Bright Azure ── 輝ける碧【DQ5主フロ】   作:サクライロ

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#12. 水の指輪

 束の間の休憩を終えて、今度はくるぶしまで浸かる程度に浅い水路の中を進んでいく。

 さっきリングへの道筋の話をしてからというもの、ビアンカはずっと無言だった。

 僕も何となく、何を話していいか分からなくて、沈黙を守ったまま歩き続けていた。

 水をかき分けるごとにぱしゃん、と響く水の音。その静けさに耐えかねたのか、ビアンカの隣を行くプックルが、がぅ、とまろやかな喉声で彼女の機嫌を窺った。

「やだ、ごめんね。……何でもないのよ」

 すぐにビアンカが傍らの毛並みを優しく撫でる。手の甲に頰を擦り付けるプックルに「優しいね」と微笑んで、彼女の視線は前を歩く僕の背中に向けられた。

「……なんか……やっぱり、長いね。十二年って」

 少しだけ振り返れば、彼女は、どこか寂しげな微笑みを浮かべて僕を見ていた。

「急に知らない人みたいな顔するんだもん。……びっくりしちゃった」

「そう、かな……ごめん」

 遠慮がちに告げた詫びの言葉に「ううん」とビアンカが短く首を振る。

「いいの。──私こそ、変なこと言ってごめんね」

 それきり、洞窟の奥深いその場所には暫し、ひたひたと流れる水の音と、その水を踏んでいく跳ねた音だけが静かに響いて。

「……母さんも、死んじゃったしさ」

 長い長い空白の後、ぽつりとビアンカが零した。

 今度は僕が歩幅を緩め、ビアンカと隣り合うように並んで、その横顔を覗き込んだ。

「すっごい、元気だったのよ。本当に突然……村に引っ越しして、家も建ててやっと落ち着いてきてさ。宿屋は手放しちゃったけど、ここで父さんの身体を治して、また一から頑張ろうねって言った矢先だったの。……風邪引いて、起きてこないなって思ったら。──ほんと、人生って何が起こるかわかんない……」

「……そっか」

 淡々と口にするビアンカの言葉に小さく頷き、耳を傾ける。

 村を出たあの日、ダンカンさんが言っていた「ビアンカも寂しいんだよ」という言葉がふと、脳裏をかすめた。

「パパスおじさまも亡くなられたって言うし。──テュールは結婚しちゃうし、……なんだか、私だけ取り残されていくみたいで」

「待って、まだしてないから結婚‼︎ 多分すぐには無理だから絶対‼︎」

 不意打ちで蒸し返された話題に瞬間的に頭が沸騰する。赤面顔もそのままに大声で即時訂正を求めると、ビアンカは一瞬ぱちくりと目を瞬かせ、次いで勢いよく噴き出した。

「……ぶっ、あはっ、あはははははは! んもぅ、やっぱりテュールはそうでないと!」

「そうでないとって何⁉ こないだから散々冷やかし尽くしてるだろ、そろそろこういうのやめてくれよ!」

 僕達の他には誰もいないその階層に、ビアンカの盛大な笑い声と僕の必死の懇願、というか絶叫が響き渡った。少し先を跳ねていたスラりんまで、吃驚して水溜りに転々と転がる始末。さっきの男のところまで聞こえているんじゃないか、これ。

「……はあぁ。思いっきり笑ったらなんかすっきりした!」

 尚も笑いを堪えつつ、目尻を軽く拭って、ビアンカがいつもの眩しい笑顔を僕に向けてくれる。

「よーっし、気を取り直して頑張るわよ! 早く水のリングを手に入れて、あんなやつ鼻で笑ってやればいいわ!」

「あんなやつって、さっきのむかつく男のこと?」

「決まってるでしょ⁉︎」と、ビアンカは鼻息も荒く険しい顔つきで振り返る。

「テュールに舐めた口きいた上に、私のお尻を触ったのよ? 絶っっっ対に後悔させてやるんだから‼︎」

「は?」

 思わず間抜けな声が出た。誰が、誰の尻を触ったって?

「ああ、やっぱりテュール気づいてなかったのね。あいつ、すれ違いざまに私のここ、撫でていったのよ! こう、さわさわっと!」

 怒りの形相のビアンカが、羽織った紫の外套の上から腰の下あたりをぱんぱん叩いて示してみせる。女性がそんなところを指しているのを見るのはそれこそ赤面ものなのだが、呆気にとられた僕には最早「はぁ」などという間抜けな声しか出せない。

 ……こんなこと言ったら張り飛ばされるだろうから絶対に言う気はないが、この女丈夫の尻を触るとは、寧ろなんと無謀な豪傑漢か。

「うあぁ、思い出したら鳥肌が……あー気持ち悪いったら! プックルは気づいてくれたよねー、怒ってくれたもんねー。テュールよりよーっぽど頼りになるねー」

 さらに愕然とする僕を尻目に、喜んでいるのかビアンカの怒りに同調しているのか、がぅがぅ! とプックルが前足を跳ねさせて吼えると、僕に当てつけるが如く、ビアンカがにこにことプックルを撫で回した。

 確かに僕は、ビアンカの不快に全く気づかなかった。これは僕の落ち度だと思う。……でも。

「……メラくらいなら正当防衛だったんじゃないの。ちょっとだけ燃やしてやれば良かったのに」

 すぐに言ってくれたら抗議くらいしたのに。そんな恨みがましさも込めて小声で言い返すと、ビアンカは一層冷たい目でじとりと僕を睨んで言った。

「それ、フローラさんが同じ目にあっても言える?」

「…………ごめんなさい」

 それ以上何を言えるわけもなく、僕はあっさり観念してビアンカの御前に頭を垂れた。

「まったくもう。テュールも、今後女の子を連れて歩くときはもっと気をつけなさいよね!」

 否、今も自発的に連れて歩いているつもりはないんだが。

 とりあえず僕を言い負かしたことで気が済んだらしい。締めの駄目押しで僕をしっかり叱りつけ、得意げに宙を仰ぐと「さっ、そんなわけだから、とっとと水のリングを手に入れてあの下衆男の鼻を明かしてやりましょ!」と、ビアンカが実に楽しそうに微笑んだ。

 ──したたか、だよなぁ。

 その笑顔から視線を泳がせて逃し、苦笑いに口元を歪ませながら僕はぼそりと呟いた。

「……気持ちは嬉しいけど、多分逆効果だから、やめたほうがいいと思うよ……」

 

 

 

 一層重厚な、清らかな気配が次第に近づいて、足取りが軽くなるのを感じる。

 もうどれくらい潜っただろうか。地下の奥の奥深くに流れ落ちる滝はひどく美しくて、まるで不純物が全て濾過された後のように、ただ透き通っていた。嵐の如く、雪煙の如く激しいのに、何故だかどこか静謐な。その澄み切った水が全て、集約される場所に僕らはたどり着いた。

 この『滝の洞窟』の、大きな大きな滝壺だった。

「…………すご……」

 轟音とともに四方から流れ込む圧巻の水の競演に、ビアンカが息を呑んだまま、感嘆の声を漏らす。

「──うん。ほんとに、神様がいそうな場所だよね……」

 僕も、ずっと辿ってきた地上からこの奈落へと降り注ぐ滝を遥か頭上に見上げて。あまりの遠さ、あまりの神秘にそんな感想しか出てこない。

「もうさすがに行き止まりよね。……ここに、ありそう?」

 ぐるりと滝壺を見上げていたビアンカが少し不安そうに振り返り、僕の顔を窺い見た。

「うん。……多分、あそこ」

 頷いて、滝がなだれ落ちるその向こうの一点をそっと、指差す。強く強く誘う、この清浄が漏れ出でる場所を。

 きっと、あの中に祭壇がある。

「……え? 滝の中、潜るの? さっき船で通ったみたいに?」

「そうかも……まぁ、滝の洞窟ってくらいだし」

 信じられない、と言うようにたじろいだビアンカと、無言ながらもさも嫌そうに顔をしかめたマーリンの気配に苦笑し、僕はまた道を探して水場に足を浸した。

「また濡れちゃうし、みんなはそこに居ていいよ」

 立ち尽くしたままの仲間達を振り返ってそう呼びかけると、「スラりんはへーいきー!」と青いぷにぷにした身体がすかさず飛びついてくる。間髪入れずに「や、やっぱり私も行く!」とビアンカが水場へと飛び込んだ。残されたマーリンと、水がやや苦手らしいプックルが渋い顔をしてその後に続く。

 何だかんだで本当に、優しい仲間達だと思う。探索が終わったらたっぷり労ってあげなくては、と僕は心密かにこの胸に誓った。

「ねぇ、でもやっぱり無茶よ。あんな勢いの大きな滝に打たれたりしたら、テュールだってただじゃ済まないでしょ?」

「うーん……まぁそうなんだけど……」

 さすがの僕も首を捻らざるを得ない。間違いなく、指輪の気配はあそこからしている、けれど、大量の水が崩落し続けるあの滝に少しでも身を掠めたら、その瞬間に滝壺の奈落へと葬り去られるのは目に見えている。

 この洞窟に魔物が少ないのは、そもそもこの滝を前に沈まされてしまうからではないだろうか。

 いくら水の属性を持つ魔物でも、この滝に巻き込まれて命があるとは思えないし。

 その想像にはひやりと背筋をつたうものを感じたが、いつの間にやら滝の方へと跳ねて、いや流されていったスラりんが「ねーねーごしゅじんさまー! あっち、あるけそうー!」と大喜びで叫ぶのを見て、僕は慌てふためき、そちらへ向かってざぶざぶと水を掻き分けた。

「こ、こら! スラりん、一人で滝に近づいたら駄目だよ⁉︎ ちょっと深いと君はすぐ流されちゃうんだからさ‼︎」

「うー、ごめんなさーい。ねぇみてみてー! あそこ、あるけそうでしょー!」

 僕の腰ほどの深さにもなるその水場の中で、反省の色もごくわずかにスラりんが意気揚々と振り返ってみせたのは──……

 透き通る巨大な滝が起こす、激しい水煙と白い泡の渦の中。水場は滝の衝撃を避けるように、ずっと先まで伸びていた。目を凝らすと、その壁の少し上の方にある大きな岩に弾かれて、滝が岩棚より少しだけ、手前を滑り落ちていっているように見えた。

 ──隙間があるんだ。岩肌と、滝との間に。

「……スラりん、すごいな。確かにあそこからなら……入れるかもしれない」

 思わず呟いた僕を見上げて、小さな青い魔物は僕に捕まえられたまま、まるで幼い坊主の如く、得意満面の笑みを覗かせた。

 

 

 

 滝の裏側に続く浅瀬の壁面まで歩き、いや泳ぎ切ったところで、もうみんな全身ずぶ濡れだった。

 そのわずかな水場自体は、滝の崩落地帯を少しそれていたのだが。滝壺の誘引力が思った以上に半端なかったのだ。絶えず雪崩打つ滝を飲み込み続ける激しい渦が、僕達をも飲み込むべく、抗い難い流れで身体に取り憑く。そこそこに深さもあって、僕より小柄なマーリンとビアンカはすっかり胸まで浸かってしまった。プックルも一応泳げはしたものの、流れが急なところがあり不安だったので、僕が一人ずつ、流れに持っていかれないよう必死に支えながら、なんとか壁伝いに歩けるところまで全員を連れていったのだった。

「だから、待ってていいって、言ったのに……」

 先に渡ったプックルに命綱を咥えてもらい、それを頼りになんとかマーリンまでは問題なく滝壺を超えられたが、さすがに三往復目ともなると息が切れてしまって。最後に残ったビアンカがうっかり水を飲んでしまわないよう、ずぶ濡れの重い外套ごとその肩を支えながら、ついぽつりと苦い本音を漏らしてしまった。

「だ、って、見たいんだもん。指輪! 絶対、行かないと!」

「……はいはい。ていうかさ、も、これ、脱ぎなよ。濡れちゃってるし、危ない、って」

 この滝壺で水をたらふく吸った重い布、しかも奈落の底へと誘い込もうとするその流れは恐ろしく早い。正直命取りにしかならないのだが、ビアンカは珍しくぶわっと顔を真っ赤に染めると、僕の外套を片手で握りしめ、ぶんぶんと激しく首を振る。

「だめっ! いま、とったら服っ、透けちゃうからっっ!」

 ああ。それは、駄目かもね。うん。

 色気も何もないやりとりを息も絶え絶え、命がけで交わしつつ、なんとか僕達は水場の向こう岸、壁に触れられるところまで泳ぎきった。

 ……こんなところで、ここまで消耗するとは。

 向こう岸に荷物を置いてきて正解だった。少しとはいえ、毛布に食糧がこの水に浸かってしまえばどのみち使い物にならないんだし。……もう僕は、ここで水のリングを手に入れたら魔法で脱出する気満々でいたから、あそこに置いてきた荷物を今更拾いに戻るつもりはなかった。誰か一人でも向こう岸で待つと言っていたら、話は別だったのだけど。

 本当にみんな、優しくて、健気な仲間達だと思う。

「ごしゅじんさまー! びあんかちゃんも、だいじょーぶー⁉︎」

 一番先に僕の頭に乗って到着した元気そのもののスラりんが、これまたプックルの頭の上で跳ねながらあわあわと僕達を労ってくれる。

「──────、うん。大丈、夫」

「わたし、も……テュールがずっと、支えてくれたし」

 激しい渦流からやっと解放されて膝をつくと、食いしばっていた全身からみるみる力が抜けていく。はあぁ、と息を深く吐き出せば、その傍らで呼吸を整えているビアンカがぽん、と僕の背を叩き、ゆっくりさすってくれる。

「……ありがとう、ね」

 少しだけ熱っぽいその囁きに、少しだけ微笑んで、首を振って返した。

「──もう、ちょっとだけ、頑張れる?」

 別に、服がちょっとぐらい透けてるのなんか気にしない……とまではさすがに言えないけど、そんなにも重く濡れそぼった外套は身につけているだけで苦しいだろうに。脱いでしまって構わないのに、そう思ったけれど、ビアンカは女性なのだと今更ながら思い直した。僕に見られては恥ずかしいこともあるだろう。いくら、気心知れた仲とは言っても。

 だから、あともう少しだけ頑張ってくれたら、すぐに船に帰れるから。

 背中をさすってくれる彼女を少し下から見上げたら、冷えて血の気のない頰にそれでもほんのり朱を差した幼馴染が、照れ臭そうに笑うのが見えた。

「……当たり前でしょ。この程度で根をあげるくらいなら、最初から無理言ってついてきたりしないわよ」

 こんな時にも、否、こんな時だからこそビアンカらしい頼もしい返事に、僕も自然と口許が緩む。

「テュールこそ、こんなとこでへばってる場合じゃないでしょ? お目当てのものはすぐそこ、なんだからさ」

「……言ってくれるね。誰がへたばってるって?」

 強がりでもなんでもいい。膝に手をつき、水を散らして勢いよく立ち上がった。前髪から滴る水滴を乱暴に拭って、ようやく僕は仲魔達の方を向き直る。

「一応、気をつけて。炎のリングの時は祭壇の周りにリングを守る魔物がいた。ここはそういう感じはしないけど、用心はしたほうがいい」

「じゃあ、スラりんがみてくる! これくらいならすぐとおれるしー!」

 僕の言葉を最後まで聞いたのか聞いていないのか、青い軟体が一際大きく飛び跳ねたかと思うと、べたりと岩肌にくっついた。そのすぐ真横を落下する瀑布との距離をうまく取りながら、壁面伝いにむにょむにょと進んでいく。。

「滝に身体を取られるなよ!」

「へいきへいきー!」

 見ているこっちは肝が冷える光景だが、スラりんにとっては割と楽勝だったらしい。あっさりと滝の裏側に回り込み、「ごしゅじんさまー! ここ、またどうくつになってるー!」と怒涛の滝の音に紛れつつ叫んでいる声が聞こえる。

「なにもいないよー! ……んー、でもなにもないよー!」

「えっ⁉︎ どういうこと⁉︎」

 僕より早く驚愕を露わにしたビアンカが、これまた制止するより早く、壁伝いに滝の裏側へと侵入を試みる。

「ビアンカ、危ないって‼︎ せめて命綱持ってから行って‼︎」

「そんなもの気にしてる余裕ないわよ‼︎」

 怒鳴り返しながらも、ビアンカの姿が滝の裏側に吸い込まれた。ますます肝がキュッと絞られるのを感じながら、僕と残された仲魔達は滝の裏側の反応を固唾を呑んで見守った。

「……大変よテュール! 本当になにもない‼︎」

 いや、待て。

 何も知らない人がこの場を通り過ぎれば、不幸にもこの瀑布で落命した怨霊か何かと思うに違いない。この世の終わりかとばかりの絶望的な声が二つ、滝の内側から響いているが、僕には彼らの衝撃の理由に心当たりがあった。

 ──炎のリングも『はじめはなかった』のだから。

「ビアンカー、とりあえず落ち着いて……今そっちに行くから」

 努めて冷静に声を発し、僕はまずプックルに綱をつけて、滝の裏の細い道を渡らせた。しなやかな筋肉を駆使してプックルはバランスよく滝の裏を通り抜け、その綱伝いに、今度はマーリンを壁にへばりつかせて通す。最後に僕が同様に、岩肌にしがみつきながら滝の裏側へと入った。すぐに壁をくりぬいた大きな穴に行き当たり、僕達は順番に、その中へと身体を滑り込ませた。

 ──────ここが。

 まるく、広い空間だった。外界からの侵入を阻む滝の轟音すら気にならなくなるほどに静謐な、神秘の気配に満ちている。中央には一際大きな岩造りの台座がひとつだけ、鎮座している。それだけの空間。それ以外にはなにもない。……今は。

「テュール‼︎ 見てよ、どこにもないの。どうしよ、誰かが先に見つけて持って帰っちゃったのかも……っ」

「落ち着いて、ビアンカ」

 動揺と寒さのためか、小刻みに震えだした幼馴染に一言、静かに囁いて。その肩にそっと一度だけ手を置いて、僕はまっすぐに岩の台座を見つめた。──その中央を。

「まだ、あるよ。……大丈夫」

 確信を込めた僕の言葉に、ビアンカが息を呑み眼を見開く。

 迎えに来たよ。

 そのまま、吸い寄せられるように台座へと手を伸ばした。僕を喚びこむ愛しい気配がまるで光の渦となり、瞬間、台座が凄まじく発光する。水の粒子がその光の中を舞い踊り、水が激しく轟くような音と共に、何もない空間に幻の巨大な滝を形作った。──次の瞬間には幻は跡形もなく消失し、ぽっかり拓けたまるい空間には再び静寂だけが満ちた。

 全ては、瞼を一度瞬いた間のことだった。

 誰もがその目まぐるしい幻の舞台に意識を奪われる中、僕は伸ばした手で台座に触れた。……先程までそこにはなかったはずの、青い小さな宝石を嵌め込んだ、白銀に輝く細身のリングがその中央に埋まっていた。

 ────迎えに、きたよ。

 リングにわずかに触れれば、炎のリングの時と同じく台座からぽろりと離れ、僕の手に吸いつくように収まる。

 この掌に、清楚で小さなその指輪を包み込むだけで、僕はまるで、あのひとを抱きしめているような恍惚に襲われる。

 会いたかった。いとしい、ひと。

 暫し僕は、仲間の目も厭わず指輪を胸にそっと押し抱き、久々にこみ上げた、胸を締めつける甘い痺れに酔いしれた。

「……あった、の?」

 やがて、全てを見届けたビアンカが、そんな僕の背中に向かって茫然としたまま呟いて。

「──うん。……ほら」

 掌をそっと開いて、僕はビアンカと仲魔達に、手に入れたばかりの美しい指輪を披露した。

「わぁ……綺麗。噓みたい……」

 真っ先に覗き込んだビアンカが、うっとりとその輝きに魅入られる。白銀の軀に蒼の瞳を一つ埋め込んだ、その小さな宝石を覗き込めば、炎のリングと同じく、石の中を美しい漣が絶え間なく満ち引きを繰り返しているのが見える。

 スラりんは「きれいきれーい! やったーみつけたーごしゅじんさますごーい!」と台座の周りをぐるぐる跳ね回る喜びよう、マーリンは苦労した甲斐があったと言わんばかりにすましているし、プックルはゴロゴロと喉を鳴らして、僕の腕に身体ごと擦りつけて労ってくれる。

「……ありがとう。みんな、ここまで頑張ってくれて」

 心からの感謝を口にすれば、皆一様に照れ臭そうに笑ってくれて。

「大したことはありませんでしたな。最後以外は」

「そうよね。まさか魔物じゃなくて、滝壺にやられそうになるとは思わなかったわ」

 生真面目に考察するマーリンと、真剣に同意するビアンカのやりとりがなんだか可笑しくて、思わず声を上げて笑ってしまう。──と、くしゅっ! とビアンカが小さく身体を震わせてくしゃみをした。

「あ、ごめん。それじゃ帰ろう? みんな、僕に捕まって」

 ぐるりと仲間達の顔を見渡し、指輪を持たない方の腕を差し出す。ビアンカが、マーリンが頷いてそれぞれ肩と腕に手を置き、スラりんはいつものように頭の上へ。プックルは僕の側に擦り寄り、その毛並みに指輪を握りしめたままの手を置いて、僕は、洞窟を脱出するための呪文を唱えた。

「アリアの加護よ、我々を導け。──疾く糸玉の元へと!」

[newpage]

 船を停めた洞窟の入り口、その入江の端で、乾いたところを選んで火を起こしてもらう。

 洞窟を覆う滝の幕が、宵闇から濃い青へと変わっていく。そろそろ夜が明ける頃なのだろう。確か、洞窟に入ったのは陽が落ちる少し前だったから、およそ半日以上は潜っていたらしい。

 交代で休息を取っていたというクラウスさんとピエールは、全身ずぶ濡れで現れた僕達にもさほど動じず、てきぱきと世話を焼いてくれた。クラウスさんはすぐにビアンカを船内のシャワールームへと連れて行き、僕達はピエールから乾いた布を受け取って水気を拭いたり、着替えたりして簡単に身支度を整えた。すぐに戻ってきたクラウスさんが今度は薪の準備をしてくれて、やっと暖をとることが出来た。

「……素晴らしいです。まさか私のような一介の船乗りに、伝承の指輪をこの目で見ることが叶うとは」

 ぱちぱちと爆ぜる焚き火を前に腰を下ろせば、さっきまで冷たい滝壺を彷徨った身体が心地よい疲れを滲ませる。失くさないよう、着替えた際に鎖を通した繊細な白銀の指輪を、火にあたりながらクラウスさんにも見てもらった。

「無事に見つけられて良かったです。色々と教えてくださり、本当にありがとうございました」

 僕が姿勢を正し頭を下げると、クラウスさんは穏やかに笑んで首を振る。

「私は何もしておりません。テュールさんが求めたから指輪が応えた。そういうことなのでしょうから」

 物静かな返答に、自然と二人とも、僕の掌に収まった指輪へと視線を移した。

 焚き火の熱にも揺らがない、清廉な輝きが物言わず、石の中に揺蕩っている。

「……思い出して、しまうんです」

 その、手の中の静かな漣をぼんやりと眺めながら、僕はいつしかぽつりと呟いていた。

「この、指輪を手にした時──この洞窟に、来た時も。もうずっと……彼女が、ここに居るような気が、して……」

 そっと、握り締めれば。あの華奢な肩を抱きしめている心地になる。

 美しい、碧い髪をなびかせた彼女がこの腕の中、僕を見上げてくれている幻影まで視える、気がする。

 ──幸せだと思ったのに、今は、おかしくなりそうだと思う。

 彼女のことを強く想うばかりに、僕は段々と狂ってきているのではないだろうか。

 会わずに出てきたのは自分なのに。あの眼差し一つを信じようと決めたのは、他ならぬ僕自身だというのに。

 答えなんて見つからなくて、僕はただ、掌に包んだ指輪を祈るように額に押し戴く。

 ──────会いたい。

「……私は、テュールさんがテュールさんのような方で……良かったと、心から思っておりますよ」

 どこまでも優しい、クラウスさんの声が、静かな波紋のように僕の身体に浸透していく。

「お嬢様を……、どうか、よろしくお願いいたします」

 切実なほどに心に刺さる、その言葉に。

 何故か目頭に熱くこみ上げるものをこらえながら、黙って深く、今一度深く、頭を下げた。

 滝に隔てられた洞窟の外は、いつの間にか朝を迎えていた。

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