白昼幽夢 / Daydream_Revenant   作:宇宮 祐樹

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前編

■ 

 

 拝啓、この終わりのない世界へ訪れた、誰でもないあなたへ。

 私はイストワール。このゲイムギョウ界の歴史を管理する、司書の役割を持つ者です。

 

 そのきっかけを語ることは、私にはできません。

 私の知らない予兆があったのかもしれませんし、彼女がふと願った、それだけのことだったのかもしれません。ただ一つだけ確かなのは、それはすでに起こってしまい、もう先に進むことも、後に戻ることもできないということです。

 崩壊と呼ぶには優しすぎるものでした。ですが、終焉と呼ぶにはあまりにも残酷でした。

 希望も無く、終わりすらも迎えられなくなった彼らを、私は見届けることしかできませんでした。

 それが『歴史を管理する』という、私の役割でしたから。

 

 事の顛末を、ここに記しておきます。

 端的に言ってしまえば、ある一日のループでした。

 何の変哲もない平凡な一日でした。大きな事件や事故もないありふれた日常。

 だからなのでしょう。きっと彼女は、こんな日々を望んでいたんだと思います。

 呆れるくらいに退屈で、平和だということすらも忘れてしまいそうな、静かな日常。

 それが永遠に続けばいいと、女神でありながら――いえ、女神だからこそ、願ったのでしょう。

 ループが始まったのは、その日からでした。次の日もまた次の日も、同じ一日の繰り返し。

 人々は同じ日常を繰り返し、永遠に静かな日々を送り続ける。

 当然ながら、そのことに気が付いたのは一人もいませんでした。

 

 ただ、私だけはこのループを記録していました。

 私は歴史を管理する司書であり、神代に作成された機構(システム)ですから。

 ですが、私ができることはそれだけでした。

 起きている現象に干渉することなど、私にはできるはずもありません。

 プラネテューヌの女神である彼女自身が、こうした結末を望んだ、ということも含めて。

 

 ループが続いているにも関わらず、人々は平和な日々を過ごしていました。

 いいえ、元々は彼女らが願ったことなのですから、当然のことかもしれません。

 繰り返す毎日を同じように迎え入れ、同じように過ごし、同じように眠りに就く。

 永遠に繰り返される、平穏な日常。確かにそれは、完全な平和と言えるのかもしれません。

 そういう意味では、彼女は自らの手で、このプラネテューヌに平穏を齎したのです。

 でも。

 繰り返す日々を同じように生きる人々は、果たして生きていると言えるのでしょうか。

 

 ……私には、彼女らが亡霊に見えて仕方がないのです。

 永遠に続く平穏という白昼夢に囚われた、亡霊。

 この先もずっと、こんな世界が続いていくと思うと、私は。

 

 生きるということは、変わるということです。

 どんなに辛く、苦しいことがあっても、その変化を受け入れて人々は生きていくのです。

 ですが変化を拒んだその瞬間、人々は生きる意味を失い、ただの亡霊となってしまう。

 その成れの果てが、この世界です。

 

 私は役割を失いました。

 最早、記録は意味は持ちません。変化を書き留める必要がなくなってしまいましたから。

 ある意味でこの世界は、彼女の望み通りに完成したのです。

 変わりようのない静かな日々と、そこに彷徨う亡霊のような人々という形をとって。

 

 ここにはもう、何もありません。ですから、どうか早々に立ち去ってください。

 あの亡霊のように、永遠を彷徨う屍のようになりたくなければ。

 

 私は、そうしました。

 生き続けるために。

 

■ 

 

「……くそ」

 

 切断。視界にノイズが走り、クロワールの意識が現実へと引き戻される。

 最初にあったのは後悔だった。短くなった髪を書き上げて、荒く息を吐く。

 いつも通り適当に座標を設定したら、まさかこんなところに着地するとは。

 この時だけ、クロワールは自らの杜撰(ずさん)な性格を恨んでいた。

 

「なんだって、こんなところに……」

「クロちゃん?」

 

 吐き捨てたその言葉に反応したのは、ネプテューヌだった。

 心配そうな表情を浮かべながら、こちらの顔を覗いてくる。

 それが鬱陶しくて、顔を明後日の方へ背けると、彼女は口を尖らせながら続けた。

 

「どうしたの、なんだか変だよ?」

「何がだよ」

「さっきからぼーっとしてたし。ほんとに大丈夫?」

「別に。どうってことねーよ」

 

 変なところで勘が鋭いのは、こちらもあちらも変わらないらしい。

 そんな様に辟易とするクロワールが、もう一度ため息を吐いた。

 

「それにしても、雨だなんてツイてないね」

「…………」

「別に、嫌いってワケじゃないんだけどさ」

 

 ビニール傘の向こうに広がる曇天を眺めながら、ネプテューヌがそんなことを呟く。

 さあさあと振り続ける雨は、勢いを弱める気配もなく、ネプテューヌの足元を濡らしていく。

 街並みは静けさに包まれていて、雨音だけがビルに反射してぼんやりと響き渡る。

 しんみりとした空気感。穏やかな陽気とは違う、艶やかな落ち着いた空気。

 ただ、そのどれもが今のクロワールにとっては、ひどく不快なものであった。

 

「行くぞ」

「え?」

「時間のムダだ。ここにはもう、なんもねーんだからな」

「ちょ、ちょっとクロちゃん!」

 

 急いで立ち上がるネプテューヌが、立ち去り始めようとする彼女の後を追う。

 

「いくらなんでも早すぎるよ! もっといろいろ探検しないの?」

「だから、そんなことしてもムダだっての」

「そんな……! いつものクロちゃんだったら『なんかおもしれ~ことでもね~かな~?』って、勝手にそこらへんウロウロし始めるのに!」

「……ちょっと待て。それ、俺のマネしてんのか?」

「うん、そうだけど?」

「だったらもう少し、似せる努力とかしろよな」

「と、とにかく!」

 

 がし、とネプテューヌが勢いよく、クロワールの羽根を掴む。

 

「いっ……お前、羽根はやめろって何度も言ってるだろ!?」

「ごめんごめん! でもやっぱり、ちょっとだけ探検しようよ!」

「だからムダだってわかんねーのかよ! ほら、さっさと行くぞ!」

 

 どうしてこうもワガママで、自分勝手なのか。

 今一度クロワールが疑問に思ったが、その答えはすぐに見つかった。

 彼女はどうあがいても、ネプテューヌなのだ。

 ならば、仕方のないことだった。

 

「……ねえ、クロちゃん」

 

 至った回答に頭を抱えていると、ネプテューヌが静かにそう問いかけてくる。

 

「なんだよ」

「私のこと、置いて行かないの?」

「はぁ?」

 

 苛立ちを含んだ声と共に、クロワールが彼女の方へと向き直る。

 浮かべるネプテューヌの表情は、不安に満ちた曖昧なものだった。

 

「いつもだったら、早くしないと置いてくぞー、なんて言ってくるのにさ。今日は言わないよね。なんだか、なんとしても私をここから追い出そうとしてる感じがするよ?」

「……今はそういう気分じゃねえってだけだよ」

「じゃあ、こっちに来てからしばらくぼーっとしてたのは、なに?」

「お前には関係ねーだろ。ちょっとボケっとしてたくらいでうるせーんだよ」

「だったら、ここにいてもムダだ、っていうのは?」

「それはだな……」

「……どうして、ムダだって分かるの?」

 

 すると彼女は、クロワールの瞳をじっと見つめながら、

 

「もしかしてクロちゃん、ここに来たことあるんじゃないの?」

 

 沈黙。見つめ合う二人を、雨音が包み込む。

 焦りはなかた。後ろめたさも。後悔すらも感じていない。

 ただクロワールの中にあったのは、諦めにも似た奇妙な感情だった。

 それと、僅かな懐かしい感覚。それは同時に、忌々しさを想起させるもので。

 

「……だったら、なんなんだよ」

「え?」

「もし俺がここに来たことがあるとして、お前になんの関係があるんだよ」

 

 クロワールにとって、ネプテューヌという人間は、旅人から一番遠い存在であった。

 いつもそうだ。行く先で起こった事件に自分から突っ込んで、なんとか解決しようとする。

 そこで手に入れた栄光も賞賛など、全て彼女の手に残らないと、知っているはずなのに。

 英雄になろうが、救世主になろうが、再び旅路へ戻れば、また旅人からやり直し。

 旅人とはそういうものだ。結局、旅人は旅人以外の何者にもなれないのだ。

 だから。

 

「お前は一体、何になろうとしてるんだよ」

 

 その問いかけに、ネプテューヌは一度だけ顎に手を当てて考えたあと、

 

「私は、自分に正直になりたいだけだよ」

 

 何の気もなしに、そう告げた。

 

「……は?」

「困ってる人がいたら、助けたい。そうすることでみんなが喜んでくれたら、私も嬉しい」

「バカかお前。今までそうしてきて俺たちが得したこと、あったかよ」

「ないよ。でも、そうしてきた人たちは、みんな笑顔で私たちを送り出してくれた」

 

 話にならない。価値観が違いすぎる。

 クロワールは、ネプテューヌのこういうところが嫌いだった。

 その在り方がまるで、女神を思わせるから。

 

「……俺が、困ってるように見えたのかよ」

「うん」

 

 なんの気もなしに頷く彼女へ、クロワールが舌を打つ。

 

「それにクロちゃん、ちょっと思ってたんじゃないの?」

「なにを」

「私ならきっと、なんとかしてくれる、ってさ」

 

 自信満々に言い放つネプテューヌに、クロワールは、ただ。

 

「……そう、か」

「え?」

「思えば俺は、そういう未来を望んでたのかもしれないな」

「く、クロちゃん?」

 

 あの記録を残したことも。偶然にも、こんなところに辿り着いたことも。

 出会ったことすらも、全ては今この時のためなのかもしれない。

 それこそが運命――あるいは、彼女から自分へ送られた、呪いか。

 ぼんやりとした表情を浮かべながら、彼女はネプテューヌの前にふわりと浮かんで、

 

「ついて来い」

「……どこに、いくの?」

 

 不安と共に投げられた問いかけに、クロワールは一言。

 

「アイツの夢を、終わらせに行くんだよ」

 

 

 寂れた廃ビルの非常階段を昇りながら、ネプテューヌがつまり、と一つ置いて、

 

「ここはクロちゃんの故郷だった、ってこと?」

 

 果たして故郷と呼ぶべき場所なのか、あるいは自分がそう呼びたくないだけなのか。

 浮かんだ曖昧な疑問を呑み込んで、クロワールは頷いた。

 

「元々は普通の街だったんだ。どこにでもあるような、それこそお前の故郷みたいな」

「……でも、今はそうじゃないんだよね」

「ああ。どいつもこいつも、亡霊みたいになっちまった」

 

 傘に着いた雫を払いながら、ネプテューヌが階段の外へと目を向ける。

 曇天の下に広がる風景は、何の変哲もないプラネテューヌの街並みであった。

 決して寂れているわけでもなく、かといってそこまで賑わっているわけでもない。

 他の次元と同様の、どこにでもあるような、至って普通の街の一つ。

 ただ、ネプテューヌはそんな景色に、奇妙な懐かしさを感じられずにはいられなかった。

 行方の知れない郷愁。揺蕩うような感覚が、胸の奥に広がってゆく。

 

「呑まれるんじゃねえぞ」

 

 クロワールの放ったその一言に、ネプテューヌがはたと我に返る。

 

「どこまで似ていようが、ここはお前の故郷でもなんでもねーんだからな」

「……うん。分かってるよ」

「どうだかな。もしお前がそれに捕まっても、助けてやらねーぞ?」

「それこそ、どうだか、だよ」

 

 非常階段の手すりに背中を預け、ネプテューヌがくすりと笑う。

 

「とりあえず、今までの話を纏めると、この世界は一日がループしてるんだよね?」

「正確には時間軸の繰り返しと存在の固定保存の合わせ技だな」

「……っていうと?」

「アイツらが歳を取ることはないし、何かに干渉されもしない」

「んー、ピンと来ないかも。もっと分かりやすく!」

「そうだな……背景みたいなモン、って言えば分かるか? たとえば俺たちが登場人物だとして、アイツらやこの世界はその背景……つまり、こっちからじゃ手出しできないってワケだよ」

「ふむふむ」

 

 果たして上手く伝わったかは分からないが、彼女はとりあえず首を縦に振ってくれた。

 

「で、そこまで分かったとして、お前はどうするつもりだ?」

「そうだなあ……とにかく、もっと探検してみようよ」

 

 よっ、とネプテューヌが手すりから身を起こして、階段を昇り始めた。

 

「だから、無駄だって。さっきも言った通り、ここには何にもねーんだからよ」

「そんなの分かんないよ? もしかすると、ループしてない人が見つかるかも!」

「……いるわけねーだろ、そんなヤツ」

 

 何百、何千ものループを観測したクロワールにとっては、呆れた戯言にしか聞こえなかった。

 ただ同時に、そんな奇跡を誰よりも望んでいたのも、彼女だけであった。

 

「あきらめちゃ、ダメ、だよっ、クロちゃん!」

 

 なんて、片足ずつでぴょんぴょんと遊びながら、ネプテューヌが階段を上がっていく。

 

「……諦めてなんかねーよ」

 

 非常階段の外側、柵の向こうで浮かぶクロワールは、小さく呟いた。

 

「とうちゃーく!」

 

 やがて屋上に辿り着き、ネプテューヌが叫びながら再び傘を開く。

 長らく使われていない廃ビルであった。塗装は所々が剥がれ落ち、コンクリートには雨の跡が残っている。うーん、と一通り周囲を見回すと、ネプテューヌはふぅ、と息を吐いてから、ぽつりと。

 

「なんにもないね」

「だから言ってるだろ」

 

 傘に入ったクロワールが、呟きに答えた。

 

「駐車場だったのかな」

「確か……そうだな。数年前に売り払われてたところだったはずだ」

「なら丁度いいや。ここ、私たちの拠点にしようよ」

「はあ?」

 

 間の抜けた声を上げる彼女をよそに、ネプテューヌがよっ、とビルの縁へ腰を下ろす。

 

「拠点って……そもそも俺たちに用意するモンなんてねーだろ?」

「そんなことないよ? もしはぐれちゃった時とか、ここに集まっておけば合流できるし」

「……お前、そんなこと考えたこと一度もねーだろ」

「それに、さ」

 

 すると彼女は、後ろに広がる街並みへと振り返って、

 

「ここからの眺め、私は好きだな」

 

 淡い紫の瞳には、雨の向こうに佇むプラネタワーが映っていた。

 

「……あそこに、女神様がいるんだよね」

「お前と同じ名前のヤツがな」

「そっか」

 

 ぼんやりとその影を望む彼女の横顔は、何も語ってはくれなかった。

 

「お前は、どう思う?」

「なにが?」

「この次元のことだよ」

 

 自分でも呆れるほど曖昧な問いかけに、クロワールが心で後悔する。

 そんな彼女に気づくはずもなく、ネプテューヌは少しだけ間を置いてから、語り始めた。

 

「いつまでも続く平和な日々っていうのは、確かに幸せなことだと私は思うよ」

「……お前も、そう思うのか?」

「うん。私もたまに考えるもん。こうして冒険してるより、普通に生きている方が絶対に楽だって」

「意外だな。お前がそんなこと思ってるなんて」

「かもね。でも、どうしたって私は人間だから。怖いものは怖い」

 

 でもね、とネプテューヌは、クロワールの方へまっすぐと向き直って、

 

「怖いからって足踏みをしても、何かが変わるわけじゃないんだ」

「……ああ、そうだな」

「だから、進まなくちゃ。何かを失うことがあっても、誰かと別れることになっても」

「でも、悲しくならないのか?」

「そりゃ悲しいよ。でもさ、悲しくなって踏みとどまっても、その悲しみがなくなるわけじゃない。次の一歩を踏み出さない限り、永遠にそれは消えないんだと思うな」

 

 そうして彼女は、鈍色の空を見上げてから、深く息を一つ。

 

「もしかすると、だから私は旅を続けてるのかもしれないね」

 

 少しの沈黙。そのあとに、ネプテューヌがくすりと笑みを溢す。

 

「なんだか恥ずかしいな、クロちゃんとこういう話するの」

「……いいと思うぜ、俺は」

「やっぱり今日のクロちゃん、なんだか変だよ」

「うるせーよ」

「ふふ」

 

 吹き出した彼女に、クロワールが口を尖らせる。

 

「けど、安心したぜ。お前もアイツと同じ考えだったら、って思ったからな」

「理解はできるよ。でも、私はそうとは思わないだけ」

「それでいいんだよ。お前は、お前のままで」

「……やっぱり、今日のクロちゃん、なんだかおかしいよ?」

 

 素直になれなくなったのは、いつからだろう。

 世界の全てが陳腐に見えたのは、どこからだろう。

 それも今なら思い出せるか。或いは、元に戻りつつあるのか。

 もしかすると、この郷愁に呑まれているのは――

 

「……だれ?」

 

 聞き覚えのない少女の声が響いたのは、その時だった。

 突如として耳に入る呟きに、ネプテューヌとクロワールが非常階段の方へ振り返る。

 二人の視線の先に立っていたのは、傘を持った十五、六ほどの齢の少女であった。

 瞳の色は翡翠。腰までに伸びる髪は、後頭部で一つに纏められている。

 服装は黄色いパーカーで、逆の手には荷物の入ったビニール袋を抱えていた。

 

「……え?」

 

 流れた静寂は、ネプテューヌの呟きによって崩される。

 その瞬間、少女が傘とビニール袋を投げ捨てて、パーカーのポケットへ手を入れた。

 次に見えたのは、こちらへ向けられた拳銃の鈍い輝きで。

 

「動くな!」

「ちょっ、ちょっと!?」

「だから動くな! それと勝手に喋るなっ!」

「わかった! わかったから!」

 

 かたかたと細かく震える銃口に、ネプテューヌが慌てて両手を上げる。

 ビニール傘が情けなく地面を跳ねて、紫の髪に雫が滴り始めた。

 

「……あんたら、誰?」

「私はネプテューヌ。こっちはクロちゃん。二人で次元を旅してるんだ」

「ネプ、テューヌ……?」

 

 ぽつりとその名前を口にしたかと思うと、すぐさま彼女は銃を強く握り直す。

 

「あんたら……もしかして、あのクソ女神の……!」

「違うよ! 私たちはただの旅人! ちょうどさっきここに来たばっかりなんだって!」

「旅人……?」

 

 疑いの視線は晴れない。だが、濡れた引き金が引かれることもなかった。

 硬直。頬を伝う雨を拭うことすらもできない緊張が、ネプテューヌの全身に走る。

 やがて沈黙を破ったのは、彼女からだった。

 

「……この街は、六年前からおかしくなっちゃったんだ」

「六年……そんなにも前なのか?」

「そんなにもって……ちっこいの、なんか知ってるの?」

「知ってるも何も、俺は元々ここの住人だよ。お前だって、見覚えあるんじゃねえのか?」

「……あんたみたいなヤツ、知るもんか」

「少なくとも、俺みたいなヤツは知ってると思ったんだがな」

 

 未だに向けられる鋭い視線に、クロワールは疲れたように息を吐いてから、

 

「こうやって話す方が、あなたには馴染み深いかもしれませんね?」

 

 普段とはかけ離れた優しい声色に、少女の目が見開かれた。

 

「なんで、あんたがここに……」

「ああ、よかったです。これで分からなかったら、目も当てられないことになりましたから」

「……どういうことなのさ、一体」

「困惑する気持ちは分かります。私だって今、とても驚いているんですから」

「そんなこと、言われたって……」

「でも、これだけは伝えさせてください」

 

 するとクロワールは、雫を纏うの銃口をものともせず、彼女の前に進んで、

 

「今まで一人にしてしまい、申し訳ありませんでした」

 

 ゆっくりと、その小さな頭を下げた。

 

「……は?」

「私は逃げたんです。生きるために。情けない話にはなりますが」

「あんた、何言って……」

「けれどもう、私は逃げません。あなたを二度と、一人にもしません」

 

 そしてクロワールは、少女の瞳をまっすぐと見つめながら、

 

「だからどうか、俺たちを信じてくれ」

 

 敵意はもう無かった。それよりも、疑問の方が上回っているのだろう。

 そんな一連の流れを眺めていたネプテューヌは、少し意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

「なーに、クロちゃんって元々は敬語キャラだったの?」

「うるせーよ」

「えー、いいじゃん! かわいかったんだし、絶対そっちの方が似合ってるよ!」

「……俺には似合わねーよ」

 

 こんな変わり果てた姿になってしまったことが、何よりの証拠であった。

 

「とにかくだ。俺とお前は話が通じる。それだけで信頼に足る理由にはなるはずだ」

「……仲間、って思っていいの?」

「君がそう思ってくれるなら、ね?」

 

 笑いながら答えるネプテューヌに、少女は拳銃を構えたまま動かない。

 再びの沈黙が流れる。しかしそれは張り詰めたものではなく、何かを探るようなもので。

 そして。

 

「もういい。手、降ろしなよ」

 

 言われるがまま、ネプテューヌが両手をすとんと下ろす。

 少女が気の抜けたように座り込んだのは、それと同時だった。

 

「なんなのさ、あんたたち……」

「さっきも言った通り、旅人だよ! そして今は、君の仲間!」

「そういうことじゃ……ああ、いいや。なんでもないよ、もう……」

 

 つまらなさそうな視線を拳銃へ向けたかと思うと、少女がそれを近くへ投げ捨てた。

 

「撃たなくてよかったよ。人を撃ったことなんてないから」

「私も撃たれることにはまだ慣れてないから、お互い様だね」

「……どういうことさ?」

 

 答えが返ってくることはなく、傘を拾ったネプテューヌが少女の前へ立つ。

 

「ささ、君もこっち来て! 一緒にお話しようよ」

「ちょっとあんた、勝手に……!」

「あ、クロちゃん火ってあったっけ? それとご飯の準備もしないとね!」

「構わねーけどよ、もう少し探検するんじゃなかったのか?」

「それよりも、せっかく増えた仲間と親睦を深める方が大切だよ!」

 

 好感度も稼げるしね! なんて口走る彼女に、少女が呆れた視線を向けた。

 

「……食料は、そこに入ってるよ。缶詰ばっかりだけど」

「おお! じゃあ、今日は私が腕によりをかけちゃうよ!」

 

 自信満々に腕まくりを始めたネプテューヌが、ビニール袋を持ちながらふと問いかける。

 

「そういえば、聞いてなかったよね」

「……何を?」

「名前だよ! 仲間なんだから、それくらい教えてくれてもいいよね?」

「ああ、そっか」

 

 思い出したように少女は答えたかと思うと、

 

「私、ピーシェって言うんだ」

 

 

 廃棄された駐車場、その最上階の片隅にて。

 炎に照らされる髪を後ろで一つに纏めながら、ネプテューヌが口を開く。

 

「それで、ピーシェ?」

「なに?」

「どうして君だけ、ループの影響を受けてないの?」

 

 黙って聴いていたクロワールは、しかしながら大方の予想はついていた。

 この世界を取り巻く現象の全ては、シェアエネルギーの逆流によって引きこされている。

 人々の捧げる信仰を伝うことで、彼女の意思によってこの現象を発現させる仕組みだ。

 少々陳腐な例えにはなるが、()()()()()()()と言えば分かりやすいか。

 だから彼女を信仰している限り、このループから逃れることはできない。

 しかし、逆を言えば。

 

「……私は、アイツのことが嫌いだったから」

「そうか」

 

 予想通りの返答に、クロワールが首を縦に振る。

 シェアエネルギーが原因であると理解しているのは予想外だったが。

 

「ずっと一人だった。親に捨てられて、友達もできなくて、拾ってくれる人もいるわけがなくて。ゴミを漁って生きてきた。食べるものが無い日の方が、多かった。人には言えないことも、沢山」

「だから、そんなもの持ってたんだね」

「頼れるのは自分だけだ、って分かったから。自分の身は、自分で守るしかないから」

「……すまなかった」

「今更あんたが謝ったって、何かが変わるわけないじゃん。やめてよ」

 

 言葉の全てが心を抉る。色を失った彼女の瞳には、炎に照らされる銃が映っていた。

 

「女神なんて信じられるわけがなかった。信じても、何も変わらなかったから」

「だからループを回避できたのか」

「笑えるよね。アイツを信仰してないお陰で、助かるだなんて」

「でも、今までよく無事だったよね。女神様にも見つからずに」

「見つかったら殺されると思ったから。逃げるしかなかったのさ」

「……そんなこと、するわけねーだろ」

「どうだかね。あんたはそうかもしれないけど、向こうは?」

 

 肩をすくめて呟くピーシェに、クロワールは何も言い返せなかった。

 

「まあでも、生きるのには困らなかったよ。食べものを盗んだり、勝手に寝床を使ったりしても、誰も何も言わなかったからさ。そういう意味では、前より過ごしやすかったって言えるね」

「……けど、このままじゃダメだって思うんでしょ?」

「そだね。でも何より許せないのは、アイツがこの世界を望んだってことさ」

 

 頷いて、ピーシェが缶コーヒーを傾ける。

 

「ねえ、クロワール」

「なんだよ」

「今のこの世界は、あの女神が願った幸せな世界だって、さっき説明してくれたよね」

「そうだ。あいつがそう望んだからな」

「なら、もし私が女神を信仰してたら、私は永遠にこの世界でゴミみたいに生きてたってこと?」

「……かも、しれないな」

「あはは、やっぱりそっか」

 

 乾いた笑い声を上げながら、ピーシェが真っ暗な空を仰いで、

 

「ふざけるな」

 

 冷たく吐き捨てると共に、空になった缶を後ろへ投げた。

 

「私がどうなろうと、アイツは知ったこっちゃないんだ」

「ピーシェ……」

「変わらない日々が幸せだって言うのなら、私はあのまま生きていた方が幸せだったのか?」

 

 その問いかけに、クロワールは何も答えることができなかった。

 沈黙。炎の弾ける音だけが、三人の間で響き渡る。

 

「……この世界が元に戻ったとしても、私が普通に生きられるなんて思ってないよ」

「そんなことないよ」

 

 返ってきた彼女の言葉に、ピーシェが呆れた視線を向ける。

 

「あんたに何が分かるのさ」

「分からないよ。私は旅人だからね。でも、それはピーシェも同じじゃないの?」

「……何、を」

「どんな未来が私たちに訪れるかなんて、誰にも分からないんだ」

 

 そうしてネプテューヌは、彼女と同じように夜空を眺めながら、

 

「確かに、未来ってのは怖いものだと思うよ。先の見えない、真っ暗な道みたいなものだから」

「……私は進みたくないよ。どうせ、その先に光なんてないんだから」

「でも、このままじゃずっと、君の道は暗闇に包まれたままだよ?」

 

 炎は儚く、しかし確かにピーシェのことを照らしている。

 

「自分の目で確かめるまで、未来なんて誰にも分からない」

「……自分の望まない未来が訪れることも、あるでしょ」

「でも、ピーシェが望む未来が、その道の先にあるかもしれないよ?」

「それは……」

「雨が降るか、晴れになるかなんて、明日にならないと分からないんだよ」

「……きっと雨だよ。この先もずっと、永遠に」

 

 応えるピーシェの声は、震えたものだった。

 

「怖いならさ、一緒に進もうよ」

「え?」

「一人で進むのは私でも怖い。でも、二人なら手を繋いで一緒に歩いて行ける」

「……それだけのことじゃないか」

「かもね。けれど、私はそうしてくれる友達がいたから、旅を続けられた」

 

 向けられる視線に、クロワールがため息を一つ。

 

「勝手に手を引いて振り回してるだけだろ、お前は」

「それでも、私と一緒に着いてきてくれたよね?」

「……そうだな」

 

 小さな呟きに、ネプテューヌがくすりと笑う。

 そんな二人のことを眺めながら、ピーシェが、ふと。

 

「……ああ、そうだったのか」

「え?」

「私が欲しかったのは、普通の暮らしや輝かしい未来じゃない。そうやって一緒に歩いてくれる、ずっと隣で手を握ってくれる、仲間だったんだ」

 

 恵まれた豊かな生活でもなく、暗闇の先にある不確かな光でもなく。

 未来へと続く道を共に踏み出す、隣に居てくれる存在。

 手を握ってくれるだけで、未来への一歩を踏み出す勇気をくれるような、そんな。

 

「……決まりだね」

「うん」

 

 こくり、と確かに頷いたピーシェに、ネプテューヌは笑いかけて、

 

 

「君の未来を、確かめにいこう」

 

 

■ 

 

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