプラネテューヌに平穏を齎したのです。
でも。
繰り返す日々を同じように生きる人々は、果たして生きていると言えるのでしょうか。
……私には、彼女らが亡霊に見えて仕方がないのです。
永遠に続く平穏という白昼夢に囚われた、亡霊。
この先もずっと、こんな世界が続いていくと思うと、私は。
生きるということは、変わるということです。
どんなに辛く、苦しいことがあっても、その変化を受け入れて人々は生きていくのです。
ですが変化を拒んだその瞬間、人々は生きる意味を失い、ただの亡霊となってしまう。
その成れの果てが、この世界です。
私は役割を失いました。
最早、記録は意味は持ちません。変化を書き留める必要がなくなってしまいましたから。
ある意味でこの世界は、彼女の望み通りに完成したのです。
変わりようのない静かな日々と、そこに彷徨う亡霊のような人々という形をとって。
ここにはもう、何もありません。ですから、どうか早々に立ち去ってください。
あの亡霊のように、永遠を彷徨う屍のようになりたくなければ。
私は、そうしました。
生き続けるために。
■
「……くそ」
切断。視界にノイズが走り、クロワールの意識が現実へと引き戻される。
最初にあったのは後悔だった。短くなった髪を書き上げて、荒く息を吐く。
いつも通り適当に座標を設定したら、まさかこんなところに着地するとは。
この時だけ、クロワールは自らの
「なんだって、こんなところに……」
「クロちゃん?」
吐き捨てたその言葉に反応したのは、ネプテューヌだった。
心配そうな表情を浮かべながら、こちらの顔を覗いてくる。
それが鬱陶しくて、顔を明後日の方へ背けると、彼女は口を尖らせながら続けた。
「どうしたの、なんだか変だよ?」
「何がだよ」
「さっきからぼーっとしてたし。ほんとに大丈夫?」
「別に。どうってことねーよ」
変なところで勘が鋭いのは、こちらもあちらも変わらないらしい。
そんな様に辟易とするクロワールが、もう一度ため息を吐いた。
「それにしても、雨だなんてツイてないね」
「…………」
「別に、嫌いってワケじゃないんだけどさ」
ビニール傘の向こうに広がる曇天を眺めながら、ネプテューヌがそんなことを呟く。
さあさあと振り続ける雨は、勢いを弱める気配もなく、ネプテューヌの足元を濡らしていく。
街並みは静けさに包まれていて、雨音だけがビルに反射してぼんやりと響き渡る。
しんみりとした空気感。穏やかな陽気とは違う、艶やかな落ち着いた空気。
ただ、そのどれもが今のクロワールにとっては、ひどく不快なものであった。
「行くぞ」
「え?」
「時間のムダだ。ここにはもう、なんもねーんだからな」
「ちょ、ちょっとクロちゃん!」
急いで立ち上がるネプテューヌが、立ち去り始めようとする彼女の後を追う。
「いくらなんでも早すぎるよ! もっといろいろ探検しないの?」
「だから、そんなことしてもムダだっての」
「そんな……! いつものクロちゃんだったら『なんかおもしれ~ことでもね~かな~?』って、勝手にそこらへんウロウロし始めるのに!」
「……ちょっと待て。それ、俺のマネしてんのか?」
「うん、そうだけど?」
「だったらもう少し、似せる努力とかしろよな」
「と、とにかく!」
がし、とネプテューヌが勢いよく、クロワールの羽根を掴む。
「いっ……お前、羽根はやめろって何度も言ってるだろ!?」
「ごめんごめん! でもやっぱり、ちょっとだけ探検しようよ!」
「だからムダだってわかんねーのかよ! ほら、さっさと行くぞ!」
どうしてこうもワガママで、自分勝手なのか。
今一度クロワールが疑問に思ったが、その答えはすぐに見つかった。
彼女はどうあがいても、ネプテューヌなのだ。
ならば、仕方のないことだった。
「……ねえ、クロちゃん」
至った回答に頭を抱えていると、ネプテューヌが静かにそう問いかけてくる。
「なんだよ」
「私のこと、置いて行かないの?」
「はぁ?」
苛立ちを含んだ声と共に、クロワールが彼女の方へと向き直る。
浮かべるネプテューヌの表情は、不安に満ちた曖昧なものだった。
「いつもだったら、早くしないと置いてくぞー、なんて言ってくるのにさ。今日は言わないよね。なんだか、なんとしても私をここから追い出そうとしてる感じがするよ?」
「……今はそういう気分じゃねえってだけだよ」
「じゃあ、こっちに来てからしばらくぼーっとしてたのは、なに?」
「お前には関係ねーだろ。ちょっとボケっとしてたくらいでうるせーんだよ」
「だったら、ここにいてもムダだ、っていうのは?」
「それはだな……」
「……どうして、ムダだって分かるの?」
すると彼女は、クロワールの瞳をじっと見つめながら、
「もしかしてクロちゃん、ここに来たことあるんじゃないの?」
沈黙。見つめ合う二人を、雨音が包み込む。
焦りはなかた。後ろめたさも。後悔すらも感じていない。
ただクロワールの中にあったのは、諦めにも似た奇妙な感情だった。
それと、僅かな懐かしい感覚。それは同時に、忌々しさを想起させるもので。
「……だったら、なんなんだよ」
「え?」
「もし俺がここに来たことがあるとして、お前になんの関係があるんだよ」
クロワールにとって、ネプテューヌという人間は、旅人から一番遠い存在であった。
いつもそうだ。行く先で起こった事件に自分から突っ込んで、なんとか解決しようとする。
そこで手に入れた栄光も賞賛など、全て彼女の手に残らないと、知っているはずなのに。
英雄になろうが、救世主になろうが、再び旅路へ戻れば、また旅人からやり直し。
旅人とはそういうものだ。結局、旅人は旅人以外の何者にもなれないのだ。
だから。
「お前は一体、何になろうとしてるんだよ」
その問いかけに、ネプテューヌは一度だけ顎に手を当てて考えたあと、
「私は、自分に正直になりたいだけだよ」
何の気もなしに、そう告げた。
「……は?」
「困ってる人がいたら、助けたい。そうすることでみんなが喜んでくれたら、私も嬉しい」
「バカかお前。今までそうしてきて俺たちが得したこと、あったかよ」
「ないよ。でも、そうしてきた人たちは、みんな笑顔で私たちを送り出してくれた」
話にならない。価値観が違いすぎる。
クロワールは、ネプテューヌのこういうところが嫌いだった。
その在り方がまるで、女神を思わせるから。
「……俺が、困ってるように見えたのかよ」
「うん」
なんの気もなしに頷く彼女へ、クロワールが舌を打つ。
「それにクロちゃん、ちょっと思ってたんじゃないの?」
「なにを」
「私ならきっと、なんとかしてくれる、ってさ」
自信満々に言い放つネプテューヌに、クロワールは、ただ。
「……そう、か」
「え?」
「思えば俺は、そういう未来を望んでたのかもしれないな」
「く、クロちゃん?」
あの記録を残したことも。偶然にも、こんなところに辿り着いたことも。
出会ったことすらも、全ては今この時のためなのかもしれない。
それこそが運命――あるいは、彼女から自分へ送られた、呪いか。
ぼんやりとした表情を浮かべながら、彼女はネプテューヌの前にふわりと浮かんで、
「ついて来い」
「……どこに、いくの?」
不安と共に投げられた問いかけに、クロワールは一言。
「アイツの夢を、終わらせに行くんだよ」
■
寂れた廃ビルの非常階段を昇りながら、ネプテューヌがつまり、と一つ置いて、
「ここはクロちゃんの故郷だった、ってこと?」
果たして故郷と呼ぶべき場所なのか、あるいは自分がそう呼びたくないだけなのか。
浮かんだ曖昧な疑問を呑み込んで、クロワールは頷いた。
「元々は普通の街だったんだ。どこにでもあるような、それこそお前の故郷みたいな」
「……でも、今はそうじゃないんだよね」
「ああ。どいつもこいつも、亡霊みたいになっちまった」
傘に着いた雫を払いながら、ネプテューヌが階段の外へと目を向ける。
曇天の下に広がる風景は、何の変哲もないプラネテューヌの街並みであった。
決して寂れているわけでもなく、かといってそこまで賑わっているわけでもない。
他の次元と同様の、どこにでもあるような、至って普通の街の一つ。
ただ、ネプテューヌはそんな景色に、奇妙な懐かしさを感じられずにはいられなかった。
行方の知れない郷愁。揺蕩うような感覚が、胸の奥に広がってゆく。
「呑まれるんじゃねえぞ」
クロワールの放ったその一言に、ネプテューヌがはたと我に返る。
「どこまで似ていようが、ここはお前の故郷でもなんでもねーんだからな」
「……うん。分かってるよ」
「どうだかな。もしお前がそれに捕まっても、助けてやらねーぞ?」
「それこそ、どうだか、だよ」
非常階段の手すりに背中を預け、ネプテューヌがくすりと笑う。
「とりあえず、今までの話を纏めると、この世界は一日がループしてるんだよね?」
「正確には時間軸の繰り返しと存在の固定保存の合わせ技だな」
「……っていうと?」
「アイツらが歳を取ることはないし、何かに干渉されもしない」
「んー、ピンと来ないかも。もっと分かりやすく!」
「そうだな……背景みたいなモン、って言えば分かるか? たとえば俺たちが登場人物だとして、アイツらやこの世界はその背景……つまり、こっちからじゃ手出しできないってワケだよ」
「ふむふむ」
果たして上手く伝わったかは分からないが、彼女はとりあえず首を縦に振ってくれた。
「で、そこまで分かったとして、お前はどうするつもりだ?」
「そうだなあ……とにかく、もっと探検してみようよ」
よっ、とネプテューヌが手すりから身を起こして、階段を昇り始めた。
「だから、無駄だって。さっきも言った通り、ここには何にもねーんだからよ」
「そんなの分かんないよ? もしかすると、ループしてない人が見つかるかも!」
「……いるわけねーだろ、そんなヤツ」
何百、何千ものループを観測したクロワールにとっては、呆れた戯言にしか聞こえなかった。
ただ同時に、そんな奇跡を誰よりも望んでいたのも、彼女だけであった。
「あきらめちゃ、ダメ、だよっ、クロちゃん!」
なんて、片足ずつでぴょんぴょんと遊びながら、ネプテューヌが階段を上がっていく。
「……諦めてなんかねーよ」
非常階段の外側、柵の向こうで浮かぶクロワールは、小さく呟いた。
「とうちゃーく!」
やがて屋上に辿り着き、ネプテューヌが叫びながら再び傘を開く。
長らく使われていない廃ビルであった。塗装は所々が剥がれ落ち、コンクリートには雨の跡が残っている。うーん、と一通り周囲を見回すと、ネプテューヌはふぅ、と息を吐いてから、ぽつりと。
「なんにもないね」
「だから言ってるだろ」
傘に入ったクロワールが、呟きに答えた。
「駐車場だったのかな」
「確か……そうだな。数年前に売り払われてたところだったはずだ」
「なら丁度いいや。ここ、私たちの拠点にしようよ」
「はあ?」
間の抜けた声を上げる彼女をよそに、ネプテューヌがよっ、とビルの縁へ腰を下ろす。
「拠点って……そもそも俺たちに用意するモンなんてねーだろ?」
「そんなことないよ? もしはぐれちゃった時とか、ここに集まっておけば合流できるし」
「……お前、そんなこと考えたこと一度もねーだろ」
「それに、さ」
すると彼女は、後ろに広がる街並みへと振り返って、
「ここからの眺め、私は好きだな」
淡い紫の瞳には、雨の向こうに佇むプラネタワーが映っていた。
「……あそこに、女神様がいるんだよね」
「お前と同じ名前のヤツがな」
「そっか」
ぼんやりとその影を望む彼女の横顔は、何も語ってはくれなかった。
「お前は、どう思う?」
「なにが?」
「この次元のことだよ」
自分でも呆れるほど曖昧な問いかけに、クロワールが心で後悔する。
そんな彼女に気づくはずもなく、ネプテューヌは少しだけ間を置いてから、語り始めた。
「いつまでも続く平和な日々っていうのは、確かに幸せなことだと私は思うよ」
「……お前も、そう思うのか?」
「うん。私もたまに考えるもん。こうして冒険してるより、普通に生きている方が絶対に楽だって」
「意外だな。お前がそんなこと思ってるなんて」
「かもね。でも、どうしたって私は人間だから。怖いものは怖い」
でもね、とネプテューヌは、クロワールの方へまっすぐと向き直って、
「怖いからって足踏みをしても、何かが変わるわけじゃないんだ」
「……ああ、そうだな」
「だから、進まなくちゃ。何かを失うことがあっても、誰かと別れることになっても」
「でも、悲しくならないのか?」
「そりゃ悲しいよ。でもさ、悲しくなって踏みとどまっても、その悲しみがなくなるわけじゃない。次の一歩を踏み出さない限り、永遠にそれは消えないんだと思うな」
そうして彼女は、鈍色の空を見上げてから、深く息を一つ。
「もしかすると、だから私は旅を続けてるのかもしれないね」
少しの沈黙。そのあとに、ネプテューヌがくすりと笑みを溢す。
「なんだか恥ずかしいな、クロちゃんとこういう話するの」
「……いいと思うぜ、俺は」
「やっぱり今日のクロちゃん、なんだか変だよ」
「うるせーよ」
「ふふ」
吹き出した彼女に、クロワールが口を尖らせる。
「けど、安心したぜ。お前もアイツと同じ考えだったら、って思ったからな」
「理解はできるよ。でも、私はそうとは思わないだけ」
「それでいいんだよ。お前は、お前のままで」
「……やっぱり、今日のクロちゃん、なんだかおかしいよ?」
素直になれなくなったのは、いつからだろう。
世界の全てが陳腐に見えたのは、どこからだろう。
それも今なら思い出せるか。或いは、元に戻りつつあるのか。
もしかすると、この郷愁に呑まれているのは――
「……だれ?」
聞き覚えのない少女の声が響いたのは、その時だった。
突如として耳に入る呟きに、ネプテューヌとクロワールが非常階段の方へ振り返る。
二人の視線の先に立っていたのは、傘を持った十五、六ほどの齢の少女であった。
瞳の色は翡翠。腰までに伸びる髪は、後頭部で一つに纏められている。
服装は黄色いパーカーで、逆の手には荷物の入ったビニール袋を抱えていた。
「……え?」
流れた静寂は、ネプテューヌの呟きによって崩される。
その瞬間、少女が傘とビニール袋を投げ捨てて、パーカーのポケットへ手を入れた。
次に見えたのは、こちらへ向けられた拳銃の鈍い輝きで。
「動くな!」
「ちょっ、ちょっと!?」
「だから動くな! それと勝手に喋るなっ!」
「わかった! わかったから!」
かたかたと細かく震える銃口に、ネプテューヌが慌てて両手を上げる。
ビニール傘が情けなく地面を跳ねて、紫の髪に雫が滴り始めた。
「……あんたら、誰?」
「私はネプテューヌ。こっちはクロちゃん。二人で次元を旅してるんだ」
「ネプ、テューヌ……?」
ぽつりとその名前を口にしたかと思うと、すぐさま彼女は銃を強く握り直す。
「あんたら……もしかして、あのクソ女神の……!」
「違うよ! 私たちはただの旅人! ちょうどさっきここに来たばっかりなんだって!」
「旅人……?」
疑いの視線は晴れない。だが、濡れた引き金が引かれることもなかった。
硬直。頬を伝う雨を拭うことすらもできない緊張が、ネプテューヌの全身に走る。
やがて沈黙を破ったのは、彼女からだった。
「……この街は、六年前からおかしくなっちゃったんだ」
「六年……そんなにも前なのか?」
「そんなにもって……ちっこいの、なんか知ってるの?」
「知ってるも何も、俺は元々ここの住人だよ。お前だって、見覚えあるんじゃねえのか?」
「……あんたみたいなヤツ、知るもんか」
「少なくとも、俺みたいなヤツは知ってると思ったんだがな」
未だに向けられる鋭い視線に、クロワールは疲れたように息を吐いてから、
「こうやって話す方が、あなたには馴染み深いかもしれませんね?」
普段とはかけ離れた優しい声色に、少女の目が見開かれた。
「なんで、あんたがここに……」
「ああ、よかったです。これで分からなかったら、目も当てられないことになりましたから」
「……どういうことなのさ、一体」
「困惑する気持ちは分かります。私だって今、とても驚いているんですから」
「そんなこと、言われたって……」
「でも、これだけは伝えさせてください」
するとクロワールは、雫を纏うの銃口をものともせず、彼女の前に進んで、
「今まで一人にしてしまい、申し訳ありませんでした」
ゆっくりと、その小さな頭を下げた。
「……は?」
「私は逃げたんです。生きるために。情けない話にはなりますが」
「あんた、何言って……」
「けれどもう、私は逃げません。あなたを二度と、一人にもしません」
そしてクロワールは、少女の瞳をまっすぐと見つめながら、
「だからどうか、俺たちを信じてくれ」
敵意はもう無かった。それよりも、疑問の方が上回っているのだろう。
そんな一連の流れを眺めていたネプテューヌは、少し意地の悪い笑みを浮かべていた。
「なーに、クロちゃんって元々は敬語キャラだったの?」
「うるせーよ」
「えー、いいじゃん! かわいかったんだし、絶対そっちの方が似合ってるよ!」
「……俺には似合わねーよ」
こんな変わり果てた姿になってしまったことが、何よりの証拠であった。
「とにかくだ。俺とお前は話が通じる。それだけで信頼に足る理由にはなるはずだ」
「……仲間、って思っていいの?」
「君がそう思ってくれるなら、ね?」
笑いながら答えるネプテューヌに、少女は拳銃を構えたまま動かない。
再びの沈黙が流れる。しかしそれは張り詰めたものではなく、何かを探るようなもので。
そして。
「もういい。手、降ろしなよ」
言われるがまま、ネプテューヌが両手をすとんと下ろす。
少女が気の抜けたように座り込んだのは、それと同時だった。
「なんなのさ、あんたたち……」
「さっきも言った通り、旅人だよ! そして今は、君の仲間!」
「そういうことじゃ……ああ、いいや。なんでもないよ、もう……」
つまらなさそうな視線を拳銃へ向けたかと思うと、少女がそれを近くへ投げ捨てた。
「撃たなくてよかったよ。人を撃ったことなんてないから」
「私も撃たれることにはまだ慣れてないから、お互い様だね」
「……どういうことさ?」
答えが返ってくることはなく、傘を拾ったネプテューヌが少女の前へ立つ。
「ささ、君もこっち来て! 一緒にお話しようよ」
「ちょっとあんた、勝手に……!」
「あ、クロちゃん火ってあったっけ? それとご飯の準備もしないとね!」
「構わねーけどよ、もう少し探検するんじゃなかったのか?」
「それよりも、せっかく増えた仲間と親睦を深める方が大切だよ!」
好感度も稼げるしね! なんて口走る彼女に、少女が呆れた視線を向けた。
「……食料は、そこに入ってるよ。缶詰ばっかりだけど」
「おお! じゃあ、今日は私が腕によりをかけちゃうよ!」
自信満々に腕まくりを始めたネプテューヌが、ビニール袋を持ちながらふと問いかける。
「そういえば、聞いてなかったよね」
「……何を?」
「名前だよ! 仲間なんだから、それくらい教えてくれてもいいよね?」
「ああ、そっか」
思い出したように少女は答えたかと思うと、
「私、ピーシェって言うんだ」
■
廃棄された駐車場、その最上階の片隅にて。
炎に照らされる髪を後ろで一つに纏めながら、ネプテューヌが口を開く。
「それで、ピーシェ?」
「なに?」
「どうして君だけ、ループの影響を受けてないの?」
黙って聴いていたクロワールは、しかしながら大方の予想はついていた。
この世界を取り巻く現象の全ては、シェアエネルギーの逆流によって引きこされている。
人々の捧げる信仰を伝うことで、彼女の意思によってこの現象を発現させる仕組みだ。
少々陳腐な例えにはなるが、
だから彼女を信仰している限り、このループから逃れることはできない。
しかし、逆を言えば。
「……私は、アイツのことが嫌いだったから」
「そうか」
予想通りの返答に、クロワールが首を縦に振る。
シェアエネルギーが原因であると理解しているのは予想外だったが。
「ずっと一人だった。親に捨てられて、友達もできなくて、拾ってくれる人もいるわけがなくて。ゴミを漁って生きてきた。食べるものが無い日の方が、多かった。人には言えないことも、沢山」
「だから、そんなもの持ってたんだね」
「頼れるのは自分だけだ、って分かったから。自分の身は、自分で守るしかないから」
「……すまなかった」
「今更あんたが謝ったって、何かが変わるわけないじゃん。やめてよ」
言葉の全てが心を抉る。色を失った彼女の瞳には、炎に照らされる銃が映っていた。
「女神なんて信じられるわけがなかった。信じても、何も変わらなかったから」
「だからループを回避できたのか」
「笑えるよね。アイツを信仰してないお陰で、助かるだなんて」
「でも、今までよく無事だったよね。女神様にも見つからずに」
「見つかったら殺されると思ったから。逃げるしかなかったのさ」
「……そんなこと、するわけねーだろ」
「どうだかね。あんたはそうかもしれないけど、向こうは?」
肩をすくめて呟くピーシェに、クロワールは何も言い返せなかった。
「まあでも、生きるのには困らなかったよ。食べものを盗んだり、勝手に寝床を使ったりしても、誰も何も言わなかったからさ。そういう意味では、前より過ごしやすかったって言えるね」
「……けど、このままじゃダメだって思うんでしょ?」
「そだね。でも何より許せないのは、アイツがこの世界を望んだってことさ」
頷いて、ピーシェが缶コーヒーを傾ける。
「ねえ、クロワール」
「なんだよ」
「今のこの世界は、あの女神が願った幸せな世界だって、さっき説明してくれたよね」
「そうだ。あいつがそう望んだからな」
「なら、もし私が女神を信仰してたら、私は永遠にこの世界でゴミみたいに生きてたってこと?」
「……かも、しれないな」
「あはは、やっぱりそっか」
乾いた笑い声を上げながら、ピーシェが真っ暗な空を仰いで、
「ふざけるな」
冷たく吐き捨てると共に、空になった缶を後ろへ投げた。
「私がどうなろうと、アイツは知ったこっちゃないんだ」
「ピーシェ……」
「変わらない日々が幸せだって言うのなら、私はあのまま生きていた方が幸せだったのか?」
その問いかけに、クロワールは何も答えることができなかった。
沈黙。炎の弾ける音だけが、三人の間で響き渡る。
「……この世界が元に戻ったとしても、私が普通に生きられるなんて思ってないよ」
「そんなことないよ」
返ってきた彼女の言葉に、ピーシェが呆れた視線を向ける。
「あんたに何が分かるのさ」
「分からないよ。私は旅人だからね。でも、それはピーシェも同じじゃないの?」
「……何、を」
「どんな未来が私たちに訪れるかなんて、誰にも分からないんだ」
そうしてネプテューヌは、彼女と同じように夜空を眺めながら、
「確かに、未来ってのは怖いものだと思うよ。先の見えない、真っ暗な道みたいなものだから」
「……私は進みたくないよ。どうせ、その先に光なんてないんだから」
「でも、このままじゃずっと、君の道は暗闇に包まれたままだよ?」
炎は儚く、しかし確かにピーシェのことを照らしている。
「自分の目で確かめるまで、未来なんて誰にも分からない」
「……自分の望まない未来が訪れることも、あるでしょ」
「でも、ピーシェが望む未来が、その道の先にあるかもしれないよ?」
「それは……」
「雨が降るか、晴れになるかなんて、明日にならないと分からないんだよ」
「……きっと雨だよ。この先もずっと、永遠に」
応えるピーシェの声は、震えたものだった。
「怖いならさ、一緒に進もうよ」
「え?」
「一人で進むのは私でも怖い。でも、二人なら手を繋いで一緒に歩いて行ける」
「……それだけのことじゃないか」
「かもね。けれど、私はそうしてくれる友達がいたから、旅を続けられた」
向けられる視線に、クロワールがため息を一つ。
「勝手に手を引いて振り回してるだけだろ、お前は」
「それでも、私と一緒に着いてきてくれたよね?」
「……そうだな」
小さな呟きに、ネプテューヌがくすりと笑う。
そんな二人のことを眺めながら、ピーシェが、ふと。
「……ああ、そうだったのか」
「え?」
「私が欲しかったのは、普通の暮らしや輝かしい未来じゃない。そうやって一緒に歩いてくれる、ずっと隣で手を握ってくれる、仲間だったんだ」
恵まれた豊かな生活でもなく、暗闇の先にある不確かな光でもなく。
未来へと続く道を共に踏み出す、隣に居てくれる存在。
手を握ってくれるだけで、未来への一歩を踏み出す勇気をくれるような、そんな。
「……決まりだね」
「うん」
こくり、と確かに頷いたピーシェに、ネプテューヌは笑いかけて、
「君の未来を、確かめにいこう」
■