Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】   作:サクライロ

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#11. 滝の洞窟

 ふ、と澄み切った風が船を、この頰を凪いでいく。

 まだ記憶に新しい香りが鼻をくすぐり、つられて遠く岸の方を見やると、目の前には恐らく先日、ルラムーン草という魔草を求めて来たときに通った橋が見えた。

 その橋の下がちょうど、大きな滝になっている。白く降り落ちる水が冷たく飛沫を散らし、流れる風を瑞々しく湿らせていく。

「滝を潜ります。皆さん、船室の中へ」

 クラウスさんの指示に従い、それぞれが船室に入り待機した。窓の内側から外を窺えば、速度を緩やかに落としながら船がまっすぐ滝に向かって吸い込まれていくのが見える。

 ドドドド、という激しい振動とともに上から叩きつける如く圧がかかり、船が数度、大きく傾いだ。

 ──……この気配は。

 すぐに窓の外が暗がりに変わる。「着きましたよ」とのクラウスさんの言葉を合図に、僕は船室を勢い良く飛び出した。

 滝の内側は大きな空洞になっていた。がらんとした空間には静謐な空気が漂う。滝から射し込む光が洞窟内をぼんやりと照らし出し、なんとも幻想的な雰囲気を漂わせていた。

 何より、その気配に覚えがあった。この清涼な、清浄な気配は。

「…………フローラ」

 言葉に、零れ出てしまっただろうか。僕の呟きが低く、この空間に反響する。

 あまりの衝撃に、僕は立ち尽くしてしまっていた。

 洞窟内に満ちる空気が、まるで彼女そのものだったから。

 深い、癒しのような。ただ静謐で穏やかな、蒼に彩られたその世界には、清らかな気配ばかりが満ちていた。

 まるで、彼女の懐に、まるごと抱かれているような。

「──ル。ねぇ、テュールったら」

 雰囲気に呑まれていたから、ビアンカが何度も僕を呼ぶ声にも気づけなかった。肩を軽く揺さぶられ、僕はようやく、船を飛び降りて立ち尽くしていたことを悟る。

「あ……ご、ごめん」

 振り返って詫びれば、幼馴染は苦笑まじりに溜息をついて肩を叩いた。

「もう、ぼんやりしてないでよね。何? フローラさんの幻影でも見えた?」

 幻影というか。どう説明したものかわからなくて、再び空洞の天井へと視線を泳がせる。

「いや、……なんていうか。……びっくりして」

 要領を得ない返答に、ビアンカはやはり首を傾げたようだったが、その背後で幾つか停泊中の船舶に並べて帆船を固定していたクラウスさんが、興味深げに、どこか感心したように僕に呼びかけた。

「ああ、確かに。ここの雰囲気はどことなく、お嬢様に似ている気がしますね」

 彼を振り返り、共感に感謝して深く頷く。

 肺いっぱいに澄んだ空気を取り込めば、彼女がたった今、隣に立っているような錯覚にさえ陥る。

 ──……こんなところがあるなんて。

「村に越してきてだいぶ経つけど、水門の先にこんなところがあるなんて知らなかったな。綺麗ね……」

 僕の隣に並び立ち、ビアンカもまた天井を見上げて、呟いた。

「中はもっと綺麗なんですよ。如何しましょう、すぐに探索に行かれますか?」

 クラウスさんの言葉に僕は再び頷き、いざ探索の準備を整えるため、今一度船の中へと戻った。

 

 

 

 クラウスさんには引き続き船を守っていただくことにして、洞窟内の探索には僕と、火属性の魔法に特化したマーリン、さすがに暇を持て余したスラりん、そしてビアンカと、その守役にプックルをつけた五名で臨むことになった。

 ガンドフはすっかり船が気に入ってしまったみたいで、名残惜しげに首を振って動こうとしなかった。まだアンディを冷やし続けた疲れも残っているのだろうから、軽く労って休息に宛ててくれるよう頼んだ。

 ガンドフ一人では荷が重いこともあるかもしれないので、念の為、今回もピエールに残ってもらう。

「さほど深い洞窟ではありませんし、大した魔物も棲み着いてはいませんから、一日あれば粗方見られるかと思います。我々が把握していない隠された場所があれば別ですが……」

 洞窟の様子をわかる範囲で教えてもらい、とりあえず一日経って誰も出て来なければ、ピエールに確認に来てもらうよう取り決めをして。いよいよ僕達は船を離れ、洞窟の中へと入っていった。

「……うわぁ、すご──い!」

 水が張り巡らされた石の回廊を通り、二つ目の洞穴を潜り抜けたところで、ビアンカが感嘆の声を上げた。

 僕も、仲魔達もまた息を呑んだ。──目の前には、入り口よりももっと深く、海の中にでもいるような蒼の世界が広がっていたのだ。

 足元は岩の通路が連なっていたが、その下には澄んだ水がゆらゆらと揺蕩っていた。高い岩天井からは、光と共に零れ落ちる幾筋もの滝。さらさらと降り続く、雨音のような滝の音に埋もれながら、そこかしこで跳ね返る雫が軽快な音楽を奏でている。

「すごい、すごいねテュール! 私、こんな綺麗なところ初めて!」

 まるで子供のようにはしゃぐビアンカが、見た目にそぐわずあの頃の、髪を二つ結びにしていたお転婆な少女のようで。思わず笑いをこぼしてしまう。

「ほんとだよね。レヌール城のおどろおどろしさとは大違い」

「あの時は暗かったし、お化けも本当に出るし、カビ臭いし埃っぽかったしで最悪だったよね。良くあんなところ冒険できたと思うわ! ……でも、テュールが一緒だったから楽しかったんだけどね、結局」

 少し照れ臭そうにビアンカは笑い、「プックルも、私と冒険するのは初めてよね! 嬉しい、よろしくね!」と傍を歩くキラーパンサーの首に抱きついた。プックルも満更でもなさそうな喉声で返事をする。冒険、といっても今回はあまり、強い魔物には遭遇しそうにないけれど。

「今のところ変な気配はないから大丈夫だと思うけど、万が一おかしなことが起こったり、やばそうな魔物に出くわしたらすぐに退くんだよ? 間違っても手なんか出しちゃだめだよ? 僕達でなんとかするから!」

「んもー、わかってるってば。ちゃんと安全地帯で見てて、テュールがのされたら回収してあげるわよ。安心して!」

 違うってば。

 死の火山でのことがあるからまだ不安ではあったが、とりあえずここの雰囲気は火山のそれとは大分違う。クラウスさんも言っていた通り、さほど強い魔物もいないように見受けられる。あとはリングの在り処に『番人』がいなければ、といったところ。

 言った端から「テュール、見てみて! 可愛い魔物突ついちゃった!」などとはしゃいでるし。本当に頭が痛い。でも、頭を抱えている場合でもないので首をぶんぶん振り、頰を軽く打って気合を入れ直した。何があっても、僕がしっかりフォローしていかなくては。

 ……本末転倒な気もするけどさ。

「よし! 行こう。ピエールに探される前に戻らないとね」

 僕の傍らで静かに頷くマーリンと、元気よく跳ね回るスラりんにそう声をかけ、「あ、ちょっと待ってよー!」と叫びながら追ってくる幼馴染を笑って交わしながら、僕達は改めて水の溢れる洞窟を進み始めたのだった。

 

 

 

 洞穴をいくつか抜けて進むと、さすがに少しずつ、手応えのある魔物も湧いてくるようになった。

 そうは言っても火山の時ほどの苦戦はなく、僕が剣を抜く前にマーリンの炎で片がついてしまうこともある。スラりんも割と暴れやすい環境のようで、実に活き活きと噛みつき回っていた。ビアンカも特製の鞭をわくわくと構えていたのだが、どうやら武器を振るうスピードでは、プックルをはじめとした仲魔達相手には分が悪いと判断したらしい。何故か途中から、マーリンとの魔法勝負のような様相となってきた。

「中々筋がよろしい。一介のヒトの身でベギラマをも習得しておられるのだな」

「一人で村の外ほっつき歩いてますからね。それに私、火の精霊とは相性がいいみたいなの! 今はこれ、練習中なのよ」

 ビアンカは得意げに言いながら両手を重ねて目の前にかざし、「サラマンダーの吐息よ、貴き焔よ。ここに宿れ!」と手短に詠唱する。彼女が言葉を紡ぎ終わる前に空気が軽く振動し、掌から大きな火球が壁に向かって勢いよく放たれた。

「ほう、メラミですな。良い火勢だ」と言いながらマーリンがビアンカに近づき、重ねた掌を示して何やら助言をする。

 ビアンカはマーリンが囁いた言葉に目を輝かせ、次に見つけた魔物に向かって早速詠唱を開始する。──合掌。

「わっ、すごいすごい! これならメラとは全然違う!」

 大喜びのビアンカと、相変わらずの澄まし顔のマーリン。そしてたった今焔に焼かれて消えた魔物の影を交互に見やり、僕はなんとも言えない心地になる。

 ……マーリンって、意外と先生気質なんだな。

 僕は風魔法にしか適性がないから教えてもらえないだろうけど、他にも火魔法に適性のある仲間が増えた時には、こんな風にマーリンから指導してもらうのも良いかもしれない。

「ねぇ! 今の見た? 私、結構強いでしょ?」

 得意満面といった表情でこちらを振り返る彼女に、いつぞやの冒険の面影を見る。

「うん、昔危うく燃やされそうになったのを思い出した」

「そんなことあったかしらねぇ?」

 こういう話題はきっちりとぼけてくるところもビアンカらしい。すぐににっこりと笑いかけると、「ね、楽しいね!」と僕を見上げて首を傾げる。

「嬉しい。テュールとこうしてまた冒険、したかったの」

 大人びた彼女がほんのりと目許を朱く染めて、噛みしめるように呟いて。

「……そうだね。またこんな風に一緒に出かけられるなんて、思わなかったから」

 僕の言葉に、またビアンカは嬉しそうに笑ってみせる。

「ふふっ。──良かった! テュールも私のこと、忘れないでいてくれて」

 そんな風に呟きながらも「あ、こっち通れるわよ! 行ってみましょ!」と僕の腕を掴んで引っ張る幼馴染の姿が、子供の頃僕の手を引いてくれた姿と重なった。

「……忘れるわけないよ。これからも、ずっと覚えてる」

 長い長い暗闇の中、縋り続けた金色の記憶。

 昔も今も変わらない。明るく全てを照らす、太陽のような。

 僕の独り言が聞こえてしまったのか、ビアンカはその時振り返らなかったけれど、金の髪を掛けたその耳朶が、微かに赤らんでいるのを見てしまった気がした。

 

 

 

 洞窟をさらに奥へと進むと、ちらりほらりと先客にも行き会うようになった。

 一体どれくらいの時間を探し続けているのか、寒さの為か顔色も悪く、疲労でへたり込んでいる者もあれば、敵意剥き出しの悪態をついてくる者も少なくなかったが、僕としては死の火山の道中ですでにそう行った手合いには慣れていたので、大して気にならない。

 たまに動けそうにない人を見つけた時には薬草を分けてあげたり、簡単な手当てを施したりしながら、僕達は更に階層を深く下っていった。

 途中途中には、一際大きな滝が遥か奈落へと落ちていく様を間近に見られる絶景の回廊があり、僕達はその都度、しばらく足を止めては水の織りなす幻想的な景色に酔いしれた。

 奥へと続く階段を数回降りた頃、ビアンカが僕のすぐ後ろで肩をぶるっと震わせた。

「あれ、寒い? ビアンカ」

 肩越しに振り返って尋ねると、ビアンカは少し困ったような微笑みを浮かべる。

「薄着すぎちゃったかしら。ここ、水場だし地下だものね」

 確かに、ビアンカは肩からほとんど肌を露出した軽装だった。外は初夏の頃で、もう汗ばむほどに暑かったが、冷んやりした空気を纏うこの洞窟でその格好では、風邪を引いてしまうかもしれない。

 念の為毛布は持ってきていたけど、水の多いこの場所でうっかり濡らしてしまったら、休憩したい時に使えなくなるし……と少しだけ思案して、僕は自分の外套の裾を、もう少し短く縛り直してから脱いだ。

「はい。いいよ、羽織ってて」

 肩を抱いて小さくなっているビアンカに差し出すと、ビアンカは目を丸くして僕と外套を見比べた。

「……いいの?」

「え? うん。風邪引かれたら困るし」

 本当にそう思ったから差し出したまでではあったが、ビアンカは尚も僕を上目遣いに見上げると、少し躊躇いがちに腕を伸ばし、外套を受け取った。

「……ありがと」

 ビアンカの手に外套が渡ったことを確認し、僕も頷き、微笑んでみせる。

 すぐにビアンカは頭から外套を羽織り、ぶかぶかの襟に口許を埋めたまま「ふふっ、あったかーい」と相好を崩した。

「そっか。良かった」

「テュールは? 私に外套貸しちゃって大丈夫なの?」

「平気だよ。伊達に筋肉ついてませんから」

 剥き出しになった腕を軽く叩いておどけてみせると、ビアンカは肩を揺らしてくすくす笑った。

「ほんと。逞しくなったねぇ」

 これでも十年、大神殿の建設現場でこき使われてきたからね。……とは言わなかったけれど、成長期をあの地獄のような場所で過ごしたことにも多少の意味を見出せるなら、あの頃の自分がわずかながらも救われる気がする。

「──こんなところに女連れとは、めでたい野郎もいたもんだぜ」

 唐突に、棘のある声を投げつけられた。

 恐らくはあの広間に集まっていたうちの一人だろう。屈強ではあるが、柄の悪そうな大柄な男が水の中に立ち、下卑た薄笑いを浮かべながら僕達を見ている。またか、と僕は気のない一瞥のみちらりと返し、「行こう」と仲魔達とビアンカを促した。

 その辺りの水の中を念入りに探っていたらしい男は、すれ違っていく僕とビアンカを嘗めるように眺め、鼻で笑う。

「知ってるか? この洞窟にはすごい指輪が隠されてるんだとよ。そいつを見つければ、金持ちのお姫さんと伝説の盾が手に入るってな。……あんた、女がいるなら指輪は必要ないんじゃないのかい」

 悪意をたっぷり込められた男の皮肉に「貴方には関係ない」と言い捨て、僕はもう彼に目もくれず、洞窟の奥だけを目指して歩を進めた。

 そんなところを幾ら探っても、水のリングは見つかりはしない。そう言ってやりたい気待ちを、ぐっと呑み込む。本当はこの清らかで美しい洞窟に、彼女の気配すら感じられるこの場所に、あんな男が居ること自体が煩わしいのだけれど──あんな奴がフローラのことを口にしただけで、腑が煮え繰り返りそうになるけれど。

 外野の言うことなど気にするな。伝承の指輪は今この瞬間にも、恐らくこの洞窟のずっと奥で、主となる人間を喚び続けているのだから。

「はっ。俺ですら手こずってる指輪を、お前みたいな色狂いに見つけられてたまるかよ」

 遠ざかっていく背後から、呪詛の如く男の低い声が投げかけられる。プックルが一際激しくグルルル、と唸ったが、首をとんと叩いてそれを宥めた。尚も好戦的なプックルを半ば引きずるように、僕達は足早にその場を離れた。

「……なんなの? あいつ、すっっっっっごいむかつく‼︎」

 そのまま、足を止めずにしばらく無言で歩き続けて。そろそろ十分離れただろうと言うところで、たまりかねたビアンカが憤ろしく叫んだ。

「いちいち相手してたらきりがないよ。放っておけばいい」

「テュールもテュールよ! 炎のリングはテュールが見つけたんでしょ⁉︎ そう言ってやれば良かったのに‼︎」

「変に逆上されたくないし……いいんだ。どうせあいつに水のリングは見つけられないよ」

 激情を露わにするビアンカに対して、僕の心は答えるほどに冷えていく。ほとんど独り言のように呟いた僕の言葉に、ビアンカが少しだけ、怪訝そうに眉根を寄せた。

「……なんで、言い切れるの?」

 ビアンカの問いかけに、僕は答えなかった。それを今、彼女に言うことにさほど意味はないような気がしたから。

「少し、休憩にしようか」

 ちょうど水場の端に、濡れずに座れそうな岩場を見つけてみんなを手招きする。スラりんは「おやつ! おやつ!」と大喜びで寄ってきたが、ビアンカは尚も釈然としない顔つきで、プックルに寄り添うようにして近づいてきた。

 黙ったまま、僕が差し出した保存食の固いスナックを受け取り、のそりとその辺に腰を下ろしたプックルの傍に暖をとるように座って──手の中の、スナックを眺めながらビアンカがぽつりと呟く。

「……テュール、一度も道を悩んでないよね」

 その囁きに、僕は黙って視線だけを返す。

 ビアンカは尚も己の手の中を見つめ、訥々と、これまで通った道を紐解くように、ひとつひとつの事象を数え上げた。

「初めて、来たのに、全然迷わないよね。他の人達に行きあっても、全然焦ってないよね。ここまでくる途中だって、一度も立ち止まって探してなかった。──船だって、もっとかかるって言ってたのに、あっという間に着いたよね。……まるで、リングがどこにあるのか知ってるみたい。……ううん、違う、リングが、テュールを────」

 そこまで言うと、ビアンカはスナックを握りしめたまま、わずかに顔を上げて僕を窺い見た。

 得体の知れない何かに、どこか畏怖を覚える瞳。

 ……そんな彼女に、苦く微笑んで僕は頷く。

「──炎のリングの時も、こうだったから」

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